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807-08元和二年40歳昌黎文巻八02《毛頴傳§4-4》〔#12〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10227

私は常に中書君と呼んでいたが、君は今字を書くにあたらない ねじけて適当でないということなのか。」と。

答えていった、私は世にいう所の君に心を尽くしたのです(筆の毛の心が尽きたので字は書けない) と。

そこで天子は二度と毛頴を召さなかった。

毛頴は領城に帰り、管城で命を終わった。

その子孫は甚だ多く、中國の中だけでなく異民族の国々の各所に散らばり住むようになった。

皆、管城の号を頭につけているが、ただ中山に居る老だけが父祖の業を継いでいるのである。

 

 

 

 

 

韓昌黎集 巻三十六 《毛頴傳》

 

 

 

 

 

§1-1

毛穎者,中山人也。

其先明眎,佐禹治東方土。

養萬物有功,因封於卯地,死為十二神。

嘗曰:「吾子孫神明之後,不可與物同。

當吐而生。」

已而果然。

§1-2

明視八世孫,世傳當殷時居中山,得神仙之術,能匿光使物,竊姮娥、騎蟾蜍入月。

其後代遂隱不仕云。

居東郭者曰 夋兔,

狡而善走,與韓盧爭能,盧不及。

盧怒,與宋鵲謀而殺之,醢其家。 

§2-1

秦始皇時,蒙將軍恬南伐楚,次中山。

將大獵以懼楚。

召左右庶長與軍尉,以《連山》筮之。

得天與人文之兆。

§2-2

筮者賀曰:「今日之獲,不角不牙,衣褐之徒。

缺口而長鬚,八竅而趺居。

獨取其髦,簡牘是資.天下其同書。

秦其遂兼諸侯乎!」

 

§2-3

遂獵,圍毛氏之族,拔其豪,載穎而歸,

獻俘於章臺宮,聚其族而加束縛焉。

秦皇帝使恬賜之湯沐,而封諸管城,號曰管城子。

曰見親寵任事。
 

§3-1

穎為人,強記而便敏,

自結繩之代以及秦事,無不纂錄。

陰陽、卜筮、占相、醫方、族氏、山經、地志、字書、圖畫、九流、百家天人之書。

§3-2

及至浮圖、老子、外國之,皆所詳悉。又通於當代之務,官府簿書、巿井貸錢注記,惟上所使。

§3-3

自秦皇帝及太子扶蘇、胡亥、丞相斯、中車府令高,下及國人,無不愛重。又善隨人意,正直、邪曲、巧拙,一隨其人。雖見廢棄,終默不泄。惟不喜武士,然見請,亦時往。

 

§4-1

累拜中書令,與上益狎,上嘗呼為中書君。

上親決事,以衡石自程,雖宮人不得立左右,獨穎與執燭者常侍,上休方罷。

§4-2

穎與絳人陳玄、弘農陶泓及會稽褚先生友善。

相推致,其出處必偕。上召穎,三人者不待詔輒俱往,上未嘗怪焉。 

§4-3

後因進見,上將有任使,拂拭之,因免冠謝。

上見其髮禿,又所摹畫不能稱上意。

上嘻笑曰:「中書君老而禿,不任吾用。

§4-4

吾嘗謂中書君,君今不中書邪?」對曰:「臣所謂盡心者。」

因不復召,歸封邑,終於管城。

其子孫甚多,散處中國夷狄,皆冒管城,惟居中山者,能繼父祖業。 

 

§5-1

太史公曰:「毛氏有兩族。

其一姓,文王之子,封於毛。

所謂魯、衛、毛、聃者也。

戰國時有毛公、毛遂。

獨中山之族,不知其本所出,子孫最為蕃昌。

《春秋》之成,見於孔子,而非其罪。

-2

及蒙將軍拔中山之豪,始皇封諸管城,世遂有名。

姓之毛無聞。

穎始以俘見,卒見任使。

秦之滅諸侯,穎與有功。

賞不酬勞,以老見疏。

秦真少恩哉。」

 


