(この書状は、796年貞元十二年正月二十七日の上書である。)

 
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20 -(1) 《上宰相書  -(1)》韓愈(韓退之)ID  793年貞元9 26歳<1179 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4879韓愈詩-20 -(1)

 

 

長安の都で交わりを結んでいる人たちは、貧しい者、金持それぞれに仲間を作っている。友だちが訪ねて来たときも、やはりそれぞれに楽しみがあるものだ。見すぼらしい部屋には学問・文学の書物があり、りっはなお座敷には音楽の娯楽があるというように。栄えているかうらぶれているかの区別をつけ、しかもそれで賢愚を分けることなど、できるものか。

 

孟郊(751〜814)は、韓愈より年長であったが、進士の科に合格したのはあとになってしまった。後年のことになるが、孟郊が官職を得るのに韓愈が骨を折ってやったこともあり、そんな縁で孟郊は韓門の一人に数えられているが、韓愈の弟子ではない。「孟詩韓筆」(詩は孟郊で散文は韓愈)という評判をとったほどで、韓愈もこの人に対しては、あくまでも先輩に対する礼をとることを忘れなかった。

孟郊が進士の試に合格したのは貞元十二年(796年)であった。礼部の試には合格したが、吏部の試には落第した恵と、礼部の試にも合格できぬ郊と、落第の段階は違うが、官職につけず、俸給がもらえない点では、変わりがない。だから韓愈のこの時期の詩は、進士の試に合格はしたものの、「門を出ず」と同じ調子をもっているものがおおい。

そして翌貞元十年(794年)に、韓愈が最も尊敬していた同輩の李観が死んだ。観はすでに博学鴻辞の科にも合格し、太子校書の職を授けられていた。その最後の病床に、韓愈は一首の詩を贈った。

 

李観が死んだのは、貞元十年の春である。この春は異常に長雨が続き、『唐書』「五行志」にょれば、四か月のあいだに降らなかったのはたった一日か二日であったという。韓愈は李観の家へは行かずに、詩のみを贈って病気見舞いとしたらしい。観の病気に対して韓愈はあまり重大に考えず、気候不順のため食欲も進まず、身体に違和を来たしたと思っていたようである。それに加えて、天候の異変は天のいましめであるとする通念がある。まじめな李観は、それを心配しているのであろう。だが、そんなことを心配するのは宰相の職分で、太子校書ごときが心配するのは、越権行為である。そんなことは気にかけず、療養につとめなさい、と韓愈は言っているのである。

そのかいもなく、李観は死んだ。享年二十九であった。

 

貞元十一年(795年)一月、愈は時の宰相に手紙を送って、仕官を求めた。その「宰相に上る書」は今に残っているが、要するに自分ほどの才能のある人物を放置するのは国家的損失なので、科挙によらずして採用の道を開き、宰相が人材を求めている実を示していただきたいというにある。

愈はとうとう吏部の試の合格をあきらめて、別のルートで採用してもらおうとしたらしい。しかし宰相とは一面識もないのであるから、これは虫のよすぎる注文であるが、やるだけのことはやるという韓愈の律義さであるが、儒者の上申書は受け取る側が儒者でないと理解はされない。はたして宰相からは返事が来ない。当然のこととして、黙殺されてしまったのである。19日後(二月)、29日後(三月)10日度に宰相に手紙を送ったが、返事は一度もなかった。

 

 

上宰相書

§1

正月二十七月,前貢進士韓愈謹伏光範門下,

拜獻書相公閣下:《詩》之《序》曰:

「《菁菁者莪》,樂育材也。

君子能長育人材,則天下喜樂之矣。」

§1-2

其詩曰:「菁菁者莪,在彼中阿。

既見君子,樂且有儀。」

者曰:「菁菁」者,盛也;

「莪」,微草也;「阿」,大陵也。

言君子之長育人材,若大陵之長育微草,能使之菁菁然盛也。

「既見君子,樂且有儀」雲者,天下美之之辭也。

§2

其三章曰:「既見君子,錫我百朋,」教者曰:「百朋」,多之之辭也,言君子既長育人材,又當爵命之,賜之厚祿以寵貴之雲爾。其卒章曰:「泛泛楊舟,載沉載浮。既見君子,我心則休。」者曰:「載」,載也;「沉」「浮」者,物也。言君子之於人才,無所不取,若舟之於物,浮沉皆載之雲爾。「既見君子,我心則休」雲者,言若此則天下之心美之也。

