806-14- 韓昌黎集字解集贈崔復州序

 

 

2017513

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

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745-018-#5巻169-13 草創大還贈柳官迪(卷十(一)六九一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8699

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745-【字解集】003 a.送岑徵君歸鳴皋山 b.. 侯十一 c.送族弟凝之滁求婚崔氏 d. 送族弟凝至宴堌單父三十里  e. 送楊山人歸嵩山 .春日遊羅敷潭 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8640

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

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806年-集14- 韓昌黎集【字解集】贈崔復州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8700

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・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

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index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

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767年-集-13 【字解集】・a.-第五弟豐獨在江左近二首 ・b.-秋風二首 ・c.-送李功曹之荊州 ・d.-送王十六判官 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8660

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

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杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

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杜甫詩(11)762年蜀中転々43

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(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

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806-14- 韓昌黎集【字解集】贈崔復州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8700

韓昌黎集タイトル01 

贈崔復州序

1. (人民の困窮と賦税の嚴急であることをいい、刺史と人民は情を隔てたものであってはならないと、儒者の論理を説いたもの。)


2. 韓愈と同年に進士に及第した崔羣、字は敦詩に送った詩である。崔羣は、復州の刺史、于襄陽観察使の管轄下にあった。よえに、枚の一篇の、《全唐文490-14 送許郢州序》と同様、人民の困窮と賦税の嚴急であることをいい、刺史と人民は情を隔てたものであってはならないと、儒者の論理を説く。

806年-25 全唐文490-14 送許郢州序

(観察使于頔が租税を誅求したので、これを韓愈は郢州の刺史許志雍に諷諌させようと思っていたところ、刺史許志雍を郢州に送るさいにこの文を贈ったもの。)

私、韓愈は以前に書簡《上襄陽於相公書》を以て于頔公に自分の考えをよく知ってもらおうと、数百言をかさねて申し述べたのである。その大要は次のようである: 先達の人物が部下によい人を得たことだし、これに事業をまかせるものとする。すると、その人の道徳が世にあきらかになり、名誉と評判はひろく行きわたる。すると、後進の人物にひろがる。上によい人を得てこれに身や心もまかせたならは、その人の事業はあらわれて、爵位も進むのである。下の者が自分の能力をほこることがあり、上の人が自分の位をほこることがあるならは、常に先進後輩が互いに求め合っても、よく互いに合わないのである、と。

【解説】郢州(湖北省鐘祥県北)の刺史許志雍送る序である。観察使于頔(うてき)が租税を誅求したので、退之は許志雍に諷諌させようと思ってこの文を贈った。于頔、字は允元、

806年-19 全唐文551-11-#1至鄧州北寄上襄陽於相公書 kanbuniinkai紀頌之7950

 

3. 有地 領有地。管轄地を支配する。国や土地に沿える接頭語。

4. 趨走 走り使いする。

5. 長史、司馬 州には、刺史の下に補佐官として、長史一人、司馬一人、がある。長史は庶務、司馬は警察、をそれぞれ司る。

6. 已下 以下。

7. 三族 父側の族、父の母側の族、妻の族(実家)をいうが、三族の範囲ははっきりしていない。

『史記』秦本紀に「文公二十年、初めて夷三族の罪有り。」との記述があり、この三族について『史記集解』中で張晏は「父、兄弟および妻子」と、如淳は「父族、母族および妻族」と注している。一方で『周礼』春官宗伯の鄭玄注では「父、子、孫」としている。一方で、『墨子』号令篇に「諸ろ罪有りて死罪より以上なれば、皆父母、妻子、同産に還る。」とあり『漢書』晁錯伝に「大逆無道なれば、錯まさに腰斬し、父母・妻子・同産も少長なく棄市すべし。」とあり、三族と明記されていないものの、父母・妻子・同居親族が族誅の対象であった記述もある。三族への族誅は秦代から行われており、『後漢書』楊終伝には「秦政酷烈にして、一人罪有らば三族に延及す。」との記述がある。

