韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -9)§4-1》 誠に古のすぐれひいでた人物である、屈原・孟輌・司馬遷・司馬相加・揚雄らの仲間のような人々を、この博学宏詞辞科の選試験に進み、応じさせるならば、その試験官である博学者たちが恥ずかしい思いをするのは必定である。

 
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29-§4-1 《讀巻03-12 答崔立之書 -9)§4-1》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1263 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5299
韓愈詩-29-§4-1

 

 

§4-1

夫所謂博學者,豈今之所謂者乎?

かのいわゆる五子の儒者の博学とは、どうして今のいうところの博学であろうか。

夫所謂宏詞者,豈今之所謂者乎?

かのいわゆる宏詞辞とは、どうして今のいうところの宏詞辞であろうか。今の博学宏辞というのは有名無実、その実体は誠に低級なものである。

誠使古之豪傑之士,若屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄之徒,進於是選,必知其懷慚?

誠に古のすぐれひいでた人物である、屈原・孟輌・司馬遷・司馬相加・揚雄らの仲間のような人々を、この博学宏詞辞科の選試験に進み、応じさせるならば、その試験官である博学者たちが恥ずかしい思いをするのは必定である。

乃不自進而已耳

すなわち、こんな博学者が試験官であれば、自ら進んで受験しないであろうことは必ずわかり切っている。

-2

設使與夫今之善進取者,競於蒙昧之中,仆必知其辱焉。然彼五子者,且使生於今之世,其道雖不顯於天下,其自負何如哉!肯與夫鬥筲者決得失於一夫之目,而為之憂樂哉!

 

§4-1

夫の所謂る博學の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

夫の所謂る宏詞の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

誠に古えの豪傑の士,屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄も徒の若きをして,是の選に進ま使めば,必ず知其の慚を懷かんや?

乃ち自ら進まざるを已のみ。

-2

設し夫の今の善く進取する者と,蒙昧の中に競は使めば,仆 必ず其の辱めらるるを知る。

然れども、彼の五子の者,且りに今の世に於て生れ使む,

其の道 天下に於て顯れずと雖も,其の自負 何如んぞ哉!

肯て夫の鬥筲の者と得失を於一夫の目に決して,而して之が憂樂を為さんや哉!

 

 

『答崔立之書』-7)§4-1現代語訳と訳註解説 §4-1 (本文)

夫所謂博學者,豈今之所謂者乎?

夫所謂宏詞者,豈今之所謂者乎?

誠使古之豪傑之士,若屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄之徒,進於是選,必知其懷慚?

乃不自進而已耳。

 

(下し文) §4-1

夫の所謂る博學の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

夫の所謂る宏詞の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

誠に古えの豪傑の士,屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄も徒の若きをして,是の選に進ま使めば,必ず知其の慚を懷かんや?

乃ち自ら進まざるを已のみ。

 

(現代語訳)

かのいわゆる五子の儒者の博学とは、どうして今のいうところの博学であろうか。

かのいわゆる宏詞辞とは、どうして今のいうところの宏詞辞であろうか。今の博学宏辞というのは有名無実、その実体は誠に低級なものである。

誠に古のすぐれひいでた人物である、屈原・孟輌・司馬遷・司馬相加・揚雄らの仲間のような人々を、この博学宏詞辞科の選試験に進み、応じさせるならば、その試験官である博学者たちが恥ずかしい思いをするのは必定である。

すなわち、こんな博学者が試験官であれば、自ら進んで受験しないであろうことは必ずわかり切っている。

 

(訳注) §4-1

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366 
 

夫所謂博學者,豈今之所謂者乎?

夫の所謂る博學の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

かのいわゆる五子の儒者の博学とは、どうして今のいうところの博学であろうか。

 

夫所謂宏詞者,豈今之所謂者乎?

夫の所謂る宏詞の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

かのいわゆる宏詞辞とは、どうして今のいうところの宏詞辞であろうか。今の博学宏辞というのは有名無実、その実体は誠に低級なものである。

 

誠使古之豪傑之士,若屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄之徒,進於是選,必知其懷慚?

誠に古えの豪傑の士,屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄も徒の若きをして,是の選に進ま使めば,必ず知其の慚を懷かんや?

誠に古のすぐれひいでた人物である、屈原・孟輌・司馬遷・司馬相加・揚雄らの仲間のような人々を、この博学宏詞辞科の選試験に進み、応じさせるならば、その試験官である博学者たちが恥ずかしい思いをするのは必定である。

屈原 戦国時代の楚の政治家、詩人。姓は羋、氏は屈。諱は平または正則。字が原。春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。

孟軻 孟子は戦国時代中国の儒学者。姓は不詳、氏は孟、諱は軻、字は子輿。亜聖とも称される。孟子の「子」とは先生というほどの意。儒教では孔子に次いで重要な人物であり、そのため儒教は別名「孔孟の教え」とも呼ばれる。 あるいはその言行をまとめた書『孟子』。性善説を主張し、仁義による王道政治を目指した。

司馬遷 前漢時代の歴史家で、『史記』の著者。 姓は司馬。名は遷、字は子長。周代の記録係である司馬氏の子孫で、太史令の司馬談を父に持つ。太初暦の制定や、通史『史記』の執筆などの業績がある。

相如 前漢の頃の文章家である。蜀郡成都の人。字は長卿。名は、もと犬子と言った。 賦の名人として知られ、武帝に仕え、その才能を高く評価された。また妻である卓文君との恋愛も有名である。

揚雄 前漢時代末期の文人、学者。現在の四川省に当たる蜀郡成都の人。字は子雲。また楊雄とも表記する。

 

乃不自進而已耳

乃ち自ら進まざるを已のみ。

すなわち、こんな博学者が試験官であれば、自ら進んで受験しないであろうことは必ずわかり切っている。