韓愈  南山詩 #19

雖親不褻狎,雖遠不悖謬。或如臨食案,肴核紛飣餖。

又如遊九原,墳墓包槨柩。或纍若盆甖,或揭若豋豆。

親しいものとして尊厳をけがすほどに慣れなれしく、親しんでいるわけではなく、かといって疎遠なものとして顔をそむけることなどできるものではない。あるものは食卓に向かうとき、ご馳走の品々の山の幸と海の幸がいりみだれてならべ飾られているようである。又、陵墓地、九原に行って散歩するとき、卵塔婆をうずたかくもりあげられた間に槨柩がつつまれ収められているようでもある。あるものは、累々として盆や鉢をいくつもかさねたように、あるものは土製や木製の高杯の上が開いた食器のように高くぬっとそびえている。

韓愈128

01-13

南山詩

197174

806年貞元22 39-1-#19

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韓愈詩-韓愈128 <1666

年:806年貞元22 39-1

卷別:    卷三三六              文體:    五言古詩

詩題:    南山詩

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

太白山 (京畿道 岐州 太白山) 別名:太白峰  

昆明 (劍南道南部 嶲州 昆明)           

杜陵 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:杜墅、少陵             

畢原 (京畿道 京兆府 萬年)              

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

澄源夫人湫廟 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:湫、湫祠堂             

藍田 (京畿道 京兆府 藍田)

交遊人物/地點:  

 

 

18

或浮若波濤,或碎若鋤耨。

あるものは大波小波、波濤のようにくだけちり、うかび、あるものは鋤鍬で土を掘りかえして耕やしたかのように砕けている。

或如賁育倫。賭勝勇前購。

あるものは昔の孟賁や夏育のような力自慢の勇士たちがいるようであり、そしてかれらが目の前の賞品に勇んで勝負をかけているようである。

先強勢已出,後鈍嗔餖

先の方に立つものが力強くて形勢が早くも図抜けており、後の方はこれに追いつけない鈍さのあまり腹を立ててぶつぶつ不満をいっているようである。

或如帝王尊,叢集朝賤幼。

あるものは帝王が尊厳、威厳をもっているようであり、身分いやしきものいと幼い王族のものたちをよびあつめ朝廷での朝礼に集わせられているようである。

18

或るいは浮かんで波濤【はとう】の若く、或るいは砕【くだ】けて鋤耨【じょどう】せしが若し。

或るいは賁育【ほんいく】が倫【りん】の、勝つことを賭けて前の購【かけもの】に勇むが如し。

先強うして勢 已【すで】に出で、後 鈍くして嗔【いか】って餖【とうどう】す。

或るいは帝王の尊きが、叢【あつ】め集めて賤幼【せんよう】を朝せしむるが如し。

 

19

雖親不褻狎,雖遠不悖謬。

親しいものとして尊厳をけがすほどに慣れなれしく、親しんでいるわけではなく、かといって疎遠なものとして顔をそむけることなどできるものではない。

或如臨食案,肴核紛飣餖。

あるものは食卓に向かうとき、ご馳走の品々の山の幸と海の幸がいりみだれてならべ飾られているようである。

又如遊九原,墳墓包槨柩。

又、陵墓地、九原に行って散歩するとき、卵塔婆をうずたかくもりあげられた間に槨柩がつつまれ収められているようでもある。

或纍若盆甖,或揭若豋豆。

あるものは、累々として盆や鉢をいくつもかさねたように、あるものは土製や木製の高杯の上が開いた食器のように高くぬっとそびえている。

 

19

親【したし】しと雖も褻狎【せつこう】せず、遠しと雖も悖謬【はいびゅう】せず。

或るいは食案【しょくあん】に臨んで、餚核【こうかく】の紛として飣餖【ていとう】するが如し。

又九原【きゅうげん】に遊んで、墳墓【ふんぼ】に槨柩【かくきゅう】を包みたるが如し。

或るいは愛として盆罌【ぼんえい】の若く、成るいは揚として覴梪【とうとう】の若し。

 

20~#23

 

20

20

75

或覆若曝鱉,或若寢獸。

或るいは覆って曝【さら】せる鱉【べつ】の若く、攻るいは【くず】れて寝ねたる獣【けだもの】の若し

76

或蜿若藏龍,或翼若搏鷲。

或るいは蜿【えん】として蔵れたる竜の若く、或るいは翼【はう】って搏【たたこ】う鷲【わし】の若し。

77

或齊若友朋,或隨若先後。

或るいは斉【な】らびて友朋【ゆうほう】の若く、或るいは随って先後【せんこう】の若し。

78

或迸若流落,或顧若宿留。

成るいは迸【ほとばし】りて流落【りゅうらく】するが若く、或るいは顧【かえ】りみて宿留【しゅうりゅう】するが若し。

 

