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807-05元和二年40歳《【字解集】》〔酬裴十六功曹巡府西驛塗中見寄・記夢〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10065

 

 

 

 

 

 

《韓昌黎集・昌黎先生文集・韓愈全集校注》 

 

 

 

 

 

4.

酬裴十六功曹巡府西驛塗中見寄(韓愈全集校注 〔一〕四三〇)巻四29

339_32 《酬裴十六功曹巡府西驛途中見寄》韓愈

相公罷論道,聿至活東人。禦史坐言事,作吏府中塵。 

遂令河南治,今古無儔倫。

四海日富庶,道途隘蹄輪。 府西三百里,候館同魚鱗。

相公謂禦史,勞子去自巡。 

是時山水秋,光景何鮮新。哀鴻鳴清耳,宿霧褰高旻

遺我行旅詩,軒軒有風神。譬如黃金盤,照耀荊璞真。 

我來亦已幸,事賢友其仁。持竿洛水側,孤坐屢窮辰。 

多才自勞苦,無用只因循。辭免期匪遠,行行及山春。 

 

5.

記夢(韓愈全集校注 〔二〕九二〇)巻七-13

342_11 《記夢》韓愈 

  夜夢神官與我言,羅縷道妙角與根。挈攜陬維口瀾翻, 

  百二十刻須臾間。我聽其言未雲足,舍我先度橫山腹。 

  我徒三人共追之,一人前度安不危。我亦平行蹋ye 

  神完骨蹻不掉。側身上視溪穀盲,杖撞玉版聲彭fP. 

  神官見我開顏笑,前對一人壯非少。石壇坡陀可坐臥, 

  我手承頦肘拄座。隆樓傑閣磊嵬高,天風飄飄吹我過。 

  壯非少者哦七言,六字常語一字難。我以指撮白玉丹, 

  行且咀噍行詰盤。口前截斷第二句,綽虐顧我顏不歡。 

  乃知仙人未賢聖,護短憑愚邀我敬。我能屈曲自世間, 

  安能從汝巢神山。 

 


【字解集】 ・酬裴十六功曹巡府西驛塗中見寄

酬裴十六功曹巡府西驛途中見寄 #1

1. (裴度が公務で洛陽から西の最初の駅を巡回した時に、その途中にある時詩を寄せてきたのでそれにこたえて詩を作った。)

2. 裴十六功曹 裴度のこと也。舊唐書に云う、裴諗は裴度に非らず。この時に、河南府功曹と為し、韓愈公、この時に東都に分司と作る。

3. 府西驛 洛陽から西方の最初の駅。

 

相公罷論道,聿至活東人。

鄭餘慶は、中央政府の宰相であるにもかかわらず、天子のお側にいて、宰相は「論道經邦」とすべきをやめ、洛陽から東方の人民を生かすために、河南尹となって聿【ここ】に赴任された。4. 相公 相公とは鄭餘慶也。元和元年、相を罷め、出でて河南の尹と為す。

5. 論道 天子のお側にいて道を論じ、邦を經すこと。書經に、「三公は道を論じ、邦を經す。」とある。

6. 聿至 河南尹となって聿【ここ】に赴任。 至は或いは、來に作る。

7. 活 活は或は治に作るも、是に非らず。

8. 東人 東方の人民。

 

禦史坐言事,作吏府中塵。

裴度も禦史の職に就かれているが、上書して事を言ったことによって座し、東都の功曹という役職の中で風塵の一小役人という地位に貶められた。

9. 禦史 裴度を指す。御史は裴度なり。元和初度、疏に論じ倖に忤㫖を權し、出でて河南府功曹と為す。

 

遂令河南治,今古無儔倫。

そういうえらい方々が来られたから、河南のためにはよい政治とならしめるものであるが、古今ともに、そのような類の例は全くない。

10. 儔倫 「儔」ともがら。たぐい。なかま。「倫」 つね・たぐい 1. 人が修め、守るべきみち。のり。すじみち。 「倫理・人倫・不倫」 2. くらべもの。くらべものになる相手。なかま。ともがら。たぐい。 「倫儔(りんちゅう)・比倫・絶倫」.

