朝廷には孔雀や鑾鳳というべき文彩の人々が将来を明るくしている。自分は鴨や家鴨の様なものでまったく用がないというところだろう。朝廷には高官が左右に天子を補佐し、御陵には東に松を西に柏と御守りするために樹木を茂らせている。蓬やマメの葉の様な吾輩は何にもならないものでしかないのだ。


        
 2014年5月19日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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397-3 《南朝賀歸呈同官》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集巻五 <1047>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4219韓愈詩-397-3

 

 

 

製作年:  821  長慶元年  54

 

821年長慶元年 54

 

395

395-1 《南山有高樹行贈李宗閔》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1036  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4164韓愈詩-395-1

南山有高樹,

396

396-1 《猛虎行【猛虎行贈李宗閔】》韓愈(韓退之) 唐宋八大家文読本 巻五 <1040  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4184韓愈詩-396-1

猛虎雖云惡,

397

朝賀歸呈同官

薄雲蔽秋曦,

398

朝歸

峨峨進賢冠,

399

杏園送張徹侍御歸使

東風花樹下,

400

雨中寄張博士籍、侯主簿喜

放朝還不報,

401

奉和兵部張侍郎酬,鄆州馬尚書祗召,途中見寄,開緘之日,馬帥已再領鄆州之作

來朝當路日,

卷別: 卷三四二  文體: 五言古詩 

詩題: 朝賀歸呈同官〔唐長安有三,皇城在西北隅,謂之西;東曰大明宮,在西之東;南曰興慶宮,在東之南。〕 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

朝賀歸呈同官 #1

〔唐長安有三,皇城在西北隅,謂之西;東曰大明宮,在西之東;南曰興慶宮,在東之南。〕

821年長慶元年 54歳のころ、南内に朝賀しての帰り、この詩を作って同僚に見せたものである。)

長安には三か所に宮城と役所がある。その皇城は長安城の西北の隅にあり、ここを西内といわれている。東の皇城は大明宮といわれており、西内の東側にある。少し離れて南の皇城は興慶宮といわれており、大明宮の南側にある。

薄雲蔽秋曦,清雨不成泥。

罷賀南衙,歸涼曉淒淒。

綠槐十二街,渙散馳輪蹄。

余惟戇書生,孤身無所齎。

空が搔き曇ってきたが、薄い雲はなおも秋の日を蔽っている。清々しい雨が少し降ったけれど路を泥んこにする間ではなかった。

この朝、南内のお役所で朝賀を終わってから、自分の役所に帰って来るころには有明の静清とした空気が秋の日の涼しさが広がっていた。

みどり生い茂る槐が都登路の並木とするが、車馬が行き交う量が多いので、その車輪の跡や蹄鉄の跡がかき消されて残らないほどだ。

私はもとはここで愚直な書生であったことがある。個人としてのこの身は格別党派をどこの党を求めることはなかった。

#2

三黜竟不去,致官九列齊。

豈惟一身榮,佩玉冠簪犀。

滉蕩天門高,著籍朝厥妻。

文才不如人,行又無町畦。

問之朝廷事,略不知東西。

そして、三度、官をしりぞけられてしまったが、それでも平気で官を辞して去ることはなかった。やがてまたボツポツと用いられて、九卿と同列に列せられることになった。

既に我が一身に恩栄を蒙り、腰に玉を帯び、頭には犀角の簪、冠を付けている。

滔々として天に聳える九重の門の中にも我妻さえも、竹牒に名前を書き連ねて、出入して参賀することができることになり、まことにありがたいことであるのだ。

我が文才はもとより人に同様にできものではないと思っており、文行とともに、人には威儀はないと思っている。

朝廷の典故などを問われても一向にその詳しいことは何も知らないのだ。

#3

況於經籍深,豈究端與倪。

まして、朝廷の在籍の位の経歴の深まり、参賀して天子との立ち位置の遠近において、生と死の間でその末端と末端とを意識し、研究して行っているかということだ。

君恩太山重,不見酬稗稊。

与えられた官職についていることは、天子の恩沢の重みは連綿と連なる太白山と比較できるものであり、しかも、返礼は稗粒ほどの物を酬いてもらうことを思っていない。

所職事無多,又不自提撕。

もとより、我が職務は決して多くはない職におかれ、人と一緒に力を合わせなければできないというものでもない。

明庭集孔鸞,曷取於鳧鷖。

今、朝廷には孔雀や鑾鳳というべき文彩の人々が将来を明るくしている。自分は鴨や家鴨の様なものでまったく用がないというところだろう。

樹以松與柏,不宜間蒿藜。

朝廷には高官が左右に天子を補佐し、御陵には東に松を西に柏と御守りするために樹木を茂らせている。蓬やマメの葉の様な吾輩は何にもならないものでしかないのだ。

#3

況んや經籍の深きに於いて,豈に端と倪とを究【きわめ】んや。

君恩 太山重し,稗稊を酬ゆるを見ざり。

職と所する 事 多く無く,又 自ら提撕【ていせい】せず。

明庭 孔鸞を集む,曷【なん】ぞ鳧鷖【ふえい】を取らんや。

樹【う】うる松と柏とを以ってす,宜しく蒿藜【こうれい】間【まじ】うべからず。

#4

婉孌自媚好,幾時不見擠。

貪食以忘軀,尠不調鹽醯。

法吏多少年,磨淬出角圭。

將舉汝愆尤,以為己階梯。

收身歸關東,期不到死迷。

 