§3

君子之於人也,既長育之,又當爵命寵貴之,而於其才無所遺焉。孟子曰:「君子有三樂,王天下不與存焉。」其一曰:「樂得天下之英才而教育之。」此皆聖人賢士之所極言至論,古今之所宜法者也。然則孰能長育天下之人才,將非吾君與吾相乎?孰能教育天下之英才,將非吾君與吾相乎?幸今天下無事,小大之官各守其職,錢穀甲兵之問不至於廟堂,論道經邦之暇,舍此宜無大者焉。

§4

今有人生二十八年矣,名不着於農工商賈之版。其業則讀書着文,歌頌堯舜之道,雞鳴而起,孜孜焉亦不爲利;其所讀皆聖人之書,楊墨釋老之學,無所入於其心;其所着皆約六經之旨而成文,抑邪與正,辨時俗之所惑。居窮守約,亦時有感激怨懟奇怪之辭,以求知於天下,亦不悖於教化,妖淫諛佞張之無所出於其中。

§5

四擧於禮部乃一得,三選於吏部卒無成;九品之位其可望,一畝之宮其可懷。遑遑乎四海無所歸;恤恤乎饑不得食,寒不得衣;濱於死而益固,得其所者爭笑之;忽將棄其舊而新是圖,求老農老圃而爲師。悼本志之變化,中夜涕泗交頤。雖不足當詩人孟子之謂,抑長育之使成材,其亦可矣,教育之使成才,其亦可矣。

§6

抑又聞古之君子相其君也,一夫不穫其所,若己推而内之溝中。今有人生七年而學聖人之道以修其身,積二十年,不得已一朝而之,是亦不穫其所矣。伏念今有仁人在上位,若不往告之而遂行,是果於自棄,而不以古之君子之道待吾相也,其可乎?寧往告焉,若不得志,則命也,其亦行矣。《洪範》曰:「凡厥庶民,有猷有爲、有守,汝則念之,不協於極,不罹於咎,皇則受之,而康而色。曰予攸好德,汝則錫之福。」是皆與善之辭也。

§7

抑又聞古之人有自進者,而君子不逆之矣,曰「予攸好德,汝則錫之福」之謂也。抑又聞上之設官制祿,必求其人而授之者,非苟慕其才而富貴其身也,蓋將用其能理不能,用其明理不明者耳;下之修已立誠,必求其位而居之者,非苟沒於利而榮於名也,蓋將推己之所餘以濟其不足者耳。然則上之於求人,下之於求位,交相求而一其致焉耳。苟以是而爲心,則上之道不必難其下,下之道不必難其上。可擧而擧焉,不必讓其自擧也;可進而進焉,不必廉於自進也。

§8

抑又聞上之化下,得其道,則勸賞不必遍加乎天下,而天下從焉,因人之所欲爲而遂推之之謂也。今天下不由吏部而仕進者幾希矣,主上感傷山林之士有逸遺者,屢詔内外之臣旁求於四海,而其至者蓋闕焉。豈其無人乎哉?亦見國家不以非常之道禮之而不來耳。彼之處隱就間者亦人耳,其耳目鼻口之所欲,其心之所樂、其體之所安,豈有異於人乎哉?

§9

今所以惡衣食、窮體膚,糜鹿之與處、犭爰之與居,固自以其身不能與時從俯仰,故甘心自而不悔焉。而方聞國家之仕進者,必擧於州縣,然後升於禮部、吏部,試之以繡繪雕琢之文,考之以聲勢之逆、章句之短長,中其程式者,然後得從下士之列。雖有化俗之方,安邊之畫,不由是而稍進,萬不有一得焉。彼惟恐入山之不深,入林之不密,其影響昧昧,惟恐聞於人也。

§10

今若聞有以書進宰相而求仕者,而宰相不辱焉,而薦之天子而爵命之,而布其書於四方,枯槁沉溺魁閎寬通之士,必且洋洋焉動其心,峨峨焉纓其冠,於於焉而來矣。此所謂勸賞不必遍加乎天下,而天下從焉者也,因人之所欲爲而遂推之之謂者也。

§11

  伏惟覽《詩》《書》《孟子》之所指,念育才錫福之所以。考古之君子相其君之道,而忘自進自擧之罪。思設官制祿之故,以誘致山林逸遺之士。庶天下之行道者知所歸焉。小子不敢自幸,其所着文,輒采其可者若幹首,錄在異卷,冀辱賜觀焉。幹黷尊嚴,伏地待罪。愈再拜。

 

 

§1

正月二十七月,前貢進士韓愈謹伏光範門下,

拜獻書相公閣下:《詩》之《序》曰:

