韓愈《示爽》-#2科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

 
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製作年:823年 長慶三年56

卷別:, 卷三四一, 文體:, 五言古詩.

詩題: 示爽. 詩序:.

及地點:宣城(江南西道宣州宣城) 別名:宛陵.

 

 

示爽  #1

(爽に示す)

宣城去京國,裏數逾三千。

宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。

念汝欲別我,解裝具盤筵。

おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

日昏不能散,起坐相引牽。

日が暮れても散会とすることができず、立ち上がるのも座るのも、たがいに牽制しあっている。

冬夜豈不長,達旦燈燭然

冬の夜は長くないわけはないのだが、朝まで灯を燃やし続けた。

#2

座中悉親故,誰肯舍汝眠。

この宴席の一座にある人々はすべて親戚故旧のものなのだから、おまえの遠行をおくるのであるから、おまえを置いて眠ろうなどとする人があるものか。

念汝將一身,西來曾幾年。

思えは、おまえが身ひとつで、西の方のこの長安の都へ来てから何年がたっただろうか。

名科掩眾俊,州考居吏前。

科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。

今從府公召,府公又時賢。

そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

#3

時輩千百人,孰不謂汝妍。汝來江南近,裏閭故依然。

昔日同戲兒,看汝立路邊。人生但如此,其實亦可憐。

#4

吾老世味薄,因循致留連。強顏班行,何實非罪愆。

才短難自力,懼終莫洗湔。臨分不汝誑,有路即歸田。

 

(爽に示す) #1

宣城は京国を去ること、里数 三千を逾えたり。

汝の我に別れんと欲するを念い、装を解きて盤筵を具う。

日昏くして散ずること能わず、起坐して相引牽す。

冬夜 豈に長からざらんや、旦に達するまで 灯燭然ゆ。

#2

座中は悉く親故、誰か肯て汝を捨てて眠らん。

念えは 汝は一身を将て、西来曾て幾年ぞ。

名科 衆俊を掩い、州考 吏の前に居る。

今 府公の召に従う、府公は 又 時の賢なり。

#3

時輩 千百人、敦か 汝を妍と謂わざらん。

汝 江南の近くに来たらば、裏閭 故より依然たらん。

昔日 同戯の児、汝を看て路辺に立たん。

人生 但だ此くの如し、其れ 実に亦た憐れむ可し。

#4

吾老いて世味薄し、因循として留連するを致す。

強顔なり 班行の内、何ぞ実に罪愆に非ざらん。

才短くして自ら力むること難し、終に洗湔する莫きを懼る。

分れに臨んで汝を誑【あざむ】かず、路有らば 即ち田に帰らん。

韓愈の地図0055 

『示爽』 現代語訳と訳註

(本文) #2

座中悉親故,誰肯舍汝眠。

念汝將一身,西來曾幾年。

名科掩眾俊,州考居吏前。

今從府公召,府公又時賢。

 

 

(下し文) #2

座中は悉く親故、誰か肯て汝を捨てて眠らん。

念えは 汝は一身を将て、西来曾て幾年ぞ。

名科 衆俊を掩い、州考 吏の前に居る。

今 府公の召に従う、府公は 又 時の賢なり。

 

(現代語訳)

この宴席の一座にある人々はすべて親戚故旧のものなのだから、おまえの遠行をおくるのであるから、おまえを置いて眠ろうなどとする人があるものか。

思えは、おまえが身ひとつで、西の方のこの長安の都へ来てから何年がたっただろうか。

科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。

そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

 

 (訳注) #2

示爽  

「爽」という人物はこの詩から見ると韓愈の一族のようだが、詳しいことはわからない。愈の息子あるいは甥に、爽という名の人は見あたらないからである。もっとも、韓愈の甥のすべての名が残っているわけではないし、大家族のもとでは従兄弟の息子も甥としてあっかわれることがあるので、その一人だったのかもしれない。そこでこの爽とは前に出た韓湘のことだとか、湘の子だとかいう説がある。韓愈の作った墓誌に年十九で死んだとし、何処にも仕えたことはなかったとしている。それぞれに根拠は示されているのだが、「爽」という名前は、この詩以外には出てこないのは若くして死んだからであろう。

いずれにしても、爽は宜城から長安へ出て来て科挙を受け(これが韓氏の別業が宣城にあることの証拠となっている)、めでたく合格した。そしてどこか地方官庁の役人をつとめていたらしいが、江南をおさめる高官(「府公」である。観察使などの地位にある人かと思われる)の招碑を受けて、行くこととなった。その旅立ちに際して作ったのが、この詩である。詩の最後にもう隠退したいようなことを言うのは、いつもの愈の口癖であるが、今度は老年が近づいているので、多少とも実感をもって読み取ることが可能であろう。事実、韓愈が官界の表面から姿を消す日は、間近に迫っていた。

 

座中悉親故,誰肯舍汝眠。

この宴席の一座にある人々はすべて親戚故旧のものなのだから、おまえの遠行をおくるのであるから、おまえを置いて眠ろうなどとする人があるものか。

 

念汝將一身,西來曾幾年。

思えは、おまえが身ひとつで、西の方のこの長安の都へ来てから何年がたっただろうか。

西來 西京、長安にくること。

 

名科掩眾俊,州考居吏前。

科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。

名科 科挙、進士試験のこと。

州考 州庁の勤務評定。あるいは、郷貢進士の試験の評定。

 

今從府公召,府公又時賢。

そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

府公 刺史をさす。

時賢 一代の名賢。
Ta唐 長安近郊圖  新02