807年元和二年40- 巻一-01元和聖德詩 -説文 (2

 

 

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807年元和二年40- 巻一-01元和聖德詩 -説文 (2) Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9665

元和の聖徳の詩

(並びに序。806年初めに順宗が崩御、憲宗が皇帝に即位する。劍南道の劉闢は自ら留後と称して以て叛した。

元和元年正月、以て高崇文は左神策軍節度使を行營を為し、劉闢を討伐の命をし、高崇文を征討使として送り込んだ。

九月には成都を奪回し、十月には劉闢を平定し誅殺した。

807年元和2年正月己丑の日、朝廷大清宮において献上する。

807年庚寅の日、朝廷太廟にて享ずる。

807年辛卯の日、洛陽郊外の丘において天地合祭を行い,また大清宮に献上し,天下に大赦令を発した。)

 

 

 

 

 

韓昌黎集巻一《元和聖徳詩 幷序及び関連

 

 

 

 

 

 

説文 s11-1

此詩元和二年作。《憲宗紀》:永貞元年八月即位,明年正月改元元和。楊惠琳據夏州叛。三月辛巳,夏州兵馬使周承全斬惠琳,傳首以獻。九月辛亥,高崇文奏收成都,擒劉辟以獻。

21-2

十月壬午,淄青李師道,十一月戊申,武寧張皆受命。二年正月己丑朔,上親獻太清宮太廟。辛卯,祀昊天上帝於郊丘。還宮,大赦天下。公時為國子博士,分教東都,此詩所以作也。

31-3

穆伯長曰:“退之《元和聖德詩》、《淮西碑》,柳《雅章》之類,皆辭嚴義偉,制作如經,能然聳唐德於盛漢之表。”《筆墨閑錄》云:“此序乃司馬遷之文,非相如文也。”

 

説文 (2) s4
元和聖德詩(並序。初憲宗即位,劍南劉闢自稱留後以叛。元和元年正月,以高崇文為左神策行營節度使討闢。九月,克成都,十月,闢伏誅。二年正月己丑,朝獻於大清宮。庚寅,朝享於太廟。辛卯,祀昊天上帝於郊丘,還宮,大赦天下。) 韓愈


元和聖德詩並序。 s5 (序-1
臣愈頓首再拜言。臣伏見皇帝陛下即位已來,誅流姦臣,朝廷清明、無有欺蔽。

外斬楊惠琳・劉闢,以收夏蜀,東定青徐積年之叛,海怖駭,不敢違越,郊天告廟,神靈歡喜,風雨晦明,無不從順。

6 (序-2

太平之期,適當今日。臣蒙被恩澤,日與群臣序立紫宸殿陛下,親望穆穆之光。

而其職業,又在以經籍教導國子。誠宜率先作歌詩以稱道盛德,不可以辭語淺薄不足以自效為解。

7(序-3

輒依古作四言元和聖德詩一篇。

凡千有二十四字,指事實錄,具載明天子文武神聖,以警動百姓耳目,傳示無極,其詩曰。


元和聖德詩  (七大段)一段20句 #1§1-1
皇帝即阼,物無違拒。曰暘而暘,曰雨而雨。
維是元年,有盜在夏。欲覆其州,以踵近武。

#2   1-2
皇帝曰嘻,豈不在我。負鄙為艱,縱則不可。
出師征之,其眾十旅。
#3
   1-3
軍其城下,告以福禍。腹敗枝披,不敢保聚。

擲首陴外,降幡夜豎。

 

