韓愈《讀巻03-09 與孟東野書 -7ただお大切になされてお仕合わせになることをねがう。私、韓愈は、このごろ眼病がむやみと激しくなって、またいちいち詳しくは記せないのです。韓愈は再拝いたす。

 

 

34-07§4-2 《讀巻03-09 與孟東野書 -7》韓愈(韓退之)ID  801年貞元17 35歳<1306 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5514

韓愈詩-34-07§4-2

 

 

《讀巻03-09 與孟東野書》

與孟東野書

(孟東野に興ふる書)

§1-#1

與足下久矣,以吾心之思足下,知足下懸懸於吾也。

足下と別れてから久しくなる。私の心が足下を思うことを以て、足下も心に懸けて思っておられることがわかる。

各以事牽,不可合並,

けれども二人とも各々仕事のために牽かれて一緒になることができない。

其於人人,非足下之爲見

他の人々においては、足下の物の見方と同じではない。

而日與之處,足下知吾心樂否也。

しかもそれらの人々と共に居るのである。足下は私が心から楽しんでいるか、どうかがわかるであろうか。

《讀巻03-09 與孟東野書 -3

§1-#2

吾言之而聽者誰歟?

私が物を言っても、聴く者は誰であろうか。

吾倡之而和者誰歟?

私が詩を唱っても、これに答える人は誰であろうか。

言無聽也,倡無和也,

物を言っても聴く者がない。詩を唱っても和する者がない。

獨行而無徒也,是非無所與同也,足下知吾心樂否也

独り事を行って仲間がいない。是も非も自分と一致する者がいないのである。足下は私の心が楽しむか、楽しまないかがわかるであろうか。

 

§1-#1

足下と別るること久し。吾が心の足下を思ふを以て、足下も吾に懸懸たるを知るなり。

各と事を以て牽かれて合井す可からず。

其の人人に於ける、足下の鬼を為すに非ず。

而して日七に之と盛る。足下吾が心の欒否を知るや。

§1-#2

吾之を言ひて、聴く者は誰ぞや。

吾之を唱へて、和する者は誰そや。

言へども聴く無きなり。唱ふれども和する無きなり。

猪行して徒無きなり。是非輿に同じうする所無きなり。足下吾が心の欒否を知るや。

 

§2-#1

足下才高氣清,行古道,處今世

足下は、才能は高くすぐれ、気持ちは清らかで、古人の道を行って、今の世に住んでいる。

無田而衣食,事親左右無違。

耕作すべき田もなくて、やっと衣食している。貧窮のうちにも親につかえて左に右に、何くれとなく心を配り、孝行の道に違わない。

足下之用心勤矣。

足下は心を用いることにまことに努力しておられる。

足下之處身勞且苦矣。

足下が身をこの世に置くには、まことに苦労しておられる。

混混與世相濁,獨其心追古人而從之。

混沌と世と共に濁りながらも、その心はひとり古人を追い慕ってその道に従っている。

足下之道,其使吾悲也。

足下の生き方は、それこそ私を悲しませるのである。

 

足下 才高く 氣清し,古道を行いて,今世に處る。

田無くして 衣食し,親に事えて左右違うこと無し。

足下 之の心を用うること勤めたり。

足下 之の身を處する 勞して且つ苦めり。

混混として 世と相い濁り,獨り其の心 古人を追いて之に從う。

足下 之れ道なり,其れ吾を使て 悲しましむ也。

 

§3-#1

去年春,脱汴州之亂,幸不死,

去年の春に、汴州の乱をのがれて、幸いに死ななかった。

無所於歸,遂來於此。

落ち着く所も無かったので、そのままここに来た。

主人與吾有故,

この徐州の主人は、節度使、張建封で私ともとからの知り合いの関係があった。

哀其窮,居吾於符離睢上。

私の窮しているのを哀れんで、私を符離の睢水という川のほとりに居らせた。

§3-#2

及秋,將辭去,

秋になって辞し去ろうとした。

因被留以職事,

そうしたが、ついでに節度使府の職務を以て留められた。

默默在此,行一年矣。

その後黙々としてここにいることが、もう一年になろうとしている。

到今年秋,聊複辭去,

今年の秋になったら、しばらくまた辞し去るであろう。

江湖餘樂也,

三江五湖の遠い桃源郷に、自由に生きるのが、私の楽しみである。

與足下終,幸矣!

