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807-11 《張中丞傳後敘(韓愈全集校注〔三〕一七一五) -#23》 §-5-1- 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11113

 

11113

張中丞傳後敘(韓愈全集校注〔三〕一七一五)

 -#23

 

§-5-1

 

 

韓愈全集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-11113

 

 

 

 

張中丞傳後敘

(御史中丞張巡 伝のあとがき)

 

§5-1

張籍曰:

「有于嵩者,少依於巡;

及巡起事,嵩常在圍中。

籍大曆中於和州烏江縣見嵩,

嵩時年六十餘矣。

§5-1

張籍日わく、于嵩という者有り。少うして巡に依る。

巡が事を起こすに及んで、嵩、常に囲みの中に在り。

籍、大暦中に和州の烏江県に於いて嵩を見る。

嵩、時に年六十餘。

5-2

以巡初嘗得臨渙縣尉,好學,無所不讀。

籍時尚小,粗問巡、遠事,不能細也。

云:巡長七尺餘,鬚髯若神。

5-2

巡を以て初め嘗って臨換県の尉を得たり。

学を好んで読まずという所無し。

籍、時に尚小さし。

粗【ほ】ぼ 巡・遠が事を問うて、細かなること能わず。

云う、巡、長け七尺餘、鬚髯、神の若し。

5-3

嘗見嵩讀《漢書》,謂嵩曰:

『何為久讀此?』嵩曰:

『未熟也。』巡曰:

『吾於書讀不過三遍,終身不忘也。』

5-3

嘗って嵩が漢書を読むを見て、嵩に謂って日わく、「何為れぞ久しく此れを読む、」と。

嵩日わく、未だ熟せず、と。

巡日わく、「吾れ書に於いて読むこと三篇に過ぎずして、身を終うるまで忘れず、」と。

5-4

因誦嵩所讀書,盡卷不錯一字。

嵩驚,以為巡偶熟此卷,

因亂抽他帙以試,無不盡然。

5-4

因って 嵩が読む所の書を誦す。

巻を尽くして一字を錯らず。

嵩 驚いて以為えらく、巡、偶たま此の巻に熟すと。

困って他の帙を乱抽して以て試みるに、尽くに然らずということ無し。

5-5

嵩又取架上諸書,試以問巡,

巡應口誦無疑。

嵩從巡久,亦不見巡常讀書也。

為文章操紙筆立書,未嘗起草。

5-5

嵩、又架上の講書を取って、試みに巡に問う。

巡、口に応じて話して疑うこと無し。

嵩、巡に従うこと久し。亦巡が常に書を読むことを見ず。

文章を為るときは、紙筆を操って立ちどころに書して、未だ嘗って草を起こさず。

5-6

初守睢陽時,士卒僅萬人,

城中居人亦且數萬,

巡因一見問姓名,其後無不識者。

巡怒,鬚髯輒張。

5-6

初め睢陽を守る時に、士卒僅ど万人。

城中の居人の戸、亦且つ数万、巡困って一たび見て姓名を問う。

其の後識さずということ無し。

巡怒るときに、髪髭軌ち張る。

5-7

及城陷,賊縳巡等數十人坐,且將戮。

巡起旋,其眾見巡起,或起或泣。

巡曰:『汝勿怖。死,命也。』

5-7

城陥るに及んで、賊、巡等数十人を縳して坐せしめて、且つ将に戮せんとす。

巡起ちて旋す。其の衆、巡が起つを見て、或いは起ち或いは泣く。

巡日わく、『汝怖るること勿かれ。死は命なり、』と。

5-8

眾泣,不能仰視。

巡就戮時,顏色不亂,陽陽如平常。

遠寬厚長者,貌如其心,

與巡同年生,月日後於巡,

呼巡為兄,死時年四十九。

5-8

衆泣いて仰ぎ視ること能わず。

巡、教に就く時に、顔色乱れず、陽陽として平常の如し。

遠は寛厚の長老なり。執、其の心の如し。

巡と年を同じゅうして生まる。月日、巡に後れたり。

巡を呼んで兄と為。死する時に年四十九、」と。

5-9

嵩貞元初死於亳、宋間。

或傳嵩有田在亳、宋間,

武人奪而有之,

嵩將詣州訟理,為所殺。

嵩無子。」張籍云。

5-9

嵩は貞元の初めに、亳、宋の問に死す。

或ひと伝う、嵩、田有って亳、宋の間に在り。

武人奪うて之れを有す。

嵩、将に州に詣って訟理せんとして、為に殺さる、」と。

嵩、子無し。

張籍云う。


§
5-1

張籍曰:

張籍はこういうことをいう。

「有于嵩者,少依於巡;

「于嵩というものがいた。わかいときから張巡の部下であったが、

及巡起事,嵩常在圍中。

張巡が義勇軍を起してから、于嵩はいつも賊軍の包囲中にいた。

籍大曆中於和州烏江縣見嵩,

わたしは、大暦年間、和州烏江県で于嵩にあったが、

嵩時年六十餘矣。  

かれはその時、年六十あまりであった。

§5-1

張籍日わく、

于嵩という者有り。少うして巡に依る。

巡が事を起こすに及んで、嵩、常に囲みの中に在り。

籍、大暦中に和州の烏江県に於いて嵩を見る。

嵩、時に年六十餘。

5-2

以巡初嘗得臨渙縣尉,

好學,無所不讀。

籍時尚小,

粗問巡、遠事,不能細也。

云:巡長七尺餘,鬚髯若神。          

5-2

巡を以て初め嘗って臨換県の尉を得たり。

学を好んで読まずという所無し。

籍、時に尚小さし。

粗【ほ】ぼ 巡・遠が事を問うて、細かなること能わず。

云う、巡、長け七尺餘、鬚髯、神の若し。

5-3

嘗見嵩讀《漢書》,

謂嵩曰:

『何為久讀此?』

嵩曰:

『未熟也。』

巡曰:

『吾於書讀不過三遍,終身不忘也。』           

5-3

嘗って嵩が漢書を読むを見て、

嵩に謂って日わく、

「何為れぞ久しく此れを読む、」と。

嵩日わく、

「未だ熟せず、」と。

巡日わく、

「吾れ書に於いて読むこと三篇に過ぎずして、身を終うるまで忘れず、」と。

5-4

因誦嵩所讀書,

盡卷不錯一字。

嵩驚,以為巡偶熟此卷,

因亂抽他帙以試,無不盡然。          

5-4

因って 嵩が読む所の書を誦す。

巻を尽くして一字を錯らず。

嵩 驚いて以為えらく、巡、偶たま此の巻に熟すと。

困って他の帙を乱抽して以て試みるに、尽くに然らずということ無し。

5-5

嵩又取架上諸書,試以問巡,

巡應口誦無疑。

嵩從巡久,亦不見巡常讀書也。

為文章操紙筆立書,未嘗起草。

5-5

嵩、又架上の講書を取って、試みに巡に問う。

巡、口に応じて話して疑うこと無し。

嵩、巡に従うこと久し。亦巡が常に書を読むことを見ず。

文章を為るときは、紙筆を操って立ちどころに書して、未だ嘗って草を起こさず。

5-6

初守睢陽時,士卒僅萬人,

城中居人亦且數萬,

巡因一見問姓名,其後無不識者。

巡怒,鬚髯輒張。             

5-6

初め睢陽を守る時に、士卒僅ど万人。

城中の居人の戸、亦且つ数万、巡困って一たび見て姓名を問う。

其の後識さずということ無し。

巡怒るときに、髪髭軌ち張る。

5-7

及城陷,賊縳巡等數十人坐,且將戮。

巡起旋,其眾見巡起,或起或泣。

巡曰:『汝勿怖。死,命也。』          

5-7

城陥るに及んで、賊、巡等数十人を縳して坐せしめて、且つ将に戮せんとす。

巡起ちて旋す。其の衆、巡が起つを見て、或いは起ち或いは泣く。

巡日わく、『汝怖るること勿かれ。死は命なり、』と。

5-8

眾泣,不能仰視。

巡就戮時,顏色不亂,陽陽如平常。

遠寬厚長者,貌如其心,

與巡同年生,月日後於巡,

呼巡為兄,死時年四十九。             

5-8

衆泣いて仰ぎ視ること能わず。

巡、教に就く時に、顔色乱れず、陽陽として平常の如し。

遠は寛厚の長老なり。執、其の心の如し。

巡と年を同じゅうして生まる。月日、巡に後れたり。

巡を呼んで兄と為。死する時に年四十九、」と。

5-9

嵩貞元初死於亳、宋間。

或傳嵩有田在亳、宋間,

武人奪而有之,

嵩將詣州訟理,為所殺。

嵩無子。」張籍云。           

5-9

嵩は貞元の初めに、亳、宋の問に死す。

或ひと伝う、嵩、田有って亳、宋の間に在り。

武人奪うて之れを有す。

嵩、将に州に詣って訟理せんとして、為に殺さる、」と。

嵩、子無し。

張籍云う。

楚州揚州廬州壽州上海 地図05 

 

 

《張中丞傳後敘》現代語訳と訳註解説
(
本文)

#22  §§5-1

張籍曰:

「有于嵩者,少依於巡;

及巡起事,嵩常在圍中。

籍大曆中於和州烏江縣見嵩,

嵩時年六十餘矣。      

 

 

(下し文)
§4-7

 

 

(現代語訳)

(御史中丞張巡 傳のあとがき)

張籍はこういうことをいう。

「于嵩というものがいた。わかいときから張巡の部下であったが、

張巡が義勇軍を起してから、于嵩はいつも賊軍の包囲中にいた。

わたしは、大暦年間、和州烏江県で于嵩にあったが、

かれはその時、年六十あまりであった。

 

(訳注)

張中丞傳後敘

1.(御史中丞張巡 傳のあとがき)

2.【題意】張中丞は唐の張巡のこと。張巡は鄧州南陽の人、開元の末の空、清河の令から真源の令となった。天宝十四年冬、安緑山が叛いたことを聞き、吏土を率いて玄元廟(老子を祭る)に哭し、兵を起こして賊を討ち、睢陽に至り、太守許遠と共に防守したが、城陥って害に遇った。李翰がその伝を作ったが完全でなく、許遠の伝がなく、南霽雲の節義についての記述が漏れているのを慨いて、韓愈はこの後序を書いた。

 

§5-1

張籍曰:

張籍はこういうことをいう。

張籍 中唐の詩人。和州烏江 (安徽省和県) の人。字,文昌。貞元 15 (799) 年進士に及第。太常寺太祝から秘書郎を経て水部員外郎となり,晩年国子司業となった。張水部・張司業とも呼ばれる。楽府(がふ)体の詩を得意とし、政治を批判し、民衆の苦しみを歌った。

 

「有于嵩者,少依於巡;

「于嵩というものがいた。わかいときから張巡の部下であったが、

依於― 《論語、述而第七 6 子曰志於道章》「子曰。志於道。據於德。依於仁。游於藝。」(子曰く、道に志ざし、徳に拠より、仁に依より、芸に游あそぶ。)と使う。

 

及巡起事,嵩常在圍中

張巡が義勇軍を起してから、于嵩はいつも賊軍の包囲中にいた。

起事 義兵を挙げて篠山を防いだ。

在圍中 義勇軍が續軍に大きく包囲された状態。

 

籍大曆中於和州烏江縣見嵩,

わたしは、大暦年間、和州烏江県で于嵩にあったが、

和州烏江縣 安徽省馬鞍山市に位置する県。県人民政府の所在地は歴陽鎮。秦漢時代から歴陽県があった。 県内の烏江鎮は、垓下の戦いで漢に敗れた楚の項羽が最期を迎えた場所(「烏江の渡し」)であり、覇王祠が建っている。 行政区画[編集]. : 歴陽鎮、白橋鎮、姥橋鎮、功橋鎮、西埠鎮、香泉鎮、烏江鎮、善厚鎮、石楊鎮. 関連項目[編集]. 歴陽郡 - 晋代から唐代にかけて、現在の和県周辺に設置されていた郡。 和州 - 北斉代から清代にかけて、現在の和県周辺に設置されていた州。

 

嵩時年六十餘矣。  

かれはその時、年六十あまりであった。