韓愈  薦士#1

周《詩》三百篇,雅麗理訓誥。曾經聖人手,議論安敢到。

五言出漢時,蘇李首更號。東都漸彌漫,派別百川導。

(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)  周の『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持し、詩文として奇麗にできている。ただし、古訓を調べ、それに依って、今人が初めて解澤することが出来るので、くさま学問として研究することが必要である。現世に行われる五言の詩は、漢の時代に出来たので、蘇武・李陵の唱和に始まると称し、これまでは、四言を詩といったのに、爾後、改めて五言を詩と号することに成つた。五言詩は後漢の世になって、しだいにひろまり、例えば、一つの源の水が海に灌ぐまでには、さまざまに分かれて百川であるように、詩の流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。

韓昌黎集02-18

薦  士 #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7496 

 806年貞元22 39-16)#1

16) #1

 <1704


 
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作時年:

806

貞元22

39

卷別:

338 18  

文體:

 五言古詩

 

18-41

 

 

詩題:

薦  士

序文

作地點:

長安、京師、

 

及地點:

河南 

洛陽 

 

凓陽

 

交遊人物:

鄭餘慶宰相 

張建封 

孟東野

張籍

 

薦士#1

周《詩》三百篇,雅麗理訓誥。曾經聖人手,議論安敢到。

五言出漢時,蘇李首更號。東都漸彌漫,派別百川導。

2

建安能者七,卓犖變風操。逶迤抵晉宋,氣象日雕耗。

中間數鮑謝,比近最清奧。齊梁及陳隋,眾作等蟬噪,

3

搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。國朝盛文章,子昂始高蹈。

勃興得李杜,萬類困陵暴。後來相繼生,亦各臻閫奧。

4

有窮者孟郊,受材實雄驁。冥觀洞古今,象外逐幽好。

橫空盤硬語,妥帖力排奡。敷柔肆紆余,奮猛卷海潦。

5

榮華肖天秀,捷疾逾響報。行身踐規矩,甘辱恥媚竈。

孟軻分邪正,眸子看了毛。杳然粹而清,可以鎮浮躁。

6

酸寒溧陽尉,五十幾何耄?孜孜營甘旨,辛苦久所冒。

俗流知者誰?指註競嘲忄敖。聖皇索遺逸,髦士日登造。

7

廟堂有賢相,愛遇均覆燾。況承歸與張,二公叠嗟悼。

青冥送吹噓,強箭射魯縞。胡為久無成?使以歸期告。

8

霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。念將決焉去,感物增戀嫪。

彼微水中荇,尚煩左右芼。魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

9

幸當擇玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。

上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄

10

通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。

救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。

 


薦士#1

(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

周《詩》三百篇,雅麗理訓誥。

周の『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持し、詩文として奇麗にできている。ただし、古訓を調べ、それに依って、今人が初めて解澤することが出来るので、くさま学問として研究することが必要である。

曾經聖人手,議論安敢到。

この三百篇は、孔子の刪正を経て、一部の詩経としてまとまっているから、今さら批評すべき限りではなく、もとより、超絶的である。

五言出漢時,蘇李首更號。

現世に行われる五言の詩は、漢の時代に出来たので、蘇武・李陵の唱和に始まると称し、これまでは、四言を詩といったのに、爾後、改めて五言を詩と号することに成つた。

東都漸彌漫,派別百川導。

五言詩は後漢の世になって、しだいにひろまり、例えば、一つの源の水が海に灌ぐまでには、さまざまに分かれて百川であるように、詩の流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。
周詩 三百篇、雅麗 訓誥【くんこう】を理【おさ】む。
曾て聖人の手を経たれば、議論 安【いず】くんぞ敢て到らん。
五言は漢時より出で、蘇・李 首【はじ】めて号を更【あらた】む。
東都 漸【ようや】く瀰漫【びまん】し、派別して百川導かる。

2

建安能者七,卓犖變風操。逶迤抵晉宋,氣象日雕耗。

中間數鮑謝,比近最清奧。齊梁及陳隋,眾作等蟬噪,
建安の能くする者 七。卓犖【たくらく】として風操を変ず。
逶迤【いい】として晋・宋に抵【いた】り。気象 日に凋耗【ちょうこう】す。
中間 鮑・謝【ほうしゃ】を数う、近に比すれば最も清奥【せいおう】なり。
斉・梁【せいりょう】と陳・隋【ちんずい】と、衆作 蝉噪【ぜんそう】に等し。

