韓愈  郴州祈雨

乞雨女郎魂,炮羞潔且繁。廟開鼯鼠叫,神降越巫言。

旱氣期銷蕩,陰官想駿奔。行看五馬入,蕭颯已隨軒。
(郴州にいて、旱が続き、雨ごいをする祠の様子を見ていたら、李伯康太守がそこに現れると日照りの風向きに変化が現れたという)

なにがしといふ女を祭った祠廟に雨を祈るといふので、肉を焼いて供饌となし、清潔を旨とし、且つ其量も豊富である。廟門を開くと、滅多に中に這入ることも無いから、中に居たむささびが、驚いて叫び、やがて、神さまが乗り移ったというので、越國の巫女は、何やら頻りに喋舌り立てる。願うところは、旱気が早く消えで無くなれば善いので、陰官も、かく祭られてはだまっておれず、大急ぎで奔走しているだろう。とかくする内、太守は五馬の車を駆り立って、ここに這入ってきたが、平生善政を行って居る位だから、この人が一たび祈れば、屹度霊験があるので、現に蕭颯たる風雨の聲は、太守の車に随って遠くから催してきた。

韓愈111 巻九07郴州祈雨》  韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1607 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7019


 
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 韓愈詩-韓愈111

年:805年貞元21 38

卷別:    卷三四三              文體:    五言律詩

詩題:    郴州祈雨

作地點:              郴州(江南西道 / 郴州 / 郴州)

及地點:              郴州 (江南西道 郴州 郴州) 別名:湘中         

交遊人物/地點:  

 

 

郴州祈雨

(郴州にいて、旱が続き、雨ごいをする祠の様子を見ていたら、李伯康太守がそこに現れると日照りの風向きに変化が現れたという)

乞雨女郎魂,炮羞潔且繁。

なにがしといふ女を祭った祠廟に雨を祈るといふので、肉を焼いて供饌となし、清潔を旨とし、且つ其量も豊富である。

廟開鼯鼠叫,神降越巫言。

廟門を開くと、滅多に中に這入ることも無いから、中に居たむささびが、驚いて叫び、やがて、神さまが乗り移ったというので、越國の巫女は、何やら頻りに喋舌り立てる。

旱氣期銷蕩,陰官想駿奔。

願うところは、旱気が早く消えで無くなれば善いので、陰官も、かく祭られてはだまっておれず、大急ぎで奔走しているだろう。

行看五馬入,蕭颯已隨軒。

とかくする内、太守は五馬の車を駆り立って、ここに這入ってきたが、平生善政を行って居る位だから、この人が一たび祈れば、屹度霊験があるので、現に蕭颯たる風雨の聲は、太守の車に随って遠くから催してきた。

 

(郴州に雨を祈る)

雨を乞う 女郎の魂,炮羞 潔にして且つ繁なり。

廟 開いて 鼯鼠 叫び,神 降って 越巫 言う。

旱氣 銷蕩せんことを期し,陰官 駿奔を想う。

行いて看る 五馬の入るを,蕭颯 已に 軒に隨う。

 

『郴州祈雨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

郴州祈雨

乞雨女郎魂,炮羞潔且繁。

廟開鼯鼠叫,神降越巫言。

旱氣期銷蕩,陰官想駿奔。

行看五馬入,蕭颯已隨軒。

(下し文)
(
郴州に雨を祈る)

雨を乞う 女郎の魂,炮羞 潔にして且つ繁なり。

廟 開いて 鼯鼠 叫び,神 降って 越巫 言う。

旱氣 銷蕩せんことを期し,陰官 駿奔を想う。

行いて看る 五馬の入るを,蕭颯 已に 軒に隨う。

(現代語訳)
郴州祈雨 (郴州にいて、旱が続き、雨ごいをする祠の様子を見ていたら、李伯康太守がそこに現れると日照りの風向きに変化が現れたという)

なにがしといふ女を祭った祠廟に雨を祈るといふので、肉を焼いて供饌となし、清潔を旨とし、且つ其量も豊富である。

廟門を開くと、滅多に中に這入ることも無いから、中に居たむささびが、驚いて叫び、やがて、神さまが乗り移ったというので、越國の巫女は、何やら頻りに喋舌り立てる。

願うところは、旱気が早く消えで無くなれば善いので、陰官も、かく祭られてはだまっておれず、大急ぎで奔走しているだろう。

とかくする内、太守は五馬の車を駆り立って、ここに這入ってきたが、平生善政を行って居る位だから、この人が一たび祈れば、屹度霊験があるので、現に蕭颯たる風雨の聲は、太守の車に随って遠くから催してきた。


(訳注)

