韓愈《玩月喜張十八員外以王六祕書至》 少し惜しいと思うことがあるのは、私が病気がちだということで酒食を思う存分樂しむということが出来ないということで、但し、歌詠談笑することはできるので君たちの存分の酒食にお付き合いするつもりでいる。

 
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423-#2 《玩月喜張十八員外以王六祕書至》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 Ⅱ韓昌黎集index-14 823年長慶3年 56歳~824年長慶4年 57歳<1125>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4609韓愈詩-423-#2

 

 

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年:824年 長慶四年 57

卷別:    卷三四二              文體:    五言古詩

    韓昌黎集 巻六

詩題:    玩月喜張十八員外以王六祕書至

作地點:長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

交遊人物:張籍    王建       當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

玩月喜張十八員外以王六祕書至〔王六,王建也。〕

(仲秋の月を楽しんだのは、張籍君が王建君を見替えに行ってくれたからだ。)

前夕雖十五,月長未滿規。

昨晩は仲秋の名月の日であったにもかかわらず、月は大きいというものの未だ満月というには十分の丸さではなかったようだ。

君來晤我時,風露渺無涯。

君がここに来てくれて自分と一緒に見た時、夜はようやく更けていくようなとき、一天の風露、渺として涯際なく、仰げば、まことにきれいに晴れ渡っていた。

浮雲散白石,天宇開青池。

あちこちにちぎれた浮雲は、白石を散らしたようである。空は青く澄んで、池のようであった。

#2

孤質不自憚,中天為君施。

独り月は誰はばかることなく、九天の真上にあって君のためにこんなにも素晴らしい風景にしてくれる。

玩玩夜遂久,亭亭曙將披。

月景色を賞賛して夢中になってしまったので夜が過ぎて遅くなってしまっている、空は亭々として高く、「曙色、朝未だ来の空」に披らこうとしている。

況當今夕圓,又以嘉客隨。

まして、昨夕でさえもこの通りなのだから、今宵は、期待される夜で満丸な月となるのであるから、君は嘉客を随行してくるので、きっと楽しいことになるに違いない。

惜無酒食樂,但用歌嘲為。

少し惜しいと思うことがあるのは、私が病気がちだということで酒食を思う存分樂しむということが出来ないということで、但し、歌詠談笑することはできるので君たちの存分の酒食にお付き合いするつもりでいる。

 

kagaribi00

 

(月を玩び 張十八員外の王六祕書以って至るを喜ぶ〔王六は,王建なり。〕)

前夕は 十五と雖も,月 長じて未だ規に滿たず。

君 來って我に晤【あ】うの時,風露 渺として涯り無し。

浮雲は 白石を散じ,天宇は 青池を開く。

#2

孤質 自ら憚【はばか】らず,中天 君が為に施す。

玩玩として 夜 遂に久しく,亭亭として 曙 將に披かんとす。

況んや 今夕に圓かなるに當り,又た嘉客を以って隨うをや。

惜むらくは酒食の樂みを無くし,但だ歌嘲を用いて為さんや。

『玩月喜張十八員外以王六祕書至』 現代語訳と訳註

(本文)#2

孤質不自憚,中天為君施。

玩玩夜遂久,亭亭曙將披。

況當今夕圓,又以嘉客隨。

惜無酒食樂,但用歌嘲為。

 

 

(下し文) #2

孤質 自ら憚【はばか】らず,中天 君が為に施す。

玩玩として 夜 遂に久しく,亭亭として 曙 將に披かんとす。

況んや 今夕に圓かなるに當り,又た嘉客を以って隨うをや。

惜むらくは酒食の樂みを無くし,但だ歌嘲を用いて為さんや。

 

 

(現代語訳)

