全唐詩338_25 #5寒食日出游 -5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017210

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

 

 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-047-#2卷164_7 怨歌行(卷五(一)三六一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8147

 

 

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744年-集06 【字解集】 送族弟綰・送程劉二侍御・前有樽酒行・春日行Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8099

 

 

孟浩然

李白詩

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曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

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《楚辞九辯》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-28 全唐詩338_25 #5寒食日出游 -#5 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8148

 

 

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806年-018-#6 全唐文551-11-#6喜侯喜至贈張籍、張徹  【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7944

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

 

 

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-73#1 行官張望補稻畦水歸#1 杜詩詳注(卷一九(四)一六五四)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8155

 

 

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767年-集-4字解 【字解集】 a槐葉冷淘・ b上後園山・c季夏送弟韶字解 杜詩詳注Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8131

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

 

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

 

 

 

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91)回目皇甫松十一首 《天仙子/浪濤沙/楊栁枝/摘得新/夢江南/採蓮子 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8108 (02/03)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

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玉-038 室思一首三章 -#3 〔徐 幹〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8151

 

 

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玉集-07 秦嘉妻答詩・飲馬長城窟行・飲馬長城窟行 【字解集】   Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8133

 

 

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806-28 全唐詩338_25 #5寒食日出游 -5 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8148

そこで、自然の勢い、憂氣が天然の調和を損じて、無事に丈夫では、天性を保つこともできなくなるので、君が病気に悩んでおられるのも、もっとも至極なことである。

鶴は優れた鳥であるが、両方の翼を切断すれば、悲しい声を避けんでなくばかりであろうし、驥は、千里を一飛びにする材能はあるが、四つの足を縛ってしまえば、天地を横絶するだけの気だけは残っていても、それでは本当に馳せることはできない。

今日は寒食節であるから、行楽に出かけようといっていたが、君は一緒に行くことができないので、せめてこの春景色を眺め暮らそうというので、野外に出てみたところが、柳は緑に煙って岸を匝り広がり、新蒲の芽は生え、勢いよく水中から迸っている。

 

28-0全唐詩338_25 #5

寒食日出游 -5

昌黎先生集 

韓昌黎文集巻三-28#5

806年貞元2239 (28)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8148

 

唐時代 韓愈関連05辟雍00韓昌黎集タイトル01

 

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

巻三-28#5

文體:

七言古詩 

昌黎先生集 

 

韓昌黎集巻三-28#5

詩題:

寒食日出游 -5

序文

【自注:張十一院長見示〈病中憶花〉九篇,寒食日出遊夜歸,因以投贈。(張十一,即功曹署,外郎遺補相呼為院長,愈與署同自御史貶官,又同為江陵掾。愈法曹參軍,署功曹參軍。)】 

作地點:

江陵(山南東道 / 荊州 / 江陵

 

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州別名:洞庭     

 

鬼門關 (嶺南道 容州 鬼門關)     

交遊人物:

 

 

交遊人物:

 

 

交遊人物:

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寒食日出游: 1

(元和二年三月、張署が病気になったので、行楽に出かけることもできず、韓愈に《病中憶花》九首、詩を寄せた・韓愈は、寒食の日、行楽に出かけ、帰宅して、古詩を作って張署に答えたもの。)

【自注:張十一院長見示〈病中憶花〉九篇,寒食日出遊夜歸,因以投贈。(張十一,即功曹署,外郎遺補相呼為院長,愈與署同自御史貶官,又同為江陵掾。愈法曹參軍,署功曹參軍。)】 

【韓愈の自註:張署が病気で花見に行けず、《病中憶花》九篇を寄せてきたのを見たのは、寒食の日に出かけて遊び、夜帰ってきてからの事だ、そこで、この詩を書いて贈った(張署は外郎遺補であり、院長と呼ばれていて、これまで韓愈と張署は同じ御史で、また、量移され、江陵の掾に任じられ、韓愈は、法曹參軍で,張署は功曹參軍であった)】

李花初發君始病,我往看君花轉盛。 

春も盛りになろうと李花が初めて咲くころになって、君は病気にかかられた。私は時々君の病気見舞いに出かけて時にその途中で満開になった梨花を見たものだった。

走馬城西惆悵歸,不忍千株雪相映。 

花は咲き誇っていても病気の人にとっては一緒に花見ができるものでもなく、切なくて悔しい思いをして、馬を城郭の西に走らせて一人さびしく帰ったものであったが、その残念な李花は、千株、雪を降らせて積もったような状態のところに、太陽の日差しがそこに照り光り輝いているのは、何分一人で見るには忍びないのである。

