韓愈《讀巻04-14 送孟東野序 -(3)§1-3》 金(鐘)・石(磬)・糸(絃楽器)・竹(管楽器)・匏(ひさご瓜のふえ)・土(つちぶえ)・革(鼓)・木(木琴や敔の類)の八つのものは、器物の中で最も善く鳴るものである。

 
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35-(3) 《讀巻04-14 送孟東野序 -(3)§1-3》韓愈(韓退之)ID  801年貞元17 35歳<1309 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5529

韓愈詩-35-(3)

 

孟郊は、貞元十五年七九九春、汴州をはなれて蘇州各地をめぐり、十六年、五十歳で、はじめて溧陽県の尉に任命され赴任した。溧陽は、いまの江蘇省の南京から約百キロメートル東南のまちで、尉は、警察部長にあたる。県令の季操は官僚肌の男で、孟郊の学問や詩業など眼中になかった。孟郊は、老いた母親まで呼びよせて、しばらく落ちつくつもりだったが、805年永貞元年ついに母を常州の属邑義興にうつし、元和元年、職をもとめて、単身、長安に上って来た。韓愈が帰って来たときには、ほぼ新しい職のめどもついていたのである。

かれらにとっては、四、五年ぶりの再会であった。話題が豊富であった。ほとんど毎晩のように寄り合い、酒をくみ、別れていた間の出来事を語りあい、詩をよせあった。そして、多くの聯句を残した。

 

 

《讀巻04-14 送孟東野序》

送孟東野序   (1)§1-1

(江蘇省の溧陽県の尉となって赴任する孟東野に不平の心があるのを慰めるために、この序を贈った。)

大凡物不得其平則鳴。

およそ物は平常の状態を得ないときには鳴る。

草木之無聲,風撓之鳴;

草木のように声のないものでも、風がこれをたわませると鳴る。

水之無聲,風蕩之鳴。

水のように声の無いものも風がこれをゆり動かせば鳴る。

其躍野,或激之;

水が躍り上がるのは、水が流れゆく、往く手にものがあってこれに打ち当たるためである。

其趨也,或梗之;

水が急にとび出すのは、これを梗(ふさ)ぐものがあるからである。

其沸也,或炙之。

水が沸きたぎるのは、これを火にあぶり熱するものがあるからである。

 (2)§1-2

金石之無聲,或擊之鳴;

金や石の声のないものも、これを打つことあれば鳴るのである。

人之於言也亦然。

人間の言語の場合もまたそうである。

有不得已者而後言,

心に平常の状態を失って、やめることができないわけがあって、その後、はじめてものをいうのである。

其謌也有思,其哭也有懷。

人が歌うのは心に思い求めるものがあるからである。人が声をあげて泣くのは、心に慕わしく思うことがあるからである。

凡出乎口而為聲者,其皆有弗平者乎?

およそ口から音声をなすのは、それはみな心に平らかでないものがあるのであろうかと思う。

 (3)§1-3

樂也者,鬱於中而泄於外也,

音楽というものは、情が心中にふさがって、それが外にもれるものである。

擇其善鳴者,而假之鳴。

その場合、善く鳴る楽器を択んで、これを借りて鳴り、表現するのである。

金、石、絲、竹、匏、土、革、木八者,物之善鳴者也。

金(鐘)・石(磬)・糸(絃楽器)・竹(管楽器)・匏(ひさご瓜のふえ)・土(つちぶえ)・革(鼓)・木(木琴や敔の類)の八つのものは、器物の中で最も善く鳴るものである。

(4)§1-4

維天之於時也亦然,擇其善鳴者而假之鳴;是故以鳥鳴春,以雷鳴夏,以蟲鳴秋,以風鳴冬。四時之相推,其必有不得其平者乎!

