韓愈  上兵部李侍郎書§1

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:愈少鄙鈍,於時事都不通曉,家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

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韓愈は宮市の弊害を論じた意見書を上奏した。宮市とは、宮中で必要な物資を業者から買い入れることをいう。当然なことのようだが、これが購入担当の匡官たちの役得となった。彼らは宮中御用と言いたて、法外に安い価格で物資を買いあげてしまう。ほとんど掠奪といぇる場合さえあった。自居易の「新楽府」のうちの「売炭翁」は、このために泣かされた炭焼きの爺さんを描き出した。爺さんは炭を牛車に積み、苦労して長安の町まで売りに来るが、そこで宮市の使者につかまり、申しわけ程度の代価とひきかえに、炭を全部持って行かれてしまう。このように民衆を苦しめる宮市を廃止すべきだと韓愈が主張したのが、彼の流罪のほんとうの原因であったのである。

 

 

韓愈がもらった職は、江陵府の法曹参軍であった。府庁の中で司法事務を管掌する、末端の官僚である。榔州の刺史(州家)は愈の召還を奏請したのだが、その上官である湖南観察使(使家)が握りつぶし、不運にも(玖珂)やはり刑蛮の地である江陵(今の湖北省江陵。愈はこんなことを言っているが、陽山よりはもちろん都に近い大都会である)に移住を許されただけだというのである。

ここに一つの問題がある。当時の湖南観察使の楊漁は、柳宗元の妻の父であった。愈の陽山へ流されたのが王叔文一派のさしがねとするならば、彼らが順宗を擁して時めいている時期に、愈を簡単に召還するはずがない。幹部の柳宗元の義父ともなれば、その辺の事情は察していたであろうから、中央からの指令はなくとも、楊憑が勝手に奏請を握りつぶしたのだろうと、推測する説がある。事実か香かは確かめようもないが、「使家は抑へ」とうたった愈が、そこに気をまわしていた可能性は大きい。

任地は刑蛮の江陵、しかも法曹参軍という「卑官」である。官僚が罪を犯すことがあると、流罪とか左遷とかの処罰を受けるが、庶民とは違って、笞や杖で叩かれることはない。その身分を重んじ、屈辱的な刑は遠慮するのである。ところが法曹参軍など、「判司」と総称される役人には、それが適用されない。庶民と同様に、叩かれることもあった。

自分のかつての同僚たちは、たいがい出世コースを歩いている。こう言ったときの韓愈は、おそらく柳宗元や劉禹錫を思い浮べていたのであろう。朝廷への道(天路)は暗く険しく、彼らのあとを迫って登ることもできない。

彼はますます絶望的な気特になった。このころ、自戒の意味をこめて五つのいましめ、「五」(韓文一二)を書いたが、その序文には言う。

余生三十有八年,髮之短者日益白,齒之搖者日益

余、生れて三十有八年、髪の短き者は日ごとに益と白く、歯の揺らぐ者は日ごとに益々脱す。

聡明は前時に及ばず、道徳は日ごとに初心に負く。

そして五箴の一つである「游箴」(遊ぶことのいましめ)には、

余少之時,將求多能,蚤夜以孜孜。余今之時,既飽而嬉,蚤夜以無為。

余、少き時、将に多能を求めんとし、蚤夜以て孜孜たり(朝晩努力していた)。

余、今の時、既に飽いて嬉しみ、蚤夜以て為すこと無し。

これらには、もとより現在のわが身への自嘲がこめられていよう。しかし、前途に希望を失ってしまっては、さすがの彼も、往年の壮気を呼びもどすすべがなかったように見える。

翌年は憲宗の元和元年(八〇六)である。愈は三十九歳の正月を江陵で迎えた。そして「春に感ず」と題する四首の詩(韓文三)を作ったが、その第三首には言う。

 感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
詩書漸欲
,節行久已惰。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
孤負平生心,已矣知何奈。

朝に一馬を騎して出で,暝【くれ】に一床【いっしょう】に就【つ】きて臥す。
詩書【ししょ】漸【ようや】く
【なげう】たんと欲す,節行【せつこう】久しく已に惰【おこた】れり。
冠 欹【そばだ】ちて 發【かみ】の禿【とく】なるを感ず,語 誤【あやま】ちて 齒の墮【おつ】るに。驚く。
孤負【こふ】す 平生の心,已【やんぬる】矣 知る何奈【いかん】せん。

 

法曹参軍には供をする者もないので、朝、出勤するときは馬が一頭だけ。妻子もいないので、夜、寝るときはベッドが一つきり。学問(詩書)もだんだんと拗棄しかけてきた。正しい行為を守ろうとしたのも、とっくの昔におろそかとなっている。冠が傾いた。それで自分の髪が薄くなったのだと気づく。言葉を言い違えた。これも歯がぬけたためと、悲しい。今の自分は、平素の信念にそむいてしまった。しかし、もうしかたがない。これをどうしたらよいのだろう。

 

 

 

