韓愈  燕喜亭記§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,輦糞壤,燔翳。

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでそのさまを記したもの)§1-1

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。

87-#1 燕喜亭記 韓愈(韓退之)  804年貞元20 37歳<1508> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6524

 

 
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韓愈詩-87-#1

燕喜亭記

§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,輦糞壤,燔翳。

2§1-2

卻立而視之,出者突然成邱,陷者呀然成穀,{穴窪}者為池,而闕者為洞,若有鬼神異物陰來相之。自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,乃立屋以避風雨寒暑。

 

§2-1

既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,蔽於古而顯於今,有俟之道也;其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,穀言德,瀑言容也;其土穀曰「黃金之穀」,

§2-2

瀑曰「秩秩之瀑」,穀言容,瀑言德也;洞曰「寒居之洞」,誌其入時也;池曰「君子之地」,虛以鍾其美,盈以出其惡也;泉之源曰「天澤之泉」,出高而施下也;

§2-3

合而名之以屋曰「燕喜之亭」,取詩所謂「魯侯燕喜」者頌也。

於是州民之老,聞而相與觀焉,曰:吾州之山水名天下,然而無與「燕喜」者比。經營於其側者相接也,而莫直其地。凡天作而地藏之,以遺其人乎?

 

§3-1

宏中自吏部郎貶秩而來,次其道途所經,自藍田入商洛,涉淅湍,臨漢水,升峴首以望方城;出荊門,下岷江,過洞庭,上湘水,行衡山之下;繇郴逾嶺,蝯狖所家,魚龍所宮,極幽遐瑰詭之觀,宜其於山水飫聞而厭見也。

§3-2

今其意乃若不足,《傳》曰:「知者樂水,仁者樂山」。宏中之德與其所好,可謂協矣。智以謀之,仁以居之,吾知其去是而羽儀於天朝也不遠矣。遂刻石以記。

 

唐時代 韓愈関連05 

 

燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでそのさまを記したもの)

§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。

異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。

或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。

斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,

そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。

輦糞壤,燔

悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。

 

2§1-2

卻立而視之,出者突然成邱,陷者呀然成穀,{穴窪}者為池,而闕者為洞,若有鬼神異物陰來相之。自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,乃立屋以避風雨寒暑。

 

燕喜亭記§1-1

太原の王弘中は連州に在り。佛を学ぶ人景常・元慧と游ぶ。

異日二人の者に従って、其の居の後、荒邸の間に行き、高きに上って望み、異處を得たり。

茅を斬って嘉樹列り、石を發【あば】いて清泉激す。

糞壤を輦し、【し】翳を燔【や】く。

 

§1-2

卻立して之を観るに、出づる者は突然として邸を成し、陥る者は冴然として谷を成し、窪める者は池と為りて、映くる者は洞と為り、鬼耐異物、陰に来って之を相くること有るが若し。

是より弘中二人の者と、農に往いて夕に締るを忘る。乃ち臣を立てて以て風雨寒暑を逝く。

韓愈 陽山00 

 

『燕喜亭記』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

燕喜亭記

§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,

異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。

斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,

輦糞壤,燔

 

(下し文)
燕喜亭記§1-1

太原の王弘中は連州に在り。佛を学ぶ人景常・元慧と游ぶ。

異日二人の者に従って、其の居の後、荒邸の間に行き、高きに上って望み、異處を得たり。

茅を斬って嘉樹列り、石を發【あば】いて清泉激す。

糞壤を輦し、【し】翳を燔【や】く

(現代語訳)
燕喜亭記(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでそのさまを記したもの)

§1-1

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。

或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。

そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。

悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。


(訳注) §1-1

燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでそのさまを記したもの)

○燕喜亭の主人、王弘中(王仲舒)は、名は仲野である。韓愈は時に陽山の令となる。年三十七、弘中は吏部員外郎から貶せられて遠州にあった。陽山は連州の属邑であった。同じく貶せられた者同士往来交友の間柄であったので、その亭のために記を作ったのである。

 

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。

佛人景常元慧 景常は、靈師のこと。霊験あらたかな師。師は僧の尊称。俗名は、皇甫といった。元慧は、元惠上人で、仏教の僧侶ではあるが、卓犖不羈の人である。自註に、「愈在連州,與釋景常,元惠遊。惠師即元惠也。」とある。

78-#1 《巻0210送惠師》【愈在連州,與釋景常,元惠遊。惠師即元惠也。】-#1 韓愈(韓退之) 804元20年 39歳<1474 Ⅱ【11分割】-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6354

79-#1 (改訂)《巻0211送靈師》-#1 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1485 Ⅱ【11分割】-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6409韓愈詩-79-#1

 

異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。

或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。

 

斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,

そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。

○発石 石を発掘して。

○激 勢いよく流れる。ほとばしる。

 

輦糞壤,燔翳。

悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。

○輦 手押し車。

○糞壌 糞土に同じ、きたない土壌、悪土。

○翳 、木の立ち枯れしたもの。翳も枯れ木の仆れたものが自然に集まっている影を為すところ。『詩経』大雅皇矣篇に「作之屏之、其菑其翳。脩之平之、其灌其。」(これを作りこれを屏する、その菑その翳。これを脩めこれを平らぐ、その灌その。)とあり、説註に「木自ら集れたるを翳と為す」とある。に同じ。

菑【し】:立ち枯れのきその翳。

【れつ】:木のかたまり。

『詩経』大雅皇矣篇(八章の内初二章)

皇矣上帝、臨下有赫。監觀四方、求民之莫。

維此二國、其政不獲。維彼四國、爰究爰度。

上帝耆之、憎其式廓。乃眷西顧、止維與宅。

 

作之屏之、其菑其翳。脩之平之、其灌其

之辟之、其檉其椐。攘之剔之、其檿其柘。

帝遷明德、串夷載路。天立厥配、受命既固。

韓愈 陽山と潮州002