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807-08元和二年40歳昌黎文巻八02《毛頴傳§5-2》〔#14〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10241

ただ中山の毛氏の族だけは、その本がどこから出ているのかわからない。

子孫は中でも最も殖えて盛んであるとされる。

『春秋』の書ができ上がったときに、孔子から交わりを絶たれた(孔子は筆を獲麟に絶つ)けれども、それは毛氏の罪ではなかった。

蒙恬将軍が中山の毛氏の族の豪の者(毫を暗示)を抜いて帰り、始皇帝がこれを管城に封ずるようになった。

世々そのまま毛氏の名が聞こえて、姫姓の毛氏は聞こえなくなった。

 

 

 

 

 

韓昌黎集 巻三十六 《毛頴傳》

 

 

 

 

 

§1-1

毛穎者,中山人也。

其先明眎,佐禹治東方土。

養萬物有功,因封於卯地,死為十二神。

嘗曰:「吾子孫神明之後,不可與物同。

當吐而生。」

已而果然。

§1-2

明視八世孫,世傳當殷時居中山,得神仙之術,能匿光使物,竊姮娥、騎蟾蜍入月。

其後代遂隱不仕云。

居東郭者曰 夋兔,

狡而善走,與韓盧爭能,盧不及。

盧怒,與宋鵲謀而殺之,醢其家。 

§2-1

秦始皇時,蒙將軍恬南伐楚,次中山。

將大獵以懼楚。

召左右庶長與軍尉,以《連山》筮之。

得天與人文之兆。

§2-2

筮者賀曰:「今日之獲,不角不牙,衣褐之徒。

缺口而長鬚,八竅而趺居。

獨取其髦,簡牘是資.天下其同書。

秦其遂兼諸侯乎!」

 

§2-3

遂獵,圍毛氏之族,拔其豪,載穎而歸,

獻俘於章臺宮,聚其族而加束縛焉。

秦皇帝使恬賜之湯沐,而封諸管城,號曰管城子。

曰見親寵任事。
 

§3-1

穎為人,強記而便敏,

自結繩之代以及秦事,無不纂錄。

陰陽、卜筮、占相、醫方、族氏、山經、地志、字書、圖畫、九流、百家天人之書。

§3-2

及至浮圖、老子、外國之,皆所詳悉。又通於當代之務,官府簿書、巿井貸錢注記,惟上所使。

§3-3

自秦皇帝及太子扶蘇、胡亥、丞相斯、中車府令高,下及國人,無不愛重。又善隨人意,正直、邪曲、巧拙,一隨其人。雖見廢棄,終默不泄。惟不喜武士,然見請,亦時往。

 

§4-1

累拜中書令,與上益狎,上嘗呼為中書君。

上親決事,以衡石自程,雖宮人不得立左右,獨穎與執燭者常侍,上休方罷。

§4-2

穎與絳人陳玄、弘農陶泓及會稽褚先生友善。

相推致,其出處必偕。上召穎,三人者不待詔輒俱往,上未嘗怪焉。 

§4-3

後因進見,上將有任使,拂拭之,因免冠謝。

上見其髮禿,又所摹畫不能稱上意。

上嘻笑曰:「中書君老而禿,不任吾用。

§4-4

吾嘗謂中書君,君今不中書邪?」對曰:「臣所謂盡心者。」

因不復召,歸封邑,終於管城。

其子孫甚多,散處中國夷狄,皆冒管城,惟居中山者,能繼父祖業。 

 

§5-1

太史公曰:「毛氏有兩族。

其一姓,文王之子,封於毛。

所謂魯、衛、毛、聃者也。

戰國時有毛公、毛遂。

§5-2

獨中山之族,不知其本所出,子孫最為蕃昌。

《春秋》之成,見於孔子,而非其罪。

及蒙將軍拔中山之豪,始皇封諸管城,

世遂有名。而姓之毛無聞。

§5-3

 

穎始以俘見,卒見任使。

秦之滅諸侯,穎與有功。

賞不酬勞,以老見疏。

秦真少恩哉。」


 

807年-08元和二年40歳

毛頴傳-14(§5-2

昌黎先生集 昌黎文巻八02

全唐文/卷0567/5

807年元和2年40

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10241

 

