杜相公は、天子に変わり、老子の神霊に向ってご機嫌伺いをして、祭事を摂行して、恭敬愈々加わってくる。それは、例えば、天にあたる月の皎潔であるように、日を捧げる霞の葳蕤たるが如く、天子の御代拜として、物事に、聖意を奉体し、いよいよみごとにやってのけられたのは、誠に恐れ入った次第である。

 
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製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四四  文體: 五言古詩 

詩題: 奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻

及地點:  太清宮 (京畿道 京兆府 西京) 別名:玄元皇帝廟、玄都     

交遊人物: 杜元穎 書信往來(京畿道 京兆府長安)

李逢吉 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻

(この詩は杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)

〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝の廟についてのべるもの〕

耒耜興國,建夏家。 

#1

昔、后稷は犂鍬を手にし、もっぱら農事に務めて、周家を興し、禹は橇に乗り、ガンジキを履いて、天下を廻り、勤勉でもって苦しんで洪水を治めて、夏の国の基礎を作り上げた。

在功誠可尚,於道詎為華。 

この后稷と禹はその功績の上からいえば、まことに尊うべきものであるが、「道」というものの上において見れば、地味で華々しいというものではない。

象帝威容大,仙宗寶曆 

ここに我が老子は帝位を追贈されただけに、威容洪大であり、その上、仙家の宗祖として、長生不死を得られ、宝暦遙かにして数えることもできないくらいである。

象帝 老子が帝位を追贈されたことをいう。

衛門羅戟槊,圖壁雜龍蛇。 

太清宮は、すなわち老子の廟であり、門には警護の兵隊が矛を並べ、四璧には龍蛇を描いて、さすがに神々しく、且つ厳かなものである。

杜相公【としょうこう】が太清宮 事を紀し,誠を陳べ 李相公に上る十六韻に和し奉る〔杜は元穎なり。太清宮,玄元皇帝の廟なり。〕

耒耜【らいし】國をし,輴【ちゅんるい】夏家を建つ。 

功に在っては誠に尚【たっと】う可く,道に於ては詎んぞ華と為さん。 

象帝 威容 大いに,仙宗 寶曆 かなり 

門を衛って戟槊【げきさく】を羅ね,壁に圖して龍蛇を雜う。 

#2

禮樂追尊盛,乾坤降福遐。 

すでに礼楽は大いに行われるこの清時に当たって追尊の盛儀をおこなわれ、その神霊は乾坤に行き渡って、随所に幸福をくだすのである。

四真皆齒列,二聖亦肩差。 

荘・文・列・庚の四人も真人を贈られて、これに陪し、列席し、玄宗・粛宗二帝の像は肩を並べて左右に侍立している。

陽月時之首,陰泉氣未牙。 

十月は、時の初めというのだが、地下においては、陽気がいまだに兆しを見せず、したがって寒冷をおぼえるくらいなのだ。

殿階鋪水碧,庭炬坼金葩。 

殿階には、碧色の寒水石を敷き詰め,庭上の炬火は、黄金色の花が咲くかと疑われるくらいなのだ。

#2

禮樂 追尊 盛んに,乾坤 福を降すこと遐【はるか】なり。 

四真 皆 齒列し,二聖 亦た 肩差す。

陽月 時の首【はじめ】,陰泉 氣 未だ牙さず。 

殿階 水碧を鋪き,庭炬 金葩【きんぱ】を坼【くじ】く。 

#3

紫極觀忘倦,青詞奏不譁。 

名を紫極というくらいであるから、その森遂まるは、見ても倦むこと檀前に歌い上げる靑詞は、声高らかにされるのではあるが、決してやかましくはないのである。

宮夜闢,嘈唁鼓晨撾。 

夜、なお、暗い時間に、宮門の扉は、噌として、鼓の音が嘈唁として打ち出せば、やがて朝になった。

褻味陳奚取,名香薦孔嘉。 

清淨ならぬものは、もとより供えぬことにしてあるし、名香は、薦められればもっと善いとしてある。

垂祥紛可錄,俾壽浩無涯。 

このようにして、祭祀が行き届いているから、神霊も、自然感応し、祥瑞を垂れているということは、紛として余りありと為すべく、また、人民の寿命をして無窮ならしめるだろうというものである。

#3

紫極 觀て倦むを忘れ,青詞 奏して譁ならず。

【そうこう】として宮 夜に闢き,嘈唁【そうさつ】として鼓 晨に撾【う】つ。 

褻味【せつみ】陳ねて奚【なん】ぞ取らん,名香 薦めて 孔【はなは】だ嘉し。 

祥を垂れて紛として 錄す可し,俾壽をして浩として涯【かぎり】無からしめん。 

#4

貴相山瞻峻,清文玉瑕。 

今次、祭事を奉仕した杜相公は、相貌堂々として、山の峻なるを仰ぐように、自らそのことを記述された詩章は、瑩朗透徹、玉のようで一点の瑕さえない。

代工聲問遠,攝事敬恭加。 

杜相公は、天子に変わり、老子の神霊に向ってご機嫌伺いをして、祭事を摂行して、恭敬愈々加わってくる。

皎潔當天月,葳蕤捧日霞。 

それは、例えば、天にあたる月の皎潔であるように、日を捧げる霞の葳蕤たるが如く、天子の御代拜として、物事に、聖意を奉体し、いよいよみごとにやってのけられたのは、誠に恐れ入った次第である。

