今、元和の天子は、随分、努めてよく天下を収められているから、鳳凰はもう出てこようというもので、だから,汝、鳳凰は、一度現れて、この地に来たりて翔けられんことを仰望してやまないということなのである。

 
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432 《岐山下,二首之二》韓愈(韓退之)ID  index-1 793年貞元9年 26歳<1139 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4679韓愈詩-432

 

 

作時年:              793年貞元九年26

卷別:    卷三三六              文體:    五言古詩

詩題:    岐山下,二首之二

作地點:              岐州(京畿道 / 岐州 / 岐州)

及地點:              岐山 (京畿道 岐州 岐山)    

 

岐山下,二首之一

(韓愈が岐山の麓を通ったとき、兵乱の後で人心が鎮まっておらず、不穏の状態であった。これを、やがて鳳凰が出てきて勲徳を謳歌するような時節になるだろうと詠った。)

誰謂我有耳,不聞鳳皇鳴。

人々はいやしくも耳があるならば、鳳凰の啼く声を聞くほどになりたいものである。自分はまだ鳳凰の啼く声を聞いたことがないから、耳がないのも同然である。

朅來岐山下,日暮邊鴻驚。

この頃、岐山の麓に来かかり、ここは昔、周の文王が起こったところで鳳凰が啼いたところであるから、ぜひその声を聞きたいところである。鳳凰どころか、日暮れになって辺地に向かう雁が、兵器の影に驚いて悲鳴をあげるということだ。 

岐山下,二首之二

(韓愈が岐山の麓を通ったとき、兵乱の後で人心が鎮まっておらず、不穏の状態であった。これを、やがて鳳凰が出てきて勲徳を謳歌するような時節になるだろうと詠った。)

丹穴五色羽,其名為鳳皇。

元来、鳳凰は、丹穴(闕)というところで生まれ、五色の羽を備え、聖主が位にあればあらわれるというのである。

昔周有盛德,此鳥鳴高岡。

だから昔、周の文王は聖徳有りし故に、この鳥は岐山の高岡に出てきて鳴いたというのである。

和聲隨祥風,窅窕相飄揚。

その時、太平の世であったから、和らいだ声は、ありがたき、めでたき風に随って高らかに聞こえ、そして、鳳凰は青天の大空を翔り、飄颻と舞い上がっていたのである。

聞者亦何事,但知時俗康。

だから、鳳凰の声を聞いたならば、その時はその世が太平の世であるという証拠になるということから、人々は爭ってこれを聞こうとするし、自分としても、その志を持っているけれど、とうとうこれを是を聞くことはなかった。

自從公旦死,千載閟其光。

鳳凰が出たというのは、周の文王の御世にかぎられたことであって、摂政大聖であった周公旦が没してからというもの、千年以上もその光を閉ざして、今に至るも出て来ないのであるから、その声を聞かないのは仕方のないことである。

吾君亦勤理,遲爾一來翔。

今、元和の天子は、随分、努めてよく天下を収められているから、鳳凰はもう出てこようというもので、だから,汝、鳳凰は、一度現れて、この地に来たりて翔けられんことを仰望してやまないということなのである。

 

(岐山下,二首之二)

丹穴 五の色羽,其の名 鳳皇と為す。

昔 周 盛德有り,此の鳥 高岡に鳴く。

和聲 祥風に隨い,窅窕【えいちょう】として相い飄揚す。

聞く者 亦た何事ぞ,但だ 時俗の康きを知る。

公旦の死せしより,千載 其の光を閟【と】づ。

吾が君 亦た理を勤む,爾が一たび來り翔けるを遲【ま】つ。

 

 

『岐山下,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

岐山下,二首之二

丹穴五色羽,其名為鳳皇。

昔周有盛德,此鳥鳴高岡。

和聲隨祥風,窅窕相飄揚。

聞者亦何事,但知時俗康。

自從公旦死,千載閟其光。

吾君亦勤理,遲爾一來翔。

 

(下し文)

(岐山下,二首之二)

丹穴 五の色羽,其の名 鳳皇と為す。

昔 周 盛德有り,此の鳥 高岡に鳴く。

和聲 祥風に隨い,窅窕【えいちょう】として相い飄揚す。

聞く者 亦た何事ぞ,但だ 時俗の康きを知る。

公旦の死せしより,千載 其の光を閟【と】づ。

吾が君 亦た理を勤む,爾が一たび來り翔けるを遲【ま】つ。

 

(現代語訳)

(韓愈が岐山の麓を通ったとき、兵乱の後で人心が鎮まっておらず、不穏の状態であった。これを、やがて鳳凰が出てきて勲徳を謳歌するような時節になるだろうと詠った。)

