漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

七言古詩

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

桃源圖 韓愈(韓退之) <145-#4>Ⅱ中唐詩722 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2594

韓愈(韓退之) 《桃源圖》 その話を聞き終わったがだれも言葉も出ないままに、 みんなしんみりとしたままだ。そして、ひとりごとをつぶやいた。もう「六百年もたっていたのか」と。


2013年6月28日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《薤露歌》 無名氏挽歌 漢魏詩<90>古詩源 巻五 809 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2593
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩桃源圖 韓愈(韓退之) <145-#4>Ⅱ中唐詩722 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2594
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集冬到金華山觀,因得故拾遺陳公 楽府(五言古詩) 成都 杜甫 <490-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2595 杜甫詩1000-490-#2-713/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性送盧員外 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-210-76-#70  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2597
 
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


桃源圖 韓愈(韓退之) <145-#4>Ⅱ中唐詩722 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2594


桃源圖
(桃源郷の図について)
神仙有無何渺茫,桃源之說誠荒唐。
神仙の郷が有るのか無いのか、このことはじつに漠然としたことではなかろうか。それも桃源郷の説を詩文書画などあらわされているが、荒唐無稽なことだ。
流水盤迴山百轉,生綃數幅垂中堂。
流れる川水は、盤のように廻り、山は百転し、うねりつづく‥…・。そんな図柄の絵が数幅、この奥座敷にかけられている。
武陵太守好事者,題封遠寄南宮下。
武陵の太守が風流好きということで、この箱書きなんぞをはるばる礼部に頼んで来たということなのだ
#2
南宮先生忻得之,波濤入筆驅文辭。
南宮礼部の先生はこの図を手にして、大よろこびである。波濤逆巻くほどの文章を筆に入魂して書き上げる。
文工畫妙各臻極,異境恍惚移於斯。
文はとても巧みで、画派というと巧妙なのであり、それらが相互に申し分ものとなっている。そこには、ふしぎな世界がひろがり、恍惚にうっとりとして、この画の中にはいりこんでいくようである。
架巖鑿谷開宮室,接屋連牆千萬日。
大岩に橋かけ、谷を穿ちひらいて、その奥に御殿を建てている。家は接近してならべられ、囲う垣根はつらねて守ること一千万日過ぎたという。
嬴顛劉蹶了不聞,地坼天分非所恤。
秦の始皇帝の瀛氏と漢を再興させるはずの劉家などが滅亡したことを聞くことはなかったという。そこでは天がさけ、地がくだけても、いっさいかかわりもたなかったという。
#3
種桃處處惟開花,川原近遠蒸紅霞。
桃の木をいっぱいに植えており、あちらにもこちらにも、ただ花は咲きほこる。河原、高原、近くから遠くまで、真紅にかすんでいる。
初來猶自念鄉邑,歲久此地還成家。
はじめ来たころはやっぱり故郷が恋しかったのだが、ながらく住むうちここも我が家という気になった。
漁舟之子來何所,物色相猜更問語。
舟の上の漁師の方はいったい何処からここへこられたのでしょう。互いに観察して、猜疑心の顔つきをした後互いに問答をしている。
大蛇中斷喪前王,群馬南渡開新主。
「大蛇が斬られたために前の王様はほろびました」といい。「馬のむれは南に渡ってしまい、新しいお領主ができたのです。」と話した。
#4
聽終辭絕共悽然,自說經今六百年。
その話を聞き終わったがだれも言葉も出ないままに、 みんなしんみりとしたままだ。そして、ひとりごとをつぶやいた。もう「六百年もたっていたのか」と。
當時萬事皆眼見,不知幾許猶流傳。
その当時のすべての事についてこの画の中、みな目の前にあるみたいだがよくわからない。
爭持酒食來相饋,禮數不同樽俎異。
それからみんな争うように酒とさかな持って来てすすめてくれるが、膳立てもちがっているし、諸事しきたりも 同じではない。
月明伴宿玉堂空,骨冷魂清無夢寐。
月が明るく照らされた道を同伴して宿った家は人気はまったくなく、骨はひんやりとしていて、魂はさえきって、夢うつつともいかないのである。
#5
夜半金雞啁哳鳴,火輪飛出客心驚。
人間有累不可住,依然離別難為情。
船開櫂進一迴顧,萬里蒼蒼煙水暮。
世俗寧知偽與真,至今傳者武陵人。

桃源の圖
神仙の有無 何ぞ渺茫【びゅうぼう】,桃源の說 誠に荒唐。
流水 盤迴 山 百轉,生綃 數幅 中堂に垂る。
武陵の太守は 好事の者,題封 遠く寄す南宮の下。
 
#2
南宮先生 之を得たるを忻び,波濤 筆に入って文辭を驅る。
文は工【たくみ】に畫は妙に各の極に臻【いた】る,異境 恍惚として 斯に移る。
巖に架け 谷を鑿って宮室を開き,屋を接し 牆を連ぬる 千萬日。
嬴の顛【くつがえ】り 劉の蹶【つまづ】きしこと 了に聞かず,地は坼【くじ】け天は分るるも恤【あわれ】む所に非らず。
#3
桃を種えて處處 惟だ花を開かせ,川原 近遠 紅霞蒸す。
初めて來りしとき 猶お鄉邑を念いしを,歲久しくして 此の地も還た家と成れり。
漁舟の子よ 何れの所より來りしや,物色し相い猜し更に問語す。
大蛇 中斷せられて 前王 喪び,群馬 南渡して 新主開く。
#4
聽き終って辭絕え 共に悽然,自ら說く 今に經る六百年。
當時の萬事 皆 眼に見る,知らず幾許【いくばく】か猶お流傳する。
爭うて酒食を持し來って相い饋【おく】る,禮數【れいすう】同じからず樽俎【そんそ】異れり。
月明に伴いて宿すれば玉堂空し,骨 冷かに 魂 清く 夢寐【むび】無し。


『桃源圖』 現代語訳と訳註
海棠花011(本文)
#4
聽終辭絕共悽然,自說經今六百年。
當時萬事皆眼見,不知幾許猶流傳。
爭持酒食來相饋,禮數不同樽俎異。
月明伴宿玉堂空,骨冷魂清無夢寐。


(下し文) #4
聽き終って辭絕え 共に悽然,自ら說く 今に經る六百年。
當時の萬事 皆 眼に見る,知らず幾許【いくばく】か猶お流傳する。
爭うて酒食を持し來って相い饋【おく】る,禮數【れいすう】同じからず樽俎【そんそ】異れり。
月明に伴いて宿すれば玉堂空し,骨 冷かに 魂 清く 夢寐【むび】無し。


(現代語訳)
その話を聞き終わったがだれも言葉も出ないままに、 みんなしんみりとしたままだ。そして、ひとりごとをつぶやいた。もう「六百年もたっていたのか」と。
その当時のすべての事についてこの画の中、みな目の前にあるみたいだがよくわからない。
それからみんな争うように酒とさかな持って来てすすめてくれるが、膳立てもちがっているし、諸事しきたりも 同じではない。
月が明るく照らされた道を同伴して宿った家は人気はまったくなく、骨はひんやりとしていて、魂はさえきって、夢うつつともいかないのである。


(訳注) 桃源圖#4
・桃源図 この詩は陶淵明が「桃花源の詩」とその序でえがいた理想郷が、当時のひとびとに実在のものと考えられ、それが絵に描かれたり語りつたえたりされていた。たまたま武陵の太守の某なる人がかかせた絵を見せられたとき、その絵にちなんで桃花源伝説の虚罔性を批判したものである。陶淵明の詩以後、王維が「桃源行」をつくっているが、韓愈は、この詩で陶・王の二氏を兼ねて批判したもの


聽終辭絕共悽然,自說經今六百年。
その話を聞き終わったがだれも言葉も出ないままに、 みんなしんみりとしたままだ。そして、ひとりごとをつぶやいた。もう「六百年もたっていたのか」と。
・悽然 しんみりとしたまま

當時萬事皆眼見,不知幾許猶流傳。
その当時のすべての事についてこの画の中、みな目の前にあるみたいだがよくわからない。
そのどれだけが まだ世の中に伝わってるか」


持酒食來相饋,禮數不同樽俎異。
それからみんな争うように酒とさかな持って来てすすめてくれるが、膳立てもちがっているし、諸事しきたりも 同じではない。


月明伴宿玉堂空,骨冷魂清無夢寐。
月が明るく照らされた道を同伴して宿った家は人気はまったくなく、骨はひんやりとしていて、魂はさえきって、夢うつつともいかないのである。
海棠花021

桃源圖 韓愈(韓退之) <145-#3>Ⅱ中唐詩721 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2589

韓愈(韓退之) 《桃源圖》-#3  桃の木をいっぱいに植えており、あちらにもこちらにも、ただ花は咲きほこる。河原、高原、近くから遠くまで、真紅にかすんでいる。


2013年6月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩桃源圖 韓愈(韓退之) <145-#3>Ⅱ中唐詩721 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2589
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集冬到金華山觀,因得故拾遺陳公 楽府(五言古詩) 成都6-(28) 杜甫 <490-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2590 杜甫詩1000-490-#1-712/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性鄉思 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-209-75-#69  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2592
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

桃源圖 韓愈(韓退之) <145-#3>Ⅱ中唐詩721 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2589


