漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

歴史

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

韓愈145-#1《 全唐文551-11至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(18)-#1<1721> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7581

韓愈詩-韓愈145-#1

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡胡笳辭詩》《移族從》並《與京兆書》
襄陽から鄧州の北境までの節度府の閣下御制作の文書を讀んだのでこの書を寄せ奉る

伏して閣下御制作の「文武順聖樂辭」文武順聖楽の歌辞)、「天保樂詩」天保楽の詩「讀蔡琰胡笳辭詩」蔡琰が胡茄の辞を読むの詩「移族從」族従に移し)、幷びに「與京兆書」(京兆に与うる書をお示し頂いた。

昌黎先生集15-08

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1上襄陽於相公書

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7581 

 806年貞元22 39-18)#1

 <1721

 

 

 

 

 

作時年:

806

貞元22

39

全唐文卷別:

551-11 

文體:

書 啓

昌黎先生集 

15-08

 

 

詩題:

至鄧州北寄上襄陽於相公書 (上襄陽於相公書)

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點:

 

 

交遊人物:

 于頔・襄陽相公

 書簡(襄陽節度使)

 

 

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

全唐文551-11 至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡胡笳辭詩》《移族從》並《與京兆書》。

自幕府至鄧之北境凡五百餘裏,自庚子至甲辰凡五日,手披目視,口詠其言,心惟其義,且恐且懼,忽若有亡,不知鞍馬之勤,道途之遠也。

夫澗穀之水,深不過咫尺,邱垤之山,高不能逾尋丈,人則狎而玩之。及至臨泰山之懸崖,窺巨海之驚瀾,莫不戰掉悼栗,眩惑而自失。所觀變於前,所守易於,亦其理宜也。

#4

閣下負超卓之奇材,蓄雄剛之俊德,渾然天成,無有畔岸,而又貴窮乎公相,威動乎區極,天子之毗,諸侯之師。故其文章言語,與事相侔,憚赫若雷霆,浩汗若河漢,正聲諧《韶》《》,勁氣沮金石,豐而不餘一言,約而不失一辭,其事信,其理切。孔子之言曰:「有德者必有言。」信乎其有德且有言也!揚子雲曰:「《商書》灝灝爾,《周書》噩噩爾。」信乎其能灝灝而且噩噩也!

7

昔者齊君行而失道,管子請釋老馬而隨之;樊遲請學稼,孔子使問之老農。夫馬之智不賢於夷吾,農之能不聖於尼父,然且雲爾者,聖賢之能多,農馬之知專故也。

今愈雖愚且賤,其從事於文,實專且久,則其讚王公之能,而稱大君子之美,不為僭越也。伏惟詳察。愈恐懼再拜。

 

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1襄陽から鄧州の北境までの節度府の閣下御制作の文書を讀んだのでこの書を寄せ奉る

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡胡笳辭詩》《移族從》並《與京兆書》
伏して閣下御制作の「文武順聖樂辭」文武順聖楽の歌辞)、「天保樂詩」天保楽の詩「讀蔡琰胡笳辭詩」蔡琰が胡茄の辞を読むの詩「移族從」族従に移し)、幷びに「與京兆書」(京兆に与うる書をお示し頂いた。

唐時代 韓愈関連05 

 

至鄧州北寄上襄陽於相公書』現代語訳と訳註解説
(
本文)

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡胡笳辭詩》《移族從》並《與京兆書》

(下し文)
(至鄧州の北、襄陽の相公の書に寄せ上る) #1

伏して《文武順聖樂の辭》《天保樂の詩》《蔡胡笳の辭をむの詩》《族從に移す》びに《京兆に與うるの書》を示し蒙る。

(現代語訳)
至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1襄陽から鄧州の北境までの節度府の閣下御制作の文書を讀んだのでこの書を寄せ奉る

伏して閣下御制作の「文武順聖樂辭」文武順聖楽の歌辞)、「天保樂詩」天保楽の詩「讀蔡琰胡笳辭詩」蔡琰が胡茄の辞を読むの詩「移族從」族従に移し)、幷びに「與京兆書」(京兆に与うる書をお示し頂いた。


(訳注) 

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1

襄陽から鄧州の北境までの節度府の閣下御制作の文書を讀んだのでこの書を寄せ奉る

1 鄧州 鄧州(とうしゅう)は中国にかつて存在した州。魏晋南北朝時代・隋代、隋朝が成立すると当初は荊州が設置され49県を管轄した。587年(開皇7年)に鄧州と改称、607年(大業3年)、郡制施行に伴い鄧州は南陽郡と改称され下部に8県を管轄した。

2 相公 于襄陽公、襄陽大都督となる。驕蹇不法、ついに朝に入る。

《新唐書地理志》「于頔傳,頔為襄陽節度,襄有髹器,天下以為法。至頔驕蹇,故方帥不法者,稱為『襄樣節度』。」(于頔傳に,頔は襄陽節度と為し,襄に髹器有り,天下以て法と為す。頔 驕蹇に至り,故に方に帥 不法者なり,『襄樣節度』と稱為す。

 

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡胡笳辭詩》《移族從》並與《京兆書》。

伏して閣下御制作の「文武順聖樂辭」文武順聖楽の歌辞)、「天保樂詩」天保楽の詩「讀蔡琰胡笳辭詩」蔡琰が胡茄の辞を読むの詩「移族從」族従に移し)、幷びに「與京兆書」(京兆に与うる書をお示し頂いた。

3 文武順聖樂辭 干公が献上した楽府(歌曲)の名。唐德宗以後、方鎮多製樂舞以献頔、献順聖樂曲、其曲將半行綴皆伏一人舞于中又令女妓爲佾舞 雄徤壯妙號文武順聖楽。

4 天保樂詩 天宝(玄宗の年号)の音通という。

5 讀蔡胡笳辭詩 後漢の学者蔡邕の娘、琰、字は文姫、博学で才があった。乱に遭って胡騎に捕らえられて、匈奴に十二年住み、二子があった。曹操が買い取って董祀に嫁にやった。「胡茄十八拍詞」は匈奴での苦しみを歌ったものである。

6 移族從 廻状の手紙を移文、または移という。つかわす。廻読させる。・族従 一族や家来。

7 京兆書 ・京兆 京都の長官、京兆尹の李実。804年監察御史に進んだが、京兆尹・李実を弾劾したとして、連州陽山の縣令に貶謫されたこともあって、この文のように異様なまでの襄陽相公を賞賛したのであろう。

韓愈143-#10《 巻02-19薦士 -#10》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#10<1715> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7551

韓愈詩-韓愈143-薦士 10

通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
大河の水を広い大海原へ通ぜしめ、切り開いて進み行くのは、造作もないことで、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちょっとした推挙があればいい。)人の善を善として採用する努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思うであろうし、どれほど憂えもだえても役には立たないだろうし、また孟郊にしても、今救ってやらないといけなくて後悔はしたくないのである。孟郊は、本当に餓死寸前の人というほどのものであり、これを救おうとして八珍の料理を山ほどそろえることというけれども、『一瓢箪の食』をもって労ってやれば、それでよいので、もとより、一足飛びに高官にしてほしいというのではないのである。そういうことで、このつまらないかもしれない「薦士」詩を見られて、おせっかいな奴だとおもわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、「愷悌の君子」、すなわち、心楽しくて、優しいお方が、この人物を登用されたなら、神からお褒めの言葉を賜るに相違なく、民を父母の情で見るようにしてほしいというものである。

韓昌黎集02-18

薦  士 #10

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7551 

 806年貞元22 39-16)#10

 <1715

 

 

 
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韓愈143-#10《 巻02-19薦士 -#10》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#10<1715> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7551  
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  卷337_18 《薦士(薦孟郊于鄭餘慶也)》韓愈 

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

338 18 

文體:

 五言古詩

韓昌黎集 

18-41

 

 

詩題:

薦  士

序文

作地點:

長安、京師、

 

及地點:

河南 

洛陽 

 

凓陽

 

交遊人物:

鄭餘慶宰相 

張建封 

孟東野

張籍

 

 


薦士10

10

通波非難圖、尺地易可漕。善善不汲汲、後時徒悔懊。

救死具八珍、《周禮·膳夫》:“珍用八物。”又:“食醫掌八珍之齊。”《禮記·則》:“八珍謂淳熬、淳母、炮豚、炮羊、搗珍、漬、熬、肝也。”不如一簞犒。楚與晉戰,或人進王一簞酒,王傾酒於水上,與士共飲。簟音單。不或作無。

