韓愈《0304 汴泗交流贈張僕射 -#1汴水は徐州の西を流れ、泗水は徐州の南を流れる。その二水のまじわる徐州にいる張僕射公に贈る詩(この詩は張建封に贈って、その打毬に耽ることを諷刺した。打毬は武技の鍛錬であるがこれにあまり懲りすぎると遊芸のようになるという諫言の書ということである。)

 

 
 2015年3月8日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
197-#1 《巻3-25 結客少年場行 -#1(紫燕黃金瞳,)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <197-#1> Ⅰ李白詩1421 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5653 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
42-#1 《0304 汴泗交流贈張僕射 -#1》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1335> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5659韓愈詩-42-#1 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-42-#5奉節-33-#5 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#5》 杜甫index-15 杜甫<905-5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5660 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-14韋荘92《巻2-42 應天長二首其一》二巻42-〈92〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5662 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

42-#1 0304 汴泗交流贈張僕射 -#1》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1335 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5659韓愈詩-42-#1

 

 

年:799年貞元15 32

卷別:    卷三三八              文體:    七言古詩

詩題:    汴泗交流贈張僕射【案:建封。】

作地點:              徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

交遊人物:張建封              書信往來(河南道 徐州 徐州)

 

 

汴泗交流贈張僕射

汴水は徐州の西を流れ、泗水は徐州の南を流れる。その二水のまじわる徐州にいる張僕射公に贈る詩(この詩は張建封に贈って、その打毬に耽ることを諷刺した。打毬は武技の鍛錬であるがこれにあまり懲りすぎると遊芸のようになるという諫言の書ということである。)

汴泗交流郡城角,築場千步平如削。

汴水は徐州の西を流れ、泗水は徐州の南を流れ、郡城の角において合流している。浄土底に、打毬場を設置して、廣さ千歩に渉った地域を平らに削り整地している。

短垣三面繚逶迤,擊鼓騰騰樹赤旗。

そして、短い丈の矢来を三面に回らして、ずっと長く続き、その内では太鼓をどんどんと打ち鳴らして赤い旗を立てて用意をしている。

新秋朝涼未見日,公早結束來何為。

季節も新たな秋を迎え絶好の季節となり、朝の日の出前の涼し時分、張建封公に於かれては、まだ暗い早朝から仕度をされ、親しくこの場に向われ、何を為されるのかと思いきや、すなわち、打毬を催すとのことである。

分曹決勝約前定,百馬攢蹄近相映。

まず、組を分けて、決勝点を設置し、前もって約束を定めて、それぞれの組の多くの者に多くの馬に跨柄世、馬のひずめを近く相映じて、攢めて、決勝に向って駆けまわるのである。

毬驚杖奮合且離,紅牛纓紱黃金羈。

さて、競技になると、毬は驚き転げ回り、杖を奮って毬を撃つと、忽ち合し、そして離れてといった具合で、牛尾の紅い頭飾りや黄金をより込んだおも綱が入り乱れるのである。

 

側身轉臂著馬腹,霹靂應手神珠馳。

超遙散漫兩閒暇,揮霍紛紜爭變化。

發難得巧意氣粗,讙聲四合壯士呼。

此誠習戰非為劇,豈若安坐行良圖。

當今忠臣不可得,公馬莫走須殺賊。

 

(汴泗交流 張僕射に贈る)

汴泗 交流す 郡城の角,場を築くこと千步 平らかなること 削るが如し。

短垣 三面 繚って逶迤たり,擊鼓 騰騰 赤旗を樹つ。

新秋 朝涼 未だ日を見ず,公 早に 結束し 來って何をか為さん。

曹を分って 決勝 約 前に定め,百馬 蹄を攢めて 近く相い映ず。

毬は驚き 杖は奮って 合し且つ離る,紅牛の纓紱【えいふつ】黃金の羈。

 

身を側だて 臂を轉じて馬腹に著く,霹靂 手に應じて 神珠 馳す。

超遙して 散漫して 兩てに 閒暇す,揮霍【きかく】紛紜 爭って變化す。

發するに難し 得るに巧みにす 意氣 粗なり,讙聲【かんせい】四に合して 壯士 呼ぶ。

此れの誠は戰を習わすにあり 劇を為すに非ず,豈に若かんや 安坐し 良圖を行う。

當今にって忠臣 得可からず,公の馬 走る莫れ 須からく賊を殺すべし。

 

李白図102 

『汴泗交流贈張僕射』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

汴泗交流贈張僕射

汴泗交流郡城角,築場十步平如削。

短垣三面繚逶迤,擊鼓騰騰樹赤旗。

新秋朝涼未見日,公早結束來何為。

分曹決勝約前定,百馬攢蹄近相映。

毬驚杖奮合且離,紅牛纓紱黃金羈。



(下し文)
(汴泗交流 張僕射に贈る)

