韓愈詩-韓愈142-  送文暢師北遊 #3

又聞識大道,何路補黥刖。出其囊中文,滿聽實清越。

謂僧當少安,草序頗排訐。上論古之初,所以施賞罰。
そして、先生は儒家の大道を知って居られるから、刑餘の人に等しいと称せられる我々佛徒の為になるようなことを教えていただきたい。そして、今まで手に入れたのは、この通りだといって、嚢中の文を取り出して、それを読み上げるのを聞くと、いかにも清越である。そこで、自分は、文暢に答へて、そういう訳なら、書いて遣るから、少し待ってくれというので、「浮屠丈陽を送る序」といふもの書き上げたが、佛教の事は、性來大嫌いであるから、よほどこれをそしったものであった。そして、全文の大意たるや、上にあるものを考えてみると、いにしえ国家というものが出来上った時分、聖君賢主が賞罰を施して人民を督励した所以を論じたのである。

韓昌黎集02-16

送文暢師北遊 #3

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7466 

 806年貞元22 39-14)#3

14) #3

 <1697

 

 
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韓愈詩-韓愈142-#3

作時年:

806

貞元22

39

卷別:

全唐詩卷337-16 

文體:

 五言古詩

 

02-16

 

 

詩題:

送文暢師北遊

序文

作地點:

長安

 

及地點:

 

 

 

 陽山

 

 

 江陵

 

交遊人物:

僧侶法師文暢

柳宗元

 

 

 

送文暢師北遊 #1

803年貞元19年に柳州の柳宗元のところいく仏教の僧侶であり、詩人である文暢師を送別する詩を贈ったが、このたび五台、河朔のほうにいくというので又この詩を贈って送別する)

昔在四門館,晨有僧來謁。

むかし、予が四門博士として、都に在官した頃、朝早く、-人の僧侶が尋ねて来た。

自言本人,少小學城闕。

聞いて見ると、名を文暢といい、もと呉國の人で、若い時には、都会の学校で勉強をして居たという。

已窮佛根源,粗識事輗軏。

そのうちにあらぬ方にそれて、佛學の根源を極め、ほぼ佛理の本末を知ることとなった。

攣拘屈吾真,戒轄思遠發。

そして、その厳重なる戒律に束縛され賭されて、本性の真を屈することはいとわず、また、雲水の行脚をなすために、車の轄をしめて遠地に向って出発しようとし、そこで、吾が宅にきたのである。

(文暢師も北遊するを送る) #1

昔 四門館に在りしとき,晨に 僧有って來り謁す。

自ら言う 本と人,少小にして 城闕に學ぶ。

已に佛の根源を窮め,粗ぼ 事の輗軏【げいげつ】を識る。

攣拘して 吾が真を屈し,轄を戒めて 遠く發せんを思う。
#2

薦紳秉筆徒,聲譽耀前閥。

都に名高い貴顕を始め、文筆の士などは、文學上の門閥をなし、聲誉赫赫として、なかなか偉く構えて居るのである。

從求送行詩,屢造忍顛蹶。

だから、毎毎そういう人に送序を作ってもらおうというので滅多に書かないのを、根気よくしばしば足を運び、ころびつまづくことを忍んで、毎日催促に出かけたというのである。

今成十餘卷,浩汗羅斧鉞。

そういう風にして、処処で作ってもらった詩文は、段段たまって、今では十餘巻となり、その分量も多く、且つ磨き立てた斧鉞を羅列するが如く、光彩燦然たるものがある。

先生閟窮巷,未得窺剞劂。

ここに、韓愈先生は、陋巷に質素倹約の佗住居をして居られ、未だ其の文章を頂戴しないのは、詩本にのせられないのでまことに遺憾至極であるというのである。

薦紳、筆を秉るの徒、聲譽、前閥を耀かす。

従って送行の詩を求め、屡ば造【いた】りて顛蹶を忍ぶ。

今、十餘卷を成し、浩汗.斧鉞を羅す。

先生、窮巷を閟【と】ぢて、未だ剞劂を窺うを得ず。

#3

又聞識大道,何路補黥刖。

そして、先生は儒家の大道を知って居られるから、刑餘の人に等しいと称せられる我々佛徒の為になるようなことを教えていただきたい。

出其囊中文,滿聽實清越。

そして、今まで手に入れたのは、この通りだといって、嚢中の文を取り出して、それを読み上げるのを聞くと、いかにも清越である。

謂僧當少安,草序頗排訐。

そこで、自分は、文暢に答へて、そういう訳なら、書いて遣るから、少し待ってくれというので、「浮屠丈陽を送る序」といふもの書き上げたが、佛教の事は、性來大嫌いであるから、よほどこれをそしったものであった。

上論古之初,所以施賞罰。

そして、全文の大意たるや、上にあるものを考えてみると、いにしえ国家というものが出来上った時分、聖君賢主が賞罰を施して人民を督励した所以を論じたのである。

#3

又 聞く 大道を識る と,何れの路か 黥刖を補わん。

其の囊中の文を出せば,聽に滿ちて 實に清越。

僧に謂う 當に少しく安んずべし,序を草して 頗る排訐す。

上は古の初め,賞罰を施す所以を論ず。

#4

下開迷惑胸,豁劚株橛。僧時不聽瑩,若飲水救暍。

風塵一出門,時日多如發。三年竄荒嶺,守縣坐深樾。

#5

征租聚異物,詭制怛巾襪。幽窮誰共語,思想甚含噦。

昨來得京官,照壁喜見蠍。況逢舊親識,無不比鶼.