「《菁菁者莪》,樂育材也。

君子能長育人材,則天下喜樂之矣。」

(この書状は、796年貞元十二年正月二十七日の上書である。)§1

正月二十七日、前の郷貢進士韓愈、謹んで光範門のもとに伏しいたします。

再拝して書を宰相公閣下に献じます。『詩経』小雅菁菁者莪我篇の序に次のようにいう。

「菁菁者莪篇は材を育するを楽しむなり。

君子(在上の人)能く人材を長育すれば、則ち天下之を喜楽す」といっている。

(宰相に上【たてまつ】る書)

正月二十七日、前の郷貢の進士韓愈、謹んで光範門下に伏して、

再拜して書を相公閣下に獻ず。《詩》の《序》に日く、

「菁菁たる者莪は、材を育するを欒むなり。

君子能く人材を長育すれば、則ち天下之を喜樂す」と。
§1
-2

其詩曰:「菁菁者莪,在彼中阿。

既見君子,樂且有儀。」

者曰:「菁菁」者,盛也;

「莪」,微草也;「阿」,大陵也。

言君子之長育人材,若大陵之長育微草,能使之菁菁然盛也。

「既見君子,樂且有儀」雲者,天下美之之辭也。

 

 

『上宰相書』 現代語訳と訳註

(本文)

上宰相書§1-1

正月二十七月,前貢進士韓愈謹伏光範門下,

再拜獻書相公閣下:《詩》之《序》曰:

「《菁菁者莪》,樂育材也。

君子能長育人材,則天下喜樂之矣。」

 

(下し文)

(宰相に上【たてまつ】る書)

正月二十七日、前の郷貢の進士韓愈、謹んで光範門下に伏して、

再拜して書を相公閣下に獻ず。《詩》の《序》に日く、

「菁菁たる者莪は、材を育するを欒むなり。

君子能く人材を長育すれば、則ち天下之を喜樂す」と。

 

(現代語訳)

(この書状は、796年貞元十二年正月二十七日の上書である。)§1

正月二十七日、前の郷貢進士韓愈、謹んで光範門のもとに伏しいたします。

再拝して書を宰相公閣下に献じます。『詩経』小雅菁菁者莪我篇の序に次のようにいう。

「菁菁者莪篇は材を育するを楽しむなり。

君子(在上の人)能く人材を長育すれば、則ち天下之を喜楽す」といっている。

 

 

(訳注)

上宰相書§1

(この書状は、796年貞元十二年正月二十七日の上書である。)

時の宰相は趙憬【ちょうけい】・賈耽【かたん】・盧邁【ろまい】らである。宰相に人才の育成を求め、自分がその育成に値する者であることを言ったものである。

その後また第二書『後十九日複上書』を二月十六日、第三書『後廿九日複上書』を三月十一日に上(たてまつ)っている。

 

正月二十七月,前貢進士韓愈謹伏光範門下,

正月二十七日、前の郷貢進士韓愈、謹んで光範門のもとに伏しいたします。

 

再拜獻書相公閣下:《詩》之《序》曰:

再拝して書を宰相公閣下に献じます。『詩経』小雅菁菁者莪我篇の序に次のようにいう。

〇詩之序 『詩経』の各篇のはじめに、その詩の由来、性質、目的などを説明する文のこと。

 

「《菁菁者莪》,樂育材也。

「菁菁者莪篇は材を育するを楽しむなり。

○莪 莪蒿、きつねあざみ。菊科の植物。葉は食用にする。『詩経』小雅蓼莪篇に「蓼蓼たる者は莪」とあり、長大に育つのを蓼々と形容する。嵩(打も)や蔚(詑巴よりも良いものと歌っている。

『詩経』小雅蓼莪篇「菁菁者莪 在彼中阿」(菁菁(せいせい)たる莪(が)は 彼の中阿(ちゆうあ)に在り)とある。

 

君子能長育人材,則天下喜樂之矣。」

君子(在上の人)能く人材を長育すれば、則ち天下之を喜楽す」といっている。

○長育 そだてのばす。

《「詩経」小雅・菁菁者莪の「菁菁たる莪は材を育するを楽しむ、君子は能()く人材を長育す」から。「菁」はしげるさま、「莪」はあざみの意》人材を育成すること。英才の育成を楽しむこと。また、多くの人材・英才。

『詩経』小雅蓼莪篇「既見君子 樂且有儀」(既に君子を見れば 樂しみ且つ儀有り)とある。