邇來又見桃與梨,交開紅白如爭競。 

その後も、春の景色は、ますます賑わしく、桃が咲き、梨の花が咲き終わり、紅白の花が交代し、て咲き、まじりあってまた咲き、入れ替わって咲くという、競い合って咲くさまを見ることができないことにさみしい思いをしたものであった。

(寒食の日、出でて游ぶ。 1

【自注:張十一院長の〈病中憶花〉の九篇を見示す,寒食の日、出でて遊び、夜歸る,因て以て投贈す。(張十一は,即ち功曹署,外郎遺補 相い呼っで院長と為す,愈署同し自ら御史官を貶せられ,又 同じく江陵の掾と為す。愈は法曹參軍,署は功曹參軍なり。)】

李花 初めて發して 君は始めて病む,我 往いて君を看るとき 花 轉た盛んなり。 

馬は城西に走り 惆悵して歸らん,忍びず 千株 雪 相い映ずるに。 

邇來 又た見る 桃と梨とを,交がわる紅白を開いて 爭うが競うが如し。

2

可憐物色阻攜手,空展霜縑吟九詠。 

手を携えて、花々の風物景色を見ることができないのは、誠に残念であって、とかくするうち、きみは、《病中憶花》九首という詩題で私に寄せてくれ、これをうれしく吟じた。

紛紛落盡泥與塵,不共新妝比端正。 

君の病気の全快するまでの間に皆紛々として、地に落ち、すでに泥と塵に同化してしまったので、花は人のように、若い美しい女がその容光をいつまでも保っておきたいと、努力して保ち、整えるものであっても花はそうはいかない。

桐華最晚今已繁,君不強起時難更。 

中でも一番遅くなって花咲く桐の花も今こそ花繁る時となってしまったので、どうか無理矢理にでも起きてもらって花を見てもらいたいのである。そうしないとこの一年、花が見られないことになる。

憐れなるべし物色 手を攜えるを阻み,空しく霜縑を展べて九詠を吟ず。 

紛紛として落ち盡す 泥と塵とを,新妝を共にして端正を比せず。 

桐華 最も晚けれど今 已に繁し,君 強いて起きざれば 時 更【あらた】め難し。

3

關山遠別固其理,寸步難見始知命。 

関山を隔てて、遠く分かれているならば、顔を見ることもまれなのも、もとより、道理至極のことであるが、現在、寸歩の間にいて、顔を見ることのできないのは、やはり運命というほかあるまい。

憶昔與君同貶官,夜渡洞庭看斗柄。 

思い起こせば、君とともに、貶謫されたのは、南嶺を超えて同じように向かう途中、夜、洞庭湖を渡り、北斗七星の柄の天上に曲がっているのを見て、船の進路を見定めた。

豈料生還得一處,引袖拭淚悲且慶。 

その時は、とても生きているうちには帰ることはおぼつかないと思っていたのに、図らずも、無事で北歸することになり、君と一緒に江陵に量移され、帰ることができた。これは袖を引き、涙をぬぐって悲喜こもごも集まることができたのである。

各言生死兩追隨,直置心親無貌敬。 

それも君との縁があればこそで、生死二つながら追随しようと相談し合ったものであった、それもこれも、君と私との交際は、元来、煎じ詰めれば、形貌の上において、互いに、相敬するのではなくて心から契合して親しむので、もとより、尋常一様の泛交ではないのである。

關山 遠く別るるは固より其の理,寸步 見るに難く始めて命を知る。 

憶う昔 與君と同じく官を貶せられ,夜 洞庭を渡って斗柄を看る。 

豈に料らんや生きて還り 一處を得んとは,袖を引き 淚を拭うて 悲しみ且つ慶こぶ。 

各の言う 生死 兩つながら追隨せんと,直置 心親にして 貌敬なし。

4

念君又署南荒吏,路指鬼門幽且 

しかるに、最近君は、邕管の判官となって、また南荒に赴くというので、その道中、鬼門關を經てゆくことであり、そこは、幽にして且つ【はる】かである。

三公盡是知音人,曷不薦賢陛下聖。 

今は、天子を補佐するいわゆる三公の方々は、われわれにとって知音の人であるにもかかわらず、我々を不遇状態に貶めたことを見ると、なぜ、賢者を神聖なる皇帝陛下に推薦しないのかはなはだ怪しからんことである。

