韓愈  送浮屠文暢師序  #1人固有儒名而墨行者,問其名則是,校其行則非,可以與之遊乎?

如有墨名而儒行者,問其名則非,校其行而是,可以與之遊乎?

揚子雲稱:「在門牆則揮之,在夷狄則進之。」吾取以為法焉。

漢の揚子雲はいっている、「孔子の家の門や牆(土塀)のところにいながら、異端を行う者があれは、これを手を揮って追い退けるが、夷秋未開の地にあっても孔子の道を行う者があれは、これを進めて学ばせる、」と。私はこの揚子雲の語を取って手本にするのである。
75-#1 《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#1 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1442 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6194

 
 2015年6月24日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
263#4 《巻五 34少年行#4》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳-2 <263#4> Ⅰ李白詩1530 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6198 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
75-#1 《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#1 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1442> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6194 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog杜甫 《1830王兵馬使二角鷹#1》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-58 <925> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6200 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog張泌《巻四35河傳 二首之一》『花間集』186全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6202 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

 

韓愈詩-75-#1

送浮屠文暢師序

本作品收錄於:《全唐文/0555

唐宋八大家文読本 巻四 17 送浮屠文暢師序

 

送浮屠文暢師序#1§1

(僧侶文暢師を送る序)

人固有儒名而墨行者,問其名則是,

人にはもとより、儒者という名目で、墨翟兼愛の行いの者がある。その名目を問えば、儒家者流というから善いのである。

校其行則非,可以與之遊乎?

しかし、その行為を考えれば、墨家者流であるからいけないのである。このような人であって、共に交わることができるであろうか。

如有墨名而儒行者,問其名則非,

もし墨家老流の名目であって、実は儒家の行いの者があって、その名目を問えば儒家から見ては善くないが、

校其行而是,可以與之遊乎?

その行いを考えれば儒家着流であるから善いとすれば、その人と共に交際することができるであろうか。これは交わることはできそうである。

揚子雲稱:

漢の揚子雲はいっている、

「在門牆則揮之,在夷狄則進之。」

孔子の家の門や牆(土塀)のところにいながら、異端を行う者があれは、これを手を揮って追い退けるが、夷秋未開の地にあっても孔子の道を行う者があれは、これを進めて学ばせる、と。

吾取以為法焉。

私はこの揚子雲の語を取って手本にするのである。

(浮屠の文暢師を送る序)

人固より儒名にして墨行の老有り、其の名を問へは則ち是、

其の行を校ぶれは則ち非なり。以て之と遊ぶ可きか。

如し墨名にして儒行の者有り、其の名を問へは則ち非、

其の行を校ぶれは則ち是なり。以て之と遊ぶ可きか。

揚子雲稀す、

門牆に在りては則ち之を揮い、夷狄に在りては則ち之を進む」と。

吾取りて以て法と為す。

 

#2§2

浮屠師文暢喜文章,其周遊天下,凡有行必請於搢紳先生,以求詠歌其所誌。

貞元十九年春,將行東南,柳君宗元為之請。

#3

解其裝,得所得敘詩累百餘篇,非至篤好,其何能致多如是耶?

惜其無以聖人之道告之者,而徒舉浮屠之贈焉。夫文暢,浮屠也。

#4

如欲聞浮屠之,當自就其師而問之,何故謁吾徒而來請也?

彼見吾君臣父子之懿,文物事為之盛,其心有慕焉,拘其法而未能入,故樂聞其而請之。

#5

如吾徒者,宜當告之以二帝三王之道,日月星辰之行,天地之所以著,鬼神之所以幽,人物之所以蕃,江河之所以流,而語之,不當又為浮屠之而瀆告之也。

 

#6§3

民之初生,固若夷狄禽獸然。聖人者立,然後知宮居而粒食,親親而尊尊,生者養而死者藏。是故道莫大乎仁義,教莫正乎禮樂刑政。施之於天下,萬物得其宜;措之於其躬,體安而氣平。

#7

堯以是傳之舜,舜以是傳之禹,禹以是傳之湯,湯以是傳之文武,文武以是傳之周公、孔子,書之於冊,中國之人世守之。今浮屠者,孰為而孰傳之耶?

#8

夫鳥俛而啄,仰而四顧;夫獸深居而簡出:懼物之為己害也,猶且不焉。弱之肉,強之食,今我與文暢安居而暇食,優遊以生死,與禽獸異者,寧可不知其所自耶?

 

#9§4

夫不知者,非其人之罪也;知而不為者,惑也;悅乎故,不能即乎新者,弱也;知而不以告人者,不仁也;告而不以實者,不信也。余既重柳請,又嘉浮屠能喜文辭,於是乎言。

 

 

『送浮屠文暢師序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送浮屠文暢師序#1§1

人固有儒名而墨行者,問其名則是,

校其行則非,可以與之遊乎?

