韓愈《巻02-21 駑驥 -#4》それは、馭者が王良は、騏驥の手綱を執ったということで、そんな馭者は普通いないのであるから天外の事であって、今日では、茫昧恍惚、いたづらに人をして愁へさせるばかりであり、従って、馭し難い騏驥を買おうという者はない。

 
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37-4 《巻02-21 駑驥 -#4》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1324 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5604

 

 

年:       799年元十五年32

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    駑驥【駑驥吟示歐陽詹】【詹與愈同第進士,愈以徐州從事朝正於京,詹時為國子鹽四門助教。】

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高      

交遊人物:歐陽詹 書信でやりとり(京畿道 京兆府 長安)

 

 

駑驥#1

(この詩は、別に〔駑驥吟示歐陽詹〕としていて、世間一般の人たちが駑駘、駄馬であるなか、欧陽詹は騏驥の良馬であるといって贈ったものである。)

駑駘誠齷齪,市者何其稠。

やくざ馬は、まことにこせこせして詰まらぬものであるが、これを市場で買うものは、極めて多いものだ。

力小若易制,價微良易酬。

それは何故かといえば、力乏しきが故に、暴ばれることがなくで、極めて制し易く、価格のやすくして、たやすく買い取ることが出きるからである。

渴飲一斗水,飢食一束芻。

又、これを飼うにしても、格別費用がかかるわけでもなく、のどが渇けば一斗の水を飲ませ、飢えておれば一束の藁を食わせればよいだけのことだ。

嘶鳴當大路,志氣若有餘。

そこで、駑駘は大流行となり、高い声に嘶いて、長安の大道を歩くときなど、志気がありあまって、自分ほど偉いものは無いといふ様に威張って居る。

(駑驥【どき】)

駑駘【どたい】誠に齷齪【あくさく】たり、市ふもの何ぞ其れ稠【おお】き。

力 小なれば 制し易しがごとし、價 微なれば良に酬い易し。

しては一斗の水を飲み、飢えては」一束の芻を食ふ。

嘶鳴して大路に当たり、志気、余りあるが若し。

 

