韓愈  送區冊序§-1-1

陽山,天下之窮處也。陸有丘陵之險,虎豹之虞;江流悍急,橫波之石,廉利侔劍戟,

舟上下失勢,破碎淪溺者,往往有之。
(区冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序で、その感激の情を述べたもの)

§-1-1

陽山は天下中で最も行きづまりの辺鄙なところである。そして、陸に丘陵のけわしさがあり、虎や豹のおそれもある。大川の流れは荒く急であって、波の中に横たわる石は角があり、するどくて、剣や戟に似ている。舟がその川を上り下りするとき、その体勢をまちがえると、波や岩に打ちくだかれて、人々が沈み溺れることは、よくあるのである。

86-#1 送區册序 韓愈(韓退之)  804年貞元20 37歳<1503 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6499韓愈詩-86-#1

 

 
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韓愈が監察御史で罪を得て陽山に流されたのか(2

むろん、一身をなげうって、本年度の課税方針の変更を要求し、少なくとも京兆府に関しては、一切免税とする措置を請願することも考えられる。ただし、これは本来京兆府尹がするべきことで、監察御史が口を出しては、越権行為になる。しかし現実に京兆府尹の李実は何もしないどころか、凶作を無視しているのだから、監察御史がそれを正面から弾劾して、新しい京兆府戸に新しい処置をとらせるように要求してもよかった。

だが、彼はそこまで踏み切っていない。彼の文書の中には、李実を弾劾する字句が一つもないのである。彼は農民を「陛下の赤子」だなどと言っているが、農民と心中して監察御史の職を棒に振るまでの決意はなかったのであろう。そしてこれが、当時の「良心的な」役人たちの、平均的な考え方(比興手法)であった。韓愈と同時代の白居易(楽天)も、若いころ地方官をしていて、農民の麦刈りを眺め、これほどの重労働に対して彼らには報いられるものが少ない、それにくらべれば自分などは、ふところ手をしていて彼らの麦を食べている、恥ずかしいことだと考えた(白民文集一、観刈麦詩)。しかし、だから白居易が地方官をやめて、農民になったわけではない。農民への同情は失わなかったが、後年の彼は大きな邸宅に住み、やはり労働することもなく農民の麦を食べ続けたのである。

韓愈が提出した意見は、格別に「危険思想」を含むものではなかったし、手段としても穏当なものであった。ところが、この意見が採用されなかったばかりか、彼は監察御史を罷免され、陽山県(広東)の県令にながされることとなった。地方官への転出だが、陽山は当時では僻遠の地なので、流罪である。

何が皇帝の(あるいは宰相の)気にさわったのか、愈にはわからない。本人にわからないくらいだから、後世の人にもわからず、彼の配流の原因については、さまざまの説がある。

 

その中で最も本当らしく見えるのは、李実の策謀とする説である。これより前、成輔端という宮廷の俳優(君主の側近で娯楽に奉仕する人)が李実の政策を批判した。俳優らしく、戯れ歌を作り、その中で李実を諷刺したのである。ところが李実は朝政を誹誘したと言いたてて成輔端を逮捕させ、杖刑に処することにして、実際は打ち殺させてしまった。そんなことをするくらいの男だから、韓愈の意見書を見て憤慨し、朝廷から追い出すようにはからったのだということである。

しかし韓愈自身は、あまり李実を疑わなかったように見える。直接に李実を弾劾したわけではないので、李実が怒るとは想像できなかったのかもしれないということにしないと、おそらくそれ以上の罪を受けていたのではなかろうか。したがって、むしろ他の人に疑いを向けて、配流の途中での詩に、次のようにうたっている。(韓文二 「赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺二十六員外翰林三学士」江陵に赴く途中、三学士に寄す)。三學士王涯、李建、李程也。