桃源圖
(桃源郷の図について)
神仙有無何渺茫,桃源之說誠荒唐。
神仙の郷が有るのか無いのか、このことはじつに漠然としたことではなかろうか。それも桃源郷の説を詩文書画などあらわされているが、荒唐無稽なことだ。
流水盤迴山百轉,生綃數幅垂中堂。
流れる川水は、盤のように廻り、山は百転し、うねりつづく‥…・。そんな図柄の絵が数幅、この奥座敷にかけられている。
武陵太守好事者,題封遠寄南宮下。
武陵の太守が風流好きということで、この箱書きなんぞをはるばる礼部に頼んで来たということなのだ
#2
南宮先生忻得之,波濤入筆驅文辭。
南宮礼部の先生はこの図を手にして、大よろこびである。波濤逆巻くほどの文章を筆に入魂して書き上げる。
文工畫妙各臻極,異境恍惚移於斯。
文はとても巧みで、画派というと巧妙なのであり、それらが相互に申し分ものとなっている。そこには、ふしぎな世界がひろがり、恍惚にうっとりとして、この画の中にはいりこんでいくようである。
架巖鑿谷開宮室,接屋連牆千萬日。
大岩に橋かけ、谷を穿ちひらいて、その奥に御殿を建てている。家は接近してならべられ、囲う垣根はつらねて守ること一千万日過ぎたという。
嬴顛劉蹶了不聞,地坼天分非所恤。
秦の始皇帝の瀛氏と漢を再興させるはずの劉家などが滅亡したことを聞くことはなかったという。そこでは天がさけ、地がくだけても、いっさいかかわりもたなかったという。
#3
種桃處處惟開花,川原近遠蒸紅霞。
桃の木をいっぱいに植えており、あちらにもこちらにも、ただ花は咲きほこる。河原、高原、近くから遠くまで、真紅にかすんでいる。
初來猶自念鄉邑,歲久此地還成家。
はじめ来たころはやっぱり故郷が恋しかったのだが、ながらく住むうちここも我が家という気になった。
漁舟之子來何所,物色相猜更問語。
舟の上の漁師の方はいったい何処からここへこられたのでしょう。互いに観察して、猜疑心の顔つきをした後互いに問答をしている。
大蛇中斷喪前王,群馬南渡開新主。
「大蛇が斬られたために前の王様はほろびました」といい。「馬のむれは南に渡ってしまい、新しいお領主ができたのです。」と話した。
#4
聽終辭絕共悽然,自說經今六百年。
當時萬事皆眼見,不知幾許猶流傳。
爭持酒食來相饋,禮數不同樽俎異。
月明伴宿玉堂空,骨冷魂清無夢寐。
#5
夜半金雞啁哳鳴,火輪飛出客心驚。
人間有累不可住,依然離別難為情。
船開櫂進一迴顧,萬里蒼蒼煙水暮。
世俗寧知偽與真,至今傳者武陵人。

桃源の圖
神仙の有無 何ぞ渺茫【びゅうぼう】,桃源の說 誠に荒唐。
流水 盤迴 山 百轉,生綃 數幅 中堂に垂る。
武陵の太守は 好事の者,題封 遠く寄す南宮の下。
 
#2
南宮先生 之を得たるを忻び,波濤 筆に入って文辭を驅る。
文は工【たくみ】に畫は妙に各の極に臻【いた】る,異境 恍惚として 斯に移る。
巖に架け 谷を鑿って宮室を開き,屋を接し 牆を連ぬる 千萬日。
嬴の顛【くつがえ】り 劉の蹶【つまづ】きしこと 了に聞かず,地は坼【くじ】け天は分るるも恤【あわれ】む所に非らず。
海棠花04


















『桃源圖』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
種桃處處惟開花,川原近遠蒸紅霞。
初來猶自念鄉邑,歲久此地還成家。
漁舟之子來何所,物色相猜更問語。
大蛇中斷喪前王,群馬南渡開新主。


(下し文) #3
桃を種えて處處 惟だ花を開かせ,川原 近遠 紅霞蒸す。
初めて來りしとき 猶お鄉邑を念いしを,歲久しくして 此の地も還た家と成れり。
漁舟の子よ 何れの所より來りしや,物色し相い猜し更に問語す。
大蛇 中斷せられて 前王 喪び,群馬 南渡して 新主開く。


(現代語訳)
桃の木をいっぱいに植えており、あちらにもこちらにも、ただ花は咲きほこる。河原、高原、近くから遠くまで、真紅にかすんでいる。
はじめ来たころはやっぱり故郷が恋しかったのだが、ながらく住むうちここも我が家という気になった。
舟の上の漁師の方はいったい何処からここへこられたのでしょう。互いに観察して、猜疑心の顔つきをした後互いに問答をしている。
「大蛇が斬られたために前の王様はほろびました」といい。「馬のむれは南に渡ってしまい、新しいお領主ができたのです。」と話した。


(訳注)
桃源圖

・桃源図 この詩は陶淵明が「桃花源の詩」とその序でえがいた理想郷が、当時のひとびとに実在のものと考えられ、それが絵に描かれたり語りつたえたりされていた。たまたま武陵の太守の某なる人がかかせた絵を見せられたとき、その絵にちなんで桃花源伝説の虚罔性を批判したものである。陶淵明の詩以後、王維が「桃源行」をつくっているが、韓愈は、この詩で陶・王の二氏を兼ねて批判したもの


種桃處處惟開花,川原近遠蒸紅霞。
桃の木をいっぱいに植えており、あちらにもこちらにも、ただ花は咲きほこる。河原、高原、近くから遠くまで、真紅にかすんでいる。


初來猶自念鄉邑,歲久此地還成家。
はじめ来たころはやっぱり故郷が恋しかったのだが、ながらく住むうちここも我が家という気になった。


漁舟之子來何所,物色相猜更問語。
舟の上の漁師の方はいったい何処からここへこられたのでしょう。互いに観察して、猜疑心の顔つきをした後互いに問答をしている。


大蛇中斷喪前王,群馬南渡開新主。
「大蛇が斬られたために前の王様はほろびました」といい。「馬のむれは南に渡ってしまい、新しいお領主ができたのです。」と話した。

崋山女 韓退之(韓愈)詩<113-4>Ⅱ中唐詩556 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1790

崋山女 韓退之(韓愈)詩

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崋山女 韓退之(韓愈)詩<113-4>Ⅱ中唐詩556 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1790


この頃のアイドルは巫女、道女、妓女である。韓愈は、道教が仏教と共にきらいであって、道教を排斥した詩には、このほか、「謝自然詩」「誰氏子」などがある。当時の道教が、新興宗教的要素を持っていたことが分かる。
仏教を風刺したものとして・『送靈師』『題木居士二首其一 』 『題木居士二首其二』 

かなり長いので、四段に分けた。


宮島(3)


華山女
街東街西講佛經,撞鐘吹螺鬧宮庭。
長安の街東街西のいたるところで仏教の「説経講談」をしている。鐘を撞きほら貝を吹いて宮廷までも大さわぎをしているのである。
廣張罪福資誘脅,聽眾狎恰排浮萍。
功罪と幸福と不幸、天国と地獄を大げさに誇張し脅して勧誘の助けとし、聴く人は烏合の衆と化し、ただよう浮草を押し退けあうような状態である。
黃衣道士亦講說,座下寥落如明星。』
一方、黄衣をつけた道士も同様に講議説教はしているが、講壇の下は夜明けの星のようにまばらな状態である。 
#2
華山女兒家奉道,欲驅異教歸仙靈。
華山の少女は家庭が道教を信奉している、異教を追い払い神仙の靈に帰依させたいと思っている。
洗妝拭面著冠帔,白咽紅頰長眉青。
少女は化粧を落とし、顔を清めて冠と上にはおりを着るのである、そして白いのど、赤いほお、長い眉は長く伸ばしてひいている。
遂來升座演真訣,觀門不許人開扃。
こうしてやって来て講壇に上がり、道教の奥儀を説くのである。そもそも道観の門は他人がとびらを開けてはいることを許さないのである。
不知誰人暗相報,訇然振動如雷霆。」
そうしてるうちに誰が互いにそっと知らせあったのだろう、わっとはげしい雷のように地響きをならして集まって来るのである。
#3
掃除眾寺人跡絕,驊騮塞路連輜輧。
寺観はきれいに掃除し、はらい清められて人の足あともなくされる、こちらには駿馬が路をふさぐほどいっぱいになり、婦人の乗るほろ車が連なっているのだ。
觀中人滿坐觀外,後至無地無由聽。
道観の中には人がいっぱいにあふれて寺観の外にまで腰を下ろしているのだ、遅れてやって来たものは居場所がなく聴く方法さえないというほどだ。
抽簪脫釧解環佩,堆金疊玉光青熒。
カンザシを抜き腕輪をはずし佩玉を解いて寄進を済ませるのだ、金を積む上げ、玉がかさねているものはきらきらと光りかがやいている。
天門貴人傳詔召,六宮願識師顏形。
「天門貴人」といわれる宦官が詔を伝えおぼしめされる、それにつづいて後宮の女官たちは女道士さまのおかおが見たいものと願いでる。
玉皇頷首許歸去,乘龍駕鶴來青冥。』
玉皇さまはうなずいて帰り行くことをお許しになり、女道士は龍の乗り鶴に車を引かせて青ぞらを渡って帰って行くのである。

#4
豪家少年豈知道,來繞百匝腳不停。
富豪の息子たち、大家の貴公子たちは道教の教えなど勉強もしていないのでわかるはずがないのに、ここへ来て百たびもまわりをめぐってまだ歩き続けている。
雲窗霧閣事恍惚,重重翠幕深金屏。
雲や霧のかくす窓や高殿の中では何事があるのかぼんやりとしてよく分からない、かわせみ色に光るとばりが重なりあい金の屏風が深く深く置かれていて秘密のベールに包まれる。
仙梯難攀俗緣重,浪憑青鳥通丁寧。』
神仙へのはしごがよじのぼりにくいのは俗世間との縁が深いためだということだ、だから、あてもないのに思いを繋ぐ青鳥を使いとしてはねんごろな心持ちを通じたいと思っているのである。


(華山女)
街東街西 仏経を講じ、鐘を撞き螺を吹いて宮庭を鬧【さわ】がす。
広く罪福【ざいふく】を張って誘脅【ゆうきょう】を資【たす】け、聴衆 狎恰【こうこう】して浮萍【ふひょう】を排す。
黃衣【こうい】の道士も亦講説すれど、座下は寥落【りょうらく】として明星の如し。
#2
華山の女兒【じょじ】家道を奉じ,異教を驅って仙靈【せんれい】に歸せしめんと欲す。
妝を洗い面を拭って冠帔【かんぴ】を著け,白咽【はくいん】紅頰【こうきょう】長眉【ちょうび】青し。
遂に來って座に升りて真訣【しんけつ】を演【の】べ,觀門許さず人の扃【とびら】を開くことを。
知らず誰人か暗【ひそ】かに相い報ぜじ,訇然【こぜん】として振動して雷霆【らいてい】の如し。」
#3
眾寺を掃除して人跡絕え,驊騮【かりゅう】路に塞りて輜輧【しへい】に連なる。
觀中人滿ちて觀外に坐し,後れて至るは地無く聽くに由無し。
簪を抽【ぬ】きて釧【せん】を脫し環佩【かんぽい】を解く,金を堆【つ】み玉を疊んで光り青熒【せいけい】たり。
天門の貴人 詔を傳えて召し,六宮 師の顏形を識らんことを願う。
玉皇 首を頷いて歸り去らんことを許し,龍に乘りて鶴に駕して青冥に來たる。』
#4
豪家の少年豈に道を知らんや,來たって繞ぐること百匝【ひゃくそう】して腳【あし】停どまらず。
雲窗【うんそう】霧閣【むかく】事恍惚たり,重重たる翠幕【すいばく】深き金屏【こんべい】。
仙梯【せんてい】攀【よ】じ難くして俗緣【ぞくえん】重く,浪【みだ】りに青鳥に憑【よ】って丁寧【ていねい】を通ず。』