 

(5)§2-1

其於人也亦然,人聲之精者為言;文辭之於言,又其精也,尤擇其善鳴者而假之鳴。

其在唐虞,咎陶、禹其善鳴者也,而假以鳴。夔弗能以文辭鳴,又自假於韶以鳴。

(6)§2-2

夏之時,五子以其歌鳴。伊尹鳴殷,周公鳴周。凡載於詩書六藝,皆鳴之善者也。周之衰,孔子之徒鳴之,其聲大而遠。傳曰:「天將以夫子為木鐸。」其弗信矣以乎!

 

 

(7)§3-1

其末也,莊周以其荒唐之辭鳴。楚大國也,其亡也以屈原鳴。臧孫辰、孟軻、荀卿,以道鳴者也。楊朱、墨翟、管夷吾、晏嬰、老聃、申不害、韓非、慎到、田駢、鄒衍、尸佼、孫武、張儀、蘇秦之屬,皆以其術鳴。

(8)§3-2

秦之興,李斯鳴之。漢之時,司馬遷、相如、揚雄,最其善鳴者也。其下魏晉氏,鳴者不及於古,然亦未嘗也。

(9)§3-3

就其善者,其聲清以浮,其節數以急,其辭淫以哀,其志弛以肆。其為言也,亂雜而無章,將天醜其德,莫之顧耶?何為乎不明其善鳴者也?

 

(10)§4-1

唐之有天下,陳子昂、蘇源明、元結、李白、杜甫、李觀,皆以其所能鳴。其存而在下者,孟郊東野始以其詩鳴。其高出魏晉,不懈而及於古,其他浸淫乎漢氏矣。

(11)§4-2

從吾遊者,李、張籍其尤也。三子者之鳴信善矣,抑不知天將和其聲,而使鳴國家之盛耶?抑將窮餓其身,思愁其心腸,而使自鳴其不幸耶?

(12)§4-3

三子者之命,則懸乎天矣。其在上也,奚以喜?其在下也,奚以悲?

東野之役於江南野,有若不釋然者,故吾道其命於天者以解之。

 

(1)§1-1

大凡そ物其の平を得ざれは則ち鳴る。

草木の聲無きも、風之を撓ませば鳴る。

水の聾無きも、風之を蕩せば鳴る。

其の躍るや之を激す或ればなり。

共の趨るや之を梗ぐ或ればなり。

其の沸くや之を炙る或ればなり。

 

(2)§1-2

金石の聾無きも、之を撃つ或れは鳴る。

人の言に於けるや亦然り。

已むを得ざる者有って而る後に言ふ。

其の歌ふや思ふこと有ればなり。

其の突するや懐ふこと有ればなり。

凡そ口より肝でて聾を馬す者は、其れ皆平かならざる者有るか。

 

(3)§1-3

欒なる者は、中に鬱がつて外に泄るる者なり。

其の善く鳴る者を拝んで、之を慣りて鳴る。

金・石・蘇・竹・鞄・土・草・木の八つの者は、物の善く鳴る者なり。

 

(4)§1-2

維れ天の時に於けるや亦然り。

其の善く鳴る者を揮んで、之を慣りて鳴る。

是の故に鳥を以て春に鳴り、寓を以て夏に鳴り、轟を以て秋に鳴り、風を以て冬に鳴る。

四時の相推勉すること、其れ必ず其の平を得ざる者有るか。

 

 

《讀巻04-14 送孟東野序》

『送孟東野序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
(3)§1-3

樂也者,鬱於中而泄於外也,

擇其善鳴者,而假之鳴。

金、石、絲、竹、匏、土、革、木八者,物之善鳴者也。


(下し文)
(3)§1-3

欒なる者は、中に鬱がつて外に泄るる者なり。

其の善く鳴る者を拝んで、之を慣りて鳴る。

金・石・蘇・竹・鞄・土・草・木の八つの者は、物の善く鳴る者なり。

(現代語訳)
音楽というものは、情が心中にふさがって、それが外にもれるものである。

その場合、善く鳴る楽器を択んで、これを借りて鳴り、表現するのである。

金(鐘)・石(磬)・糸(絃楽器)・竹(管楽器)・匏(ひさご瓜のふえ)・土(つちぶえ)・革(鼓)・木(木琴や敔の類)の八つのものは、器物の中で最も善く鳴るものである。