孤臣昔放逐,血泣追愆尤。汗漫不省識,怳如乘桴浮。或自疑上疏,上疏豈其由。

是年京師旱,田畝少所收。上憐民無食,徵賦半已休。有司恤經費,未免煩徵求。

富者既云急,貧者固已流。傳聞閭里間,赤子棄渠溝。持男易斗粟,掉臂莫肯酬。

我時出衢路,餓者何其稠。親逢道邊死,佇立久咿。歸舍不能食,有如魚中鉤。

適會除御史,誠當得言秋。拜疏移閤門,為忠寧自謀。上陳人疾苦,無令其喉。

下陳畿甸,根本理宜優。積雪驗豐熟,幸寬待蠶麰。天子惻然感,司空歎綢繆。

謂言即施設,乃反遷炎州【案:《舊史》言公自監察御史上章數千言,極論宮市,德宗怒,貶陽山令。《新史》亦云上疏論宮市,今詩自序其得罪之由,大抵言京師旱饑,未嘗力言宮市,惟皇甫湜〈神道碑〉云:「關中旱饑,先生力言天下根本,專政者惡之,出為陽山令。」湜當時從公遊者,知公之不以論宮市出,審矣。】。

 

同官盡才俊,偏善柳與劉。或慮語言洩,傳之落冤讎。二子不宜爾,將疑斷還不。

同官 盡【ことごと】く九俊,偏【ひと】えに柳と劉とに善し。

或いは慮【おもんばか】る語言の泄れて,之を傳えて冤讎に落ちしかと。

二子は宜【よろ】しく爾【しか】るべからず,將【は】た疑うらくは斷【さだ】めんや還【ま】た不【いな】や。

中唐詩-285 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #4 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#4

 

中使臨門遣,頃刻不得留。病妹臥床褥,分知隔明幽。悲啼乞就別,百請不頷頭。

弱妻抱稚子,出拜忘漸羞。僶俛不回顧,行行詣連州。朝為青雲士,暮作白頭囚【暮作白首囚】。

商山季冬月,冰凍行輈。春風洞庭浪,出沒驚孤舟。逾嶺到所任,低顏奉君侯。

寒何足道,隨事生瘡疣。遠地觸途異,吏民似猿猴。生獰多忿很,辭舌紛嘲啁。

白日屋簷下,雙鳴鬥鵂鶹。有蛇類兩首,有蠱群飛遊。窮冬或搖扇,盛夏或重裘。

颶起最可畏,訇哮簸陵丘。雷霆助光怪,氣象難比侔。癘疫忽潛遘,十家無一瘳。

猜嫌動置毒,對案輒懷愁。前日遇恩赦【案:貞元二十一年正月乙巳,順宗即位;二月甲子,大赦天下。愈量移江陵掾。】,私心喜還憂。

果然又羈縶,不得歸耡耰。此府雄且大,騰凌盡戈矛。棲棲法曹掾,何處事卑陬。

生平企仁義,所學皆孔周。早知大理官,不列三后儔。何況親犴【案:音岸。】獄,敲搒發姦

懸知失事勢,恐自罹罝罘。湘水清且急,涼風日修修。胡為首歸路,旅泊尚夷猶。

昨者京使至,嗣皇傅冕旒。赫然下明詔,首罪誅共口殳【案:古兜字。】。復聞顛夭輩【案:謂杜黃裳、鄭餘慶之徒為相。】,峨冠進鴻疇。

班行再肅穆,璜珮鳴琅璆。佇繼貞觀烈,邊封兜鍪。三賢推侍從,卓犖傾枚鄒。

高議參造化,清文煥皇猷。協心輔齊聖【口十心輔齊聖】,致理同毛輶。〈小雅〉詠鹿鳴【〈小雅〉詠鳴鹿】,食苹貴呦呦。

遺風邈不嗣,豈憶嘗同裯。失志早衰換,前期擬蜉蝣。自從齒牙缺,始慕舌為柔。

因疾鼻又塞,漸能等薰蕕。深思罷官去,畢命依松楸。空懷焉能果,但見已遒。

殷湯閔禽獸,解網祝蛛蝥。雷煥掘寶劍,冤氛消斗牛。茲道誠可尚,誰能借前籌。

殷勤答吾友,明月非暗投。

 

 

