韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -8)§3-3そこでまた自分で疑って思った、試験の答案と、及第した者とは、其の程度が同じくなかったのであろうか、と。しかし、それを手に入れて観た時には、私もまた甚しくは愧じることなどなかったのである。

 

 
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29-§3-3 《讀巻03-12 答崔立之書 -8)§3-3》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1262 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5294韓愈詩-29-§3-3

 

 

§3-1

聞吏部有以博學宏詞選者,人尤謂之才,

吏部に博学宏辞の科を以て選ばれるものがあり、人々はこれを才子であるという。

且得美仕,就求其術,或出所試文章。

また立沢な仕官を得ると聞いて、行ってその方法を尋ねると、或る人が試験した文章を出して見せた。

亦禮部之類,私怪其故,然猶樂其名,

そこで心中で、何故博学宏辞といって尊重するのかを疑わしく思ったけれども、しかしやはりその博学宏辞の名を欲しいと思った。

因又詣州府求舉,

困ってまた州の役所に行って挙げられて試験に応じたいと求めた。

-2

凡二試於吏部,一既得之,而又黜於中書,

凡そ二度吏部で試験されて、一度はすでに及第したけれども、しかしまたもや中書省で退けられた。

雖不得仕,人或謂之能焉。

仕えることはできなかったのではあるけれども、或る人は、これでも才能ある者というのである。

退因自取所試讀之。

退けられた原因をつかもうとし、自分ひとりになって試験されて書いた文書を取って読んでみたのである。

乃類於俳優者之辭,顏忸怩而心不寧者數月。

俳優などが君主に迎合阿諛する文章、辞に似ているので、顔もはずかしくて心も不安に思うこと数ケ月であった。

-3

既已為之,則欲有所成就,《書》所謂恥過作非者也。

やがて受験をするとなると、成功する所があって欲しいと思った。『書経』にいうところの、過ちを恥じていながら、その間違ったことをするのであった。

因複求舉,亦無幸焉,

因ってまた挙げられるように求めたけれども、また幸いはなかった。

乃複自疑,以為所試與得之者,不同其程度,

そこでまた自分で疑って思った、試験の答案と、及第した者とは、其の程度が同じくなかったのであろうか、と。

及得觀之,餘亦無甚愧焉。

しかし、それを手に入れて観た時には、私もまた甚しくは愧じることなどなかったのである。

 

§3-1

吏部に博學宏詞を以て選ばるる者有りと聞く,人 尤も之を才と謂う。

且つ美仕を得,就いて其の術を求むれば,或いは試みる所の文章を出だす。

亦た禮部の類なり,私【ひそか】に其の故を怪み,然れども猶お其の名を樂【ねが】う,

因って又た 州府に詣【いた】りて舉げられんことを求む。

-2

凡そ二たび吏部に試されて,一たび既に之を得られたが,而も又た中書に黜【しりぞ】けらる。

仕えるを得らざると雖も,人は或いは之を能と謂う。

退いて因自ら試みる所を取って 之れを讀む。

乃ち俳優者の辭に類し,顏 忸怩【じくじ】として 心 寧【やす】んぜざる者數月なり。

-3

既已に之を為せば,則ち成就する所有らんと欲し,《書》に所謂【いわゆる】過【あやまち】を恥じて非を作す者なり。

因って複た舉られんことを求めしも,亦た幸いは無からん,

乃ち複た自ら疑って,以為【おもえ】らく試みる所と之れを得る者と,其の程度を同じくせざるか と。

之れを觀るを得るに及んで,餘も亦た甚だしくは愧ずる無し。

 

辟雍00 

『答崔立之書』-8)§3-3現代語訳と訳註解説 -3

(本文)

既已為之,則欲有所成就,《書》所謂恥過作非者也。

因複求舉,亦無幸焉,

乃複自疑,以為所試與得之者,不同其程度,

及得觀之,餘亦無甚愧焉。

 

(下し文)

既已に之を為せば,則ち成就する所有らんと欲し,《書》に所謂【いわゆる】過【あやまち】を恥じて非を作す者なり。

因って複た舉られんことを求めしも,亦た幸いは無からん,

乃ち複た自ら疑って,以為【おもえ】らく試みる所と之れを得る者と,其の程度を同じくせざるか と。

之れを觀るを得るに及んで,餘も亦た甚だしくは愧ずる無し。

 

(現代語訳)

やがて受験をするとなると、成功する所があって欲しいと思った。『書経』にいうところの、過ちを恥じていながら、その間違ったことをするのであった。

因ってまた挙げられるように求めたけれども、また幸いはなかった。

そこでまた自分で疑って思った、試験の答案と、及第した者とは、其の程度が同じくなかったのであろうか、と。

しかし、それを手に入れて観た時には、私もまた甚しくは愧じることなどなかったのである。

 

太白山001 

(訳注) -8)§3-3

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366

 

既已為之,則欲有所成就,《書》所謂恥過作非者也。

既已に之を為せば,則ち成就する所有らんと欲し,《書》に所謂【いわゆる】過【あやまち】を恥じて非を作す者なり。

やがて受験をするとなると、成功する所があって欲しいと思った。『書経』にいうところの、過ちを恥じていながら、その間違ったことをするのであった。

○《書》所謂 『書経』説命中篇に謂う所の「過を恥ぢて非を作すこと無かれ」という教えにそむく。

 

因複求舉,亦無幸焉。

因って複た舉られんことを求めしも,亦た幸いは無からん,

因ってまた挙げられるように求めたけれども、また幸いはなかった。

 

乃複自疑,以為所試與得之者,不同其程度。

乃ち複た自ら疑って,以為【おもえ】らく試みる所と之れを得る者と,其の程度を同じくせざるか と。

そこでまた自分で疑って思った、試験の答案と、及第した者とは、其の程度が同じくなかったのであろうか、と。

○程度 出来ぐあい。上手・下手の程合い。

 

及得觀之,餘亦無甚愧焉。

之れを觀るを得るに及んで,餘も亦た甚だしくは愧ずる無し。

しかし、それを手に入れて観た時には、私もまた甚しくは愧じることなどなかったのである。

 

○無甚愧焉 蕪しくこれに愧じることはない。