韓愈《此日足可惜贈張籍-4そこで自分は、及ばずながら、君を大成させるべくここに引きとめて去らせることをしないわけで、城郭の西に家を借りて、住まわせたことで、いつも往来して、一緒に学芸を研究したのである。

 
 2014年11月21日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
135 《感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八〕》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <135> Ⅰ李白詩1320 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5148 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
27-#4 《此日足可惜贈張籍-4》韓愈(韓退之)ID <1233> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5149 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-6-2 《贈鄭十八賁 -#2》 杜甫index-15 杜甫<869-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5150 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor20-538《菩薩蠻三首,其三》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-721-20-(538) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5152 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

27-#4 《此日足可惜贈張籍-4》韓愈(韓退之)ID  1233> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5149韓愈詩-27-#4

 

 

年:799年貞元15年 32

卷別:  卷三三七        文體:  五言古詩

 

詩題:  此日足可惜贈張籍【愈時在徐,籍往謁之,辭去,作是詩以送。】

作地點:        徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:       

偃師 (都畿道 河南府 偃師)        

汴州 (河南道 汴州 汴州) 別名:梁         

徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方         

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下河清 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:盟津、孟津   

交遊人物:     

張籍    當地交遊(河南道 徐州 徐州)

孟郊    詩文提及(江南東道 越州 會稽)

張建封  當地交遊(河南道 徐州 徐州)

 

 

此日足可惜贈張籍-1

君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)

此日足可惜,此酒不足嘗。

君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。それに比べればこの酒を味わって飲むということに値打ちがあるというものではなく、それよりも一言でも多く話をして、胸をすっきりしておきたい。

捨酒去相語,共分一日光。

だから酒をおいて、互いに思っていることを語ろうではないか、この一日の光陰を共に長閑に過ごしてこそ値打ちがあるというものだ。

念昔未知子,孟君自南方。

思えば昔、わたしがまだ君を知らなかったときである、そう、孟君(孟郊)が南方に旅行して帰りだといって立ち寄ったときのことである。

自矜有所得,言子有文章。

どうも自慢顏してわたしに対して、自分は人を見る目があるといい、旅行中に張籍という門下生に遭ったが、良い人材であるとし、かれの文章は素晴らしく、文学の才があると胸を張って云ったのだ。

 

(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)

此の日惜しむ可きに足る、此の酒嗜むに足らず。

酒を捨てて去(ゆ)いて相語り,共に一日の光を分かたん。

念う昔 未だ子を知らざらしとき,孟君南方自りす。

自ら矜る得る所有り,子が文章有るを言う。

 

-2

我名屬相府,欲往不得行。

そのとき私は董晋の幕府に所属し、事務官であり、試験官であった、だから、君の所へわざわざ出かけて行き、遭いに行くこともできず、そういう立場にあったのだ。

思之不可見,百端在中腸。

その人を思っても、会うことが出来ず、そのためさまざまの思いが腹のうちにわだかまっていた。

維時月魄死,冬日朝在房。

しかし、月が陰って光を失うその時季節が変わる、1012日ごろ、房宿にから長安に旅立つのだ。

驅馳公事退,聞子適及城。

その時は、例の如く、終日公事に奔走して後退庁すると、君がちょうど汴州の町に来ていると耳にした。


我名は相府に屬す,往かんと欲するも行くを得ず。」

之を思えども見るべからず,百端【ひゃくたん】 中腸【ちゅうちょう】に在り。
維【こ】れ 時 月魄【げっぱ】死し,冬日 朝 房に在り。
驅馳【くち】して 公事より退けば,子が適々【たまたま】城に及べりと聞く。


-3

命車載之至,引坐於中堂。

そこで大いに喜んで、車を迎えにやり、命じて君を乗せて我が寓居に来てもらって、案内して奥の客間に座ってもらった。

開懷聽其往往副所望。

自分の胸のうちを開いて君の儒学的諸説に耳を傾けたのであるが、私の考えとしばしば合致した点が出て、君の偉さがわかってきたのだ。

孔丘歿已遠,仁義路久荒。

顧みれば、孔子が没してからもはや幾千百年、長い年月がたっている、仁徳・正義の儒者の道は頽廃し、荒蕪に帰して往来さえ難しくなって久しい。

紛紛百家起,詭怪相披猖。

その後、諸子百家が紛然として起こり、正理に合わない奇詭怪異な説を平然と並べ立て、互いに他を合わせようとはせず、儒教の衰退を進めたのである。

車を命じて之を載せて至り、 引いて中堂に坐せしむ。 懐(ふところ)を開いて其の説を聴けば、往往にして望む所に副(かな)えり。

懷を開いて 其のけば,往往 望む所に副う。

孔丘ざん歿して己に遠く、仁義の路久しく荒(すさ)む。

紛粉として百家起こり、詭怪(きかい) 相 披猖(ひしょう)す。





-4

長老守所聞,後生習為常。

仁義を学んできた長老たちはただ聞くところを固守し、独善的に伝統的な説を守っていくだけで、聖人の道を復興しようとしなかったのだ、後世はその説を習うだけを常とし、儒教者は退嬰主義者ということに慣れてしまって、それが当然のことと思うようになっている。

