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807-08元和二年40歳昌黎文巻八02《毛頴傳§3-2》〔#7〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10184

仏教や老子の書、外国の説に至るまで、皆つまびらかに知りつくすところである。

その上当世の大切な仕事をもよく知っていて、役所の帳簿、

市場町中の貨幣金銭の勘定書きなど、ただ主上の使うままに何事によらず記録したのであった。

 

 

 

 

 

韓昌黎集 巻三十六 《毛頴傳》

 

 

 

 

 

§1-1

毛穎者,中山人也。

其先明眎,佐禹治東方土。

養萬物有功,因封於卯地,死為十二神。

嘗曰:「吾子孫神明之後,不可與物同。

當吐而生。」

已而果然。

§1-2

明視八世孫,世傳當殷時居中山,得神仙之術,能匿光使物,竊姮娥、騎蟾蜍入月。

其後代遂隱不仕云。

居東郭者曰 夋兔,

狡而善走,與韓盧爭能,盧不及。

盧怒,與宋鵲謀而殺之,醢其家。 

§2-1

秦始皇時,蒙將軍恬南伐楚,次中山。

將大獵以懼楚。

召左右庶長與軍尉,以《連山》筮之。

得天與人文之兆。

§2-2

筮者賀曰:「今日之獲,不角不牙,衣褐之徒。

缺口而長鬚,八竅而趺居。

獨取其髦,簡牘是資.天下其同書。

秦其遂兼諸侯乎!」

 

§2-3

遂獵,圍毛氏之族,拔其豪,載穎而歸,

獻俘於章臺宮,聚其族而加束縛焉。

秦皇帝使恬賜之湯沐,而封諸管城,號曰管城子。

曰見親寵任事。
 

§3-1

穎為人,強記而便敏,

自結繩之代以及秦事,無不纂錄。

陰陽、卜筮、占相、醫方、族氏、山經、地志、字書、圖畫、九流、百家天人之書。

§3-2

及至浮圖、老子、外國之,皆所詳悉。又通於當代之務,官府簿書、巿井貸錢注記,惟上所使。

§3-3

自秦皇帝及太子扶蘇、胡亥、丞相斯、中車府令高,下及國人,無不愛重。又善隨人意,正直、邪曲、巧拙,一隨其人。雖見廢棄,終默不泄。惟不喜武士,然見請,亦時往。


 

§4-1

累拜中書令,與上益狎,上嘗呼為中書君。

上親決事,以衡石自程,雖宮人不得立左右,獨穎與執燭者常侍,上休方罷。

穎與絳人陳玄、弘農陶泓及會稽褚先生友善。

-2

相推致,其出處必偕。上召穎,三人者不待詔輒俱往,上未嘗怪焉。 

後因進見,上將有任使,拂拭之,因免冠謝。

上見其髮禿,又所摹畫不能稱上意。

-3

上嘻笑曰:「中書君老而禿,不任吾用。

吾嘗謂中書君,君今不中書邪?」對曰:「臣所謂盡心者。」

因不復召,歸封邑,終於管城。

其子孫甚多,散處中國夷狄,皆冒管城,惟居中山者,能繼父祖業。 

 

§5-1

太史公曰:「毛氏有兩族。

其一姓,文王之子,封於毛。

所謂魯、衛、毛、聃者也。

戰國時有毛公、毛遂。

獨中山之族,不知其本所出,子孫最為蕃昌。

《春秋》之成,見於孔子,而非其罪。

-2

及蒙將軍拔中山之豪,始皇封諸管城,世遂有名。

姓之毛無聞。

穎始以俘見,卒見任使。

秦之滅諸侯,穎與有功。

賞不酬勞,以老見疏。

秦真少恩哉。」

 

 

807-08元和二年40

毛頴傳-7(§3-2

昌黎先生集 昌黎文巻八02

全唐文/0567/5

807年元和240

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10184

 

 (1)§1-1毛穎傳

(筆を人に擬し、筆の姓を穎として伝を立てたものである。)

 