21

21

79

或淚若仇讎,或密若婚媾。

或るいは戻って仇讎【きゅうしゅう】の若く、或るいは密【みつ】にして婚媾【こんこう】の若し。

80

或儼若峨冠,或翻若舞袖。

或るいは儼【おごそ】かにして峨冠【がかん】の若く、或るいは翻【ひるがえ】って舞いの袖の若し。

81

或屹若戰陣,或圍若蒐狩。

或るいは屹【きつ】として戦陣【せんじん】の若く、或るいは囲んで蒐狩【しゅうしゅ】の若し。

82

或靡然東注,或偃然北首。

或るいは靡然【びぜん】として東に注ぎ、或るいは偃然【えんぜん】として北に首【む】こう。

 

22

22

83

或如火熹焰,或若氣饙餾。

或るいは火の熹焰【きえん】するが如く、或るいは気の饙餾【ふんりゅう】するが若し。

84

或行而不輟,或遺而不收。

或るいは行って輟【とど】まらず、或るいは遺【のこ】して収【おさ】めず。

85

或斜而不倚,或弛而不彀。

或るいは斜【ななめ】にして倚【かたよ】らず、或るいは弛【ゆる】うして彀【は】らず。

86

或赤若禿鬝。或燻若柴槱。

或るいは赤として禿鬝【とうかん】の若く、或るいは熏【くん】じて柴槱【さいゆう】の若し。

 

23

23

87

或如龜坼兆,或若卦分繇。

或るいは亀【き】の兆【ちょう】を柝【わか】つが如く、或るいは卦【か】の繇【ちゅう】を分かつが若し。

88

或前橫若剝,或後斷若姤。

或るいは前の横たわって剥【はく】の若く、攻るいは後【しり】えの断えて姤【こう】の若し。

89

延延離又屬,夬夬叛還遘。

延延【えんえん】として離れて又属【つら】なり、夬夬【かいかい】として叛いて還た遘【あ】えり。

90

喁喁魚闖萍,落落月經宿。

喁喁【ぎょうぎょう】として魚は萍【うきぐさ】を闖【うか】がい、落落【らくらく】として月は宿を経【ふ】。

 

 

『南山詩』現代語訳と訳註解説
(
本文)

19

雖親不褻狎,雖遠不悖謬。

或如臨食案,肴核紛飣餖。

又如遊九原,墳墓包槨柩。

或纍若盆,或揭若

(下し文)
19

親【したし】しと雖も褻狎【せつこう】せず、遠しと雖も悖謬【はいびゅう】せず。

或るいは食案【しょくあん】に臨んで、餚核【こうかく】の紛として飣餖【ていとう】するが如し。

又九原【きゅうげん】に遊んで、墳墓【ふんぼ】に槨柩【かくきゅう】を包みたるが如し。

或るいは愛として盆罌【ぼんえい】の若く、成るいは揚として梪【とうとう】の若し

(現代語訳)
19

親しいものとして尊厳をけがすほどに慣れなれしく、親しんでいるわけではなく、かといって疎遠なものとして顔をそむけることなどできるものではない。

あるものは食卓に向かうとき、ご馳走の品々の山の幸と海の幸がいりみだれてならべ飾られているようである。

又、陵墓地、九原に行って散歩するとき、卵塔婆をうずたかくもりあげられた間に槨柩がつつまれ収められているようでもある。

あるものは、累々として盆や鉢をいくつもかさねたように、あるものは土製や木製の高杯の上が開いた食器のように高くぬっとそびえている。


(訳注)

《 巻01-13南山詩 》 #19

(南山をいろいろの角度から描写しようとした詩)

 

雖親不褻狎,雖遠不悖謬。

親しいものとして尊厳をけがすほどに慣れなれしく、親しんでいるわけではなく、かといって疎遠なものとして顔をそむけることなどできるものではない。

191 雖親不褻狎 褻狎は、過度になれしたしむ。親しいからといってことさらなれしたしむことはしない。この「親しい」というのは、前の句の「幼」を受ける。

192 雖遠不悖謬 悖謬は、仲たがいをする。自分から遠いものであっても、ことさらそれらをわるくあつかうことはしない。「遠い」は、「賤しい」人を受ける。

 

