807年-09元和二年40歳《釋言§4-3》〔#09〕
2018年3月24日 |
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807年-09元和二年40歳《釋言§4-3》〔#09〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10303
現在でもまだ人と交わることが下手なので相導き共に死のうという友がないのである。
朝廷において名誉や権力を釣り求めるための前からある資産や蓄えた財貨もない。そして才は弱く力は腐って役に立たない。
走りまわって機会につけこみ、峨しい道を冒して権利をもとめることができない。
一体、何を恃しみにして倣り威張ろうか。
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韓昌黎文集校注 巻二 68 (原文 巻十三02)(2) |
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釋言
作者:韓愈 唐
・全唐文/卷0559-02
・韓愈全集校注〔三〕1701
・韓昌黎文集校注 巻二 68 (原文 巻十三02)
§1
元和元年六月十日,愈自江陵法曹詔拜國子博土,始進見今相國鄭公。公賜之坐,且曰:「吾見子某詩,吾時在翰林。
職親而地禁,不敢相聞。今為我寫子詩書為一通以來。」愈再拜謝,退錄詩書若干篇,擇日時以獻。
§2
於後之數月,有來謂愈者曰:「子獻相國詩書乎?」曰:「然。」曰:「有為讒於相國之座者曰: ‘韓愈曰:相國征餘文,餘不敢匿,相國豈知我哉!’子其慎之!」
§3
愈應之曰:「愈為御史,得罪德宗朝,同遷於南者凡三人,獨愈為先收用,相國之賜大矣;百官之進見相國者,或立語以退,而愈辱賜坐語,相國之禮過矣;四海九州之人,自百官以下,欲以其業徹相國左右者多矣,皆憚而莫之敢,獨愈辱先索,相國之知至矣。賜之大,禮之過,知之至,是三者於敵以下受之,宜以何報?況在天子之宰乎!
§4
人莫不自知,凡適於用之謂才,堪其事之謂力,愈於二者,雖日勉焉而不近。束帶執笏,立士大夫之行,不見斥以不肖,幸矣,其何敢敖於言乎?夫敖雖凶德,必有恃而敢行。愈之族親鮮少,無扳聯之勢於今;不善交人,無相先相死之友於朝;無宿資蓄貨以釣聲勢;弱於才而腐於力,不能奔走乘機抵巇以要權利。夫何恃而敖?若夫狂惑喪心之人,蹈河而入火,妄言而罵詈者,則有之矣,而愈人知其無是疾也。雖有讒者百人,相國將不信之矣,愈何懼而慎歟?」
§5
既累月,又有來謂愈曰:「有讒子於翰林舍人李公與裴公者,子其慎歟!」愈曰:「二公者,吾君朝夕訪焉,以為政於天下,而階太平之治。居則與天子為心膂,出則與天子為股肱。四海九州之人,自百官以下,其孰不願忠而望賜?愈也不狂不愚,不蹈河而入火,病風而妄罵,不當有如讒者之說也。雖有讒者百人,二公將不信之矣。愈何懼而慎?」
§6
既以語應客,夜歸,私自尤曰:咄!市有虎,而曾參殺人,讒者之效也。《詩》曰:「取彼讒人,投畀豺虎。豺虎不食,投畀有北。有北不受,投畀有昊。」傷於讒,疾而甚之之辭也。又曰:「亂之初生,僭始既涵。亂之又生,君子信讒。」始疑而終信之之謂也。孔子曰:「遠佞人。」夫佞人不能遠,則有時而信之矣。今我恃直而不戒,禍其至哉!
§7
徐又自解之曰:市有虎,聽者庸也;曾參殺人,以愛惑聰也;《巷伯》之傷,亂世是逢也。今三賢方與天子謀所以施政於天下。而階太平之治,聽聰而視明,公正而敦大。夫聰明則聽視不惑,公正則不邇讒邪,敦大則有以容而思。彼讒人者,孰敢進而為讒哉?雖進而為之,亦莫之聽矣!我何懼而慎?