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

§2

性本好文學,因困厄悲愁,

無所告語,遂得究窮於經傳、

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

-2

凡自唐虞以來,編簡所存,

大之為河海,高之為山嶽,

明之為日月,幽之為鬼神,

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

奇辭奧旨,靡不通達。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

年老而智益困,私自憐悼,

悔其初心,發禿齒落,不見知己。

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

堂下之言,不書於傳記。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

§4-1

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

自江而西,既化而行矣。

今者入守職,為朝廷大臣,

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

出言舉事,宜必施設。

既有聽之之明,又有振之之力,

寧戚之歌,鬷明之言,

不發於左右,則後而失其時矣。

§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

南行詩一卷,舒憂悲,

雜以瑰怪之言,時俗之好,

所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。

 

 


『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説

(本文)

上兵部李侍郎書§1

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

 

(下し文§1

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

(現代語訳)

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

 

(訳注

兵部李侍郎書§1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

1.  兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

2. 江陵府 湖北省の省都。

3. 法曹参軍 司法を掌る属官。

 

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

4. 鄙鈍 見識が低くのろまである。

5. 都 すべて。

 

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

6. 覓官 役職を求める。

 

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

7. 薄命 運命が薄い、運がわるい。

8. 讒謗 ありもせぬ罪を言い立てて悪口をいう.

 

 

 

韓愈 兵部李侍郎に上る書 《上兵部李侍郎書》【字解】

 

1 兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

2. 江陵府 湖北省の省都。

3. 法曹参軍 司法を掌る属官。

4. 鄙鈍 見識が低くのろまである。

5. 都 すべて。

6. 覓官 役職を求める。

7. 薄命 運命が薄い、運がわるい。

8. 讒謗 ありもせぬ罪を言い立てて悪口をいう.

 

 

五箴(並序)--韓愈(國學治要五-古文治要卷一)

【原文】

人患不知其過,既知之,不能改,是無勇也。余生三十有八年,髮之短者日益白,齒之搖者日益,聰明不及於前時,道德日負於初心,其不至於君子而卒為小人也昭昭矣!作《五箴》以訟[1]其惡云。

 

游箴

余少之時,將求多能,蚤[2]夜以孜孜。余今之時,既飽而嬉,蚤夜以無為。嗚呼余乎,其無知乎?君子之棄,而小人之歸乎?

 

言箴

不知言之人,烏[3]可與言?知言之人,默焉而其意已傳。幕中之辯,人反以汝為叛[4]。臺中之評,人反以汝為傾[5]。汝不懲邪,而呶(ㄋㄠˊ)[6]以害其生邪!

 

行箴

行與義乖,言與法違。後雖無害,汝可以悔。行也無邪,言也無頗。死而不死,汝悔而何。宜悔而休,汝惡曷瘳(ㄔㄡ)[7]。宜休而悔,汝善安在。悔不可追,悔不可為。思而斯得,汝則勿思。

 

好惡箴

無善而好,不觀其道。無悖而惡,不詳其故。前之所好,今見其尤。從也為比[8],捨也為讎(ㄔㄡˊ,通仇)。前之所惡,今見其臧(ㄗㄤ)[9]。從也為愧,捨也為狂。維讎維比,維狂維愧。於身不祥,於德不義。不義不祥,維惡之大,幾如是為,而不顛沛?齒之尚少,庸有不思。今其老矣,不慎胡為。

 

知名箴

不足者,急於人知。霈(ㄆㄟˋ)[10]焉有餘,厥聞(ㄨㄣˋ)[11]四馳。今日告汝,知名之法,勿病無聞,病其曄(ㄧㄝˋ)[12]。昔者子路,惟恐有聞。赫然千載,德譽愈尊。矜汝文章,負汝言語。乘人不能,揜(ㄧㄢˇ,通掩)以自取。汝非其父,汝非其師,不請而教,誰云不欺。欺以賈(ㄍㄨˇ古)[13]憎,揜以媒怨。汝曾不寤[14],以及於難。小人在辱,亦克知悔。及其既寧,終莫能戒。既出汝心,又銘汝前。汝如不顧,禍亦宜然。

 

【注釋】

[1]訟:責備。

[2]蚤:通「早」,表時間。

[3]烏:哪裡,怎麼;與「安、焉、何」同義。

[4]叛:違背。

[5]傾:傾軋、排擠。韓愈在《論天旱人飢狀》中提出「伏請特敕京兆府」停徵賦,而京兆尹李實是德宗的幸臣,他不止一次對德宗「今年雖旱,而穀甚好」,德宗因而認為韓愈是有意傾軋、排擠李實。

[6]呶呶:謂多言也。

[7]瘳:損失、減少。

[8]比:親密。

[9]臧:善。

[10]霈:比恩澤。

[11]聞:名聲。

[12]曄曄:盛大的樣子。

[13]賈:招引、招惹。

[14]寤:通「悟」,醒悟。

 

【註】韓愈《五箴》不能視為嚴肅的教,而是抒發他對黑暗現實的牢騷和不滿,表達他對自己懷才不遇,屢遭排擠打擊的坎坷身世的深沉感嘆。

 

【作者】韓愈(768年-824年)[1],字退之,出生於河南河陽(今河南孟縣),祖籍郡望昌黎郡(今遼寧省義縣),自稱昌黎韓愈,世稱韓昌黎。卒諡文,世稱韓文公。唐代文學家,與柳宗元是當時古文運動的倡導者,合稱「韓柳」。蘇軾稱讚他「文起八代之衰,道濟天下之溺,忠犯人主之怒,勇奪三軍之帥」。散文,詩,均有名。著作有 《昌黎先生集》。