807年元和二年40- 巻一-01元和聖德詩 -説文(1-2 

 

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杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

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杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

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杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

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(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

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807年元和二年40- 巻一-01元和聖德詩 -説文(1-2 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9651

10月壬午の日、山東の藩鎮の李師道は領地の一部を返還したので、淄青平盧節度使として、全土に権威を示した。(高崇文を以て西川節度使とする。)

11月戊申の日、武寧軍節度使張建封をはじめとして、皆、朝廷の命を受けるようになる。

元和二年正月初めの己丑の日、親郊に仲う太清宮や太廟の祭杷が謁廟や告祭がおこなわれる。

辛卯の日、帝都の北方に築かれた地壇で、儒教経典に見える宇宙の最高神を祀った。

そうして、皇城太極殿に還り、天下に退社の大号令を発した。

韓愈公は、江陵から召されて國子学博士となり、後に東都洛陽にも國子学の文公でも教え、この詩は國子学博士の時に作ったものである。(劉闢誅殺以後、元和元年10月ごろの作。)

 

 

 

 

 

韓昌黎集巻一《元和聖徳詩 幷序及び関連

 

 

 

 

 

説文(1-1

此詩元和二年作。《憲宗紀》:永貞元年八月即位,明年正月改元元和。楊惠琳據夏州叛。三月辛巳,夏州兵馬使周承全斬惠琳,傳首以獻。九月辛亥,高崇文奏收成都,擒劉辟以獻。

1-2

十月壬午,淄青李師道,十一月戊申,武寧張皆受命。二年正月己丑朔,上親獻太清宮太廟。辛卯,祀昊天上帝於郊丘。還宮,大赦天下。公時為國子博士,分教東都,此詩所以作也。

1-3

穆伯長曰:“退之《元和聖德詩》、《淮西碑》,柳《雅章》之類,皆辭嚴義偉,制作如經,能然聳唐德於盛漢之表。”《筆墨閑錄》云:“此序乃司馬遷之文,非相如文也。”

 

説文 (2
元和聖德詩(並序。初憲宗即位,劍南劉闢自稱留後以叛。元和元年正月,以高崇文為左神策行營節度使討闢。九月,克成都,十月,闢伏誅。二年正月己丑,朝獻於大清宮。庚寅,朝享於太廟。辛卯,祀昊天上帝於郊丘,還宮,大赦天下。) 韓愈



説文 (2
元和聖德詩(並序。初憲宗即位,劍南劉闢自稱留後以叛。元和元年正月,以高崇文為左神策行營節度使討闢。九月,克成都,十月,闢伏誅。二年正月己丑,朝獻於大清宮。庚寅,朝享於太廟。辛卯,祀昊天上帝於郊丘,還宮,大赦天下。) 韓愈


元和聖德詩並序。(序-1
臣愈頓首再拜言。臣伏見皇帝陛下即位已來,誅流姦臣,朝廷清明、無有欺蔽。

外斬楊惠琳・劉闢,以收夏蜀,東定青徐積年之叛,海怖駭,不敢違越,郊天告廟,神靈歡喜,風雨晦明,無不從順。

(序-2

太平之期,適當今日。臣蒙被恩澤,日與群臣序立紫宸殿陛下,親望穆穆之光。

而其職業,又在以經籍教導國子。誠宜率先作歌詩以稱道盛德,不可以辭語淺薄不足以自效為解。

(序-3

輒依古作四言元和聖德詩一篇。

凡千有二十四字,指事實錄,具載明天子文武神聖,以警動百姓耳目,傳示無極,其詩曰。


元和聖德詩  (七大段)一段20句 #1§1-1
皇帝即阼,物無違拒。曰暘而暘,曰雨而雨。
維是元年,有盜在夏。欲覆其州,以踵近武。

#2   1-2
皇帝曰嘻,豈不在我。負鄙為艱,縱則不可。
出師征之,其眾十旅。
#3
   1-3
軍其城下,告以福禍。腹敗枝披,不敢保聚。

擲首陴外,降幡夜豎。

 

