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留別金陵諸公#1 |
張中丞傳後敘 -#26 |
送高司直尋封閬州 #2 |
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謝朓雜詩十二〔5〕 |
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留別金陵諸公#2 |
張中丞傳後敘 -#27 |
送高司直尋封閬州#3 |
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6詠邯鄲故才人嫁為厮養 |
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留別金陵諸公#3 |
張中丞傳後敘 -#28 |
可歎 #1 |
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7秋夜 |
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807年-11 《張中丞傳後敘(韓愈全集校注〔三〕一七一五) -#23》 §-5-1- 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11113
11113 |
張中丞傳後敘(韓愈全集校注〔三〕一七一五) |
-#23 |
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§-5-1 |
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韓愈全集校注 訳注解説 |
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漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-11113 |
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張中丞傳後敘
(御史中丞張巡 伝のあとがき)
§5-1 張籍曰: 「有于嵩者,少依於巡; 及巡起事,嵩常在圍中。 籍大曆中於和州烏江縣見嵩, 嵩時年六十餘矣。 |
§5-1 張籍日わく、于嵩という者有り。少うして巡に依る。 巡が事を起こすに及んで、嵩、常に囲みの中に在り。 籍、大暦中に和州の烏江県に於いて嵩を見る。 嵩、時に年六十餘。 |
5-2 以巡初嘗得臨渙縣尉,好學,無所不讀。 籍時尚小,粗問巡、遠事,不能細也。 云:巡長七尺餘,鬚髯若神。 |
5-2 巡を以て初め嘗って臨換県の尉を得たり。 学を好んで読まずという所無し。 籍、時に尚小さし。 粗【ほ】ぼ 巡・遠が事を問うて、細かなること能わず。 云う、巡、長け七尺餘、鬚髯、神の若し。 |
5-3 嘗見嵩讀《漢書》,謂嵩曰: 『何為久讀此?』嵩曰: 『未熟也。』巡曰: 『吾於書讀不過三遍,終身不忘也。』 |
5-3 嘗って嵩が漢書を読むを見て、嵩に謂って日わく、「何為れぞ久しく此れを読む、」と。 嵩日わく、未だ熟せず、と。 巡日わく、「吾れ書に於いて読むこと三篇に過ぎずして、身を終うるまで忘れず、」と。 |
5-4 因誦嵩所讀書,盡卷不錯一字。 嵩驚,以為巡偶熟此卷, 因亂抽他帙以試,無不盡然。 |
5-4 因って 嵩が読む所の書を誦す。 巻を尽くして一字を錯らず。 嵩 驚いて以為えらく、巡、偶たま此の巻に熟すと。 困って他の帙を乱抽して以て試みるに、尽くに然らずということ無し。 |
5-5 嵩又取架上諸書,試以問巡, 巡應口誦無疑。 嵩從巡久,亦不見巡常讀書也。 為文章操紙筆立書,未嘗起草。 |