元来、鳳凰は、丹穴(闕)というところで生まれ、五色の羽を備え、聖主が位にあればあらわれるというのである。

だから昔、周の文王は聖徳有りし故に、この鳥は岐山の高岡に出てきて鳴いたというのである。

その時、太平の世であったから、和らいだ声は、ありがたき、めでたき風に随って高らかに聞こえ、そして、鳳凰は青天の大空を翔り、飄颻と舞い上がっていたのである。

だから、鳳凰の声を聞いたならば、その時はその世が太平の世であるという証拠になるということから、人々は爭ってこれを聞こうとするし、自分としても、その志を持っているけれど、とうとうこれを是を聞くことはなかった。

鳳凰が出たというのは、周の文王の御世にかぎられたことであって、摂政大聖であった周公旦が没してからというもの、千年以上もその光を閉ざして、今に至るも出て来ないのであるから、その声を聞かないのは仕方のないことである。

今、元和の天子は、随分、努めてよく天下を収められているから、鳳凰はもう出てこようというもので、だから,汝、鳳凰は、一度現れて、この地に来たりて翔けられんことを仰望してやまないということなのである。

 

長安洛陽鳳翔馬嵬 

(訳注)

岐山下,二首之二

(韓愈が岐山の麓を通ったとき、兵乱の後で人心が鎮まっておらず、不穏の状態であった。これを、やがて鳳凰が出てきて勲徳を謳歌するような時節になるだろうと詠った。)

○岐山は、長安の西北鳳翔府の西に在り、鳳翔は、昔、周の文王が起こったところである。この詩の年に、渾滋の軍が吐蕃のだまし討ちに遭いかろうじて引き上げてきて、西域に吐蕃が攻め入るとうわさが広がっていたのを題材にしたもの。

 

丹穴五色羽,其名為鳳皇。

元来、鳳凰は、丹穴(闕)というところで生まれ、五色の羽を備え、聖主が位にあればあらわれるというのである。

○丹穴五色羽 丹穴は丹穴鳥で、丹穴の山というところで生まれ、五色の羽を備える。《山海·南次三》「丹穴之山、有焉。,五采而文,名曰鳳凰,首文曰德,翼文曰,背文曰礼,膺文曰仁,腹文曰信。也,食自然,自歌自舞,見則天下安寧。」丹砂の出る穴といういみもある。

 

昔周有盛德,此鳥鳴高岡。

だから昔、周の文王は聖徳有りし故に、この鳥は岐山の高岡に出てきて鳴いたというのである。

○鳴高岡 岐山の高岡に出てきて鳴いた。

 

和聲隨祥風,窅窕相飄揚。

その時、太平の世であったから、和らいだ声は、ありがたき、めでたき風に随って高らかに聞こえ、そして、鳳凰は青天の大空を翔り、飄颻と舞い上がっていたのである。

○窅窕 青天の大空を翔ることをいう。

 

聞者亦何事,但知時俗康。

だから、鳳凰の声を聞いたならば、その時はその世が太平の世であるという証拠になるということから、人々は爭ってこれを聞こうとするし、自分としても、その志を持っているけれど、とうとうこれを是を聞くことはなかった。

 

自從公旦死,千載閟其光。

鳳凰が出たというのは、周の文王の御世にかぎられたことであって、摂政大聖であった周公旦が没してからというもの、千年以上もその光を閉ざして、今に至るも出て来ないのであるから、その声を聞かないのは仕方のないことである。

○公旦 周公旦。本名は姫旦(きたん)。 姫昌の息子で、姫発の弟。  西岐で最高の政治家と言われ、民からは敬意を込めて周公旦と呼ばれている。  姫発が殷を滅亡させ、武王として即位したのちには魯公(今で言えば都道府県知事のようなもの)に任ぜられたが、武王の早逝により燕の召公と共に幼い王・成王(武王の息子)の摂政となる。成王成人後は、後に中国有数の大都市となる洛陽を作り、その長となって生涯を終えた。 夢占いの開祖とされており、孔子の尊敬する人物としても有名。

 

吾君亦勤理,遲爾一來翔。

今、元和の天子は、随分、努めてよく天下を収められているから、鳳凰はもう出てこようというもので、だから,汝、鳳凰は、一度現れて、この地に来たりて翔けられんことを仰望してやまないということなのである。

○遲 1 進み具合がぐずぐずしている。おそい。「遅疑・遅速・遅滞・遅遅・遅筆/巧遅」2 予定の時間を過ぎてしまう。おくれる。「遅延・遅刻・遅配」3 待つ。ここは待つということになる。仰望してやまない。
駅亭の 隠遁