上流の南渓の水はきれいで澄んでいて、流れがとても速い、これを行くのにろも舟ではどうしようもなく、徒歩で行く。山里の農夫たちはここを徒歩で登るわたしに出あったのにびっくりし、わたしのあとからついて来ていつまでもながめているのを心配をしてくれることに感謝する。
426-#1 《南溪始泛,三首之二》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 Ⅱ韓昌黎集index-14 823年長慶3年 56歳~824年長慶4年 57歳<1130> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4634韓愈詩-426-#1
製作年:824年長慶四年57歲
卷別: 卷三四二 文體: 五言古詩
韓昌黎集 巻七
卷別: 卷三四二 文體: 五言古詩
詩題: 南溪始泛,三首之二
作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)
南溪始泛,三首之二
(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の二)
南溪亦清駛,而無楫與舟。
上流の南渓の水はきれいで澄んでいて、流れがとても速い、これを行くのにろも舟ではどうしようもなく、徒歩で行く。
山農驚見之,隨我觀不休。
山里の農夫たちはここを徒歩で登るわたしに出あったのにびっくりし、わたしのあとからついて来ていつまでもながめているのを心配をしてくれることに感謝する。
不惟兒童輩,或有杖白頭。
ついてくるのはこどもたちばかりでなく、枚にすがる白髪の老人さえもいる。
饋我籠中瓜,勸我此淹留。
背負っていたかごから瓜を取り出してわたしにくれる、ここはまことに風景の良いところであるから、ずっとここに滞在するようにとすすめるのである。
我云以病歸,此已頗自由。
わたしはこれに答えていう「わらしは病気保養のためにここに住むことにしましたが、これでもうかなり自由気ままにくらすことが出来て保養になっています。」と。
#2
幸有用餘俸,置居在西疇。
囷倉米穀滿,未有旦夕憂。
上去無得得,下來亦悠悠。
但恐煩里閭,時有緩急投。
願為同社人,雞豚燕春秋。
南溪始泛,三首の二
南溪 亦た 清駛,而も 楫と舟と無し。
山農 之れを驚き見て,我に隨って觀て休まず。
惟だ 兒童の輩のみならず,或いは 杖く白頭有り。
我 籠中の瓜を饋【おく】り,我 此こに淹留せんと勸む。
我れ云く 病を以って歸り,此こに已に 頗ぶる自由なり。
#2
幸に 餘俸を用いる有り,居を置て西疇に在る。
囷倉には 米穀 滿ちて,未だ旦夕 憂うを有らず。
上り去って 得得たること無く,下り來って 亦た 悠悠たり。
但だ 恐らくは 里閭を煩わし,時に緩急もて投ずる有らん。
願くば 同社の人と為って,雞豚 春秋に燕せんとす。
『南溪始泛,三首之二』 現代語訳と訳註
(本文)
南溪始泛,三首之二
南溪亦清駛,而無楫與舟。
山農驚見之,隨我觀不休。
不惟兒童輩,或有杖白頭。
饋我籠中瓜,勸我此淹留。
我云以病歸,此已頗自由。
(下し文)
南溪始泛,三首の二
南溪 亦た 清駛,而も 楫と舟と無し。
山農 之れを驚き見て,我に隨って觀て休まず。
惟だ 兒童の輩のみならず,或いは 杖く白頭有り。
我 籠中の瓜を饋【おく】り,我 此こに淹留せんと勸む。
我れ云く 病を以って歸り,此こに已に 頗ぶる自由なり。
(現代語訳)
(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の二)
上流の南渓の水はきれいで澄んでいて、流れがとても速い、これを行くのにろも舟ではどうしようもなく、徒歩で行く。
山里の農夫たちはここを徒歩で登るわたしに出あったのにびっくりし、わたしのあとからついて来ていつまでもながめているのを心配をしてくれることに感謝する。
ついてくるのはこどもたちばかりでなく、枚にすがる白髪の老人さえもいる。
背負っていたかごから瓜を取り出してわたしにくれる、ここはまことに風景の良いところであるから、ずっとここに滞在するようにとすすめるのである。
わたしはこれに答えていう「わらしは病気保養のためにここに住むことにしましたが、これでもうかなり自由気ままにくらすことが出来て保養になっています。」と。
(訳注)
南溪始泛,三首之二
(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の二)
○南溪始泛 南渓は、長安の南、終南山にある渓谷。韓愈は、五十七歳になった長慶四年(八二四年)夏、病気で休暇を願い、長安の南の郊外にある別荘で養生することにしたが、休暇期間がおわり、長安の邸宅に帰って、その年十二月二日薨った。この詩は、南郊に養生中、作られたもので、韓愈の絶筆であるといわれる。
南溪亦清駛,而無楫與舟。
上流の南渓の水はきれいで澄んでいて、流れがとても速い、これを行くのにろも舟ではどうしようもなく、徒歩で行く。
○清駛 駛は、流れの速いこと。
○而無楫與舟 楫は舟をこぐ道具。ろ、かいろの類。
山農驚見之,隨我觀不休。
山里の農夫たちはここを徒歩で登るわたしに出あったのにびっくりし、わたしのあとからついて来ていつまでもながめているのを心配をしてくれることに感謝する。
○山農 山中の農夫。
○驚見之 韓愈が徒歩で登るのに出あったのに驚いた。
○観不休 不休は、上の動作を続けていることを示す助動詞。いつまでもながめている。
不惟兒童輩,或有杖白頭。
ついてくるのはこどもたちばかりでなく、枚にすがる白髪の老人さえもいる。
○輩なかま。
饋我籠中瓜,勸我此淹留。
背負っていたかごから瓜を取り出してわたしにくれる、ここはまことに風景の良いところであるから、ずっとここに滞在するようにとすすめるのである。
○確留 同じところにじっとしている。滞在する。
我云以病歸,此已頗自由。
わたしはこれに答えていう「わらしは病気保養のためにここに住むことにしましたが、これでもうかなり自由気ままにくらすことが出来て保養になっています。」と。
○頗 ずい分。かなり。