二段36句  #4  §2-1

疆外之險,莫過蜀土。韋皋去鎮,劉辟守後。
血人於牙,不肯吐口。開庫啖士,曰隨所取。
#5
    2-2
汝張汝弓,汝鼓汝鼓。汝為表書,求我帥汝。

事始上聞,在列鹹怒。皇帝曰然,嗟遠士女。
#6
    2-3

苟附而安,則且付與。讀命於庭,出節少府。

朝發京師,夕至其部。辟喜謂黨,汝振而伍。

#7    2-4
蜀可全有,此不當受。萬牛臠炙,萬甕行酒。

以錦纏股,以紅帕首。

#8    2-5

有恇其凶,有餌其誘。其出穰穰,隊以萬數。

遂劫東川,遂據城阻。

三段30句   #9  §3-1

皇帝曰嗟,其又可許。爰命崇文,分卒禁禦。
有安其驅,無暴我野。日行三十,徐壁其右。
#10
    3-2
辟黨聚謀,鹿頭是守。崇文奉詔,進退規矩。
戰不貪殺,擒不濫數。四方節度,整兵頓馬。
#11
    3-3

上章請討,俟命起坐。皇帝曰嘻,無汝煩苦。
荊並洎梁,在國門
。出師三千,各選爾醜。
#12
    3-4
四軍齊作,殷其如阜。或拔其角,或
其距。
長驅洋洋,無有齟齬。

 

四段34句  #13  §4-1

八月壬午,辟棄城走。載妻與妾,包裹稚乳。

是日崇文,入處其宇。分散逐捕,搜原剔藪。

#14    4-2

辟窮見窘,無地自處。俯視大江,不見洲渚。

遂自顛倒,若杵投臼。取之江中,枷脰械手。

#15    4-3

婦女累累,啼哭拜叩。來獻闕下,以告廟社。

周示城市,鹹使觀睹。

#16    4-4

攣索,夾以砧斧。婉婉弱子,赤立傴僂。

牽頭曳足,先斷腰膂。
#17
    4-5

次及其徒,體骸撐拄。末乃取辟,駭汗如寫。

揮刀紛紜,爭膾脯。


五段28句  #18  §5-1 

優賞將吏,扶珪綴組。帛堆其家,粟塞其庾。
哀憐陣沒,廩給孤寡。贈官封墓,周匝宏溥。
#19
    5-2
經戰伐地,寬免租簿。施令酬功,急疾如火。
天地中間,莫不順序。幽恒青魏,東盡海浦。

#20    5-3

南至徐蔡,區外雜虜。怛威赧德,踧踖蹈舞。

掉棄兵革,私習簋簠。

#21    5-4

來請來覲,十百其耦。皇帝曰籲,伯父叔舅。

各安爾位,訓厥甿畝。

 

六段56句  #22   §6-1
正月元日,初見宗祖。躬執百禮,登降拜俯。

薦于新宮,視瞻梁梠.。戚見容色,淚落入俎。
#23
     6-2

侍祠之臣,助我惻楚。乃以上辛,於郊用牡。
除于國南,鱗筍毛簴。廬幕周施,開揭磊砢,

#24    6-3

獸盾騰拏,圓壇帖妥。天兵四羅,旂常婀娜。

駕龍十二,魚魚雅雅。宵升於丘,奠璧獻斝。
#25
  §6-4

眾樂驚作,轟豗融冶。紫焰噓呵,高靈下墮。
群星從坐,錯落侈哆。日君月妃,煥赫婐梔。

#26   6-5

瀆鬼濛鴻,嶽祗峨。飫沃膻薌,祥降嘏。
鳳凰應奏,舒翼自拊。赤麟黃龍,逶陀結糾。
#27
   6-6

卿士庶人,黃童白叟。踴躍歡呀,失喜噎歐。
乾清坤夷,境落褰舉。帝車回來,日正當午。
#29
    §6-7

幸丹鳳門,大赦天下。滌濯剗,磨滅瑕垢。

續功臣嗣,拔賢任耇,孩養無告,仁滂施厚。

七段52句   #30  §7-1

皇帝神聖,通達今古。聽聰視明,一似堯禹。
生知法式,動得理所。天錫皇帝,為天下主。
#31
    7-2

並包畜養,無異細。億載萬年,敢有違者?

