韓愈《讀巻04-14 送孟東野序 -(8)§3-2》 もしこのまま韓非が登用されてしまえば自分の地位は非常に危うくなる、と考えた李斯は政に韓非の讒言を吹き込んで投獄させて、獄中にいる韓非に毒を渡して有無を言わせずに逸早く死に追い詰めてしまった。

 
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35-(8) 《讀巻04-14 送孟東野序 -(8)§3-2》韓愈(韓退之)ID  801年貞元17 35歳<1314 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5554韓愈詩-35-(8)

 

 

(7)§3-1

其末也,莊周以其荒唐之辭鳴。

周の末になると、荘周はその大きくとりとめのない言葉をもって鳴った。

楚大國也,其亡也以屈原鳴。

楚は大国であるから、その亡びるときに、屈原を以て楚辞が鳴りひびいた。

臧孫辰、孟軻、荀卿,以道鳴者也。

減孫辰・孟珂・萄卿は道理を以て鳴る者であった。

楊朱、墨翟、管夷吾、晏嬰、老聃、申不害、韓非、慎到、田駢、鄒衍、尸佼、孫武、張儀、蘇秦之屬,皆以其術鳴。

楊朱・墨召・管夷吾・畳嬰・老嗣・申不害・韓非・憐到・田研・秘術・戸佼・孫武・張儀・蘇秦のたぐいは、皆その学術を以て鳴ったのである。

(7)§3-#1

其の末や、荘周其の荒唐の辞を以て鳴る。楚は大国なり。

其の亡ぶるや、屈原を以て鳴る。

臧孫辰、孟軻、荀卿は、道を以て鳴る者なり。

楊朱、墨翟、管夷吾、晏嬰、老聃、申不害、韓非、慎到、田駢、鄒衍、尸佼、孫武、張儀、蘇秦の屬は、皆其の術を以て鳴る。

 (8)§3-2

秦之興,李斯鳴之。

秦が興ると、李斯が鳴った。

漢之時,司馬遷、相如、揚雄,最其善鳴者也。

漢の時には、司馬遷。司馬相加・揚雄が、最も善く鳴る者であった。

其下魏晉氏,鳴者不及於古,然亦未嘗也。

その時が魂・晋の朝代に下ると、その鳴る者が古代のそれに及ばない。
しかしながらまた決して絶えなかったのである。

 (8)§3-#2

秦の興るや、李斯 之れに鳴る。

漢の時、司馬遷・相加・揚雄は、最も其の善く鳴る者なり。

其の魏 晋氏に下りては、鳴る者古に及ばず。

然れども亦未だ嘗て絶えざるなり。

 (9)§3-3

就其善者,其聲清以浮,

其節數以急,其辭淫以哀,

其志弛以肆。其為言也,

亂雜而無章,將天醜其德,

莫之顧耶?

何為乎不明其善鳴者也?

 

 (9)§3-#3

就【たとい】其の善く鳴る者も、其の聾清にして以て浮、其の節数にして以て急、其の辞淫にして以て哀、其の志弛にして以て肆なり。

其の言為るや、乱雑にして章無し。

將 天其の徳を醜として、之を顧みること莫きか。

何為れぞや、其の善く鳴る者を鳴らさざる。

 

 

《讀巻04-14 送孟東野序 -(8)§3-2

『送孟東野序』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
(8)§3-2

秦之興,李斯鳴之。

漢之時,司馬遷、相如、揚雄,最其善鳴者也。

其下魏晉氏,鳴者不及於古,然亦未嘗也。


(下し文) (8)§3-#2

秦の興るや、李斯 之れに鳴る。

漢の時、司馬遷・相加・揚雄は、最も其の善く鳴る者なり。

其の魏 晋氏に下りては、鳴る者古に及ばず。

然れども亦未だ嘗て絶えざるなり。

(現代語訳)
秦が興ると、李斯が鳴った。

漢の時には、司馬遷。司馬相加・揚雄が、最も善く鳴る者であった。

その時が魂・晋の朝代に下ると、その鳴る者が古代のそれに及ばない。
しかしながらまた決して絶えなかったのである。


(訳注) (8)§3-2

《讀巻04-14 送孟東野序》

(江蘇省の溧陽県の尉となって赴任する孟東野に不平の心があるのを慰めるために、この序を贈った。)