5-5 嵩、又架上の講書を取って、試みに巡に問う。 巡、口に応じて話して疑うこと無し。 嵩、巡に従うこと久し。亦巡が常に書を読むことを見ず。 文章を為るときは、紙筆を操って立ちどころに書して、未だ嘗って草を起こさず。 |
5-6 初守睢陽時,士卒僅萬人, 城中居人戶亦且數萬, 巡因一見問姓名,其後無不識者。 巡怒,鬚髯輒張。 |
5-6 初め睢陽を守る時に、士卒僅ど万人。 城中の居人の戸、亦且つ数万、巡困って一たび見て姓名を問う。 其の後識さずということ無し。 巡怒るときに、髪髭軌ち張る。 |
5-7 及城陷,賊縳巡等數十人坐,且將戮。 巡起旋,其眾見巡起,或起或泣。 巡曰:『汝勿怖。死,命也。』 |
5-7 城陥るに及んで、賊、巡等数十人を縳して坐せしめて、且つ将に戮せんとす。 巡起ちて旋す。其の衆、巡が起つを見て、或いは起ち或いは泣く。 巡日わく、『汝怖るること勿かれ。死は命なり、』と。 |
5-8 眾泣,不能仰視。 巡就戮時,顏色不亂,陽陽如平常。 遠寬厚長者,貌如其心, 與巡同年生,月日後於巡, 呼巡為兄,死時年四十九。 |
5-8 衆泣いて仰ぎ視ること能わず。 巡、教に就く時に、顔色乱れず、陽陽として平常の如し。 遠は寛厚の長老なり。執、其の心の如し。 巡と年を同じゅうして生まる。月日、巡に後れたり。 巡を呼んで兄と為。死する時に年四十九、」と。 |
5-9 嵩貞元初死於亳、宋間。 或傳嵩有田在亳、宋間, 武人奪而有之, 嵩將詣州訟理,為所殺。 嵩無子。」張籍云。 |
5-9 嵩は貞元の初めに、亳、宋の問に死す。 或ひと伝う、嵩、田有って亳、宋の間に在り。 武人奪うて之れを有す。 嵩、将に州に詣って訟理せんとして、為に殺さる、」と。 嵩、子無し。 張籍云う。 |
§5-1
張籍曰:
張籍はこういうことをいう。
「有于嵩者,少依於巡;
「于嵩というものがいた。わかいときから張巡の部下であったが、
及巡起事,嵩常在圍中。
張巡が義勇軍を起してから、于嵩はいつも賊軍の包囲中にいた。
籍大曆中於和州烏江縣見嵩,
わたしは、大暦年間、和州烏江県で于嵩にあったが、
嵩時年六十餘矣。
かれはその時、年六十あまりであった。
§5-1
張籍日わく、
于嵩という者有り。少うして巡に依る。
巡が事を起こすに及んで、嵩、常に囲みの中に在り。
籍、大暦中に和州の烏江県に於いて嵩を見る。
嵩、時に年六十餘。
5-2
以巡初嘗得臨渙縣尉,
好學,無所不讀。
籍時尚小,
粗問巡、遠事,不能細也。
云:巡長七尺餘,鬚髯若神。
5-2
巡を以て初め嘗って臨換県の尉を得たり。
学を好んで読まずという所無し。
籍、時に尚小さし。
粗【ほ】ぼ 巡・遠が事を問うて、細かなること能わず。
云う、巡、長け七尺餘、鬚髯、神の若し。
5-3
嘗見嵩讀《漢書》,
謂嵩曰:
『何為久讀此?』
嵩曰:
『未熟也。』
巡曰:
『吾於書讀不過三遍,終身不忘也。』
5-3
嘗って嵩が漢書を読むを見て、
嵩に謂って日わく、
「何為れぞ久しく此れを読む、」と。
嵩日わく、
「未だ熟せず、」と。
巡日わく、
「吾れ書に於いて読むこと三篇に過ぎずして、身を終うるまで忘れず、」と。
5-4
因誦嵩所讀書,
盡卷不錯一字。
嵩驚,以為巡偶熟此卷,
因亂抽他帙以試,無不盡然。
5-4
因って 嵩が読む所の書を誦す。
巻を尽くして一字を錯らず。
嵩 驚いて以為えらく、巡、偶たま此の巻に熟すと。
困って他の帙を乱抽して以て試みるに、尽くに然らずということ無し。
5-5
嵩又取架上諸書,試以問巡,
巡應口誦無疑。
嵩從巡久,亦不見巡常讀書也。
為文章操紙筆立書,未嘗起草。
5-5
嵩、又架上の講書を取って、試みに巡に問う。
巡、口に応じて話して疑うこと無し。
嵩、巡に従うこと久し。亦巡が常に書を読むことを見ず。
文章を為るときは、紙筆を操って立ちどころに書して、未だ嘗って草を起こさず。
5-6
初守睢陽時,士卒僅萬人,
城中居人戶亦且數萬,
巡因一見問姓名,其後無不識者。
巡怒,鬚髯輒張。
5-6
初め睢陽を守る時に、士卒僅ど万人。