微或作數。

微詩公勿誚、微或作數。愷悌神所勞。《詩》:“愷悌君子,神所勞矣。”勞,郎到切。

 

#6
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。

彼は溧陽の尉といえば、酸寒の極みともいえるもので、貧乏この上ない上に、出世栄達を夢見る望みも薄い五十代という最早老耄にちかく、これから先の寿命がどれほどのこされていようか。
孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
しかも、一家を背負い、孜孜として勉励し、母親の世話を熱心に努め、長いことさまざまな辛苦をなめてきた。

俗流知者誰,指注競嘲傲。

世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
聖皇索遺逸,髦士日登造。

聖天子、憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
#6
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。

#7
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。

孔子のように人の施政をされる廟堂には賢相の鄭余慶宰相があり、才のある人材を愛遇し、重く見る恵みは、天の地をおおう徳にひとしい。
況承歸與張,二公迭嗟悼。
いわんや、承れば、歸登、張建封などという有力者も、孟郊の不遇について、痛く同情し、「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物であるから、どうにかしてくださるとは思っている。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。

物が青空の上に上がるには,大風によって吹き上げられるように朝廷に推挙を待たねばならないし、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。

胡為久無成,使以歸期告。

おまけに、孟郊は、久しくしてなすことなく、幕府を任期が満ちそうで、そうなると、免官して郷里へと帰るような羽目になってしまう。
7

廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。

8
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。

今、仲秋になろうとして、東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。
念將決焉去,感物增戀嫪。

この時、孟郊は、免官になれば、そのまま、決然としてここを去るつもりであろうが、我々としては、孟郊の身の上を思い、ものごとに感じて心残りがあるので何とか引き止めたいと思っている。
彼微水中荇,尚煩左右芼。

『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)は、宮女たちが、左右から后妃を助けてえり分けたうえで、お祀りのお供えものにするのと同じよう孟郊のためにあれこれと選んでくれる人があれば初めて廟堂の上に立つことができる。
魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできたという、鼎に等しい孟郊を選ばれないわけはないと思うのである。
8
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#9
幸當擇玉,寧有棄珪瑁。

人を持ちうるには、宰相の鑑識がじゅうようで、「貴玉而賤珉」を泛然と見分けなければならない、貴鄭殿は美しい石と宝玉とを選び分けるにあたり、天子の用いる宝玉を捨てることはないかどうか、幸いにも孟郊は珪瑁という天子の礼に用いられるほどの有能な人材であるから、よもやこれを切り捨てるという理由はないのである。
悠悠我之思,擾擾風中纛。
孟郊は、貧窮の底に沈んでいるから、私の孟郊に対する思いは、はてもなく、限りなく続くのである、そして天子や将軍の旗のように立派な旗であっても風のなかに立てた旗は乱れて落ち着かないでしきりに動くものである。
上言愧無路,日夜惟心禱。

そうかといって、自分も、ぎりぎりの生活であって、天子に意見を上奏しようにも恥ずかしながら術がないのである、したがって、これまで、日夜心の内でただ祈るばかりであったのであるから、此処にこの詩を作ったのである。

鶴翎不天生,變化在啄

鶴は、品格の良い鳥であるが、天然、自然に成長するものではなく、親鳥が抱いてふ化させ、餌を啄んでこれを与え続けた結果、やっと成長し、飛べることができるのである。それは孟郊にしてみても、上位にいる人が啄抱の労をとって、世話をしてやらないと、才能ある者も誰かの推挙がなければ、能力を発拝できないということなのである。
幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り。

10
通波非難圖,尺地易可漕。

大河の水を広い大海原へ通ぜしめ、切り開いて進み行くのは、造作もないことで、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちょっとした推挙があればいい。)
善善不汲汲,後時徒悔懊。
る努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思うであろうし、どれほど憂えもだえても役には立たないだろうし、また孟郊にしても、今救ってやらないといけなくて後悔はしたくないのである。
救死具八珍,不如一簞犒。

人の善を善として採用す孟郊は、本当に餓死寸前の人というほどのものであり、これを救おうとして八珍の料理を山ほどそろえることというけれども、『一瓢箪の食』をもって労ってやれば、それでよいので、もとより、一足飛びに高官にしてほしいというのではないのである。

微詩公勿誚,愷悌神所勞。

そういうことで、このつまらないかもしれない「薦士」詩を見られて、おせっかいな奴だとおもわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、「愷悌の君子」、すなわち、心楽しくて、優しいお方が、この人物を登用されたなら、神からお褒めの言葉を賜るに相違なく、民を父母の情で見るようにしてほしいというものである。

通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。


洛陽 函谷関002

『薦士』現代語訳と訳註解説
(
本文)

10

通波非難圖,尺地易可漕。

善善不汲汲,後時徒悔懊。

救死具八珍,不如一簞犒。

微詩公勿誚,愷悌神所勞。

(下し文)
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。

(現代語訳)
10

大河の水を広い大海原へ通ぜしめ、切り開いて進み行くのは、造作もないことで、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちょっとした推挙があればいい。)
人の善を善として採用する努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思うであろうし、どれほど憂えもだえても役には立たないだろうし、また孟郊にしても、今救ってやらないといけなくて後悔はしたくないのである。
孟郊は、本当に餓死寸前の人というほどのものであり、これを救おうとして八珍の料理を山ほどそろえることというけれども、『一瓢箪の食』をもって労ってやれば、それでよいので、もとより、一足飛びに高官にしてほしいというのではないのである。

そういうことで、このつまらないかもしれない「薦士」詩を見られて、おせっかいな奴だとおもわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、「愷悌の君子」、すなわち、心楽しくて、優しいお方が、この人物を登用されたなら、神からお褒めの言葉を賜るに相違なく、民を父母の情で見るようにしてほしいというものである。

(訳注) 10

薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) (#1)
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

汜水関などの地図 

通波非難圖,尺地易可漕。
大河の水を広い大海原へ通ぜしめ、切り開いて進み行くのは、造作もないことで、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちょっとした推挙があればいい。)
65 通波 波を切り開いて進むこと。当たり前のこととして川の水が海の波に通づること。

66  はかりごと。計画。

67 尺地 一尺ほどのわずかな土地。


善善不汲汲,後時徒悔懊。
人の善を善として採用する努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思うであろうし、どれほど憂えもだえても役には立たないだろうし、また孟郊にしても、今救ってやらないといけなくて後悔はしたくないのである。
68 善善不汲汲 人の善意を信じ、善意に頼ることとその及ぼす力を及ぼす力として頼りにしないこと。
69
 悔懊 後悔して残念に思い、憂えもだえる。・:悔悟・悔恨・悔悛(かいしゅん)/後悔・追悔。:深く思い悩む。憂えもだえる。「懊悩」


救死具八珍,不如一簞犒。
孟郊は、本当に餓死寸前の人というほどのものであり、これを救おうとして八珍の料理を山ほどそろえることというけれども、『一瓢箪の食』をもって労ってやれば、それでよいので、もとより、一足飛びに高官にしてほしいというのではないのである。

70 八珍 品数の多い、上等の料理。《周禮·膳夫》「珍用八物。」(珍、八物を用う。)又「食醫掌八珍之齊。」(食醫に八珍の齊を掌る。)

《禮記·則》「八珍謂淳熬、淳母、炮豚、炮羊、搗珍、漬、熬、肝也。”不如一簞犒。楚與晉戰,或人進王一簞酒,王傾酒於水上,與士共飲。簟音單。不或作無。」(八珍とは、淳熬、淳母、炮豚、炮羊、搗珍、漬、熬、肝を謂うなり。”一簞の犒如くなし。楚と晉との戰い,或る人が王に一簞酒を進め,王は水上に酒を傾け,士と共に飲む。)


微詩公勿誚,愷悌神所勞。
そういうことで、このつまらないかもしれない「薦士」詩を見られて、おせっかいな奴だとおもわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、「愷悌の君子」、すなわち、心楽しくて、優しいお方が、この人物を登用されたなら、神からお褒めの言葉を賜るに相違なく、民を父母の情で見るようにしてほしいというものである。
71 詩 ここでいう詩は韓愈のこの「薦士」をいう。