二段36句  #4  §2-1

疆外之險,莫過蜀土。韋皋去鎮,劉辟守後。
血人於牙,不肯吐口。開庫啖士,曰隨所取。
#5
    2-2
汝張汝弓,汝鼓汝鼓。汝為表書,求我帥汝。

事始上聞,在列鹹怒。皇帝曰然,嗟遠士女。
#6
    2-3

苟附而安,則且付與。讀命於庭,出節少府。

朝發京師,夕至其部。辟喜謂黨,汝振而伍。

#7    2-4
蜀可全有,此不當受。萬牛臠炙,萬甕行酒。

以錦纏股,以紅帕首。

#8    2-5

有恇其凶,有餌其誘。其出穰穰,隊以萬數。

遂劫東川,遂據城阻。

三段30句   #9  §3-1

皇帝曰嗟,其又可許。爰命崇文,分卒禁禦。
有安其驅,無暴我野。日行三十,徐壁其右。
#10
    3-2
辟黨聚謀,鹿頭是守。崇文奉詔,進退規矩。
戰不貪殺,擒不濫數。四方節度,整兵頓馬。
#11
    3-3

上章請討,俟命起坐。皇帝曰嘻,無汝煩苦。
荊並洎梁,在國門
。出師三千,各選爾醜。
#12
    3-4
四軍齊作,殷其如阜。或拔其角,或
其距。
長驅洋洋,無有齟齬。

 

四段34句  #13  §4-1

八月壬午,辟棄城走。載妻與妾,包裹稚乳。

是日崇文,入處其宇。分散逐捕,搜原剔藪。

#14    4-2

辟窮見窘,無地自處。俯視大江,不見洲渚。

遂自顛倒,若杵投臼。取之江中,枷脰械手。

#15    4-3

婦女累累,啼哭拜叩。來獻闕下,以告廟社。

周示城市,鹹使觀睹。

#16    4-4

攣索,夾以砧斧。婉婉弱子,赤立傴僂。

牽頭曳足,先斷腰膂。
#17
    4-5

次及其徒,體骸撐拄。末乃取辟,駭汗如寫。

揮刀紛紜,爭膾脯。


五段28句  #18  §5-1 

優賞將吏,扶珪綴組。帛堆其家,粟塞其庾。
哀憐陣沒,廩給孤寡。贈官封墓,周匝宏溥。
#19
    5-2
經戰伐地,寬免租簿。施令酬功,急疾如火。
天地中間,莫不順序。幽恒青魏,東盡海浦。

#20    5-3

南至徐蔡,區外雜虜。怛威赧德,踧踖蹈舞。

掉棄兵革,私習簋簠。

#21    5-4

來請來覲,十百其耦。皇帝曰籲,伯父叔舅。

各安爾位,訓厥甿畝。

 

六段56句  #22   §6-1
正月元日,初見宗祖。躬執百禮,登降拜俯。

薦于新宮,視瞻梁梠.。戚見容色,淚落入俎。
#23
     6-2

侍祠之臣,助我惻楚。乃以上辛,於郊用牡。
除于國南,鱗筍毛簴。廬幕周施,開揭磊砢,

#24    6-3

獸盾騰拏,圓壇帖妥。天兵四羅,旂常婀娜。

駕龍十二,魚魚雅雅。宵升於丘,奠璧獻斝。
#25
  §6-4

眾樂驚作,轟豗融冶。紫焰噓呵,高靈下墮。
群星從坐,錯落侈哆。日君月妃,煥赫婐梔。

#26   6-5

瀆鬼濛鴻,嶽祗峨。飫沃膻薌,祥降嘏。
鳳凰應奏,舒翼自拊。赤麟黃龍,逶陀結糾。
#27
   6-6

卿士庶人,黃童白叟。踴躍歡呀,失喜噎歐。
乾清坤夷,境落褰舉。帝車回來,日正當午。
#29
    §6-7

幸丹鳳門,大赦天下。滌濯剗,磨滅瑕垢。

續功臣嗣,拔賢任耇,孩養無告,仁滂施厚。

七段52句   #30  §7-1

皇帝神聖,通達今古。聽聰視明,一似堯禹。
生知法式,動得理所。天錫皇帝,為天下主。
#31
    7-2

並包畜養,無異細。億載萬年,敢有違者?

