807-08元和二年40歳昌黎文巻八02《毛頴傳§2-2》〔#4〕

 

 

2018224

の紀頌之"6"つの校注Blog

#1戰城南

毛頴傳§2-2〔#4〕

浣溪沙九首其二

#2  為織女贈牽牛一首

#7【聯句】 光威裒姉妹三人、

李白詩

韓愈詩

杜甫詩

花間集

玉臺新詠

古代史女性論

 

 

2018224

の紀頌之"6"つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説

Ⅰ李白詩(李白集校注)      LiveDoor

747-020#1戰城南(卷三○(二)一七一一詩文補遺)漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog10156

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注      LiveDoor

807年-08元和二年40歳昌黎文巻八02《毛頴傳§2-2》〔#4〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10163

Ⅲ 杜詩詳注                  LiveDoor

767年-222 雷(卷二○(四)一七八九)注(1239) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10165

杜甫詩 全詩 総合案内 

Ⅳブログ詩集漢・唐・宋詞  fc2Blog

花間集 訳注解説 (380)回目孫光憲巻七39浣溪沙九首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10166 (02/24)

.唐五代詞詩・女性・玉臺新詠     Livedoor

玉臺 巻4•2-1-#2  為織女贈牽牛一首〔顏延之〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 10132

Ⅵ唐代女性論ブログ唐代女性論

48-#7【聯句】 光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有。是作精醉儔難。謝家聯雪何以加、之有客自京師来者示予因次其韻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10168

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

807-08元和二年40歳昌黎文巻八02《毛頴傳§2-2》〔#4〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10163

占う者は祝いを述べていった、今日の獲物は、角はなく、牙もない、粗毛の布の衣を着た仲間であろう。

そして口が裂けて三つ口で、長い鬚があり、体に一つ少ない八つの穴があって脚を組んで坐るであろう。

ひとりその中の長い毛の秀でた者を取り用いて、文書に役立たせれば、天下はそれこそ文字を同じくして統一されるであろう。

秦はそれこそ遂に諸侯を兼ね合わせるようになることであろう!」と。

 

 

 

 

 

韓昌黎集 巻三十六 《毛頴傳》

 

 

 

 

 

§1-1

毛穎者,中山人也。

其先明眎,佐禹治東方土。

養萬物有功,因封於卯地,死為十二神。

嘗曰:「吾子孫神明之後,不可與物同。

當吐而生。」

已而果然。

§1-2

明視八世孫,世傳當殷時居中山,得神仙之術,能匿光使物,竊姮娥、騎蟾蜍入月。

其後代遂隱不仕云。

居東郭者曰 夋兔,

狡而善走,與韓盧爭能,盧不及。

盧怒,與宋鵲謀而殺之,醢其家。 

§2-1

秦始皇時,蒙將軍恬南伐楚,次中山。

將大獵以懼楚。

召左右庶長與軍尉,以《連山》筮之。

得天與人文之兆。

§2-2

筮者賀曰:「今日之獲,不角不牙,衣褐之徒。

缺口而長鬚,八竅而趺居。

獨取其髦,簡牘是資.天下其同書。

秦其遂兼諸侯乎!」

 

§2-3

遂獵,圍毛氏之族,拔其豪,載穎而歸,

獻俘於章臺宮,聚其族而加束縛焉。

秦皇帝使恬賜之湯沐,而封諸管城,號曰管城子。

曰見親寵任事。
 

 §3-1

穎為人,強記而便敏,自結繩之代以及秦事,無不纂錄。陰陽、卜筮、占相、醫方、族氏、山經、地志、字書、圖畫、九流、百家天人之書,及至浮圖、老子、外國之,皆所詳悉。又通於當代之務,官府簿書、巿井貸錢注記,惟上所使。自秦皇帝及太子扶蘇、胡亥、丞相斯、中車府令高,下及國人,無不愛重。又善隨人意,正直、邪曲、巧拙,一隨其人。雖見廢棄,終默不泄。惟不喜武士,然見請,亦時往。

§4-1

累拜中書令,與上益狎,上嘗呼為中書君。上親決事,以衡石自程,雖宮人不得立左右,獨穎與執燭者常侍,上休方罷。穎與絳人陳玄、弘農陶泓及會稽褚先生○8友善,相推致,其出處必偕。上召穎,三人者不待詔輒俱往,上未嘗怪焉。 

 

後因進見,上將有任使,拂拭之,因免冠○7謝。上見其髮禿,又所摹畫不能稱上意。上嘻笑曰:「中書君老而禿,不任吾用。吾嘗謂中書君,君今不中書邪?」對曰:「臣所謂盡心者。」因不復召,歸封邑,終於管城。

 