汴泗 交流す 郡城の角,場を築くこと千步 平らかなること 削るが如し。

短垣 三面 繚って逶迤たり,擊鼓 騰騰 赤旗を樹つ。

新秋 朝涼 未だ日を見ず,公 早に 結束し 來って何をか為さん。

曹を分って 決勝 約 前に定め,百馬 蹄を攢めて 近く相い映ず。

毬は驚き 杖は奮って 合し且つ離る,紅牛の纓紱【えいふつ】黃金の羈。

(現代語訳)
汴水は徐州の西を流れ、泗水は徐州の南を流れる。その二水のまじわる徐州にいる張僕射公に贈る詩(この詩は張建封に贈って、その打毬に耽ることを諷刺した。打毬は武技の鍛錬であるがこれにあまり懲りすぎると遊芸のようになるという諫言の書ということである。)

汴水は徐州の西を流れ、泗水は徐州の南を流れ、郡城の角において合流している。浄土底に、打毬場を設置して、廣さ千歩に渉った地域を平らに削り整地している。

そして、短い丈の矢来を三面に回らして、ずっと長く続き、その内では太鼓をどんどんと打ち鳴らして赤い旗を立てて用意をしている。

季節も新たな秋を迎え絶好の季節となり、朝の日の出前の涼し時分、張建封公に於かれては、まだ暗い早朝から仕度をされ、親しくこの場に向われ、何を為されるのかと思いきや、すなわち、打毬を催すとのことである。

まず、組を分けて、決勝点を設置し、前もって約束を定めて、それぞれの組の多くの者に多くの馬に跨柄世、馬のひずめを近く相映じて、攢めて、決勝に向って駆けまわるのである。

さて、競技になると、毬は驚き転げ回り、杖を奮って毬を撃つと、忽ち合し、そして離れてといった具合で、牛尾の紅い頭飾りや黄金をより込んだおも綱が入り乱れるのである。

唐時代 韓愈関連05
(訳注)

汴泗交流贈張僕射

汴水は徐州の西を流れ、泗水は徐州の南を流れる。その二水のまじわる徐州にいる張僕射公に贈る詩(この詩は張建封に贈って、その打毬に耽ることを諷刺した。打毬は武技の鍛錬であるがこれにあまり懲りすぎると遊芸のようになるという諫言の書ということである。)

汴泗 汴水は徐州の西を流れ、泗水は徐州の南を流れる。

張建封 張建封(735年-800年),字本立,州南陽の人,唐代軍事人物。貞元四年、徐州刺史となり、貞元十二年検校右僕射を加えられる。彭城にあること十年、賢を礼し、士に下る。

寓居は兗州(今の山東陽)。歓讀書,能弁論,代宗時,李光弼進討蘇常盗匪,建封自請前去招安,一日降数千人。德宗の時,官至寿州刺史,李希烈反叛,派部下赏赐淮南節度少游和建封,建封却腰之。李希烈又派部将杜少攻打寿州,建封令其将贺兰元均、邵怡等守霍丘秋,叛軍无所克而去。建封因抗敵有功,升徐泗濠度使,與馬燧友善。元十六年卒于徐州任上,年六十六

僕射 ① 中国の官名。もと尚書省の次官で左右一名ずつ置かれ,唐代には宰相の任にあたった。 左・右大臣の唐名。

(打毬) 中央アジアの一角に発したといわれ,西に流れたものがヨーロッパに伝えられて「ポロ」となり,一方,東に流れたものが中国で打毬となり、競技・遊戯となった。馬に騎った者らが2組に分かれ、打毬杖(だきゅうづえ。毬杖)をふるって庭にある毬を自分の組の毬門に早く入れることを競う。

 

汴泗交流郡城角,築場十步平如削。

汴水は徐州の西を流れ、泗水は徐州の南を流れ、郡城の角において合流している。浄土底に、打毬場を設置して、廣さ千歩に渉った地域を平らに削り整地している。

平如削 その地域を平らに削り整地する

 

短垣三面繚逶迤,擊鼓騰騰樹赤旗。

そして、短い丈の矢来を三面に回らして、ずっと長く続き、その内では太鼓をどんどんと打ち鳴らして赤い旗を立てて用意をしている。

短垣 短い丈の矢来。

繚逶迤 回らして、ずっと長く続く。

 

新秋朝涼未見日,公早結束來何為。

季節も新たな秋を迎え絶好の季節となり、朝の日の出前の涼し時分、張建封公に於かれては、まだ暗い早朝から仕度をされ、親しくこの場に向われ、何を為されるのかと思いきや、すなわち、打毬を催すとのことである。

結束 仕度をすること。

來何為 何を為されるのかと思いきや、すなわち、打毬を催すとのことである。

 

分曹決勝約前定,百馬攢蹄近相映。

まず、組を分けて、決勝点を設置し、前もって約束を定めて、それぞれの組の多くの者に多くの馬に跨柄世、馬のひずめを近く相映じて、攢めて、決勝に向って駆けまわるのである。

分曹 組を分ける。

決勝 ゴールポスト。決勝点を設置する。

約前定 競技のルール。前もって約束を定める。

 

毬驚杖奮合且離,紅牛纓紱黃金羈。

さて、競技になると、毬は驚き転げ回り、杖を奮って毬を撃つと、忽ち合し、そして離れてといった具合で、牛尾の紅い頭飾りや黄金をより込んだおも綱が入り乱れるのである。

合且離 馬が寄せあったり、離れたりすること。毬に集まり毬にはなれる。

紅牛纓紱 牛の尾の気で作って紙の飾るのに編込む。

黃金羈 黄金をより込んだおも綱。