監察御史の同僚の中では、柳宗元と劉禹錫(この人物も中庸を代表する詩人の一人である)の二人と、特に仲がよかった。だから自分の意見書の内容は、本来ならば天子と宰相だけが知っているはずなのに、この二人の口からよそに漏れて、それが自分を憎む者の耳に入り、こんな結果になったのかもしれない。しかし、あの二人が、そのようなことをするとも考えられないから、そうだと断定してよいかどうか、まだ定めかねるというのである。

終生を通じ、韓愈の最もよい理解者であった柳宗元と、詩人として共感を抱いていた劉禹錫をすら、この時の愈は疑惑の眼で見ていたのである。だが、それにはまた、それなりの理由もあった。時の皇帝である徳宗の治世はすでに長く、朝廷の百官は遠からずその終末が来ることを予測して、皇太子、すなわち後の順宗の方へと眼を向けていた。皇太子のお気に入りの側近は王任と王叔文の二人である。この二人を中心にして、次の政権を夢みる役人たちの結束が進行しつつあった。柳宗元と劉禹錫も、その一員である。

王伾と王叔文は、『唐書』などの記録では好臣として扱われ、近ごろの研究では、むしろ評判がよい。二人は徳宗の政策に不満を抱き、同志の役人たちを集めて、皇太子が即位したらすぐに革新的な政策を打ち出そうと企劃した。しかし、その改革があまりに急であったのと、皇太子の病気のため、保守派の捲き返しを受けて、結局は挫折した。だから、王伾・王叔文およびその傘下に集まった人々は、当時の進歩的な官僚たちであり、彼らが失敗した後、保守派が記録を曲げて、彼らの革新的な意図を私利私欲による薄きたないものにしてしまったというのが、近ごろの解釈である。たしかに、彼らは革新を志した。柳宗元などは、最も純粋にそれを志向した一人といえよう。しかし、意図はどうであろうとも、彼らは次の皇帝となるべき人を錦の御旗として、自分たちが権力を握ろうと計劃した。そこに集まった人々が、すべて進歩的な、憂国の士であったとは限るまい。ここで出世をつかもうとする野心家が含まれていたとしても、しかたのないことであろう。彼らの間には、皇太子が即位したときのために、自分たちのグループで朝廷の高官を独占する秘密の名簿もできていたという。これも保守派が作り上げた根も葉もない噂と言いすててもよかろうが、革新政策を断行するためには、そのくらいの準備をするのは当然である。とすれば、その名簿に入りたいための革新派が出現しても、無理はない。

この準備行動は隠密のうちに進められる必要があった。そこで、同志以外でこの事情を多少とも知った者があれば、裏から手をまわし、朝廷から追い出したという。これは後に彼らの罪状の一とされたもので、保守派が作った記録は、彼らがどれほど陰険に敵を陥れたかを力説する。手口が陰険であったかどうかは判定のしょうもないが、秘密を知った第三者をそのままにしておけないのは、当然であろう。

韓愈がその第三者と見なされる可能性は大きかった。彼は王伾・王叔文の一党に属していない。そして、一党のうちの幹部クラスである柳宗元・劉禹錫と特に親しい。柳・劉の二人が韓愈に大事を漏らすはずはないが、何かのはずみに、薄々にでも韓愈が気づくようなことを口走らないとも限らない。少なくとも、韓愈が薄々感づいたと二人が判断する可能性はあるわけで、そうなれば親友であっても、放置することはできない。そのあたりの事情を考えたのが、前の詩に見える屈折した表現となったのかもしれなかった。

また、別の説もある。韓愈は宮市の弊害を論じた意見書を上奏した。宮市とは、宮中で必要な物資を業者から買い入れることをいう。当然なことのようだが、これが購入担当の匡官たちの役得となった。彼らは宮中御用と言いたて、法外に安い価格で物資を買いあげてしまう。ほとんど掠奪といぇる場合さえあった。白居易の「新楽府」のうちの「売炭翁」は、このために泣かされた炭焼きの爺さんを描き出した。爺さんは炭を牛車に積み、苦労して長安の町まで売りに来るが、そこで宮市の使者につかまり、申しわけ程度の代価とひきかえに、炭を全部持って行かれてしまう。このように民衆を苦しめる宮市を廃止すべきだと韓愈が主張したのが、彼の流罪のほんとうの原因であったというのである。