§2-1

秦始皇時,蒙將軍恬南伐楚,次中山。

始皇帝の時に、蒙恬将軍は、南方の楚国を伐って軍を中山に駐留した。

將大獵以懼楚。

大いにそこで猟をして、楚国を懼れさせようとするのであった。

召左右庶長與軍尉,以《連山》筮之。

将軍は左右の庶長(将軍) と軍尉(軍法官)らを召して、先ず連山易を以て、筮竹で占う。

得天與人文之兆。

「天から人文を与える」という兆候(うらかた)を得た。

§2-2

筮者賀曰:「今日之獲,不角不牙,衣褐之徒。

占う者は祝いを述べていった、今日の獲物は、角はなく、牙もない、粗毛の布の衣を着た仲間であろう。

缺口而長鬚,八竅而趺居。

そして口が裂けて三つ口で、長い鬚があり、体に一つ少ない八つの穴があって脚を組んで坐るであろう。

獨取其髦,簡牘是資.天下其同書。

ひとりその中の長い毛の秀でた者を取り用いて、文書に役立たせれば、天下はそれこそ文字を同じくして統一されるであろう。

秦其遂兼諸侯乎!」

秦はそれこそ遂に諸侯を兼ね合わせるようになることであろう!」と。

 

§2-3

遂獵,圍毛氏之族,拔其豪,載穎而歸,

そのまま猟をして毛氏の一族を囲み、その中のすぐれたものを抜き取り、毛頴を車に載せて帰った。

獻俘於章臺宮,聚其族而加束縛焉。

そして、俘虜を章台官に献じ、毛氏の一族を集めて束ね縛った。

秦皇帝使恬賜之湯沐,而封諸管城,號曰管城子。

秦の皇帝は、蒙恬をして、毛穎に湯あみし頭髪を洗う邑(領地)として湯沐邑を賜らせ、次いでこれを管城に封じて、号して管城子ということになった。

曰見親寵任事。

その後日々親しく寵愛されて仕事を受け持つことになった。

 

§2-1

秦の始皇の時,蒙將軍の恬は南のかた楚を伐って,中山に次る。

將に大いに獵して以て楚を懼さんとす。

左右の庶長と軍尉とを召して,《連山》を以て之を筮【ぜい】す。

天は人文を與うるの兆を得たり。

 

§2-2

筮者 賀して曰く:「今日の獲は,角あらず牙あらず,褐を衣るの徒ならん。

缺口【けっこう】にして長鬚,八竅【はっきょう】にして趺居せん。

獨り其の髦を取って,簡牘【かんとく】に是れ資せば.天下 其れ書を同じゅうせん。

秦 其れ遂に諸侯を兼ねんか!」と。

 