 

#2

四海日富庶,道途隘蹄輪。

天下は四海に至るまで、ますます盛んになり、人口は増殖し、車馬が往来するにも大道さえも狭いと思うくらいになった。

11. 隘蹄輪 人口は増殖し、車馬が往来するにも大道さえもあふれる。

 

府西三百里,候館同魚鱗。

ここに、府西驛は洛陽を去ること三百里、その間には旅館もたくさんあり、魚鱗のごとく同じものがならんでいる。

12. 候館 当時の貴族や官僚は外出には車を使わず、馬に乗り、牛車に乗るのは女性が多かった。牛車はまた、運送に利用された。

隋代からの駅伝制度を発達させ、駅站は整備され、役人の宿泊や馬の確保に使われた。一等の駅は馬75頭が置かれていた。関津制度によって、水陸の要所に関所が置かれ、旅人や荷を検分して、商人から税を徴収した。また、商業のための往来するために、商人は「過所」という通行証明書を、中央では尚書省、地方では州で発行してもらい、所持する必要があった。紛失した場合、審査の上で再発行となった。過所に許された経路を通れば、遠距離でも行くことができたが、不正に通関しようとしたものは罰を受けた。また、安史の乱以降は、人の動きが活発化して、藩鎮の州や県で「公験」という通行証明書も発行された。唐代の関津制度は、賦役逃れや誘拐、外敵の潜入を防ぐために厳格であった。唐代後半には、軍事伝達が余りに頻繁となり、駅站が増大して、駅伝制度は崩れていった

 

相公謂禦史,勞子去自巡。  

そこで、鄭相公が裴度禦史に向かい、ご苦労ではあるが、府西を巡回してもらえないかと頼まれたので、裴度禦史は、ここを去り巡回されることになったのである。

 

#3

是時山水秋,光景何鮮新。

この時、山水、すべて秋模様、この満目の景色は、何かにつけて新鮮に見える。

 

哀鴻鳴清耳,宿霧褰高旻。

群れにはぐれた哀鴻の声は、耳を澄まして、聞くものであり、大空の上には、永く被っていた厚い雲も消え去り、跡形もなくまことに心地よくさわやかである。

13. 褰 かかげる、ひらく。褰は或いは浥に作るが是に非らず。

14. 高旻 秋の天高き青天を言う。 爾雅に「秋は旻天と曰う。」とある。

 

遺我行旅詩,軒軒有風神。

こうして、裴度公は巡回の途中から、行旅の詩を作って送ってこられた、その詩を拝見すると、軒軒として人知を越えるもので、高く風神がそこには居るのである。

15. 軒軒 人生の節目で · 自然や季節を表す · 人知を越えたものを表す · 人間関係を表す · 人物像を表す · 喜怒哀楽を表す · 揺れる気持ちを表す · 言語を表す · 元気・健康を表す · 暮らしぶりを表す · 励ましたり、褒めたり · 非難する · さまざまな状態を表す · 社会との関わりを表す。

 

譬如黃金盤,照耀荊璞真。 

この詩をわが詩に比較すると、彼の詩は、黄金の盤が楚地の玉璞を照耀しているかのようであるのである。

16. 荊璞真 楚地の玉璞。「荊」は荊門、荊州で楚の国をいう。

 

#4

我來亦已幸,事賢友其仁。

我がここに来たというのは、まことに幸いなことで、長官としては、鄭公の様な賢者を得ているし、友人としては裴度公のごとき仁人が居る。

17. 事賢 賢者に仕える。鄭餘慶を指す。

18. 友其仁 仁人の友を持つ。裴度を指す。

 

持竿洛水側,孤坐屢窮辰。

しかし、生来無能のものであるから、洛水の辺で釣り糸を垂れ、一人座して一日過ごすことがしばしばあるのである。

19. 窮辰 一日過ごすことをいう。

 

多才自勞苦,無用只因循。

それも当たり前のことで、多才なものは自然と苦労して働いており、役に立たない者は、ただ、ぐずぐずして何もできていない。

20. 因循 古い習慣や方法などに従うばかりで、それを一向に改めようとしないこと。また、そのさま。思い切りが悪く、ぐずぐずしていること。引っ込み思案なさま。

 

辭免期匪遠,行行及山春。  

そういう事で、役に立たない我輩のようなものは、辭免の期が遠い先の日の事ではない真近かのことかもしれないと思っている、だから、今回の巡回を行程通り、行ってもらうと、来年の春、山の上まで春が進む晩春のころにはお帰りになろうと思うので、その前、できるだけ早い時期にお会いできたらと思っているところであります。

21. 辭免期 辞職、免職を言い渡される時期。

 

 