§8
既累月,上命李公相,客謂愈曰:「子前被言於一相,今李公又相,子其危哉!」愈曰:「前之謗我於宰相者,翰林不知也;後之謗我於翰林者,宰相不知也。今二公合處而會,言若及愈,必曰:‘韓愈亦人耳,彼敖宰相,又敖翰林,其將何求?必不然!’吾乃今知免矣。」既而讒言果不行。
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| 韓昌黎文集校注 巻二 68 (原文 巻十三02) 《釋言》(辯明) | |
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《釋言》(辯明)§1-1
(韓愈は文名が高かくなっていった、一方で、嫉妬、中傷、讒言を受けそうなので、元和二年の春、宰相の鄭絪、翰林學士の李吉甫、中書舍人の裴垍に対して、弁明の書をつくったものである)
元和元年六月十日,愈自江陵法曹詔拜國子博土,
元和元年(806)六月十日、わたしは江陵の法曹参軍から勅命によって国子博士に任ぜられた。
始進見今相國鄭公。
はじめて現在の宰相鄭綱閣下にお目通りした。
公賜之坐,且曰:「吾見子某詩,吾時在翰林。
鄭細閣下は、かけなさいといって、それから、「わたしはきみのなになにの詩を読んだ。わたしはそのとき翰林院にいたのです。
§1-2
職親而地禁,不敢相聞。
職務は天子さまにちかく、場所は禁中であったので、お手紙をさしあげなかった。
今為我寫子詩書為一通以來。」愈再拜謝,
いま、わたしのためにきみの詩文を清書して一巻にし、持って来てほしい。」
わたしはかしこまってお礼をいい感謝の意を表した。
退錄詩書若干篇,擇日時以獻。
ひきさがってから詩文若干篇を書き取り、日がらをえらんで献上した。
《釋言》(辯明)§1-2
元和元年六月十日。愈、江陵の法曹より、詔ありて国子博士に拝せらる。
始めて今の相国鄭公に進見す。
公之れに坐を賜う。且つ日わく、吾れ子が某の詩を見る。吾れ時に翰林に在り。
§1-2
職親しくして地禁なり。敢えて相聞せず。
今我が為に子が詩書を写して、一通と為して以て来れ、と。
愈再拝して謝す。退いて詩書若干篇を録して、日時を択んで以て献ず。
§2
於後之數月,有來謂愈者曰:
この後数箇月して、私の所に来ていう者があった。
「子獻相國詩書乎?」曰:「然。」曰:
「あなたは相國に詩や文章を献上したか、」と。私は、「その通りだ」という。
「有為讒於相國之座者曰:
彼はいう、相国の座の左右に讒言をするものがあっていう、
‘韓愈曰:相國征餘文,餘不敢匿,
韓愈は、相国が私の文章を徴された。私はわざと匿すことをしないで献じたが、
相國豈知我哉!’子其慎之!」
相国にどうして私の詩文がわかるだろうかといっている、と。そういうわけだから、君はそれこそ用心しなさい、と。
§2
後の數月に於て,來りて愈に謂う者有りて曰く:「子 相國に詩書を獻ぜしか?」と。
曰:く「然り。」と。曰く:「讒を相國の座に為す者に有りて曰く:
‘韓愈曰く:相國 餘が文を征【め】す,餘 敢えて匿さず,
相國 豈に我を知らんや!’と。子 其れ之を慎め!」と。
§3-1
愈應之曰:「愈為御史,得罪德宗朝,
わたしは、それに答えて、「わたしは御史となって、徳宗皇帝の時代に処罰され、
同遷於南者凡三人,
いっしょに南方に左遷されたものがあわせて三人。
獨愈為先收用,相國之賜大矣;
わたしだけがまっさきに再任用された。宰相の御恩は大きい。
#2
百官之進見相國者,或立語以退。
官吏たちが宰相にお目通りするには、すすみ出で、立ったまま応対してそのまま退出、ひきさがるものもいる。
而愈辱賜坐語,相國之禮過矣;
しかし、わたしはありがたいことに、腰かけて応対することを許していただいた。宰相のわたしにたいする礼遇は過分なものである。
四海九州之人,自百官以下,
四海九州、天下じゅうの人々が、朝廷の百官、官僚たちより以下のものである、
欲以其業徹相國左右者多矣,
めいめいの仕事を宰相のそばの左右の補闕、側近の人まで知ってもらおうとするものはたくさんいるが、だれも遠慮して、しようとしない。
#3
皆憚而莫之敢,獨愈辱先索,
だれもが懼れ憚って、遠慮して、これを押し切ってしようとするものはいない。ひとり、わたしだけがありがたくも相国からいちばん先にお求めいただいた。
相國之知至矣。
宰相に真を知っていただければ、これ以上の事はない、最高のことである。
賜之大,禮之過,知之至,是三者於敵以下受之,宜以何報?
