韓愈《此日足可惜贈張籍-17》 そして、君はこれからまだ中央朝廷の高い地位をも望めるひとであるから、一つの土地、地方の組織に固執することのないようにしなくてはいけない。したがってこの別れも辛いことではあるが、これも君の為であるから、この旅行が上手くいくことを願い次第である。 

 
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27-#17 《此日足可惜贈張籍-17》韓愈(韓退之)ID  1246> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5214韓愈詩-27-#17

 


年:799年貞元15年 32歳

卷別:  卷三三七        文體:  五言古詩

 

詩題:  此日足可惜贈張籍【愈時在徐,籍往謁之,辭去,作是詩以送。】

作地點:        徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:        

偃師 (都畿道 河南府 偃師)         

汴州 (河南道 汴州 汴州) 別名:梁          

徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方          

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下河清 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:盟津、孟津    

交遊人物:      

張籍    當地交遊(河南道 徐州 徐州)

孟郊    詩文提及(江南東道 越州 會稽)

張建封  當地交遊(河南道 徐州 徐州)

 

 

此日足可惜贈張籍-1

君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)

此日足可惜,此酒不足嘗。

君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。それに比べればこの酒を味わって飲むということに値打ちがあるというものではなく、それよりも一言でも多く話をして、胸をすっきりしておきたい。

捨酒去相語,共分一日光。

だから酒をおいて、互いに思っていることを語ろうではないか、この一日の光陰を共に長閑に過ごしてこそ値打ちがあるというものだ。

念昔未知子,孟君自南方。

思えば昔、わたしがまだ君を知らなかったときである、そう、孟君(孟郊)が南方に旅行して帰りだといって立ち寄ったときのことである。

自矜有所得,言子有文章。

どうも自慢顏してわたしに対して、自分は人を見る目があるといい、旅行中に張籍という門下生に遭ったが、良い人材であるとし、かれの文章は素晴らしく、文学の才があると胸を張って云ったのだ。

 

(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る) 

此の日惜しむ可きに足る、此の酒嗜むに足らず。

酒を捨てて去(ゆ)いて相語り,共に一日の光を分かたん。

念う昔 未だ子を知らざらしとき,孟君南方自りす。

自ら矜る得る所有り,子が文章有るを言う。 



-2

我名屬相府,欲往不得行。

そのとき私は董晋の幕府に所属し、事務官であり、試験官であった、だから、君の所へわざわざ出かけて行き、遭いに行くこともできず、そういう立場にあったのだ。

思之不可見,百端在中腸。

その人を思っても、会うことが出来ず、そのためさまざまの思いが腹のうちにわだかまっていた。

維時月魄死,冬日朝在房。

しかし、月が陰って光を失うその時季節が変わる、1012日ごろ、房宿にから長安に旅立つのだ。

驅馳公事退,聞子適及城。

その時は、例の如く、終日公事に奔走して後退庁すると、君がちょうど汴州の町に来ていると耳にした。

我名は相府に屬す,往かんと欲するも行くを得ず。」

之を思えども見るべからず,百端【ひゃくたん】 中腸【ちゅうちょう】に在り。
維【こ】れ 時 月魄【げっぱ】死し,冬日 朝 房に在り。
驅馳【くち】して 公事より退けば,子が適々【たまたま】城に及べりと聞く。

-3

命車載之至,引坐於中堂。

そこで大いに喜んで、車を迎えにやり、命じて君を乗せて我が寓居に来てもらって、案内して奥の客間に座ってもらった。

開懷聽其往往副所望。

自分の胸のうちを開いて君の儒学的諸説に耳を傾けたのであるが、私の考えとしばしば合致した点が出て、君の偉さがわかってきたのだ。

孔丘歿已遠,仁義路久荒。

顧みれば、孔子が没してからもはや幾千百年、長い年月がたっている、仁徳・正義の儒者の道は頽廃し、荒蕪に帰して往来さえ難しくなって久しい。

紛紛百家起,詭怪相披猖。

その後、諸子百家が紛然として起こり、正理に合わない奇詭怪異な説を平然と並べ立て、互いに他を合わせようとはせず、儒教の衰退を進めたのである。

車を命じて之を載せて至り、引いて中堂に坐せしむ。 懐(ふところ)を開いて其の説を聴けば、往往にして望む所に副(かな)えり。

懷を開いて 其のけば,往往 望む所に副う。

孔丘ざん歿して己に遠く、仁義の路久しく荒(すさ)む。

紛粉として百家起こり、詭怪(きかい) 相 披猖(ひしょう)す。

-4

長老守所聞,後生習為常。

仁義を学んできた長老たちはただ聞くところを固守し、独善的に伝統的な説を守っていくだけで、聖人の道を復興しようとしなかったのだ、後世はその説を習うだけを常とし、儒教者は退嬰主義者ということに慣れてしまって、それが当然のことと思うようになっている。

