《送諸葛覺往隨州讀書》-#2韓愈≫而も、その年は既に五十を過ぎているというのに、官途は未だに進んでいなくて、外に出でて、刺史になること、合わせて6回に及ぶという。都の一角に先祖からの旧宅があるというも、そこに落ち着いて寝食することができないのである。

 
 2014年7月25日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
39 《古風五十九首之三十九》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳271古風,五十九首之三十九登高望四海, <39> Ⅰ李白詩1199 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4543 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
418ー#2 《送諸葛覺往隨州讀書》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1114>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4554韓愈詩-418ー#2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ《軍城早秋》 厳武 764年 <0> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4555 杜甫詩1500-0-1082/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor8-419《生查子一首》張泌Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-602-8-(419) 四巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4557 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

418ー#2 《送諸葛覺往隨州讀書》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1114>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4554韓愈詩-418ー#2

 

 

年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四二  文體: 五言古詩 

詩題: 送諸葛覺往隨州讀書〔李繁時為隨州刺史,宰相泌之子也。〕 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

及地點:  隨州 (山南東道 隨州 隨州) 別名:漢東     

交遊人物: 諸葛覺 當地交遊(京畿道 京兆府長安)

李繁 詩文提及(山南東道 隨州 隨州)

 

 

送諸葛覺往隨州讀書

(諸葛覺が随州李繁刺史のところへ学問修業のため、それと、教えを乞うため、その地に赴くに対し、韓愈がこの詩を作って、その行を送った。)

鄴侯家多書,插架三萬軸。

名だたる李鄴侯の家には、蔵書がとてもたくさんある、書棚の上には、巻物として三万軸もある。

一一懸牙籤,新若手未觸。

一一紙札を付けて書名を記し、平生の整理も、手入れも、行き届いているのでどれもこれもいまだ汚損しているものはなく、まるで新しくて、まだ手を触れぬようである。

為人強記覽,過眼不再讀。

今の主人の李繁は、人となり博聞強記で、一度目を通せば、すっかり暗記して再び読み返すことなどないのだ。

偉哉群聖文,磊落載其腹。

古来、郡聖の書かれたものは、うず高く積まれてその腹の上に乗せてある。

#2

行年五十餘,出守數已六。

而も、その年は既に五十を過ぎているというのに、官途は未だに進んでいなくて、外に出でて、刺史になること、合わせて6回に及ぶという。

京邑有舊廬,不容久食宿。

都の一角に先祖からの旧宅があるというも、そこに落ち着いて寝食することができないのである。

臺閣多官員,無地寄一足。

台閣には官員も多くいるのではあるが、李繁はその列に入って足を並べる適当な職が全くないのだ。

我雖官在朝,氣勢日局縮。

我は朝廷に在官しているとはいえ、牛李党派の争い、宦官の台頭など政治的な不遇にあって、度重ねて左遷されたことなどから意気消沈せざるを得ない状況なのだ。

#3

屢為丞相言,雖懇不見錄。送行過滻水,東望不轉目。

今子從之遊,學問得所欲。入海觀龍魚,矯翮逐黃鵠。

勉為新詩章,月寄三四幅。 

 

(諸葛覺の隨州に往きて書を讀むを送る)

鄴侯 家に書を多くし,架に插むは三萬軸。

一一 牙籤【がせん】を懸け,新なること 手 未だ觸れざるが若し。

人と為り 記覽に強,眼を過れば再び讀まず。

偉なる哉 群聖の文,磊落 其の腹に載す。

#2

行年 五十に餘り,出でて守たること 數 已に六。

京邑に 舊廬有れど,久しく食宿するを容さず。

臺閣に官員多けれど,一足を寄するに地無し。

我 官して朝に在りと雖も,氣勢 日に局縮す。

#3

屢ば 丞相の為に言う,雖懇なりと錄せられず。

行を送って滻水を過ぎ,東に望んで目を轉ぜず。

今 子 之に從って遊び,學問 欲する所を得ん。

海に入って龍魚を觀,翮を矯げては黃鵠を逐へ。

勉めて新詩章を為り,月き 三四幅を寄せよ。 

 

長安城郭015 

『送諸葛覺往隨州讀書』 現代語訳と訳註

(本文) #2

行年五十餘,出守數已六。

京邑有舊廬,不容久食宿。

臺閣多官員,無地寄一足。

我雖官在朝,氣勢日局縮。

 

(下し文) #2

行年 五十に餘り,出でて守たること 數 已に六。

京邑に 舊廬有れど,久しく食宿するを容さず。

臺閣に官員多けれど,一足を寄するに地無し。

我 官して朝に在りと雖も,氣勢 日に局縮す。

 

(現代語訳)

而も、その年は既に五十を過ぎているというのに、官途は未だに進んでいなくて、外に出でて、刺史になること、合わせて6回に及ぶという。

都の一角に先祖からの旧宅があるというも、そこに落ち着いて寝食することができないのである。

台閣には官員も多くいるのではあるが、李繁はその列に入って足を並べる適当な職が全くないのだ。

我は朝廷に在官しているとはいえ、牛李党派の争い、宦官の台頭など政治的な不遇にあって、度重ねて左遷されたことなどから意気消沈せざるを得ない状況なのだ。

 

(訳注) #2

行年五十餘,出守數已六。

而も、その年は既に五十を過ぎているというのに、官途は未だに進んでいなくて、外に出でて、刺史になること、合わせて6回に及ぶという。

 

京邑有舊廬,不容久食宿。

都の一角に先祖からの旧宅があるというも、そこに落ち着いて寝食することができないのである。

京邑 長安、都の一角。

舊廬 先祖から受け継いだ旧宅がある。

食宿 生活を維持していくこと。

 

臺閣多官員,無地寄一足。

台閣には官員も多くいるのではあるが、李繁はその列に入って足を並べる適当な職が全くないのだ。

臺閣 1 たかどの。楼閣。2 国家の政治を行う機関。政府。内閣。

 

我雖官在朝,氣勢日局縮。

我は朝廷に在官しているとはいえ、牛李党派の争い、宦官の台頭など政治的な不遇にあって、度重ねて左遷されたことなどから意気消沈せざるを得ない状況なのだ。

○日局縮 日々の時局において萎縮するようなこと。韓愈はその発言に倚り、二度も罪を得て、一度目は陽山県令に、二度目は潮州刺史に貶められたことで、発言に注意しているということ。この頃は宦官が諜報機関のような役割を演じていた。そうしたなかに、牛李の党争(ぎゅうりのとうそう)は、中国唐代の憲宗期から宣宗期(808年から849年)にかけて起こった政争。牛僧孺・李宗閔の牛党と李徳裕の李党の間で激しい権力闘争が行われ、政治的混乱をもたらし、唐滅亡の要因となったと評される。
洛陽南陽地図002