韓愈詩-韓愈135 秋懷詩十一首之 六
今晨不成起,端坐盡日景。蟲鳴室幽幽,月吐窗冏冏。
喪懷若迷方,浮念劇含梗。塵埃慵伺候,文字浪馳騁。
尚須勉其頑,王事有朝請。
(秋の日に何もする気になれずそのまま過ごしてしまう、かといって、権門貴戚の方々の門下になる気はなく、自分の思いは、詩文によって縦横に表せる。だから、朝廷に出仕し、怠りなく仕事を合うることを心がけようと述べる)
今朝は自分の部屋から横になったまま起き上がってもいない。そのあときちんと坐わり直したりして、日がな一日うとうとしたりして暮らしてしまったのである。やがて夜になると虫が鳴いているが部屋の中はきわめて静かで暗くひっそりしている、そして月がすっと出てくると窓はあかるくなる。一日思案した挙句、茫然自失、目標を失っていて心はかきくれて道にまよったかのようにぼんやりしている、浮生の一念は、世の中に立つに際して、とかく棘がささったままを我慢しているようで、生きていくのに妨害となるものである。風塵中に奔走して、権門貴戚の方々にご機嫌伺に出向くことなど自分の好むところではないからする気はない、だから、その代りに詩文、散文を文字に起こすことでもって、自分の胸中の思いを発揮し、縦横に馳騁するのが本望である。それでも、生活方法は改善せねばならぬから、頑然と替えられない自己の主義を、勉めて枉げてでも、毎日出勤し、天子様の御用事を怠ることの無いようにする覚悟はしている。
韓昌黎集01-19 |
秋懷詩,十一首之六 |
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806年貞元22年 39歳-(7) |
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秋懷詩,十一首之五
(秋も深まり朝廷改革の機運も高まりつつあるが、二度と左遷されるのは避けねばならないから、刺激しないところで、表向きには、終南山にでも隠棲したいということにしようと述べる)
離離挂空悲,戚戚抱虛警。
朝廷が粛清し、藩鎭を討平されるというのがわれらの理想である。今しも、その時であるのだが、実際、実行されるにいたってないのである。されば、離離として、役にも立たぬ悲の念を掛け、又、戚戚として、虚しく自ら警めおそれて居る。
露泫秋樹高,蟲弔寒夜永。
秋宵の景色如何とならば、木木は高く聳えて、その上に露が涙を洗したようにうるおい、蟲は長き夜もすがら、悲しい聲を揚げて、われを弔ふが如くである。
斂退就新懦,趨營悼前猛。
成る程、あの頃、自分はでしゃばり過ぎたから、これからは万事控えめにしようという考も起って、そのために、新に惰弱な思いを生じて、はじめて書史に親み、世の中に奔走して、名利を求めようとすることが、従前あまり激烈なりしために、世人から斥けられたということも分かった。
歸愚識夷塗,汲古得修綆。
かくて、本来の愚に掃って見ると、初めて世の中にも平たんな路があるということが分かったし、世人と競争せず、自分は、ひとり聖経賢傳を研究してさえいれば、それで善いので、水を汲むには、長い井戸綱を用うると同じく、いにしえを汲むにも、それ相應の方法がある。
名浮猶有恥,味薄真自幸。
世に名利を求めるといふが、それは、到底、實なき浮名に過ぎざれば、本当の学者の恥づるところであって、淡泊無味、面白くもおかしくもない刻下の境涯が、取りも直さず、身を全うする所以であって、自ら幸とすべきものである。
庶幾遺悔尤,即此是幽屏。
つまりは、後悔の無いやうにし、永く世に遠ざかって、終南山の麓の幽處に屏居して仕舞おうと思うところである。
(秋懷詩,十一首の五)
離離【りり】として空悲【くうひ】を掛け、戚戚【せきせき】として虛警【きょけい】を抱く。
