人の過失を挙げて、それを自己の立身出世の梯子として利用とするものが多いのである。そういう中で自分の身を何とか収めて、河南の故郷に帰って隠遁したいと思い、そして、死を迎えるまで心が迷わないようにしないといけないと思うのである。

        
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397-4 《南朝賀歸呈同官》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集巻五 <1048>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4224韓愈詩-397-4

 

 

    製作年:  821  長慶元年  54

 

821年長慶元年 54

 

395

395-1 《南山有高樹行贈李宗閔》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1036  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4164韓愈詩-395-1

南山有高樹,

396

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猛虎雖云惡,

397

朝賀歸呈同官

薄雲蔽秋曦,

398

朝歸

峨峨進賢冠,

399

杏園送張徹侍御歸使

東風花樹下,

400

雨中寄張博士籍、侯主簿喜

放朝還不報,

401

奉和兵部張侍郎酬,鄆州馬尚書祗召,途中見寄,開緘之日,馬帥已再領鄆州之作

來朝當路日,

卷別: 卷三四二  文體: 五言古詩 

詩題: 朝賀歸呈同官〔唐長安有三,皇城在西北隅,謂之西;東曰大明宮,在西之東;南曰興慶宮,在東之南。〕 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

朝賀歸呈同官 #1

〔唐長安有三,皇城在西北隅,謂之西;東曰大明宮,在西之東;南曰興慶宮,在東之南。〕

821年長慶元年 54歳のころ、南内に朝賀しての帰り、この詩を作って同僚に見せたものである。)

長安には三か所に宮城と役所がある。その皇城は長安城の西北の隅にあり、ここを西内といわれている。東の皇城は大明宮といわれており、西内の東側にある。少し離れて南の皇城は興慶宮といわれており、大明宮の南側にある。