皇帝儉勤,盥濯陶瓦。斥遣浮華,好此綈紵。
#32
    7-3

敕戒四方,侈則有咎。天錫皇帝,多麥與黍。
無召水旱,耗於雀鼠。億載萬年,有富無窶。
#33
    7-4

皇帝正直,別白善否。擅命而狂,既翦既去。

盡逐群奸,靡有遺侶。天錫皇帝,厖臣碩輔。

#34    7-5

博問遐觀,以置左右。億載萬年,無敢餘侮。
皇帝大孝,慈祥悌友。怡怡愉愉,奉太皇后。

#35    7-7

浹於族親,濡及九有。天錫皇帝,與天齊壽。
登茲太平,無怠永久。

36    7-8

億載萬年,為父為母。博士臣愈,職是訓詁。

作為歌詩,以配吉甫。



807年元和二年40-0

元和聖德詩 説文-(1)-2

昌黎先生集 巻一-01

全唐文/0551

807年元和二年40 (55)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9651

 

説文(1-1

此詩元和二年作。

この詩は。807年元和二年の作品である。

《憲宗紀》:永貞元年八月即位,明年正月改元元和。

唐“憲宗紀”に、憲宗は、805年永貞元年八月即位し、年が明けて正月に元号を元和に改定した。

楊惠琳據夏州叛。

その年に、楊惠琳が夏州に據して反乱を起こした。(夏桵の留後の楊惠琳が命を拒んだ))

三月辛巳,夏州兵馬使周承全斬惠琳,傳首以獻。

806318日、華州の兵馬使の周承全に楊惠琳を斬らせた、この首をこれを預け伝えて獻上した。

九月辛亥,高崇文奏收成都,擒劉辟以獻。

9月立秋から48日目、東川節度使副使の高崇文は成都に攻め込み、これを尽く平定し、劉闢を擒にし、京師に送ってこれを斬り、献上した。

 

説文(1-1

此詩 元和二年の作なり。

《憲宗紀》に:永貞元年 八月即位,明年 正月 改元して元和とす。

楊惠琳 夏州に據して叛す。

三月辛巳,夏州 兵馬使 周承全は惠琳を斬り,傳首して以て獻ず。

九月辛亥,高崇文 奏じて成都を收め,劉辟を擒にし以て獻ず。

 

1-2

十月壬午,淄青李師道,十一月戊申,武寧張皆受命。二年正月己丑朔,上親獻太清宮太廟。辛卯,祀昊天上帝於郊丘。還宮,大赦天下。公時為國子博士,分教東都,此詩所以作也。

1-2

十月 壬午,李師道を淄青とし,

十一月 戊申,武寧の張 皆 命を受く。

二年 正月 己丑の朔,親獻 太清宮 太廟に上つる。

辛卯,昊天上帝 郊丘に於て祀る。

宮に還り,天下に大赦す。

公 時に 國子博士と為り,東都に分教す,此の詩 以て作る所なり。

 

 

《元和聖德詩並序》現代語訳と訳註解説
(
本文)
 
1-2

十月壬午,淄青李師道,

十一月戊申,武寧張皆受命。

二年正月己丑朔,上親獻太清宮太廟。

辛卯,祀昊天上帝於郊丘。

還宮,大赦天下。

公時為國子博士,分教東都,此詩所以作也。

 

(下し文)
1-2

十月 壬午,李師道を淄青とし,

十一月 戊申,武寧の張 皆 命を受く。

二年 正月 己丑の朔,親獻 太清宮 太廟に上つる。

辛卯,昊天上帝 郊丘に於て祀る。

宮に還り,天下に大赦す。

公 時に 國子博士と為り,東都に分教す,此の詩 以て作る所なり。

 

(現代語訳)

10月壬午の日、山東の藩鎮の李師道は領地の一部を返還したので、淄青平盧節度使として、全土に権威を示した。(高崇文を以て西川節度使とする。)

11月戊申の日、武寧軍節度使張建封をはじめとして、皆、朝廷の命を受けるようになる。

元和二年正月初めの己丑の日、親郊に仲う太清宮や太廟の祭杷が謁廟や告祭がおこなわれる。

辛卯の日、帝都の北方に築かれた地壇で、儒教経典に見える宇宙の最高神を祀った。

そうして、皇城太極殿に還り、天下に退社の大号令を発した。

韓愈公は、江陵から召されて國子学博士となり、後に東都洛陽にも國子学の文公でも教え、この詩は國子学博士の時に作ったものである。(劉闢誅殺以後、元和元年10月ごろの作。)

 