唱妍酬亦麗,俯仰但稱嗟。 

そこで、李相公との唱酬を拝見すると、いづれも姸麗であって、文彩爛斑、眼も綵なるばかり、このように申し上げる私としては、俯仰のあまり、ただ、「あっ」と言って感ずるのみである。

#4

貴相 山 峻なるを瞻る,清文 玉 瑕をつ。 

工に代って 聲問 遠く,事を攝して 敬恭 加わる。 

皎潔たり 天に當るの月,葳蕤【いすい】たり日を捧ぐるの霞。 

唱妍【しょうけん】にして 酬 亦た麗,俯仰して但だ 稱嗟。 

 

玄武門 

『奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻』 現代語訳と訳註

(本文) #4

貴相山瞻峻,清文玉瑕。 

代工聲問遠,攝事敬恭加。 

皎潔當天月,葳蕤捧日霞。 

唱妍酬亦麗,俯仰但稱嗟。 

 

(下し文)

#4

貴相 山 峻なるを瞻る,清文 玉 瑕をつ。 

工に代って 聲問 遠く,事を攝して 敬恭 加わる。 

皎潔たり 天に當るの月,葳蕤【いすい】たり日を捧ぐるの霞。 

唱妍【しょうけん】にして 酬 亦た麗,俯仰して但だ 稱嗟。 

 

(現代語訳)

今次、祭事を奉仕した杜相公は、相貌堂々として、山の峻なるを仰ぐように、自らそのことを記述された詩章は、瑩朗透徹、玉のようで一点の瑕さえない。

杜相公は、天子に変わり、老子の神霊に向ってご機嫌伺いをして、祭事を摂行して、恭敬愈々加わってくる。

それは、例えば、天にあたる月の皎潔であるように、日を捧げる霞の葳蕤たるが如く、天子の御代拜として、物事に、聖意を奉体し、いよいよみごとにやってのけられたのは、誠に恐れ入った次第である。

そこで、李相公との唱酬を拝見すると、いづれも姸麗であって、文彩爛斑、眼も綵なるばかり、このように申し上げる私としては、俯仰のあまり、ただ、「あっ」と言って感ずるのみである。

 

(訳注) #4

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

(このしは杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)#1

杜相公 杜元穎。[]775-838年)字君,京兆杜陵人,如晦五世

和李相公は度々韓愈の詩に述べるが、旧唐書本伝に「元和十一年四月、朝議大夫門下侍郎同平章事を加え、出でて剣南東川節度使となり、長慶二年、召しいれて復た門下侍郎同平章事となる。」とある。(

《奉和李相公題蕭家林亭》

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

414 《奉和李相公題蕭家林亭【案:逢吉也。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1101>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4489韓愈詩-414

《和李相公攝事南郊,覽物興懷,呈一二知舊》

燦燦辰角曙,亭亭寒露朝。川原共澄映,雲日還浮飄。上宰嚴祀事,清途振華鑣。圓丘峻且坦,前對南山標。村樹黃複綠,中田稼何饒。顧瞻想岩穀,興歎倦塵囂。惟彼顛瞑者,去公豈不遼。為仁朝自治,用靜兵以銷。勿憚吐捉勤,可歌風雨調。聖賢相遇少,功德今宣昭。

417ー#1 《和李相公攝事南郊覽物興懷呈一二知舊》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 823年長慶三年<1111 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4539韓愈詩-417ー#1

〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝のびょうについてのべるもの〕

辟雍00 

貴相山瞻峻,清文玉瑕。 

今次、祭事を奉仕した杜相公は、相貌堂々として、山の峻なるを仰ぐように、自らそのことを記述された詩章は、瑩朗透徹、玉のようで一点の瑕さえない。

貴相 杜相公は、相貌堂々としていること。

清文玉瑕 のことを記述された詩章は、瑩朗透徹、玉のようで一点の瑕さえないということ。

 

代工聲問遠,攝事敬恭加。 

杜相公は、天子に変わり、老子の神霊に向ってご機嫌伺いをして、祭事を摂行して、恭敬愈々加わってくる。

代工 天工(宇宙)、天子がこれに代わるということ。

攝事 祭事を摂行すること。

 

皎潔當天月,葳蕤捧日霞。 

それは、例えば、天にあたる月の皎潔であるように、日を捧げる霞の葳蕤たるが如く、天子の御代拜として、物事に、聖意を奉体し、いよいよみごとにやってのけられたのは、誠に恐れ入った次第である。

皎潔 白く清らかで汚れのないさま。

當天月・捧日霞 天日は天子君子のことで、月霞は家臣、ここでは杜元穎をさす。

葳蕤 ①形容枝叶繁盛:当薇,枝叶太葳蕤。美;艳丽:妾有腰襦,葳蕤自生光

 

唱妍酬亦麗,俯仰但稱嗟。 

そこで、李相公との唱酬を拝見すると、いづれも姸麗であって、文彩爛斑、眼も綵なるばかり、このように申し上げる私としては、俯仰のあまり、ただ、「あっ」と言って感ずるのみである。

唱妍酬亦麗 李相公と杜相公との唱和をいう。

稱嗟 「あっ」と言って感ずるのみであるということ。