或如臨食案,餚核紛飣餖

あるものは食卓に向かうとき、ご馳走の品々の山の幸と海の幸がいりみだれてならべ飾られているようである。

193 食案 食卓。案は、つくえ。

194 餚核 ごちそう。・餚核は餖という高杯に盛る料理をいい核は竹で編んだ食器に入れるもの、挑や梅などをいう。「詩経」小雅賓之初筵篇に見えることばである。

195 紛 いりまじる。

196 飣餖 ごちそうがいっぱいならんでいるさま。

 

又如游九原,墳墓包槨柩。

又、陵墓地、九原に行って散歩するとき、卵塔婆をうずたかくもりあげられた間に槨柩がつつまれ収められているようでもある。

197 遊九原 墓地を散歩する。九原は、墓地。むかし晋の国(今の山西省にあった)の卿大夫(家老たち)は、郊外の九原という野原に葬むられたところからいう。「礼記」檀弓篇に、「趙文子、叔誉と九原に観【よろこ】ぶ。」とあるのをふまえたことば。

198 墳墓 墳も墓も、はか。土を盛りあげて作る。

199 槨柩 槨柩は、棺おけの外をおおう箱、外棺。柩は、ひつぎ。死体のはいっている棺。

 

或累若盆罌,或揭若覴梪。

あるものは、累々として盆や鉢をいくつもかさねたように、あるものは土製や木製の高杯の上が開いた食器のように高くぬっとそびえている。

200 累 かさなりあっている。

201 盆罌 盆は、はち、たらいの類、土器である。・罌も、土器で、とっくりの類。

202 掲 高く挙がっている。ぬっとそびえている。

203 覴梪 覴は、土器製の高杯。梪は、豆の宇と同じ。木製の高杯。

《 巻01-13南山詩 》【字解】

1 終南山 史記正義に「括地志に云ふ、終南山、一名中南山、一名太乙山、一名南山、一名橘山、一名楚山、一名秦山、一名周南山、一名地肺山、雍州萬年縣南五十里に在り」とあり、圖書編に「終南は乃ち関中の南山、西は隴鳳より起り、東は商洛をこえ、綿亙千里有除、その南北、亦た然り、地に随って名を異にす、総じて、之を言へば南山といふのみ」とある。それから西安志に「紫閣峰は、すなわち終南山の一峰なり」とあって、その詩は、前に見えて居る。この詩は山色を望み・山中の紫閣峰邊に住んで居る隠者輩に寄せたのである。

終南 唐の首都長安の南にそびえる終南山。ここでは、終南山や太白山を含め、秦蹴山脈全体を称して南山といっているようである。終南山は、西岳の太白山376m、と中岳の嵩山1440mのあいだにあり、渭水の南、20002900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高20002900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。

○紫閣連終南 紫閣峰は終南山中の一峰である。峰陰の陰は北をいう。その下に渼陂はつつみの名、長安から南西に約40㎞、卾県の西五里にあり、終南山の諸谷より出て胡公泉を合して陂となる、広さ数里、上に紫閣峰がある、杜甫 《巻1733秋興,八首之八》「昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。」(昆吾 御宿 自ら逶迤【いい】たり、紫閣の峰陰渼陂に入る。長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。

紫閣峰・渼陂については、《巻三11城西陂泛舟【案:即渼陂。】》、《巻三12 渼陂行》【陂在鄠縣西五里,周一十四里。】「半陂以南純浸山,動影裊窕沖融間。船舷暝戛雲際寺,水面月出藍田關。」《巻三13 渼陂西南臺》 「錯磨終南翠,顛倒白閣影。崒增光輝,乘陵惜俄頃。」とみえる。

李白  《君子有所思行》(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)

紫閣連終南,青冥天倪色。憑崖望咸陽,宮闕羅北極。萬井驚畫出,九衢如絃直。

紫閣は終南に連り,青冥 天倪の色。崖に憑って咸陽を望めば,宮闕 北極を羅ぬ。萬井 畫き出づるかと驚き,九衢 絃の如く直なり。

紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。

2 吾聞京城南 この最初の一段は、序にあたる部分である。京城は、みやこ長安。

3 茲惟 惟は、ことばの調子をととのえるための助辞。

4 群山太白山、終南山、華山 の秦嶺山脈をいう。終南山は古くから道教、仏教の本山がある。儒虚者の隠遁、修行の場である。

5 囿 本来は、動物を飼っておく囲いのある庭。そこからものが集まっている所をいう。交會地点。

6 両際海 際は、接していること。海は、四方の地のはてにあると考えられた。史記に見えた、舂申君が秦の昭王に上る書に「王の地、一に南海を経」とある。無論、中国の東は、太平洋、西は、西域の先も海であると、インド洋であり、地中海である。東漢の甘英に條支、即ち今の小亜細亜まで行って、地中海を望み、もう行かれねと思って引き返したという記述もある。