#6

長安多門,吊慶少休歇。而能勤來過,重惠安可揭。

當今聖政初,恩澤完 ?狘。胡為不自暇,飄戾逐鸇

#7

仆射領北門,威德壓胡羯。相公鎮幽都,竹帛爛勳伐。

酒場舞閨姝,獵騎圍邊月。開張篋中寶,自可得津筏。

#8

從茲富裘馬,寧複茹藜蕨。余期報恩後,謝病老耕垡。

庇身指蓬茅,逞志縱獫猲。僧還相訪來,山藥煮可掘。

 

 

『送文暢師北遊』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

又聞識大道,何路補黥刖。

出其囊中文,滿聽實清越。

謂僧當少安,草序頗排訐。

上論古之初,所以施賞罰。

(下し文)
#3

又 聞く 大道を識る と,何れの路か 黥刖を補わん。

其の囊中の文を出せば,聽に滿ちて 實に清越。

僧に謂う 當に少しく安んずべし,序を草して 頗る排訐す。

上は古の初め,賞罰を施す所以を論ず。

(現代語訳)
#3

そして、先生は儒家の大道を知って居られるから、刑餘の人に等しいと称せられる我々佛徒の為になるようなことを教えていただきたい。

そして、今まで手に入れたのは、この通りだといって、嚢中の文を取り出して、それを読み上げるのを聞くと、いかにも清越である。

そこで、自分は、文暢に答へて、そういう訳なら、書いて遣るから、少し待ってくれというので、「浮屠丈陽を送る序」といふもの書き上げたが、佛教の事は、性來大嫌いであるから、よほどこれをそしったものであった。

そして、全文の大意たるや、上にあるものを考えてみると、いにしえ国家というものが出来上った時分、聖君賢主が賞罰を施して人民を督励した所以を論じたのである。


(訳注) #3

送文暢師北遊 #1

803年貞元19年に柳州の柳宗元のところいく仏教の僧侶であり、詩人である文暢師を送別する詩を贈ったが、このたび五台、河朔のほうにいくというので又この詩を贈って送別する)

1 北遊 五台、河朔のほう面に遊ぶ。現在の河北省を中心とする地域のことで、河朔地区の3つの藩鎮、すなわち幽州(廬龍軍。現在の北京及び長城付近)、成徳(鎮冀軍。幽州以南と山西に接する地域)、魏博(天雄軍。渤海湾から黄河以北)のことを指す。

 

又聞識大道,何路補黥刖。

そして、先生は儒家の大道を知って居られるから、刑餘の人に等しいと称せられる我々佛徒の為になるようなことを教えていただきたい。

補黥刖 刑罰のことで、黥は刑罰で刺青をすること、此処では仏教徒が刑罰を受けた人と同じ待遇であることをどうしたらいいのか教えてほしいというほどの意。仏教徒は、髪の毛を剃ったりするのは、刑餘の人に等しいと称せられる。《莊子·篇·大宗師第六》「庸詎知夫造物者之不息我黥而補我劓, 使我乘成以隨先生邪」(庸詎【いづくんぞ】夫の造物者の我が黥を息めずして我が劓を補わざるを知らんや, 使我をして成を乘せて以て先生に隨わしめざるを。)

 

出其囊中文,滿聽實清越。

そして、今まで手に入れたのは、この通りだといって、嚢中の文を取り出して、それを読み上げるのを聞くと、いかにも清越である。

清越 清らかでよくとおる,清らかに響く.清くて調子が高い。用例、其声清越=その声が清らかに響く。南朝宋. 謝靈運《石門巖上宿》詩:「異音同至聽,殊響俱清越。」(異音 同じく聴を致し、殊なれる響き 俱に清越たり。いろんな違う音が同時に聞こえてくる、たまには清風にのっていろんな音がきこえて調子が高い。

石門巌上宿 謝霊運<33> 詩集 411  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ 1050

 

謂僧當少安,草序頗排訐。

そこで、自分は、文暢に答へて、そういう訳なら、書いて遣るから、少し待ってくれというので、「浮屠丈陽を送る序」といふもの書き上げたが、佛教の事は、性來大嫌いであるから、よほどこれをそしったものであった。

排訐 悪く言う、譏。

 

上論古之初,所以施賞罰。

そして、全文の大意たるや、上にあるものを考えてみると、いにしえ国家というものが出来上った時分、聖君賢主が賞罰を施して人民を督励した所以を論じたのである。

 

 

送文暢師北遊 【字解】

803年貞元19年に柳州の柳宗元のところいく仏教の僧侶であり、詩人である文暢師を送別する詩を贈ったが、このたび五台、河朔のほうにいくというので又この詩を贈って送別する)