薄雲蔽秋曦,清雨不成泥。

罷賀南衙,歸涼曉淒淒。

綠槐十二街,渙散馳輪蹄。

余惟戇書生,孤身無所齎。

空が搔き曇ってきたが、薄い雲はなおも秋の日を蔽っている。清々しい雨が少し降ったけれど路を泥んこにする間ではなかった。

この朝、南内のお役所で朝賀を終わってから、自分の役所に帰って来るころには有明の静清とした空気が秋の日の涼しさが広がっていた。

みどり生い茂る槐が都登路の並木とするが、車馬が行き交う量が多いので、その車輪の跡や蹄鉄の跡がかき消されて残らないほどだ。

私はもとはここで愚直な書生であったことがある。個人としてのこの身は格別党派をどこの党を求めることはなかった。

(南朝賀し 歸って同官に呈す) #1

〔唐 長安に三有り,皇城は西北の隅に在り,之を西;東大明宮と曰う,西東に在る;南興慶宮と曰う,東の南に在る。〕

薄雲 秋曦【しゅうぎ】を蔽い,清雨 泥を成さず。

賀を罷む 南衙,歸えれば涼しくて 曉 淒淒たり。

綠槐【りょくかい】十二街,渙散【かんさん】として輪蹄【りんてい】を馳す。

余は惟れ 戇【とう】書生,孤身 齎【もたら】す所無し。

#2

三黜竟不去,致官九列齊。

豈惟一身榮,佩玉冠簪犀。

滉蕩天門高,著籍朝厥妻。

文才不如人,行又無町畦。

問之朝廷事,略不知東西。

そして、三度、官をしりぞけられてしまったが、それでも平気で官を辞して去ることはなかった。やがてまたボツポツと用いられて、九卿と同列に列せられることになった。

既に我が一身に恩栄を蒙り、腰に玉を帯び、頭には犀角の簪、冠を付けている。

滔々として天に聳える九重の門の中にも我妻さえも、竹牒に名前を書き連ねて、出入して参賀することができることになり、まことにありがたいことであるのだ。

我が文才はもとより人に同様にできものではないと思っており、文行とともに、人には威儀はないと思っている。

朝廷の典故などを問われても一向にその詳しいことは何も知らないのだ。

#2

三たび黜【しりぞ】けられて竟に去らず,官をして九列と齊し。

豈に惟だ一身の榮,玉を佩びて簪犀【しんさい】を冠するのみなんや。

滉蕩【こうとう】として天門高く,籍を著けて厥の妻を朝せしむ。

文才 人に如かず,行 又た 町畦【ちょうけい】無し。

之に朝廷の事を問えば,略そ東西を知らず。

#3

況於經籍深,豈究端與倪。

君恩太山重,不見酬稗稊。

所職事無多,又不自提撕。

明庭集孔鸞,曷取於鳧鷖。

樹以松與柏,不宜間蒿藜。

まして、朝廷の在籍の位の経歴の深まり、参賀して天子との立ち位置の遠近において、生と死の間でその末端と末端とを意識し、研究して行っているかということだ。

与えられた官職についていることは、天子の恩沢の重みは連綿と連なる太白山と比較できるものであり、しかも、返礼は稗粒ほどの物を酬いてもらうことを思っていない。

もとより、我が職務は決して多くはない職におかれ、人と一緒に力を合わせなければできないというものでもない。

今、朝廷には孔雀や鑾鳳というべき文彩の人々が将来を明るくしている。自分は鴨や家鴨の様なものでまったく用がないというところだろう。

朝廷には高官が左右に天子を補佐し、御陵には東に松を西に柏と御守りするために樹木を茂らせている。蓬やマメの葉の様な吾輩は何にもならないものでしかないのだ。

#3

況んや經籍の深きに於いて,豈に端と倪とを究【きわめ】んや。

君恩 太山重し,稗稊を酬ゆるを見ざり。

職と所する 事 多く無く,又 自ら提撕【ていせい】せず。

明庭 孔鸞を集む,曷【なん】ぞ鳧鷖【ふえい】を取らんや。

樹【う】うる松と柏とを以ってす,宜しく蒿藜【こうれい】間【まじ】うべからず。

 

#4

婉孌自媚好,幾時不見擠。

貪食以忘軀,尠不調鹽醯。

法吏多少年,磨淬出角圭。

將舉汝愆尤,以為己階梯。

收身歸關東,期不到死迷。

若輩者と遠慮しまわりの様子を窺うようなことをやっていたとしてもいずれは排除されてしまうことになるだろう。

やみくもに食を貪ったとしてわが身を忘れるような家畜であったなら肉が上手いからといってもいずれは腐ってしまうで塩と酢で調理されるのだろう。その身に徳を備えた者が尊ばれるということとは比べることはできないことである。

今日の朝廷を取締りしている法吏の者どもは、多くの者が青年新進の士であり、切磋琢磨しているものの性格や言動にかどがあって、円満でないことなどがよくあるのだ。

人の過失を挙げて、それを自己の立身出世の梯子として利用とするものが多いのである。

そういう中で自分の身を何とか収めて、河南の故郷に帰って隠遁したいと思い、そして、死を迎えるまで心が迷わないようにしないといけないと思うのである。

#4

婉孌【えんらん】自ら媚好【びこう】にしても,幾時にか 擠【せい】せられざらん。

食を貪って以て軀を忘れる,鹽と醯に調えられざること尠【すくな】し。

法吏 多くは少年たり,磨淬【まさい】して角圭を出だす。

將に汝の愆尤【けんゆう】を舉げて,以て己れの階梯と為さんとす。

身を收めて關東に歸り,期すべくは死に到るまで迷わざらん。

 

 

『南朝賀歸呈同官』 現代語訳と訳註

(本文)#4

婉孌自媚好,幾時不見擠。

貪食以忘軀,尠不調鹽醯。

法吏多少年,磨淬出角圭。

將舉汝愆尤,以為己階梯。

收身歸關東,期不到死迷。

 

(下し文) #4

婉孌【えんらん】自ら媚好【びこう】にしても,幾時にか 擠【せい】せられざらん。

食を貪って以て軀を忘れる,鹽と醯に調えられざること尠【すくな】し。

法吏 多くは少年たり,磨淬【まさい】して角圭を出だす。

將に汝の愆尤【けんゆう】を舉げて,以て己れの階梯と為さんとす。

身を收めて關東に歸り,期すべくは死に到るまで迷わざらん。

 

(現代語訳)

若輩者と遠慮しまわりの様子を窺うようなことをやっていたとしてもいずれは排除されてしまうことになるだろう。

やみくもに食を貪ったとしてわが身を忘れるような家畜であったなら肉が上手いからといってもいずれは腐ってしまうで塩と酢で調理されるのだろう。その身に徳を備えた者が尊ばれるということとは比べることはできないことである。