 

ここで思いあたるのは、皇太子がかつて王叔文たちと雑談のおり、宮市の廃止を天子に進言しようと思うと語った、という話である。そのとき、一同は大いに賛成したが、王叔文だけが反対した。宮市の弊害は誰もが感じている。その廃止を言い出せば、人望は皇太子に集まる。皇太子が人望を集めようとしていると見られれば、自分の地位に不安を感じる天子が、そのままではすまさないだろうというのである。皇太子は忠告に感謝し、宮市の件は口に出さぬこととした。

その一件を、韓愈が上奏文にしたわけである。むろん、皇太子の側近でどんな会話があったのか、韓愈が知るはずもないのだが、皇太子の方では秘密が漏れたと感じたかもしれない。そのため、皇太子一派の策動で愈が追い出されたと考えることもできる。いちおう筋の立った説ではあるが、ただ、宮市に関する愈の上奏文なるものは、現存しない。少なくとも、今日に伝わる彼の文集の中には見えない。

ともかく、愈は都から追われた。護送の兵士に囲まれ、妻子を残して、彼はあわただしく南へと旅立つ。その情景を、彼は前にあげた詩の中に、引き続いてうたった。

 

《赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士》

#5

中使臨門遣,頃刻不得留。
病妹臥床褥,分知隔明幽。
悲啼乞就別,百請不頷頭。
弱妻抱稚子,出拜忘慚羞。
僶俛不回顧,行行詣連州。
中使 門に臨みて遣【や】り,頃刻【けいこく】留まるを得ず。
病妹 床褥【しょうじょく】に臥す,分【さだ】めて明幽を隔てんことを知る。
悲啼【ひてい】別れ就かんと乞い,百【もも】たび請えども頭【こうべ】を頷【うなず】かせず。[17] [18]
弱妻は稚子を抱き,出で拜して慚羞【ざんしゅう】を忘る。
僶俛【べんびん】回顧せず,行き行きて連州に詣【いた】る。

中唐詩-286 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #5 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#5

#6

朝為青雲士,暮作白首囚。
商山季冬月,冰凍行輈。
春風洞庭浪,出沒驚孤舟。
逾嶺到所任,低顏奉君侯。
酸寒何足道,隨事生瘡疣。
遠地觸途異,吏民似猿猴。

朝【あした】には青雲の士為【た】り,暮には白首の囚と作【な】れり。

商山 季冬の月,冰凍して行輈【こうしゅう】ゆ。

春風 洞庭の浪,出沒して孤舟驚く。

嶺を逾【こ】えて任とする所に到り,顏を低【た】れて君侯に奉ず。

酸寒 何ぞ道【い】うに足らん,事に隨って瘡疣【そうゆう】を生ず。

遠地 途【みち】に觸れて異なり,吏民 猿猴【えんこう】に似たり。

中唐詩-287 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #6 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#6

 

 

 

そして翌、804年貞元二十年二月、愈は陽山に着いた。現在の広東省の北部、湖南との省境に近いあたりである。彼は言う。

送區冊序[

陽山,天下之窮處也。陸有丘陵之險,虎豹之虞;江流悍急,橫波之石,廉利侔劍戟,舟上下失勢,破碎淪溺者,往往有之。縣郭無居民,官無丞尉,夾江荒茅篁竹之間,小吏十餘家,皆鳥言夷面。始至,言語不通,畫地為字,然後可告以出租賦,奉期約。是以賓客遊從之士,無所為而至。愈待罪於斯,且半矣。有區生者,誓言相好,自南海挐舟而來,升自賓階,儀觀甚偉,坐與之語,文義卓然。莊周云:「逃空虛者,聞人足音,跫然而喜矣。」況如斯人者,豈易得哉!入吾室,聞《詩》《書》仁義之,欣然喜,若有志於其間也。與之翳嘉林,坐石磯,投竿而漁,陶然以樂,若能遺外聲利,而不厭乎貧賤也。之初吉,歸拜其親,酒壺既傾,序以識別。