露は秋樹【しゅうじゅ】の高きを泫【うる】おし、虫は寒夜の永きを弔う。
斂退【れんたい】して新懦【しんだ】に就き、趨営【すうえい】して前猛【ぜんもう】を悼【いた】む。
愚に帰って夷塗【いと】を識り、古を汲んで修綆【しゅうこう】を得たり。
名の浮しきは猶お恥ずること有り、味の薄きは真に自ずから幸いなるなり。
庶幾【こいねが】わくは悔尤【かいゆう】を遺【わす】れて、即ち此こに是れ幽屏【ゆうへい】せん。
年:806年貞元22年 39歳-(7)
卷別: 卷三三六 文體: 五言古詩
詩題: 秋懷詩,十一首之六
作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)
及地點: 無
交遊人物/地點:
秋懷詩十一首之 六
(秋の日に何もする気になれずそのまま過ごしてしまう、かといって、権門貴戚の方々の門下になる気はなく、自分の思いは、詩文によって縦横に表せる。だから、朝廷に出仕し、怠りなく仕事を合うることを心がけようと述べる)
今晨不成起,端坐盡日景。
今朝は自分の部屋から横になったまま起き上がってもいない。そのあときちんと坐わり直したりして、日がな一日うとうとしたりして暮らしてしまったのである。
蟲鳴室幽幽,月吐窗冏冏。
やがて夜になると虫が鳴いているが部屋の中はきわめて静かで暗くひっそりしている、そして月がすっと出てくると窓はあかるくなる。
喪懷若迷方,浮念劇含梗。
一日思案した挙句、茫然自失、目標を失っていて心はかきくれて道にまよったかのようにぼんやりしている、浮生の一念は、世の中に立つに際して、とかく棘がささったままを我慢しているようで、生きていくのに妨害となるものである。
塵埃慵伺候,文字浪馳騁。
風塵中に奔走して、権門貴戚の方々にご機嫌伺に出向くことなど自分の好むところではないからする気はない、だから、その代りに詩文、散文を文字に起こすことでもって、自分の胸中の思いを発揮し、縦横に馳騁するのが本望である。
尚須勉其頑,王事有朝請。
それでも、生活方法は改善せねばならぬから、頑然と替えられない自己の主義を、勉めて枉げてでも、毎日出勤し、天子様の御用事を怠ることの無いようにする覚悟はしている。
(秋懷詩十一首の六)
今晨【こんしん】起つことを成さず、端坐【たんざ】して日景【じつけい】を尽くす。
虫鳴いて室幽幽【ゆうゆう】たり、月吐いて窗【まど】冏冏【かいかい】たり。
喪しないし懐いは方に迷うが若く、浮【あだ】しき念いは梗【とげ】を含むよりも劇だし。
塵挨【じんあい】伺候【しこう】するに慵【ものう】く、文字 浪【みだり】りに馳騁【ちてい】す
尚お須【すべ】からく其の頑なるを勉むべし、王事には朝請【ちょうせい】有り。
『秋懷詩,十一首之六』現代語訳と訳註解説
(本文)
秋懷詩十一首之 六
今晨不成起,端坐盡日景。
蟲鳴室幽幽,月吐窗冏冏。
喪懷若迷方,浮念劇含梗。
塵埃慵伺候,文字浪馳騁。
尚須勉其頑,王事有朝請。
(下し文)
(秋懷詩十一首の六)
今晨【こんしん】起つことを成さず、端坐【たんざ】して日景【じつけい】を尽くす。
虫鳴いて室幽幽【ゆうゆう】たり、月吐いて窗【まど】冏冏【かいかい】たり。
喪しないし懐いは方に迷うが若く、浮【あだ】しき念いは梗【とげ】を含むよりも劇だし。
塵挨【じんあい】伺候【しこう】するに慵【ものう】く、文字 浪【みだり】りに馳騁【ちてい】す
尚お須【すべ】からく其の頑なるを勉むべし、王事には朝請【ちょうせい】有り。
(現代語訳)
秋懷詩十一首之 六 (秋の日に何もする気になれずそのまま過ごしてしまう、かといって、権門貴戚の方々の門下になる気はなく、自分の思いは、詩文によって縦横に表せる。だから、朝廷に出仕し、怠りなく仕事を合うることを心がけようと述べる)