其子孫甚多,散處中國夷狄,皆冒管城,惟居中山者,能繼父祖業。 

§5-1

太史公曰:「毛氏有兩族。其一姓,文王之子,封於毛,所謂魯、衛、毛、聃者也。戰國時有毛公、毛遂。獨中山之族,不知其本所出,子孫最為蕃昌。《春秋》之成,見於孔子,而非其罪。及蒙將軍拔中山之豪,始皇封諸管城,世遂有名,而姓之毛無聞。穎始以俘見,卒見任使,秦之滅諸侯,穎與有功,賞不酬勞,以老見疏,秦真少恩哉。」

 


807-08元和二年40

毛頴傳-#1

昌黎先生集 昌黎文巻八02

全唐文/0567/5

807年元和240

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10135

 

 (1)§1-1毛穎傳

(筆を人に擬し、筆の姓を穎として伝を立てたものである。)

毛穎者,中山人也。

毛穎というものがいる、中山の人である。

其先明眎,佐禹治東方土。

その先祖の明師は、夏の南王を佐けて、東方の土地を治めた。

養萬物有功,因封於卯地,死為十二神。

万物を養い育てて手柄があった。それに困って卯の地に封ぜられて諸侯となった。死んで十二神の一となった。

嘗曰:「吾子孫神明之後,不可與物同。

明師は以前にいった、わが子孫は神の後裔である。他の万物と同じであってはならない。

當吐而生。」

だから子を産むには、当然口から吐いて生まなければならない、と。

已而果然。

やがて果たしてその通りになった。

 §1-2

明視八世孫,世傳當殷時居中山,得神仙之術,能匿光使物,竊姮娥、騎蟾蜍入月。

明師の八世の孫は、世に伝えるところでは、殷の当時に中山に居り、神仙になる術を得て、光を匿したり、または物を使って働かせることができた。羿の妻姮娥を窃み取り、蟾蜍(ひき蛙)に騎って月に入った。

其後代遂隱不仕云。

其の後代の人々はそのまま隠れて君に仕えなかったという。

居東郭者曰 〈夋兔〉,

東の城郭付近に屠る者は夋といった。

狡而善走,與韓盧爭能,盧不及。

すばしこくてよく走った。韓盧という韓国の黒犬と、その走る能力を争ったところ、盧は及ばなかった。

盧怒,與宋鵲謀而殺之,醢其家。 

それで盧は怒って宋鵲という犬と相談して、夋を殺して、その一家のものすべてを殺して“肉びしお”にした。

 

(1)§1-1

毛穎という者,中山の人なり。

其の先は明眎,禹を佐けて東方の土を治む。

萬物を養いて功有り,因りて卯の地に封ぜられ,死して十二神と為る。

嘗て曰く:「吾が子孫は神明の後,與物と同じかる可からず。

當に吐いて生むべし。」と。

已にして果して然り。

§1-2

明視 八世の孫,世に傳う 殷の時に當って中山に居り,神仙の術を得て,能く光を匿し物を使い,姮娥を竊み、蟾蜍に騎りて月に入る。

其の後代 遂に隱れて仕えずと云う。

東郭に居る者を〈夋兔〉【しゅん】と曰う。

狡にして善く走り,韓盧と能を爭い,盧 及ばず。

盧 怒りて,宋鵲と謀りて之を殺し,其の家を醢【かい】にす。

 

§2-1

秦始皇時,蒙將軍恬南伐楚,次中山。

始皇帝の時に、蒙恬将軍は、南方の楚国を伐って軍を中山に駐留した。

將大獵以懼楚。

大いにそこで猟をして、楚国を懼れさせようとするのであった。

召左右庶長與軍尉,以《連山》筮之。

将軍は左右の庶長(将軍) と軍尉(軍法官)らを召して、先ず連山易を以て、筮竹で占う。

得天與人文之兆。

「天から人文を与える」という兆候(うらかた)を得た。

§2-2

筮者賀曰:「今日之獲,不角不牙,衣褐之徒。

占う者は祝いを述べていった、今日の獲物は、角はなく、牙もない、粗毛の布の衣を着た仲間であろう。

缺口而長鬚,八竅而趺居。

そして口が裂けて三つ口で、長い鬚があり、体に一つ少ない八つの穴があって脚を組んで坐るであろう。

獨取其髦,簡牘是資.天下其同書。

ひとりその中の長い毛の秀でた者を取り用いて、文書に役立たせれば、天下はそれこそ文字を同じくして統一されるであろう。

秦其遂兼諸侯乎!」

秦はそれこそ遂に諸侯を兼ね合わせるようになることであろう!」と。

 

§2-3

遂獵,圍毛氏之族,拔其豪,載穎而歸,

獻俘於章臺宮,聚其族而加束縛焉。

秦皇帝使恬賜之湯沐,而封諸管城,號曰管城子。

曰見親寵任事。

 

§2-1

秦の始皇の時,蒙將軍の恬は南のかた楚を伐って,中山に次る。

將に大いに獵して以て楚を懼さんとす。

左右の庶長と軍尉とを召して,《連山》を以て之を筮【ぜい】す。

天は人文を與うるの兆を得たり。

 