『華山女』 現代語訳と訳註
(本文)
#4
豪家少年豈知道,來繞百匝腳不停。
雲窗霧閣事恍惚,重重翠幕深金屏。
仙梯難攀俗緣重,浪憑青鳥通丁寧。』


(下し文) #4
豪家の少年豈に道を知らんや,來たって繞ぐること百匝【ひゃくそう】して腳【あし】停どまらず。
雲窗【うんそう】霧閣【むかく】事恍惚たり,重重たる翠幕【すいばく】深き金屏【こんべい】。
仙梯【せんてい】攀【よ】じ難くして俗緣【ぞくえん】重く,浪【みだ】りに青鳥に憑【よ】って丁寧【ていねい】を通ず。』


(現代語訳)
富豪の息子たち、大家の貴公子たちは道教の教えなど勉強もしていないのでわかるはずがないのに、ここへ来て百たびもまわりをめぐってまだ歩き続けている。
雲や霧のかくす窓や高殿の中では何事があるのかぼんやりとしてよく分からない、かわせみ色に光るとばりが重なりあい金の屏風が深く深く置かれていて秘密のベールに包まれる。
神仙へのはしごがよじのぼりにくいのは俗世間との縁が深いためだということだ、だから、あてもないのに思いを繋ぐ青鳥を使いとしてはねんごろな心持ちを通じたいと思っているのである。


(訳注) #4
豪家少年豈知道,來繞百匝腳不停。
富豪の息子たち、大家の貴公子たちは道教の教えなど勉強もしていないのでわかるはずがないのに、ここへ来て百たびもまわりをめぐってまだ歩き続けている。
・豪家少年豈知道 貴公子(お金持ちのうちの若ものたち)が道教の道を知っているはずがない。豪家は、財力を持っている家。少年は、若衆。豈知道は、反語、不知道というにひとしい。道は、道教の道。この一段は、華山女に、若ものたちが好き心をいだいてつきまとうことをえがき、その愚かさをあざけっている。杜甫、李白、王維なども「少年行」であざけっている。また、唐代の女道士のなかに売春を行っていたものがあるようである。森鴎外の短編作で有名な魚玄機にしても、そのようなふしがあるようだし、それほどでなくとも、玄宗皇帝の寵妃楊貴妃が、一時女道士であったように、性的魅力にあふれるものであったのだ。李商隠の詩には多く登場する。この結びは逆説的に、華山女が豪家少年どもには見向きもせず、更に高い地位の人たちに媚態を呈していることを諷刺したものである。女児の生きていく路は難しい時代であったことには間違いことではあるのであえうが。
・繞 ぐるぐるあるものを中心にしてまわる。
・百匝 匝は、と同じ。一周すること。百回も華山の女のまわりをうろつく。


雲窗霧閣事恍惚,重重翠幕深金屏。
雲や霧のかくす窓や高殿の中では何事があるのかぼんやりとしてよく分からない、かわせみ色に光るとばりが重なりあい金の屏風が深く深く置かれていて秘密のベールに包まれる。
・雲窗霧閣 雲や霧におく深くとざされているまどや高どの。窓は、窓と同じ。雲窓は、雲のもようを窓にかいたものをいうが、ここは、下の霧閣に対して、雲のかかっている窓ということであろう。閣は、楼閣、何階建てにもなっている高どの。なお、雲や霧は、仙人にしたがものであるが、また、宋玉(紀元前290―222年)の「高唐の賦」に見える楚の襄王の寝所に侍った巫女の神女が、雲や雨となって朝夕巫山にかかるという物語にもとづいている。問題は、華山女の色っぽさを利用しているものがいるから、この女を風刺するのである。
・恍惚 エクスタシーをいう。ぼんやりとしてよく分からないさま。うっとりとしてわれを忘れるさま。
・重重翠幕深金屏 かさなりあった翡翠色のとばりとおく深い金の屏風によって秘密のベールに包まれる。重重と深、翠性と金屏とがそれぞれ対している。


仙梯難攀俗緣重,浪憑青鳥通丁寧。』
神仙へのはしごがよじのぼりにくいのは俗世間との縁が深いためだということだ、だから、あてもないのに思いを繋ぐ青鳥を使いとしてはねんごろな心持ちを通じたいと思っているのである。
・仙梯難攀 神仙の世界へのはしごはよじ登りにくい。華山女を神仙とし、豪家の少年たちが華山女に近づきがたいことを比喩する。
・俗縁重 この俗世間の縁が重い。仙梯の攣じ難い理由を示す。
・浪 むやみに。むなしく。何の効果もないのにあてもなく行うということを示す副詞。
・憑 たのみとして。
・青島 西王母の使いの鳥で、人間界との橋渡しを行う。西王母は、女性としていちばん高い地位にある神仙。ここは、華山女を、西王母にたとえ、青島は、したがって、豪家の少年が華山女と便りを通ずるための使いの者をいう。
・寧 ねんごろな心持ち。ここでは下心というところか。

崋山女 韓退之(韓愈)詩<113-2>Ⅱ中唐詩554 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1782

崋山女 韓退之(韓愈)

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崋山女 韓退之(韓愈)詩<113-2>Ⅱ中唐詩554 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1782


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かなり長いので、四段に分けた。


華山女
街東街西講佛經,撞鐘吹螺鬧宮庭。
長安の街東街西のいたるところで仏教の「説経講談」をしている。鐘を撞きほら貝を吹いて宮廷までも大さわぎをしているのである。
廣張罪福資誘脅,聽眾狎恰排浮萍。
功罪と幸福と不幸、天国と地獄を大げさに誇張し脅して勧誘の助けとし、聴く人は烏合の衆と化し、ただよう浮草を押し退けあうような状態である。
黃衣道士亦講說,座下寥落如明星。』
一方、黄衣をつけた道士も同様に講議説教はしているが、講壇の下は夜明けの星のようにまばらな状態である。 
#2
華山女兒家奉道,欲驅異教歸仙靈。
華山の少女は家庭が道教を信奉している、異教を追い払い神仙の靈に帰依させたいと思っている。
洗妝拭面著冠帔,白咽紅頰長眉青。
少女は化粧を落とし、顔を清めて冠と上にはおりを着るのである、そして白いのど、赤いほお、長い眉は長く伸ばしてひいている。
遂來升座演真訣,觀門不許人開扃。
こうしてやって来て講壇に上がり、道教の奥儀を説くのである。そもそも道観の門は他人がとびらを開けてはいることを許さないのである。
不知誰人暗相報,訇然振動如雷霆。」

そうしてるうちに誰が互いにそっと知らせあったのだろう、わっとはげしい雷のように地響きをならして集まって来るのである。
#3
掃除眾寺人跡絕,驊騮塞路連輜輧。
觀中人滿坐觀外,後至無地無由聽。
抽簪脫釧解環佩,堆金疊玉光青熒。
天門貴人傳詔召,六宮願識師顏形。
玉皇頷首許歸去,乘龍駕鶴來青冥。』

#4
豪家少年豈知道,來繞百匝腳不停。
雲窗霧閣事恍惚,重重翠幕深金屏。
仙梯難攀俗緣重,浪憑青鳥通丁寧。』

華山女
街東街西講佛經,撞鐘吹螺鬧宮庭。
廣張罪福資誘脅,聽眾狎恰排浮萍。
黃衣道士亦講說,座下寥落如明星。』

(華山女)
街東街西 仏経を講じ、鐘を撞き螺を吹いて宮庭を鬧【さわ】がす。
広く罪福【ざいふく】を張って誘脅【ゆうきょう】を資【たす】け、聴衆 狎恰【こうこう】して浮萍【ふひょう】を排す。
黃衣【こうい】の道士も亦講説すれど、座下は寥落【りょうらく】として明星の如し。
#2
華山の女兒【じょじ】家道を奉じ,異教を驅って仙靈【せんれい】に歸せしめんと欲す。
妝を洗い面を拭って冠帔【かんぴ】を著け,白咽【はくいん】紅頰【こうきょう】長眉【ちょうび】青し。
遂に來って座に升りて真訣【しんけつ】を演【の】べ,觀門許さず人の扃【とびら】を開くことを。
知らず誰人か暗【ひそ】かに相い報ぜじ,訇然【こぜん】として振動して雷霆【らいてい】の如し。」


華山道教000

『華山女』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
華山女兒家奉道,欲驅異教歸仙靈。
洗妝拭面著冠帔,白咽紅頰長眉青。
遂來升座演真訣,觀門不許人開扃。
不知誰人暗相報,訇然振動如雷霆。」


(下し文)
#2
華山の女兒【じょじ】家道を奉じ,異教を驅って仙靈【せんれい】に歸せしめんと欲す。
妝を洗い面を拭って冠帔【かんぴ】を著け,白咽【はくいん】紅頰【こうきょう】長眉【ちょうび】青し。
遂に來って座に升りて真訣【しんけつ】を演【の】べ,觀門許さず人の扃【とびら】を開くことを。
知らず誰人か暗【ひそ】かに相い報ぜじ,訇然【こぜん】として振動して雷霆【らいてい】の如し。」


(現代語訳)
華山の少女は家庭が道教を信奉している、異教を追い払い神仙の靈に帰依させたいと思っている。
少女は化粧を落とし、顔を清めて冠と上にはおりを着るのである、そして白いのど、赤いほお、長い眉は長く伸ばしてひいている。
こうしてやって来て講壇に上がり、道教の奥儀を説くのである。そもそも道観の門は他人がとびらを開けてはいることを許さないのである。
そうしてるうちに誰が互いにそっと知らせあったのだろう、わっとはげしい雷のように地響きをならして集まって来るのである。