72 公勿誚 悪く考えないでほしい。

73 誚:せめる。そしる。

74 愷悌 安らぎを楽しむ。《詩経大雅・泂酌【けいしゃく】》「教以臣、所以敬天下之爲人君者也。詩云、愷悌君子、民之父母。()教うるに臣をもってするは、天下の人の 君 たる者を敬するゆえんなり。 詩に云く: 愷悌 【がいてい】の君子は民の父母なり。 
Ta唐 長安近郊圖  新02 

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #8§5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1636> Ⅱ#8§5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7158

韓愈  上兵部李侍郎書§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;南行詩一卷,舒憂悲,雜以瑰怪之言,時俗之好,所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。
謹んで旧作の文章一巻をたてまつる。これは教化道徳を扶け樹立し、明らかにするところの働きがあるというものである。また南行の詩一巻は、憂いをゆるめ、悲しみをなぐさめるもので、それに取捨雑多をまじえて珍奇であやしい言葉をつかい、時俗の好みをうまくつかっている。

しかし、これは私が口に歌ったり、耳に聴くためのものである。もし御覧いただければ、そして、采べきものがあるとみられたのであれば、これは、閣下の尊厳をおかし、けがしているわけでなく、厳かに尊意を持っているということであり、伏して益々かしこみ恐れる次第である。

わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。 

韓愈125 巻三03 上兵部李侍郎書》 #8§5 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1636 Ⅱ#8§5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7158

 

 
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韓愈詩-韓愈125

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家のを究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

-2

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

3

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。
悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!

§4-1

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

自江而西,既化而行矣。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

今者入守職,為朝廷大臣,

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

いま正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。

出言舉事,宜必施設。

言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

既有聽之之明,又有振之之力,

侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。

寧戚之歌,鬷明之言,

それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、

不發於左右,則後而失其時矣。

閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。

 

伏して以【おも】うに閣下 仁して外義【そとぎ】,行ない高くして德 巨【おおい】なり,

賢を尚【たっと】んで能を與え,窮を哀んで屈を悼む,

江よりして西,既に化して行わる。

今は入りて職を守り,朝廷の大臣と為る,

-2

天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,

言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。

既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,

寧戚【ねいせき】の歌,鬷明【そうめい】の言,

左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。

 

§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

南行詩一卷,舒憂悲,

雜以瑰怪之言,時俗之好,

所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。

謹んで旧作の文章一巻をたてまつる。これは教化道徳を扶け樹立し、明らかにするところの働きがあるというものである。

また南行の詩一巻は、憂いをゆるめ、悲しみをなぐさめるもので、

それに取捨雑多をまじえて珍奇であやしい言葉をつかい、時俗の好みをうまくつかっている。

しかし、これは私が口に歌ったり、耳に聴くためのものである。

もし御覧いただければ、そして、采べきものがあるとみられたのであれば、

これは、閣下の尊厳をおかし、けがしているわけでなく、厳かに尊意を持っているということであり、伏して益々かしこみ恐れる次第である。

わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。

§5

謹んで舊文の一卷を獻じ,教道を扶樹し,所明白にする有らん。

南行の詩の一卷は,憂いを舒べ悲みを【なぐ】さむ。

雜うるに瑰怪の言を,時俗の好を以ってす。

口に諷して、耳に聽いたりする所以なり。

如し 覽觀を賜り,亦た采る可き有らんとすれば,

嚴尊を幹黷【かんとく】し,伏して惶恐を增すものなり。

愈 再拜す。

 

 

『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

南行詩一卷,舒憂悲,

雜以瑰怪之言,時俗之好,

所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。

(下し文)
§5

謹んで舊文の一卷を獻じ,教道を扶樹し,所明白にする有らん。

南行の詩の一卷は,憂いを舒べ悲みを【なぐ】さむ。

雜うるに瑰怪の言を,時俗の好を以ってす。

口に諷して、耳に聽いたりする所以なり。

如し 覽觀を賜り,亦た采る可き有らんとすれば,

嚴尊を幹黷【かんとく】し,伏して惶恐を增すものなり。

愈 再拜す。

(現代語訳)
§5

謹んで旧作の文章一巻をたてまつる。これは教化道徳を扶け樹立し、明らかにするところの働きがあるというものである。

また南行の詩一巻は、憂いをゆるめ、悲しみをなぐさめるもので、

それに取捨雑多をまじえて珍奇であやしい言葉をつかい、時俗の好みをうまくつかっている。

しかし、これは私が口に歌ったり、耳に聴くためのものである。

もし御覧いただければ、そして、采べきものがあるとみられたのであれば、

これは、閣下の尊厳をおかし、けがしているわけでなく、厳かに尊意を持っているということであり、伏して益々かしこみ恐れる次第である。

わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。


(訳注)

兵部李侍郎書

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

謹んで旧作の文章一巻をたてまつる。これは教化道徳を扶け樹立し、明らかにするところの働きがあるというものである。

39. 扶樹 たすけ立てる。

40. 教道 教化道徳。

 

南行詩一卷,舒憂悲,

また南行の詩一巻は、憂いをゆるめ、悲しみをなぐさめるもので、

41. 南行詩 韓愈が陽山の令に遷される時に作った詩である。この時の詩は

index-[805年貞元21年 38歳] 陽山から江陵府参事軍 39

index-4[806年元和元年 39]江陵府参事軍・権知国子博士 50首の(125

韓愈は五嶺山脈を越えたのは三度ある。幼い12歳時に、779年兄の韶州流刑について行った。二回目がこの詩の謂う80336歳、京兆尹李実を弾劾したため陽山に貶せられた時で、三度目は81952歳「佛骨を論ずる表」を上って憲宗の逆鱗に触れ潮州に貶せられた。

index-11819年元和14年 52歳 ・『論佛骨表』を上って潮州に貶せらる 38

 

雜以瑰怪之言,時俗之好,

それに取捨雑多をまじえて珍奇であやしい言葉をつかい、時俗の好みをうまくつかっている。

42. 瑰怪 珍しくあやしいこと。

 

所以諷於口而聽於耳也。

しかし、これは私が口に歌ったり、耳に聴くためのものである。

43. 諷 口ずさむ。歌う。

 

如賜覽觀,亦有可采,幹黷嚴尊,伏增惶恐。

もし御覧いただければ、そして、采べきものがあるとみられたのであれば、

これは、閣下の尊厳をおかし、けがしているわけでなく、厳かに尊意を持っているということであり、伏して益々かしこみ恐れる次第である。

 

愈再拜。
わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。

 

 

 


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韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #7§4-2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1635> Ⅱ#7§4-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7154

韓愈  上兵部李侍郎書》 #7§4-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,出言舉事,宜必施設。

既有聽之之明,又有振之之力,寧戚之歌,鬷明之言,不發於左右,則後而失其時矣。

いま正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。

韓愈125 巻三03 上兵部李侍郎書》 #7§4-2 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1635 Ⅱ#7§4-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7154

 

 
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  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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韓愈詩-韓愈125

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家のを究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

-2

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

3

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。
悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!

§4-1

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

自江而西,既化而行矣。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

今者入守職,為朝廷大臣,

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

いま正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。

出言舉事,宜必施設。

言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

既有聽之之明,又有振之之力,

侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。

寧戚之歌,鬷明之言,

それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、

不發於左右,則後而失其時矣。

閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。

 

伏して以【おも】うに閣下 仁して外義【そとぎ】,行ない高くして德 巨【おおい】なり,

賢を尚【たっと】んで能を與え,窮を哀んで屈を悼む,

江よりして西,既に化して行わる。

今は入りて職を守り,朝廷の大臣と為る,

-2

天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,

言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。

既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,

寧戚【ねいせき】の歌,鬷明【そうめい】の言,

左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。

 

§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

南行詩一卷,舒憂悲,

雜以瑰怪之言,時俗之好,

所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。

 

 

『上兵部李侍郎書』
(
本文)

上兵部李侍郎書》 #7§4--2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

出言舉事,宜必施設。

既有聽之之明,又有振之之力,

寧戚之歌,明之言,

不發於左右,則後而失其時矣。


(下し文)
上兵部李侍郎書 #7§4--2

天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,

言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。

既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,

寧戚【ねいせき】の歌,明【そうめい】の言,

左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。


(現代語訳)
上兵部李侍郎書 #7§4--2

いま正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。

言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。

それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、

 

閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。



(訳注)

兵部李侍郎書

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

1. 兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

當天子新即位,汲汲於理化之日,

いま正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。

39. 天子新即位 805年永貞元年正月、順宗が位についたこと。

40. 理化 治化。政治教化。

 

出言舉事,宜必施設。

言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

41. 施設 実施する設け、それには人材を要する。

 

既有聽之之明,又有振之之力,

侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。

 

寧戚之歌,鬷明之言,

それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、

42. 寧戚 甯戚。甯嬴(ネイエイ)【在野】: 甯の旅館の主人。 B.C.628陽処父が衛へ行った帰りに甯を通り、甯嬴の所で泊まった。甯嬴は妻に「わしは長いこと君子を捜していたが、 今やっとみつけた」と言って陽処父について行った。 しかし温山まで行くと、甯嬴は引き帰した。

43. 鬷明 鬷蔑。春秋、鄭の大夫。莊公の外辟、字は、然明。姿かたちは醜悪。

《春秋左傳》〈昭公傳二十八年〉「昔叔向適鄭。鬷蔑惡欲觀叔向。從使之收器者。而往立於堂下。一言而善。叔向將飲酒。聞之曰。必鬷明也。下執其手。以上曰。必鬷明也。 下執其手. 以上。 曰. 昔賈大夫惡. 娶妻而美.三年不言不笑. 御以如。」(叔向鄭に適【ゅ】く。鬷蔑【そうべつ】醜悪(顔がみにくい)、叔向を観んと欲す。使の器を収むる者に従ひて、往いて堂下に立つ。一言して善し。叔向将に酒を飲まんとす。之か聞いて日く、必ず鬷明なりと、下つて其の手を執つて、以て上つて日く、昔 賈大夫惡く. 妻を娶りて美し.三年 言ず笑ず. 遂に故知の如し)とある。鬷蔑の字は然明。故に鬷明ともいう。鄭の大夫。
 

不發於左右,則後而失其時矣。

閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。

44. 左右 直接李侍郎を指さずその左右という。

 

 

 

 

 

 

 

 

韓愈 兵部李侍郎に上る書 《上兵部李侍郎書》【字解】

 

1 兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

2. 江陵府 湖北省の省都。

3. 法曹参軍 司法を掌る属官。

4. 鄙鈍 見識が低くのろまである。

5. 都 すべて。

6. 覓官 役職を求める。

7. 薄命 運命が薄い、運がわるい。

8. 讒謗 ありもせぬ罪を言い立てて悪口をいう.

9. 困厄 苦しみこまる。厄は災厄に遇う。

10. 究窮 きわめる。研究する。

11. 史記 『史記』は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計5265百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。

12. 百家 諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派。

13. 沈潛 ① 水底深く沈みかくれること。② 物事に深く没頭すること。

14. 礱磨 すりみがく。石臼と挽き目。動詞としですりみ がく意。

15. 事業 学問上の仕事。学業。

16 唐虞 堯舜、唐は堯の領国の名、虞は舜の天下をたもつときの号。古代の伝説上の帝王,尭と舜。徳をもって天下を治めた理想的な三皇五帝とされる帝王の日二人である。

17. 編簡 文書、書籍。

18. 河海 河は黄河、海は黄河の水が注ぎこむ東海。

19. 山嶽 五嶽の内の嵩山を言う。

20. 幽 ほの暗く明らかでない。幽玄な。隠遁的な静けさをいう。

21. 繊 細くこまかい。

22. 珠璣 珠は真珠のような小粒な玉。璣は円くない玉、小玉。

23. 華実 草木の 花や実。

24 奇辭奧旨 変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

25 靡 無と同じ。

26 初心 初志。学問に対する志。

27 發禿/髪禿 髪が抜けてはげる。

28 歯落 歯が脱けてうつろになる。《落齒》「去年落一牙,今年落一齒。俄然落六七,落勢殊未已。」(昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。)

70-#1(改訂版Ver.2.1) 《巻04-17 落歯 #1》 (去年落一牙)【4分割】 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1415 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6059

29. 牛角之歌 斉の桓公が、夜外出して、雷戚が牛に餌をやりながら、牛の角を叩いて「南山矸,白石爛,生不逢堯與舜禪。 短布單衣適至骭,從昏飯牛薄夜半,長夜漫漫何時旦?」(南山矸【かん】(けわしい)たり、白石爛たり。生まれて堯と舜の禪(ゆずり)に遭はず、短布単衣、適【わず】かに骭【かん】(すねの骨)に至る。昏より牛を飯【か】いて、夜半に薄【いた】る。長夜 漫漫、何れの時にか旦【ぁ】けん)と歌っていた。桓公は車に載せて帰って大夫としたという。これを「飯牛の歌」ともいう。

30. 堂下之言 『左伝』昭公二十八年に「《春秋左傳》〈昭公傳二十八年〉昔叔向適鄭。鬷蔑惡欲觀叔向。從使之收器者。而往立於堂下。一言而善。叔向將飲酒。聞之曰。必鬷明也。下執其手。以上曰。必鬷明也。 下執其手. 以上。 曰. 昔賈大夫惡. 娶妻而美. 三年不言不笑. 御以如。」(叔向鄭に適(ゅ)く。鬷蔑【そうべつ】醜悪(顔がみにくい)、叔向を観んと欲す。使の器を収むる者に従ひて、往いて堂下に立つ。一言して善し。叔向将に酒を飲まんとす。之か聞いて日く、必ず鬷明なりと、下つて其の手を執つて、以て上つて日く、云云、遂に故知の如し」とある。鬷蔑の字は然明。故に鬷明ともいう。鄭の大夫。

31.  齊桓舉以相國 斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相けるを宰相となした。斉の宰相甯戚(ネイセキ)は、衛の人。斉桓公に用いられようと思い、斉に赴き、牛飼をして牛に飯を食わせる歌を歌った。桓公はこれを聞いて、 甯戚を見出して登用した。

32. 叔向 晋の 羊舌肸(ようぜつ きつ、生没年不詳)のことである。中国春秋時代の晋の政治家。姓は姫、氏は羊舌、諱は肸、字は叔向。羊舌職の子。同母兄に羊舌赤(伯華)、同母弟に羊舌鮒(叔魚)、異母弟に羊舌虎(叔羆)。平公の傅をつとめ、該博をもって知られた賢人。大夫羊舌肸【きつ】、一名羊肸、字は叔向、博学多聞、能く礼講を以て国を治めた。

32. 言之難為 言説のなし難いこと。物を言うのが困難。

33. 巨、大である。

34. 屈 志を伸ばし得ずに、まげている。

35 自江而西 長江の南岸地方の西を江西という。長江下流地域を江東というのに対して言う。

36. 既化而行矣  その徳によって感化されてその政道が実行されている。

37. 内職 政府の内の官職、地方官を外職というのに対語。

38. 朝廷大臣 兵部侍郎。兵馬を司る兵部省の次官。大臣とは重役という意味。

 

五箴(並序)--韓愈(國學治要五-古文治要卷一)

【原文】

人患不知其過,既知之,不能改,是無勇也。余生三十有八年,髮之短者日益白,齒之搖者日益,聰明不及於前時,道德日負於初心,其不至於君子而卒為小人也昭昭矣!作《五箴》以訟[1]其惡云。

 

游箴

余少之時,將求多能,蚤[2]夜以孜孜。余今之時,既飽而嬉,蚤夜以無為。嗚呼余乎,其無知乎?君子之棄,而小人之歸乎?

 

言箴

不知言之人,烏[3]可與言?知言之人,默焉而其意已傳。幕中之辯,人反以汝為叛[4]。臺中之評,人反以汝為傾[5]。汝不懲邪,而呶(ㄋㄠˊ)[6]以害其生邪!