今朝は自分の部屋から横になったまま起き上がってもいない。そのあときちんと坐わり直したりして、日がな一日うとうとしたりして暮らしてしまったのである。
やがて夜になると虫が鳴いているが部屋の中はきわめて静かで暗くひっそりしている、そして月がすっと出てくると窓はあかるくなる。
一日思案した挙句、茫然自失、目標を失っていて心はかきくれて道にまよったかのようにぼんやりしている、浮生の一念は、世の中に立つに際して、とかく棘がささったままを我慢しているようで、生きていくのに妨害となるものである。
風塵中に奔走して、権門貴戚の方々にご機嫌伺に出向くことなど自分の好むところではないからする気はない、だから、その代りに詩文、散文を文字に起こすことでもって、自分の胸中の思いを発揮し、縦横に馳騁するのが本望である。
それでも、生活方法は改善せねばならぬから、頑然と替えられない自己の主義を、勉めて枉げてでも、毎日出勤し、天子様の御用事を怠ることの無いようにする覚悟はしている。
(訳注)
秋懷詩十一首之 六
(秋の日に何もする気になれずそのまま過ごしてしまう、かといって、権門貴戚の方々の門下になる気はなく、自分の思いは、詩文によって縦横に表せる。だから、朝廷に出仕し、怠りなく仕事を合うることを心がけようと述べる)
今晨不成起,端坐盡日景。
今朝は自分の部屋から横になったまま起き上がってもいない。そのあときちんと坐わり直したりして、日がな一日うとうとしたりして暮らしてしまったのである。
81 今晨 けさ。晨は、朝。
82 成起ちゃんと起きてしまう。成は、ものごとの完成する意。
83 端坐 きちんとすわる。端は、端正。
84 日景 景は影と同じ。ここでは光りの意。日景とは日光であり、昼のあいだのことをさす。
蟲鳴室幽幽,月吐窗冏冏。
やがて夜になると虫が鳴いているが部屋の中はきわめて静かで暗くひっそりしている、そして月がすっと出てくると窓はあかるくなる。
85 幽幽 人けなくくらいさま。くらくひっそりしている。
86 月吐 月が山からぬっと出ること。杜甫大歴2年の作で五言律詩『月』の詩にも、「四更山吐月,. 殘夜水明樓。 塵匣元開鏡,. 風簾自上鉤。」(四更山は月を吐き、残夜水は桟に明きらかなり。)とある。
87 冏冏 煌煌、烔烔と同じく、光りのあきらかな形容。
喪懷若迷方,浮念劇含梗。
一日思案した挙句、茫然自失、目標を失っていて心はかきくれて道にまよったかのようにぼんやりしている、浮生の一念は、世の中に立つに際して、とかく棘がささったままを我慢しているようで、生きていくのに妨害となるものである。
88 喪懐 心を失しなう。ぼんやりする。
89 迷方 どうしてよいか分からず方向に迷うこと。
90 浮念 とりとめのない考え。
91 含梗 梗は、草木のとげ。したがって含梗は、のどに何かがひかかっていること。とげが刺さって抜けていない状況。
塵埃慵伺候,文字浪馳騁。
風塵中に奔走して、権門貴戚の方々にご機嫌伺に出向くことなど自分の好むところではないからする気はない、だから、その代りに詩文、散文を文字に起こすことでもって、自分の胸中の思いを発揮し、縦横に馳騁するのが本望である。
92 塵埃 ちりとほこり。世間のいろいろうるさいことがらを象徴する。くだらない人間関係。
93 伺候 御機嫌うかがいをする。
94 浪 むやみに。やたらに。
95 馳騁 はやく走る。騁は逓。
尚須勉其頑,王事有朝請。
それでも、生活方法は改善せねばならぬから、頑然と替えられない自己の主義を、勉めて枉げてでも、毎日出勤し、天子様の御用事を怠ることの無いようにする覚悟はしている。
96 頑 頑固者。ものの道理にくらく片意地をはること。
97 朝請 天子に奉仕すること、すなわち官吏として出勤すること。元来、地方の諸侯が天子の御撥嫌うかがいに都へ来ることで、春のときは朝といい、秋のときは請といった。