7 山経 山のことを書いた書物。「山海経」など。中国の地理書。中国古代の戦国時代から秦朝・漢代にかけて徐々に付加執筆されて成立したものと考えられており、最古の地理書(地誌)とされる。『山海経』は今日的な地理書ではなく、古代中国人の伝説的地理認識を示すものであり、「奇書」扱いされている。

8 地志 土地の状況を書いた書物。歴代の正史に載せた地理志の類。周禮•職方氏、元和郡縣誌、三輔黄圖、長安志、太平寰宇記などいかに羅列す。

《禹貢》、《周禮•職方氏》、《元和郡縣誌》、《山海經》、《太平寰宇記》、《漢中府志》、《武功縣誌》、《十洲記》蠻書、水經注、地記、錄、夢粱錄、佛國記、              船錄、              寺塔記、              三輔黃圖、           廬山記、島夷志略、南嶽小錄、臺灣通史、嶺外代答、武林舊事、東京夢華錄、淳熙三山志、桂林風土記、荊楚時記、嶺表錄異、都城紀勝、洛陽伽藍記、游城南記、溪蠻叢笑、平江記事、大唐西域記、華紀麗譜、真臘風土記、徐霞客遊記、東京夢華錄、洛陽名園記、岳陽風土記など。

9 茫昧 ぼんやりとよくわからぬ。

10 受授 手ずから伝授する。

11 団辞 団は、団結の意。ことばをあらんかぎり、いろいろとりあつめる。

12 提挈 挈も提と同じく、ひっさげること。大網を提げる。

13 桂一 一つだけをとりあげて。桂は、掛と同じ。

14 萬漏 万もあるそのほかの多数をわすれてしまう。漏万とあるべきところを、押韻の都合で、逆の順序にしてある、

15 欲休諒不能 やめようとおもうがどうしてもやめられない。諒は、実のところ、心中おくそこでは、の愈。

16 經覯 自分が親歴して実際に見たこと。

17 嘗昇崇丘望 この段は、ある高い丘から南山の大観を見たところである。嘗は、そういう経験のあったことを示す助辞。崇は、高いこと。終南山は、華山(西嶽;2,160m陝西省渭南市華陰市)太白山3760m、と嵩山(中嶽;1,440m河南省鄭州市登封市)、のあいだにあり、渭水の南、20002900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高20002900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。

18 戢戢 よりあつまっている形容。

19 稜角 かど。山の稜線をいう。

20 緩脈 いとすじ・山だから尾根すじである。

21 砕分繍 いつもは、大きな尾根すじしか見えないのが、天気がからりとはれたので、こまかい支脈までよく見え、山の稜線は刺繍が零砕して別れているよう、というのである。稜線からグラデーションする山が重なり続く様子を言う。

22 蒸嵐 わき上がる山気。かげろうのようなもので、山をいっそうくっきりと浮き出すような力を持つ。嵐は、山気であって、あらしではない。

23 澒洞 気体がいっしょにいりまじっている形容。

24 通透 つきぬける。

25 飄簸 ふきあげてひす。飄は、吹きあげられること。・簸 箕()で穀物をあおって、くずを除き去る。

26 融液 雨の潤沢によりとけること。

27 煦 あたためること。

28 柔茂 草木をうるおししげらせる。

29 平凝 平らになったままじっとしている。

30 數岫 岫はみね、ピークをいう。それが数多くあること、すなわち谷の筋があることを意味する。

31 修眉 咲は、長い。女性の化粧の一つである長い眉を画がくこと、ここは遠くから見た山のすがたをいう。

32 新就 えがきあげたばかりである。就は、でき上がること。

33 孤撑 撑は、斜に入れる支え柱。孤撑は、ひとつの峰だけが他とはなれて斜につっ立っていること。

34 巉絶 山が切り立っている形容。

35  もちあげる。

36 鵬 鵬は、大鵬で、「荘子」逍逢游篇に出て来る寓話上の巨大な鳥で、その背は何千里あるか分からないほどであり、北海に住み、南海に移動することがある。

北極贈李觀 (北極李観に贈る詩)

