韓愈§4-1《讀巻03-09 與孟東野書 -6李習之(李翺)は私の亡兄の娘をめとることになった。その期日は来月にあり、その上、朝から夕までのうちに当然ここに来るにちがいない。張籍は和州にいて喪に服している。家は甚だ貧しい。

 

 
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34-06§4-1 《讀巻03-09 與孟東野書 -6》韓愈(韓退之)ID  801年貞元17 35歳<1305 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5509
韓愈詩-34-06§4-1

 

 

 

§3-#1

去年春,脱汴州之亂,幸不死,

去年の春に、汴州の乱をのがれて、幸いに死ななかった。

無所於歸,遂來於此。

落ち着く所も無かったので、そのままここに来た。

主人與吾有故,

この徐州の主人は、節度使、張建封で私ともとからの知り合いの関係があった。

哀其窮,居吾於符離睢上。

私の窮しているのを哀れんで、私を符離の睢水という川のほとりに居らせた。

§3-#2

及秋,將辭去,

秋になって辞し去ろうとした。

因被留以職事,

そうしたが、ついでに節度使府の職務を以て留められた。

默默在此,行一年矣。

その後黙々としてここにいることが、もう一年になろうとしている。

到今年秋,聊複辭去,

今年の秋になったら、しばらくまた辞し去るであろう。

江湖餘樂也,

三江五湖の遠い桃源郷に、自由に生きるのが、私の楽しみである。

與足下終,幸矣!

足下と共に江湖に終わるならば、幸いである。

 

§3-#1

去年の春、汴州の乱を脱して、幸に死せず。

歸するに所無く、遂に此に来る。

主人吾と故有り、

其の窮を哀んで、吾を符離の睢上に居けり。

§3-#2

秋に及んで将に辞し去らんとす。

因って甫むるに職事を以てせらる。

点々として此に在ること、行に一年。

今年の秋に到らば、聊か復新し去らん。

江湖は余が樂なり。

足下と終らば、幸なり。

 

§4-#1

李習之娶吾亡兄之女,

李習之(李翺)は私の亡兄の娘をめとることになった。

期在後月,朝夕當來此。

その期日は来月にあり、その上、朝から夕までのうちに当然ここに来るにちがいない。

張籍在和州居喪,家甚貧。

張籍は和州にいて喪に服している。家は甚だ貧しい。

恐足下不知,故具此白,

恐らく足下は知らないだろうから、それ故詳しくここに申したのである。

冀足下一來相視也。

どうか、足下も一度来て会ってみられよ。

§4-#2

自彼至此雖遠,要皆舟行可至,速圖之,吾之望也。

春且盡,時氣向熱,惟侍奉吉慶。

愈眼疾比劇,甚無聊,不複一一。愈再拜。

§4-#1

李習之吾が亡兄之女を娶る,

期 後月に在り,朝夕に當に此に來り。

張籍 和州に在り喪に居り,家 甚だ貧し。

恐らくは足下 知らざらん,故に具【つぶさ】に此に白す。

冀【こいねが】わくば足下 一たび來って相い視んことを。

§4-#2

彼より此に至る遠しと雖も,要するに皆 舟行 至る可し。

速かに之を圖れり,吾の望なり。

春 且【まさ】に盡んとし,時に氣 熱に向う。

惟だ 侍 奉吉慶。

愈が眼疾 比のごろ劇,甚 無聊【むりょう】,複た一一せず。愈 再拜す。

Ta唐 長安近郊圖  新02洛陽 函谷関002 

『與孟東野書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§4-#1

李習之娶吾亡兄之女,

期在後月,朝夕當來此。

張籍在和州居喪,家甚貧。

恐足下不知,故具此白,

冀足下一來相視也。

 

(下し文) §4-#1

李習之吾が亡兄之女を娶る,

期 後月に在り,朝夕に當に此に來り。

張籍 和州に在り喪に居り,家 甚だ貧し。

恐らくは足下 知らざらん,故に具【つぶさ】に此に白す。

冀【こいねが】わくば足下 一たび來って相い視んことを。

(現代語訳)
李習之(李翺)は私の亡兄の娘をめとることになった。

その期日は来月にあり、その上、朝から夕までのうちに当然ここに来るにちがいない。

張籍は和州にいて喪に服している。家は甚だ貧しい。

恐らく足下は知らないだろうから、それ故詳しくここに申したのである。

どうか、足下も一度来て会ってみられよ。

函谷関002

(訳注) §4-#1

(孟東野に興ふる書)