囊空甑倒誰救之,我今一食日還併。 

しかるに、最近君は、邕管の判官となって、また南荒に赴くというので、その道中、鬼門關を經てゆくことであり、そこは、幽にして且つ【はる】かである。

事に、刻下の境涯、懐具合も大変で、財布は空になっており、米櫃は逆さにしたままになっていてその日の米をその日に買うほどである。この飢餓飢渇を誰が救ってくれるのか、仕方ないから、今、一日一食で済ませるようにし、時によっては二日に一食にして過ごすよりないのである。

念う君が 又 南荒の吏に署せられ,路 鬼門を指して、幽 且つ【はる】かなり。 

三公 盡く是れ知音の人,曷んぞ 賢 陛下の聖に薦めざる 

囊は空しく甑は倒れて、誰れか之を救わん,我 今一食 日 還た併わす。   

 

5

自然憂氣損天和,安得康強保天性。 

そこで、自然の勢い、憂氣が天然の調和を損じて、無事に丈夫では、天性を保つこともできなくなるので、君が病気に悩んでおられるのも、もっとも至極なことである。

斷鶴兩翅鳴何哀,縶驥四足氣空橫。 

鶴は優れた鳥であるが、両方の翼を切断すれば、悲しい声を避けんでなくばかりであろうし、驥は、千里を一飛びにする材能はあるが、四つの足を縛ってしまえば、天地を横絶するだけの気だけは残っていても、それでは本当に馳せることはできない。

今朝寒食行野外,綠楊匝岸蒲生迸。 

今日は寒食節であるから、行楽に出かけようといっていたが、君は一緒に行くことができないので、せめてこの春景色を眺め暮らそうというので、野外に出てみたところが、柳は緑に煙って岸を匝り広がり、新蒲の芽は生え、勢いよく水中から迸っている。

自然に憂氣 天和を損ず,安んぞ得ん 康強 天性を保つ。 

鶴の兩の翅を斷てば 鳴くこと何んぞ哀しき,驥の四足を縶ぐ 氣 空しく橫う。 

今朝 寒食 野外を行けば,綠楊 岸を匝って 蒲は生じ 迸しる。    

6

宋玉庭邊不見人,輕浪參差魚動鏡。 

自嗟孤賤足瑕疵,特見放縱荷寬政。 

飲酒寧嫌底深,題詩尚倚筆鋒勁。 

明宵故欲相就醉,有月莫愁當火令。 

 

 

 

《寒食日出遊》現代語訳と訳註解説

(本文) 
5

自然憂氣損天和,安得康強保天性。 

斷鶴兩翅鳴何哀,縶驥四足氣空橫。 

今朝寒食行野外,綠楊匝岸蒲生迸。 

 

(下し文)
自然に憂氣 天和を損ず,安んぞ得ん 康強 天性を保つ。 

鶴の兩の翅を斷てば 鳴くこと何んぞ哀しき,驥の四足を縶ぐ 氣 空しく橫う。 

今朝 寒食 野外を行けば,綠楊 岸を匝って 蒲は生じ 迸しる。   

 

(現代語訳)

そこで、自然の勢い、憂氣が天然の調和を損じて、無事に丈夫では、天性を保つこともできなくなるので、君が病気に悩んでおられるのも、もっとも至極なことである。

鶴は優れた鳥であるが、両方の翼を切断すれば、悲しい声を避けんでなくばかりであろうし、驥は、千里を一飛びにする材能はあるが、四つの足を縛ってしまえば、天地を横絶するだけの気だけは残っていても、それでは本当に馳せることはできない。

今日は寒食節であるから、行楽に出かけようといっていたが、君は一緒に行くことができないので、せめてこの春景色を眺め暮らそうというので、野外に出てみたところが、柳は緑に煙って岸を匝り広がり、新蒲の芽は生え、勢いよく水中から迸っている。

 

(訳注) 
寒食日出游: 1

1.(元和二年三月、張署が病気になったので、行楽に出かけることもできず、韓愈に《病中憶花》九首、詩を寄せた・韓愈は、寒食の日、行楽に出かけ、帰宅して、古詩を作って張署に答えたもの。)

2.【解説】陽山から江陵について、大雪が降ったり、杏の花をめでたりしてきたが、春の盛りに、同じように嶺南に貶謫されていたのが江陵に量移されてきたものである。瘴癘の地から戻され油断があったのか、張署は病気を患った、寒食、清明の時期は、暮春に差し掛かるころ、行楽シーズン酣の時期である。行楽に行けず家で臥せっていた張署と韓愈のやり取りされた詩である。