 (訳注) #2
華山女兒家奉道,欲驅異教歸仙靈。
華山の少女は家庭が道教を信奉している、異教を追い払い神仙の靈に帰依させたいと思っている。
・華山女児 華山は、陝西省華陰県にある名山、芸の西岳。道教の修行をするものがよくこもる山で、りっぱな墓の寺観もあった。この少女が華山から出たというのも、華山にそういう神秘的な陰影があるからである。
以下この一段、華山の少女が、突然女道士として評判が高くなり、宮中にまで召されるようになったことをいう
・家奉道 家庭が道教を信奉していた。
・異教 仏教の事。
・仙霊神仙。神仙の思想と老子にはじまる道家の思想とは、がんらい別のものであったが、道教になって結びつき、神仙は、道教の修行者たちの目標となった。


洗妝拭面著冠帔,白咽紅頰長眉青。
少女は化粧を落とし、顔を清めて冠と上にはおりを着るのである、そして白いのど、赤いほお、長い眉は長く伸ばしてひいている。
・洗粧 化粧を洗いおとす。
・拭面 かおをふきとる。化粧を取るのである。
・冠帔 女道士は、冠をつける。帔は、肩にかける短い着物。はおりの類。
白咽 咽は、のど。
・長眉青 青は、ここでは黒と同じょうに用いられる。眉の長いのは、美人とされる。


遂來升座演真訣,觀門不許人開扃。
こうしてやって来て講壇に上がり、道教の奥儀を説くのである。そもそも道観の門は他人がとびらを開けてはいることを許さないのである。
・升座 座は、講壇。
・演 説明する。講演・演説の演である。
・真訣 道教の秘訣。兵は、道家に於ける理想で、道を体得した完全な状態をいう。訣は、道教において奥儀の意。
・観門 観は、道教の寺院。
・開扃 扃は、かんぬき、又は、とびら。ここは、とびらであろう。


不知誰人暗相報,訇然振動如雷霆。」
そうしてるうちに誰が互いにそっと知らせあったのだろう、わっとはげしい雷のように地響きをならして集まって来るのである。
・暗 人知れず。わからないように。
・訇然 大きな声の形容。
・雷霆、はげしい雷。

華山女 韓退之(韓愈)詩<113-1>Ⅱ中唐詩553 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1778

華山女 韓退之(韓愈)詩

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華山女 韓退之(韓愈)詩<113-1>Ⅱ中唐詩553 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1778


この頃のアイドルは巫女、道女、妓女である。韓愈は、道教が仏教と共にきらいであって、道教を排斥した詩には、このほか、「謝自然詩」「誰氏子」などがある。当時の道教が、新興宗教的要素を持っていたことが分かる。
仏教を風刺したものとして・送靈師題木居士二首其一  題木居士二首其二  


華山女は長詩なので、四段に分けた。


華山女
街東街西講佛經,撞鐘吹螺鬧宮庭。
廣張罪福資誘脅,聽眾狎恰排浮萍。
黃衣道士亦講說,座下寥落如明星。』

#2
華山女兒家奉道,欲驅異教歸仙靈。
洗妝拭面著冠帔,白咽紅頰長眉青。
遂來升座演真訣,觀門不許人開扃。
不知誰人暗相報,訇然振動如雷霆。」
#3
掃除眾寺人跡絕,驊騮塞路連輜輧。
觀中人滿坐觀外,後至無地無由聽。
抽簪脫釧解環佩,堆金疊玉光青熒。
天門貴人傳詔召,六宮願識師顏形。
玉皇頷首許歸去,乘龍駕鶴來青冥。』

#4
豪家少年豈知道,來繞百匝腳不停。
雲窗霧閣事恍惚,重重翠幕深金屏。
仙梯難攀俗緣重,浪憑青鳥通丁寧。』

華山000

華山女
街東街西講佛經,撞鐘吹螺鬧宮庭。
長安の街東街西のいたるところで仏教の「説経講談」をしている。鐘を撞きほら貝を吹いて宮廷までも大さわぎをしているのである。
廣張罪福資誘脅,聽眾狎恰排浮萍。
功罪と幸福と不幸、天国と地獄を大げさに誇張し脅して勧誘の助けとし、聴く人は烏合の衆と化し、ただよう浮草を押し退けあうような状態である。
黃衣道士亦講說,座下寥落如明星。』
一方、黄衣をつけた道士も同様に講議説教はしているが、講壇の下は夜明けの星のようにまばらな状態である。 

(華山女)
街東街西 仏経を講じ、鐘を撞き螺を吹いて宮庭を鬧【さわ】がす。
広く罪福【ざいふく】を張って誘脅【ゆうきょう】を資【たす】け、聴衆 狎恰【こうこう】して浮萍【ふひょう】を排す。
黃衣【こうい】の道士も亦講説すれど、座下は寥落【りょうらく】として明星の如し。


『華山女』 現代語訳と訳註
(本文)
#1
街東街西講佛經,撞鐘吹螺鬧宮庭。
廣張罪福資誘脅,聽眾狎恰排浮萍。
黃衣道士亦講說,座下寥落如明星。』

(下し文) (華山女)
街東街西 仏経を講じ、鐘を撞き螺を吹いて宮庭を鬧【さわ】がす。
広く罪福【ざいふく】を張って誘脅【ゆうきょう】を資【たす】け、聴衆 狎恰【こうこう】して浮萍【ふひょう】を排す。
黃衣【こうい】の道士も亦講説すれど、座下は寥落【りょうらく】として明星の如し。


(現代語訳)
長安の街東街西のいたるところで仏教の「説経講談」をしている。鐘を撞きほら貝を吹いて宮廷までも大さわぎをしているのである。
功罪と幸福と不幸、天国と地獄を大げさに誇張し脅して勧誘の助けとし、聴く人は烏合の衆と化し、ただよう浮草を押し退けあうような状態である。
一方、黄衣をつけた道士も同様に講議説教はしているが、講壇の下は夜明けの星のようにまばらな状態である。 


(訳注)
華山女

(現在の陝西省華陰県にある山)に住む少女が、女道士となって、大変人気があったが、彼の女を取
りまく信者たちの熱狂ぶりや、彼の女に妙な興味をいだく好き者たちの行動をえがいて、その愚かさを諷刺した。
華山 中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山、五岳の一つで、西岳と称されている。最高峰となる南峰の標高は2,160m。花崗岩の岩場を削って、無数の石段が作られており、一部には断崖絶壁の上に作られた20cmほどしかない足場や桟道を通って行かねばならない場所があり、宗教聖地として、格段の険しい山として知られる。
杜甫 体系 地図458華州から秦州
 

街東街西講佛經,撞鐘吹螺鬧宮庭。
長安の街東街西のいたるところで仏教の「説経講談」をしている。鐘を撞きほら貝を吹いて宮廷までも大さわぎをしているのである。
・街東得西 唐代の長安の市街は、中央を南北につらぬく朱雀門街で二つの区域に分かたれ、朱雀門街より東を街東と略称し、万年県の管轄、朱雀門律より西を街西と略称し、長安県の管轄とされていた。わ
講仏経 お経を講釈している。当時、僧侶が仏教説話をおもしろく節をつけて語る説経講談のような語りもの「俗講」が寺院で行われており、この「講仏経」は、そのことをいったものとされる。最近、「俗講」は、中国における寄席演芸の超原として注目され、その講釈のテキスト「変文」も、甘粛省敦煌で発見された古文書の中から幾篇か見つけ出され、研究が盛んに行われている。
・螺 ほら貝。
・鬧 さわがせる。音楽がさわがしいのである。

 10risho長安城の図

廣張罪福資誘脅,聽眾狎恰排浮萍。
功罪と幸福と不幸、天国と地獄を大げさに誇張し脅して勧誘の助けとし、聴く人は烏合の衆と化し、ただよう浮草を押し退けあうような状態である。
広張 大きく誇張する。
・資誘脅 脅して誘い合わさせる手助けの種とする。
狎恰 おしあいへしあいするさま。
・排浮萍 ただよっているうきくさがおしのけあっている。聴衆のもみあっている比喩である。この最初の四句は、当「俗講」が非常に流行していたことを示すものとされる。『資治通鑑宝暦二年六月己卯の条』に、文淑という僧の「俗講」に、敬宗皇帝(李湛)が見物に行ったとされている。


黃衣道士亦講說,座下寥落如明星。』
一方、黄衣をつけた道士も同様に講議説教はしているが、講壇の下は夜明けの星のようにまばらな状態である。 
・黃衣道士 黄いろい衣をきた遭士。遺士は、道教の宣教師で、有髪で冠をかぶっている。その衣は、色が定まっていて、黄もそのうちのlつであった。
・座下 道士の説教の座の下。
・蓼落 まばらなさま。道教が衰退すること。
・明星 あけがたの星のようにまばらである。明星は、ふつう金星をいうのであるが、ここは、暁星、と同じく、明け方の星をいうのであろう。華星は夜明けの金星。
以上このl段は、仏教の盛況と、道教の衰微をい
うものである。道教は玄宗の開元、天宝の45年年間隆盛を極めた。
謝靈運『燕歌行』「對君不樂淚沾纓,闢窗開幌弄秦箏,調絃促柱多哀聲,遙夜明月鑒帷屏,誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。」
燕歌行 謝霊運(康楽) 詩<79-#2>

http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67667593.html

李商隠 『嫦娥』 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集約130首 詩の背景1.道教 2.芸妓 3.嫦娥と李商隠
『嫦娥』
「雲母屏風燭影深、長河漸落暁星沈。」・暁星 暁の明星
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無題 (含情春晼晩) 李商隠「歸去横塘暁、華星送寶鞍。」○華星 暁の明星

石鼓歌 韓愈 韓退之(韓愈)詩<97-#8-(最終回)>Ⅱ中唐詩529 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1682


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石鼓歌 韓愈 韓退之(韓愈)詩<97-#8-(最終回)>Ⅱ中唐詩529 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1682


#8-(最終回目)
羲之俗書趁姿媚,數紙尚可博白鵝。
今や書聖王義之の書が目の優しさによって世に評価されたが俗書となってしまっているが、それはもともと数枚の道徳経の写しと白い鵝鳥と交換できるというものであったのだ。
繼周八代爭戰罷,無人收拾理則那。
この周の石鼓を継承したことで、八代の王朝が戦争を終結させることとしたのである。それでもこれを大切にしまっておこうという人がいないというのは一体どうなっているのか。
方今太平日無事,柄任儒術崇丘軻。
この周の石鼓を継承したことで、八代の王朝が戦争を終結させることとしたのである。それでもこれを大切にしまっておこうという人がいないというのは一体どうなっているのか。
安能以此上論列,願借辨口如懸河。
いかにしたら、この問題をお上層部で審議してもらえるのでありましょうか。願うことなら、瀑布のように滔滔と流れおちる大弁舌をどなたかお貸し下さらないであろうか。
石鼓之歌止於此,嗚呼吾意其蹉跎。
石鼓の歌はこれでもって終わるのだけれど、ああ、こんなことでわたしの心はもうぐったりしている。

