人民に悪影響をもたらす宗教禁令を設けたことにより、州の人々はそれから従順に接してくれ、信頼をしてくれることなった。その俗のならいで、男女の子供を借銭の人質とし、約束して、期日に返済できずして、利子と元金とが同等になれは、子供を没収して男女の使役人(下僕以下)にしていた。


 
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403-63段の1) 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1069>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4329韓愈詩-403-63段の1





403-63段の1

元和中,嘗例召至京師;
元和年間、二度他の左遷された者たちと同例に召し還され、都長安に到着したが、
又偕出為刺史,而子厚得柳州。

すぐさま、また彼らとともに地方に貶せられ刺史となった。そうして、子厚は柳州の刺史の職を得たのである。

既至,嘆曰:「是豈不足為政耶?」

やがて柳州に到着した。そこで、嘆いて言った、「この土地がどうして政をするに足らないであろうか?・・・これでも十分にその値打ちがある。」と。

因其土俗,為設教禁,州人順賴。

その土地の風俗の良さを生かしていくことにより、人民に悪影響をもたらす宗教禁令を設けたことにより、州の人々はそれから従順に接してくれ、信頼をしてくれることなった。

其俗以男女質錢,約不時贖,

その俗のならいで、男女の子供を借銭の人質とし、約束して、期日に返済できずして、

子本相侔,則沒為奴婢。

利子と元金とが同等になれは、子供を没収して男女の使役人(下僕以下)にしていた。

73段の2

子厚與設方計,悉令贖歸。

其由貧力不能者,令書其傭,足相當,則使歸其質。

觀察使下其法於他州,比一,免而歸者且千人。

衡湘以南,為進士者,皆以子厚為師;

其經承子厚口講指畫,為文詞者,悉有法度可觀。

 

7 (3段の1

元和中、嘗て例して召されて京師に至り、又偕に出でて刺史と為りて、子厚は柳州を得たり。

既に至りて嘆じて日く、是れ豈に政を為すに足らざらんやと。

其の土俗に因りて、馬に教禁を設け、州人順頼す。

其の俗男女を以て餞に質す。約して時に購はず、

子本相伴しければ、則ち沒して奴婢と為す。

8 (3段の2

子厚 興に方計を設け、悉く贖ひて歸らしむ。

其の尤も貧にして力能はざる者は、其の傭を書せしめ、相當るに足れば、則ち其の質を歸さしむ。

観察使其の法を他州に下す。一歳なる比【ころ】、免ぜられて歸る者、且に千人ならんとす。

衡湘【こうしょう】以南、進士たる者、悉く子厚を以て師と為す。

其の子厚の口講指畫を経承して、文詞を為る者、悉く法度の観る可き有り。

2蜀の山00 

 


柳子厚墓誌銘』 現代語訳と訳註

(本文)

3段の1

元和中,嘗例召至京師;又偕出為刺史,而子厚得柳州。

既至,嘆曰:「是豈不足為政耶?」

因其土俗,為設教禁,州人順賴。

其俗以男女質錢,約不時贖,

子本相侔,則沒為奴婢。

 


(下し文) 3段の1

元和中、嘗て例して召されて京師に至り、又偕に出でて刺史と為りて、子厚は柳州を得たり。

既に至りて嘆じて日く、是れ豈に政を為すに足らざらんやと。

其の土俗に因りて、馬に教禁を設け、州人順頼す。

其の俗男女を以て餞に質す。約して時に購はず、

子本相伴しければ、則ち沒して奴婢と為す。

 

(現代語訳)

元和年間、二度他の左遷された者たちと同例に召し還され、都長安に到着したが、すぐさま、また彼らとともに地方に貶せられ刺史となった。そうして、子厚は柳州の刺史の職を得たのである。

やがて柳州に到着した。そこで、嘆いて言った、「この土地がどうして政をするに足らないであろうか?・・・これでも十分にその値打ちがある。」と。

その土地の風俗の良さを生かしていくことにより、人民に悪影響をもたらす宗教禁令を設けたことにより、州の人々はそれから従順に接してくれ、信頼をしてくれることなった。

その俗のならいで、男女の子供を借銭の人質とし、約束して、期日に返済できずして、

利子と元金とが同等になれは、子供を没収して男女の使役人(下僕以下)にしていた。



(訳注) 3段の1

柳子厚墓誌銘

(韓愈の親友で古文運動の同志であった柳宗元のために書いた墓誌銘である。政治上の挫折がかえって文学者としての大成を促したとしている)

子厚は不遇ではあったが文章に巧みであったことをいう。文章のこと、政治上の業績、及び交遊の情の深かったことなどをあわせ述べているが、その重点は文章のことにあった(「祭柳子厚文」、巻五の「羅池廟碑」参照)。394柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <998  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3974韓愈詩-271