#3
搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。國朝盛文章,子昂始高蹈。勃興得李杜,萬類困陵暴。後來相繼生,亦各臻閫奧。
有窮者孟郊,受材實雄驁。冥觀洞古今,象外逐幽好。
#3
春を捜【さぐ】って花舟を摘み、沿襲【えんしゅう】して剽盗【ひょうとう】に傷つく。
国朝 文章盛んなり、子昂【すこう】 始めて高踏す。勃興【ぼっこう】して李・杜を得たり、万類 陵暴【りょうぼう】に困しむ。
後来 相継ぎて生じ、亦各【おのお】の閫奧【こんおく】に臻【いた】る。
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。


#4
橫空盤硬語,妥帖力排奡。敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。
榮華肖天秀,捷疾逾響報。行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
#4
空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 孫を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。


#5
孟軻分邪正,眸子看了眊。杳然粹而清,可以鎮浮躁,
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
#5
孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。


#6
俗流知者誰,指注競嘲傲。聖皇索遺逸,髦士日登造。
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。況承歸與張,二公迭嗟悼。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。
#6
俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。
廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。

#7
胡為久無成,使以歸期告。霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。
念將決焉去,感物增戀嫪。彼微水中荇,尚煩左右芼。
魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

8
幸當擇玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。
上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄
8
幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り。

#9
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。



『薦士』現代語訳と訳註
(
本文)
薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) #1
周詩三百篇,雅麗理訓誥。曾經聖人手,議論安敢到。
五言出漢時,蘇李首更號。東都漸瀰漫,派別百川導。
建安能者七,卓犖變風操。
 

(下し文)#1
周詩 三百篇、雅麗 訓浩を理む。
曾て聖人の手を経たれば、議論 安くんぞ敢て到らん。
五言は漢時より出で、蘇・李 首めて号を更む。
東都 漸く涌漫し、派別して百川導かる。
建安の能くする者 七。卓単として風操を変ず。


(現代語訳)
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

周の『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持し、詩文として奇麗にできている。ただし、古訓を調べ、それに依って、今人が初めて解澤することが出来るので、くさま学問として研究することが必要である。

この三百篇は、孔子の刪正を経て、一部の詩経としてまとまっているから、今さら批評すべき限りではなく、もとより、超絶的である。

現世に行われる五言の詩は、漢の時代に出来たので、蘇武・李陵の唱和に始まると称し、これまでは、四言を詩といったのに、爾後、改めて五言を詩と号することに成つた。

五言詩は後漢の世になって、しだいにひろまり、例えば、一つの源の水が海に灌ぐまでには、さまざまに分かれて百川であるように、詩の流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。


(訳注)
薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) #1
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

1 【解説】孟郊を鄭餘慶宰相に推薦したと作者註にあるが、歴史家が作時期を疑問視している問題の詩である。この詩では、鄭余慶が宰相の地位にあって、それに韓愈が孟郊を推薦したものである。鄭余慶が宰相となったのはたしかだが、ほどなく免職となって国子祭酒に任ぜられ、それから東都留守(洛陽の長官) に転出している。鄭余慶が孟郊を私的な部下として採用したのはこの東都留守の時期であり、かつ 『旧唐書』に見える孟郊の伝記によれは、鄭に孟郊を推薦したのは韓愈の門人の李翺だということになっている。)
この詩の制作年代と鄭余慶に対する効果については、はっきりしない点が存在するのである。人を推薦する書としての作品的に韓愈の力量が評価されるものであったことは間違いない。そして、長安へもどった韓愈のもとに、「韓門」 の人々がまた集まりだしたのである。彼らの生計まで気にかけるのも、韓愈の性格としては自然のことだったであろう。