   酬裴十六功曹巡府西驛塗中見寄

    或無塗字裴十六度也。

    舊云裴諗非度時為河南/府功曹公時分司東都作

相公罷論道相公鄭餘慶也元和元年罷相/出為河南尹。書三公論道經邦聿至活東

至或作來活/或作治非是御史坐言事作吏府中塵

御史裴度也。元和初度疏論權倖忤㫖出為河南府功曹 

遂令河南治今古無儔倫四海日富

庶道途隘蹄輪府西三百里候館同魚鱗周禮五十里/有市市有候

館所以候/客之館也相公謂御史勞子去自巡是時山水秋光

景何鮮新哀鴻鳴清耳宿霧褰髙旻爾雅秋曰旻天/褰或作浥非是

我行旅詩軒軒有風神譬如黄金盤照耀璞真我

亦巳幸事賢友其仁論語事其大夫之賢者友其士/之仁者事賢謂餘慶友仁謂度

竿洛水側孤坐屢窮辰多才自勞苦方作苦勞云苦勞/語見呂 

按語勢當作勞苦大抵公詩多自/襟流出未必故用古人語也無用秪因循辭免期

匪遠行行及山春

 

 

 

 

【字解集】 ・記夢

記夢
1. (ある夜の夢に、仙人と出会った、世俗を脱したもののはなしを陽山に貶謫されたこと、自己も脱世俗しているようなものという事を述べる。)

2. 【題意】此詩は蓋し、託諷の意有り、公、執政に忤い、左遷して右庶子と為る時に作る。前の盧公も荷花に酬ゆる詩の末に云う、「豈如散仙鞭笞鸞終日相追陪、と。而して此の詩の末に云う、我能屈曲自世間、安能從女巢神山。」と。皆、俯仰、人に隨う能わざるの意有り。故に其の為左遷の時たるを知るべき也。」とある。

 

夜夢神官與我言,羅縷道妙角與根。

ある夜、夢にでたことだが、神仙が、わたしに話かけてくれた。よく語ってくれることには宇宙の道は玄妙なもので、角(すぼし)と根(ねぼし)が基本でなりたっている。

3. ・神官 神仙の官。仙人。

4. ・与我言 私には語ってくれる。『詩經・鄭風』狡童 「彼狡童兮,不與我言兮。維子之故,使我不能餐兮。彼狡童兮,不與我食兮。維子之故,使我不能息兮。」(彼(か)の狡童は,我(われ)と言らず。維(ただ)子(し)の故に,我をして餐する能(あた)はざらしむ。彼(か)の狡童は,我(われ)と食はず。維(ただ)子(し)の故に,我をして  息(いこ)ふ能(あた)はざらしむ。

5. ・羅縷 べらべらしゃべる。三国志の魏文帝紀に羅縷豈闕辭 とあり、束晳の貧家賦に且羅縷而自陳 とあって、詳に之をいう事。

6. ・角與根 角星と子星【すぼしとねぼし】・角 星の名、すぼし。二十八宿の一。『国語』に「それ辰角あらほれて雨畢る」と見える。・根 天根のこと。ねのほし子の星とは。北極星の異称。國語に「辰角見われて雨畢り、天根見われて水涸る。」とあって、その注に「辰角は大星、蒼龍の角、天根は亢氐の間。」とある。朱子の解に、「角根は即ち辰卯の二位、二十八宿の起こる所なり、所謂る角と根なり。」と見える。


挈攜陬維口瀾翻,百二十刻須臾間。

その角星と子星は西南・東南・西北・東北の四隅を波立たせ翻りして結び合わせて、星の間の事は、季節も年もほんのつかの間の事なのだ。

7. ・挈攜 むすびつける。

8. ・陬維 天地のすみ。『淮南子』の天文訓に「東北を報徳の経となし、西南を背陽の経となし、東南を常羊の経となし、西北を旗通の経となす」とあり、墜形訓に「河水は昆魔の東北取に出で……赤水は其の東南随に出で……洋水は其の西北取に出で……」とある。今按上句言角根即辰夘二位二十八宿所起也。此句言陬維通謂寅申已亥之四隅也挈此四隅則周乎十二辰二十八宿之位矣。淮南子天文訓云西南為背陽之維東南為常羊之維西北為蹏通之維東北為報徳之維又地形訓云河水出崐崘東北陬赤水出其東南陬洋水出其西北陬亦邉隅之名也。
9.
 ・百二十刻 一昼夜を12等分し、午前零時を子()の刻とし、次丑(うし)の刻、寅(とら)の刻のように十二支に配するものを時(とき)という。刻は10等分されたもの。1日は120刻。一か月、季節もこのように配分する。ここでは、星の位置で時間を測定し、春分点を起点として黄道帯を十二の部分に分かったものを十二宮といい、各官を十刻にわけると、百二十刻とする。蒋注に、方に云う董彦云う、世間只だ百刻有り、百二十刻は、星紀を以て言う也。と。 今按ずるに、星紀の未だ詳ならず、其の㫖は但だ、漢の哀帝、甞て夏賀良のい、漏刻は百二十を以て度を為す、事は哀紀に見ゆ。」とある。
10.
 ・須臾 短い時間。しばらくの間。ほんの少しの間。つかの間。