陽山は天下の窮処なり。陸に丘陵の険、虎豹の虞れ有り。江流悼急、横波の石、廉利なること剣戟に倖し。舟の上下して勢を失ひ、破砕給溺する者、往往にしてこれ有り。県郭に居民無く(県城の内に住民がなく)、官に丞尉無し(補佐役もない)。江を爽む荒芽室竹の問、小吏十余家あり。皆鳥言夷面、言語通ぜず。地に画いて字と為し、然る後に告ぐるに租賦を出し、期約を奉ずるを以てす可し(韓文二一、区冊を送る序)

たいへんな辺地なのである。彼は都恋しさに堪えられない。そのころ、はるばる手紙をよこした竇存亮という若い後輩への返書に、彼はこう書いた。

答竇秀才書

愈白:愈少駑怯,於他藝能,自度無可努力,又不通時事,而與世多齟齬。念終無以樹立,遂發憤篤專於文學。學不得其術,凡所辛苦而僅有之者,皆符於空言,而不適於實用,又重以自廢。是故學成而道益窮,年老而智愈困。今又以罪黜於朝廷,遠宰蠻縣,愁憂無聊,瘴癘侵加,喘喘焉無以冀朝夕。足下年少才俊,辭雅而氣,當朝廷求賢如不及之時,當道者又皆良有司,操數寸之管,書盈尺之紙,高可以釣爵位,循次而進,亦不失萬一於甲科。今乃乘不測之舟,入無人之地,以相從問文章為事。身勤而事左,辭重而請約,非計之得也。雖使古之君子,積道藏德,遁其光而不曜,膠其口而不傳者,遇足下之請懇懇,猶將倒廩傾囷,羅列而進也。若愈之愚不肖,又安敢有愛於左右哉!顧足下之能,足以自奮。愈之所有,如前所陳,是以臨事愧恥而不敢答也。錢財不足以賄左右之匱急,文章不足以發足下之事業。稇載而往,垂橐而歸,足下亮之而已。愈白。

今又罪を以て朝廷より動けられ、遠く蛮県に宰たり。愁憂無柳、療病浸く加はり、喘鳴として以て朝夕を巽ふ無し(韓文一五、賓秀才に答ふる書)。

南方は高温多湿である。風土病も多い。乾燥した北方から移って来た人々は、とかく病気にかかりやすかった。当時の人たちはこれを、南方には毒気を含んだ霧のようなものが立ちこめているのであって、それに触れた者が病気にかかるのだと考え、「療病の気」または「痺気」と呼んで恐れた。その疫病の気がしだいに愈の身に泌み込んで、もう虫の息となり(喘喘)、朝は生きていても、夕方まで命がもつかどうか、おぼつかないありさまだというのである。

 

 

年:804年貞元20 37

卷別:    卷三三九            文體:    五言古詩

詩題:    縣齋讀書【案:在陽山作。】

作地點:              陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:              縣齋 (江南西道 連州 陽山)              

韓愈が陽山に流された時、区冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序に、その感激の情を述べたのである。冊の人物には別に伝はない。区は音「欧」と同じ。

 

 

送區冊序§-1-1

陽山,天下之窮處也。陸有丘陵之險,虎豹之虞;江流悍急,橫波之石,廉利侔劍戟,舟上下失勢,破碎淪溺者,往往有之。

§-1-2

縣郭無居民,官無丞尉,夾江荒茅篁竹之間,小吏十餘家,皆鳥言夷面。始至,言語不通,畫地為字,然後可告以出租賦,奉期約。是以賓客遊從之士,無所為而至。

§-2-1

愈待罪於斯,且半矣。有區生者,誓言相好,自南海挐舟而來,升自賓階,儀觀甚偉,坐與之語,文義卓然。

§-2-2

莊周云:「逃空虛者,聞人足音,跫然而喜矣。」況如斯人者,豈易得哉!入吾室,聞《詩》《書》仁義之,欣然喜,若有志於其間也。

§-2-3

與之翳嘉林,坐石磯,投竿而漁,陶然以樂,若能遺外聲利,而不厭乎貧賤也。之初吉,歸拜其親,酒壺既傾,序以識別。

 