(訳注)(3)§1-3

《讀巻04-14 送孟東野序》

(江蘇省の溧陽県の尉となって赴任する孟東野に不平の心があるのを慰めるために、この序を贈った。)

東野のことは《讀巻03-09 與孟東野書》「孟東野に与ふる書」参照。34 《讀巻03-09 與孟東野書》韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 34歳<1300 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5484

 

樂也者,鬱於中而泄於外也,

欒なる者は、中に鬱がつて外に泄るる者なり。

音楽というものは、情が心中にふさがって、それが外にもれるものである。

 

擇其善鳴者,而假之鳴。

其の善く鳴る者を拝んで、之を慣りて鳴る。

その場合、善く鳴る楽器を択んで、これを借りて鳴り、表現するのである。

 

金、石、絲、竹、匏、土、革、木八者,物之善鳴者也。

金・石・蘇・竹・鞄・土・草・木の八つの者は、物の善く鳴る者なり。

金(鐘)・石(磬)・糸(絃楽器)・竹(管楽器)・匏(ひさご瓜のふえ)・土(つちぶえ)・革(鼓)・木(木琴や敔の類)の八つのものは、器物の中で最も善く鳴るものである。

〇八者 金は鐘、石は磬、糸は絃、琴の類。竹は笛、匏はひさご瓜の笛、笙の笛の類。土は土笛、または缶(つぼ)を打ち鳴らす。革は皮はりの楽器、鼓の類。木は木板をすり鳴らす敔(ぎよ)木琴や木魚のような木製の楽器類。

 

 

 

歌舞と女楽、これらは唐代には上は天子、公卿から、下は庶民、士人に至るまでの、すべての人々にとって欠くことのできない芸術的楽しみであった。それゆえこれらは宮廷から、あらゆる社会の階層に至るまで盛んに行われた。宮廷の中にあった教坊、宜春院、梨園、それに長安・洛陽両京にあった外教坊などには、歌舞と音栗に携わる芸妓が多数集中していた。朝廷は天下の名人を広く捜し出したので、唐代の女性芸術家の最も優れた人々をそこに集めることができたのである。彼女たちは恵まれた条件を与えられ、専門的な教育を受けた。また宮廷では常時大規模な催しが開かれたので、彼女たちは芸術的才能を充分に発揮することができ、高度な芸術的才能をもった人々が輩出することになった。その他、貴族や富豪が、自宅に家妓を抱えておく風習も盛んであった。彼らは専門家を招いて家妓を教育し、賓客の歓送迎会、家の慶事や誕生日などの御祝には、必ず家妓に芸を披露させて興趣を添えた。各地の官妓たちの歌舞や音楽の才能も人々から重視され、官庁の歓送迎会、宴会、遊覧の際には、彼女たちの出演は不可欠な漬物となっていた。妓優、姫妾たちが音楽、歌舞を得意としただけでなく、家庭の女性も音楽を習い楽器に通じることを家庭の娯楽、高雅な修養とみなしていた。こうした風潮によって、優秀な芸術家が数多く育成されたのである。

彼女たちの中には一声喉をころがせば長安の大通りに鳴り響いたといわれる歌手、曲を作り楽器を見事に奏でる音楽家、舞姿が美しく絶妙な芸を身につけた舞踊家、その他様々な方面に才能を発揮した芸術家がいた。全盛期の唐王朝は宮廷の饗宴、世界各国からの使節団を宮廷舞踊の宴席に招いた舞踊会だったが舞踊だけでなく優れた技芸、特技も見せていたと伝えられている。

 六代皇帝玄宗は豪華好みの性格で宮廷舞踊はたいそう華やかな時代であり、「光聖樂」は玄宗が自ら創ったもので、80人の舞い手からなる玄宗を賛美する舞楽である。

 唐宮廷舞踊には「九部伎」「一〇部伎」「歌舞伎」「健舞」等沢山の種類と様式があるといわれるが現在一般にショーの出し物のは、将軍令永遠の皇帝,白長袖の舞い、虹の舞い、春鶯伝、出陣の舞い、打楽器による笑い話等である。