我聽其言未雲足,舍我先度橫山腹。

それをきいたとしても、簡単にそのことをなっとくはできるものではないのだが、仙人はわたしをほったらかしにして、先に進み川を渡って、山腹を横切ってゆくのである。

 

#2

我徒三人共追之,一人前度安不危。

これを逃がしてはいけないと、わたしたち仲間三人は、いっしょにっ仙人を追っかける。一人は前に進み出て、危なげなしにすらすらと渡ってしまい、少しも危ないところがない。

 

我亦平行蹋蹻槱,神完骨蹻不掉。

わたしは、第二で、進むにちょっと困難なところでも平気で過ぎてゆく、心身驚かず、骨高く聳え、そして踏みしめる足も震えることもなく、仙人は崖っぷちを行くに全く動じるところがない
11.
 ・蹻槱 やすらかでないこと。
12.
 ・ たかいこと。


側身上視溪穀盲,杖撞玉版聲彭觥。
身をそばだてて遙かに山の上の方を見上げると渓谷は狭く風雲が閉じ込めて、くらくて何も見えない。そこで、杖を以て四辺を敲いてふりまわすと、玉盤木にでも搥ったかのような、彭觥たる音を発した。

13. ・玉版 飾りのついたバンギ。

14. ・彭觥 ぼこぼこという音。

 

#3

神官見我開顏笑,前對一人壯非少。
仙人が、わたしを見て、微笑を送ってくる。その前にかしこまっているのは 青年とはもういえぬ年配の男なのだ。


石壇坡陀可坐臥,我手承頦肘拄座。
そこの石垣、うねうねと、いかにも座ったり寝そべってもよさそうだ。わたしもあぐらかき、肘にアゴのせながめてみるのだ。
15. ・坡陀 斜めに傾いている平らでないさま。詳注に坡陀は、送惠師詩の陂陀の字と同、語は楚詞の招魂に見ゆ。然れども唐人多く坡陀の字を通用す、又は郭璞 子虚賦の注に音婆駞、故に蜀夲に婆陀と作る。

 

隆樓傑閣磊嵬高,天風飄飄吹我過。」
豪壮な楼閣はたかくとそびえている、天風は瓢々とわたしを吹きぬけてゆく。
16.
 ・
磊嵬 高く聳えるさま。

 

壯非少者哦七言,六字常語一字難。
もう青年ともいえない年配の男が思い出したように、七言の詩を吟じはじめた。六字は普通に使う言葉だが、あとの一字がどうも難解のようだ。
17. ・ (事情がわかったり,思い当たったりして)ああ,おお哦,想起来了ああ,思い出したよ.

魯直云う、只、前句、中哦字便是の所、此れ難く、乃ち詩之法と為す也。

 

#4

我以指撮白玉丹,行且咀噍行詰盤。
わたしは、王子喬のように指で白王丹をつまんでから、、歩きながら食べ、食べながらあるく、難解な文字を解くつもりで、繰り返してやったのだ。

18. ・白玉丹 仙藥。

夢の話は王子喬の故事に基づいている。王子喬がある時、河南省の伊水と洛水を漫遊した時に、浮丘公という道士に出逢った。王子喬は、その道士について嵩山に登っていった。そこにいること三十余年、浮丘公の指導の下、仙人になった。その後、王子喬は白い鶴に乗って、飛び去った、という『列仙傳』に出てくる故事中の人物。李白『古風五十九首 其七』「兩兩白玉童。雙吹紫鸞笙。」

左右に、白玉のように美しいお顔の童子う従えて、ともに紫檀で鷲のかたちの笙を奏でている。

19. 白玉童 白玉のような清らかな顔の童子。○紫鸞笙 王子喬という仙人は笙の名手であったが、かれの笙は紫檀で鳳翼にかたどって製ってあった。鸞は、鳳風の一種。 李白『古風五十九首 其七』 李白『贈銭徴君少陽』李白『別赴徵三首』○白玉 白く輝く玉飾り。白と黄金は宮殿にだけ使用されたもので、宮殿をあらわす。白玉は大理石である。謝朓、李白、「玉階怨」のきざはしに使用されている。大理石のきざはしは宮妓を示す語である。李白は都での女性関係はないよとでも言いたかったのであろう。
20.
 ・阻喋 かむ。