 

 


送文暢師北遊【字解】

 

1 北遊 五台、河朔のほう面に遊ぶ。現在の河北省を中心とする地域のことで、河朔地区の3つの藩鎮、すなわち幽州(廬龍軍。現在の北京及び長城付近)、成徳(鎮冀軍。幽州以南と山西に接する地域)、魏博(天雄軍。渤海湾から黄河以北)のことを指す。

2 文暢師 僧侶法師文暢のこと。803年貞元19 38歳の時の作で、韓愈《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》があり、3年後のこの時、その時と同じように、送別の詩を依頼してきた。

柳宗元 《柳宗元集、送文上人登五台遂游河朔序.

韓愈《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》

浮屠師文暢喜文章,其周遊天下,凡有行必請於搢紳先生,以求詠歌其所誌。

貞元十九年春,將行東南,柳君宗元為之請。

解其裝,得所得敘詩累百餘篇,非至篤好,其何能致多如是耶?

惜其無以聖人之道告之者,而徒舉浮屠之贈焉。夫文暢,浮屠也。

浮屠師 文暢は文章を喜む。

其の天下を周遊する、凡そ行くこと

有れば、必ず紳先生に請うて、以て其の志す所を詠歌せんことを求む。

貞元十九年春、將に東南に行かんとす。

柳君宗元之が爲に請う。

其の袋を解いて、得る所の敘詩百餘篇を累ぬるを得たり。

至って篤く好むに非ずんば、其れ何ぞ能く多きを致すこと是の如くならんや。

惜むらくは其の聖人の道を以て之に告ぐる者無くして、徒に浮屠の説を挙げて勝るのみなるを。

夫れ文暢は浮屠なり。

仏教の僧侶法師文暢は文章を好んでいる。

彼が天下を周遊するとき、およそ旅立つことがあれは、かならず高官の人や学者たちに請うて、自分の志す所を詩に詠歌して欲しいという。

貞元十九年(803年)春、彼は東南の地方に行こうとしていた。

柳宗元君がこの人のために私に頼まれたので、彼の旅の荷物を解いた。

彼の旅の荷物を解いて、彼の得た叙文や詩を百余篇もかさねることができた。

至って深く篤く好む人でなければ、一体どうしてこのように多くの詩文を手に入れ、ためておくことがあろうか。

惜しいことに、それらは儒家聖人の道を彼に告げたものがなくて、ただ無益にも仏の説を取りあげて彼に贈るだけである。

それ、文陽は仏教の僧侶である。

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3 四門館 即ち四門學。四方侯伯の子弟に教えるところ。  王讜 《唐語林學舊六館》「國子館、太學館、四門館、書館、律館、算館, 國子監の六學が有り。”唐代、四門博士が三人あって、即ち、その教授である。国子学は在京貴族の子弟を教え、四門學は在外有爵者の子弟を教授したのでので、両方を合せて學習院といった様なものである。

4 城闕 城門やぐら。城楼。門観。《詩経国風:鄭風、子衿》「挑兮達兮、在城闕兮。一日不見、如三月兮。」(挑たり達たり、城闕に在り。一日見ざれば、三月の如し。とあって、都会という義、必ずしも天子の都に限った訳ではない。

5 輗軏 輗は轅端の横木、以て軛を縛するもの。軏に、轅端上の曲れる鉤衡。つまり、軏はは馬を縛り付ける水。個個の物の用途性質といふ義に用いてある。

6 攣拘 漢書鄒陽傳に「能く攣拘の語を越ゆ」といい、文選·潘岳·西征賦「陋吾人之拘攣, 飄萍浮而蓬轉。」といひ、即ち、拘束、束縛ということ。

7 戒轄 くさびを外して出発車輛の準備をする。

8 薦紳 大官の連中。都に名高い貴顕を始めとする者たち。

9 耀前閥 従前の門閥として著名である。

 

10 送行詩 送別の詩、送行詩、など、いろんな宴席で披露するためにあつめる。

11 屢造 しばしば足を運び、毎日催促に出かける。

12 忍顛蹶 ころびつまづくことを忍んで、苦労をいとわないことを言う意。

13 浩汗 分量の多いこと。

14 羅斧鉞 斧やまさかりを揃えて並べる。斧や鉞は刑を執行する道具。戦陣で最も使われる武器。

《莊子·至樂》莊子之楚,見空髑髏,髐然有形,檄以馬捶,因而問之,曰:「夫子貪生失理,而為此乎?將子有亡國之事,斧鉞之誅,而為此乎?

《論語》「成春秋一書,褒貶嚴斧鉞」

15 先生 侶法師文暢が韓愈のことをさしていう。

16 閟窮巷 陋巷に佗住居。裏小路に質素なわびしい住居を持つこと。

17 未得窺剞劂 未だ其の文章を頂戴しないのは、詩本にのせられない・剞劂:剞と劂は彫刻刀。詩文を板木に彫刻することをいい、本の製作をするという意味になる。