806-81 先生-20-02贈崔復州序#7

 

 

2017512

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Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745-018-#4巻169-13 草創大還贈柳官迪(卷十(一)六九一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8693

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

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767年-107#8 贈李八秘書別三十韻#8 杜詩詳注(卷一七(四)一四五五 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8707

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767年-集-13 【字解集】・a.-第五弟豐獨在江左近二首 ・b.-秋風二首 ・c.-送李功曹之荊州 ・d.-送王十六判官 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8660

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

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杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

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806-81 先生-20-02贈崔復州序#7 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8694

私は、前に、ありがたくも于公によく認知頂いて用いて頂いたことがある、そして古くから、崔君と親交し、交遊したものである。私は、復州の人々がその仁徳によるよい恩沢と、観察氏の賢徳との良い惠を蒙ることであろう、そうすれば、とても慶ばしいと思うのである。それでここにそのことをこの書状において述べた次第である。

 

806-081

贈崔復州序 -#7

昌黎先生集 巻二十02

全唐文  卷0555 -10

806年貞元2239 (48)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8694

 



終南山韓昌黎集タイトル01城郭のデッサン001贈崔復州序 §
1 #1

有地數百里,趨走之吏,自長史、司馬已下數十人。其祿足以仁其三族,及其朋友故舊。

#2

樂乎心,則一境之人喜;不樂乎心,則一境之人懼。丈夫官至刺史,亦榮矣。

§2 #3

雖然,幽遠之小民,其足跡未嘗至城邑,有不得其所,能自直於里之吏者,鮮矣,況能自辨於縣吏乎?

#4

能自辨於縣吏者鮮矣,況能自辨於刺史之庭乎?由是刺史有所不聞,小民有所不宣。

#5

賦有常而民無恒,水旱癘疫之不期,民之豐約懸於州。

縣令不以言,連帥不以信,民就窮而斂愈急,吾見刺史之難為也。

§3 #6

崔君為復州,其連帥則於公,崔君之仁足以蘇復人。於公之賢足以庸崔君,有刺史之榮,而無其難為者,將在於此乎?

#7

愈嘗辱於公之知,而舊遊於崔君,慶復人之將蒙其休澤也,於是乎言。

 

沈徳潜評《公此序,大概與《送許郢州》之意同。郢、復在唐皆隸山南東道,兩序皆言於公頔,又皆言民窮斂急,意必有所屬也。頔時為山南東道節度使雲。》

 

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

 卷0555 -10

文體:

序文

昌黎先生集 

巻二十02

 

詩題:

贈崔復州序

序文

公此序,大概與《送許郢州》之意同。郢、復在唐皆隸山南東道,兩序皆言於公頔,又皆言民窮斂急,意必有所屬也。頔時為山南東道節度使雲。

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

及地點:

山南正道 復州 沔陽縣

 

 

 

 

0

交遊人物:

崔 羣

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

贈崔復州序 §1 #1

(人民の困窮と賦税の嚴急であることをいい、刺史と人民は情を隔てたものであってはならないと、儒者の論理を説いたもの。)

有地數百里,趨走之吏,

君の管轄するその地は、四方数百里、命令を受けて小走りに行く役人がいる。

自長史、司馬已下數十人。

それは、長史・司馬各一人、それ以下に数十人もいる。

其祿足以仁其三族,及其朋友故舊。

その俸禄は、その人の三族に、そして、その朋友や古くからの知人に対しても恩恵を施すに十分足りるというものである。

 

(崔復州に贈る序) §1 #1

有地 數百里,趨走の吏,

長史、司馬より已下【いか】數十人。

其の祿 以て其の三族,及び其の朋友 故舊に仁するに足る。

 

#2

樂乎心,則一境之人喜;

刺史が心に楽しみを持つようであれば、一境領内の人々は、喜ぶものである。

不樂乎心,則一境之人懼。

もし、刺史が心に楽しみを持たないようであれば、一境領内の人々は、恐れおののくのである。

丈夫官至刺史,亦榮矣。

男子が役人になって、刺史にまでなると、本人のみならず、又た栄誉なことなのである。

#2

心に樂しめば,則ち一境の人喜び;