 なんと言っても唐宮廷舞踊の魅力は、唐朝時代再現の楽舞である。 開演と共に古楽器の鐘、鼓が打ち鳴らされ、琴、琵琶、竹笛、等の奏でる音、舞台正面に大太鼓、左に太鼓、右は殷代から伝わる編鐘。舞台左上の楽隊席には様々な楽器で音律を奏でる。

“将軍令”はジャンジャンと銅鑼を打ち鳴らし、太鼓、鐘、笙等の合奏が勇ましい出陣のファンファーレだ。高宋皇帝が慶賀したという“春鶯伝”の古笙による見事な鶯の鳴き声、打楽器による笑いの合唱、唐時代の音楽は時に現代音楽のようにも聞こえる。当時存在していた楽器は西域の楽器を含め全てがこの王朝に集まったのだろう。観客席から全てを見通せないがとにかく凄い種類だ。

 

舞台の背景は満月が山を照らし大河に溶け込む。鐘の音が静かに響く。「春江花月夜」だろうか、とにかく美しい。照明も見事である。全てを浮き上がらせる。本格的な照明のない唐時代ではこれは出来ない。多分大きな演舞は日中行われたのであろう。

 長袖舞は宮廷、民間で流行していたものである。3メートルは越す長い絹布の袖を交互に、自由に振り回し華麗に舞う優美な踊りである。現代の新体操のリボンを遥かに凌ぐ躍動感溢れる技が繰り広げられる。華やかな舞踊服の色や構成は中国古来の哲理“五行思想”が基礎となり青、赤、黄色、白、黒の5つの基本色となり仁、禮、神、儀、智を象徴しているという。自由のような演技にも当然多くの決め事、秩序で構成されているようだ。流れるような演技は続く。

 ところでこの長袖舞踊のような踊りを昨年7月に中国の青海省の玉樹チベット自治区で開催された盛大な競馬蔡の出し物で見たことがある。優美とは別なダイナミックな長袖の舞い、唐舞踊に似ているなと思い現地のチベット人に尋ねたら“そうだ、唐の文成公主が持って来たものだ”という。

 唐の皇女、文成公主は641年、太宗の命により、唐の都長安から吐番(現在のチベット)のソンツエン・ガンボ王の第二皇后として降嫁した。皇女は辺境への輿入れの道中、望郷を断ち切るため持参の鏡を国境の日月山で捨てた事は広く知られていることである。皇女は仏像や経典の他沢山の文化も唐舞踊も携えたようだ。皇女の貢献により吐番から長安に貴族の子弟が留学。多くの文化、行政制度が確立され皇女は今でもチベット人に観音菩薩の化身として崇められている。長袖舞はイージヨウマと呼ばれているようで部落の祭りには良く輪になって踊られるようである。

 唐舞踊とイージヨウマ、民族の交流、文化の伝承を見るにつけ昨今のチベット騒動、弾圧は悲しい。ラサの騒乱は青海省にも飛び火している。私の20日間の青海省旅行中に出会った優しいチベット人の羊飼いの家族、食堂の娘たち、人生を熱く語った老僧侶、私の高山病を治療してくれた医師達はどんな考えでいるのだろうか。平和は勿論、人が民族が生きて行く上で重要なこととはなんだろうか。

 

 

文宗の時代、宮人の沈阿翹は歌と舞いが上手な上、また作曲と演奏もできた。彼女が「何満子」(宮廷妓の何満子が作った作品)という舞曲を演じた時には、音の調べ、舞う姿ともやわらかくしなやかで流れるように素晴らしかった。「涼州曲」という一曲を演奏した時なぞは、音が清らかで哀調を帯び、文宗はこれぞ天上の音楽であると称讃した。そして最も優れた才能をもつ宮人を選んで彼女から芸を学ばせた。後に、この女性は宮中を出て秦という姓の男に嫁した。夫が出張していた時、『翹制曲』「憶秦郎」(秦郎を憶う」という一曲を作って、遥かに思慕の情を寄せた(『古今図書集成』「閏媛典閏藻部」、『杜陽雄編』巻中)。