相国の御恩の大きさ、礼遇の過分であること、知己の最も深きこと、、この三つのものは、同輩以下のものから受けても、なにをもって報いればよいのかわからないようなものであるのに、
況在天子之宰乎!
まして、天子さまの宰相であるという高貴な人物であるお方であるから、なおさらであり、私が相国様を傲ことなど決してないのである。
§3-1
愈 之に應えて曰く:「愈 御史と為りて,罪を德宗の朝に得,
同じく南に遷せらる者凡そ三人あり,
獨り愈、先ず收用せられしは,相國の賜 大為り;
#2
百官の相國に進見する者,或は立語して以て退く。
而も愈は坐を賜いて語るを辱なうする,相國の禮過ぎたり;
四海 九州の人,百官より以下,其の業を以て相國の左右に徹せんと欲する者多し。
#3
皆 憚りて之を敢えてすること莫し,獨り愈 先索を辱うせり。
相國の知 至れり。
賜の大なる,禮の過ぎたる,知の至れり,是の三者は敵以下に於て之れを受くる,
宜しく以を何て報ずべきか?況んや天子の宰に在るをや!
§4-1
人莫不自知。
人はだれでも自分のことがわからないという事はないと知っている。
凡適於用之謂才,堪其事之謂力。
だいたい用務に役に立つ能力を才といい、事柄をこなせるだけの腕前があるのを力量という。
愈於二者,雖日勉焉而不近。
わたしは、この才と力を二つ両輪のようなものとして、毎日はげんでいるけれども、目標に近づくこともできないくらいうまくいかない。
束帶執笏,立士大夫之行。
そうした中でも、官服を着て玉を佩び、笏を手にして、官僚の列車居並ぶなかにはに立つことはできた。
#2
不見斥以不肖,幸矣。
われらは、仕事ぶりのできがわるいといって免職されなければ、さいわいである。(でき如何ではなく、左遷を経験している。)
其何敢敖於言乎?
われらが、それで、口でいばってみようなどとしようものなら、どうなるものか。
夫敖雖凶德,必有恃而敢行。
からいばりというのは悪徳であるが、かならずうしろだてがたすけてくれるからこそやっているのだ。
愈之族親鮮少,無扳聯之勢。
からいばりというのは悪徳であるが、かならずうしろだてがたすけてくれるからこそやっているのだ。
#3
於今;
不善交人,無相先相死之友。
現在でもまだ人と交わることが下手なので相導き共に死のうという友がないのである。
於朝;無宿資蓄貨以釣聲勢;弱於才而腐於力。
朝廷において名誉や権力を釣り求めるための前からある資産や蓄えた財貨もない。そして才は弱く力は腐って役に立たない。
不能奔走乘機抵巇以要權利。
走りまわって機会につけこみ、峨しい道を冒して権利をもとめることができない。
夫何恃而敖?
一体、何を恃しみにして倣り威張ろうか。
#4
若夫狂惑喪心之人,蹈河而入火。
妄言而罵詈者,則有之矣。
而愈人知其無是疾也。
雖有讒者百人,相國將不信之矣。
愈何懼而慎歟?」
§4-1
人 自ら知らざる莫し。
凡そ用に適する之を才と謂い,其の事に堪うる之を力と謂う。
愈 二者に於て,日びに勉むと雖も近からず。
束帶して笏を執り,士大夫の行に立つ。
§4-2
斥くるに不肖を以てされざるは,幸なり。
其れ何んぞ敢て言に敖んや?