 

行箴

行與義乖,言與法違。後雖無害,汝可以悔。行也無邪,言也無頗。死而不死,汝悔而何。宜悔而休,汝惡曷瘳(ㄔㄡ)[7]。宜休而悔,汝善安在。悔不可追,悔不可為。思而斯得,汝則勿思。

 

好惡箴

無善而好,不觀其道。無悖而惡,不詳其故。前之所好,今見其尤。從也為比[8],捨也為讎(ㄔㄡˊ,通仇)。前之所惡,今見其臧(ㄗㄤ)[9]。從也為愧,捨也為狂。維讎維比,維狂維愧。於身不祥,於德不義。不義不祥,維惡之大,幾如是為,而不顛沛?齒之尚少,庸有不思。今其老矣,不慎胡為。

 

知名箴

不足者,急於人知。霈(ㄆㄟˋ)[10]焉有餘,厥聞(ㄨㄣˋ)[11]四馳。今日告汝,知名之法,勿病無聞,病其曄(ㄧㄝˋ)[12]。昔者子路,惟恐有聞。赫然千載,德譽愈尊。矜汝文章,負汝言語。乘人不能,揜(ㄧㄢˇ,通掩)以自取。汝非其父,汝非其師,不請而教,誰云不欺。欺以賈(ㄍㄨˇ古)[13]憎,揜以媒怨。汝曾不寤[14],以及於難。小人在辱,亦克知悔。及其既寧,終莫能戒。既出汝心,又銘汝前。汝如不顧,禍亦宜然。

 

【注釋】

[1]訟:責備。

[2]蚤:通「早」,表時間。

[3]烏:哪裡,怎麼;與「安、焉、何」同義。

[4]叛:違背。

[5]傾:傾軋、排擠。韓愈在《論天旱人飢狀》中提出「伏請特敕京兆府」停徵賦,而京兆尹李實是德宗的幸臣,他不止一次對德宗「今年雖旱,而穀甚好」,德宗因而認為韓愈是有意傾軋、排擠李實。

[6]呶呶:謂多言也。

[7]瘳:損失、減少。

[8]比:親密。

[9]臧:善。

[10]霈:比恩澤。

[11]聞:名聲。

[12]曄曄:盛大的樣子。

[13]賈:招引、招惹。

[14]寤:通「悟」,醒悟。

 

【註】韓愈《五箴》不能視為嚴肅的教,而是抒發他對黑暗現實的牢騷和不滿,表達他對自己懷才不遇,屢遭排擠打擊的坎坷身世的深沉感嘆。

 

【作者】韓愈(768年-824年)[1],字退之,出生於河南河陽(今河南孟縣),祖籍郡望昌黎郡(今遼寧省義縣),自稱昌黎韓愈,世稱韓昌黎。卒諡文,世稱韓文公。唐代文學家,與柳宗元是當時古文運動的倡導者,合稱「韓柳」。蘇軾稱讚他「文起八代之衰,道濟天下之溺,忠犯人主之怒,勇奪三軍之帥」。散文,詩,均有名。著作有 《昌黎先生集》。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #6§4-1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1634> Ⅱ#6§4-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7150

韓愈  上兵部李侍郎書§4-1

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,尚賢而與能,哀窮而悼屈,自江而西,既化而行矣。

今者入守職,為朝廷大臣
伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

韓愈125 巻三03 上兵部李侍郎書》 #6§4-1 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1634 Ⅱ#6§4-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7150



 
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韓愈詩-韓愈125

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家のを究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

-2

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

3

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。
悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!

§4-1

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

自江而西,既化而行矣。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

今者入守職,為朝廷大臣,

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

出言舉事,宜必施設。

既有聽之之明,又有振之之力,

寧戚之歌,鬷明之言,

不發於左右,則後而失其時矣。

伏して以【おも】うに閣下 仁して外義【そとぎ】,行ない高くして德 巨【おおい】なり,

賢を尚【たっと】んで能を與え,窮を哀んで屈を悼む,

江よりして西,既に化して行わる。

今は入りて職を守り,朝廷の大臣と為る,

-2

天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,

言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。

既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,

寧戚【ねいせき】の歌,鬷明【そうめい】の言,

左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。

 

§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

南行詩一卷,舒憂悲,

雜以瑰怪之言,時俗之好,

所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。

 

 

『上兵部李侍郎書』現代語訳と訳註解説
(
本文)

§4-1

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

自江而西,既化而行矣。

今者入守職,為朝廷大臣

(下し文)
§4-1

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

自江而西,既化而行矣。

今者入守職,為朝廷大臣

(現代語訳)
§4-1

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。


(訳注)

§4-1

兵部李侍郎書

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

1.兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

33. 巨、大である。

 

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

34. 屈 志を伸ばし得ずに、まげている。

 

自江而西,既化而行矣。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

35 自江而西 長江の南岸地方の西を江西という。長江下流地域を江東というのに対して言う。

36. 既化而行矣  その徳によって感化されてその政道が実行されている。

 

今者入守職,為朝廷大臣,

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

37. 内職 政府の内の官職、地方官を外職というのに対語。

38. 朝廷大臣 兵部侍郎。兵馬を司る兵部省の次官。大臣とは重役という意味。

 

 

韓愈 兵部李侍郎に上る書 《上兵部李侍郎書》【字解】

 

1 兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

2. 江陵府 湖北省の省都。

3. 法曹参軍 司法を掌る属官。

4. 鄙鈍 見識が低くのろまである。

5. 都 すべて。

6. 覓官 役職を求める。

7. 薄命 運命が薄い、運がわるい。

8. 讒謗 ありもせぬ罪を言い立てて悪口をいう.

9. 困厄 苦しみこまる。厄は災厄に遇う。

10. 究窮 きわめる。研究する。

11. 史記 『史記』は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計5265百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。

12. 百家 諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派。

13. 沈潛 ① 水底深く沈みかくれること。② 物事に深く没頭すること。

14. 礱磨 すりみがく。石臼と挽き目。動詞としですりみ がく意。

15. 事業 学問上の仕事。学業。

16 唐虞 堯舜、唐は堯の領国の名、虞は舜の天下をたもつときの号。古代の伝説上の帝王,尭と舜。徳をもって天下を治めた理想的な三皇五帝とされる帝王の日二人である。

17. 編簡 文書、書籍。

18. 河海 河は黄河、海は黄河の水が注ぎこむ東海。

19. 山嶽 五嶽の内の嵩山を言う。

20. 幽 ほの暗く明らかでない。幽玄な。隠遁的な静けさをいう。

21. 繊 細くこまかい。

22. 珠璣 珠は真珠のような小粒な玉。璣は円くない玉、小玉。

23. 華実 草木の 花や実。

24 奇辭奧旨 変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

25 靡 無と同じ。

26 初心 初志。学問に対する志。

27 發禿/髪禿 髪が抜けてはげる。

28 歯落 歯が脱けてうつろになる。《落齒》「去年落一牙,今年落一齒。俄然落六七,落勢殊未已。」(昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。)

70-#1(改訂版Ver.2.1) 《巻04-17 落歯 #1》 (去年落一牙)【4分割】 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1415 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6059

29. 牛角之歌 斉の桓公が、夜外出して、雷戚が牛に餌をやりながら、牛の角を叩いて「南山矸,白石爛,生不逢堯與舜禪。 短布單衣適至骭,從昏飯牛薄夜半,長夜漫漫何時旦?」(南山矸【かん】(けわしい)たり、白石爛たり。生まれて堯と舜の禪(ゆずり)に遭はず、短布単衣、適【わず】かに骭【かん】(すねの骨)に至る。昏より牛を飯【か】いて、夜半に薄【いた】る。長夜 漫漫、何れの時にか旦【ぁ】けん)と歌っていた。桓公は車に載せて帰って大夫としたという。これを「飯牛の歌」ともいう。

30. 堂下之言 『左伝』昭公二十八年に「《春秋左傳》〈昭公傳二十八年〉昔叔向適鄭。鬷蔑惡欲觀叔向。從使之收器者。而往立於堂下。一言而善。叔向將飲酒。聞之曰。必鬷明也。下執其手。以上曰。必鬷明也。 下執其手. 以上。 曰. 昔賈大夫惡. 娶妻而美. 三年不言不笑. 御以如。」(叔向鄭に適(ゅ)く。鬷蔑【そうべつ】醜悪(顔がみにくい)、叔向を観んと欲す。使の器を収むる者に従ひて、往いて堂下に立つ。一言して善し。叔向将に酒を飲まんとす。之か聞いて日く、必ず鬷明なりと、下つて其の手を執つて、以て上つて日く、云云、遂に故知の如し」とある。鬷蔑の字は然明。故に鬷明ともいう。鄭の大夫。

