韓愈《左遷至藍關示姪孫湘》 朝に上奏文を一通、九重おく深い天子さまの宮居にたてまつった。すると夕べには八千里も路程のある潮州に流されることになった。聖明な天子さまのために悪弊を除きたいと思えばこそで、衰えはてた身なのに、今さら老いぼれの年を惜しもうとは思わない。


2014年2月15日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 286 《遊城南十六首:晚雨》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3756 (02/15)
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左遷至藍關示姪孫湘〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕》117韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <954  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3754韓愈詩-249

 

 

年:  819  元和十四年  52

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

詩題: 左遷至藍關示姪孫湘〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕 

作地點: 藍田關(京畿道 / 京兆府 / 藍田

及地點: 藍田關 (京畿道 京兆府 藍田) 別名:藍關     

潮州 (嶺南道東部 潮州 潮州)     

秦嶺 (京畿道 京兆府 藍田)     

九重 (京畿道 京兆府 長安)     

 

 

左遷至藍關示姪孫湘

(左遷され潮州に赴く途中、長安東南の初めての関、藍田関に到着したので姪孫韓湘にこの詩を示す)

〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕

姪孫は、兄弟の孫。湘は、その名。韓湘(794-未詳)は、韓愈の次兄韓介の孫、十二郎韓老成(未詳-803年)の子である。長慶三年(823年)進士になった。
一封朝奏九重天,夕貶潮州路八千。 

朝に上奏文を一通、九重おく深い天子さまの宮居にたてまつった。すると夕べには八千里も路程のある潮州に流されることになった。

欲為聖朝除弊事,肯將衰朽惜殘年。 

聖明な天子さまのために悪弊を除きたいと思えばこそで、衰えはてた身なのに、今さら老いぼれの年を惜しもうとは思わない。

雲橫秦嶺家何在,雪擁藍關馬不前。 

雲は秦嶺山脈にたなびき、わたしの家はどこにあるかもう分からない、雪は藍田関をうずめつくして、わたしの馬は進まない。

知汝遠來應有意,好收吾骨瘴江邊。 

おまえがはるばるやって来たのはきっと何かのつもりあってのことだとわたしには分かる、それならわたしの骨を瘴気たちこめる大江のほとりでとり収めてくれればよいのだ。

 

(左遷されて藍關に至り姪孫【てつそん】湘に示す。)

〔湘は,愈の姪十二郎の子なり,長慶三年の進士に第し登るもの。〕

一封 朝に奏す 九重の天、夕べに潮州に貶せらる 路八千。

聖明の為に弊事を除かんと欲っし、肯えて衰朽を将って残年を惜しまんや。

雲は秦嶺に横たわって家何くにか在る、雪は藍蘭を擁して馬前まず。

知んぬ 汝が遠く来たる 応に意有るべし、好し 吾が骨を瘴江の辺に収めよ。

終南山06 

 

『左遷至藍關示姪孫湘』 現代語訳と訳註

(本文)

左遷至藍關示姪孫湘

〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕

一封朝奏九重天,夕貶潮州路八千。 

欲為聖朝除弊事,肯將衰朽惜殘年。 

雲橫秦嶺家何在,雪擁藍關馬不前。 

知汝遠來應有意,好收吾骨瘴江邊。 

 

(下し文)

(左遷されて藍關に至り姪孫【てつそん】湘に示す。)

〔湘は,愈の姪十二郎の子なり,長慶三年の進士に第し登るもの。〕

一封 朝に奏す 九重の天、夕べに潮州に貶せらる 路八千。

聖明の為に弊事を除かんと欲っし、肯えて衰朽を将って残年を惜しまんや。

雲は秦嶺に横たわって家何くにか在る、雪は藍蘭を擁して馬前まず。

知んぬ 汝が遠く来たる 応に意有るべし、好し 吾が骨を瘴江の辺に収めよ。

 

(現代語訳)

(左遷され潮州に赴く途中、長安東南の初めての関、藍田関に到着したので姪孫韓湘にこの詩を示す)

朝に上奏文を一通、九重おく深い天子さまの宮居にたてまつった。すると夕べには八千里も路程のある潮州に流されることになった。

聖明な天子さまのために悪弊を除きたいと思えばこそで、衰えはてた身なのに、今さら老いぼれの年を惜しもうとは思わない。

雲は秦嶺山脈にたなびき、わたしの家はどこにあるかもう分からない、雪は藍田関をうずめつくして、わたしの馬は進まない。

おまえがはるばるやって来たのはきっと何かのつもりあってのことだとわたしには分かる、それならわたしの骨を瘴気たちこめる大江のほとりでとり収めてくれればよいのだ。

韓愈の地図01 

(訳注)

左遷至藍關示姪孫湘

(左遷され潮州に赴く途中、長安東南の初めての関、藍田関に到着したので姪孫韓湘にこの詩を示す)