秋懐詩十一首 【字解】
(悲愁の秋、自然の衰え行くに感じたことをのべた詩)806年元和元年の作。
1 秋懐詩 秋の自然の衰え行くに感じて作った詩。連作の形式をとっている。阮籍(210-263年)の詠懐持、謝惠連(397-433年)の秋懐詩など先行の詩の影響が強い。
韓愈詩の五言古詩の中にあって《秋懷詩》十一首を是れ一組としており、たいへん特殊な作である品。因みに韓愈は高度な精鍊的語言を運用し,一貫して豪宕的本色を展べ現わしている。但し是の意匠經營の間として,阮籍や、陶潜、謝惠連、謝朓のような雰囲気を持っている。また、《秋懷詩》十一首は,《文選》體であるともいわれているし、古文復興といわれ、詩評家は《秋懷詩》十一首を甚だ高く評價している。
《秋懷詩》十一首の寫作年代にかんして、韓愈、元和元年六月權知國子博士を召授し、た時のものであり,江陵より襄陽にいたり,庚子(八日)襄陽を發し,甲辰(十二日)鄧州(河南河陽)至り、冬日、長安抵した。元和二年,韓愈京師、權知國子博士に在る。陳景雲う所の「進見相國鄭公」指し、是れ宰相鄭絪を指す;曾て韓愈を推荐せんと欲し翰林學士と為したひとである。こうして韓愈は元和二年夏末に在る,即ち因て避謗出京す,權知博士の洛陽の分司となった。これらによって《秋懷詩》の寫作年代は是れ憲宗和元元年の深秋であるとするのが妥当と考える。
所謂る「秋懷」というのは、歴史的に見て、宋玉《九辯》であり,六朝時代の謝脁曾作《秋懷詩》であり,孟郊もまた《秋懷詩》十六首あり,韓愈がこれを初めて題したわけではない。韓愈は、全詩十一章,最長二十句,最短十句ということである。
2 窗 窓と同じ。下の句から東、東南の日が射す窓であるから書斎のまどである。
3 薿薿 草木のいきおいよく生えているさま。草木がよく成長して茂り、盛んなるさま。《詩經.小雅.甫田》「今適南畝,或耘或耔,黍稷薿薿。」(今南畝に適き,或いは耘し或いは耔し,黍稷 薿薿たり。)
4 披払 吹き払う。ぴゅうっと風のふきつけるさま。
5 策策 風が木の葉をざわざわと鳴らすおと。
6 偏 そればかりがむやみと。
7 無端 どういうわけかわからないが。ゆくりなく。
8 成 その状態(ここでは坐起)が完成することをいう。
9 顏色 韓愈の自分の顔色。
10 故もとの状態。
11 義和 日の神であり、日を乗せる馬車の御者とも考えられ、更には、二つの名に分けて、暦法を定めた人ともされた。「山海経」に記載のある太陽の母神であり、炎帝に属し東夷人の先祖にあたる帝俊の妻。東海の海の外、甘水のほとりに義和の国があり、そこに生える世界樹・扶桑の下に住む女神である義和は、子である「十の太陽たち」を世話している。天を巡ってきてくたびれた太陽を湯谷で洗っては扶桑の枝にかけて干し、輝きを蘇らせるという。ここでは日の御者としての義和とすると、時間を進める御者として、義和をいっているから、日月といってもそう矛盾を感じないものである。
12 浮生 浮世暮らし。不安定なこの人生。
13 多塗 塗はみち、途と同じ。 分かれ道が多い。
14 一軌 軌は両車輪のあいだのはば。それからその通る路線。一軌は同じコースをたどること。
13 胡為 なぜ。どういうわけで。
14 浪 むやみに。むだぼねを折って。
15 且 まあ、と。
16 白露下 白露の下るのは、秋になったしるしである。『礼記』月令篇孟秋月「涼風至,白露降,寒蟬鳴,鷹乃祭鳥,用始行戮。」とある。
宋玉『九辨』に、
悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰,
憭慄兮若在遠行,登山臨水兮送將歸,
泬寥兮天高而氣清,寂寥兮收潦而水清,
憯悽欷兮薄寒之中人,愴怳懭悢兮去故而就新,
坎廩兮貧士失職而志不平,廓落兮羇旅而無友生。
