807-10 元和二年40歳《答馮宿書》〔#03(§1-3)〕

 

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しかし、きみは僕と、これまでも、これからも、長いつきあいですし、僕が堅持して動じない態度であること、

きみはよくよく知っている。

都に朝廷務めをしていたときは、口々にうるさく言いたてるやつらが、多くいた

奴らは互いに百倍も悪口しあっていて、きみはそのとき、僕と同居していた、

朝夕いっしょに出入りし起き臥ししましたから、僕によくないことがあるのも見ていますでしょう。

 

 

 

 

韓昌黎文集  《巻十七 06

 

 

 

答馮宿書  (韓愈全集校注  〔三〕一七一一)

(全唐文/0552

      (昌黎先生-17-06

      (韓昌黎文集校注 巻三17P191

 

答馮宿書    作者:韓愈 唐   

§―1

垂示仆所闕,非情之至,仆安得聞此言?朋友道闕久,無有相箴規磨切之道,仆何幸乃得吾子!仆常閔時俗人有耳不自聞其過,懍懍然惟恐己之不自聞也。而今而後,有望於吾子矣。然足下與仆交久,仆之所守,足下之所熟知。在京城時,囂囂之徒,相訾百倍,足下時與仆居,朝夕同出入起居,亦見仆有不善乎?然仆退而思之,雖無以獲罪於人,亦有以獲罪於人者。仆在京城一年,不一至貴人之門,人之所趨,仆之所傲。

§―2

與己合者則從之遊,不合者雖造吾廬,未與之坐,此豈徒足致謗而已,不戮於人則幸也。追思之,可為戰栗寒心。故至此已來,克己自下,雖不肖人至,敢以貌慢之,況時所尚者耶?以此自謂庶幾無時患,不知猶復云云也。聞流言不信其行,嗚呼,不復有斯人也!君子不為小人之恟恟而易其行,仆何能爾?委曲從順,向風承意,汲汲然恐不得合,猶且不免云云。命也,可如何!然子路聞其過則喜,禹聞昌言則下車拜,古人有言曰:「告我以吾過者,吾之師也。」願足下不憚煩,苟有所聞,必以相告。吾亦有以報子,不敢虛也,不敢忘也。愈再拜。

 

807-10 元和二年40

答馮宿書-01§1-1

昌黎先生集 昌黎文巻八02

全唐文/0552

韓愈全集校注〔三〕一六九三

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10486

 

答馮宿書

(自分の欠点を指摘してくれた、韓愈門下、同期合格者である馮宿を尊敬していることを答えてこの書を寄せた)

§-1-1

垂示僕所闕,非情之至,

僕の欠点を御指摘になりましたが、友情にあふれていなければ、

僕安得聞此言?朋友道闕久,

僕はこうしたことを聞かせていただけないと思います。友人としての道がなくなってから久しく、

無有相箴規磨切之道,何幸乃得吾子!

忠告しあいはげましあう道がなくなりました。僕はどういう幸運できみという友人ができたのでしょう。

§-1-2

常閔時俗人有耳不自聞其過,

僕は、現代の俗人どもが、耳がありながら、自分の過失を聞こうとせぬのを何時もあわれんでいる、

懍懍然惟恐己之不自聞也。

びくびくと自分がそれを耳にしないのではないかとそればかり気づかっておりましたが、

而今而後,有望於吾子矣。

これからのちは、きみにそれが期待できます。

 

§1-3

然足下與仆交久,之所守,

しかし、きみは僕と、これまでも、これからも、長いつきあいですし、僕が堅持して動じない態度であること、

足下之所熟知。

きみはよくよく知っている。

在京城時,囂囂之徒,

都に朝廷務めをしていたときは、口々にうるさく言いたてるやつらが、多くいた

相訾百倍,足下時與仆居,

奴らは互いに百倍も悪口しあっていて、きみはそのとき、僕と同居していた、

朝夕同出入起居,亦見有不善乎?

朝夕いっしょに出入りし起き臥ししましたから、僕によくないことがあるのも見ていますでしょう。

§1-4

退而思之,雖無以獲罪於人,

亦有以獲罪於人者。

在京城一年,不一至貴人之門,

人之所趨,之所傲。

 

(馮宿に答うる書)

§-1-1

僕が闕けたる所を垂示せらる。

情の至れるに非ずんば、僕、安んぞ此の言か聞くことを得ん。

朋友の道缺絶すること久し。

相箴 規磨 切するの道 有ること無し。

僕、何の幸いあってか 乃ち吾子を得たる。

§-1-2

僕 常に時俗の人の耳有れども 自ら其の過ちを聞かざることを閔れむ。

懍懍然として 惟だ己れが自ら聞かざらんことを恐る。

而今よりして後に、吾子に望むこと有り。

§1-3

然れども足下、僕と交わること久し。

僕が守る所は、足下の熟まく知れる所なり。

京城に在りし時に、囂囂たる徒、相訾【そし】ること百倍せり。

足下、時に僕と居る。朝夕に出入起居を同ず。

亦僕が不善有ることを見るや。

§1-4

然も 僕 退いて思えう。

以て罪を人に獲ること無しと雖も、亦た以て罪を人に獲る者有り。

僕、京城に在ること一年、一たびも貴人の門に至らず。

人の趨る所は、僕が傲する所なり。

 