(訳注)

説文(1-2

十月壬午,淄青李師道,

10月壬午の日、山東の藩鎮の李師道は領地の一部を返還したので、淄青平盧節度使として、全土に権威を示した。(高崇文を以て西川節度使とする。)

4. 淄青 山東半島には既に平盧軍の兵力が入っており董泰[李忠臣]や淄沂節度使田神功が活躍していた。・唐朝は侯希逸らを 密節度使として遇することとし、田神功の淄沂節度使をも併せて「淄青平盧節度使」となった。憲宗の強硬な対応に対して藩鎮側も朝廷に恭順な態度を取るようになり、平盧の李師道・成徳の王承宗は自ら領地の一部を返還し、横海軍の程権は二州全ての領地を返還して藩の歴史を自ら絶った。

5. 李師道 (?-819年),高麗人,李氏割據的末任淄青節度使。 後被部將劉悟發動兵變,斬殺。

 

十一月戊申,武寧張皆受命。

11月戊申の日、武寧軍節度使張建封をはじめとして、皆、朝廷の命を受けるようになる。

6 武寧 805年三月に設立された武寧軍節度使のことで,下轄は徐州、泗州、濠州,徐州を治む。反朝廷派の淄青平盧節度使に対して、武寧軍節度使は朝廷派であった。

7. 張 張僕射 735年-800年)武寧軍節度使張建封のこと。尚書省右僕射の待遇を受けていたのでかく言う。 建封字を本立といい,兗州の人。788年貞元四年、徐州刺史と為し、徐泗濠節度使となる。796年貞元十二年,檢校右僕射を加られる。公以799年十五年二月汴州之亂,建封に依りて徐せらる。秋,建封闢為節度推官,至是供職。書意以晨入夜歸為不可,其不諂屈於富貴之人可知矣。

武寧軍節度使,又稱徐泗節度使,為唐朝から、五代にかけてげんざいの江蘇省北部に設立さてれた節度使をいう。 782年(唐建中三年)徐海沂密都團練觀察使が徐州を治められるため設けられ,淄青李納控制を實と為し,784年(唐興元元年)廢除。 788年(唐貞元四年)十一月徐泗濠節度使を設ける。800年(唐貞元十六年),廢除,泗州、濠州改歸淮南節度使。

 

二年正月己丑朔,上親獻太清宮太廟。

元和二年正月初めの己丑の日、親郊に仲う太清宮や太廟の祭杷が謁廟や告祭がおこなわれる。

8. 上親獻太清宮太廟の句 親郊に仲う太清宮や太廟の祭杷が謁廟や告祭がおこなわれる。

 

辛卯,祀昊天上帝於郊丘。

辛卯の日、帝都の北方に築かれた地壇で、儒教経典に見える宇宙の最高神を祀った。

9. 昊天上帝 《詩経》《書経》などの儒教経典に見える宇宙の最高神。〈昊天〉は大いなる天,〈上帝〉は天上の帝王の意。〈皇天上帝〉〈皇皇后帝〉ともいい,単に〈上帝〉ともいう。万物の上に位置してこれを主宰し,下民の行為の善悪を公平無私に評定して禍福を下す人格神であり,特に,王朝の存亡は上帝の意志によると考えられたため,その祭祀は帝王みずからが行うべき最も重要な国家祭祀とされた。

10. 郊丘 古天子郊祭天地于丘。皇帝が地祇(地の神)を祭るために作った方形の壇。歴代,帝都の北方に築かれ,夏至の日に祭祀が行われることが多かった。北郊,泰折,方丘,方壇,方沢などの別称がある。地の神や地の霊を祭ることは,太古からあり,漢の武帝が汾水のほとりに立てた后土祠も,その流れをくむものである。しかし,後世の地壇のより直接の先駆となったのは,前漢の成帝が長安の北郊に築いたもの(32),後漢の光武帝が洛陽の北郊に築いたもの(56)などである。

 

還宮,大赦天下。

そうして、皇城太極殿に還り、天下に退社の大号令を発した。

 

公時為國子博士,分教東都,此詩所以作也。 
韓愈公は、江陵から召されて國子学博士となり、後に東都洛陽にも國子学の文公でも教え、この詩は國子学博士の時に作ったものである。(劉闢誅殺以後、元和元年10月ごろの作。)