惆悵兮而私自憐。
燕翩翩其辭歸兮,蝉寂漠而無聲。
鴈廱廱而南遊兮,鶤鵾雞啁哳而悲鳴。
獨申旦而不寐兮,哀蟋蟀之宵征。
時亹亹而過中兮,蹇淹留而無成。
・・・・
皇天平分四时兮,窃独悲此凛秋。白露既下降百草兮,奄离披此梧楸。去白日之昭昭兮,袭长夜之悠悠。
17 蕭蘭 蕭はよもぎ。つまり雑草の代表である。謂蘭は、よもぎのようなつまらぬ草も蘭のようなよいかおりのするりっはな草も、というほどの意味。
18 共 いっしょに。ひとまとめに。
19 雕悴 しおれるしこと、おとろえること。
20 青青 五行思想で春は青である。
21 四牆 まわりの土べい。
22 寒蟬 ひぐらし。つくづくぼうし。『礼記』月令篇孟秋月「涼風至,白露降,寒蟬鳴,鷹乃祭鳥,用始行戮。」とある。
23 蟋蟀 こおろぎ。宋玉九弁は上記。『詩経』豳風七月
・蟋蟀 こおろぎ。『詩経・唐風、蟋蟀』の篇名。晋の僖公が倹約に過ぎるのをそしった詩。今楽しまなければ月日はサッサと去って行く。勤勉で油断をしない人になれという内容のもの。
蟋蟀在堂、歲聿其莫。 今我不樂、日月其除。
無已大康、職思其居。 好樂無荒、良士瞿瞿。
蟋蟀在堂、歲聿其逝。 今我不樂、日月其邁。
無已大康、職思其外。 好樂無荒、良士蹶蹶。
蟋蟀在堂、役車其休。 今我不樂、日月其慆。
無已大康、職思其憂。 好樂無荒.良士休休。
24 運行 万物の時の流れ、天地自然のめぐり行き。「太陽星君、日宮炎光太陽星君」,「大明之神」,「太陽帝君」、「太陽公」いうが、「太陽帝君乃陽剛之神,司日之運行,掌火焰之輕重,日由東升,再由西墜,光熙普照大地」
25 稟受 めいめい天から授けられていること。
26 気苦異 めいめいが受けている精気が大変ちがっていて、本質的に大きなちがいがある。
27 適時 その時節によくあっていて。
28 得所 自分に過当な場所を得る。
29 松柏 まつやひのきは、冬でも青いが、それは天から授けられた精気のちがいで、めいめいその自分自分に与えられた時節に存分にすごし、自分の安んずべき位置を得ていれば、それがよいので、冬青いからといって特に尊重する必要はないというのである。「論語」子罕篇に「子曰、歳寒、然後知松柏之後彫也。」(子曰く、歳寒くして、然る後、松柏の彫むに後るるを知る。)と儒家は松柏を尊ぶものとしているが、それをここでは否定している。
30 卒卒 あわただしい形容。ばたばたするさま。漢書 《司馬遷傳》 卒卒無須臾之間
31 曼曼 長く遠い形容。はるばる。
故事にある犀首は自分の閑職のままにおかれていることが不満で酒に気をまぎらせたというし、「史記」廉頗藺相如列伝に見える廉頗は老いてもなお食欲は盛んだといったものだ。
32 犀首空好欽 犀首は、戦国時代(前四世紀―前三世紀)の魏の国の官名で、公孫衍という人が、その官になっていた。楚の使者陳軫が魏の都の梁を通りすぎて、犀首すなわち公孫衍にたずねた。
司馬遷『史記』巻七十 張儀列伝第十 陳軫と犀首
陳軫者、游説之士。与張儀倶事秦惠王。皆貴重、争寵。
・・・
過梁、欲見犀首。犀首謝弗見。
軫曰「吾為事来、公不見軫、軫将行、不得待異日。」犀首見之。
陳軫曰「公何好飲也。」犀首曰「無事也。」
曰「吾請令公厭事可乎。」曰「奈何。」
・・・
梁を過り、犀首を見んと欲す。犀首、謝. して見ず。軫曰く、「吾、事の為に来たれり。公、軫を見ず。軫将に行かんとす。異日を待つを得ず。」犀首、之を見る。陳軫曰く、「公何ぞ飲を. 好むや。」犀首曰く、「事無ければなり。」
つまり自分のなすべき仕事が与えられず、閑職のままにおかれていることが不満で酒に気をまぎらしていることをいったものである。