北極有羈羽,南溟有沉鱗。川原浩浩隔,影響兩無因。

風雲一朝會,變化成一身。誰言道裏遠,感激疾如神。

我年二十五,求友昧其人。哀歌西京市,乃與夫子親。

所尚同趨,賢愚豈異倫。方為金石姿,萬世無緇磷。

無為兒女態,憔悴悲賤貧。

『荘子、逍逢游篇』「北凕有魚焉,其廣數千里,未有知其修者,其名爲鯤。有鳥焉,其名爲鵬,背若泰山,翼若垂天之雲;摶扶羊角而上者九萬里,絶雲氣,負青天,然後圖南,且適南冥也。去以六月息者也。且夫水之積也不厚,(讀若“”)則其負大舟也無力。

ここから「海浴」ということばがみちびかれる。櫛ぞ島のくちぱし。

37 春陽 生物を育てる春の陽気。春を青陽というように、陽は、春の性質とされる。以下ここから一季節四句で、南山の四季の移り変わりを述べている。

38 沮洳 じめじめしたさま。ものをうるおすさま。

39 濯濯 つやつやしているさま。

40 深秀 おく深くめばえているさま。秀は、他よりくらべて目立ってつき出ているさま。ここは草木の芽生え始めを描写している。

41 巌巒 巒は、けわしい小山。巌巒で、とんがった岩の峰をいう。

42 嵂崒 高くてけわしい形容。

43 軟弱 やわらかくてよわよわしい。

44 含酎 酎は、よくかもされたこい酒の雰囲気を持ち、酎を含むとは、山の中腹が微酔をおび、うっとりとした気持ちがあふれていることをいうのである。

45 夏炎 夏のやけつく暑さ。夏は、五行思想で赤、南、火星、火であり、その司る帝は、炎帝である。

46 百木 いろいろの木。

47 蔭鬱 こんもりしているさま・

48 埋覆 覆は、おおうこと

49 日歊歔 日は、日日に・歊歔は、照り付ける、山の持っている生命力といえる気を上にふきあげるさま。その気が吐き上げられて雲氣となる。

50 争結構 競争でいろいろの造型をおこなう。桔構は、くみたてる。

51 刻轢 いためつけること。《史記酷吏列傳序》「高后時, 酷吏獨有侯封, 刻轢宗室, 侵辱功臣。」(高后の時, 酷吏獨り侯封有り, 宗室を刻轢し、功臣を侵辱す。)とある、刻削凌轢、刻んできしる。

52 磔卓 草木が闌れて山だけがつっ立っている形容。

53 瘦 も、やせていること。

54 参差 長短不そろいのさま。

56 剛耿 しっかりとして人とたやすく妥協しない儒教者の気概をいう。・耿 明るい,まばゆい.気概がある,公正な.誠実な,忠実な忠心。忠義に篤い.気掛かりな,

57 陵 下に見くだす。

58 宇宙 四次元世界。宇は、空間系であり、宙は、時間系である。

59 冬行 冬の間、冬の季節。行は、運行、めぐりあわせ、その間ということ。

60 幽墨 幽はくらい、墨はすみ。冬は、五行思想で玄(黒)、北、重陽、辰星(水星)で、水であり、黒色に相当する。鉛色の空。

61 琢鏤 琢は、玉に細工する。鏤は、彫刻する。樹氷を言う。

62 新曦 曦は、日のひかり。新曦では、清廉な時、出たばかりの朝日。

63 危峨 山のけわしい形容。

64 億丈恒高洸 高袤は、高さとひろさ。ここは、「高袤恒に億丈」という意で、いつも億丈の高さとひろさとを、朝日が照らすということであろう。

丈は約3m。「広」は東西の、「袤」は南北の長さの意》幅と長さ。広さ。面積。

65 明昏 明は、夜明け、あさ。昏は、夕ぐれ。だからあさゆうということ。

66 停態 状態をそのままにしている。

67 頃刻 ほんのしばらくのあいだ。

68 状候 候も、状と同じく有様ということ。徴候の候である。

69 西南雄太白 この段は、終南山脈のうちの一峰で西端の最高峰、太白山3760mのことである。

70 間簉 間は、なかをへだてる。簉は、そえものとしてくっついていること。

71 藩都 藩は、かきね。都なる長安の垣根として太白山、終南山と崋山がつったっている。

72 配徳運 先秦以来、各朝代には、それぞれその朝が尊ぶ五行の徳が定められており、唐は土徳であるとされた。西府は、易の八卦で坤位にあたり、坤は、地すなわち土をあらわすから、「徳運に配す」というのである。つまり最高峰の太白山から他の山々にその気を、徳を配分、配当しているという。