東野のことは《讀巻03-09 與孟東野書》「孟東野に与ふる書」参照。34 《讀巻03-09 與孟東野書》韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 34歳<1300 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5484

 

秦之興,李斯鳴之。

秦が興ると、李斯が鳴った。

○李斯 韓非と共に育子に学び、法家の術を以て秦の始皇に仕え、韓非を毒死させ、宰相となった。「諌逐客書」がある。楚の北部にある上蔡(現在の河南省駐馬店市上蔡県)の人。

若い頃は小役人として楚に仕えていた。李斯は厠で人の糞尿を食らい人の姿を見て逃げ出すネズミと、兵糧庫の中で人の姿におびえずのうのうと兵糧を食うネズミを見て、「人が居る環境だけで人の賢さなど価値が決まってしまうのか」と嘆き、儒家の荀子の門を叩いた。同門に韓の公子・韓非がおり、共に荀子から学び、秦に入って呂不韋の食客となり、呂不韋からその才能を絶賛され推薦を受けて、秦王政(後の始皇帝)に仕えて、その近侍になった。

李斯は政の命令で他国に潜入し、各国の王族と将軍の間の離間を行い功績を立てて、客卿(他国出身の大臣)となった。

紀元前237年、順調に出世していた李斯だが、この頃に嫪(ろうあい)という他国出身者が反乱を起こしたために、国内で他国出身者の評判が悪くなり、やがて他国人の追放令(逐客令)が出た。このままでは困る李斯は、手紙を政に出して追放令の撤回を求めた。この「諫逐客書」は実に理路整然とした名文で、後に文選にも収録されているほどである。政もこの名文に説得されて追放令の撤回を決めた。実力者の呂不韋が自決した後に、ますます政の信頼が厚くなった李斯だが、その地位を脅かす者がやって来た。かつての同門であった韓非である。政はその前に韓非の著作である『韓非子』を読んで、「この作者と親しく出来るのなら、死んでも悔いは無い。」と言う程に傾倒していたので、もしこのまま韓非が登用されてしまえば自分の地位は非常に危うくなる、と考えた李斯は政に韓非の讒言を吹き込んで投獄させて、獄中にいる韓非に毒を渡して有無を言わせずに逸早く死に追い詰めてしまった。

 

漢之時,司馬遷、相如、揚雄,最其善鳴者也。

漢の時には、司馬遷。司馬相加・揚雄が、最も善く鳴る者であった。

○司馬遷 漢の武帝に仕え、『史記』百三十巻を著した。[](145?[]86

中国,前漢の歴史家。夏陽 (陝西省韓城県) の人。字,子長。生没年については諸説の間にかなりの幅がある。 20歳から父司馬談の命を受けて諸地方を旅行し,古い記録などを集めた。のち郎中となって名をあげ,元封3 ( 108) 年,父の跡を継いで太史令となった。

○相加 司馬相如、蜀の人、賦家として有名、「子虚」「上林」「大人」の諸状を著す。[]179?[]117?  前漢の文学者。成都 (四川省) の人。字,長卿。初め景帝に仕え,のち文人を優遇する梁の孝王のサロンで枚乗 (ばいじょう) ,鄒陽らと交わった。孝王の死後,困窮して郷里にいるうち,富豪の娘卓文君と相知り,駆落ちして結ばれた。

○揚雄  []53[]18  前漢末の文学者,哲学者。成都 (四川省) の人。字,子雲。四十余歳で都へ出て,その博学と文才を認められ,成帝,哀帝,平帝に仕えた。王莽 (おうもう) にも仕え,『劇秦美新』の文を草して王莽を賛美したともいわれる。前漢末の大儒、『法言』『太玄』その他の著書、「甘泉」「長楊」「羽猟」等の諸賦を作る。

 

其下魏晉氏,鳴者不及於古,然亦未嘗也。

その時が魂・晋の朝代に下ると、その鳴る者が古代のそれに及ばない。
しかしながらまた決して絶えなかったのである。