皇帝儉勤,盥濯陶瓦。斥遣浮華,好此綈紵。
#32
    7-3

敕戒四方,侈則有咎。天錫皇帝,多麥與黍。
無召水旱,耗於雀鼠。億載萬年,有富無窶。
#33
    7-4

皇帝正直,別白善否。擅命而狂,既翦既去。

盡逐群奸,靡有遺侶。天錫皇帝,厖臣碩輔。

#34    7-5

博問遐觀,以置左右。億載萬年,無敢餘侮。
皇帝大孝,慈祥悌友。怡怡愉愉,奉太皇后。

#35    7-7

浹於族親,濡及九有。天錫皇帝,與天齊壽。
登茲太平,無怠永久。

36    7-8

億載萬年,為父為母。博士臣愈,職是訓詁。

作為歌詩,以配吉甫。


 

807年元和二年40-0

元和聖德詩 説文-(2)

昌黎先生集 巻一-01

全唐文/0551

807年元和二年40 (55)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9665

 

説文(1-1

此詩元和二年作。

この詩は。807年元和二年の作品である。

《憲宗紀》:永貞元年八月即位,明年正月改元元和。

唐“憲宗紀”に、憲宗は、805年永貞元年八月即位し、年が明けて正月に元号を元和に改定した。

楊惠琳據夏州叛。

その年に、楊惠琳が夏州に據して反乱を起こした。(夏桵の留後の楊惠琳が命を拒んだ))

三月辛巳,夏州兵馬使周承全斬惠琳,傳首以獻。

806318日、華州の兵馬使の周承全に楊惠琳を斬らせた、この首をこれを預け伝えて獻上した。

九月辛亥,高崇文奏收成都,擒劉辟以獻。

9月立秋から48日目、東川節度使副使の高崇文は成都に攻め込み、これを尽く平定し、劉闢を擒にし、京師に送ってこれを斬り、献上した。

 

説文(1-1

此詩 元和二年の作なり。

《憲宗紀》に:永貞元年 八月即位,明年 正月 改元して元和とす。

楊惠琳 夏州に據して叛す。

三月辛巳,夏州 兵馬使 周承全は惠琳を斬り,傳首して以て獻ず。

九月辛亥,高崇文 奏じて成都を收め,劉辟を擒にし以て獻ず。

 

1-2

十月壬午,淄青李師道,

10月壬午の日、山東の藩鎮の李師道は領地の一部を返還したので、淄青平盧節度使として、全土に権威を示した。(高崇文を以て西川節度使とする。)

十一月戊申,武寧張皆受命。

11月戊申の日、武寧軍節度使張建封をはじめとして、皆、朝廷の命を受けるようになる。

二年正月己丑朔,上親獻太清宮太廟。元和二年正月初めの己丑の日、親郊に仲う太清宮や太廟の祭杷が謁廟や告祭がおこなわれる。

辛卯,祀昊天上帝於郊丘。

辛卯の日、帝都の北方に築かれた地壇で、儒教経典に見える宇宙の最高神を祀った。

還宮,大赦天下。

そうして、皇城太極殿に還り、天下に退社の大号令を発した。

公時為國子博士,分教東都,此詩所以作也。

韓愈公は、江陵から召されて國子学博士となり、後に東都洛陽にも國子学の文公でも教え、この詩は國子学博士の時に作ったものである。(劉闢誅殺以後、元和元年10月ごろの作。)

1-2

十月 壬午,李師道を淄青とし,

十一月 戊申,武寧の張 皆 命を受く。

二年 正月 己丑の朔,親獻 太清宮 太廟に上つる。

辛卯,昊天上帝 郊丘に於て祀る。

宮に還り,天下に大赦す。

公 時に 國子博士と為り,東都に分教す,此の詩 以て作る所なり。

1-3

穆伯長曰:“退之《元和聖德詩》、《淮西碑》,柳《雅章》之類,皆辭嚴義偉,制作如經,能崒然聳唐德於盛漢之表。”