807-08元和二年40

毛頴傳-12(§5-1

昌黎先生集 昌黎文巻八02

全唐文/0567/5

807年元和240

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10219

 

(9)§4-1

累拜中書令,與上益狎。

穎は次第に進んで中書令に拝し任ぜられて、天子と益々おそれ親しんだ。

上嘗呼為中書君。

天子は常に穎を中書君と呼んだ。

上親決事,以衡石自程,雖宮人不得立左右。

天子は自分自身で政事を決し、衡を以て自分で書煩の分量を定めてそれを一日の仕事の目途として、宮女でもその左右に立つことはできなかった。

獨穎與執燭者常侍,上休方罷。

ただ毛穎と燭火を持つ者とだけは、常に天子のそばに侍っていた。天子が休息して、はじめて仕事をやめるのであった。

§4-1

累【しきり】に中書令に拜せられ,上と益す狎【な】る。

上 嘗【つね】に呼んで中書君と為す。

上 親【みずか】ら事を決して,衡石を以て自ら程とし,宮人と雖も左右に立つを得ず。

獨り穎と燭をる執る者とのみは常に侍し,上 休んで方に罷む。

(#10)§4-2

穎與絳人陳玄、弘農陶泓及會稽褚先生友善。

穎は絳の人陳玄、弘農の陶泓及び会稽の褚先生と友として仲が善かった。

相推致,其出處必偕。

互いに推し薦め合い、出仕するも家居するも必ず一緒にした。

上召穎,三人者不待詔輒俱往。

天子が毛頴を召されると、その三人の者も、詔を待たずに、そのつど共に往ったのである。

上未嘗怪焉。 

天子は それを一度も怪しまなかった。

§4--2

穎は絳人陳玄、弘農の陶泓 及び會稽の褚先生と友として善し。

相い推致し,其の出處 必ず偕【とも】にす。

上 穎を召せば,三人の者 詔を待たずして 輒ち俱に往く。

上 未だ嘗って怪まず。 

 

(#11)§4-3

後因進見,上將有任使,拂拭之。

後に、毛頴が天子の前に進んでまみえた時に、天子は仕事を命じて使おうと、物のよごれを払い、拭い去るよぅにして、人材を見出そうとしておられたし、毛頴は天子の払った手が触れた。

因免冠謝。

それで、冠を脱いで (筆のさやを取る)挨拶を申し上げた。

上見其髮禿。

天子はその髪の禿げた(筆の毛先が切れている) のを見られた。

又所摹畫不能稱上意。

また彼の計画(字を書く)することが天子の意にかなわなかったようだ。

上嘻笑曰:「中書君老而禿。

天子はおかしそうに笑っていわれた、中書君は年老いて禿げてしまう。

不任吾用。

私の役に立たない。

§4--3

後に進み見るに因りて,上 將に任使すること有らんとして,之を拂拭す。

因りて冠を免いで謝す。

上 其の髮の禿するを見る。

又た摹畫【ぼかく】する所 上の意に稱【かな】う能わず。

上 嘻笑して曰く:「中書君 老いて禿す。

吾が用に任せず。

(#12)§4-4

吾嘗謂中書君,君今不中書邪?」

私は常に中書君と呼んでいたが、君は今字を書くにあたらない ねじけて適当でないということなのか。」と。

對曰:「臣所謂盡心者。」

答えていった、私は世にいう所の君に心を尽くしたのです(筆の毛の心が尽きたので字は書けない) と。

因不復召。

そこで天子は二度と毛頴を召さなかった。

歸封邑,終於管城。

毛頴は領城に帰り、管城で命を終わった。

其子孫甚多,散處中國夷狄。

その子孫は甚だ多く、中國の中だけでなく異民族の国々の各所に散らばり住むようになった。

皆冒管城,惟居中山者,能繼父祖業。

皆、管城の号を頭につけているが、ただ中山に居る老だけが父祖の業を継いでいるのである。

 