少知誠難得,純粹古已亡。

すこし仁義の道、説を認知している人はなかなか求めがたいもの、まして、純粋な斯道を研究して、天下に大業を成そうというものは昔から絶無で、君が常人と異なる点がこのことなのである。

譬彼植園木,有根易為長。

たとえば、少し離れたあの畑に植えた木のようなもので、根がしっかり張って居れば、それから、枝葉の繁茂するのは造作もないことである。そこで君は、既に根底を得ているから、これから勉強次第で、どんな偉い者にもなれる。

留之不遣去,館置城西旁。

そこで自分は、及ばずながら、君を大成させるべくここに引きとめて去らせることをしないわけで、城郭の西に家を借りて、住まわせたことで、いつも往来して、一緒に学芸を研究したのである。

長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。

少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。

彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。

之を留めて去ら遣(し)めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。

 

5

時未云幾,浩浩觀湖江。

それから歳月がいくらもたっていないのに、君の詩文章はかなり進歩し、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。

眾夫指之笑,謂我知不明。

しかし、世人はそういうことを理解していないから、あんな貧乏書生が何ができるかと、指さして笑い、私にいらぬ世話をして人を見る目がないと嘲笑したのだ。

兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。

しかし、元来児童というものは、雷電をこわがるものだし、魚やすっぽんが夜光珠に驚くようなもので、深い考えもなければ、真の才能を見分ける目をもっていないのだから、君の人物評価ができるわけがないのだ。 

州家舉進士,選試繆所當。

そのうち、汴州において進士(ここでは科挙を受験する有資格者をさす)を推薦するにあたり、その試験(つまり汴州で施行される予備試験である)を私が誤って試験委員長を抜擢せられた。
-6

馳辭對我策,章句何煒煌。

君は辞賦の筆を馳せて私の問題に答案を書かれたが、その句韻文のすみずみまでなんと素晴らしく光彩陸離として輝いて好成績で及第したのである。

相公朝服立,工席歌〈鹿鳴〉。

そして、長安に送りだすことになり、その送別のために、大宴会が催され、節度使の董晋公は正装して臨場し、楽工師たちはその席に受験者慰労のために「鹿鳴」の古歌をうたい、まことに名誉な事であった。

禮終樂亦闋,相拜送於庭。

かくして、厚くもてなされて饗宴の礼が終わり、音楽もそれに伴って終了した、董晋公以下、役人たちは、拝礼して受験者をその場から送り出した。

之子去須臾,赫赫流盛名。

いまだ、幾ばくの時を過ごしていないうちに、君は都へ去ったが、まもなく、功名・声望など、りっぱな評判が伝わってきて、私は感嘆したのである。

-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

日暮れ方、黄河西岸にある偃師に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりで苦しんだ。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

そしてその夜中に汁州において、大騒動がおこったということを聞き、あわてて壁をつたって、うろうろと歩きまわったがどうしようもない。

我時留妻子,倉卒不及將。

私はその時、汴州に妻子を残したままにしていた。そもそも突然におこったことなので、つれてくることが間にあわなかったのである。

相見不復期,零落甘所丁。

私が、妻子の姿を見るのがいつの日になることか予想も立ちはしない、そのままだと、妻子が落ちぶれて運命のままになることにまかせるほかはないのである。


#8

暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

-9

驕兒未乳,念之不能忘。

成り行きのままに甘や かして育てた娘はまだ乳離れしておらず、ただひとつ、それが気がかりで忘れることができない。

忽如在我所,耳若聞啼聲。

たちまちにして、私のそばにいるような気がして、耳に泣き声が聞こえたような気がした。

中途安得返,一日不可更。

そこで、一遍、たち返って、その模様を詳しく見届けたいが、しかし、途中からどうして引き返すことができよう、おまけに、予定は一日たりとも変更はできないのだ。 

俄有東來我家免罹殃。

そのうちに思いがけずも、東の方からの情報が伝わってきて、それによると私の家族は災難にあうのを免れたというので、胸をなでおろし、安心したのだ。

驕兒【きょうじ】 未だ乳を絶たず、之を念うて忘るる能わず。

忽として我が所に在るが如く、耳に啼く声を聞くが若く。

中途にして安くんぞ返るを得ん、一日も更【あらた】む可からず。

俄【にわ】かに東來の説有り、我が家は殃【おう】に罹【かか】るを免る。
 

-10

乘船下汴水,東去趨彭城。

自分は今度の役目を澄ましたら、彭城に行って、張建封の世話になるつもりであるので、一足先に行ってほしいと、船に乗って汴水運河を下っていって、東へ行き彭城にまで避難させたのである。