義之の俗書は 姿の媚なるを趁へども、数紙もて尚は白鵝【はくが】に博【か】ふべし。
周に繼ぐもの八代 爭戰【そうせん】罷み、人の収拾する無き 理は則ち那ぞ。
方今 太平にして日に無事、柄【へい】は儒術【じゅじゅつ】に任じて丘軻【きゅうか】を崇ぶ。
安んぞ能く此を以て上って論列【ろんれつ】せむ、願はくば 辨口【べんこう】の懸河の如きを借らむ。
石鼓之歌 此に止めむ,嗚呼 吾が意 其れ蹉跎【さた】たり。


『石鼓歌』-#8-(最終回) 現代語訳と訳註
(本文)

羲之俗書趁姿媚,數紙尚可博白鵝。
繼周八代爭戰罷,無人收拾理則那。
方今太平日無事,柄任儒術崇丘軻。
安能以此上論列,願借辨口如懸河。
石鼓之歌止於此,嗚呼吾意其蹉跎。


(下し文)
義之の俗書は 姿の媚なるを趁へども、数紙もて尚は白鵝【はくが】に博【か】ふべし。
周に繼ぐもの八代 爭戰【そうせん】罷み、人の収拾する無き 理は則ち那ぞ。
方今 太平にして日に無事、柄【へい】は儒術【じゅじゅつ】に任じて丘軻【きゅうか】を崇ぶ。
安んぞ能く此を以て上って論列【ろんれつ】せむ、願はくば 辨口【べんこう】の懸河の如きを借らむ。
石鼓之歌 此に止めむ,嗚呼 吾が意 其れ蹉跎【さた】たり。


(現代語訳)
今や書聖王義之の書が目の優しさによって世に評価されたが俗書となってしまっているが、それはもともと数枚の道徳経の写しと白い鵝鳥と交換できるというものであったのだ。
この周の石鼓を継承したことで、八代の王朝が戦争を終結させることとしたのである。それでもこれを大切にしまっておこうという人がいないというのは一体どうなっているのか。
この周の石鼓を継承したことで、八代の王朝が戦争を終結させることとしたのである。それでもこれを大切にしまっておこうという人がいないというのは一体どうなっているのか。
いかにしたら、この問題をお上層部で審議してもらえるのでありましょうか。願うことなら、瀑布のように滔滔と流れおちる大弁舌をどなたかお貸し下さらないであろうか。
石鼓の歌はこれでもって終わるのだけれど、ああ、こんなことでわたしの心はもうぐったりしている。


(訳注) #8
羲之俗書趁姿媚,數紙尚可博白鵝。

今や書聖王義之の書が目の優しさによって世に評価されたが俗書となってしまっているが、それはもともと数枚の道徳経の写しと白い鵝鳥と交換できるというものであったのだ。
・羲之俗書  王羲之(303年 - 361年)は書道史上、最も優れた書家で書聖と称される。末子の王献之と併せて二王(羲之が大王、献之が小王)あるいは羲献と称され、顔真卿と共に中国書道界の二大宗師とも謳われた。また「書道の最高峰」とも言われ、近代書道の体系を作り上げ、書道を一つの独立した芸術としての地位を確保し、後世の書道家達に大きな影響を与えた。「俗書」というのは王羲之の書いた書が超高価な価格で取引され、富豪のステイタスの象徴のよな存在になったことでこういう表現をした。
數紙尚可博白鵝 晋書『王羲之傳』
「性愛鵝、會稽有孤居姥. 養一鵝、善鳴、求市未能得、遂攜親友命駕就觀。姥聞羲之將至、烹以待之、羲之歎惜彌日。又山陰有一道士、養好鵝、羲之往觀焉、意甚悅、固求市之。道士云「為寫道德經、當舉群相贈耳。乃為寫訖。籠鵝而去。(性、鵝を愛す、會稽に孤居の姥有り.一鵝を養い、善く鳴く、市に求むが未だ能く得ず、遂に親友に駕を命じ就して觀て攜えん。姥聞き羲之 將って至り、烹を以って之を待ち、羲之歎じて彌日を惜む。又、山陰に一道士有り、好き鵝を養う、羲之、往きて焉を觀る、意甚だ悅び、固く求めて之を市はむとす。道士云う「為に道德經を寫さば、當に群を舉げて相い贈らむのみ。」と。乃ち為に寫して訖う。鵝を籠にして去る。)
これに基づき作る。王羲之の「道徳経の書」は白鵝と交換されたのに、孔子孟子の儒学の扱い、石鼓に書かれた文言の扱いと比較して今はどうなっているのかと疑問を投げかけるのである。


繼周八代爭戰罷,無人收拾理則那。
この周の石鼓を継承したことで、八代の王朝が戦争を終結させることとしたのである。それでもこれを大切にしまっておこうという人がいないというのは一体どうなっているのか。
・繼周八代 周以後、秦・漢・魏・晋・北魏・北斉・北周・隋の八代にわたって石鼓のあった陝西省岐陽を管轄したことをいう。


方今太平日無事,柄任儒術崇丘軻。
たしかに今日、世間は太平で日日が平穏無事である。しかし今こそ世を治める政治はその根本原理を儒教に求めるものであり、孔子、孟子が尊敬されないといけないというものである。
・柄 権柄。国家権力をさす。
・丘軻 孔子と孟子。


安能以此上論列,願借辨口如懸河。
いかにしたら、この問題をお上層部で審議してもらえるのでありましょうか。願うことなら、瀑布のように滔滔と流れおちる大弁舌をどなたかお貸し下さらないであろうか。


石鼓之歌止於此,嗚呼吾意其蹉跎。
石鼓の歌はこれでもって終わるのだけれど、ああ、こんなことでわたしの心はもうぐったりしている。
・蹉跎 うまくゆかないこと。


韓愈「三品の性」について
この詩の「孔子」について、韓愈は儒家として孔子の学問について、その論を否定して、小馬鹿にしたような表現八句「金繩鐵索鎖紐壯,古鼎躍水龍騰梭。陋儒編詩不收入,二雅褊迫無委蛇。孔子西行不到秦,掎摭星宿遺羲娥。嗟予好古生苦晚,對此涕淚雙滂沱。」と少し小ばかにし、そして最終的には「方今太平日無事,柄任儒術崇丘軻。」とのべている。
 韓愈は儒家の道徳の根原を「原道」「原性」「原毀」「原人」「原鬼」の五つの本質を原【たず】ねて推論をのべている。特に孟子の性善、荀子の性悪、楊雄の性善性悪混在説の三説に対して三品の性という新しい見解を述べたのであるが、韓愈の詩の理解のためには、韓愈が精魂込めた「原性」などを理解しなければならないのである。そこで、少し難しいが、このブログに取り上げ解説する予定である。
「学問を進めるための解明文」進学解(まとめ) 韓退之(韓愈)詩<114-16>Ⅱ中唐詩572 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1854

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石鼓歌 韓愈 韓退之(韓愈)詩<97-#7>Ⅱ中唐詩528 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1678



石鼓歌
石臼のよう太鼓の形の石に、先秦時代の文字がほりつけてあるため、「石鼓」といわれ、十個ある。そこにほられている文字が、石鼓文で、ふつうの篆書すなわち小篆とはやや異なる大篆という書体である。またその文革は、四書の詩で「詩経」の詩によく似ている。
韓愈はこの詩では、周の宣王(紀元前828-728年在位)の時としているが、現在では周の平王元年紀元前770年の作である。

石鼓文(せっこぶん) 唐初期に陝西省鳳翔府天興県で出土した10基の花崗岩の石碑、またはそれに刻まれた文字をいう。現存する中国の石刻文字資料としては最古のもので、出土した当時から珍重され、現在は北京故宮博物院に展示されている。


#7
大廈深簷與蓋覆,經歷久遠期無佗。
四方に吹き下ろした大きな屋根で、長い軒の影が深いとともに覆いかぶせるのです。そして年月が久しく経過したところであってもなんとか保存ができるというものです
中朝大官老於事,詎肯感激徒媕婀。
ところが中央朝廷の大官は事務に慣れ過ぎてしまっているから、もう感激などするはずないし、いたずらにだらだらとしてほったらかしにしている。
牧童敲火牛礪角,誰複著手為摩挲。
近くの牧童たちは石鼓に鎌か、蹴上げる石かなにかをぶちつけて火花を出したり、牛が角を研いでいる。あるいは誰がまた、わざわざ手をかけてくれてきれいに拭いたりしてくれるであろう。
日銷月鑠就埋沒,六年西顧空吟哦。

日一日と磨り減っていき、一月ごとに壊れてゆき、やがて埋没してはてるだろう。こうして六年間ものあいだ西の方をかえりみてはむなしく自分に言い聞かせ、欺いてきたものです。

大廈【たいか】深簷【しんえん】與【ため】に蓋覆【がいふ】し、経歴は久遠にして 佗【た】無きことを期せむ。
中朝の大官は 事に老【な】れたれば、詎【なん】ぞ育て感激せむ 徒に媕婀【あんあ】たり。
牧竜 火を敲【たた】き 牛 角を礪【と】ぐ、誰か復た手を著けて 爲に摩挲【まさ】せむ。
日に銷【き】え 月に鑠【さ】えて 埋没に就かむ、六年 西を顧【かえり】みて 空しく吟哦【ぎんが】す


『石鼓歌』 現代語訳と訳註
(本文)
#7
大廈深簷與蓋覆,經歷久遠期無佗。
中朝大官老於事,詎肯感激徒媕婀。

牧童敲火牛礪角,誰複著手為摩挲。
日銷月鑠就埋沒,六年西顧空吟哦。


(下し文)
大廈【たいか】深簷【しんえん】與【ため】に蓋覆【がいふ】し、経歴は久遠にして 佗【た】無きことを期せむ。
中朝の大官は 事に老【な】れたれば、詎【なん】ぞ育て感激せむ 徒に媕婀【あんあ】たり。
牧竜 火を敲【たた】き 牛 角を礪【と】ぐ、誰か復た手を著けて 爲に摩挲【まさ】せむ。
日に銷【き】え 月に鑠【さ】えて 埋没に就かむ、六年 西を顧【かえり】みて 空しく吟哦【ぎんが】す。