33 簾頗尚能飯 『史記、廉頗藺相如列伝』にみえる戦国時代、趙の国の将軍である簾頗の故事。天下統一をねらう秦は白起を中心に他国への侵略を開始。廉頗と相如が健在であるうちは秦に侵攻されなかった趙も、この頃になると相如は病に倒れ、廉頗も高齢となっていた。そのため趙は廉頗のもとに使者を送って帰参を許そうと図る。廉頗は年老いても「一飯に斗米、肉十斤、甲を被り馬に上り」といわれるほどに元気な姿を使者に見せて帰参を承知した。だが廉頗が趙にいた頃から不仲だった奸臣である郭開の謀略で使者が買収されてしまう。そして趙王が廉頗の様子を伺うと、使者は「三度遺失」と讒言した。このため趙王は廉頗が高齢で使いものにならないとして諦めたという。ここでは「廉将軍老いたりと雖も、尚善く飯す。」「史記」廉頗藺相如列伝
趙以數困於秦兵,趙王思復得廉頗,廉頗亦思復用於趙。趙王使使者視廉頗尚可用否。廉頗之仇郭開多與使者金,令毀之。趙使者既見廉頗,廉頗為之一飯斗米,肉十斤,被甲上馬,以示尚可用。趙使還報王曰:「廉將軍雖老,尚善飯。」 に見える。年は取ってもまだ役に立つということを意味する。
34 堂 学校の教室。このことばから韓愈が国子監で数えていたときのことであることが分かる。
35 日無事 日は毎日の何の問題ごとも無く過ごす。犀首曰「無事也。」と同じ心境であることを云う。
36 適所願 適は、最適、適材適所、あるきまった好みの場所に行くこと。
37 茫茫 はてしなくひろがっている形容。
38 出門 真の仕事をしたい、仕事欲をあらわす。
39 欲去聊自勸 この不愉快な職をやめ隠遁したいと思ったが、まあ何とかはやる気持ちを抑えるように自制することを勧めたこと。
40 閱 目をとおす。見返してみる。閲覧。
41 書史 書籍。王朝正史、史記、四庫全書など。
42 浩 ものの多い形容。
43 陳跡 むかしの人の行った事跡。《莊子·天運第十四》“老子曰:「幸矣,子之不遇治世之君也!夫六經,先王之陳跡也,豈其所以跡哉!”(老子曰く「幸いなるかな,子の治世の君に遇わざる也!夫れ六經は,先王の陳跡なり,豈に其れ跡する所以ならんや!)あなたが名君に遭わなかったのは、幸せでした。六經は先王の残した迹です。どうして迹の出る元のものでありましょう。
44 戚嗜 下品な好み。
45 貴献 食い入へのささげもの。この「餞嗜非貴献」とは、自分ですきだからといっても、つまらないもので、立派な人に献納できる与ったものではない、
46 丈夫 一人前のおとこ。男たるものというほどの意味。人間のおとなの身のたけが、むかしのものさしで一丈だったからだという。
47 意有在 考えが一つのしっかりしたものを持っているということで初めて存在意義があるということ。
48 女子 おんな。
49 乃 かえって。~の方こそ。
50 多怨 女性の存在価値が低いこと。心情を通わすことで存在しているとしている。子を通じての夫、一族を考える存在。
51 【解説】前其一、其二では、秋風はじめ至って、落葉したことを云ったが、ここ其四では、秋が次第に深くなって来たというところから筆をおこした。そして、この詩には諷意があるというのが通説である。韓愈《巻一01 元和聖徳詩幷序》で、述べているが、憲宗は、中興の英主を以て嘱望せられ、君側の小人が次第に退けられたので、枝上の蜩、盤中の蝿は、即ち此等の小人に比し、その小人が居なくなったのは、まことに嬉しいといふ意である。それから、蚊は呉元濟などの事をいったので、今の時、兵を進めて征伐したならば、造作なく之を平げることができるというので、当時の賢相たる裴度が先づ上書し、韓愈も同じ意見であったから、続いて上言したところが、それが他の宰相の忌諱に触れて、二人とも一時は失脚したので、自分が此のようになったのは、時が然らしめた、決して、無能のためではないといふ意である。蒋之𧄍は「この詩、亦た爾爾、昔人これを評するものあら、云ふ、十九首と上下すべくして、気復た之に過ぎたりと。吾が解せざるところ。唐汝詢日く、これ謂へらく、憲宗の世、朝政漸く肅、宜しく不廷を討ずべく、しかも、己れ権なし、故に是嘆ありと。然れども、自ら任ずる、亦た浅からす」といい、ほぼ肯綮に中っている。また、乾隆御批には「用意、同谷六歌と同じ」とある。これは、杜甫の集に《巻八44 乾元中寓居同谷県作歌七首 其六》の表現を借りている。