73 分宅 太白山が、終南山脈中でもほかの山山とははなれて、別の家をかまえるように、特別の位置を占めていることをいう。

74 丁戊 西南の方角をいう。

75 逍遙 【しょうよう】気ままにあちこちを歩き回ること。そぞろ歩き。散歩。「南山にある谷を散歩する。

76 坤位 西南の方位。

77 詆訐【テイケツ】欠点をあばいて、とことんまでつきつめる。

78 乾竇 乾は、西北の方位。資は、あな。ここは、長安の南西と西の渭水流域、西北の方位が、涇水流域となって、広範囲、低地となっていることをいう。

79 空虚 がらんとなにもないさま。

80 競競 ひやひやと気づかうさま。

81 較 かなり。

82 蒐漱 蒐は、さあっと風の速いさま。漱も、ここでは蒐と同じような意味。

83 朱維 朱は、五行思想で夏を朱明というように、夏をあらわす色。維はつな。朱維は、夏の太陽の軌道ということ。

84 方 ちょうどそのときにあたる。

85 陰霰 陰の気がこりかたまってできたあられ。

86 縦 思うままに。

87 騰糅 地上にあられが降り、落ちて飛び跳ね揉み合っている様子。

88 前尋 この前におとずれたとき。以下この段は、かつて杜陵()を経て、南山に分け入ったときのことである。

89 径 まっすぐにとおりぬける。

90 杜墅 長安の南の郊外にある杜陵のこと。墅は、田園、荘園。

91 忿蔽 塵土がかぶさってうすぎたないさま。忿は、塵のことであるが、ここは忿蔽で形容詞的に用いられている。

92 畢原陋 畢原は、長安萬年縣の西南二十八里郊にあって、周の文王・武王・周公を葬むった土地。ここは、そういう聖人たちを葬むった畢原も、塵ほこりにうずもれて、見苦しくなっているということ。

杜甫『奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 『夏日李公見訪』 哀江頭』 自京赴奉先縣詠懷五百字』 醉時歌』 

李白『杜陵絶句

「南登杜陵上、北望五陵間。秋水明落日、流光滅遠山。」

93 崎嘔 山道のでこぼこしたさま。

94 軒昂 軒は、中国古代の馬車で前方の高いこと。そこから高いことをいう。昂も高いこと。軒昂は、高く盛りあがったさま。

95 始得 そこでやっと……できた。

96 観覧富 ながめが変化に富んでいること。

97 行行 ぼつぼつ行く。古詩十九首「行行重行行。」とある。魏の武帝、《苦寒行》「行行日已遠,人馬同時饑。」(行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う)、 謝惠運《西陵遇風獻康楽 その3》「行行道轉遠,去去情彌遲。」(行き行ぎて道 轉【うたた】遠く、去り去りて 情 彌【いよい】よ遅し。)

98 遂窮 ことのついでに山頂をきわめる。おわりまで行くことが、窮である。

99 嶺陸 嶺は、みね。陸は、おか、高原。

100 煩互走 けわしいみねと、なだらかな丘陵とがうるさくいりまじってつらなっていて、いつまで行っても全体が見はらせないのである。

101 勃然 急に興奮するさま。

102 坼裂 避ける意味を強調される。

103 擁掩 おおいかくす。

104 難恕宥 山があたりの見晴らしをおおいかくしているのを、大目に見ておれぬ、というのである。

105 茫如 如は、然などと同じく形容詞につく語尾。ボーッとしたままで。なにげなく。

106 矯首 あたまを上向ける。

107 堛塞 堛は、土くれ。堛塞は、土くれがいっぱいつまっているさま。

108 恂悲 おろかなさま。ここでは、どうしてよいかわからず、途方にくれたことをいう。

109 威容 南山のりっぱなすがた。雄々しき姿。

110 蕭爽 ものさびしいさま。

111 近新迷遠旧 南山の近い新しい風景が、遠くから見ていた以前の風景とちがうので、迷ってしまうこと。

112 拘官 官吏の生活にしばられる。

113 計日月 日月をかぞえてみる。官吏として出動すべき月ロまでの日数を計算してみたわけである。

114 欲進不可又 この道から進もうとしたがそれ以上できない。

115 囚縁窺其湫 杜墅より山にはいって、雨山の山中にある池を見たことである。・因縁:ついでにということ。其湫の湫は、いけ。これは、南山の中にあって雨乞いの場所であった炭谷湫をさす。韓愈には、「炭谷湫の祠堂に題す」という詩(集巻五)もある。