 孟東野(751 - 814)、名は郊、湖州武康の人。若くして常山に隠れて出ず、性質は孤独で人と合わなかったが、韓愈と一たび会って親交を結んで、その教えを受けた。五十歳で深陽の尉となったが、日々詩を作って仕事をせず、事務か滞ったという。卒して貞曜先生という。巻六に 「貞陪先生墓誌銘」がある。

この文は、韓愈が徐州の役所にあって、打ちあけて語れる人がいないので、昔の孟郊との交遊を想起して、書いた手紙「與孟東野書」である。

 

李習之娶吾亡兄之女,

李習之は私の亡兄の娘をめとることになった。

李習之 李 翺(り こう、772 – 841年)は、唐代中国の文人。字は習之。西涼の武昭王李暠の子孫とも、北魏の尚書左僕射であった李沖の10世の孫とも伝えられる。                                       

・汴州陳留(現在の河南省開封市)人で、本貫は隴西狄道(現在の甘粛省定西市臨洮県)である。                           

・貞元14年(798年)に進士となる。元和年間の初めに国子博士に任命され、元和15年(820年)に史館修撰となり考功員外郎と兼任する。後に朗州と廬州刺史へと左遷され、大和元年(826年)に文宗が即位すると入朝して諫議大夫となり、すぐに知制誥に復帰する。大和7年(833年)に潭州刺史、大和9年(835年)から湖南視察使・検校戸部尚書・襄州刺史・山南東道節度使を経て襄陽(または会昌中鎮)に赴任中に没した。諡は文公。                           

・李は韓愈の高弟であり、士を好むところが似ていた。人に一善一能ある時は必ず賞賛し、賢者を推挙する機会を常に求めていたという。                    

・朱伯崑は、「人性本善」という発想は李翺の『復性書』に始まると指摘する。韓愈から排仏の主張を受けついではいるが、彼自身の中では仏教と道教の思想を融合し、むしろ禅宗の達観に接近している。薬山惟儼禅師に贈った詩もあるが、難解で観念的な作品である。                        

・若い頃は皇甫湜とともに韓愈の文章に学ぶ。皇甫湜が韓愈の奇抜な一面を表すのに対し、李翺はその平易な一面を代表するといわれた。ちなみに李翺は韓愈の生前に墓碑銘を委嘱されている。著作は『李文公文集』にまとめられている。                           

24-9 《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1223 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5099

送李翺 韓退之(韓愈)詩<89>Ⅱ中唐詩486 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1537

送李六協律歸荊南【李】 

○亡兄 名は弇。

 

期在後月,朝夕當來此。

その期日は来月にあり、その上、朝から夕までのうちに当然ここに来るにちがいない。

○朝夕 朝から夕方、一日かからないうちの時間。

 

張籍在和州居喪,家甚貧。

張籍は和州にいて喪に服している。家は甚だ貧しい。

○張籍 字は文昌。和州烏江(安徽省)あるいは東郡(河南省)の人といわれる。貞元15(799)の進士で国子司業などをつとめる。韓愈の門下のひとり。とりわけ楽府(がふ)に長じ,僚友の王建の作とともに〈張王楽府〉と並称される。官僚としては不遇だった彼には〈征婦怨〉や〈築城詞〉など民衆の苦痛を訴え,為政者を批判する作品が多く,その点杜甫,元結の詩風を受け継ぎ,同時代の大詩人で友人でもあった白居易が絶賛している。

このブログに掲載の張籍の詩。

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雨中寄張博士籍、侯主簿喜

早春與張十八博士籍遊楊尚書林亭,寄第三閣老兼呈白馮二閣老

同水部張員外籍曲江春遊,寄白二十二舍人

早春呈水部張十八員外,二首之一

早春呈水部張十八員外,二首之二

玩月喜張十八員外以王六祕書至【案:王六,王建也。】

與張十八同效阮步兵一日復一夕

 

○和州 安徽省にある。

 

 

恐足下不知,故具此白,

恐らく足下は知らないだろうから、それ故詳しくここに申したのである。

 

冀足下一來相視也。

どうか、足下も一度来て会ってみられよ。