杜甫 《巻八44 乾元中寓居同谷県作歌七首 其六》
南有龍兮在山湫,古木巃嵷枝相樛。
木葉黃落龍正蟄,蝮蛇東來水上游。
我行怪此安敢出,拔劍欲斬且複休。』
嗚呼六歌兮歌思遲,溪壑為我回春姿。』
(乾元中同谷県に寓居し歌を作る 七首)
南に竜有り 山湫に在り、古木 巃嵷 枝 相膠す。
木葉 黄落し 竜正に蟄す、蝮蛇 東来し 水上に沸す。
我行いて此を怪しむ安んぞ敢て出でん、剣を抜き斬らんと欲して且つ復た休す。』
鳴呼 六歌す 歌思遅し、渓壑 我が為めに春姿を廻えさん。』
(乾元中同谷県に寓居し歌を作る 七首)
ここの南方の山に竜がいる。そこは「窪地」で湿地になっているところだ。古木がいかめしくしげりあい、枝がたがいに垂れさがっているところである。
木の葉は黄ばんで落ちたので竜は今まさに冬眠をしたのだ、そこへまむしや蛇が東の方からやってきて「窪地」の水の上にあそんでいるのだ。
わたしはそこへ出掛けてはみたがこんなふしぎな様子を目にしてどうしてその場に出られるというのか、剣をぬいてそのへびを斬ろうかとも思ったのだがそれはまたやめたのである。』
ああ、この歌は第六の歌であるから、六にまつわる歌となるとやくはでてこないものだ。このような渓谷がわたしのために早く春のすがたを回復してくれることだ。(それならわたしも竜もその地にでかけることができるだろう。)』
“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其六 杜甫1000<337>#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1595 杜甫詩1500- 496
52 惻惻 人にせまるようにはげしく感傷を要させる形容。かなしみいたむさま。惻惻は心に刺されたようにいたみ悲しむこと。
53 淩淩 高いさま。犯しがたきをもって高く高くすみわたっているさま。
54 蜩 ひぐらし。ここではひろく夏から秋懸けて泣いていた蝉一般をさす。
55 盤中曜 皿にたかるはえ。かつての中国では、皿にたかる蝿は、まっ黒になって、皿の中のものが見えないほどだった。唐の段成式の『酉陽雑爼』に「長安の秋は蝿が多い」といってそのさまをくわしくえがいている。うまいから、毒が盛られていないことで蠅を極端には嫌わなかった。ここでは最も厭なものとされている。
節物の推移、かくの如く、ここに戚慨を起さぬわけには行かないが、今まで、聞いてやかましく、見てうるさかった蝉や蝿が跡を絶ったのは、流石に心持が善いことである。
56 所憎 憎たらしいもの。やかましい蝉と、うるさい蝿。
57 巻書 読んでいた巻物の本を、まきおさめる。
58 南山 南の方の山。ここではたぶん長安の南にある終南山。
59 高稜 高い山かど。
60 澄漱水 澄んだ池の水。終南山には炭谷湫という池があり、そこには蛟が住む、といい伝えられた。韓愈《南山詩》「因緣窺其湫,凝湛閟陰獸。」(因縁【いんえん】して其の湫【しゅう】を窺【うたが】えば、凝湛【ぎょうたん】として陰獸【いんきゅう】を閟【と】ざす。)しかし、折角、ここまできたのだから、どこか面白い景色はなかろうかというので、その邊を辿り行くと、例の谷川のところにきたり、そこには、一つの湫潭がある。その沼は、湛然としで碧色を凝らし、陰獸である蛟が、その主として棲んで居る。