唐 長安図 基本図00 

『南朝賀歸呈同官』 現代語訳と訳註

(本文) 朝賀歸呈同官 #3

況於經籍深,豈究端與倪。

君恩太山重,不見酬稗稊。

所職事無多,又不自提撕。

明庭集孔鸞,曷取於鳧鷖。

樹以松與柏,不宜間蒿藜。

 

(下し文) #3

況んや經籍の深きに於いて,豈に端と倪とを究【きわめ】んや。

君恩 太山重し,稗稊を酬ゆるを見ざり。

職と所する 事 多く無く,又 自ら提撕【ていせい】せず。

明庭 孔鸞を集む,曷【なん】ぞ鳧鷖【ふえい】を取らんや。

樹【う】うる松と柏とを以ってす,宜しく蒿藜【こうれい】間【まじ】うべからず。

 

(現代語訳)

まして、朝廷の在籍の位の経歴の深まり、参賀して天子との立ち位置の遠近において、生と死の間でその末端と末端とを意識し、研究して行っているかということだ。

与えられた官職についていることは、天子の恩沢の重みは連綿と連なる太白山と比較できるものであり、しかも、返礼は稗粒ほどの物を酬いてもらうことを思っていない。

もとより、我が職務は決して多くはない職におかれ、人と一緒に力を合わせなければできないというものでもない。

今、朝廷には孔雀や鑾鳳というべき文彩の人々が将来を明るくしている。自分は鴨や家鴨の様なものでまったく用がないというところだろう。

朝廷には高官が左右に天子を補佐し、御陵には東に松を西に柏と御守りするために樹木を茂らせている。蓬やマメの葉の様な吾輩は何にもならないものでしかないのだ。

 

 

(訳注) #3

朝賀歸呈同官

821年長慶元年 54歳のころ、南内に朝賀しての帰り、この詩を作って同僚に見せたものである。)

〔唐長安有三,皇城在西北隅,謂之西;東曰大明宮,在西之東;南曰興慶宮,在東之南。〕

長安には三か所に宮城と役所がある。その皇城は長安城の西北の隅にあり、ここを西内といわれている。東の皇城は大明宮といわれており、西内の東側にある。少し離れて南の皇城は興慶宮といわれており、大明宮の南側にある。

この興慶宮は玄宗の時代には故宅とされた。

 

況於經籍深,豈究端與倪。

まして、朝廷の在籍の位の経歴の深まり、参賀して天子との立ち位置の遠近において、生と死の間でその末端と末端とを意識し、研究して行っているかということだ。

豈究端與倪 『荘子』の大宗師「反復終始、不知端倪。」(反復 終始して、端倪を知らず。)繰り返して、終始は生と死で生と死が循環することをいう。物の端末を認識することはない。生と死の中でその生き方の優劣を気に掛けるかどうかをといている。

 

君恩太山重,不見酬稗稊。

与えられた官職についていることは、天子の恩沢の重みは連綿と連なる太白山と比較できるものであり、しかも、返礼は稗粒ほどの物を酬いてもらうことを思っていない。

太山重 太白山は秦嶺山脈で長安の南側に大きく連なるもので、その一番奥側に聳える。西の異民族から守ろ象徴的存在である。その崇高さが重いということ。

稗稊 穀物のひえ、きわめて少ないという意味に用いる。

 

所職事無多,又不自提撕。

もとより、我が職務は決して多くはない職におかれ、人と一緒に力を合わせなければできないというものでもない。顧みればわが身はこの朝廷において、無用なものとされているということなのだ。

事無多 職務の量は決して多くはない

提撕 人と一緒に力を合わせてことにあたること。

 

明庭集孔鸞,曷取於鳧鷖。

今、朝廷には孔雀や鑾鳳というべき文彩の人々が将来を明るくしている。自分は鴨や家鴨の様なものでまったく用がないというところだろう。

明庭 朝廷の今と将来が明るい。

鳧鷖 鴨や家鴨 

 

樹以松與柏,不宜間蒿藜。

朝廷には高官が左右に天子を補佐し、御陵には東に松を西に柏と御守りするために樹木を茂らせている。蓬やマメの葉の様な吾輩は何にもならないものでしかないのだ。

松與柏 五行思想で、御陵は東に松を、西に柏と御守りするために樹木を茂らせている。

蒿藜 ヨモギとアカギ。マメの葉。
唐朝 大明宮2000