北宋の穆伯長はこう云っている、「韓退之の《元和聖德詩》、《平淮西碑》,柳宗元の《雅章、雅詩歌曲》之類など、すべてその辞はおごそかで厳格、条理正義、偉才であり、詩經、書經のごとく制作され、盛漢の時に作られた上奏文の「表」と比較しても、唐の善き特質があらわされ、能くとびぬけた山のように、卓越した詩文である。」と。

《筆墨閑錄》云:“此序乃司馬遷之文,非相如文也。”

《筆墨閑錄》 ではこういっている、「この序文は即ち司馬遷の文であるといってもよいもので、司馬相如の文ではありえないというものである。」と

1-3

穆伯長 曰く:

“退之の《元和聖德詩》、《淮西碑》,柳の《雅章》之類,皆辭嚴に 義偉に,制作 經の如く,能く崒然として唐德を盛漢の表に聳えしむ。”

《筆墨閑錄》に云う:“此の序 乃ち司馬遷の文なり,相如の文に非らずや。”

 

説文 (2

元和聖德詩

元和の聖徳の詩

(並序。初憲宗即位,劍南劉闢自稱留後以叛。

(並びに序。806年初めに順宗が崩御、憲宗が皇帝に即位する。劍南道の劉闢は自ら留後と称して以て叛した。

元和元年正月,以高崇文為左神策行營節度使討闢。

元和元年正月、以て高崇文は左神策軍節度使を行營を為し、劉闢を討伐の命をし、高崇文を征討使として送り込んだ。

九月,克成都,十月,闢伏誅。

九月には成都を奪回し、十月には劉闢を平定し誅殺した。

二年正月己丑,朝獻於大清宮。

807年元和2年正月己丑の日、朝廷大清宮において献上する。

庚寅,朝享於太廟。

807年庚寅の日、朝廷太廟にて享ずる。

辛卯,祀昊天上帝於郊丘,還宮,大赦天下。) 韓愈

807年辛卯の日、洛陽郊外の丘において天地合祭を行い,また大清宮に献上し,天下に大赦令を発した。)

説文 (2

元和聖德詩

(並びに序。初めに憲宗即位し,劍南の劉闢 自ら留後と稱し以て叛す。

元和元年の正月,以て高崇文 左神策行を為し節度使を營みて闢を討たしむ。

九月,成都に克ち,十月,闢は誅に伏す。

二年正月己丑,大清宮に朝獻す。

庚寅,太廟に朝享す。

辛卯,昊天上帝を郊丘に祀り,宮に還り,天下に大赦す。) 韓愈

 

 

《元和聖德詩並序》現代語訳と訳註解説

(本文) 
説文 (2

元和聖德詩(並序。初憲宗即位,劍南劉闢自稱留後以叛。元和元年正月,以高崇文為左神策行營節度使討闢。九月,克成都,十月,闢伏誅。二年正月己丑,朝獻於大清宮。庚寅,朝享於太廟。辛卯,祀昊天上帝於郊丘,還宮,大赦天下。) 韓愈

 

(下し文)
説文 (2

元和聖德詩

(並びに序。初めに憲宗即位し,劍南の劉闢 自ら留後と稱し以て叛す。

元和元年の正月,以て高崇文 左神策行を為し節度使を營みて闢を討たしむ。

九月,成都に克ち,十月,闢は誅に伏す。

二年正月己丑,大清宮に朝獻す。

庚寅,太廟に朝享す。

辛卯,昊天上帝を郊丘に祀り,宮に還り,天下に大赦す。) 韓愈

 

(現代語訳)