31.  齊桓舉以相國 斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相けるを宰相となした。斉の宰相甯戚(ネイセキ)は、衛の人。斉桓公に用いられようと思い、斉に赴き、牛飼をして牛に飯を食わせる歌を歌った。桓公はこれを聞いて、 甯戚を見出して登用した。

32. 叔向 晋の 羊舌肸(ようぜつ きつ、生没年不詳)のことである。中国春秋時代の晋の政治家。姓は姫、氏は羊舌、諱は肸、字は叔向。羊舌職の子。同母兄に羊舌赤(伯華)、同母弟に羊舌鮒(叔魚)、異母弟に羊舌虎(叔羆)。平公の傅をつとめ、該博をもって知られた賢人。大夫羊舌肸【きつ】、一名羊肸、字は叔向、博学多聞、能く礼講を以て国を治めた。

32. 言之難為 言説のなし難いこと。物を言うのが困難。

33. 巨、大である。

34. 屈 志を伸ばし得ずに、まげている。

35 自江而西 長江の南岸地方の西を江西という。長江下流地域を江東というのに対して言う。

36. 既化而行矣  その徳によって感化されてその政道が実行されている。

37. 内職 政府の内の官職、地方官を外職というのに対語。

38. 朝廷大臣 兵部侍郎。兵馬を司る兵部省の次官。大臣とは重役という意味。

 

五箴(並序)--韓愈(國學治要五-古文治要卷一)

【原文】

人患不知其過,既知之,不能改,是無勇也。余生三十有八年,髮之短者日益白,齒之搖者日益,聰明不及於前時,道德日負於初心,其不至於君子而卒為小人也昭昭矣!作《五箴》以訟[1]其惡云。

 

游箴

余少之時,將求多能,蚤[2]夜以孜孜。余今之時,既飽而嬉,蚤夜以無為。嗚呼余乎,其無知乎?君子之棄,而小人之歸乎?

 

言箴

不知言之人,烏[3]可與言?知言之人,默焉而其意已傳。幕中之辯,人反以汝為叛[4]。臺中之評,人反以汝為傾[5]。汝不懲邪,而呶(ㄋㄠˊ)[6]以害其生邪!

 

行箴

行與義乖,言與法違。後雖無害,汝可以悔。行也無邪,言也無頗。死而不死,汝悔而何。宜悔而休,汝惡曷瘳(ㄔㄡ)[7]。宜休而悔,汝善安在。悔不可追,悔不可為。思而斯得,汝則勿思。

 

好惡箴

無善而好,不觀其道。無悖而惡,不詳其故。前之所好,今見其尤。從也為比[8],捨也為讎(ㄔㄡˊ,通仇)。前之所惡,今見其臧(ㄗㄤ)[9]。從也為愧,捨也為狂。維讎維比,維狂維愧。於身不祥,於德不義。不義不祥,維惡之大,幾如是為,而不顛沛?齒之尚少,庸有不思。今其老矣,不慎胡為。

 

知名箴

不足者,急於人知。霈(ㄆㄟˋ)[10]焉有餘,厥聞(ㄨㄣˋ)[11]四馳。今日告汝,知名之法,勿病無聞,病其曄(ㄧㄝˋ)[12]。昔者子路,惟恐有聞。赫然千載,德譽愈尊。矜汝文章,負汝言語。乘人不能,揜(ㄧㄢˇ,通掩)以自取。汝非其父,汝非其師,不請而教,誰云不欺。欺以賈(ㄍㄨˇ古)[13]憎,揜以媒怨。汝曾不寤[14],以及於難。小人在辱,亦克知悔。及其既寧,終莫能戒。既出汝心,又銘汝前。汝如不顧,禍亦宜然。

 

【注釋】

[1]訟:責備。

[2]蚤:通「早」,表時間。

[3]烏:哪裡,怎麼;與「安、焉、何」同義。

[4]叛:違背。

[5]傾:傾軋、排擠。韓愈在《論天旱人飢狀》中提出「伏請特敕京兆府」停徵賦,而京兆尹李實是德宗的幸臣,他不止一次對德宗「今年雖旱,而穀甚好」,德宗因而認為韓愈是有意傾軋、排擠李實。

[6]呶呶:謂多言也。

[7]瘳:損失、減少。

[8]比:親密。

[9]臧:善。

[10]霈:比恩澤。

[11]聞:名聲。

[12]曄曄:盛大的樣子。

[13]賈:招引、招惹。

[14]寤:通「悟」,醒悟。

 

【註】韓愈《五箴》不能視為嚴肅的教,而是抒發他對黑暗現實的牢騷和不滿,表達他對自己懷才不遇,屢遭排擠打擊的坎坷身世的深沉感嘆。

 

【作者】韓愈(768年-824年)[1],字退之,出生於河南河陽(今河南孟縣),祖籍郡望昌黎郡(今遼寧省義縣),自稱昌黎韓愈,世稱韓昌黎。卒諡文,世稱韓文公。唐代文學家,與柳宗元是當時古文運動的倡導者,合稱「韓柳」。蘇軾稱讚他「文起八代之衰,道濟天下之溺,忠犯人主之怒,勇奪三軍之帥」。散文,詩,均有名。著作有 《昌黎先生集》。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #5§3  韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1633> Ⅱ#5§3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7149

韓愈  上兵部李侍郎書 §3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;堂下之言,不書於傳記。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,然則非言之難為,聽而識之者難遇也!
一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

韓愈125 巻三03 上兵部李侍郎書》 #5§3  韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1633 Ⅱ#5§3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7149

 

 
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韓愈詩-韓愈125

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家のを究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

-2

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

3

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。
悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!

§4-1

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

自江而西,既化而行矣。

今者入守職,為朝廷大臣,

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

出言舉事,宜必施設。

既有聽之之明,又有振之之力,

寧戚之歌,鬷明之言,

不發於左右,則後而失其時矣。

§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

南行詩一卷,舒憂悲,

雜以瑰怪之言,時俗之好,

所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。

 

 

『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

堂下之言,不書於傳記。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

(下し文)
§3

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!


(現代語訳)
§3

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 


(訳注) §3

兵部李侍郎書§3

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

1兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

29. 牛角之歌 斉の桓公が、夜外出して、雷戚が牛に餌をやりながら、牛の角を叩いて「南山矸,白石爛,生不逢堯與舜禪。 短布單衣適至骭,從昏飯牛薄夜半,長夜漫漫何時旦?」(南山矸【かん】(けわしい)たり、白石爛たり。生まれて堯と舜の禪(ゆずり)に遭はず、短布単衣、適【わず】かに骭【かん】(すねの骨)に至る。昏より牛を飯【か】いて、夜半に薄【いた】る。長夜 漫漫、何れの時にか旦【ぁ】けん)と歌っていた。桓公は車に載せて帰って大夫としたという。これを「飯牛の歌」ともいう。

 

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

30. 堂下之言 『左伝』昭公二十八年に「《春秋左傳》〈昭公傳二十八年〉昔叔向適鄭。鬷蔑惡欲觀叔向。從使之收器者。而往立於堂下。一言而善。叔向將飲酒。聞之曰。必鬷明也。下執其手。以上曰。必鬷明也。 下執其手. 以上。 曰. 昔賈大夫惡. 娶妻而美. 三年不言不笑. 御以如。」(叔向鄭に適(ゅ)く。鬷蔑【そうべつ】醜悪(顔がみにくい)、叔向を観んと欲す。使の器を収むる者に従ひて、往いて堂下に立つ。一言して善し。叔向将に酒を飲まんとす。之か聞いて日く、必ず鬷明なりと、下つて其の手を執つて、以て上つて日く、云云、遂に故知の如し」とある。鬷蔑の字は然明。故に鬷明ともいう。鄭の大夫。

 

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

31.  齊桓舉以相國 斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相けるを宰相となした。斉の宰相甯戚(ネイセキ)は、衛の人。斉桓公に用いられようと思い、斉に赴き、牛飼をして牛に飯を食わせる歌を歌った。桓公はこれを聞いて、 甯戚を見出して登用した。

32. 叔向 晋の 羊舌肸(ようぜつ きつ、生没年不詳)のことである。中国春秋時代の晋の政治家。姓は姫、氏は羊舌、諱は肸、字は叔向。羊舌職の子。同母兄に羊舌赤(伯華)、同母弟に羊舌鮒(叔魚)、異母弟に羊舌虎(叔羆)。平公の傅をつとめ、該博をもって知られた賢人。大夫羊舌肸【きつ】、一名羊肸、字は叔向、博学多聞、能く礼講を以て国を治めた。

 

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

32. 言之難為 言説のなし難いこと。物を言うのが困難。

 

 

 

韓愈 兵部李侍郎に上る書 《上兵部李侍郎書》【字解】

 

1 兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

2. 江陵府 湖北省の省都。

3. 法曹参軍 司法を掌る属官。

4. 鄙鈍 見識が低くのろまである。

5. 都 すべて。

6. 覓官 役職を求める。

7. 薄命 運命が薄い、運がわるい。

8. 讒謗 ありもせぬ罪を言い立てて悪口をいう.