§2-3

遂に獵し,毛氏の族を圍み,其の豪を拔き,穎を載せて歸る。

俘を章臺の宮を獻じ,其の族を聚めて束縛を加う。

秦の皇帝恬をして之に湯沐を賜わしめて,而して諸管城に封じ,號して管城子と曰う。

曰びに親寵せられて事に任ず。

§3-1

穎為人,強記而便敏,

毛頴は生まれつき物覚えがよくて、敏捷でる、

自結繩之代以及秦事,無不纂錄。

太古には縄を結んで文字の代わりとした時代から秦の事に及ぶまで、集め記さないものはない。

陰陽、卜筮、占相、醫方、族氏、

陰陽二気の理や亀卜筮竹のこと、占いや人相家相のこと、医術、氏族系図のこと、

山經、地志、字書、圖畫、九流、百家天人之書,

山岳の記事地理の書、文字の書物、図画、九流の学派百家の学説、天と人間との関係の書物、

§3-1

頴は人と為り、強記にして便敏、結縄の代より以て秦の事に及ぶまで、纂録せざる無し。

陰陽、卜筮、占相、醫方、族氏、山経、地志、字書、圖畫、九流百家、天人の書、

及至浮圖、老子、外國之,皆所詳悉。

仏教や老子の書、外国の説に至るまで、皆つまびらかに知りつくすところである。

又通於當代之務,官府簿書、巿井貸錢注記,惟上所使。

その上当世の大切な仕事をもよく知っていて、役所の帳簿、市場町中の貨幣金銭の勘定書きなど、ただ主上の使うままに何事によらず記録したのであった。

自秦皇帝及太子扶蘇、胡亥、丞相斯、中車府令高,下及國人,無不愛重。

秦の皇帝及び太子扶蘇、次子胡亥、丞相李斯、中辛府令の趙高から一般の国人に及ぶまで、この毛頴(筆)を愛し用いないものはなかった。

§3-2

及び浮圖老子、外国の説に至るまで、皆 詳悉にする所。

又当代の務に通ず。官府の簿書、市井貨錢の注記、惟上の使ふ所のままなり。

§3-3

秦の皇帝及び太子扶蘇・胡亥、丞相斯、中車府の令高より、

下は国人に及ぶまで、愛重せざる無し。

又善く人意に随ひ、正直邪曲巧拙、一に其の人に随ふ。

廃棄せらると雖も、終に黙して洩さず。

惟武士を喜ばず。然れども請はるれば亦時に往く。

 

 

作時年:

807

元和2

40

全唐詩卷別:

全唐文/0567/5

文體:

雜文(俳諧文)

昌黎先生集 

昌黎文巻八02

韓愈全集校注〔三〕一六九三

詩題:

毛頴傳

序文

#1

作地點:

長安 國子博士

 

及地點:

洛陽分司 (國子博士)

 

0

 

 

 

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交遊人物:

0

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 42

『毛穎傳』 現代語訳と訳註解説 

(本文)

§3-2

及至浮圖、老子、外國之,皆所詳悉。

又通於當代之務,官府簿書、

巿井貸錢注記,惟上所使。

 

(下し文)

§3-2

及び浮圖老子、外国の説に至るまで、皆 詳悉にする所。

又当代の務に通ず。官府の簿書、市井貨錢の注記、惟上の使ふ所のままなり。

 

(現代語訳)

仏教や老子の書、外国の説に至るまで、皆つまびらかに知りつくすところである。

その上当世の大切な仕事をもよく知っていて、役所の帳簿、

市場町中の貨幣金銭の勘定書きなど、ただ主上の使うままに何事によらず記録したのであった。

 

(訳注)

毛穎傳

○毛穎 《「穎」は穂先の意》毛筆の異称。毛は筆の毛、当時は免の毛であったから筆の姓とした。穎は筆先の細い毛。これを名とした。

筆を人に擬して伝を立てたのである。着想から滑稽であり、叙事は更に諧謔味を帯び、韓愈の俳諧文の代表作である。特に諷諭の意を捜る必要はない。詩文を通じて、韓愈(退之)の文学には俳諧味がある。これはその一種の表現と見るべきであろう。

 

§3-2

及至浮圖、老子、外國之,皆所詳悉。

及び浮圖老子、外国の説に至るまで、皆 詳悉にする所。

仏教や老子の書、外国の説に至るまで、皆つまびらかに知りつくすところである。

42. 浮圖 ①仏陀(ぶつだ)。仏(ほとけ)。②僧。出典野ざらし 俳文・芭蕉「もとどりなき者はふとの属にたぐへて」[髪を束ねていない者は僧侶の仲間だとして。③仏塔。

43. 老子 春秋戦国時代の中国における哲学者である。諸子百家のうちの道家は彼の思想を基礎とするものであり、また、後に生まれた道教は彼を始祖に置く。「老子」の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称と考えられている。書物『老子』(またの名を『老子道徳経』)を書いたとされるがその履歴については不明な部分が多く、実在が疑問視されたり、生きた時代について激しい議論が行われたりする。道教のほとんどの宗派にて老子は神格として崇拝され、三清の一人である太上老君の神名を持つ。

44. 詳悉 非常にくわしくて漏れのないこと。詳細に述べること。また、そのさま。詳悉法 修辞法の一。事物のありのままを綿密に叙述する方法。

 

又通於當代之務,官府簿書、

その上当世の大切な仕事をもよく知っていて、役所の帳簿、

 

巿井貸錢注記,惟上所使。

市場町中の貨幣金銭の勘定書きなど、ただ主上の使うままに何事によらず記録したのであった。

巿〔昔,中国で,井戸のある周辺に人家が集まったことから,あるいは市街では道が井の字の形をしているからともいう〕人家の集まっている所。まち。ちまた。