泰娘は貴族の家の家妓であった。多芸多才で、歌舞弾奏なんでも窮めないものはなく、当時、都の貴顕の子弟は争って泰娘の名を伝えた。劉南錫は「泰娘の歌」を作ってその経歴を記している。

武則天の時代に、もう一人よく歌曲を作る無名の宮人がいた。その夫は菟罪で獄に陥ち、自分も籍没されて宮中の婦女にされた。彼女は日頃、篳篥を上手に吹き、また音律にもよく通じていた。

 

そして、「離別難」(別れの苦しみ)という曲を作って、自分の悲しみと恨みの気特を托した(『楽府雑録』「離別難」)。

楽器に精通している女性などは、数えきれぬほどたくさんいた。宰相宋璟の娘の宋氏は獦鼓(インドから中央アジアを経て伝わった太鼓の一種)を専門に習い、その技量はかなり高度な水準に達していた(南卓『掲鼓録』)。楊志の父方の叔母は、もともと宮妓であり、琵琶の演奏で一世を風廃した女性であった(『楽府雑録』「琵琶」)。ひじょうに多くの唐詩の諸篇に、楽器を演奏する高度な技術と妙なる音声を持つ女性たちのことが描かれている。白居易の有名な詩「琵琶行」には、次のように琵琶妓の絶妙な技術と芸術的な影響力とが生々と描かれている。

 

【琵琶行】

・・・・・・・・・・・・・・・

轉軸撥絃三兩聲,未成曲調先有情。

絃絃掩抑聲聲思,似訴平生不得志。

低眉信手續續彈,説盡心中無限事。

 

輕慢撚抹復挑,初爲霓裳後綠腰。

大絃如急雨,小絃切切如私語,

切切錯雜彈,大珠小珠落玉盤。

間關鶯語花底滑,幽咽泉流氷下難。

氷泉冷澀絃凝絶,凝絶不通聲暫歇。

別有幽愁暗恨生,此時無聲勝有聲。

銀瓶乍破水漿迸,鐵騎突出刀槍鳴。

 

曲終收撥當心畫,四絃一聲如裂帛。

東船西舫悄無言,唯見江心秋月白。

・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・

(琵琶行 二)

軸を 轉(し)め 絃を 撥ひて  三兩聲,未だ 曲調を 成さざるに  先ず 情 有り。

絃絃 掩抑して  聲聲に 思ひ,平生  志を 得ざるを 訴ふるに 似たり。

眉を低れ 手に信せて  續續と 彈き,説き盡くす  心中 無限の事。

 

輕く(し)め 慢く撚りて  抹み 復た 挑ひ,初めは 霓裳を 爲し  後は 綠腰。

大絃は として  急雨の如く,小絃は 切切として  私語の如し,

と 切切と  錯雜して 彈き,大珠 小珠  玉盤に 落つ。

間關たる 鶯語  花底に 滑かに,幽咽せる 泉流は  氷下に難む。

氷泉 冷澀して  絃 凝絶し,凝絶 通ぜず  聲 暫し 歇(や)む。

別に  幽愁の 暗恨 生ずる  有り,此の時  聲 無きは  聲 有るに 勝る。

銀瓶 乍ち 破れ  水漿 迸(ほとばし)り,鐵騎 突出して  刀槍 鳴る。

 

曲 終らんとして 撥(ばち)を收め  當心を 畫き,四絃 一聲  裂帛の如し。

東船 西舫  悄として 言(ことば) 無く,唯だ見る 江心に  秋月の 白きを。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