足下と共に江湖に終わるならば、幸いである。

 

§3-#1

去年の春、汴州の乱を脱して、幸に死せず。

歸するに所無く、遂に此に来る。

主人吾と故有り、

其の窮を哀んで、吾を符離の睢上に居けり。

§3-#2

秋に及んで将に辞し去らんとす。

因って甫むるに職事を以てせらる。

点々として此に在ること、行に一年。

今年の秋に到らば、聊か復新し去らん。

江湖は余が樂なり。

足下と終らば、幸なり。

 

§4-#1

李習之娶吾亡兄之女,

李習之(李翺)は私の亡兄の娘をめとることになった。

期在後月,朝夕當來此。

その期日は来月にあり、その上、朝から夕までのうちに当然ここに来るにちがいない。

張籍在和州居喪,家甚貧。

張籍は和州にいて喪に服している。家は甚だ貧しい。

恐足下不知,故具此白,

恐らく足下は知らないだろうから、それ故詳しくここに申したのである。

冀足下一來相視也。

どうか、足下も一度来て会ってみられよ。

§4-#2

自彼至此雖遠,要皆舟行可至,

そちらから当地まで遠くても、要するに舟旅で来れるのである。

速圖之,吾之望也。

速くその計画をしなさい。それは私の望みである。

春且盡,時氣向熱,

春は尽きようとしていて、気候は熱さに向かうのだから、

惟侍奉吉慶。

ただお大切になされてお仕合わせになることをねがう。

愈眼疾比劇,甚無聊,不複一一。愈再拜。

私、韓愈は、このごろ眼病がむやみと激しくなって、またいちいち詳しくは記せないのです。韓愈は再拝いたす。

§4-#1

李習之吾が亡兄之女を娶る,

期 後月に在り,朝夕に當に此に來り。

張籍 和州に在り喪に居り,家 甚だ貧し。

恐らくは足下 知らざらん,故に具【つぶさ】に此に白す。

冀【こいねが】わくば足下 一たび來って相い視んことを。

§4-#2

彼より此に至る遠しと雖も,要するに皆 舟行 至る可し。

速かに之を圖れり,吾の望なり。

春 且【まさ】に盡んとし,時に氣 熱に向う。

惟だ 侍 奉吉慶。

愈が眼疾 比のごろ劇,甚 無聊【むりょう】,複た一一せず。愈 再拜す。

 

『與孟東野書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§4-#2

自彼至此雖遠,要皆舟行可至,速圖之,吾之望也。

春且盡,時氣向熱,惟侍奉吉慶。

愈眼疾比劇,甚無聊,不複一一。愈再拜。


(下し文)
§4-#2

彼より此に至る遠しと雖も,要するに皆 舟行 至る可し。

速かに之を圖れり,吾の望なり。

春 且【まさ】に盡んとし,時に氣 熱に向う。

惟だ 侍 奉吉慶。

愈が眼疾 比のごろ劇,甚 無聊【むりょう】,複た一一せず。愈 再拜す。

(現代語訳)
そちらから当地まで遠くても、要するに舟旅で来れるのである。

速くその計画をしなさい。それは私の望みである。

春は尽きようとしていて、気候は熱さに向かうのだから、

ただお大切になされてお仕合わせになることをねがう。

私、韓愈は、このごろ眼病がむやみと激しくなって、またいちいち詳しくは記せないのです。韓愈は再拝いたす。



(訳注) §4-#2

(孟東野に興ふる書)

 孟東野(751 - 814)、名は郊、湖州武康の人。若くして常山に隠れて出ず、性質は孤独で人と合わなかったが、韓愈と一たび会って親交を結んで、その教えを受けた。五十歳で深陽の尉となったが、日々詩を作って仕事をせず、事務か滞ったという。卒して貞曜先生という。巻六に 「貞陪先生墓誌銘」がある。

この文は、韓愈が徐州の役所にあって、打ちあけて語れる人がいないので、昔の孟郊との交遊を想起して、書いた手紙「與孟東野書」である。

 

自彼至此雖遠,要皆舟行可至,

そちらから当地まで遠くても、要するに舟旅で来れるのである。

○彼 孟郊の居た湖州(浙江省)武康。

 

速圖之,吾之望也。

速くその計画をしなさい。それは私の望みである。

 

春且盡,時氣向熱,

春は尽きようとしていて、気候は熱さに向かうのだから、

 

惟侍奉吉慶。

ただお大切になされてお仕合わせになることをねがう。

 

愈眼疾比劇,甚無聊,不複一一。愈再拜。

私、韓愈は、このごろ眼病がむやみと激しくなって、またいちいち詳しくは記せないのです。韓愈は再拝いたす。