從喪朝至洛,還走不及停。

それで心配がなくなったので、私は董晋の喪葬をしきたりに則り、翌朝 喪列について洛陽まで行き、その上で、ひと休みするひまもなく彭城へ向かうことにした。

假道經盟津,出入行澗岡。

通行の許可をもらって、道をとって、盟津(孟津に同じ)の渡し場を経由し、今度は、馬に乗って、谿山の間を上り下りしながら、谷や岡を越えて行った。

日西入軍門,羸馬顛且僵。

そして日が西に傾いたころ河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、私の乗馬は疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。


10

船に乗って汴水を下り東に去って彭城に趨【はし】ると。

喪【そう】に従って朝に洛に至り、還走【かんそう】して停(とど)まるに及ばず。

道を仮りて盟津【もうしん】を経、 出入して澗岡【かんこう】を行く。

日西にして軍門を入れば、羸馬【るいば】顛【つまづ】きて且つ僵【たお】る。

-11

主人顧少留,延入陳壺觴。

すると幕府の主人である節度使の李範はもうしばらく滞留しなさいといってくれて、私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれて、歓待してくれた。

卑賤不敢辭,忽忽心如狂。

わたしは、もとより今や仕えるところも何もない卑賎の身分であるから、すこしも遠慮なくごちそうを頂戴したのだが、心に妻子の事が気になってふらふらして狂っているよ うだった。

飲食豈知味,絲竹徒轟轟。

正直に言うと、飲んだり食べたりしても味などわかるものではなく、宴席の琴や笙の音楽もただうるさいばかりで、面白くなかった。

平明身去,決若驚鳧翔。

夜明けを待って、幕府の官舎から身を脱したが、その決意して行動する姿は、ここを思いきりよくマガモの飛び立つようなものだった。


11

主人少【しばら】く留まらんことを願い、延【ひ】き入れて壺觴【こしょう】を陳【つら】ぬ。 

卑賤【ひせん】 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。

飲食 豈味わいを知らんや、糸竹 徒【いたず】らに轟轟たるのみ。 

平明 身を脱して去る、決として驚鳧【きょうふ】の翔るが若し。

-12

黃昏次汜水,欲過無舟航。

夕方には氾水の岸に到着した、氾水には渡し場があり、そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに就航の船がなかったのだ。

號呼久乃至,夜濟十里黃。

長い時間大声で呼び、 ようやく出発できる船が来てくれた、夜のあいだに遙か先の向う岸までが十里もある黄河も川筋を渡らねばならないのだ。

中流上灘潬,沙水不可詳。

流れの中ほどで中洲を過ぎると早瀬と淵があり、そこを上流に昇り危険な思いをしたが、暗くなって、川の砂も川の水も暗くてはっきりしなくて見分けられない状態なのだ。

驚波暗合沓,星宿爭翻芒。

くら闇の中で早瀬の流れが集合してぶつかり合い怒涛ははねおこる、それでも、水面に星が映る星座の光が鉾先を翻して閃いたりする。
-12

黄昏 汜水【しすい】に次【やど】り、過ぎんと欲するに舟航無し。

号呼 久しゅうして乃ち至り、夜 十里の黄を済【わた】る。

中流 灘澤に上るに、沙水 詳らかにす可からず。 

驚波 暗くして合沓【ごうとう】たり、星宿 争って空を翻す。

 

-13

轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。

自分たちの車を引く馬も一緒に舟に乗せているが、驚いて跳ね上がり、落ち着かず動く、左右にいる僕童たちはこえをあげて泣くので、大変な苦労であった。

甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。

甲午の日(96年貞元十二年七月二日)、昔の邸の城門である時門に着いて休憩し、『春秋左伝』にあるような竜の戦う姿を見ようと泉の中を覗き込んで、古跡を窺ったのである。

東南出陳許,陂澤平茫茫。

ついで、田舎道辿って東に行き、南に行くと、陳地方の生まれ故郷の許に出てきた、ここら一体平地であり、堤塘池沼が入り混じって 路には草が茫々と広がっている。

道邊草木花,紅紫相低昂。

そうした道はたには草木の花がさき、赤や紫に、あるいは低くあるいは高く咲きみだれている。
-13

轅馬 蹢躅として鳴き、左右 僕童泣く。

甲午 時門に憩い、泉に臨んで闘竜を窺うかがう。

東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。

道辺の草木の花、 紅紫 相い低昂【ていこう】す。

 