少知誠難得,純粹古已亡。

すこし仁義の道、説を認知している人はなかなか求めがたいもの、まして、純粋な斯道を研究して、天下に大業を成そうというものは昔から絶無で、君が常人と異なる点がこのことなのである。

譬彼植園木,有根易為長。

たとえば、少し離れたあの畑に植えた木のようなもので、根がしっかり張って居れば、それから、枝葉の繁茂するのは造作もないことである。そこで君は、既に根底を得ているから、これから勉強次第で、どんな偉い者にもなれる。

留之不遣去,館置城西旁。

そこで自分は、及ばずながら、君を大成させるべくここに引きとめて去らせることをしないわけで、城郭の西に家を借りて、住まわせたことで、いつも往来して、一緒に学芸を研究したのである。

長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。

少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。

彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。

之を留めて去ら遣()めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。

 

長安城郭015 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文)  -4

長老守所聞,後生習為常。

少知誠難得,純粹古已亡。

譬彼植園木,有根易為長。

留之不遣去,館置城西旁。

 

(下し文)

長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。

少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。

彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。

之を留めて去ら遣()めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。

 

(現代語訳)

仁義を学んできた長老たちはただ聞くところを固守し、独善的に伝統的な説を守っていくだけで、聖人の道を復興しようとしなかったのだ、後世はその説を習うだけを常とし、儒教者は退嬰主義者ということに慣れてしまって、それが当然のことと思うようになっている。

すこし仁義の道、説を認知している人はなかなか求めがたいもの、まして、純粋な斯道を研究して、天下に大業を成そうというものは昔から絶無で、君が常人と異なる点がこのことなのである。

たとえば、少し離れたあの畑に植えた木のようなもので、根がしっかり張って居れば、それから、枝葉の繁茂するのは造作もないことである。そこで君は、既に根底を得ているから、これから勉強次第で、どんな偉い者にもなれる。

そこで自分は、及ばずながら、君を大成させるべくここに引きとめて去らせることをしないわけで、城郭の西に家を借りて、住まわせたことで、いつも往来して、一緒に学芸を研究したのである。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

(訳注)  -4

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

長老守所聞,後生習爲常。
長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。
仁義を学んできた長老たちはただ聞くところを固守し、独善的に伝統的な説を守っていくだけで、聖人の道を復興しようとしなかったのだ、後世はその説を習うだけを常とし、儒教者は退嬰主義者ということに慣れてしまって、それが当然のことと思うようになっている。

守所聞 儒学者が聞くところを固守し、独善的に伝統的な説を守っていくだけで、聖人の道を復興しようとしなかったということ。

習爲常 その説を習うだけを常とし、儒教者は退嬰主義者ということに慣れてしまって、それが当然のことと思うようになったことをいう。


少知誠難得,純粹古已亡。
少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。
すこし仁義の道、説を認知している人はなかなか求めがたいもの、まして、純粋な斯道を研究して、天下に大業を成そうというものは昔から絶無で、君が常人と異なる点がこのことなのである。

誠難得 仁義の道、説を認知している人はなかなか求めがたいものであること。

古已亡 天下に大業を成そうというものは昔から絶無である。


譬彼植園木,有根易爲長。
彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。
たとえば、少し離れたあの畑に植えた木のようなもので、根がしっかり張って居れば、それから、枝葉の繁茂するのは造作もないことである。そこで君は、既に根底を得ているから、これから勉強次第で、どんな偉い者にもなれる。

易爲長 枝葉の繁茂するのは造作もないこと。

 

留之不遣去,館置城西旁。
之を留めて去ら遣()めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。 

そこで自分は、及ばずながら、君を大成させるべくここに引きとめて去らせることをしないわけで、城郭の西に家を借りて、住まわせたことで、いつも往来して、一緒に学芸を研究したのである。
館置 家に住まわせる。・館:建物。旅館。やど。官舎。

 城郭、街。
玄武門