如有墨名而儒行者,問其名則非,

校其行而是,可以與之遊乎?

揚子雲稱:

「在門牆則揮之,在夷狄則進之。」

吾取以為法焉。


(下し文)
(浮屠の文暢師を送る序)

人固より儒名にして墨行の老有り、其の名を問へは則ち是、

其の行を校ぶれは則ち非なり。以て之と遊ぶ可きか。

如し墨名にして儒行の者有り、其の名を問へは則ち非、

其の行を校ぶれは則ち是なり。以て之と遊ぶ可きか。

揚子雲稀す、

門牆に在りては則ち之を揮い、夷狄に在りては則ち之を進む」と。

吾取りて以て法と為す。

(現代語訳)
(僧侶文暢師を送る序)

人にはもとより、儒者という名目で、墨翟兼愛の行いの者がある。その名目を問えば、儒家者流というから善いのである。

しかし、その行為を考えれば、墨家者流であるからいけないのである。このような人であって、共に交わることができるであろうか。

もし墨家老流の名目であって、実は儒家の行いの者があって、その名目を問えば儒家から見ては善くないが、

その行いを考えれば儒家着流であるから善いとすれば、その人と共に交際することができるであろうか。これは交わることはできそうである。

漢の揚子雲はいっている、

孔子の家の門や牆(土塀)のところにいながら、異端を行う者があれは、これを手を揮って追い退けるが、夷秋未開の地にあっても孔子の道を行う者があれは、これを進めて学ばせる、と。

私はこの揚子雲の語を取って手本にするのである。


(訳注)

送浮屠文暢師序#1§1

(僧侶文暢師を送る序)

浮屠 1 仏陀(ぶっだ)。ほとけ。2仏塔。3 仏寺。4 僧侶。仏教の僧侶文暢師を送る序である。韓愈は排仏論者であるから、文場を儒教に導くために、人間の禽獣と異なる所を知らねばならぬと強調し、儒家こそ、その人間の道と主張するのである。

 

人固有儒名而墨行者,問其名則是,

人にはもとより、儒者という名目で、墨翟兼愛の行いの者がある。その名目を問えば、儒家者流というから善いのである。

 

校其行則非,可以與之遊乎?

しかし、その行為を考えれば、墨家者流であるからいけないのである。このような人であって、共に交わることができるであろうか。

〇校 考える。しらペる。

 

如有墨名而儒行者,問其名則非,

もし墨家老流の名目であって、実は儒家の行いの者があって、その名目を問えば儒家から見ては善くないが、

 

校其行而是,可以與之遊乎?

その行いを考えれば儒家着流であるから善いとすれば、その人と共に交際することができるであろうか。これは交わることはできそうである。

 

揚子雲稱:

漢の揚子雲はいっている、

○揚子雲称 《揚子法言、修身篇》《揚子法言》: 或問:「人有倚孔子之墻,弦鄭、衛之聲,誦韓、莊之書,則引諸門乎?」曰:「在夷貊則引之,倚門墻則麾之。惜乎衣未成而轉為裳也。」「或人問う、人孔子の牆に倚(寄りかかる)りて、鄭衛の声(淫靡な歌声)を絃し、韓荘(韓非・荘周)の書を誦すれば、則ち諸【これ】を門に引かんかと。日く夷貉【はく】に在れば、則ち之を引き、門牆に在れば、則ち之を麾せん。惜いかな。衣 未だ成らずして転じて裳と為るや」と。

 

「在門牆則揮之,在夷狄則進之。」

孔子の家の門や牆(土塀)のところにいながら、異端を行う者があれは、これを手を揮って追い退けるが、夷秋未開の地にあっても孔子の道を行う者があれは、これを進めて学ばせる、と。

〇揮 麾と同じ、手を揮【ふる】い退ける。はらい退ける。

〇進 進め入れる。揚雄のいわゆる「引く」引き入れるの意。

 

吾取以為法焉。

私はこの揚子雲の語を取って手本にするのである。

 

(浮屠の文暢師を送る序)

人固より儒名にして墨行の老有り、其の名を問へは則ち是、

其の行を校ぶれは則ち非なり。以て之と遊ぶ可きか。

如し墨名にして儒行の者有り、其の名を問へは則ち非、

其の行を校ぶれは則ち是なり。以て之と遊ぶ可きか。

揚子雲稀す、

門牆に在りては則ち之を揮い、夷狄に在りては則ち之を進む」と。

吾取りて以て法と為す。