元和の聖徳の詩

(並びに序。806年初めに順宗が崩御、憲宗が皇帝に即位する。劍南道の劉闢は自ら留後と称して以て叛した。

元和元年正月、以て高崇文は左神策軍節度使を行營を為し、劉闢を討伐の命をし、高崇文を征討使として送り込んだ。

九月には成都を奪回し、十月には劉闢を平定し誅殺した。

807年元和2年正月己丑の日、朝廷大清宮において献上する。

807年庚寅の日、朝廷太廟にて享ずる。

807年辛卯の日、洛陽郊外の丘において天地合祭を行い,また大清宮に献上し,天下に大赦令を発した。)

 

(訳注)

 

説文 (2

元和聖德詩

元和の聖徳の詩

21. 韓愈の注
この詩が韓愈にとって最も重要な、公的作品だと、韓愈グループの文学者には考えられていたのであろう。韓愈の集を編纂した弟子の李漠が、詩の最初にこの作品をおいているのは、そのあらわれと見られる。

 

(並序。初憲宗即位,劍南劉闢自稱留後以叛。

(並びに序。806年初めに順宗が崩御、憲宗が皇帝に即位する。劍南道の劉闢は自ら留後と称して以て叛した。

22. 憲宗即位 8054月に立太子され、同年8月には順宗の病を理由にした譲位にともない即位した。即位後は宦官の勢力に対抗するために杜黄裳を登用した。さらに地方の節度使勢力を抑制するため、817年(元和12年)には淮西節度使を討って地方の統制強化も実施している。対藩鎮勢力の施策としては、儒者の臣を藩帥に任命し、監査任務を主とする監軍には宦官を配し、節度使勢力の動静を監視させる制度を開始した。さらに名臣と謳われた武元衛や李吉甫らにも恵まれ、軍備を拡張した禁軍を積極的に活用した結果、唐王朝に反抗的であった河朔三鎮も服従を誓い、衰退した唐は一時的な中興を見た。

 

元和元年正月,以高崇文為左神策行營節度使討闢。

元和元年正月、以て高崇文は左神策軍節度使を行營を為し、劉闢を討伐の命をし、高崇文を征討使として送り込んだ。

23. この二句 元和元年[806年]正月神策軍高崇文を征討使として送り込んだ。

西元 805 年劉辟反, 806 年高崇文討平。)元和二年武元衡充劍南西川節度使。

 

九月,克成都,十月,闢伏誅。

九月には成都を奪回し、十月には劉闢を平定し誅殺した。

 

二年正月己丑,朝獻於大清宮。

807年元和2年正月己丑の日、朝廷大清宮において献上する。

8. 朝獻太清宮太廟の句 親郊に仲う太清宮や太廟の祭杷が謁廟や告祭がおこなわれる。

 

庚寅,朝享於太廟。

807年庚寅の日、朝廷太廟にて享ずる。

 

辛卯,祀昊天上帝於郊丘,還宮,大赦天下。)韓愈 
807年辛卯の日、洛陽郊外の丘において天地合祭を行い,また大清宮に献上し,天下に大赦令を発した。)

9. 昊天上帝 《詩経》《書経》などの儒教経典に見える宇宙の最高神。〈昊天〉は大いなる天,〈上帝〉は天上の帝王の意。〈皇天上帝〉〈皇皇后帝〉ともいい,単に〈上帝〉ともいう。万物の上に位置してこれを主宰し,下民の行為の善悪を公平無私に評定して禍福を下す人格神であり,特に,王朝の存亡は上帝の意志によると考えられたため,その祭祀は帝王みずからが行うべき最も重要な国家祭祀とされた。

10. 郊丘 古天子郊祭天地于丘。皇帝が地祇(地の神)を祭るために作った方形の壇。歴代,帝都の北方に築かれ,夏至の日に祭祀が行われることが多かった。北郊,泰折,方丘,方壇,方沢などの別称がある。地の神や地の霊を祭ることは,太古からあり,漢の武帝が汾水のほとりに立てた后土祠も,その流れをくむものである。しかし,後世の地壇のより直接の先駆となったのは,前漢の成帝が長安の北郊に築いたもの(32),後漢の光武帝が洛陽の北郊に築いたもの(56)などである。