今日の朝廷を取締りしている法吏の者どもは、多くの者が青年新進の士であり、切磋琢磨しているものの性格や言動にかどがあって、円満でないことなどがよくあるのだ。

人の過失を挙げて、それを自己の立身出世の梯子として利用とするものが多いのである。

そういう中で自分の身を何とか収めて、河南の故郷に帰って隠遁したいと思い、そして、死を迎えるまで心が迷わないようにしないといけないと思うのである。

 寒梅000

 

(訳注) #4

朝賀歸呈同官

821年長慶元年 54歳のころ、南内に朝賀しての帰り、この詩を作って同僚に見せたものである。)

〔唐長安有三,皇城在西北隅,謂之西;東曰大明宮,在西之東;南曰興慶宮,在東之南。〕

長安には三か所に宮城と役所がある。その皇城は長安城の西北の隅にあり、ここを西内といわれている。東の皇城は大明宮といわれており、西内の東側にある。少し離れて南の皇城は興慶宮といわれており、大明宮の南側にある。

この興慶宮は玄宗の時代には故宅とされた。

 

婉孌自媚好,幾時不見擠。

若輩者と遠慮しまわりの様子を窺うようなことをやっていたとしてもいずれは排除されてしまうことになるだろう。

婉孌 「婉兮孌兮 總角丱兮」(婉たり孌【れん】たり 總角 丱【かん】たり)婉孌を分けて叙べた語。婉孌は稚くて美しく可憐なこと。・總角  あげまき。(可愛い幼いあの子 垂れ髪を総角(あげまき)にしていた)

陶淵明·雜詩十二首之十二:「嫋嫋松標崖,婉孌柔童子。」陶淵明も鴟梟に基づいて使用している。

擠 おしのける。

 

貪食以忘軀,尠不調鹽醯。

やみくもに食を貪ったとしてわが身を忘れるような家畜であったなら肉が上手いからといってもいずれは腐ってしまうで塩と酢で調理されるのだろう。その身に徳を備えた者が尊ばれるということとは比べることはできないことである。

鹽醯 塩と酢の基本的な調味料。

 

法吏多少年,磨淬出角圭。

今日の朝廷を取締りしている法吏の者どもは、多くの者が青年新進の士であり、切磋琢磨しているものの性格や言動にかどがあって、円満でないことなどがよくあるのだ。

磨淬 切磋琢磨すること。

角圭 圭角。1 (ぎょく)のとがったところ。玉のかど。2 性格や言動にかどがあって、円満でないこと。

 

將舉汝愆尤,以為己階梯。

人の過失を挙げて、それを自己の立身出世の梯子として利用とするものが多いのである。

愆尤 過失,過ち.用例昭其愆尤=その過失を明らかにする.自愆尤=過ちを自認する.

階梯 梯子、立身出世の道具。

 

收身歸關東,期不到死迷。

そういう中で自分の身を何とか収めて、河南の故郷に帰って隠遁したいと思い、そして、死を迎えるまで心が迷わないようにしないといけないと思うのである。

關東 關中に対しての関東であり、東都洛陽のこと。河南の故郷という解釈になろう。

01 朝賀の服装


tasogare45000 

朝賀歸呈同官

〔唐長安有三,皇城在西北隅,謂之西;東曰大明宮,在西之東;南曰興慶宮,在東之南。〕

薄雲蔽秋曦,清雨不成泥。

罷賀南衙,歸涼曉淒淒。

綠槐十二街〔《中朝事跡》云:「天街兩畔樹槐,俗號為槐街。」〕,渙散馳輪蹄。

余惟戇書生,孤身無所齎。

 

三黜竟不去,致官九列齊。

豈惟一身榮,佩玉冠簪犀。

滉蕩天門高,著籍朝厥妻。

文才不如人,行又無町畦。

問之朝廷事,略不知東西。

 

況於經籍深,豈究端與倪。

君恩太山重,不見酬稗稊。

所職事無多,又不自提撕。

明庭集孔鸞,曷取於鳧鷖。

樹以松與柏,不宜間蒿藜。

 

婉孌自媚好,幾時不見擠。

貪食以忘軀,尠〔音鮮。〕不調鹽醯。

法吏多少年,磨淬出角圭。

將舉汝愆尤,以為己階梯。

收身歸關東,期不到死迷。
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