答馮宿書

§―1
垂示僕所闕,非情之至,僕安得聞此言?方無得字朋友道闕久,無有相箴規磨切之道,何幸乃得吾子!諸本久下有矣字方從閣杭本云漢武紀夷狄無義所從来久語自此也。今按矣字有無無利害姑從方本但未有以見其必用漢紀中語而決無此字耳常閔時俗人有耳不自聞其過,懍懍然惟恐己之不自聞也。而今而後,有望於吾子矣。然足下與僕交久,僕之所守,足下之所熟知。在京城時,囂囂之徒,相訾百倍,足下時與仆居,朝夕同出入起居,亦見僕有不善乎?僕居或作並居方無僕字或無居字然僕退退而思之,雖無以獲罪於人,亦有以獲罪於人者。思下方無之字下獲字/或作服今按二句皆云獲罪於人恐有誤字作服亦無/理疑上句人字或是天字更詳之在京城一年,不一至貴人之門,人之所趨,僕之所傲。

 

§―2

與己合者則從之遊,不合者雖造吾廬,未與之坐,造或作居此豈徒足致謗而已,不戮於人則幸也。追思之,可為戰栗寒心。故至此已來,克己自下,雖不肖人至,敢以貌慢之,況時所尚者耶?已或作以以此自謂庶幾無時患,不知猶復云云也。聞流言不信其行,嗚呼,不復有斯人也!君子不為小人之恟恟而易其行,方無而字何能爾?委曲從順,向風承意,汲汲然恐不得合,猶且不免云云。命也,可如何!向或作望且下或有懽字或無/可字然子路聞其過則喜,禹聞昌言則下車拜,車下或有而字古人有言曰:「告我以吾過者,吾之師也。」過上或無吾字願足下不憚煩,苟有所聞,必以相告。吾亦有以報子,不敢虛也,不敢忘也。愈再拜。下或有愈再拜字與衛中行書同或作頓首   

 

 

 

作時年:

807

元和2

40

全唐詩卷別:

全唐文/0552

文體:

書文

昌黎先生集 

昌黎文巻八02

韓愈全集校注〔三〕一六九三

詩題:

答馮宿書

序文

作地點:

洛陽分司 (國子博士)

 

及地點:

長安 國子博士

 

0

 

 

 

0

交遊人物:

馮宿

0

 

 

 

《答馮宿書》現代語訳と訳註解説

(本文)

§1-3

然足下與仆交久,僕之所守,

足下之所熟知。

在京城時,囂囂之徒,

相訾百倍,足下時與仆居,

朝夕同出入起居,亦見僕有不善乎?

 

(下し文)

§1-3

然れども足下、僕と交わること久し。

僕が守る所は、足下の熟まく知れる所なり。

京城に在りし時に、囂囂たる徒、相訾【そし】ること百倍せり。

足下、時に僕と居る。朝夕に出入起居を同ず。

亦僕が不善有ることを見るや。

 

(現代語訳)

しかし、きみは僕と、これまでも、これからも、長いつきあいですし、僕が堅持して動じない態度であること、

きみはよくよく知っている。

都に朝廷務めをしていたときは、口々にうるさく言いたてるやつらが、多くいた

奴らは互いに百倍も悪口しあっていて、きみはそのとき、僕と同居していた、

朝夕いっしょに出入りし起き臥ししましたから、僕によくないことがあるのも見ていますでしょう。

 

(訳注)

答馮宿書

1. (自分の欠点を指摘してくれた、韓愈門下、同期合格者である馮宿を尊敬していることを答えてこの書を寄せた)

2. 馮宿 韓愈の門下、名を宿といい,字は拱之,婺州東陽の人。貞元中の進士,長慶年間中、太常少卿に累轉す。敬宗が立つと,左散騎常侍兼集賢殿學士に改め,大和中に曆工、刑、兵三部侍郎になり,東川節度使を拜し,長樂公に封ぜらる。開成元年卒す,享年七十であった,吏部尚書を贈られ,諡を懿と曰う。進士及第は、792年貞元8年、韓愈と同時合格である。

 

§1-3

然足下與仆交久,僕之所守,

しかし、きみは僕と、これまでも、これからも、長いつきあいですし、僕が堅持して動じない態度であること、

 

足下之所熟知。

きみはよくよく知っている。

 

在京城時,囂囂之徒,

都に朝廷務めをしていたときは、口々にうるさく言いたてるやつらが、多くいた

囂囂「囂」は、やかましい、の意》口々にうるさく言いたてるさま。「囂囂たる非難の声が上がる」

 

相訾百倍,足下時與仆居,

奴らは互いに百倍も悪口しあっていて、きみはそのとき、僕と同居していた、

訾 謗(そし),悪口を言う.

 

朝夕同出入起居,亦見僕有不善乎?

朝夕いっしょに出入りし起き臥ししましたから、僕によくないことがあるのも見ていますでしょう。