9. 困厄 苦しみこまる。厄は災厄に遇う。

10. 究窮 きわめる。研究する。

11. 史記 『史記』は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計5265百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。

12. 百家 諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派。

13. 沈潛 ① 水底深く沈みかくれること。② 物事に深く没頭すること。

14. 礱磨 すりみがく。石臼と挽き目。動詞としですりみ がく意。

15. 事業 学問上の仕事。学業。

16 唐虞 堯舜、唐は堯の領国の名、虞は舜の天下をたもつときの号。古代の伝説上の帝王,尭と舜。徳をもって天下を治めた理想的な三皇五帝とされる帝王の日二人である。

17. 編簡 文書、書籍。

18. 河海 河は黄河、海は黄河の水が注ぎこむ東海。

19. 山嶽 五嶽の内の嵩山を言う。

20. 幽 ほの暗く明らかでない。幽玄な。隠遁的な静けさをいう。

21. 繊 細くこまかい。

22. 珠璣 珠は真珠のような小粒な玉。璣は円くない玉、小玉。

23. 華実 草木の 花や実。

24 奇辭奧旨 変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

25 靡 無と同じ。

26 初心 初志。学問に対する志。

27 發禿/髪禿 髪が抜けてはげる。

28 歯落 歯が脱けてうつろになる。《落齒》「去年落一牙,今年落一齒。俄然落六七,落勢殊未已。」(昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。)

70-#1(改訂版Ver.2.1) 《巻04-17 落歯 #1》 (去年落一牙)【4分割】 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1415 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6059

29. 牛角之歌 斉の桓公が、夜外出して、雷戚が牛に餌をやりながら、牛の角を叩いて「南山矸,白石爛,生不逢堯與舜禪。 短布單衣適至骭,從昏飯牛薄夜半,長夜漫漫何時旦?」(南山矸【かん】(けわしい)たり、白石爛たり。生まれて堯と舜の禪(ゆずり)に遭はず、短布単衣、適【わず】かに骭【かん】(すねの骨)に至る。昏より牛を飯【か】いて、夜半に薄【いた】る。長夜 漫漫、何れの時にか旦【ぁ】けん)と歌っていた。桓公は車に載せて帰って大夫としたという。これを「飯牛の歌」ともいう。

30. 堂下之言 『左伝』昭公二十八年に「《春秋左傳》〈昭公傳二十八年〉昔叔向適鄭。鬷蔑惡欲觀叔向。從使之收器者。而往立於堂下。一言而善。叔向將飲酒。聞之曰。必鬷明也。下執其手。以上曰。必鬷明也。 下執其手. 以上。 曰. 昔賈大夫惡. 娶妻而美. 三年不言不笑. 御以如。」(叔向鄭に適(ゅ)く。鬷蔑【そうべつ】醜悪(顔がみにくい)、叔向を観んと欲す。使の器を収むる者に従ひて、往いて堂下に立つ。一言して善し。叔向将に酒を飲まんとす。之か聞いて日く、必ず鬷明なりと、下つて其の手を執つて、以て上つて日く、云云、遂に故知の如し」とある。鬷蔑の字は然明。故に鬷明ともいう。鄭の大夫。

31.  齊桓舉以相國 斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相けるを宰相となした。斉の宰相甯戚(ネイセキ)は、衛の人。斉桓公に用いられようと思い、斉に赴き、牛飼をして牛に飯を食わせる歌を歌った。桓公はこれを聞いて、 甯戚を見出して登用した。

32. 叔向 晋の 羊舌肸(ようぜつ きつ、生没年不詳)のことである。中国春秋時代の晋の政治家。姓は姫、氏は羊舌、諱は肸、字は叔向。羊舌職の子。同母兄に羊舌赤(伯華)、同母弟に羊舌鮒(叔魚)、異母弟に羊舌虎(叔羆)。平公の傅をつとめ、該博をもって知られた賢人。大夫羊舌肸【きつ】、一名羊肸、字は叔向、博学多聞、能く礼講を以て国を治めた。

32. 言之難為 言説のなし難いこと。物を言うのが困難。

 

 

五箴(並序)--韓愈(國學治要五-古文治要卷一)

【原文】

人患不知其過,既知之,不能改,是無勇也。余生三十有八年,髮之短者日益白,齒之搖者日益,聰明不及於前時,道德日負於初心,其不至於君子而卒為小人也昭昭矣!作《五箴》以訟[1]其惡云。

 

游箴

余少之時,將求多能,蚤[2]夜以孜孜。余今之時,既飽而嬉,蚤夜以無為。嗚呼余乎,其無知乎?君子之棄,而小人之歸乎?

 

言箴

不知言之人,烏[3]可與言?知言之人,默焉而其意已傳。幕中之辯,人反以汝為叛[4]。臺中之評,人反以汝為傾[5]。汝不懲邪,而呶(ㄋㄠˊ)[6]以害其生邪!

 

行箴

行與義乖,言與法違。後雖無害,汝可以悔。行也無邪,言也無頗。死而不死,汝悔而何。宜悔而休,汝惡曷瘳(ㄔㄡ)[7]。宜休而悔,汝善安在。悔不可追,悔不可為。思而斯得,汝則勿思。

 

好惡箴

無善而好,不觀其道。無悖而惡,不詳其故。前之所好,今見其尤。從也為比[8],捨也為讎(ㄔㄡˊ,通仇)。前之所惡,今見其臧(ㄗㄤ)[9]。從也為愧,捨也為狂。維讎維比,維狂維愧。於身不祥,於德不義。不義不祥,維惡之大,幾如是為,而不顛沛?齒之尚少,庸有不思。今其老矣,不慎胡為。

 

知名箴

不足者,急於人知。霈(ㄆㄟˋ)[10]焉有餘,厥聞(ㄨㄣˋ)[11]四馳。今日告汝,知名之法,勿病無聞,病其曄(ㄧㄝˋ)[12]。昔者子路,惟恐有聞。赫然千載,德譽愈尊。矜汝文章,負汝言語。乘人不能,揜(ㄧㄢˇ,通掩)以自取。汝非其父,汝非其師,不請而教,誰云不欺。欺以賈(ㄍㄨˇ古)[13]憎,揜以媒怨。汝曾不寤[14],以及於難。小人在辱,亦克知悔。及其既寧,終莫能戒。既出汝心,又銘汝前。汝如不顧,禍亦宜然。

 

【注釋】

[1]訟:責備。

[2]蚤:通「早」,表時間。

[3]烏:哪裡,怎麼;與「安、焉、何」同義。

[4]叛:違背。

[5]傾:傾軋、排擠。韓愈在《論天旱人飢狀》中提出「伏請特敕京兆府」停徵賦,而京兆尹李實是德宗的幸臣,他不止一次對德宗「今年雖旱,而穀甚好」,德宗因而認為韓愈是有意傾軋、排擠李實。

[6]呶呶:謂多言也。

[7]瘳:損失、減少。

[8]比:親密。

[9]臧:善。

[10]霈:比恩澤。

[11]聞:名聲。

[12]曄曄:盛大的樣子。

[13]賈:招引、招惹。

[14]寤:通「悟」,醒悟。

 

【註】韓愈《五箴》不能視為嚴肅的教,而是抒發他對黑暗現實的牢騷和不滿,表達他對自己懷才不遇,屢遭排擠打擊的坎坷身世的深沉感嘆。

 

【作者】韓愈(768年-824年)[1],字退之,出生於河南河陽(今河南孟縣),祖籍郡望昌黎郡(今遼寧省義縣),自稱昌黎韓愈,世稱韓昌黎。卒諡文,世稱韓文公。唐代文學家,與柳宗元是當時古文運動的倡導者,合稱「韓柳」。蘇軾稱讚他「文起八代之衰,道濟天下之溺,忠犯人主之怒,勇奪三軍之帥」。散文,詩,均有名。著作有 《昌黎先生集》。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #4§2-3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1632> Ⅱ#4§2-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7144