-14

百里不逢人,角角雄雉鳴。

しかし、茫茫たる荒野で、百里の道、どこまで行っても人に逢わず、時々、コツコツと雄の雉が鳴き叫ぶのである。   

行行二月暮,乃及徐南疆。

行っても、行ってもど、こまでも進んでも、二月の末ごろにようやく徐州の南境にたどり着いた。

下馬步堤岸,上船拜吾兄。

そこで馬から下りて、堤防の上を歩いてゆくと、そこに渡し場があって、我がいとこが迎えに来ていたので、舟に乗ってから、はじめて丁寧にあいさつをした。

誰云經艱難,百口無夭殤。

今まで、非常に困難な事態を経てきたというのに、一家百口、幼死も無ければ、横死もなく、家族は全員なにごともなかったということ、誰もが難難を通り抜けたと言い合ったのである。


-14

百里 人に逢わず、角角【こくこく】として雄雉【ゆうち】鳴く。

行き行きて 二月の暮、乃ち徐の南疆に及ぶ。

馬より下りて堤岸を歩み、船に上りて吾が兄を拝す。

誰か云わん 艱難を経たりと、百口 夭殤【ようしょう】無し。

 

-15

僕射南陽公。宅我雎水陽。

徐州にいる武寧軍節度使、僕射の南陽公 張建封の幕府に自分を迎えてくれて、世話をしてくれた、その上、私を睢水の北岸に住居を作って与えてくれた。

篋中有餘衣,盎中有餘糧。

生活も安定してきたから、衣裳筐のなかに着物が余分な量が用意され、米櫃には余分な穀物があるほどの余裕ある生活を用意してくれた。

閉門讀書史,窗忽已涼。

ゆとりを持って生活をして、やがて季節は変わり、その家で集中して歴史書を読書するため、扉をとざしてしてできるようにもなったが、にわかに高窓から、戸口から涼風が吹きこんできた。清々しい季節になった。

日念子來遊,子豈知我情。

そうして、君が訪ねて来てくれることを毎日念じていたが、その思いが君に通じたのだろうか、嬉しいことに君が来遊してくれた。


僕射 南陽公、我を雎水の陽に宅せしむ。

篋中に余衣有り、盎中に糧有り。

門を閉じて書史を読めば、窓戸 忽ち己に涼し。

日に子が来たり 遊はんことを念う、子 豈に我が情を知らんや。
 

-16

別離未為久,辛苦多所經。

わかれ別離してからまだ日が久しく経っているわけでもないのだが、さまざまの辛苦に出会って、いろいろな経験をかさねてきたことを君に聞いてもらわねばならない。

對食每不飽,共言無倦聽。

それからというもの、毎日食事をとるということは飽きることはない、同じように、二人で話をするということ、いくら聞いてもあきるということがない。

連延三十日,晨坐達五更。

そういうことがあって、幕府の事務室の中でずっと三十日間もつづけたのだ、しかも早朝から向きあって座ったまま、気が付けば五更になっていて、暁けがたに及ぶまで議論した。 

我友二三子,宦遊在西京。

私の友人としては、外に二、三人の諸君がいて、かれらは長安へ行って役人生活をしている。

東野窺禹穴,李觀濤江。

東野(孟郊)は禹穴(浙江省の会稽にある古代の聖天子の禹の遺跡といわれる穴)をのぞきに行き、李は浙江の潮(銭塘江の河口 に見られる満潮時に海水が逆流して水位が高くなる現象)を見に行った。



16

別離 未だ久しと為さざるも、辛苦 経る所多し。

食に対して毎に飽かず、共に言いて聴くに倦むこと無し。

連延たり三十日、晨に坐して五更に達す。

我が友 二三子、宦遊して西京に在り。

東野は禹穴を窺い、李は清江を観る。

-17

蕭條千萬里,會合安可逢。

蕭条として千万里を隔てているので、消息を通わすすべもなく、会いたいと思っても顔をあわすことができるはずもない。

淮之水舒舒,楚山直叢叢。

准河の水はゆるやかにゆったりと流れ、楚の国の山々は切り立ったようにそびえて、草木の茂みはこんもり茂っている。
子又捨我去,我懷焉所窮。

そういうところへ、つぎに君がまた私を置いて出て行ってしまったら、我が悲しい思いは、なにごとにおいても窮まることはできないくらいだ。
男兒不再壯,百如風狂。

とはいっても、男子たるもの、元気に働ける壮年の時は二度とないのであるから、我々にとって、人生百年の中で今を考えれば旋風が一掃する位の事だ、だから友人たちのようにせっせと旅行して見聞を広め、廣い交際を求めることが良いことなのだ。
高爵尚可求,無為守一