詩人の描写の素晴らしさに感謝したいと思う。古代の女性演奏家の技芸と人を感動させる琵琶曲を、わずかながらも知ることができたのであるから。

唐代は音楽が発達したばかりではない。舞踊もまた黄金時代を現出した。宮中では常時、大規模な歌舞の催しが開かれていた。たとえば、「上元楽」、「聖寿楽」、「孫武順聖楽」等であり、これらには常に宮妓数百人が出演し、舞台は誠に壮観であった。宮廷でも民間でも、舞妓は常に当時の人々から最も歓迎される漬物を演じた。たとえば、霓裳羽衣舞(虹色の絹と五色の羽毛で飾った衣裳を着て踊る大女の舞)、剣器舞(西域から伝来した剣の舞)、胡旋舞(西域から伝来した飛旋急転する舞)、柘枝舞(中央アジアから伝来した柘枝詞の歌に合わせて行う舞)、何満子(宮妓の何満子が作曲し、白居易が作詩し、沈阿翹が振り付けした歌舞)、凌波曲(美人がなよなよと歩く舞)、白貯舞(白絹を手にした舞)等々が白居易は「霓裳羽衣舞」を舞う妓女たちの、軽く柔かくそして優美な舞姿を描写している。

・・・・・・・・・・・・

案前舞者顏如玉,不著人家俗衣服。

虹裳霞帔步搖冠,鈿瓔累累佩珊珊。

・・・・・・・・・・・・

飄然轉旋迴雪輕,嫣然縱送游龍驚。

小垂手后柳無力,斜曳裾時雲欲生。

煙蛾斂略不勝態,風袖低昂如有情。

・・・・・・・・・・・・

 

「案前 舞う者 顔は玉の如く、人家の俗なる衣服を著けず。虹の裳 霞の帔(内掛け」 歩揺の冠、細瓔は累累として珊珊を佩ぶ。.……諷然と転旋すれば廻る雪より軽く、嫣然と縦送すれば游る龍も驚く。小しく手を垂れし後 柳は力無く、斜めに裾を曳く時 雲 生ぜんと欲す。煙き蛾は斂略めて態に勝えず、風はらむ袖は低く昂く 情有るが如し」(白居易「霓裳羽衣歌」)

 

白居易の《胡旋女》

胡旋女,胡旋女,心應弦,手應鼓。

弦鼓一聲雙袖舉,回雪飄搖轉蓬舞。

左旋右轉不知疲,千匝萬周無已時。

人間物類無可比,奔車輪緩旋風遲。

曲終再拜謝天子,天子為之微齒。

胡旋女,出康居,徒勞東來萬里余。

中原自有胡旋者,斗妙爭能爾不如。

天寶季年時欲變,臣妾人人學圜轉。

中有太真外祿山,二人最道能胡旋。

梨花園中冊作妃,金雞障下養為兒。

祿山胡旋迷君眼,兵過黃河疑未反。

貴妃胡旋惑君心,死棄馬嵬念更深。

從茲地軸天維轉,五十年來制不禁。

胡旋女,莫空舞,數唱此歌悟明主。

 

胡旋の女 胡旋の女、心は弦に應じ 手は鼓に應ず。

弦鼓一聲 雙袖舉がり、回雪飄搖し 轉蓬舞ふ。

左に旋り右に轉じて疲れを知らず、千匝 萬周 已む時無し。

人間物類 比すべき無く。奔車 輪緩 旋風 遲し。

曲終り再拜して天子に謝す、天子之が為に微かし齒を(ひら)く。

胡旋の女 康居に出ず、勞して東來すること萬里余。

中原に自ずから有胡旋の者有り、斗妙 爭能 爾如かず。

天寶の季年 時に變はらんと欲し、臣妾人人 圜轉を學ぶ。

中に太真有り 外には祿山、二人最も道ふ 能く胡旋すと。

梨花園中 冊して妃と作し、金雞障下 養ひて兒と為す。

祿山の胡旋 君は眼を迷はし、兵黃河を過ぐるも未だ反せずと疑ふ。

貴妃の胡旋 君が心を惑はし、死して馬嵬に棄つるも 念ひ更に深し。

茲(これ)より地軸天維轉じ、五十年來 制せど禁ぜず。

 