8. 丈夫 男子の美称。一人前の男子。心身ともにすぐれた男。

9. 官 〈九品官人法〉中央から派遣された中正官という役人が、地方の有力な人物を、郷里の評判などで探し出し、それぞれ9等級に評定(郷品)して、その後中央でその結果に応じた職位に就かせるというもの。 220年から魏の文帝が開始し、その後、晋・南北朝に受け継がれた。

しかし、この制度も弊害があり、中正官を抱き込んだ豪族の子弟が、高い評価(郷品)を得るようになり、その後中央で門閥貴族として様々な権力を握るようになる。とうでは、〈科挙〉科挙が清朝まで続いた官吏登用制度で、試験制度である。隋の文帝(楊堅)が598年に中正官を廃止し、学科試験を課す登用制度をはじめる。隋や唐の時代には、唯一の官吏登用の方法ではなかったので、貴族の優遇は残ったが、郷挙里選や九品官人法など、推薦制度の弊害だった地方貴族の高級官職独占を防ぎ、身分に関係なく重要な官職への門戸を開いた。

10. 刺史 前漢から五代十国時代まで存在した官職名。当初は監察官であったが、後に州の長官となった。日本では国守の唐名として使われた。 概要[編集]. 刺史は前漢武帝が紀元前106年に全国に十三州を設置したのと同時に設置された。

11. 幽遠 草深く遠い。

12. 小民 一般の人々。人民。庶民。

13. 城邑 州城のある町。

14. 自直 自分の心を正直に言う。

15. 鮮 すくない、稀なことである。

16. 縣吏 縣之吏役。《史記·樊酈滕灌列傳》:“ 嬰已而試補縣吏。”

17. 刺史之庭 州庁舎の庭。

18. 宣 のべる。

19. 賦有常 租税の割り当て負担は、一定なものである。

20. 民無恒 人民の生産量、収入は一定ではない。

21. 水旱 大水、洪水、日照り、旱魃。

22. 癘疫 悪性の流行病。疫病。

23. 不期 予期しないこと。約束できないこと。

24. 豐約 生活が豊かであるか、倹約を強いられるかということ。

25. 懸於州 州の刺史の力、処置にかかっている。

26. 連帥 唐の観察使。古代十國諸侯之長。 《禮記·王制》に“十國を以て連と為す,連に帥有り。”《漢書·刑法志》に“十國連と為し,連に帥有り。……連帥は比の年簡車す。”

27. 斂愈急 不作、凶作、飢饉など、状況が進めば進むほど、税の取り立ては厳しく急になる。

28. 為復州 復州の刺史となる。

29. 其連帥則於公 復州は、連帥である于襄陽観察使の管轄下にあることを言う。

30. 蘇 よみがえる。

31. 庸 もちいる,つね意味 利用する。採用して働かせる。雇い人。つね。世の中に通行する、一般なみのさま。普通の。どこでもだれにでも通用する事がら・やり方。 ねぎらう。仕事の報酬を出す。租・庸・調の三つの税の一つ。ここでは、用と同じ、もちいる。

32. 將 【はた】あるいは、また。

33. 在於此乎 実績、実例がこの州にあるという事になるのであろうか。

34. 舊 ふるくから。もとから。ひさしく。

35. 休澤 よい恩沢。よいめぐみ。

36. 於是乎言 それでここにそのことを述べた次第である。

 

 

沈徳潜評:

《公此序,大概與《送許郢州》之意同。郢、復在唐皆隸山南東道,兩序皆言於公頔,又皆極言民窮斂急,意必有所屬也。頔時為山南東道節度使雲。》

公、此の序,大概と《送許郢州》とは之の意同じゅうす。郢は、復た在唐の皆山南東道に隸し,兩序とも皆公頔について言う,又た、皆、民窮し、斂急なるを極言し,意 必ずしも屬する所有るなり。頔時、山南東道節度使に為すと雲う。