孟東野,貞元十一年進士,為溧陽尉時,鄭余慶尹河南,公作是詩以薦之,鄭辟為水陸運從事。此詩作於郊為尉後,辟從事前歟?觀公銘郊墓,謂鄭公尹河南,既辟從事,後以節領興元,復奏為參謀。皆公一詩之薦也。(孟東野,貞元十一年進士,溧陽尉を為す時,鄭余慶 河南に尹たり,公、是の詩を作り以て之を薦む,鄭辟水陸運の從事と為す。此の詩 郊に於て尉と為す後,從事の前にか辟せん?公 郊の墓の銘を觀れば,鄭、河南の尹のとき公に謂う,既に辟に從し事,後に以て興元を節領し,復た奏じて參謀と為す。皆これ公 一詩之れ薦むなり。


周詩三百篇,雅麗理訓誥。
周の『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持し、詩文として奇麗にできている。ただし、古訓を調べ、それに依って、今人が初めて解澤することが出来るので、くさま学問として研究することが必要である。
2 周詩三百篇 『詩経』は、中国最古の詩篇である。古くは単に「詩」と呼ばれ、また周代に作られたため「周詩」とも呼ばれる。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。古くから経典化されたが、内容・形式ともに文学作品と見なしうる。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われる。三百零五篇からなる。

3 訓誥 典謨訓誥のこと。聖人の教え。 経典のこと。 「書経」にある、典、謨、訓、誥の四体の文の称で、同時に「書経」の篇名。これに誓、命を加えて尚書の六種ともいう。

 

曾經聖人手,議論安敢到。

この三百篇は、孔子の刪正を経て、一部の詩経としてまとまっているから、今さら批評すべき限りではなく、もとより、超絶的である。


五言出漢時,蘇李首更號。
現世に行われる五言の詩は、漢の時代に出来たので、蘇武・李陵の唱和に始まると称し、これまでは、四言を詩といったのに、爾後、改めて五言を詩と号することに成つた。
4 蘇李 蘇武も李陵も漢代の武将。李陵は優勢な匈奴軍に包囲され、善戦したが、ついには降伏した。匈奴は李陵を厚く待遇し、匈奴軍の大将に任命した。また蘇武は、漢の外交使節として匈奴へ赴いたが、匈奴は蘇武を抑留し、匈奴の臣となることを強制した。蘇武はこれを拒絶し、さまざまな迫害にあったすえ、漢からの外交折衡により、無事に帰ることができた。そこで蘇武か帰国のとき、李陵が送りに出て、互いに唱和した詩が『文選『李都尉【従軍】陵』』に載っており、五言詩の始まりとされる。今日の研究では、すべて偽作とされているのだが、韓愈の時代には、本物と信じられていた。

《選·李陵與蘇武詩》註雲:“五言詩自陵始也。”


蘇武與李陵詩 (偽作)

         ()

        骨肉緣枝葉,結交亦相因。四海皆兄弟,誰為行路人。

        況我連枝樹,與子同一身。昔為鴛與鴦,今為參與商。

        昔者長相近,邈若胡與秦。惟念當離別,恩情日以新。

        鹿鳴思野草,可以嘉賓。我有一(缶尊)酒,欲以贈遠人。

        願子留斟酌,敘此平生親。 

         ()

        結發為夫妻,恩愛兩不疑。歡在今夕,燕婉及良時。

        徵夫懷遠路,起視夜何其。參辰皆已沒,去去從此辭。

        行役在戰場,相見未有期。握手一長嘆,淚為生別滋。

        努力愛春華,莫忘歡樂時。生當複來歸,死當長相思。

  

         ()

        黃鵠一遠別,千裡顧徘徊。胡馬失其群,思心常依依。

        何況雙飛龍,羽翼臨當乖。幸有弦歌曲,可以中懷。

        請為游子吟,泠泠一何悲。絲竹厲清聲,慷慨有余哀。

        長歌正激烈,中心愴以摧。欲展清商曲,念子不能歸。

        俯仰傷心,淚下不可揮。願為雙黃鵠,送子俱遠飛。

  

         ()

        燭燭晨明月,馥馥秋蘭芳。芳馨良夜發,隨風聞我堂。

        徵夫懷遠路,游子戀故寒冬十二月,晨起踐嚴霜。

        俯觀江漢流,仰視浮雲翔。良友遠別離,各在天一方。

        山海隔中州,相去悠且長。嘉會難再遇,歡樂殊未央。

        願君崇令德,隨時愛景光。

  

        李陵與蘇武詩 

         ()