胡旋舞は別の風格がある。これら舞妓のなかから、何人かの出色の舞踊家が出現した。

楊玉環(楊貴妃)、彼女は以千年後百年にもわたって絶世の美人として、また「女禍」として史上有名になった。しかし、人は往々この女性が天才的な舞踊家、音楽芸術家であったことを軽視する。彼女は多方面の芸術的才能を持っており、特に舞踊に長じ、「霓裳羽衣舞」の類いまれな踊り手として、千古の後までその名が伝えられている。彼女はまた胡旋舞等の舞いも踊ることができた。同時にまた音律にも長じ、多種多様な楽器にもよく通じていた。特に撃磐(石製の打楽器の演奏)が最も得意であり、その音声は冷たく清らかであり、またオリジナリティに富んでいて、宮廷の名楽師でも及ばなかった。また琵琶もたいへんL手で、梨園で演奏した時、音色は張りつめ澄みきって、雲外にただよう如くであった。それで、親王、公主、貴婦人たちは争って彼女の琵琶の弟子になろうとした。笛豊た上手であった。ある華、彼女は玄宗の兄賢の玉笛をこっそり借りて吹いたため、玄宗皇帝の不興をかった。しかし、風流文士たちは「梨花の静院に人の見ゆる無く、閑ろに寧王の玉笛を把りて吹く」(『楊太真外伝』に引く張詰の詩句)などといって、きわめで風流なことと褒めそやした。

 

楊貴妃の侍女張雲容も「霓裳羽衣舞」が上手だったので、楊貴妃は詩をつくって彼女の舞姿を誉めそやした。「羅袖 香を動かし 香己まず、紅蕖は嫋嫋 秋煙の裏。軽き雲は嶺上にて乍ち風に揺らぎ、嫩き柳は池塘にて初めて水を払う」(楊貴妃「阿那曲」)。

これと同じ時期、新豊(陝西省臨潼)の女俳優謝阿蛮は凌波曲を上手に踊った。常時、宮廷に出入りし、玄宗と楊貴妃からたいへん愛された。ある時、彼女が舞い、玄宗と楊貴妃が親しく自ら伴奏した。楊貴妃は特別に金を散りばめた腕輪を褒美として贈った(『楊太真外伝』、『明皇雑録』補遺)。

当時、公孫大娘の「剣器の舞」も非常に有名で、その演舞は雄壮で人々の魂まで揺り動かした。

杜甫は次のように詠っている。

 

杜甫《2099觀公孫大娘弟子舞劍器行767年大曆二年56

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

爀如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。

絳脣朱袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

與余問答既有以,感時撫事增惋傷。

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

玳筵急管曲復終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。

【爀は火+霍であるが字書にないため代用する】

 

公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行杜甫

昔 佳人の公孫氏有り、一たび剣幕を舞えば四方を動かす。

観る者は山の如くして色は沮喪し、天地も之が為に久しく低昂す。

爀として羿(伝説の弓の名人)の九日(九つの太陽)を射て落すが如く、矯として群帝(五帝)の龍を驂(二頭だての車)として翔るが如し。

来たるは雷霆の震怒を収むるが如く、罷むるは江海の清光を凝らすが如し。

緯唇 珠袖 両つながら寂寞、晩(晩年)に弟子有り、芬芳を伝う。

臨頴の美人(李十二娘)、はく帝に在り、妙みに此の曲を舞いて神揚揚たり。

余と問答す 既に以有り、時に感じ事を撫して惋傷を増す。

先帝の侍女 八千人、公孫の剣器 初めより第一。

五十年間 掌を反すに似て、風塵は傾動として王室に昏し。

梨園の子弟 散ずること煙の如く、女楽(歌妓)の余姿 寒日に映ず。

金粟堆(玄宗の御陵の名)の南 木己に拱きく、笹唐の石城(白帝城) 草蕭瑟たり。

玳筵(豪華な宴席) 急管(せわしげな笛の音) 曲復た終り、楽しみ極まりて哀しみ来たり 月は東に出づ。

老夫は其の往く所を知らず、足は荒山に繭して(足にたこができて)転た愁疾たり。