吾 嘗て君を中書と謂えり。

君 今 書に中【あたら】ざりて邪【ねじけ】るか?」と。

對えて曰く:「臣は所謂【いわゆる】 心を盡す者なり。」と。

因りて復た召されず。

封邑歸りて,管城に終る。

其の子孫 甚だ多く,中國夷狄に散處す。

皆 管城を冒し,惟だ 中山に居る者のみ,能く父祖の業を繼ぐ。

 

《毛穎傳》現代語訳と訳註解説

(本文)

§4-4

吾嘗謂中書君,君今不中書邪?」對曰:「臣所謂盡心者。」

因不復召,歸封邑,終於管城。

其子孫甚多,散處中國夷狄,皆冒管城,惟居中山者,能繼父祖業。 

 

(下し文)

吾 嘗て君を中書と謂えり。

君 今 書に中【あたら】ざりて邪【ねじけ】るか?」と。

對えて曰く:「臣は所謂【いわゆる】 心を盡す者なり。」と。

因りて復た召されず。

封邑歸りて,管城に終る。

其の子孫 甚だ多く,中國夷狄に散處す。

皆 管城を冒し,惟だ 中山に居る者のみ,能く父祖の業を繼ぐ。

 

(現代語訳)

私は常に中書君と呼んでいたが、君は今字を書くにあたらない ねじけて適当でないということなのか。」と。

答えていった、私は世にいう所の君に心を尽くしたのです(筆の毛の心が尽きたので字は書けない) と。

そこで天子は二度と毛頴を召さなかった。

毛頴は領城に帰り、管城で命を終わった。

その子孫は甚だ多く、中國の中だけでなく異民族の国々の各所に散らばり住むようになった。

皆、管城の号を頭につけているが、ただ中山に居る老だけが父祖の業を継いでいるのである。

戦国時代勢力図 

 

(訳注)

毛穎傳

○毛穎 《「穎」は穂先の意》毛筆の異称。毛は筆の毛、当時は免の毛であったから筆の姓とした。穎は筆先の細い毛。これを名とした。

筆を人に擬して伝を立てたのである。着想から滑稽であり、叙事は更に諧謔味を帯び、韓愈の俳諧文の代表作である。特に諷諭の意を捜る必要はない。詩文を通じて、韓愈(退之)の文学には俳諧味がある。これはその一種の表現と見るべきであろう。

 

吾嘗謂中書君,君今不中書邪?」

私は常に中書君と呼んでいたが、君は今字を書くにあたらない ねじけて適当でないということなのか。」と。

62. 不中書 字を書くにあたらない。

63. 邪 かたよる。もとる。ねじける。

 

對曰:「臣所謂盡心者。」

答えていった、私は世にいう所の君に心を尽くしたのです(筆の毛の心が尽きたので字は書けない) と。

64. 尽心 心を尽くすのと、筆の心(しん)の毛が尽きて書けないのとを兼ねていう。

 

因不復召。

そこで天子は二度と毛頴を召さなかった。

 

歸封邑,終於管城。

毛頴は領城に帰り、管城で命を終わった。

65. 管城 河南の鄭州の管城。古代、秦の時期の筆の発祥の地。ブランド名。
 

其子孫甚多,散處中國夷狄。

その子孫は甚だ多く、中國の中だけでなく異民族の国々の各所に散らばり住むようになった。

66. 中國夷狄 中國の中だけでなく異民族の国々。

 

皆冒管城,惟居中山者,能繼父祖業。

皆、管城の号を頭につけているが、ただ中山に居る老だけが父祖の業を継いでいるのである。

67. 中山 中山国(ちゅうざんこく)は、戦国時代の中国で、現在の河北省中南部を中心とする一帯を領土とした国である。中山と改名する前は春秋時代以来の中原の北部にいた白狄が建国した都市国家で「鮮虞」という名で知られていた。当初は太行山脈の西側にあったが、紀元前414年に武公が衆を率いて太行山脈を越え、現在の河北省中部に中山国を建国した(ただし必ずしも旧領のすべてを放棄したわけではない)。武公は周の定王の孫であり、そのため異民族の国でありながら周王朝と同姓の「姫姓」の国であった。

戦国時代(紀元前350年頃)東方地図