        良時不再至,離別在須臾。屏營衢路側,執手野躑躕。

        仰視浮雲馳,奄忽互相逾。風波一失所,各在天一隅。

        長當從此別,且複立斯須。欲因晨風發,送子以賤軀。 

         ()

        嘉會難再遇,三載為千秋。臨河濯長纓,念子悵悠悠。

        遠望悲風至,對酒不能酬。行人懷往路,何以慰我愁。

        獨有盈觴酒,與子結綢繆。 

         ()

        攜手上河梁,游子暮何之。徘徊蹊路側,悢悢不得辭。

        行人難久留,各言長相思。安知非日月,弦望自有時。

        努力崇明德,皓首以為期

88 李陵 《與蘇武詩三首 其一》古詩源 文選 漢詩  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3366 (11/29)


東都漸瀰漫,派別百川導。
五言詩は後漢の世になって、しだいにひろまり、例えば、一つの源の水が海に灌ぐまでには、さまざまに分かれて百川であるように、詩の流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。
5 東都 後漢



韓愈詩-韓愈144 02-18薦士【原註:薦孟郊於鄭餘慶也。】 (周詩三百篇,)

 東雅堂昌黎集註  薦士

孟東野,貞元十一年進士,為溧陽尉時,鄭余慶尹河南,公作是詩以薦之,鄭辟為水陸運從事。此詩作於郊為尉後,辟從事前歟?觀公銘郊墓,謂鄭公尹河南,既辟從事,後以節領興元,復奏為參謀。皆公一詩之薦也。 #1

周詩三百篇、雅麗理訓誥。雅麗或作麗雅,理或作埋。今按:二字皆未安,恐必有誤。

曽經聖人手、議論安敢到。五言出漢時、蘇李首更號。《選·李陵與蘇武詩》註雲:“五言詩自陵始也。”

東都漸瀰漫、𣲖百川導。

#2

建安能者七、卓犖變風操。

建安,謂魏之文人也。《典論》雲:“今之文人,魯國孔融、廣陵陳琳、山陽王粲、北海徐幹、陳留阮、汝南應、東平劉公幹,斯七子也。”,徒哽切,一音暢,又音陽。

逶迤抵晉宋、氣象日凋耗。中間數鮑謝、鮑照、謝也。或曰謝靈運,蓋二謝通稱。比近最清奥。

齊梁及陳隋衆作等蟬噪。

#3

捜春摘花卉沿襲傷剽盜。國朝盛文章、子昻始髙蹈。

《筆墨閑錄》曰:“《薦士》詩與《送孟東野序》,盛言子昂、李、杜,余皆不在其列,唐詩由子昂始唱之也。”子昂姓陳,梓州射洪人,唐高宗時有文章盛名。

勃興得李杜、萬類困陵暴後來相繼生、亦各臻閫奥。

或作奧,舊本作奧,今本以重韻誤刊也。《班固傳》:“究先聖之奧。”

#4

有窮者孟郊“東野窺禹穴”,“東野動驚俗”,公平日以朋友處之,字而不名,獨此詩曰:“有窮者孟郊。”蓋薦之於王公大人,不得不名也。受材實雄驁。

冥觀洞古今、象外逐幽好。横空盤硬語、橫空或作縱橫 妥帖力排奡。

《論語》:“奡蕩舟。”寒浞殺有窮後羿,因其室而生奡。奡多力,能陸地行舟,為少康所殺。臨川雲:“吟詩各有所得,‘清水出芙蓉,天然去雕飾’,此李白所得也。‘或看翡翠蘭苕上,未掣鯨鯢碧海中’,此杜甫所得也。‘橫空盤硬語,妥帖力排奡’,此韓愈所得也。” 奡,魚到切。

敷柔肆紆餘、奮猛巻海潦。

#5

榮華肖天秀、捷疾逾響報。捷或作健,逾或作愈。

行身踐規矩、甘辱恥媚竈。媚竈見《論語·八佾》。

孟軻分邪正、眸子看瞭眊。眸子瞭眊見《孟子·離婁上》。瞭音了。眊音耄。

杳然粹而清、或作精。可以鎮浮躁。

#6

酸寒溧陽尉、溧陽,即今升州縣名。貞元十二年,呂渭知貢舉,郊年四十有六,中進士第。間四年,調溧陽尉。溧音栗。五十幾何耄。八十九十曰耄。

孜孜營甘㫖、《禮記·則》:“昧爽而朝,慈以甘旨。”辛苦久所冒。

俗流知者誰、指注競嘲慠。聖皇索遺逸、髦士日登造。

#7

廟堂有賢相、謂鄭余慶。受遇均覆燾。

公有與余慶書雲“再奉示問,皆緣孟家事。”郊死於元和九年,時余慶為興元尹。韋莊雲:“東野佐徐州幕,卒,使下廷評以墓誌。”考之余慶在興元,奏郊為參謀,未至而卒,莊非也。覆,方又切。