そして、君はこれからまだ中央朝廷の高い地位をも望めるひとであるから、一つの土地、地方の組織に固執することのないようにしなくてはいけない。したがってこの別れも辛いことではあるが、これも君の為であるから、この旅行が上手くいくことを願い次第である。 
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17

蕭條たり千万里、会合 安くんぞ逢う可けん。

涯の水 舒舒たり、楚山 直に 叢叢たり。

子 又た我を捨てて去る、我が懐 篤くにか窮まる所。

男児 再びは壮ならず、百歳 風狂の如し。

高爵 尚お求む可し、一郷を守るを為す無かれ。

  
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『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文)  -17

蕭條千萬里,會合安可逢。

淮之水舒舒,楚山直叢叢。

子又捨我去,我懷焉所窮。

男兒不再壯,百如風狂。

高爵尚可求,無為守一

 

(下し文) 17

蕭條たり千万里、会合 安くんぞ逢う可けん。

涯の水 舒舒たり、楚山 直に 叢叢たり。

子 又た我を捨てて去る、我が懐 篤くにか窮まる所。

男児 再びは壮ならず、百歳 風狂の如し。

高爵 尚お求む可し、一郷を守るを為す無かれ。

 

(現代語訳)

蕭条として千万里を隔てているので、消息を通わすすべもなく、会いたいと思っても顔をあわすことができるはずもない。

准河の水はゆるやかにゆったりと流れ、楚の国の山々は切り立ったようにそびえて、草木の茂みはこんもり茂っている。
そういうところへ、つぎに君がまた私を置いて出て行ってしまったら、我が悲しい思いは、なにごとにおいても窮まることはできないくらいだ。
とはいっても、男子たるもの、元気に働ける壮年の時は二度とないのであるから、我々にとって、人生百年の中で今を考えれば旋風が一掃する位の事だ、だから友人たちのようにせっせと旅行して見聞を広め、廣い交際を求めることが良いことなのだ。

そして、君はこれからまだ中央朝廷の高い地位をも望めるひとであるから、一つの土地、地方の組織に固執することのないようにしなくてはいけない。したがってこの別れも辛いことではあるが、これも君の為であるから、この旅行が上手くいくことを願い次第である。 
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(訳注)

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

蕭條千萬里,會合安可逢。
蕭条として千万里を隔てているので、消息を通わすすべもなく、会いたいと思っても顔をあわすことができるはずもない。

○蕭條 ひっそりとしてもの寂しいさま。
  
淮之水舒舒,楚山直叢叢。
准河の水はゆるやかにゆったりと流れ、楚の国の山々は切り立ったようにそびえて、草木の茂みはこんもり茂っている。
 淮河は、黄河と長江の間を東西に流れている。その下流は平坦な低地を通っており、流路が複雑なため洪水を起こしやすく非常に治水が難しい。古くは「河」が黄河の固有名詞であったので、淮水と呼んだ。

○舒舒 ゆっくりしたさま。しずかなさま。

楚山 淮水流域の山々。ここでは、韓愈の住んでいる徐州の地方の山々。

叢叢 草木のたくさん集まっているさま。草が群がり生えているさま。
  
子又舍我去,我懷焉所窮。
そういうところへ、つぎに君がまた私を置いて出て行ってしまったら、我が悲しい思いは、なにごとにおいても窮まることはできないくらいだ。
  
男兒不再壯,百如風狂。
とはいっても、男子たるもの、元気に働ける壮年の時は二度とないのであるから、我々にとって、人生百年の中で今を考えれば旋風が一掃する位の事だ、だから友人たちのようにせっせと旅行して見聞を広め、廣い交際を求めることが良いことなのだ。
風狂 古くから伝わっている古風な流れにこだわっていくこと。旋風が一掃するようなこと。人生百年の中で今を考えれば旋風が一掃する位の事だ、だから友人たちのようにせっせと旅行して見聞を広め、廣い交際を求めることが良いことなのだ。
  
高爵尚可求,無爲守一。」14
そして、君はこれからまだ中央朝廷の高い地位をも望めるひとであるから、一つの土地、地方の組織に固執することのないようにしなくてはいけない。したがってこの別れも辛いことではあるが、これも君の為であるから、この旅行が上手くいくことを願い次第である。 
高爵 中央の朝廷での高い地位。

 一つの土地に固執すること。若い時は地方の幕府で下働きをし、認められて中央に引き上げられるもの。