郴州祈雨

(郴州にいて、旱が続き、雨ごいをする祠の様子を見ていたら、李伯康太守がそこに現れると日照りの風向きに変化が現れたという)

1.    【郴州祈雨・題義】 唐書地理志に「郴州は・桂陽郡に属して、江南道に属す」とあって、後には州として、湖廣に属して居た。韓愈は、赦に遇うて陽山を離れ、そして、江陵府の法曹参軍となるまで、凡そ三個月の間、待命中、郴州に居たので、この詩は、その間、雨を或る祠廟に祈るのを見て作ったのである。

2.    郴州 江南西道郴州

3.    【関連】郴州の太守、即ち刺史は、以下の通り、前にも見えて、紙筆を贈った李伯康である。彼は、実際、可なり善政があった。この詩の結句は、其時の実況ということであらう。

李員外寄紙筆【案:李伯康也,郴州刺史。】

題是臨池後,分從起草餘。

兔尖針莫並,繭淨雪難如。

莫怪殷勤謝,虞卿正著書。

(李員外 紙筆を寄す【李伯康なり,郴州の刺史。】)

題すること是れ「臨池」の後,分つことは起草の餘よりす。

兔の尖なるは 針 並ぶ莫く,繭の淨きは 雪も 如く難し。

怪む莫れ 殷勤に謝するを,虞卿 正に書を著わす。

郴州刺史となった李員外殿が紙筆して一詩を寄せてくれる【李員外は、李伯康なり,郴州の刺史である。】)

李員外 李員外は、李伯康であり、803年貞元19年郴州刺史となった。韓愈が郴州待命中、世話になった。後に韓愈は《祭郴州李使君文》のなかで「苞黃甘而致貽,獲紙筆之雙貿。」とこの詩のことを述べている。

郴州刺史となった李員外殿が紙筆して一詩を寄せてくれる【李員外は、李伯康なり,郴州の刺史である。】)

この紙に、この筆で書くことは、「臨池学書、池水尽黒」」と十分に修辞の練習をしたのちにすべきである、しかしこれをいつものこととされる君の能書も、その様であるが、この紙筆を他人に分かつことは、禁中にあって、文章の起草を掌ったのちのもの、即ち、その使い残しの者と見えてまことに結構な品々である。

筆先は兔毛で出来ていて、その先のとがっていることは、針にも勝っているし、紙は、眉から作ったので、その純白なることは、雪にも及ばぬくらいのものである。

此れを頂戴して、慇懃にお礼を申し上げるのは、他意は一切なく、感謝する所である、自分は、昔の虞卿のように困窮の愁にあって、今しも著書に心掛けているからで、何よりの物を賜ったのは誠にありがたく思う次第である。

82 巻09-04李員外寄紙筆【案:李伯康也,郴州刺史。】 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1499 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6479

 

乞雨女郎魂,炮羞潔且繁。

なにがしといふ女を祭った祠廟に雨を祈るといふので、肉を焼いて供饌となし、清潔を旨とし、且つ其量も豊富である。

4.    女郎魂  女郎は誰を指すのかは不詳であるが、いづれかの孝女を祭っているのであろう、霊験あらたかな祠廟があったものと見える。

5.    炮羞  炮は肉を包み焼くにしたるもの、羞は神前の供饌。

6.    潔且繁  清潔を旨とし、且つ其量も豊富であるということ。

 

廟開鼯鼠叫,神降越巫言。

廟門を開くと、滅多に中に這入ることも無いから、中に居たむささびが、驚いて叫び、やがて、神さまが乗り移ったというので、越國の巫女は、何やら頻りに喋舌り立てる。

7.    鼯鼠  爾雅に 「鼯鼠は、状、蝙の如く、飛んで且つ乳す、亦た飛生と名づく」とある。

8.    越巫  史記封禅書に「漢の武帝、越巫をして越の祝詞な立てしむ」とある。越巫は、越國の巫。

 

旱氣期銷蕩,陰官想駿奔。

願うところは、旱気が早く消えで無くなれば善いので、陰官も、かく祭られてはだまっておれず、大急ぎで奔走しているだろう。

9.    旱氣  ひでりの気。

10.  銷蕩  消えて無くなる。

11.  陰官  陰府の官人。

12.  駿奔  書經に「駿く奔走して豆籩を執る」とある、疾く走る。

 

行看五馬入,蕭颯已隨軒。

とかくする内、太守は五馬の車を駆り立って、ここに這入ってきたが、平生善政を行って居る位だから、この人が一たび祈れば、屹度霊験があるので、現に蕭颯たる風雨の聲は、太守の車に随って遠くから催してきた。