况承歸與張、謂郊嘗為歸登、張建封所知。二公迭嗟悼。

青冥送吹噓、箭射魯縞。《前漢·韓安國傳》:“強弩之末,力不能穿魯縞。”

胡為久無成使以歸期告。

貞元十九年,建封死久矣,公猶且雲爾者,蓋言東野素為建封所知,胡為久無成,以歸期告也。

#8

霜風破佳菊、嘉節迫吹帽。晉孟嘉在征西將軍幕中,九日宴龍山,風吹嘉帽落。

念將决焉去、感物増戀嫪。嫪恡物也。《聲韻》雲:“姻嫪戀惜也。”《文》雲:固也。嫪盧到切。

彼微水中荇、尚煩左右芼。《詩》:“參差荇菜,左右芼之。”芼,擇也。芼音冒。

魯侯國至小、廟鼎猶納郜。《春秋》桓二年:“取郜大鼎於宋。戊申納於太廟。”郜,地名。郜音告。

#9

幸當擇珉玉、寧有棄珪瑁。《周禮》:“天子執瑁四寸,以朝諸侯。”瑁,天子圭也。瑁音冒。

悠悠我之思、擾擾風中纛。

纛以氂牛尾為之,大如鬥,系於左馬軛上。《選》:“黃屋左纛。”楚王曰:“寡人之心,搖搖然如懸旌。”詩意取此。纛音道。

上言愧無路、日夜惟心禱。鶴翎不天生、變化在啄鳥伏卵謂之,薄報切。

10

通波非難圖、尺地易可漕。善善不汲汲、後時徒悔懊。

救死具八珍、《周禮·膳夫》:“珍用八物。”又:“食醫掌八珍之齊。”《禮記·則》:“八珍謂淳熬、淳母、炮豚、炮羊、搗珍、漬、熬、肝也。”不如一簞犒。楚與晉戰,或人進王一簞酒,王傾酒於水上,與士共飲。簟音單。不或作無。

微或作數。

微詩公勿誚、微或作數。愷悌神所勞。《詩》:“愷悌君子,神所勞矣。”勞,郎到切。

 

 

  卷337_18 《薦士(薦孟郊于鄭餘慶也)》韓愈 

  周詩三百篇,雅麗理訓誥。曾經聖人手,議論安敢到。 

  五言出漢時,蘇李首更號。東都漸彌漫,派別百川導。 

  建安能者七,卓犖變風操。逶迤抵晉宋,氣象日凋耗。 

  中間數鮑謝,比近最清奧。齊梁及陳隋,眾作等蟬噪。 

  搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。國朝盛文章,子昂始高蹈。 

  勃興得李杜,萬類困陵暴。後來相繼生,亦各臻閫奧。 

  有窮者孟郊,受材實雄驁。冥觀洞古今,象外逐幽好。 

  橫空盤硬語,妥帖力排奡.敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。 

  榮華肖天秀,捷疾逾響報。行身踐規矩,甘辱恥媚灶。 

  孟軻分邪正,眸子看了眊.杳然粹而清,可以鎮浮躁, 

  酸寒溧陽尉,五十幾何耄。孜孜營甘旨,辛苦久所冒。 

  俗流知者誰,指注競嘲傲。聖皇索遺逸,髦士日登造。 

  廟堂有賢相,愛遇均覆燾。況承歸與張,二公迭嗟悼。 

  青冥送吹噓,強箭射魯縞。胡為久無成,使以歸期告。 

  霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。念將決焉去,感物增戀嫪。 

  彼微水中荇,尚煩左右芼.魯侯國至小,廟鼎猶納郜。 

  幸當擇玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。 

  上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄 

  通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。 

  救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。