 #2

騏驥生域,自矜無匹儔。

これと反対に、騏驥は中国よりもすっと遠い絶域に産し、自分では他に匹儔のないものと思って居る。

牽驅入市門,行者不為留。

しかし、牽かれて長安の市門に入ると、道ゆく人は、格別目も呉れず、立ち留まって見る人もない位である。

借問價幾何,黃金比嵩丘。

まことに情けない話であるが、それにも理由はあるので、その価格はと問えば、黄金を嵩山ほどに積まねばならないという。

借問行幾何,咫尺視九州。

その代り、一日にどれ位行くかといえば、九州を見ること、さながら咫尺の如くである。

騏驥は絶域に生じ、自ら匹儔なきを矜る。

牽驅して市門に入れば、行くもの爲に留まらず。

借問す 價 幾何ぞ,金 嵩丘に比す。

借問す 行くこと幾何ぞ,咫尺 九州を視る。

 #3

飢食玉山禾,渴飲醴泉流。

この馬を飼うとき、飢えては崑崙に生ずる穀物を以てし、渇すれば仙境に湧くところの醴泉を以てする。

問誰能為御,曠世不可求。

そして、誰が之を御するかといえば、世をむなしゅうしても、その人は見付かることはない。
惟昔穆天子,乘之極遐遊。

唯だ、むかし、周の穆王が特別な八駿の馬に乗って、四方を巡遊したということはあった。

王良執其轡,造父挾其輈。

その馭者の王良は、その手綱を執り、造父はその轅を挟み、そして思うがままに馳駆し、崑崙山の彼方、西王母の居るところに従ったということはあった。

飢えては玉山の禾を食い,渴しては醴泉の流を飲む。

問う誰か能く御を為し,曠世【こうせい】求む可からず。

惟れ昔 穆天子,之に乘じて遐遊【かゆう】を極む。

王良 其の轡を執り,造父 其の輈【ながえ】を挾む。

 #4

因言天外事,茫惚使人愁。

駑駘謂騏驥,餓死余爾羞。

有能必見用,有德必見收。

孰云時與命,通塞皆自由。

#4

因って天外の事を言い,茫惚 人をして 愁え使む。

駑駘 騏驥に謂う,餓死 余 爾に羞づ。

能 有らば 必ず 用いられん,德 有らば 必ず 收られん。

孰れだ云う 時と命と,通塞 皆 自由なりと。

 #5

騏驥不敢言,低徊但垂頭。

人皆劣騏驥,共以駑駘優。

喟余獨興歎,才命不同謀。

寄詩同心子,為我商聲謳。

辟雍00 

韓愈詩-37-4

『駑驥』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#4

因言天外事,茫惚使人愁。

駑駘謂騏驥,餓死余爾羞。

有能必見用,有德必見收。

孰云時與命,通塞皆自由。

 

 (下し文) #4

因って天外の事を言い,茫惚 人をして 愁え使む。

駑駘 騏驥に謂う,餓死 余 爾に羞づ。

能 有らば 必ず 用いられん,德 有らば 必ず 收られん。

孰れだ云う 時と命と,通塞 皆 自由なりと。

(現代語訳)
それは、馭者が王良は、騏驥の手綱を執ったということで、そんな馭者は普通いないのであるから天外の事であって、今日では、茫昧恍惚、いたづらに人をして愁へさせるばかりであり、従って、馭し難い騏驥を買おうという者はない。

そこで、駑駘は騏驥を顧みていうには、汝は千里の名馬であっても、御する人がなければ、餓死する外なく、まことに気の毒ではあるが、今さら仕方がないことであって、吾は、汝を以て羞ずべきものと思って居る。

凡そ能あればこそ用いられものであり、徳あればこそ人に収められるのである、汝の如きは、偉いには相連ないのであろうが、用もなければ徳もないものである。
世のだれかいう、勿論それには時にあり、命あり、如何に能あり徳あるものでも、そればからは致し方が無いというかも知れないが、時を得て通ずるも、時を失って塞がるも、おのが心次第で、どうでも成るので、汝も、少しく考えたらよかろうといった。

太白山001
(訳注) #4

 

因言天外事,茫惚使人愁。

それは、馭者が王良は、騏驥の手綱を執ったということで、そんな馭者は普通いないのであるから天外の事であって、今日では、茫昧恍惚、いたづらに人をして愁へさせるばかりであり、従って、馭し難い騏驥を買おうという者はない。

天外事 この語の前に行ったこと、ここでは、馭者の王良は、その手綱を執り、造父はその轅を挟み、そして思うがままに馳駆し、崑崙山の彼方、西王母の居るところに従ったということ。

 

駑駘謂騏驥,餓死余爾羞。

そこで、駑駘は騏驥を顧みていうには、汝は千里の名馬であっても、御する人がなければ、餓死する外なく、まことに気の毒ではあるが、今さら仕方がないことであって、吾は、汝を以て羞ずべきものと思って居る。

駑駘謂騏驥 「A謂B」AはBにたいしていう。名馬、駿馬は扱いが誰でもできるというものではないということ。

餓死 世の普通の人は飼育できなくて餓死させてしまう。

余爾羞 飼うことが出来ないものにとっては高い金を払って餓死させたことは恥ということである。

 

有能必見用,有德必見收。

凡そ能あればこそ用いられものであり、徳あればこそ人に収められるのである、汝の如きは、偉いには相連ないのであろうが、用もなければ徳もないものである。

 

孰云時與命,通塞皆自由。

世のだれかいう、勿論それには時にあり、命あり、如何に能あり徳あるものでも、そればからは致し方が無いというかも知れないが、時を得て通ずるも、時を失って塞がるも、おのが心次第で、どうでも成るので、汝も、少しく考えたらよかろうといった。