(現代語訳)
四方に吹き下ろした大きな屋根で、長い軒の影が深いとともに覆いかぶせるのです。そして年月が久しく経過したところであってもなんとか保存ができるというものです
ところが中央朝廷の大官は事務に慣れ過ぎてしまっているから、もう感激などするはずないし、いたずらにだらだらとしてほったらかしにしている。
近くの牧童たちは石鼓に鎌か、蹴上げる石かなにかをぶちつけて火花を出したり、牛が角を研いでいる。あるいは誰がまた、わざわざ手をかけてくれてきれいに拭いたりしてくれるであろう。
日一日と磨り減っていき、一月ごとに壊れてゆき、やがて埋没してはてるだろう。こうして六年間ものあいだ西の方をかえりみてはむなしく自分に言い聞かせ、欺いてきたものです。


(訳注) #7
大廈深簷與蓋覆,經歷久遠期無佗。

四方に吹き下ろした大きな屋根で、長い軒の影が深いとともに覆いかぶせるのです。そして年月が久しく経過したところであってもなんとか保存ができるというものです。
・大廈 廈は大きな家。屋根を四方に吹き下ろした屋根。
・深簷 ひさしがながい。長い軒の影が深い。
・蓋覆 覆いかぶせる。


中朝大官老於事,詎肯感激徒媕婀。
ところが中央朝廷の大官は事務に慣れ過ぎてしまっているから、もう感激などするはずないし、いたずらにだらだらとしてほったらかしにしている。
・老於事 事務に老練であること。ここではむしろマンネリズムにおちいっていると指摘する言葉として使っている。
・媕婀 テキパキしないさま。


牧童敲火牛礪角,誰複著手為摩挲。
近くの牧童たちは石鼓に鎌か、蹴上げる石かなにかをぶちつけて火花を出したり、牛が角を研いでいる。あるいは誰がまた、わざわざ手をかけてくれてきれいに拭いたりしてくれるであろう。
・敲火 石鼓に鎌か、蹴上げる石かなにかをぶちつけて火花を出すことをいう。
・摩挲 さする。大切にしてみがくことをいう。


日銷月鑠就埋沒,六年西顧空吟哦。
日一日と磨り減っていき、一月ごとに壊れてゆき、やがて埋没してはてるだろう。こうして六年間ものあいだ西の方をかえりみてはむなしく自分に言い聞かせ、欺いてきたものです。


韓愈「三品の性」について
この詩の「孔子」について、韓愈は儒家として孔子の学問について、その論を否定して、小馬鹿にしたような表現八句「金繩鐵索鎖紐壯,古鼎躍水龍騰梭。陋儒編詩不收入,二雅褊迫無委蛇。孔子西行不到秦,掎摭星宿遺羲娥。嗟予好古生苦晚,對此涕淚雙滂沱。」と少し小ばかにし、そして最終的には「方今太平日無事,柄任儒術崇丘軻。」とのべている。
 韓愈は儒家の道徳の根原を「原道」「原性」「原毀」「原人」「原鬼」の五つの本質を原【たず】ねて推論をのべている。特に孟子の性善、荀子の性悪、楊雄の性善性悪混在説の三説に対して三品の性という新しい見解を述べたのであるが、韓愈の詩の理解のためには、韓愈が精魂込めた「原性」などを理解しなければならないのである。そこで、少し難しいが、このブログに取り上げ解説する予定である。
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石鼓歌
石臼のよう太鼓の形の石に、先秦時代の文字がほりつけてあるため、「石鼓」といわれ、十個ある。そこにほられている文字が、石鼓文で、ふつうの篆書すなわち小篆とはやや異なる大篆という書体である。またその文革は、四書の詩で「詩経」の詩によく似ている。
韓愈はこの詩では、周の宣王(紀元前828-728年在位)の時としているが、現在では周の平王元年紀元前770年の作である。

石鼓文(せっこぶん)とは、唐初期に陝西省鳳翔府天興県で出土した10基の花崗岩の石碑、またはそれに刻まれた文字をいう。現存する中国の石刻文字資料としては最古のもので、出土した当時から珍重され、現在は北京故宮博物院に展示されている。

#6
薦諸太廟比郜鼎,光價豈止百倍過。
この石鼓を国家の大廟に供え安置されたならば魯の国祖周公を祭った郜鼎にくらべてみても、かがやく値打はどうして百倍以上というくらいではおさまるものではありません。
聖恩若許留太學,諸生講解得切磋。
天子のお許しを得ることができるなら、大学に留めおくことをおゆるしねがいたいのです。するとここの学生たちが研究しあい、たがいに励み合って努力を重ねることとなりましょう。
觀經鴻都尚填咽,坐見舉國來奔波。
後漢の霊帝は蔡邕に命じ書かれた觀経は鴻都学校がこれを見に来たものでなひっきりなしにテンヤワンヤであったというし、まして、この石鼓ならば、こんどは 国を挙げて怒涛のように押しかけてくることは誰が考えてもそうなると思うことです。
剜苔剔蘚露節角,安置妥帖平不頗。
この石鼓のむした苔を削り取り、節目、門目をあらわしきれいにすることと、平らかにして、傾かぬよう どっしり据えて安置することです。

諸【これ】を太廟【たいびょう】に薦めて郜【こう】の鼎【かなえ】に比ぶれは、光價【こうか】は 豈に止【ただ】に 百倍過ぐるのみならむや。
聖恩 若し太學【だいがく】に留むるを許したまはば、諸生 講解して 切磋【せつさ】することを得む。
經を鴻都【こうと】に觀るも尚お填咽【てんえつ】す。
坐して見む 図を挙げて来って奔波【ほんは】せむことを。
苔を剜【え】り 蘇【こけ】を剔【けず】って 節角【せつかく】を露【あら】はし。
安置すること妥帖【だちょう】にし 平にして頗【かたぶ】かざらしむ。



『石鼓歌』 現代語訳と訳註
 (本文)
#6
薦諸太廟比郜鼎,光價豈止百倍過。
聖恩若許留太學,諸生講解得切磋。
觀經鴻都尚填咽,坐見舉國來奔波。
剜苔剔蘚露節角,安置妥帖平不頗。


(下し文)
諸【これ】を太廟【たいびょう】に薦めて郜【こう】の鼎【かなえ】に比ぶれは、光價【こうか】は 豈に止【ただ】に 百倍過ぐるのみならむや。
聖恩 若し太學【だいがく】に留むるを許したまはば、諸生 講解して 切磋【せつさ】することを得む。
經を鴻都【こうと】に觀るも尚お填咽【てんえつ】す。
坐して見む 図を挙げて来って奔波【ほんは】せむことを。
苔を剜【え】り 蘇【こけ】を剔【けず】って 節角【せつかく】を露【あら】はし。
安置すること妥帖【だちょう】にし 平にして頗【かたぶ】かざらしむ。


(現代語訳)
この石鼓を国家の大廟に供え安置されたならば魯の国祖周公を祭った郜鼎にくらべてみても、かがやく値打はどうして百倍以上というくらいではおさまるものではありません。
天子のお許しを得ることができるなら、大学に留めおくことをおゆるしねがいたいのです。するとここの学生たちが研究しあい、たがいに励み合って努力を重ねることとなりましょう。
後漢の霊帝は蔡邕に命じ書かれた觀経は鴻都学校がこれを見に来たものでなひっきりなしにテンヤワンヤであったというし、まして、この石鼓ならば、こんどは 国を挙げて怒涛のように押しかけてくることは誰が考えてもそうなると思うことです。
この石鼓のむした苔を削り取り、節目、門目をあらわしきれいにすることと、平らかにして、傾かぬよう どっしり据えて安置することです。


 (訳注) #6
薦諸太廟比郜鼎,光價豈止百倍過。

この石鼓を国家の大廟に供え安置されたならば魯の国祖周公を祭った郜鼎にくらべてみても、かがやく値打はどうして百倍以上というくらいではおさまるものではありません。
・郜鼎 郜すなわち今の山東省にあった国で鋳造された鼎。春秋時代末の国から魯へうつされ、魯の国祖周公を祭った廟に安置されていた。
韓愈「薦士」に「魯侯國至小,廟鼎猶納郜。」春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできた。
廟鼎猶納郜 廟:太廟 郜鼎:春秋時代宋の国にあった鼎:魯の桓公二年(前710年)内乱を起こした家老の華父督によって、魯の国に賄賂として贈られ魯の先祖を周公を祭る廟におかれた。今の山東省にあった郜の国で鋳造されたので郜鼎と称された。
左伝、桓公二年 無責任な甘やかしは、愛にもとづく厳格な戒めに及ばないことのたとえ。【城下の盟】敵に首都まで攻め入られてする、屈辱的な降伏の約束。
○紀元前701年、鄭の祭仲と公子突を抑留して脅迫し、盟を結ぶと帰国させて突(厲公)を国君に立てさせた。紀元前700年、魯の桓公や燕の人と穀丘で会談し、鄭との修好を求められた。また魯と虚や亀で会談したが、荘公は鄭との講和を拒否した。宋は魯・鄭の連合軍の攻撃を受けた。紀元前699年、斉・宋・衛・燕と魯・鄭・紀のあいだの会戦となった。

薦士 韓退之(韓愈)詩<62-#7>Ⅱ中唐詩374 紀頌之の漢詩ブログ1201


・光価 かがやくような価値。


聖恩若許留太學,諸生講解得切磋。
天子のお許しを得ることができるなら、大学に留めおくことをおゆるしねがいたいのです。するとここの学生たちが研究しあい、たがいに励み合って努力を重ねることとなりましょう。
・切磋/切瑳 骨・角(つの)などを切ったり磨いたりする意から、学問に励み徳義を磨くこと。努力を重ねること。


觀經鴻都尚填咽,坐見舉國來奔波。
後漢の霊帝は蔡邕に命じ書かれた觀経は鴻都学校がこれを見に来たものでなひっきりなしにテンヤワンヤであったというし、まして、この石鼓ならば、こんどは 国を挙げて怒涛のように押しかけてくることは誰が考えてもそうなると思うことです。
・観経 後漢の霊帝は蔡邕に命じ、五経を校定し古文と篆書と隷書の三つの書体で石に刻んで大学の門下に建てさせたので、これを観にくるもので市のようになったという。
・鴻都 後漢の霊帝のたてた学校の名。
・填咽 転んだり、息を衝かせたりする状況でてんやわんや、というほどの意。
・奔波 乱暴におしよせる。