#13 §5-1

太史公曰:「毛氏有兩族。

太史公はいう、毛氏は両族がある。

其一姓,文王之子,封於毛。

その一つは姫姓で、周の文王の子が毛の地に封ぜられた。

所謂魯、衛、毛、聃者也。

世にいう所の魯・衛・毛・聃のうちの一国である。

戰國時有毛公、毛遂。

戦国時代には、毛公・毛遂という人があった。

§5-1

太史公 曰く:「毛氏に兩族有り。

其の一は姓,文王の子,毛に封ぜらる。

所謂る魯、衛、毛、聃という者なり。

戰國の時に毛公、毛遂有り。

#14 §5-2

獨中山之族,不知其本所出。

ただ中山の毛氏の族だけは、その本がどこから出ているのかわからない。

子孫最為蕃昌。

子孫は中でも最も殖えて盛んであるとされる。

《春秋》之成,見於孔子,而非其罪。

『春秋』の書ができ上がったときに、孔子から交わりを絶たれた(孔子は筆を獲麟に絶つ)けれども、それは毛氏の罪ではなかった。

及蒙將軍拔中山之豪,始皇封諸管城,

蒙恬将軍が中山の毛氏の族の豪の者(毫を暗示)を抜いて帰り、始皇帝がこれを管城に封ずるようになった。

世遂有名,而姓之毛無聞。

世々そのまま毛氏の名が聞こえて、姫姓の毛氏は聞こえなくなった。

#15 §5-3

穎始以俘見,卒見任使。

秦之滅諸侯,穎與有功。

賞不酬勞,以老見疏。

秦真少恩哉。」

 

#2

獨り中山の族のみ,其の本の出ずる所を知ず。

子孫 最も蕃昌なりと為す。

《春秋》の成るや,見孔子にたる,而も其の罪に非ず。

蒙將軍 中山の豪を拔き,始皇 諸を管城に封ずるに及ぶ,

世よに遂に名有り。而して姓の毛は聞ゆる無し。

 

#3

穎 始めは俘を以って見え,卒【おわり】には任使せらる,

秦の諸侯を滅し,穎 與【あず】かって功有り。

賞 勞に酬いず,老を以って疏【うと】んぜられ,秦 真に恩少きかな。」と。

 

 

《毛頴傳》現代語訳と訳註解説

(本文)

#14 §5-2

獨中山之族,不知其本所出,子孫最為蕃昌。

《春秋》之成,見於孔子,而非其罪。

及蒙將軍拔中山之豪,始皇封諸管城,世遂有名。而姓之毛無聞。

 

(下し文)

#2

獨り中山の族のみ,其の本の出ずる所を知ず。

子孫 最も蕃昌なりと為す。

《春秋》の成るや,見孔子にたる,而も其の罪に非ず。

蒙將軍 中山の豪を拔き,始皇 諸を管城に封ずるに及ぶ,

世よに遂に名有り。而して姓の毛は聞ゆる無し。

 

(現代語訳)

ただ中山の毛氏の族だけは、その本がどこから出ているのかわからない。

子孫は中でも最も殖えて盛んであるとされる。

『春秋』の書ができ上がったときに、孔子から交わりを絶たれた(孔子は筆を獲麟に絶つ)けれども、それは毛氏の罪ではなかった。

蒙恬将軍が中山の毛氏の族の豪の者(毫を暗示)を抜いて帰り、始皇帝がこれを管城に封ずるようになった。

世々そのまま毛氏の名が聞こえて、姫姓の毛氏は聞こえなくなった。

 

(訳注)

 

#14 §5-2

獨中山之族,不知其本所出。

ただ中山の毛氏の族だけは、その本がどこから出ているのかわからない。

73. 本本源、出身の由来

 

子孫最為蕃昌。

子孫は中でも最も殖えて盛んであるとされる。

 

《春秋》之成,見於孔子,而非其罪。

『春秋』の書ができ上がったときに、孔子から交わりを絶たれた(孔子は筆を獲麟に絶つ)けれども、それは毛氏の罪ではなかった。

74. 春秋 中国の五経の一つ。魯の隠公1 (前 722) 年から哀公 14 (前 481) 年まで 242年間の魯を中心とする各国の史実を編年体で簡単に記述している。孔子が魯の史記によって1字1句の表現に賞罰の意を寓し (これを春秋の筆法という) ,王法を示したものとされ,哀公 14年にいたったとき,聖獣麟が捕えられたのを聞き擱筆したと伝えられる。漢代に五経の一つとなって中国史学 (春秋学) の基となり,またこの書名から春秋時代 (前 771~403) の名称が生れた。これを解説した春秋三伝 (『公羊伝』『穀梁伝』『左氏伝』) も経書に数えられる。

 

及蒙將軍拔中山之豪,始皇封諸管城,

蒙恬将軍が中山の毛氏の族の豪の者(毫を暗示)を抜いて帰り、始皇帝がこれを管城に封ずるようになった。

75. 蒙將軍 蒙恬のこと。

76. 中山 中山国(ちゅうざんこく)は、戦国時代の中国で、現在の河北省中南部を中心とする一帯を領土とした国である。中山と改名する前は春秋時代以来の中原の北部にいた白狄が建国した都市国家で「鮮虞」という名で知られていた。当初は太行山脈の西側にあったが、紀元前414年に武公が衆を率いて太行山脈を越え、現在の河北省中部に中山国を建国した(ただし必ずしも旧領のすべてを放棄したわけではない)。武公は周の定王の孫であり、そのため異民族の国でありながら周王朝と同姓の「姫姓」の国であった。

 

世遂有名,而姓之毛無聞。

世々そのまま毛氏の名が聞こえて、姫姓の毛氏は聞こえなくなった。