 

韓愈がこの詩にいうところと、《送許郢州》で言わんとしたことは大意は同じである。郢州も、復州もみな、唐時代は山南東道に隸属していた。そして、両州とも観察使于頔が租税を誅求したので、人民は疲弊し、施政者から人民の心は離れた。また、人民の困窮度は厳しい聴衆からさらに困窮度を増した。このことは、両州とも同じ状況であった。

このしは比況手法により于公を賢徳の人と表現している。この時代に流行した、手法である。

 

送許郢州序

1. (観察使于頔が租税を誅求したので、これを韓愈は郢州の刺史許志雍に諷諌させようと思っていたところ、刺史許志雍を郢州に送るさいにこの文を贈ったもの。)

2.【解説】郢州(湖北省鐘祥県北)の刺史許志雍送る序である。観察使于頔(うてき)が租税を誅求したので、退之は許志雍に諷諌させようと思ってこの文を贈った。于頔、字は允元、

806年-19 全唐文551-11-#1至鄧州北寄上襄陽於相公書 kanbuniinkai紀頌之7950

3. 許 郢州刺史許志雍。

4. 郢州 中国、湖北省にかつて設置された州。現在の鍾祥市一帯に相当する。

 

 

楚州揚州廬州壽州 地図01

洞庭湖北 荊州江陵 卾州武漢 郢州 方面地図01 

 

 

 

贈崔復州序             朱文公校昌黎先生集

有地數百里趨走之吏自長史司馬巳下數十人其禄足以

仁其三族及其朋友故舊樂乎心則一境之人喜不樂乎心

則一境之人懼丈夫官至刺史亦榮矣丈上或/有大字雖然幽

小民其足跡未嘗至城邑苟有不得其所能自直於郷里之

吏者鮮矣况能自辨於縣吏乎方无苟有二/字或无有字能自辨於縣吏

者鮮矣况能自辨於刺史之庭乎由是刺史有所不聞小民

有所不宣賦有常而民産無恒水旱癘疫之不期民之豐約

懸於州縣令不以言連帥不以信民就窮而歛愈急吾見

刺史之難爲也州或作前縣下或有/復出縣字皆非是崔君爲復州其連帥則

于公崔君之仁足以蘇復人于公之賢足以庸崔君有刺史

之榮而無其不爲者將在於此乎崔君之仁上或/有愈以爲三字愈嘗辱于

公之知而舊游于崔君慶復人之將蒙其休澤也於是乎言

 

   贈崔復州序           東雅堂昌黎集註

  公此序大概與送許郢州之意同郢復在唐皆𨽻山南東道両序皆言于公頔又皆言

  民窮歛急意必有所屬也頔時為山南東道節度使云刺史之佐唐制每州刺史

有地數百里趨走之吏自長史司馬已下數十人長史/司馬

/而下長史一人司馬一人其禄足以仁其三族及其朋

友故舊樂乎心則一境之人喜不樂乎心則一境之人

懼丈夫官至刺史亦榮矣丈上或/有大字雖然幽之小民

足跡未嘗至城邑有不得其所或無有二/字或無有字能自直

 

 

里之吏者鮮矣况能自辨於縣吏乎能自辨於

吏者鮮矣况能自辨於刺史之庭乎由是刺史有所不

聞小民有所不宣賦有常而民産無恒水旱癘疫之不

期民之豐約懸於州/縣令不以言連帥不以信民就

窮而歛愈急吾見刺史之難為也州或作前縣下或有/複出縣字皆非是

崔君為復州其連帥則于公崔君之仁足以蘇復人/

之仁上或有/愈以為三字于公之賢足以庸崔君有刺史之榮而無

其難為者將在於此乎愈嘗辱于公之知而舊游于崔

君慶復人之將蒙其休澤也於是乎言

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