城中の居人の戸、亦且つ数万、巡困って一たび見て姓名を問う。
其の後識さずということ無し。
巡怒るときに、髪髭軌ち張る。
5-7
及城陷,賊縳巡等數十人坐,且將戮。
巡起旋,其眾見巡起,或起或泣。
巡曰:『汝勿怖。死,命也。』
5-7
城陥るに及んで、賊、巡等数十人を縳して坐せしめて、且つ将に戮せんとす。
巡起ちて旋す。其の衆、巡が起つを見て、或いは起ち或いは泣く。
巡日わく、『汝怖るること勿かれ。死は命なり、』と。
5-8
眾泣,不能仰視。
巡就戮時,顏色不亂,陽陽如平常。
遠寬厚長者,貌如其心,
與巡同年生,月日後於巡,
呼巡為兄,死時年四十九。
5-8
衆泣いて仰ぎ視ること能わず。
巡、教に就く時に、顔色乱れず、陽陽として平常の如し。
遠は寛厚の長老なり。執、其の心の如し。
巡と年を同じゅうして生まる。月日、巡に後れたり。
巡を呼んで兄と為。死する時に年四十九、」と。
5-9
嵩貞元初死於亳、宋間。
或傳嵩有田在亳、宋間,
武人奪而有之,
嵩將詣州訟理,為所殺。
嵩無子。」張籍云。
5-9
嵩は貞元の初めに、亳、宋の問に死す。
或ひと伝う、嵩、田有って亳、宋の間に在り。
武人奪うて之れを有す。
嵩、将に州に詣って訟理せんとして、為に殺さる、」と。
嵩、子無し。
張籍云う。
《張中丞傳後敘》現代語訳と訳註解説
(本文)
#22 §§5-1
張籍曰:
「有于嵩者,少依於巡;
及巡起事,嵩常在圍中。
籍大曆中於和州烏江縣見嵩,
嵩時年六十餘矣。
(下し文)
§4-7
(現代語訳)
(御史中丞張巡 傳のあとがき)
張籍はこういうことをいう。
「于嵩というものがいた。わかいときから張巡の部下であったが、
張巡が義勇軍を起してから、于嵩はいつも賊軍の包囲中にいた。
わたしは、大暦年間、和州烏江県で于嵩にあったが、
かれはその時、年六十あまりであった。
(訳注)
張中丞傳後敘
1.(御史中丞張巡 傳のあとがき)
2.【題意】張中丞は唐の張巡のこと。張巡は鄧州南陽の人、開元の末の空、清河の令から真源の令となった。天宝十四年冬、安緑山が叛いたことを聞き、吏土を率いて玄元廟(老子を祭る)に哭し、兵を起こして賊を討ち、睢陽に至り、太守許遠と共に防守したが、城陥って害に遇った。李翰がその伝を作ったが完全でなく、許遠の伝がなく、南霽雲の節義についての記述が漏れているのを慨いて、韓愈はこの後序を書いた。
§5-1
張籍曰:
張籍はこういうことをいう。
張籍 中唐の詩人。和州烏江 (安徽省和県) の人。字,文昌。貞元 15 (799) 年進士に及第。太常寺太祝から秘書郎を経て水部員外郎となり,晩年国子司業となった。張水部・張司業とも呼ばれる。楽府(がふ)体の詩を得意とし、政治を批判し、民衆の苦しみを歌った。
「有于嵩者,少依於巡;
「于嵩というものがいた。わかいときから張巡の部下であったが、
依於― 《論語、述而第七 6 子曰志於道章》「子曰。志於道。據於德。依於仁。游於藝。」(子曰く、道に志ざし、徳に拠より、仁に依より、芸に游あそぶ。)と使う。
及巡起事,嵩常在圍中。
張巡が義勇軍を起してから、于嵩はいつも賊軍の包囲中にいた。
起事 義兵を挙げて篠山を防いだ。
在圍中 義勇軍が續軍に大きく包囲された状態。
籍大曆中於和州烏江縣見嵩,
わたしは、大暦年間、和州烏江県で于嵩にあったが、
和州烏江縣 安徽省馬鞍山市に位置する県。県人民政府の所在地は歴陽鎮。秦漢時代から歴陽県があった。
県内の烏江鎮は、垓下の戦いで漢に敗れた楚の項羽が最期を迎えた場所(「烏江の渡し」)であり、覇王祠が建っている。
行政区画[編集]. 鎮: 歴陽鎮、白橋鎮、姥橋鎮、功橋鎮、西埠鎮、香泉鎮、烏江鎮、善厚鎮、石楊鎮. 関連項目[編集]. 歴陽郡 - 晋代から唐代にかけて、現在の和県周辺に設置されていた郡。
和州 - 北斉代から清代にかけて、現在の和県周辺に設置されていた州。
嵩時年六十餘矣。
かれはその時、年六十あまりであった。