送區冊序§-1-1

陽山,天下之窮處也。

陸有丘陵之險,虎豹之虞;

江流悍急,橫波之石,廉利侔劍戟,

舟上下失勢,破碎淪溺者,往往有之。

(区冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序で、その感激の情を述べたもの)

§-1-1

陽山は天下中で最も行きづまりの辺鄙なところである。

そして、陸に丘陵のけわしさがあり、虎や豹のおそれもある。

大川の流れは荒く急であって、波の中に横たわる石は角があり、するどくて、剣や戟に似ている。

舟がその川を上り下りするとき、その体勢をまちがえると、波や岩に打ちくだかれて、人々が沈み溺れることは、よくあるのである。

 

陽山は天下の窮處なり。

陸に邱陵の険、虎豹の虞有り。

江流急にして、波に横はるの石は、廉利なること劍戟し。

舟上下するに勢をへば、破砕倫溺する者、往往之れ有り。

 

§-1-2

縣郭無居民,官無丞尉,

夾江荒茅篁竹之間,小吏十餘家,

皆鳥言夷面。始至,言語不通,

畫地為字,然後可告以出租賦,奉期約。

是以賓客遊從之士,無所為而至。

 

縣郭に居民無く、官に丞尉無し。

江を爽める荒茅篁竹の間に、小吏十餘家あり。

皆 鳥言 夷面、始て至りしとき言語通ぜず、

地に畫して字を為し、然る後に告ぐるに租賦を出し、期約を奉ずるを以てす可し。

是を以て賓客遊從の士、為にして至る所無し。

 嶺南道圖00

 

『送區冊序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送區冊序§-1-1

陽山,天下之窮處也。

陸有丘陵之險,虎豹之虞;

江流悍急,橫波之石,廉利侔劍戟,

舟上下失勢,破碎淪溺者,往往有之。

(下し文)
陽山は天下の窮處なり。

陸に邱陵の険、虎豹の虞有り。

江流悍急にして、波に横はるの石は、廉利なること劍戟に侔し。

舟上下するに勢を失へば、破砕倫溺する者、往往之れ有り。

(現代語訳)
(区冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序で、その感激の情を述べたもの)

§-1-1

陽山は天下中で最も行きづまりの辺鄙なところである。

そして、陸に丘陵のけわしさがあり、虎や豹のおそれもある。

大川の流れは荒く急であって、波の中に横たわる石は角があり、するどくて、剣や戟に似ている。

舟がその川を上り下りするとき、その体勢をまちがえると、波や岩に打ちくだかれて、人々が沈み溺れることは、よくあるのである。


(訳注) §-1-1

送區冊序

(区冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序で、その感激の情を述べたもの)

韓愈が陽山に流された時、区冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序に、その感激の情を述べたのである。冊の人物には別に伝はない。区は音「欧」と同じ。

 

陽山,天下之窮處也。

陽山は天下中で最も行きづまりの辺鄙なところである。

○陽山 広東省連州にある。貞元二〇年(804)、韓愈は京兆尹李実に陥れられて陽山の令に貶せられた。三十七歳の春である。

○窮処 行きづまりの所。最も辺郡な所。

 

陸有丘陵之險,虎豹之虞;

そして、陸に丘陵のけわしさがあり、虎や豹のおそれもある。

 

江流悍急,橫波之石,廉利侔劍戟,

大川の流れは荒く急であって、波の中に横たわる石は角があり、するどくて、剣や戟に似ている。

 

舟上下失勢,破碎淪溺者,往往有之。

舟がその川を上り下りするとき、その体勢をまちがえると、波や岩に打ちくだかれて、人々が沈み溺れることは、よくあるのである。

○淪溺 しずみおぼれる。沈没する。
韓愈 陽山00