360 唐宋八大家文読本 巻五 394 《柳州羅池廟碑》 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4126 (04/30)

○柳宗元は、中国中唐の文学者・政治家。字は子厚。本籍地の河東から、「柳河東」「河東先生」と呼ばれる。また、その最後の任地にちなみ「柳柳州」と呼ばれることもある。793年に進士に及第し、校書郎をへて監察御史に進んだ。太子近侍の王叔文・韋執誼らに与して順宗即位と共に礼部員外郎とされ、賦役削減の諸改革にも参与したが、憲宗が即位して叔文らが失脚すると永州司馬に左遷された。815年に柳州刺史に転じて弊風改正に注力し、在任中に歿した。
 王維や孟浩然らとともに自然詩人として名を馳せた。文人として著名で、散文の分野では、韓愈とともに宋代に連なる古文復興運動を実践し、六朝から隋唐において主流であった四六駢儷文の修辞主義的傾向を批判し、達意を旨とする秦漢の古文を範とした新たな文体を提唱した。唐宋八大家の1人に数えられる。
1
江雪 2漁翁 3渓居 4捕蛇者説 5羅遇風 6再上湘江 7登柳州峨山

 

元和中,嘗例召至京師;又偕出為刺史,而子厚得柳州。

元和年間、二度他の左遷された者たちと同例に召し還され、都長安に到着したが、すぐさま、また彼らとともに地方に貶せられ刺史となった。そうして、子厚は柳州の刺史の職を得たのである。

○元和 憲宗の年号。元和十年、王叔文の党で、同罪で流された者を召し返したが、諌官の反対で、再び地方官に流謫した。

・王叔文 越州は山陰の出身である。貞元十九年(804)、棋に優れていた事により、待詔に任じられた。殆どの書に通じ、好んで理道を論じていた。急進的な改革を断行。王叔文は、密かに当代の知名の士と交際していた。その中で速進させようとしていた者は、王伾、韋執誼、陸質、呂温、李景儉、韓曄、韓泰、陳諫、柳宗元、劉禹錫など十数人で、死生の交を結んでいた者達であった。

・王伾 杭州出身の翰林待詞であった王伾は、書に優れ、叔文と共に東宮に出入りし、太子の李誦と親交を結んだ。德宗・李 は、その関係を見て直東宮に任命した。太子・誦がある時、侍讀と政道を論じ合う場を設け、その場には、叔文も参加していた。

・劉禹錫 柳宗元とともに王叔文の党派に連なり、徳宗末期の貞元年間から順宗期を経て政治改革を推進した(永貞の革新)。なかでも劉禹錫は財政面を担当し、王叔文・王伾・柳宗元らとともに「二王劉柳」と並称されるほど重要な役割を果たした。急激な改革だったため彼らは武元衡のような政敵を多くつくってしまう。宦官の圧力のために在位8ヶ月にして順宗が退位させられ憲宗が即位すると武元衡ら守旧派が力を盛り返し、王叔文は失脚、劉禹錫も連州(広東省連州市)刺史に左遷を命じられ、その途次で朗州(湖南省常徳市)司馬に降格となった。このとき他の主立った同志も同じように各地の司馬に左遷された(八司馬事件)。

○柳州 広西省馬平県に府城があった。






 


 


 

既至,嘆曰:「是豈不足為政耶?」

やがて柳州に到着した。そこで、嘆いて言った、「この土地がどうして政をするに足らないであろうか?・・・これでも十分にその値打ちがある。」と。




因其土俗,為設教禁,州人順賴。

その土地の風俗の良さを生かしていくことにより、人民に悪影響をもたらす宗教禁令を設けたことにより、州の人々はそれから従順に接してくれ、信頼をしてくれることなった。

○教禁 太宗が当時唐にキリスト教が伝来し、異文明の価値観を禁止した「景教受禁」のように、土地伝来のシャーマニズムを利用し、国に反旗をたてるものに対しての政策をいう。

 

其俗以男女質錢,約不時贖,

その俗のならいで、男女の子供を借銭の人質とし、約束して、期日に返済できずして、

○以男女質銭 男女の子供を借金の抵当とする。質は音チ。子供を質草にすること。あるいは奴隷に売ること。

柳州羅池廟碑 韓愈「先時,民貧以男女相質,久不得贖,盡沒爲隸。」 “先の時代は、人民は貧しく、男女の子を互いに人質として金を借りていた。久しくかかってもその金を払って買いもどさなければ、すべて没収して使役人とする風習があった。”とある。

○贖 つぐなう。返済する。

 

子本相侔,則沒為奴婢。

利子と元金とが同等になれは、子供を没収して男女の使役人(下僕以下)にしていた。

○子本 利子と元本。

○没 取り上げ、収め入れる。



韓愈の地図01


 


 


 柳州羅池廟碑00