韓愈 #3 燕喜亭記§2-1   

既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,蔽於古而顯於今,有俟之道也;

其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,穀言德,瀑言容也;

其土穀曰「黃金之穀」,
やがで、亭ができ上がった。私、韓愈はこれに名をつけたいと申し出て、その丘を「俟德の丘」という。これは、昔は蔽われて世に知られず、今になって顕れたのは、俟(待つ) の道理があったからである。その石の谷を「謙受の谷」といい、瀑を「振鷺の瀑」という。これは谷の徳性が、虚しくてへりくだり受け入れるのをいい、操の様子、姿が白いことをいうのである。その土の谷を黄金の谷という。

87-#3 燕喜亭記 韓愈(韓退之)  804年貞元20 37歳<1510 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6534韓愈詩-87-#3

 

 

 
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燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでその様を記したもの)

§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。

異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。

或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。

斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,

そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。

輦糞壤,燔

悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。

 

燕喜亭記§1-1

太原の王弘中は連州に在り。佛を学ぶ人景常・元慧と游ぶ。

異日二人の者に従って、其の居の後、荒邸の間に行き、高きに上って望み、異處を得たり。

茅を斬って嘉樹列り、石を發【あば】いて清泉激す。

糞壤を輦し、【し】翳を燔【や】く。

 

2§1-2

卻立而視之,出者突然成邱,

あとずさりしてこれをよく見ると、出張っているものは突き出て丘となる。

陷者呀然成穀,窪者為池,而闕者為洞,

落ち込んでいるものは、口をあいたように谷となり、くぼんでいるものは池となり、欠けている所は洞穴となっている。

若有鬼神異物陰來相之。

まるで目に見えぬ霊魂や神、妖怪が、ひそかに来て手伝ってくれたかのように、すはらしくよい眺めになった。

自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,

これから宏中と二人の僧とは、朝早く行って、夕暮れにはあまりの楽しさに志るのを忘れるというありさまであった。

乃立屋以避風雨寒暑。

そこで東屋を立てて、風雨寒暑を避けることにした。

 

§1-2

卻立して之をるに、出づる者は突然として邱を成し、

陥る者は冴然としてを成し、窪める者は池と為りて、闕くる者は洞と為り、

鬼神異物、陰に来って之を相くること有るが若し。

是より弘中二人の者と、晨に往いて夕に歸るを忘る。

乃ち臣を立てて以て風雨寒暑を避く。

 

§2-1

既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,

やがで、亭ができ上がった。私、韓愈はこれに名をつけたいと申し出て、その丘を「俟德の丘」という。

蔽於古而顯於今,有俟之道也;

これは、昔は蔽われて世に知られず、今になって顕れたのは、俟(待つ) の道理があったからである。

其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,

その石の谷を「謙受の谷」といい、瀑を「振鷺の瀑」という。

穀言德,瀑言容也;

これは谷の徳性が、虚しくてへりくだり受け入れるのをいい、操の様子、姿が白いことをいうのである。

其土穀曰「黃金之穀」,
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その土の谷を黄金の谷という。

 

既に成る。愈 之に名けんと請ふ。其の邱を「俟德の邱」と日う。

古に蔽ぼれて今に顯わる。俟つの道有るなり。

其の石谷を「謙愛の谷」と日い、瀑を振鷺の瀑と日う。

谷は徳を言ひ、瀑は容を言ふなり。

其の土谷を「黄金の谷」と日う。

 

§2-2

瀑曰「秩秩之瀑」,穀言容,瀑言德也;洞曰「寒居之洞」,誌其入時也;池曰「君子之地」,虛以鍾其美,盈以出其惡也;泉之源曰「天澤之泉」,出高而施下也;

§2-3

合而名之以屋曰「燕喜之亭」,取詩所謂「魯侯燕喜」者頌也。

於是州民之老,聞而相與觀焉,曰:吾州之山水名天下,然而無與「燕喜」者比。經營於其側者相接也,而莫直其地。凡天作而地藏之,以遺其人乎?

 

瀑を「秩秩の操」と日い、谷は容を言う。

は徳を言ふなり。洞を「寒居の洞」と日ふ。其の入る時を志すなり。

池を「君子の池」と日ふ。虚以て其の美を鍾め、盈以て其の悪を出すなり。

泉の源を「天澤の泉」と日ふ。高きに出でて下きに施すなり。

 

合せて之に名くるに屋を以てして、「燕音の亭」と日ふ。

詩に所謂「魯侯燕喜」する者に取る頌なり。

是に於て州民の老、聞いて相異に観る。

日く、吾が州の山水天下に名あり。然り而して「燕書」といふ者と比する無しと。

其の側に経営する者相接するなり。而も其の地に直る美し。

凡そ天作りて地之を癒し、以て其の人に逼るか。

嶺南道圖00 

『燕喜亭記』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§2-1

既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,

蔽於古而顯於今,有俟之道也;

其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,

穀言德,瀑言容也;

其土穀曰「黃金之穀」,

(下し文)
既に成る。愈 之に名けんと請ふ。其の邱を「俟德の邱」と日う。

古に蔽ぼれて今に顯わる。俟つの道有るなり。

其の石谷を「謙愛の谷」と日い、瀑を振鷺の瀑と日う。

谷は徳を言ひ、瀑は容を言ふなり。

其の土谷を「黄金の谷」と日う。

(現代語訳)
§2-1

やがで、亭ができ上がった。私、韓愈はこれに名をつけたいと申し出て、その丘を「俟德の丘」という。

これは、昔は蔽われて世に知られず、今になって顕れたのは、俟(待つ) の道理があったからである。

その石の谷を「謙受の谷」といい、瀑を「振鷺の瀑」という。

これは谷の徳性が、虚しくてへりくだり受け入れるのをいい、操の様子、姿が白いことをいうのである。

その土の谷を黄金の谷という。

韓愈 陽山と潮州002
(訳注) §2-1

燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでその様を記したもの)

 

既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,

やがで、亭ができ上がった。私、韓愈はこれに名をつけたいと申し出て、その丘を「俟德の丘」という。

○俟德 徳、即ち人格のある人物を俟って戯れるの意。

 

蔽於古而顯於今,有俟之道也;

これは、昔は蔽われて世に知られず、今になって顕れたのは、俟(待つ) の道理があったからである。

○道 道理。

 

其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,

その石の谷を「謙受の谷」といい、瀑を「振鷺の瀑」という。

○謙受 『書経』大禹謨に「謙にして益を受く」とある。へり下ってその結果、利益を受ける

○振鷺 《『詩経』周頌振鷺篇》に、「振鷺于飛、于彼西雝。」(振鷺 于【ここ】に飛ぶ、彼の西雝に。)の句がある。鷺が勢いよく群がり、西の雝の沼のほうに飛び行く意。振は鷺・とりの群飛の形容。

・容子は激白。瀧水を喩える。

 

穀言德,瀑言容也;

これは谷の徳性が、虚しくてへりくだり受け入れるのをいい、操の様子、姿が白いことをいうのである。

 

其土穀曰「黃金之穀」,

その土の谷を黄金の谷という。
韓愈 陽山00