・囚縁窺其湫 杜墅より山にはいって、雨山の山中にある池を見たことである。・因縁:ついでにということ。其湫の湫は、いけ。これは、南山の中にあって雨乞いの場所であった炭谷湫をさす。韓愈には、《巻五14題炭谷湫祠堂》(炭谷湫の祠堂に題す」という詩もある。
・凝湛 瀞とに水がたたえられているさま。
・閟 かくれすまわせている。
・陰獸【いんきゅう】 獸は、畜と同じ。家畜という考え方でこの池に飼っている蛟のことをいう。蛟を畜とすることは、『礼記』「礼運篇」に見えるという。
61 蚊 水竜。みずち。
62 罾 よっであみで捕える。
63 無能 蚊を捕える能力がない。
64 【解説】葛立方は「これは陶潜《帰去来辭》、今は是にして昔は非なるを覚ゆるの意、悟るところあるに似たるなり」といい、乾隆御批には「この首、特に見道の言多し」といい、朱竹垞は「かくの如きの琢句、これ謝を尊ぶ、然れども、意は却って謝に此して精探」といい、何義門は「“悼前猛”は、蛟龍を攬するに應じ、“就新懦”は、仍って史書を閲するに歸す」といった。
65 離離 心のきれぎれになるさま。この頃まで、朝廷改革の必要性が言われ続けたが、一旦つぶされかけたが、裴度を筆頭に韓愈ら、朝廷改革の機運が高まってきていることを意味する。
66 掛 心にかける。掛心・掛念(心配する)の掛である。
67 空悲 あてどない悲しみ。はっきり悲しむべき対象もないのに何となしに悲しいこと。
68 戚戚 気がかりなさま。
69 虚警 いわれのない警戒心。警戒すべき理由のないのにびくびくすること。いわれなき、陽山に左遷され、二年がかりで長安に戻され、元職の權知国子博士に転任されたところであるから、警戒していることをいう。
70 泫 涙を流すさま。ここでは、蕗が下りていることをいう。謝靈運『從斤竹澗越嶺溪行詩』「猿鳴誠知曙。穀幽光未顯。巌下雲方合。花上露猶泫。逶迤傍隈隩。迢遞陟陘峴。」(猿鳴いて誠に曙【あけぼの】を知り、谷幽にして光未だ顯【あら】われず。巌下に雲 方【まさ】に合し、花上に露猶 泫【したた】る。逶迤【いい】として隈隩【わいおう】に傍【そ】ひ、迢遞【ちょうてい】として陘峴【けいけん】を陟【のぼ】る。)とみえるが、ほとはといえば、《禮記 檀弓》“孔子泫然流涕曰:「吾聞之:古不修墓。」”.に基づく仕様の仕方である。
従斤竹澗超嶺渓行 謝霊運(康楽) 詩<51#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩446 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1155
71 斂退 ひっこみ退く。さっと退く。
72 新儒 新しい臆病な態度、自分の態度についていう。
73 趨営 あくせく走りまわる。
74 前猛 以前の無鉄砲なはげしさ。新儒とともに自分についていう。
75 夷塗 平らかなみち。塗は途と同じ。
76 修綆 修はながい。綆はつるべのなわ。古代のことを知るに適当な方法をさす。修綆という語の源典は莊子の短綆に基づくもので、 《莊子集釋》卷六下〈外篇·至樂〉「孔子曰:「善哉汝問!昔者管子有言,丘甚善之,曰:『褚小者不可以懷大,綆短者不可以汲深。』夫若是者,以為命有所成而形有所適也,夫不可損益。」布袋の小さいものは、大きいものを入れることはできないし、鶴瓶の短いものでは深い井戸では水が汲めない。天が定めるところがあり、携帯にはそれぞれ適切なところがあるものである。
77 名浮 名だけがうわすべりして。実が伴わず名前だけ一人歩きする。
78 味薄 味は、世味。世俗への関心(欲得)の度合い。
79 悔尤 後悔やとがめ。悔は、自分の心で悪かったと悔いること。尤は、人が自分の悪い所をとがめること。
80 幽屏 人から見えないところにかくれしりぞく。幽は隠棲する。屏は隠れ家にする。