心に樂しまざれば,則ち一境の人懼る。

丈夫官 刺史に至る,亦た榮なり。

 

§2 #3

雖然,幽遠之小民,

そうであるけれども、草深く遠いところの細民たちはいるが、

其足跡未嘗至城邑,

その足跡さえ城下町にいまだに行ったこともないという、

有不得其所,能自直於里之吏者,鮮矣,

仮にも、自分の立場が適当でなくとも、自分の言い分をまっすぐに郷里の役人に直接申し述べることのできるものは稀なことである。

況能自辨於縣吏乎?

まして、自分で縣の下役人に言い訳のできるものはなおさらであろう。

§2 #3

然りと雖も,幽遠の小民,

其の足跡 未だ嘗て城邑に至らず,

くも其の所を得ざること有らば,能く自ら於里の吏に直くする者,鮮【すくな】し,

況んや能く自ら縣吏に辨ずるをや?

 

#4

能自辨於縣吏者鮮矣,況能自辨於刺史之庭乎?

まして、自ら進んで縣吏のものに、上申できるものがいないというのに、いわんや、刺史に、州庁舎の庭でもって、弁明などできるものなど言うのであろうか。いないことは言うまでもない。

由是刺史有所不聞,小民有所不宣。

こうしたことにより、刺史は、人民の実情を聞かないところがあり、細民たちは自分の心を十分述べないところがある。

#4

能く自ら縣吏に辨する者は鮮し,況んや能く自ら刺史の庭に辨ずるをや?

是に由って刺史 聞かざる所有り,小民 宣べざる所有り。

 

#5

賦有常而民無恒,

租税の割り当て負担は、一定なものでしかないというのが常で、人民の生産量、収入には一定というものではない。

水旱癘疫之不期,民之豐約懸於州。

大水や、日照り、はやり病の思いがけない災いが、関係して予期しないことがおこるものであり、人民の生活が豊かであるか、倹約を強いられるかは、その州の刺史の力、処置にかかっている。

縣令不以言,連帥不以信,

そういう事があっても、刺史の部下の県令は、人民の実情を言わない、観察使である連師は、州の刺史の報告を信じることはなく、実情が伝わらないのである。

民就窮而斂愈急,吾見刺史之難為也。

それゆえ、人民は次第に苦しくなり、税の取り立てはいよいよ厳しくなっていくばかりである。私には、州の刺史がやりようがなくなっていく、困難な役回りであると思うのである。

#5

賦は有常にりて 民のは恒無し,

水旱 癘疫の期せざる,民の豐約 州に懸る。

縣令 以て言わざる,連帥 以て信ぜず。

民 窮に就て斂 愈よ急なり,吾 刺史の為し難きを見るなり。

 

§3 #6

崔君為復州,其連帥則於公,

このたび、崔君は復州の刺史となられて、その十か国連帥、観察使であるのは、于公襄陽観察使の管轄下にあるのである。

崔君之仁足以蘇復人。

崔君の優れた仁徳は刺史となられて、復州の人々を再びよみがえらせるに違いないのである。

於公之賢足以庸崔君,有刺史之榮,

だから、于公の優れた賢徳は崔君を用いることによって十分満たされることになる、そして、刺史としての栄誉があることになる。

而無其難為者,將在於此乎?

したがって、刺史がその困難な勤めを為すものであること、あるいは、その実績、実例がこの州にあるという事になるのであろうか。

§3 #6

崔君 復州と為り,其の連帥は則ち於公なり,

崔君の仁は以て復人を蘇するに足る。

於公の賢は 以て崔君を庸するに足り,刺史の榮有る,

而して其の為し難き者無きこと,將在於此乎?

