韓愈《上兵部李侍郎書 -5》江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。
21-(5)§4-1 《上兵部李侍郎書 -5》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1205> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5009韓愈詩-21-(5)§4-1
上兵部李侍郎書 §1
十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:
愈少鄙鈍,於時事都不通曉,
家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。
薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。
(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)
十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。
私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、
家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。
しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。
(兵部李侍郎に上る書)
十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。
愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,
家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。
薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。
§2
性本好文學,因困厄悲愁,
無所告語,遂得究窮於經傳、
史記、百家之說,沈潛乎訓義,反複乎句讀,
礱磨乎事業,而奮發乎文章。
私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。
それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。
そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。
学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。
§2
性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,
告語する所無く,遂に經傳、史記、百家の說を究窮するを得る。
訓義に沈潛し,句讀を反複し,
事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。
-2
凡自唐虞以來,編簡所存,
大之為河海,高之為山嶽,
明之為日月,幽之為鬼神,
纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,
奇辭奧旨,靡不通達。
惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,
年老而智益困,私自憐悼,
悔其初心,發禿齒落,不見知己。
およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、
広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。
明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。
繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。
変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。
ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。
その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は技けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。
凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,
之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。
之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。
之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,
奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。
惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。
年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。
其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。
§3
夫牛角之歌,辭鄙而義拙;
堂下之言,不書於傳記。
齊桓舉以相國,叔向攜手以上,
然則非言之難為,聽而識之者難遇也!
一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。
鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。
斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。
そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。
夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。
堂下の言は,傳記に書せず。
齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,
然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!
上兵部李侍郎書§4-1
伏以閣下內仁而外義,行高而德巨,
伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。
尚賢而與能,哀窮而悼屈,
すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。
自江而西,既化而行矣。
江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。
今者入守內職,為朝廷大臣,
今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。
-2
當天子新即位,汲汲於理化之日,
出言舉事,宜必施設。
既有聽之之明,又有振之之力,
寧戚之歌,鬷明之言,
不發於左右,則後而失其時矣。
上兵部李侍郎書§4-1
伏して以【おも】うに閣下 內仁して外義【そとぎ】,行ない高くして德 巨【おおい】なり,
賢を尚【たっと】んで能を與え,窮を哀んで屈を悼む,
江よりして西,既に化して行わる。
今は入りて內職を守り,朝廷の大臣と為る,
-2
天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,
言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。
既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,
寧戚【ねいせき】の歌,鬷明【そうめい】の言,
左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。
『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説
(本文) §4-1
伏以閣下內仁而外義,行高而德巨,
尚賢而與能,哀窮而悼屈,
自江而西,既化而行矣。
今者入守內職,為朝廷大臣,
(下し文)
伏して以【おも】うに閣下 內仁して外義【そとぎ】,行ない高くして德 巨【おおい】なり,
賢を尚【たっと】んで能を與え,窮を哀んで屈を悼む,
江よりして西,既に化して行わる。
今は入りて內職を守り,朝廷の大臣と為る,
(現代語訳)
伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。
すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。
江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。
今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。
(訳注) §4-1
兵部李侍郎書§2
(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)
○兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。
伏以閣下內仁而外義,行高而德巨,
伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。
○巨、大である。
尚賢而與能,哀窮而悼屈,
すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。
○屈 志を伸ばし得ずに、まげている。
自江而西,既化而行矣。
江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。
○自江而西 長江の南岸地方の西を江西という。長江下流地域を江東というのに対して言う。
今者入守內職,為朝廷大臣,
今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。
○内職 政府の内の官職、地方官を外職というのに対語。