剜苔剔蘚露節角,安置妥帖平不頗。
この石鼓のむした苔を削り取り、節目、門目をあらわしきれいにすることと、平らかにして、傾かぬよう どっしり据えて安置することです。
・剜苔剔蘚 こけをごっそりこそげとる。
節角 ふしやかど。
・妥帖 ぴったりおちつく。

石鼓歌 韓愈 韓退之(韓愈)詩<97-#5>Ⅱ中唐詩526 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1670

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石鼓歌 韓愈 韓退之(韓愈)詩<97-#5>Ⅱ中唐詩526 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1670




石鼓歌
石臼のよう太鼓の形の石に、先秦時代の文字がほりつけてあるため、「石鼓」といわれ、十個ある。そこにほられている文字が、石鼓文で、ふつうの篆書すなわち小篆とはやや異なる大篆という書体である。またその文革は、四書の詩で「詩経」の詩によく似ている。
韓愈はこの詩では、周の宣王(紀元前828-728年在位)の時としているが、現在では周の平王元年紀元前770年の作である。

石鼓文(せっこぶん)とは、唐初期に陝西省鳳翔府天興県で出土した10基の花崗岩の石碑、またはそれに刻まれた文字をいう。現存する中国の石刻文字資料としては最古のもので、出土した当時から珍重され、現在は北京故宮博物院に展示されている。



#5
憶昔初蒙博士征,其年始改稱元和。
思い返せば数年前に初めて国学博士の官に召されたときのことだが、その年、年号が変わり、はじめて元和とよばれた。
故人從軍在右輔,為我度量掘臼科。
ふるくからの友人が鳳翔府の幕府軍隊に勤務していて、わたしのためにその遺跡を掘ってみようときかくしてくれた。
濯冠沐浴告祭酒,如此至寶存豈多。
そこで、わたしは冠あらい身をそそぎ清め、祭酒の国子監の総長に申請したのである、「こんな至宝というべきものはめったにあるものではありません。
氈包席裹可立致,十鼓只載數駱駝。

毛氈でつつみこみその上をむしろで側を囲いすぐにも持って参れましょう。そして十もある石鼓だとしても数頭の駱駝にそっくり載せてまいりましょう。」と。

憶う昔 初めて博士の征【め】しを蒙【こうむ】りしを、其の年 始めて改めて 元和と稱【しょう】す
故人 軍に従って右輔に在り、我が為に量度して臼科【きゅうか】を掘らんとす。
冠を濯って沐浴【もくよく】し祭酒に告ぐ、此の如き至寶【しほう】は存すること豈に多からむ。
氈【せん】に包み 席に裹【つつ】みて 立どころに致す可し、十鼓を只【た】だ載せむには 敷駱駝【らくだ】のみ。


『石鼓歌』 現代語訳と訳註
(本文)
#5
憶昔初蒙博士征,其年始改稱元和。
故人從軍在右輔,為我度量掘臼科。
濯冠沐浴告祭酒,如此至寶存豈多。
氈包席裹可立致,十鼓只載數駱駝。


(下し文)
憶う昔 初めて博士の征【め】しを蒙【こうむ】りしを、其の年 始めて改めて 元和と稱【しょう】す
故人 軍に従って右輔に在り、我が為に量度して臼科【きゅうか】を掘らんとす。
冠を濯って沐浴【もくよく】し祭酒に告ぐ、此の如き至寶【しほう】は存すること豈に多からむ。
氈【せん】に包み 席に裹【つつ】みて 立どころに致す可し、十鼓を只【た】だ載せむには 敷駱駝【らくだ】のみ。


(現代語訳)
思い返せば数年前に初めて国学博士の官に召されたときのことだが、その年、年号が変わり、はじめて元和とよばれた。
ふるくからの友人が鳳翔府の幕府軍隊に勤務していて、わたしのためにその遺跡を掘ってみようときかくしてくれた。
そこで、わたしは冠あらい身をそそぎ清め、祭酒の国子監の総長に申請したのである、「こんな至宝というべきものはめったにあるものではありません。
毛氈でつつみこみその上をむしろで側を囲いすぐにも持って参れましょう。そして十もある石鼓だとしても数頭の駱駝にそっくり載せてまいりましょう。」と。


(訳注)#5
憶昔初蒙博士征,其年始改稱元和。

思い返せば数年前に初めて国学博士の官に召されたときのことだが、その年、年号が変わり、はじめて元和とよばれた。


故人從軍在右輔,為我量度掘臼科。
ふるくからの友人が鳳翔府の幕府軍隊に勤務していて、わたしのためにその遺跡を掘ってみようときかくしてくれた。
・右輔 右扶風であり、鳳翔府のことをいう。
・量度 企画する。
・臼科 うすのようにくぼんだ所を云う。


濯冠沐浴告祭酒,如此至寶存豈多。
そこで、わたしは冠あらい身をそそぎ清め、祭酒の国子監の総長に申請したのである、「こんな至宝というべきものはめったにあるものではありません。
・祭酒 国子監の総長。国立大学の学長。


氈包席裹可立致,十鼓只載數駱駝。
毛氈でつつみこみその上をむしろで側を囲いすぐにも持って参れましょう。そして十もある石鼓だとしても数頭の駱駝にそっくり載せてまいりましょう。」と。
・氈包 毛氈で包む。
・席裹 筵やござで囲う


韓愈「三品の性」について
この詩の「孔子」について、韓愈は儒家として孔子の学問について、その論を否定して、小馬鹿にしたような表現八句「金繩鐵索鎖紐壯,古鼎躍水龍騰梭。陋儒編詩不收入,二雅褊迫無委蛇。孔子西行不到秦,掎摭星宿遺羲娥。嗟予好古生苦晚,對此涕淚雙滂沱。」と少し小ばかにし、そして最終的には「方今太平日無事,柄任儒術崇丘軻。」とのべている。
 韓愈は儒家の道徳の根原を「原道」「原性」「原毀」「原人」「原鬼」の五つの本質を原【たず】ねて推論をのべている。特に孟子の性善、荀子の性悪、楊雄の性善性悪混在説の三説に対して三品の性という新しい見解を述べたのであるが、韓愈の詩の理解のためには、韓愈が精魂込めた「原性」などを理解しなければならないのである。そこで、少し難しいが、このブログに取り上げ解説する予定である。
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石鼓歌 韓愈 韓退之(韓愈)詩<97-#4>Ⅱ中唐詩525 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1666



石鼓歌
石臼のよう太鼓の形の石に、先秦時代の文字がほりつけてあるため、「石鼓」といわれ、十個ある。そこにほられている文字が、石鼓文で、ふつうの篆書すなわち小篆とはやや異なる大篆という書体である。またその文革は、四書の詩で「詩経」の詩によく似ている。
韓愈はこの詩では、周の宣王(紀元前828-728年在位)の時としているが、現在では周の平王元年紀元前770年の作である。

石鼓文(せっこぶん)とは、唐初期に陝西省鳳翔府天興県で出土した10基の花崗岩の石碑、またはそれに刻まれた文字をいう。現存する中国の石刻文字資料としては最古のもので、出土した当時から珍重され、現在は北京故宮博物院に展示されている。


#4
金繩鐵索鎖紐壯,古鼎躍水龍騰梭。
金の縄や鉄のくさりで、がんじがらめに縛ったようであり、あるいは王権の象徴としても「古い鼎」が水にとびこんで竜が梭に化け昇天する、ま逆の出来事みたいでもある。
陋儒編詩不收入,二雅褊迫無委蛇。
心が狭く卑しい学者が『詩経』を編纂したので、この石鼓詩を採用しなかった。詩経小雅・大雅はかたよっており、おおらかなところが全くない。
孔子西行不到秦,掎摭星宿遺羲娥。
孔子は西へ旅したけれども秦までは来ておらず、星くずのような詩は拾ったが、義和の太陽や嫦娥の月についてはおさめのこしている。
嗟予好古生苦晚,對此涕淚雙滂沱。
ああ、わたしは古代のものを愛しているのに 生まれてくるのが遅すぎたというのか。これにむかえうって、涙がふたすじ流れ落ち、そしてそれはぼろぼろととめどなく落ちつづける。


『石鼓歌』 現代語訳と訳註
(本文) #4
金繩鐵索鎖紐壯,古鼎躍水龍騰梭。
陋儒編詩不收入,二雅褊迫無委蛇。
孔子西行不到秦,掎摭星宿遺羲娥。
嗟予好古生苦晚,對此涕淚雙滂沱。


(下し文)
金繩【きんじょう】鐵索【てつさく】鎖紐、古鼎水に躍って 龍は梭を騰ぐ。
陋儒【ろうじゅ】詩を編みて 収め入れず、二雅は褊迫にして 委蛇たる無し。
孔子 西に行きしも 秦に到らず、星宿を掎摭して 義娥を遺せり。
嗟 余 古を好めども 生るること苦だ晩し、此に封して 涕淚 雙びて滂沱たり。


(現代語訳)
金の縄や鉄のくさりで、がんじがらめに縛ったようであり、あるいは王権の象徴としても「古い鼎」が水にとびこんで竜が梭に化け昇天する、ま逆の出来事みたいでもある。
心が狭く卑しい学者が『詩経』を編纂したので、この石鼓詩を採用しなかった。詩経小雅・大雅はかたよっており、おおらかなところが全くない。
孔子は西へ旅したけれども秦までは来ておらず、星くずのような詩は拾ったが、義和の太陽や嫦娥の月についてはおさめのこしている。
ああ、わたしは古代のものを愛しているのに 生まれてくるのが遅すぎたというのか。これにむかえうって、涙がふたすじ流れ落ち、そしてそれはぼろぼろととめどなく落ちつづける。


(訳注) #4
金繩鐵索鎖紐壯,古鼎躍水龍騰梭。
金の縄や鉄のくさりで、がんじがらめに縛ったようであり、あるいは王権の象徴としても「古い鼎」が水にとびこんで竜が梭に化け昇天する、ま逆の出来事みたいでもある。
・金縄鉄索 金や鉄のなわ。蒼海の三呉を取るためのものなどを云う。
・鎖紐 しばりつける。
・古鼎躍水 王権の象徴として殷・周に引き継がれ,楚(そ)の荘王が「鼎の軽重」を問い,秦統一の動乱で泗水に沈んだと言われている故事をいう。
・龍騰梭 晋の陶侃が雷沢で釣をしていると、はたを織る梭がひっかかった。壁にかけておくと夕立がしてその梭が竜になって飛び去ったという話が南朝宋‧劉敬叔の『異苑』にみえる。