夫れ敖りは凶德と雖も,必ず恃むこと有りて敢て行うなり。
愈の族 親鮮 少く,扳聯の勢い無し。
§4-3
今に於て、人に交るを善くせず,相い先んじ相い死するの友無し。
朝に於て、宿資 蓄貨の以て聲勢を釣ること無く、於才に弱くして力に腐す。
奔走 機に乘じ 抵巇を以て權利を要むること能わず。
夫れ何んぞ恃んで敖らんや?
§4-4
若し夫れ狂惑喪心の人,河を蹈んで火に入る。
妄言して罵詈する者は,則ち之れ有んや。
而かも愈は 人 其の是の疾無きを知るなり。
讒者百人有りと雖も,相國 將【はた】 之れを信じぜざらん。
愈 何を懼れて慎歟まんや?」と。
釋言 |
此元和二年春作宰相鄭絪翰林學士李吉甫中書舍人裴垍也。 |
國語云驪姬使奄楚以環釋言註云以言解釋也。退之作釋言取此 |
元和元年六月十日、或無十日字愈自江陵法曹、詔拜國子博士、 |
始進見今相國鄭公。公賜之坐、或無下公字且曰、吾見子某詩。 |
吾時在翰林。職親而地禁。不敢相聞、今為我寫子詩書、為一 |
通以來。我下或有盡字而無為一通以字或無為我字而有盡字一或作二 |
愈再拜謝、退録詩書若干篇、擇日時以獻。若干或作著于獻下或有 |
之字入今按著于篇雖古語然施之於此似不相 且公亦未必特用此語以為竒也。 |
§-2 |
於後之數月、有來謂愈者曰、子獻相國詩書乎。 |
曰、然、曰、有為讒於相國之座者曰或無為字 |
韓愈曰、相國徴余文。余不敢匿、相國豈知我哉。子其慎之。或無之字 |
§-3 |
愈應之曰、愈為御史、得罪德宗朝、同遷於南者凡三人三人謂公及張署李方叔也 |
獨愈為先收用、相國之賜大矣。百官之進見相國者、或立語以退。 |
而愈辱賜坐語、相國之禮過矣。以或作巳四海九州之人、 |
自百官已下、欲以其業徹相國左右者多矣。 |
皆憚而莫之敢、獨愈辱先索。相國之知至矣。 |
賜之大、禮之過、知之至、是三者於敵以下受之、 |
宜以何報。况在天子之宰乎。 |
敵以或作敵已國語自敵以下則有讎註敵體也今人多用敵已字者非宰下或有相字 |
§-4 |
人莫不自知、凡適於用之謂才、堪其事之謂力。 |
愈於二者、雖日勉焉而不近。束帶執笏、立士大夫之行。 |
不見斥以不肖幸矣。其何敢敖於言乎。或無乎字 |
夫敖雖凶德、必有恃而敢行。愈之族親鮮少、無扳聯之勢。 |
於今扳音/攀不善交人無相先相死之友 |
於朝禮記儒有爵位/相先患難相死無宿資蓄貨以釣聲勢宿資蓄貨或/作宿貨蓄資 |
弱於才而腐於力。不能奔走乗機、抵巇以要權利。巇許宜反/要平聲 |
夫何恃而敖。若夫狂惑喪心之人、蹈河而入火、 |
妄言而罵詈者則有之矣而愈人知其無 |
是疾也雖有讒者百人、相國將不信之矣。愈何懼而慎歟。相國或作宰/相或無歟字 |
§-5 |
既累月、又有來謂愈曰、有讒子於翰林舍人李公與裴公者。 |
子其慎歟、愈曰、二公者吾君朝夕訪焉、以為政於天下、 |
而階太平之治、或作/理居則與天子為心膂、 |
出則與天子為股肱、四海九州之人、自百官已下、 |
其孰不願忠而望賜。不下或有/能字非是 愈也不狂不愚、不蹈河而入火 |
病風而妄罵、不當有如讒者之說也。雖有讒者百人、二公將不信之矣。 |
愈何懼而慎。 |
§-6 |
既以語應客。夜歸、私自尤曰、咄、咄字見晉殷浩語當没切 市有虎 |