116 凝湛 瀞とに水がたたえられているさま。

117 閟 かくれすまわせている。

118 陰獸【いんきゅう】 獸は、畜と同じ。家畜という考え方でこの池に飼っている蛟のことをいう。蛟を畜とすることは、『礼記』「礼運篇」に見えるという。

119 可俯直 うつ臥せや、前かがみになって、手掴みできる。・掇は、ひろい取る。

120 神物 竜をさす。

121 安敢冦 安は、どうして、ここでは反語。・敢は、むりに、大胆にも。・冦は、強奪する、ここでは竜を捕えること。 

122 林柯 柯は、えだ。

123 爭銜彎環飛 銜は、口にくわえる。彎環は、鳥が輪を描いて飛ぶさま。ただし、「環銜」(環を銜む)の故事。「銜環」は、黄雀が自分を助けた楊宝に白環四つを与えた故事に基づく言葉。『後漢書・楊震伝』引『続斉諧記、華陰黄雀』「宝年九歳、時至華陰山北、見一黄雀為鴟梟所搏、墜於樹下、為螻蟻所困、宝取之以帰、置巾箱中、唯食黄花百余日、毛羽成、乃飛去、其夜有黄衣童子、向宝再拝曰、我西王母使者、君仁愛救拯、実感成済、以白環四枚与宝、令君子孫潔白、位登三事、当如此環矣」。「結草」は『春秋左氏伝・宣公十五年』に見える言葉。晋の大夫魏武子に娘を助けられた老人が、魏武子と闘った杜回を、草を結んで躓かせ倒した故事にちなむ。「銜環」「結草」ともに報恩のこと。後漢の楊宝という人が、黄鳥が梟にやっつけられているのを助けたところ、その烏は、西王母の使者であった。そこで、黄鳥は、その御恩返しにと、四つの玉の環をくれて、この環のように、四代の子孫まで、三公にまでなるだろう、といった。ここも、あるいは、かの報恩の大切な環のようにくわえてわれがちに飛んでいる、ということばのしゃれがあるかもしれない。

124 投棄急哺鷇 親鳥がひなにえさをやること。哺は、えさを親烏から食べさせてもらわねばならないひなをいう。この句は、烏たちがこの池の水をけがすまいと、枝から落ちる葉を投げ棄てるさまは、ひなにえさをやるよりもせかせかしている、ということ。

125 旋帰 旋も、かえる。

126 廻睨 首をめぐらしてふりかえりみる。睨は、横日で見ること。

127 達【たつげつ】高くそそり立っているさま。

128 奏 この奏は、湊、輳と同じく、あつまる、つみかさなっている、ということ。

129 峻塗 けわしい道。塗は途と同じ。

130 拖 ひきずる。坂道いっぱいに氷りがはりつめているのをいう。雪が氷に変わっていること。

131 長冰 道に氷りがはっているから、道の部分が峠まで積雪していたものが氷に変わり、反物のように長いといったのであろう。冰は氷と同じ。

132 直上 まっすぐ上ぼって行く。

133 懸溜 溜は、水の流れおちること。懇溜、ぶらさがった水の流れとは、つららをいう。氷りでまっ白な坂道をまっすぐ上ぽって行くと、まるで凍りついた滝を登ようだ、ということ。

134 襲衣 きもののすそをはしおる・

135 推馬 馬に乗ったまま行かれないから、下りておすわけである。

136 顛諏 つまずいてたおれる。

137 退 氷ですべってあともどりする。

138 復 すべったところ・をもう一度あがる。

139 蒼黄 進行が遅くいらだち、あわてるさま、倉皇と同じ。

140 遐睎 遐は、とおい。睎は、ながめる。

141 所矚 ながめられる範囲。見えるところ。所は、受け身をあらわして名詞句を作る助辞。 

142 杉篁 篁は、たけやぶ・

143 咤 詫と同じく、いぶかしむ。矛かと見まごう。

144 蒲蘇 大きな矛。

145 杲耀 あかるくかがやいているさま。

146 攢 あつめる。身によろっている。

147 介胃 よろいかぶと。介がよろい、冑がかぶと。

148 専心 一心に。

149 憶 心にかける。なつかしむ。

150 平道 南山山中のけわしい山道に対し、平坦な道をなつかしむのである。

151 途 すぎる。それ以上である。

152 避臭 いやなにおいを避ける。「呂氏春秋」孝行覧遇合篇に、いやな臭いを持った男には、兄弟妻子さえ一緒に住もうとはしなかったという話がある。いやな場所からの脱出のこと言う。

153 咋来逢清寅 晴天にめぐまれて、はじめて頂上に到達し、ながめを存分にしたことを述べる。山の種種なさまを「或若」或るいは…・:の若し、という形で、形容しており、こうした羅列する形式は、詩というより、むしろ読誦された文「賦」の様式に多く用いられたものである。韓愈は、賦の形式をこの詩にとり入れて、新鮮さと詩経のような古風な味を出そうとしたもののように思われる。なお、山の状態の形容は、この段以下にもつづく。・咋来は、きのう以来。・来は、近来、年来の来。清霽は、きれいに晴れる、雲が一つもなくなる。