21. ・詰盤 くりかえす。


口前截斷第二句,綽虐顧我顏不歡。
年配の男は、詩を吟じ二句目で、たちき切ったのだ、それからあからさまでなくしいたげて來てじろじろとわたしの顔なめまわすように不機嫌そのものであった。
23. ・截断 たちきる。
24.
 ・綽虐 綽:ゆったりとしたさま。「綽綽・綽然・綽約」 2 あからさまでない。虐:しいたげるむごい扱いをする。「虐殺・虐政・虐待/残虐・嗜虐(しぎゃく)・自虐・暴虐」あからさまでなくしいたげて來ること。

 

乃知仙人未賢聖,護短憑愚邀我敬。

そんなもんだろう、道教の仙人は、賢人でも聖人でもない。このように短所をそのままにし、つまらない愚物を寄せてきて、それを敬えとわたしにも強要する。

 

我能屈曲自世間,安能從汝巢神山。」

我々は、そのような理屈に合わないことを世間と同じようにする、どうしてそんなことをするお主なんぞの後についていって、神仙の山に住む気をおこしたりするものか。

25. ・屈曲 おのれの本性をまげる。

王子喬は道教の仙人にしたがって仙郷に入ったが、儒者がそのようなことはしないというもの。こうした韓愈の儒者として明快に根べてイルので、後世の数多い儒家の評価型の詩人に比較して高いのである。この反対に謝靈運、孟浩然、李白は儒家の評価は低い。

 

 

 

   記夢

此詩蓋有託諷意公忤執政左遷為右庶/子時作前酬盧公荷花詩末云豈如散仙

鞭笞鸞終日相追陪而此詩末云我能屈/曲自世間安能從女巢神山皆有不能俯仰

隨人之意故知其/為左遷之時也

夜夢神官與我言,羅縷道妙角與根。束晳貧家賦且羅縷而自陳國語辰角見而雨畢天根見

而水涸注辰角大星蒼龍之角天根亢氐之間所謂角與根也挈攜陬維口瀾翻,

今按上句言角根即辰夘二位二十八宿所起也。此句言陬維通謂寅申已亥之四隅也挈此四隅

則周乎十二辰二十八宿之位矣淮南子天文訓云西/南為背陽之維東南為常羊之維西北為蹏

通之維東 

北為報徳之維又地形訓云河水出崐崘東北陬赤水出其東南陬洋水出其西北陬亦邉隅之名也。

百二十刻須臾間。方云董彦云世間只有百刻百二十刻以星紀言也。 今按星紀之

其㫖但漢哀帝甞用夏賀良漏刻以百二十為度事見哀紀我聽其言未雲足,

舍我先度橫山腹。先一作去我徒三人共追之,一人前度安不危。

&KR1553&KR1700&KR1626我亦平行蹋敽鼼,上丘召切下牛召切神完骨蹻不掉。 

側身上視溪穀盲,杖撞玉版聲彭觥。

神官見我開顏笑,前對一人壯非少。

石壇坡陀可坐臥,坡陀與送惠師詩陂陀字同語見楚詞招魂然唐人

多通用坡陀字又郭璞子虚賦注音婆駞故蜀夲作婆陀我手承頦肘拄座。音頦 孩

隆樓傑閣磊嵬高,嵬磊音儡五罪切天風飄飄吹我過。 

壯非少者哦七言,六字常語一字難。魯直云只前句中哦字便是所難此乃為詩之法也

我以指撮白玉丹,行且咀噍行詰盤。噍或作嚼字見大人賦與嚼音義通

口前截斷第二句,綽虐顧我顏不歡。

乃知仙人未賢聖,護短憑愚邀我敬。

我能屈曲自世間,諸本能多作今从閣杭蜀本 按此言我若能屈曲從人則自居世間

徇流俗矣安能從女居山間而又不免于屈曲乎猶栁下恵所云枉道而事人何必去父母之邦云爾

安能從汝巢神山。山或作仙非是蘇内翰/甞曰太白詩云遺我鳥跡

書讀之了不閑太白尚氣乃自招不識

字不如退之倔云我能屈曲自世間安能随汝巢神山又甞曰退

之有言我能屈曲自世間云云退之性氣雖出世間人亦不能容也