§2-2

筮者 賀して曰く:「今日の獲は,角あらず牙あらず,褐を衣るの徒ならん。

缺口【けっこう】にして長鬚,八竅【はっきょう】にして趺居せん。

獨り其の髦を取って,簡牘【かんとく】に是れ資せば.天下 其れ書を同じゅうせん。

秦 其れ遂に諸侯を兼ねんか!」と。

 

§2-3

遂に獵し,毛氏の族を圍み,其の豪を拔き,穎を載せて歸る。

俘を章臺の宮を獻じ,其の族を聚めて束縛を加う。

秦の皇帝恬をして之に湯沐を賜わしめて,而して諸管城に封じ,號して管城子と曰う。

曰びに親寵せられて事に任ず。

 

 

作時年:

807

元和2

40

全唐詩卷別:

全唐文/0567/5

文體:

雜文(俳諧文)

昌黎先生集 

昌黎文巻八02

韓愈全集校注〔三〕一六九三

詩題:

毛頴傳

序文

#1

作地點:

長安 國子博士

 

及地點:

洛陽分司 (國子博士)

 

0

 

 

 

0

交遊人物:

0

0

 

 

『毛穎傳』 現代語訳と訳註解説 

(本文)

§2-2

筮者賀曰:「今日之獲,不角不牙,衣褐之徒。

缺口而長鬚,八竅而趺居。

獨取其髦,簡牘是資.天下其同書。

秦其遂兼諸侯乎!」

 

(下し文)

§2-2

筮者 賀して曰く:「今日の獲は,角あらず牙あらず,褐を衣るの徒ならん。

缺口【けっこう】にして長鬚,八竅【はっきょう】にして趺居せん。

獨り其の髦を取って,簡牘【かんとく】に是れ資せば.天下 其れ書を同じゅうせん。

秦 其れ遂に諸侯を兼ねんか!」と。

 

(現代語訳)

占う者は祝いを述べていった、今日の獲物は、角はなく、牙もない、粗毛の布の衣を着た仲間であろう。

そして口が裂けて三つ口で、長い鬚があり、体に一つ少ない八つの穴があって脚を組んで坐るであろう。

ひとりその中の長い毛の秀でた者を取り用いて、文書に役立たせれば、天下はそれこそ文字を同じくして統一されるであろう。

秦はそれこそ遂に諸侯を兼ね合わせるようになることであろう!」と。

 

(訳注)

毛穎傳

○毛穎 《「穎」は穂先の意》毛筆の異称。毛は筆の毛、当時は免の毛であったから筆の姓とした。穎は筆先の細い毛。これを名とした。

筆を人に擬して伝を立てたのである。着想から滑稽であり、叙事は更に諧謔味を帯び、韓愈の俳諧文の代表作である。特に諷諭の意を捜る必要はない。詩文を通じて、韓愈(退之)の文学には俳諧味がある。これはその一種の表現と見るべきであろう。

 

筮者賀曰:「今日之獲,不角不牙,衣褐之徒。

筮者 賀して曰く:「今日の獲は,角あらず牙あらず,褐を衣るの徒ならん。

占う者は祝いを述べていった、今日の獲物は、角はなく、牙もない、粗毛の布の衣を着た仲間であろう。

20. 衣褐 粗毛で織った衣を着る。人に擬する。

 

缺口而長鬚,八竅而趺居。

缺口【けっこう】にして長鬚,八竅【はっきょう】にして趺居せん。

そして口が裂けて三つ口で、長い鬚があり、体に一つ少ない八つの穴があって脚を組んで坐るであろう。

21. 缺口 三つ口に裂けている。

22. 八竅 『荘子』斉物論に「百骸九竅」とある。九つの穴は、両目、両耳、鼻の両孔、口、及び下の二つの穴。兎は下は一つの竅であるから八竅という。胎生するものは九竅、ただ兎だけは八竅であるとの言い伝え。

23. 趺居 あぐらをかく。脚を組んで尻を地に付けて坐る。

 

獨取其髦,簡牘是資.天下其同書。

獨り其の髦を取って,簡牘【かんとく】に是れ資せば.天下 其れ書を同じゅうせん。

ひとりその中の長い毛の秀でた者を取り用いて、文書に役立たせれば、天下はそれこそ文字を同じくして統一されるであろう。

24. 髦 長毛。毛の中で長いもの。すぐれた人にたとえる。その両義をかねて用いる。

25. 簡牘是資 簡牘に是れ資する。文書を書くたすけとする。書記をさせるのと、筆に用いるのとを兼ね言う。簡は竹のふだ、牘は木の片、ともに字を書く。紙の発明前はこれを用いた。

○天下其同書 天下が同じ文字を通用する。統一国家となる。

 

秦其遂兼諸侯乎!」

秦 其れ遂に諸侯を兼ねんか!」と。

秦はそれこそ遂に諸侯を兼ね合わせるようになることであろう!」と。

26. 兼諸侯 秦が初めて諸侯の国を兼併して天下を平げること。