而曾參殺人、讒者之效也。市有虎見戰國策龎蔥語曾參殺人見史記甘茂語 |
詩曰、取彼讒人、投畀豺虎、豺虎不食、投畀有北、有北不受、 |
投畀有昊。小雅巷/伯詩 傷於讒、疾而甚之之辭也。 |
又曰、亂之初生、僭始既涵。亂之又生、君子信讒。小雅巧言/之詩云云 |
始疑而終信之之謂也。孔子曰、逺佞人、夫佞人不能逺、則有時而信之矣。 |
今我恃直而不戒、禍其至哉。 |
§-7 |
徐又自解之曰、市有虎、聽者庸也。曾參殺人、以愛惑聰也。 |
巷伯之傷、亂世是逢也。聰或作聴非是亂世一作世亂 |
今三賢方與天子、謀所以施政於天下、而階太平之治。 |
聽聰而視明、公正而敦大。夫聰明則聽視不惑、聴視或作視聴 |
公正則不邇讒邪、敦大則有以容而思。彼讒人者、孰敢進而為讒哉。進而或/作而進 |
雖進而為之、亦莫之聽矣。 我何懼而慎。或無而/慎字 |
§-8 |
既累月、上命李公相。客謂愈曰、子前被言於一相、今李公又相。 |
子其危哉、或無/哉字 愈曰、前之謗我於宰相者、翰林不知也。 |
後之謗我於翰林者、宰相不知也。今二公合處而會。 |
言若及愈必曰、韓愈亦人耳。彼敖宰相、又敖翰林。 |
其將何求。必不然。吾乃今知免矣。 |
既而讒言果不行。宰相或皆作相國乃今或作今乃又無矣字既下或無而字 |
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《釋言》現代語訳と訳註解説
(本文)
#3
於今;
不善交人,無相先相死之友。
於朝;無宿資蓄貨以釣聲勢;弱於才而腐於力。
不能奔走乘機抵巇以要權利。
夫何恃而敖?
(下し文)
§4-3
今に於て、人に交るを善くせず,相い先んじ相い死するの友無し。
朝に於て、宿資 蓄貨の以て聲勢を釣ること無く、於才に弱くして力に腐す。
奔走 機に乘じ 抵巇を以て權利を要むること能わず。
夫れ何んぞ恃んで敖らんや?
(現代語訳)
現在でもまだ人と交わることが下手なので相導き共に死のうという友がないのである。
朝廷において名誉や権力を釣り求めるための前からある資産や蓄えた財貨もない。そして才は弱く力は腐って役に立たない。
走りまわって機会につけこみ、峨しい道を冒して権利をもとめることができない。
一体、何を恃しみにして倣り威張ろうか。
(訳注)
《釋言》(辯明)§4-2
1. (韓愈は文名が高かくなっていった、一方で、嫉妬、中傷、讒言を受けそうなので、元和二年の春、宰相の鄭絪、翰林學士の李吉甫、中書舍人の裴垍に対して、弁明の書をつくったものである)
#3
於今;不善交人,無相先相死之友
現在でもまだ人と交わることが下手なので相導き共に死のうという友がないのである。
31. 於今 ここでは今の自分のことを言う。
於朝;無宿資蓄貨以釣聲勢;弱於才而腐於力。
朝廷において名誉や権力を釣り求めるための前からある資産や蓄えた財貨もない。そして才は弱く力は腐って役に立たない。
32. 於朝 上の句につけて「朝に相先んじ相死するの友無し」と読む説もあるが、上の句の「於今」と同様、下の句の頭につけて読む説に従う。
不能奔走乘機抵巇以要權利。
走りまわって機会につけこみ、峨しい道を冒して権利をもとめることができない。
33. 巇 山道が峻険な。
夫何恃而敖?
一体、何を恃しみにして倣り威張ろうか。