韓愈  上兵部李侍郎書 §2-3

奇辭奧旨,靡不通達。惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

年老而智益困,私自憐悼,悔其初心,發禿齒落,不見知己。
変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #4§2-3 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1632> Ⅱ#4§2-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7144

 

 
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韓愈詩-韓愈125

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家のを究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

-2

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

3

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。
悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

 

『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§2-3

奇辭奧旨,靡不通達。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

年老而智益困,私自憐悼,

悔其初心,發禿齒落,不見知己。

(下し文)
§2-3

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

(現代語訳)
§2-3

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。


(訳注)

兵部李侍郎書 §2-3

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

1兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

24 奇辭奧旨 変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

25 靡 無と同じ。

 

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

 4. 鄙鈍 見識が低くのろまである。

 

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。

 

悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

26 初心 初志。学問に対する志。

27 發禿/髪禿 髪が抜けてはげる。

28 歯落 歯が脱けてうつろになる。《落齒》「去年落一牙,今年落一齒。俄然落六七,落勢殊未已。」(昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。)

70-#1(改訂版Ver.2.1) 《巻04-17 落歯 #1》 (去年落一牙)【4分割】 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1415 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6059

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韓愈  上兵部李侍郎書 3§2-

凡自唐虞以來,編簡所存,大之為河海,高之為山嶽,明之為日月,幽之為鬼神,

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #3§2-2 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1631> Ⅱ#3§2-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7139


 
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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韓愈詩-韓愈125

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家のを究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

-2

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

 

 

『上兵部李侍郎書』現代語訳と訳註解説

(本文) (3)§2-

凡自唐虞以來,編簡所存,

大之為河海,高之為山嶽,

明之為日月,幽之為鬼神,

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

 

(下し文)

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

 

(現代語訳)

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

(訳注) 

兵部李侍郎書 §2-2

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

1兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

16 唐虞 堯舜、唐は堯の領国の名、虞は舜の天下をたもつときの号。古代の伝説上の帝王,尭と舜。徳をもって天下を治めた理想的な三皇五帝とされる帝王の日二人である。

17. 編簡 文書、書籍。

 

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

28. 河海 河は黄河、海は黄河の水が注ぎこむ東海。

19. 山嶽 五嶽の内の嵩山を言う。

 

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

20. 幽 ほの暗く明らかでない。幽玄な。隠遁的な静けさをいう。

 

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。

21. 繊 細くこまかい。

22. 珠璣 珠は真珠のような小粒な玉。璣は円くない玉、小玉。

23. 華実 草木の 花や実。

 

 

 

 

韓愈 兵部李侍郎に上る書 《上兵部李侍郎書》【字解】

 

1 兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

2. 江陵府 湖北省の省都。

3. 法曹参軍 司法を掌る属官。

4. 鄙鈍 見識が低くのろまである。

5. 都 すべて。

6. 覓官 役職を求める。

7. 薄命 運命が薄い、運がわるい。

8. 讒謗 ありもせぬ罪を言い立てて悪口をいう.

9. 困厄 苦しみこまる。厄は災厄に遇う。

10. 究窮 きわめる。研究する。

11. 史記 『史記』は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計5265百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。

12. 百家 諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派。

13. 沈潛 ① 水底深く沈みかくれること。② 物事に深く没頭すること。

14. 礱磨 すりみがく。石臼と挽き目。動詞としですりみ がく意。

15. 事業 学問上の仕事。学業。

16 唐虞 堯舜、唐は堯の領国の名、虞は舜の天下をたもつときの号。古代の伝説上の帝王,尭と舜。徳をもって天下を治めた理想的な三皇五帝とされる帝王の日二人である。

17. 編簡 文書、書籍。

18. 河海 河は黄河、海は黄河の水が注ぎこむ東海。

19. 山嶽 五嶽の内の嵩山を言う。

20. 幽 ほの暗く明らかでない。幽玄な。隠遁的な静けさをいう。

21. 繊 細くこまかい。

22. 珠璣 珠は真珠のような小粒な玉。璣は円くない玉、小玉。

23. 華実 草木の 花や実。

 

 

五箴(並序)--韓愈(國學治要五-古文治要卷一)

【原文】

人患不知其過,既知之,不能改,是無勇也。余生三十有八年,髮之短者日益白,齒之搖者日益,聰明不及於前時,道德日負於初心,其不至於君子而卒為小人也昭昭矣!作《五箴》以訟[1]其惡云。

 

游箴

余少之時,將求多能,蚤[2]夜以孜孜。余今之時,既飽而嬉,蚤夜以無為。嗚呼余乎,其無知乎?君子之棄,而小人之歸乎?

 

言箴

不知言之人,烏[3]可與言?知言之人,默焉而其意已傳。幕中之辯,人反以汝為叛[4]。臺中之評,人反以汝為傾[5]。汝不懲邪,而呶(ㄋㄠˊ)[6]以害其生邪!

 

行箴

行與義乖,言與法違。後雖無害,汝可以悔。行也無邪,言也無頗。死而不死,汝悔而何。宜悔而休,汝惡曷瘳(ㄔㄡ)[7]。宜休而悔,汝善安在。悔不可追,悔不可為。思而斯得,汝則勿思。

 

好惡箴

無善而好,不觀其道。無悖而惡,不詳其故。前之所好,今見其尤。從也為比[8],捨也為讎(ㄔㄡˊ,通仇)。前之所惡,今見其臧(ㄗㄤ)[9]。從也為愧,捨也為狂。維讎維比,維狂維愧。於身不祥,於德不義。不義不祥,維惡之大,幾如是為,而不顛沛?齒之尚少,庸有不思。今其老矣,不慎胡為。

 

知名箴

不足者,急於人知。霈(ㄆㄟˋ)[10]焉有餘,厥聞(ㄨㄣˋ)[11]四馳。今日告汝,知名之法,勿病無聞,病其曄(ㄧㄝˋ)[12]。昔者子路,惟恐有聞。赫然千載,德譽愈尊。矜汝文章,負汝言語。乘人不能,揜(ㄧㄢˇ,通掩)以自取。汝非其父,汝非其師,不請而教,誰云不欺。欺以賈(ㄍㄨˇ古)[13]憎,揜以媒怨。汝曾不寤[14],以及於難。小人在辱,亦克知悔。及其既寧,終莫能戒。既出汝心,又銘汝前。汝如不顧,禍亦宜然。

 

【注釋】

[1]訟:責備。

[2]蚤:通「早」,表時間。

[3]烏:哪裡,怎麼;與「安、焉、何」同義。

[4]叛:違背。

[5]傾:傾軋、排擠。韓愈在《論天旱人飢狀》中提出「伏請特敕京兆府」停徵賦,而京兆尹李實是德宗的幸臣,他不止一次對德宗「今年雖旱,而穀甚好」,德宗因而認為韓愈是有意傾軋、排擠李實。

[6]呶呶:謂多言也。

[7]瘳:損失、減少。

[8]比:親密。

[9]臧:善。

[10]霈:比恩澤。

[11]聞:名聲。

[12]曄曄:盛大的樣子。

[13]賈:招引、招惹。

[14]寤:通「悟」,醒悟。

 

【註】韓愈《五箴》不能視為嚴肅的教,而是抒發他對黑暗現實的牢騷和不滿,表達他對自己懷才不遇,屢遭排擠打擊的坎坷身世的深沉感嘆。

 

【作者】韓愈(768年-824年)[1],字退之,出生於河南河陽(今河南孟縣),祖籍郡望昌黎郡(今遼寧省義縣),自稱昌黎韓愈,世稱韓昌黎。卒諡文,世稱韓文公。唐代文學家,與柳宗元是當時古文運動的倡導者,合稱「韓柳」。蘇軾稱讚他「文起八代之衰,道濟天下之溺,忠犯人主之怒,勇奪三軍之帥」。散文,詩,均有名。著作有 《昌黎先生集》。

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韓愈  上兵部李侍郎書§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,無所告語,遂得究窮於經傳、史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,礱磨乎事業,而奮發乎文章。

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #2§2-1 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1630> Ⅱ#2§2-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7134


 
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