5

自然憂氣損天和,安得康強保天性。 

そこで、自然の勢い、憂氣が天然の調和を損じて、無事に丈夫では、天性を保つこともできなくなるので、君が病気に悩んでおられるのも、もっとも至極なことである。

27. 自然憂氣損天和 自然の勢い、憂氣が天然の調和を損じている。

 

斷鶴兩翅鳴何哀,縶驥四足氣空橫。 

鶴は優れた鳥であるが、両方の翼を切断すれば、悲しい声を避けんでなくばかりであろうし、驥は、千里を一飛びにする材能はあるが、四つの足を縛ってしまえば、天地を横絶するだけの気だけは残っていても、それでは本当に馳せることはできない。

28. 縶 陟立切。

29. 驥 1日に千里を走るほどの名馬。駿馬。

30. 橫 孟切。天地を横絶すること。

 

今朝寒食行野外,綠楊匝岸蒲生迸。 

今日は寒食節であるから、行楽に出かけようといっていたが、君は一緒に行くことができないので、せめてこの春景色を眺め暮らそうというので、野外に出てみたところが、柳は緑に煙って岸を匝り広がり、新蒲の芽は生え、勢いよく水中から迸っている。

31. 寒食 古代中国で、冬至から105日目に、火気を用いないで冷たい食事をしたこと。そのころは風雨が激しいので火災予防のためとも、また、一度火を断って新しい火で春を促すためともいう。

32. 蒲、香蒲 ガマ科ガマ属の多年草の抽水植物である。円柱状の穂は蒲の穂と呼ばれる。

 

 

   寒食日出遊           東雅堂昌黎集註

張十一院長見示病中憶花九篇,寒食日出遊夜歸,因以投贈。張十一即功曹署。

公與張同自御史貶官,又同為江陵掾,公法曹參軍,張功曹參軍。元和元年時也。

李花初發君始病、我往看君花轉盛。走馬城西惆悵歸、

不忍千株雪相映。邇來又見桃與棃、交開紅白如争競。

可憐物色阻攜手、空展霜縑吟九詠。紛紛落盡泥與塵、

不共新糚比端正。桐華最晚今已繁、禮記月令季春/之月桐始華

君不起時難更。關山逺别固其理、寸步難見始知命

憶昔與君同貶官、夜渡洞庭看斗柄。豈料生還得一處、

引袖拭淚悲且慶。各言生死兩追隨、生死或/作死生直置心親無貌敬。

念君又署南荒吏、張在江陵未幾,邕管經略使路恕署為判官。

路指鬼門幽且夐。

容州北流縣南三十里,有兩石相對,門闊三十步,俗號鬼門關。諺曰:“鬼門關,十人九不還。”

三公盡是知音人、曷不薦賢陛下聖。

蔡邕《獨斷》云:“謂陛下者,群臣不敢指斥天子,故呼在陛下者,因卑達尊之義也。”

囊空甑倒誰救之、杜詩:“囊空恐羞澀,留得一錢看。”又《郭林宗傳》:“孟敏客太原,荷甑墮地,不顧而去。”

我今一食日還併。《禮記·儒行》:“儒有並日而食。”

自然憂氣損天和、安得康保天性。斷鶴兩翅鳴何哀、

縶驥四足氣空横。縶,陟立切。橫,孟切。

今朝寒食行野外、綠楊帀岸蒲生迸。生或/作芽

宋玉庭邊不見人、杜詩:“曾聞宋玉宅,每欲到荊州。”荊州,即江陵也。

輕浪參差魚動鏡。自嗟孤賤足瑕疵、特見放縱荷寛政。

飲酒寧嫌底深、桑乂在江總席上曰:“雖深盞百罰,吾亦不辭也。”

題詩尚倚筆鋒勁 鮑明遠《擬古詩》:“兩窮舌端,五車推筆鋒。”

明宵故欲相就醉。故或/作固有月莫愁當火令。

洪慶善云:“此時春末夏初,故云火令。 ”方云:非也,此謂寒食禁火耳。

火令字見《周禮》。魏武帝亦有《寒食禁火令》,但東坡為李公擇書

此詩作“燈火冷”又不知其所據何本也。 今按方是也。

此言夜行有月、故不憂當寒/食禁火之令耳。坡讀亦誤