 

#7

愈嘗辱於公之知,而舊遊於崔君,

慶復人之將蒙其休澤也,於是乎言。

私は、前に、ありがたくも于公によく認知頂いて用いて頂いたことがある、そして古くから、崔君と親交し、交遊したものである。

私は、復州の人々がその仁徳によるよい恩沢と、観察氏の賢徳との良い惠を蒙ることであろう、そうすれば、とても慶ばしいと思うのである。それでここにそのことをこの書状において述べた次第である。

#7

愈 嘗て於公の知を辱うし,而して舊【ひさし】く崔君に遊ぶ。

復人の 將に其の休澤を蒙らんとするを慶するなり,是に於いてか言う。

 

沈徳潜評

《公此序,大概與《送許郢州》之意同。郢、復在唐皆隸山南東道,兩序皆言於公頔,又皆言民窮斂急,意必有所屬也。頔時為山南東道節度使雲。》

 

 

《贈崔復州序》現代語訳と訳註解説

(本文) 
#7

愈嘗辱於公之知,而舊遊於崔君,

慶復人之將蒙其休澤也,於是乎言。

 

(下し文)
#7

愈 嘗て於公の知を辱うし,而して舊【ひさし】く崔君に遊ぶ。

復人の 將に其の休澤を蒙らんとするを慶するなり,是に於いてか言う。

 

(現代語訳)

私は、前に、ありがたくも于公によく認知頂いて用いて頂いたことがある、そして古くから、崔君と親交し、交遊したものである。

私は、復州の人々がその仁徳によるよい恩沢と、観察氏の賢徳との良い惠を蒙ることであろう、そうすれば、とても慶ばしいと思うのである。それでここにそのことをこの書状において述べた次第である。

 

(訳注) 
#7

愈嘗辱於公之知,而舊遊於崔君,

私は、前に、ありがたくも于公によく認知頂いて用いて頂いたことがある、そして古くから、崔君と親交し、交遊したものである。

29. 舊 ふるくから。もとから。ひさしく。

 

慶復人之將蒙其休澤也,於是乎言。

私は、復州の人々がその仁徳によるよい恩沢と、観察氏の賢徳との良い惠を蒙ることであろう、そうすれば、とても慶ばしいと思うのである。それでここにそのことをこの書状において述べた次第である。

30. 休澤 よい恩沢。よいめぐみ。

31. 於是乎言 それでここにそのことを述べた次第である。

 

 

沈徳潜評:

《公此序,大概與《送許郢州》之意同。郢、復在唐皆隸山南東道,兩序皆言於公頔,又皆極言民窮斂急,意必有所屬也。頔時為山南東道節度使雲。》

公、此の序,大概と《送許郢州》とは之の意同じゅうす。郢は、復た在唐の皆山南東道に隸し,兩序とも皆公頔について言う,又た、皆、民窮し、斂急なるを極言し,意 必ずしも屬する所有るなり。頔時、山南東道節度使に為すと雲う。

 

韓愈がこの詩にいうところと、《送許郢州》で言わんとしたことは大意は同じである。郢州も、復州もみな、唐時代は山南東道に隸属していた。そして、両州とも観察使于頔が租税を誅求したので、人民は疲弊し、施政者から人民の心は離れた。また、人民の困窮度は厳しい聴衆からさらに困窮度を増した。このことは、両州とも同じ状況であった。

このしは比況手法により于公を賢徳の人と表現している。この時代に流行した、手法である。

 

送許郢州序

1. (観察使于頔が租税を誅求したので、これを韓愈は郢州の刺史許志雍に諷諌させようと思っていたところ、刺史許志雍を郢州に送るさいにこの文を贈ったもの。)

2.【解説】郢州(湖北省鐘祥県北)の刺史許志雍送る序である。観察使于頔(うてき)が租税を誅求したので、退之は許志雍に諷諌させようと思ってこの文を贈った。于頔、字は允元、

806年-19 全唐文551-11-#1至鄧州北寄上襄陽於相公書 kanbuniinkai紀頌之7950

3. 許 郢州刺史許志雍。

4. 郢州 中国、湖北省にかつて設置された州。現在の鍾祥市一帯に相当する。