左遷至農園示姪孫湘 ・左遷:官位を下げられること。むかし、中国では、右を尊んで、左を卑しいとしたところからいう。

ここは、韓愈が、憲宗皇帝(李純)の仏骨を迎えたのに反対して、「仏骨を論ずる表」をたてまつったため、皇帝の激怒を買い、刑部侍郎(刑法をつかさどる役所の次官)から、潮州(今の広東省潮川市)の刺史(州の長官)に転任させられたことをいう。藍関は、藍田関。首都長安から東南にあたる藍田縣(今の陝西省藍田県)の峡谷にある。長安から華中華南へ行く山越えの街道にあたっていた。

 

韓愈が潮州刺史に発令されたのが正月十四日、その日にさっそく出発している。この年正月十四日は、太陽暦では二月十二日になるから、彼れが藍田関に分け入ったとき、雪が深く積もっていたことは、十分想像できる。

 

〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕

姪孫は、兄弟の孫。湘は、その名。韓湘(794-未詳)は、韓愈の次兄韓介の孫、十二郎韓老成(未詳-803年)の子である。長慶三年(823年)進士になった。
神仙の術を学んだといわれ、八仙の一人に数えられている。この詩は、潮州へ流され行く途中、藍田関についたとき、韓湘に示した詩であって、韓愈五十二歳、元和十四年(
819年)正月(旧暦)十四日から二三日のうちの作である。

 

一封朝奏九重天,夕貶潮州路八千。 

朝に上奏文を一通、九重おく深い天子さまの宮居にたてまつった。すると夕べには八千里も路程のある潮州に流されることになった。

一封 一通の上奏。封は、封事。天子に上奏する文は、秘密を保つため、黒い袋に封じこまれてたてまつられたので、封事といった。ここは、「仏骨を論ずる表」をさす。

奏 天子に進言する。

九重天 天子の住む宮殿。天子の門が九つあり、また天が九重であるとされ、天子を天に此するところからいう。

夕貶 朝奏とあって、夕貶と受けるように、この時の韓愈に対する処分は、非常にすみやかであった。・貶:官位を下げられること。

潮川路八干 潮州は、韓愈の未達された土地。八千は、八千里(1km=0.576m約四千キロメートル)、韓愈はあっちに寄り、こっちに寄るために倍くらいの距離を移動しているもの。唐代の地理を書いた「元和郎県志」にょれは、長安から潮州まで、直線五千六百二十五里(3,240km)で、八千里まではない。旅程を述べる『通典』によれば七千六百六十七里とされていることから、この表示は正確なものであったのである。

 

欲為聖朝除弊事,肯將衰朽惜殘年。 

聖明な天子さまのために悪弊を除きたいと思えばこそで、衰えはてた身なのに、今さら老いぼれの年を惜しもうとは思わない。

聖明 聖明な天子。憲宗皇帝をさす。聖明は、天子の徳についていうことばで、その道はどこにでも通じ、その明は至るところを照らすことをいう。

弊事 弊害のある事。わるい事。ここは、仏舎利を宮中に迎えることをいう。韓愈は仏教徒になった皇帝は、短命で不運であるということで、仏舎利塔を宮殿内に作るのに反対した「佛骨を論ずる表」を上奏した。《論佛骨表》(1)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <884  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3404韓愈詩-227-1

肯 承知する。妥協する。ここは、反語で、何とかして……しようとなどは思わない、という意。

衰朽 年老いてからだのおとろえていること。

殘年 老いぼれの年。残は、盛りをすぎで、くずれようとする状態をいう。単なる残りというのとは、少こし語感がちがう。敗残というときの残が、よく感じを表わしている。

 

雲橫秦嶺家何在,雪擁藍關馬不前。 

雲は秦嶺山脈にたなびき、わたしの家はどこにあるかもう分からない、雪は藍田関をうずめつくして、わたしの馬は進まない。

秦嶺 終南山を中心とする秦嶺山脈。長安の南側の連山。

家何在 自分の住んでいたなつかしい家がどこにあるだろうか。雲がおおいかくして見えない。

擁 ふさいでまもっている。

応有意 当然何かつもりがあってのことにちがいない。応は、当然をあらわす助辞。

 

知汝遠來應有意,好收吾骨瘴江邊。 

おまえがはるばるやって来たのはきっと何かのつもりあってのことだとわたしには分かる、それならわたしの骨を瘴気たちこめる大江のほとりでとり収めてくれればよいのだ。

好収 収めるがよい。好は、そうした処置(ここでは収)を喜ぶ気持ちを表わすことば。

瘴江 病気をおこすという蒸気の立つ川。特別の川をさすのではなかろう。瘴は、嶺南・華南の高温多湿によって生ずる風土病をひろくいう。
nat0003