13.  五馬  太守を称するもの、鄭注に謂う:『《周禮》:州長旟を建つ。』漢太守比に州長とし,故に云う。後見して龐幾先云う:『古より駟馬車に乘る,漢時に至り,太守出でて則ち一馬を增す,事 《漢官儀》見える也。』〕故に五馬と爲す。鄭注謂:『《周禮》:州長建旟。』漢太守比州長,故云。後見龐幾先云:『古乘駟馬車,至漢時,太守出則增一馬,事見《漢官儀》也。』〕

14.  隨軒 軒は車、随軒は即ち車に随うこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

韓愈 郴州祈雨 【宇解】

 

【1】        【郴州祈雨・題義】 唐書地理志に「郴州は・桂陽郡に属して、江南道に属す」とあって、後には州として、湖廣に属して居た。韓愈は、赦に遇うて陽山を離れ、そして、江陵府の法曹参軍となるまで、凡そ三個月の間、待命中、郴州に居たので、この詩は、その間、雨を或る祠廟に祈るのを見て作ったのである。

【2】        郴州 江南西道郴州

【3】        【関連】郴州の太守、即ち刺史は、以下の通り、前にも見えて、紙筆を贈った李伯康である。彼は、実際、可なり善政があった。この詩の結句は、其時の実況ということであらう。

李員外寄紙筆【案:李伯康也,郴州刺史。】

題是臨池後,分從起草餘。

兔尖針莫並,繭淨雪難如。

莫怪殷勤謝,虞卿正著書。

(李員外 紙筆を寄す【李伯康なり,郴州の刺史。】)

題すること是れ「臨池」の後,分つことは起草の餘よりす。

兔の尖なるは 針 並ぶ莫く,繭の淨きは 雪も 如く難し。

怪む莫れ 殷勤に謝するを,虞卿 正に書を著わす。

郴州刺史となった李員外殿が紙筆して一詩を寄せてくれる【李員外は、李伯康なり,郴州の刺史である。】)

李員外 李員外は、李伯康であり、803年貞元19年郴州刺史となった。韓愈が郴州待命中、世話になった。後に韓愈は《祭郴州李使君文》のなかで「苞黃甘而致貽,獲紙筆之雙貿。」とこの詩のことを述べている。

郴州刺史となった李員外殿が紙筆して一詩を寄せてくれる【李員外は、李伯康なり,郴州の刺史である。】)

この紙に、この筆で書くことは、「臨池学書、池水尽黒」」と十分に修辞の練習をしたのちにすべきである、しかしこれをいつものこととされる君の能書も、その様であるが、この紙筆を他人に分かつことは、禁中にあって、文章の起草を掌ったのちのもの、即ち、その使い残しの者と見えてまことに結構な品々である。

筆先は兔毛で出来ていて、その先のとがっていることは、針にも勝っているし、紙は、眉から作ったので、その純白なることは、雪にも及ばぬくらいのものである。

此れを頂戴して、慇懃にお礼を申し上げるのは、他意は一切なく、感謝する所である、自分は、昔の虞卿のように困窮の愁にあって、今しも著書に心掛けているからで、何よりの物を賜ったのは誠にありがたく思う次第である。

82 巻09-04李員外寄紙筆【案:李伯康也,郴州刺史。】 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1499 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6479

【4】       女郎魂  女郎は誰を指すのかは不詳であるが、いづれかの孝女を祭っているのであろう、霊験あらたかな祠廟があったものと見える。

【5】       炮羞  炮は肉を包み焼くにしたるもの、羞は神前の供饌。

【6】       潔且繁  清潔を旨とし、且つ其量も豊富であるということ。

【7】       鼯鼠  爾雅に 「鼯鼠は、状、蝙の如く、飛んで且つ乳す、亦た飛生と名づく」とある。

【8】       越巫  史記封禅書に「漢の武帝、越巫をして越の祝詞な立てしむ」とある。越巫は、越國の巫。

【9】       旱氣  ひでりの気。

【10】    銷蕩  消えて無くなる。

【11】    陰官  陰府の官人。

【12】    駿奔  書經に「駿く奔走して豆籩を執る」とある、疾く走る。

【13】    五馬  太守を称するもの、鄭注に謂う:『《周禮》:州長旟を建つ。』漢太守比に州長とし,故に云う。後見して龐幾先云う:『古より駟馬車に乘る,漢時に至り,太守出でて則ち一馬を增す,事 《漢官儀》見える也。』〕故に五馬と爲す。鄭注謂:『《周禮》:州長建旟。』漢太守比州長,故云。後見龐幾先云:『古乘駟馬車,至漢時,太守出則增一馬,事見《漢官儀》也。』〕

【14】    隨軒 軒は車、随軒は即ち車に随うこと。