独り月は誰はばかることなく、九天の真上にあって君のためにこんなにも素晴らしい風景にしてくれる。

月景色を賞賛して夢中になってしまったので夜が過ぎて遅くなってしまっている、空は亭々として高く、「曙色、朝未だ来の空」に披らこうとしている。

まして、昨夕でさえもこの通りなのだから、今宵は、期待される夜で満丸な月となるのであるから、君は嘉客を随行してくるので、きっと楽しいことになるに違いない。

少し惜しいと思うことがあるのは、私が病気がちだということで酒食を思う存分樂しむということが出来ないということで、但し、歌詠談笑することはできるので君たちの存分の酒食にお付き合いするつもりでいる。

漢文委員会紀頌之タイトル002 

 

(訳注)#2

玩月喜張十八員外以王六祕書至〔王六,王建也。〕

(仲秋の月を楽しんだのは、張籍君が王建君を見替えに行ってくれたからだ。)

張十八員外は張籍。この時水部員外郎であった。王六は,原注に王建なりとある。病気のため退職して後、作ったものである。

張籍 (766年頃 830年頃))中唐の詩人。字は文昌。和州(かしゅう)烏江(安徽省和県)の人。師友の韓愈に目をかけられ、その推薦によって、国子博士となった。楽府に長じている。賈島・孟郊などと唱和して古詩をよくし、盟友の王建とともに七言楽府に優れた作品を発表して「張王」と併称された。名詩人になろうとして、杜甫の詩集を焼いてその灰に膏蜜を混ぜて飲んだという逸話がある。表現は平易だが、世相の矛盾を指摘することは鋭く、白居易から「挙世(いまのよ)には其の倫(たぐい)少なし」と評せられ、後輩の姚合より「古風は敵手なく、新語は是れ人ぞ知る」と称えられた。中唐楽府運動の重要な担い手であり、白居易・元稹とともに「元和体」を形成した。『張司業詩集』8巻がある。

王建 (未詳― 830年頃))中国、中唐の詩人。字(あざな)は仲初(ちゅうしょ)。潁川(えいせん)(河南省許昌(きょしょう)市)の人。775年(大暦10)の進士。身分の低い寒門出身のため、官途についても栄進せず、地方官や大府寺丞(だいふじじょう)、侍御史(じぎょし)などの小官を歴任し、晩年には辺塞(へんさい)で従軍生活を送った。これらの境遇は彼を困窮した人民の同情者とし、文学活動において、平易な表現を旨とする民歌形式である楽府詩(がふし)を用いて、鋭く現実を批判し、中唐新楽府運動の一環を担わせることとなった。彼は親友で文学傾向を同じくする張籍(ちょうせき)と「張王」と併称され、「宮詞(きゅうし)」100首は当時世評が高かった。『王建詩集』10巻。

新嫁娘詞三首 〈新嫁娘:新婚の女性。新たに嫁いできた女性。〉、渡遼水。行宮(寥落古行宮)。故行宮詩(寥落古行宮)。 宮中調笑(團扇)。 宮中調笑(楊柳)。などがある。 

 

孤質 不自憚,中天 為君施。

独り月は誰はばかることなく、九天の真上にあって君のためにこんなにも素晴らしい風景にしてくれる。

孤質 月の事である。月の詩的表現。

 

玩玩 夜遂久,亭亭 曙將披。

月景色を賞賛して夢中になってしまったので夜が過ぎて遅くなってしまっている、空は亭々として高く、「曙色、朝未だ来の空」に披らこうとしている。

玩玩 (月景色を賞賛して)夢中になること。

亭亭 空が高いことをいう。

 

況 當今夕圓,又 以 嘉客 隨。

まして、昨夕でさえもこの通りなのだから、今宵は、期待される夜で満丸な月となるのであるから、君は嘉客を随行してくるので、きっと楽しいことになるに違いない。

 

惜 無酒食樂,但 用 歌嘲 為。

少し惜しいと思うことがあるのは、私が病気がちだということで酒食を思う存分樂しむということが出来ないということで、但し、歌詠談笑することはできるので君たちの存分の酒食にお付き合いするつもりでいる。

酒食樂 酒食を思う存分樂しむということ。

歌嘲 歌詠談笑。歌ったり、詠じたり、談議し、大いに笑おう。

 

泰山の夕日