154 宿願 まえからの願い。宿は、まえからもっていたということ、宿志などの宿。

155 忻 欣と同じ。よろこぷ。

156 始副 始は、ここではじめて、やっと。副は、つりあう、願いが思い通りになる。

157 崢嶸 高くけわしいさま。

158 躋 登る。

159 塚頂 塚も、山の頂上、

160 倏閃 倏も閃も速くうごくさま。ばっと。

161 鼯鼬 鼯鼬は、むささび。前肢と後肢のあいだに、皮阪があって、それをひろげ空中を滑走することができる。鼯鼬は、いたち。あるいは、むささびは、夷由ともいうから、辞典によると、鼯鼬で、むささびのことをいう場合もあるようだ。

162 前低劃開闊 前が低くなってそこをくぎりとしてからりと闊けている。山頂についたわけである。劃は、そののぼりついたところを、はっきりさかいとして。

163 爛漫 遠くの方へばらばらにちらばっている形容。

164 弭伏 馴伏、順服。亦作“馴服”。おとなしく従う。従順に服従する、降参する。《文選禰衡<鸚鵡賦>》:矧禽鳥之微物, 能馴擾以安處。” 張銑 注:況鳥微賤, 能順柔安處也。” 李白 《大鵬賦》:豈比夫 蓬萊 之黃鵠, 誇金衣與菊裳。 蒼梧 之玄鳳, 耀綵質與錦章, 既御服于靈仙, 久馴擾于池隍。”

165 驚雊 雊は、きじの鳴くこと。

166 瓦解 一部の瓦(かわら)のくずれ落ちることが屋根全体に及ぶように、ある一部の乱れ・破れ目が広がって組織全体がこわれること。

167 赴 一定の方向に行くこと。

168 輻湊 輻は、車の矢。車の矢は、車輸の中心にある、まん中に軸をとおすあなのあいているまるい木にあつまる。それを輻湊という。湊は、あつまる、輳とも書く。

169 翩 ひらひらと軽やかにただよ。ているさま。

170 決 断ち切れる。山の端、稜線が堤防の決潰というときの決である。

171 佑 助ける。

172 抽笥 抽は、芽が出ること。筍は、たけのこ。

173  として、山の高くけわしく安定していないさま。

174 注灸 灸をすえる。ここは、灸をすえたとき、もぐさがもりあがっているのに似ているというもの。

175 錯 錯綜、いりまじる。交鈎、錯綜の錯である。

176 繚 繚繞、まといつく。

177 篆籀 篆文【てんぶん】と籀文【ちゅうぶん】。中国の古代の文字の書体の一つ。篆文、籀文、古文は、漢字の成り立ちを知る補助となる。印の文字に使用されるものもある。

178 羅 ならぶ。羅列の齢である。

179 星離 離は、くっつく。離は、麗(つく)である。ここは、星が天にくっついてちりばめられて星座を爲していること。なお、普通には、「星離」といえば、星のようにばらばらに散ってしまうことをいう。

180 蓊 草木のさかんにしげっているさま。山の形がもりあがるような勢いであることをいう。

 

181 雲逗 逗は、じっとしている。

182 鋤耨 耨は、土を掘りかえして草を取る道具、およびその道具を川いて草を取ること。ここは鋤物とも、勤詞として用いられている。すきくわで土を掘りかえしたようにばらばらになっている、ということ。

183 賁育 賁は、孟賁。育は、夏育。どちらも古代の力にすぐれた勇士。

184 倫 たぐい、類。

185 賭勝 勝負をかける。

186 前購 購は、買収するということであるが、ここでは、賭けの賞品をいう。

187 先強勢已出 先の方は強くてもう勝ちを得た勢いだ。山の形でいえば、威勢よく中空につっ立っているさま。

188 後鈍嗔餖 餖は、はっきり口のきけない形容。後の方はにぶくてそれに腹を立ててぶつぶつ不平をいっている。山の形でいえば、先の方が高くけわしくつっ立っているのに対し、後の方は低くなっていて、面白く思っていないような起伏の多いのをいう。

189 叢集 よせあつめる。

190 賤幼 賤は、身分の低いもの。幼は、王族の幼少のものをいうのであろう。朝賤幼ということばを造ったのは、幼で押韻するためである。・朝 朝の集い。夜明け前に朝礼のために参列する雰囲気をいう。