《送諸葛覺往隨州讀書》-#2韓愈≫而も、その年は既に五十を過ぎているというのに、官途は未だに進んでいなくて、外に出でて、刺史になること、合わせて6回に及ぶという。都の一角に先祖からの旧宅があるというも、そこに落ち着いて寝食することができないのである。
418ー#2 《送諸葛覺往隨州讀書》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1114> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4554韓愈詩-418ー#2
年: 823年 長慶三年 56歲
卷別: 卷三四二 文體: 五言古詩
詩題: 送諸葛覺往隨州讀書〔李繁時為隨州刺史,宰相泌之子也。〕
作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)
及地點: 隨州 (山南東道 隨州 隨州) 別名:漢東
交遊人物: 諸葛覺 當地交遊(京畿道 京兆府長安)
李繁 詩文提及(山南東道 隨州 隨州)
送諸葛覺往隨州讀書
(諸葛覺が随州李繁刺史のところへ学問修業のため、それと、教えを乞うため、その地に赴くに対し、韓愈がこの詩を作って、その行を送った。)
鄴侯家多書,插架三萬軸。
名だたる李鄴侯の家には、蔵書がとてもたくさんある、書棚の上には、巻物として三万軸もある。
一一懸牙籤,新若手未觸。
一一紙札を付けて書名を記し、平生の整理も、手入れも、行き届いているのでどれもこれもいまだ汚損しているものはなく、まるで新しくて、まだ手を触れぬようである。
為人強記覽,過眼不再讀。
今の主人の李繁は、人となり博聞強記で、一度目を通せば、すっかり暗記して再び読み返すことなどないのだ。
偉哉群聖文,磊落載其腹。
古来、郡聖の書かれたものは、うず高く積まれてその腹の上に乗せてある。
#2
行年五十餘,出守數已六。
而も、その年は既に五十を過ぎているというのに、官途は未だに進んでいなくて、外に出でて、刺史になること、合わせて6回に及ぶという。
京邑有舊廬,不容久食宿。
都の一角に先祖からの旧宅があるというも、そこに落ち着いて寝食することができないのである。
臺閣多官員,無地寄一足。
台閣には官員も多くいるのではあるが、李繁はその列に入って足を並べる適当な職が全くないのだ。
我雖官在朝,氣勢日局縮。
我は朝廷に在官しているとはいえ、牛李党派の争い、宦官の台頭など政治的な不遇にあって、度重ねて左遷されたことなどから意気消沈せざるを得ない状況なのだ。
#3
屢為丞相言,雖懇不見錄。送行過滻水,東望不轉目。
今子從之遊,學問得所欲。入海觀龍魚,矯翮逐黃鵠。
勉為新詩章,月寄三四幅。
(諸葛覺の隨州に往きて書を讀むを送る)
鄴侯 家に書を多くし,架に插むは三萬軸。
一一 牙籤【がせん】を懸け,新なること 手 未だ觸れざるが若し。
人と為り 記覽に強,眼を過れば再び讀まず。
偉なる哉 群聖の文,磊落 其の腹に載す。
#2
行年 五十に餘り,出でて守たること 數 已に六。
京邑に 舊廬有れど,久しく食宿するを容さず。
臺閣に官員多けれど,一足を寄するに地無し。
我 官して朝に在りと雖も,氣勢 日に局縮す。
#3
屢ば 丞相の為に言う,雖懇なりと錄せられず。
行を送って滻水を過ぎ,東に望んで目を轉ぜず。
今 子 之に從って遊び,學問 欲する所を得ん。
海に入って龍魚を觀,翮を矯げては黃鵠を逐へ。
勉めて新詩章を為り,月き 三四幅を寄せよ。
『送諸葛覺往隨州讀書』 現代語訳と訳註
(本文) #2
行年五十餘,出守數已六。
京邑有舊廬,不容久食宿。
臺閣多官員,無地寄一足。
我雖官在朝,氣勢日局縮。
(下し文) #2
行年 五十に餘り,出でて守たること 數 已に六。
京邑に 舊廬有れど,久しく食宿するを容さず。
臺閣に官員多けれど,一足を寄するに地無し。
我 官して朝に在りと雖も,氣勢 日に局縮す。
(現代語訳)
而も、その年は既に五十を過ぎているというのに、官途は未だに進んでいなくて、外に出でて、刺史になること、合わせて6回に及ぶという。
都の一角に先祖からの旧宅があるというも、そこに落ち着いて寝食することができないのである。
台閣には官員も多くいるのではあるが、李繁はその列に入って足を並べる適当な職が全くないのだ。
我は朝廷に在官しているとはいえ、牛李党派の争い、宦官の台頭など政治的な不遇にあって、度重ねて左遷されたことなどから意気消沈せざるを得ない状況なのだ。
(訳注) #2
行年五十餘,出守數已六。
而も、その年は既に五十を過ぎているというのに、官途は未だに進んでいなくて、外に出でて、刺史になること、合わせて6回に及ぶという。
京邑有舊廬,不容久食宿。
都の一角に先祖からの旧宅があるというも、そこに落ち着いて寝食することができないのである。
○京邑 長安、都の一角。
○舊廬 先祖から受け継いだ旧宅がある。
○食宿 生活を維持していくこと。
臺閣多官員,無地寄一足。
台閣には官員も多くいるのではあるが、李繁はその列に入って足を並べる適当な職が全くないのだ。
○臺閣 1 たかどの。楼閣。2 国家の政治を行う機関。政府。内閣。
我雖官在朝,氣勢日局縮。
我は朝廷に在官しているとはいえ、牛李党派の争い、宦官の台頭など政治的な不遇にあって、度重ねて左遷されたことなどから意気消沈せざるを得ない状況なのだ。
○日局縮 日々の時局において萎縮するようなこと。韓愈はその発言に倚り、二度も罪を得て、一度目は陽山県令に、二度目は潮州刺史に貶められたことで、発言に注意しているということ。この頃は宦官が諜報機関のような役割を演じていた。そうしたなかに、牛李の党争(ぎゅうりのとうそう)は、中国唐代の憲宗期から宣宗期(808年から849年)にかけて起こった政争。牛僧孺・李宗閔の牛党と李徳裕の李党の間で激しい権力闘争が行われ、政治的混乱をもたらし、唐滅亡の要因となったと評される。