陋儒編詩不收入,二雅褊迫無委蛇。
心が狭く卑しい学者が『詩経』を編纂したので、この石鼓詩を採用しなかった。詩経小雅・大雅はかたよっており、おおらかなところが全くない。
・陋儒編詩不收入 心が狭く卑しい学者が『詩経』を編纂したので、この石鼓詩を採用しなかった。・陋 1 場所が狭苦しい。2 心が狭く卑しい。
・二雅編迫不蚕蛇 『詩経」 の大雅小雅は当然石鼓の歌のようなものを収むべきであるが。窮迫すなわちセセッコマしく、委蛇すなわち大らかなところがないので、この詩を編入しなかった。◎孔子について


孔子西行不到秦,掎摭星宿遺羲娥。
孔子は西へ旅したけれども秦までは来ておらず、星くずのような詩は拾ったが、義和の太陽や嫦娥の月についてはおさめのこしている。
・星宿 星座のこと。ここでは取るに足らない詩を云う。
・羲娥 義和の太陽や嫦娥の月ということ。


嗟予好古生苦晚,對此涕淚雙滂沱。
ああ、わたしは古代のものを愛しているのに 生まれてくるのが遅すぎたというのか。これにむかえうって、涙がふたすじ流れ落ち、そしてそれはぼろぼろととめどなく落ちつづける。




◎孔子について
韓愈は儒家として孔子の学問について、その論を否定して、小馬鹿にしたような表現八句「金繩鐵索鎖紐壯,古鼎躍水龍騰梭。陋儒編詩不收入,二雅褊迫無委蛇。孔子西行不到秦,掎摭星宿遺羲娥。嗟予好古生苦晚,對此涕淚雙滂沱。」をのべているのではない。
 韓愈は儒家の道徳の根原を「原道」「原性」「原毀」「原人」「原鬼」の五つの本質を原【たず】ねて推論をのべている。特に孟子の性善、荀子の性悪、楊雄の性善性悪混在説の三説に対して三品の性という新しい見解を述べた「原性」はこのブログに取り上げ解説する予定である。
これは2013年1月頃から開始している。
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石鼓歌
石臼のよう太鼓の形の石に、先秦時代の文字がほりつけてあるため、「石鼓」といわれ、十個ある。そこにほられている文字が、石鼓文で、ふつうの篆書すなわち小篆とはやや異なる大篆という書体である。またその文革は、四書の詩で「詩経」の詩によく似ている。
韓愈はこの詩では、周の宣王(紀元前828-728年在位)の時としているが、現在では周の平王元年紀元前770年の作である。

石鼓文(せっこぶん)とは、唐初期に陝西省鳳翔府天興県で出土した10基の花崗岩の石碑、またはそれに刻まれた文字をいう。現存する中国の石刻文字資料としては最古のもので、出土した当時から珍重され、現在は北京故宮博物院に展示されている。


#3
公從何處得紙本,毫髮盡備無差訛。
君は何処からこの拓本を見つけてもって来たのか、髪の毛ほどの微細な点まできれいにそなわっていて 間違ったところはない。
辭嚴義密讀難曉,字體不類隸與科。
「文辞謹厳」「義理縝密」であって、読もうとしても 難解でなかなか通じないものだし、書風、字体は科斗文字でも隷書にも似ていないではないか。
年深豈免有缺畫,快劍斫斷生蛟鼉。
なんにしても年月がたっており、字画が欠落してもやむをえないというものであり、鋭い鋼剣で生きた螭やワニを切りさいているようだ。
鸞翔鳳翥眾仙下,珊瑚碧樹交枝柯。

あるいは鸞が飛んで、鳳凰がはばたき、そのうえ仙人たちが下りてくるかのようであり、東海の滄海の珊瑚や仙郷の碧樹がたがいに枝を交わすほどに繁っているみたいでもある。

公 何れの處より 紙本を得たる、毫髪 盡く備はって 差訛 無し。
辭 厳に 義 密に 読めども曉【さと】り難く、字體は 隷と科とに類せず。
年深ければ 豈に 缺畫有るを免れんや、快劍 斫り断つ 生蛟鼉。
鸞 翔けり 鳳翥って 衆仙下り、珊瑚 碧樹 枝柯を交ふ。




『石鼓歌』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
公從何處得紙本,毫髮盡備無差訛。
辭嚴義密讀難曉,字體不類隸與科。
年深豈免有缺畫,快劍斫斷生蛟鼉。
鸞翔鳳翥眾仙下,珊瑚碧樹交枝柯。


(下し文)
公 何れの處より 紙本を得たる、毫髪 盡く備はって 差訛 無し。
辭 厳に 義 密に 読めども曉【さと】り難く、字體は 隷と科とに類せず。
年深ければ 豈に 缺畫有るを免れんや、快劍 斫り断つ 生蛟鼉。
鸞 翔けり 鳳翥って 衆仙下り、珊瑚 碧樹 枝柯を交ふ。


(現代語訳)
君は何処からこの拓本を見つけてもって来たのか、髪の毛ほどの微細な点まできれいにそなわっていて 間違ったところはない。
「文辞謹厳」「義理縝密」であって、読もうとしても 難解でなかなか通じないものだし、書風、字体は科斗文字でも隷書にも似ていないではないか。
なんにしても年月がたっており、字画が欠落してもやむをえないというものであり、鋭い鋼剣で生きた螭やワニを切りさいているようだ。
あるいは鸞が飛んで、鳳凰がはばたき、そのうえ仙人たちが下りてくるかのようであり、東海の滄海の珊瑚や仙郷の碧樹がたがいに枝を交わすほどに繁っているみたいでもある。


(訳注) #3
公從何處得紙本,毫髮盡備無差訛。
君は何処からこの拓本を見つけてもって来たのか、髪の毛ほどの微細な点まできれいにそなわっていて 間違ったところはない。
・紙本 拓本。
・毫髮 秋に生え変わる毛ほどのこまかいところ。
・差訛 まちがい。


辭嚴義密讀難曉,字體不類隸與科。
「文辞謹厳」「義理縝密」であって、読もうとしても 難解でなかなか通じないものだし、書風、字体は科斗文字でも隷書にも似ていないではないか。
辭嚴義密 文辞意義が厳密である。文章と意味、書風のことを謂う。「文辞謹厳」「義理縝密」
隷与科 隷書と料斗文。料斗については韓愈『岣嶁山』。「岣嶁山尖神禹碑,字青石赤形模奇。蝌蚪拳身薤倒披,鸞飄鳳泊拿虎螭。事嚴跡秘鬼莫窺,道人獨上偶見之,我來咨嗟涕漣洏。千搜萬索何處有,森森綠樹猿猱悲。」蝌蚪とあり、・蝌蚪 おたまじゃくし。古代の文字に科斗を組み合わせたような形のものがあった。碑の文字のことをいっている。

岣嶁山 韓退之(韓愈)詩<52>Ⅱ中唐詩348 紀頌之の漢詩ブログ1123


年深豈免有缺畫,快劍斫斷生蛟鼉。
なんにしても年月がたっており、字画が欠落してもやむをえないというものであり、鋭い鋼剣で生きた螭やワニを切りさいているようだ。
・欠画 文字の画のかけたところ。
・快剣 するどい剣。
・斫断 切断と同じ。
・生蛟鼉 生きているミズチ(螭)やワニ。


鸞翔鳳翥眾仙下,珊瑚碧樹交枝柯。
あるいは鸞が飛んで、鳳凰がはばたき、そのうえ仙人たちが下りてくるかのようであり、東海の滄海の珊瑚や仙郷の碧樹がたがいに枝を交わすほどに繁っているみたいでもある。
・鸞翔鳳翥 鸞が飛んで、鳳凰がはばたいている。
・碧樹 東海の滄海の珊瑚や仙郷の碧樹。
・枝柯 えだ。

石鼓歌 韓愈 韓退之(韓愈)詩<97-#2>Ⅱ中唐詩523 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1658

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 Ⅲ杜甫詩1000詩集”成都紀行(6)” 五盤 杜甫詩1000 <345>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1659 杜甫1500- 514 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『菩薩蠻十一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-11-11-# 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1660 
      
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石鼓歌 韓愈 韓退之(韓愈)詩<97-#2>Ⅱ中唐詩523 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1658


石鼓歌
石臼のよう太鼓の形の石に、先秦時代の文字がほりつけてあるため、「石鼓」といわれ、十個ある。そこにほられている文字が、石鼓文で、ふつうの篆書すなわち小篆とはやや異なる大篆という書体である。またその文革は、四書の詩で「詩経」の詩によく似ている。
韓愈はこの詩では、周の宣王(紀元前828-728年在位)の時としているが、現在では周の平王元年紀元前770年の作である。

石鼓文(せっこぶん)とは、唐初期に陝西省鳳翔府天興県で出土した10基の花崗岩の石碑、またはそれに刻まれた文字をいう。現存する中国の石刻文字資料としては最古のもので、出土した当時から珍重され、現在は北京故宮博物院に展示されている。


石鼓歌 韓愈詩
#1  
張生手持石鼓文,勸我試作石鼓歌。
張籍君が「石鼓文」を私のところへ持って来ていう、「試みに石鼓の歌を作りませんか」とわたしに勧めるのだ。
少陵無人謫仙死,才薄將奈石鼓何。
そうはいっても、少陵にはもう大詩人の杜甫いないし、 謫仙の李白もこの世にはもういない。才能がとぼしいわたしなんかにいったい「石鼓」をどうしろというのだ。
周綱陵遲四海沸,宣王憤起揮天戈。
いにしえの周代の制度がおとろえ 四海に至る世界がみなわきかえるような動乱がおこった。その時、宜王は憤起して武力をもって天下を平らげたという。
大開明堂受朝賀,諸侯劍佩鳴相磨。

大礼を行なう殿堂を大いに開き諸侯の朝賀を受けられたので、それでかれら諸侯の剣や腰の佩び玉がすれあって、それは響いたものだという。

石鼓の歌
張生 手に石鼓の文を持し、我に勧めて 石鼓の歌を 試作せしむ
少陵に人無く謫仙【たくせん】死せり、才薄きに 將た石鼓を奈何せむ。
周綱【しゅうこう】 陵遲【りょうち】して四海 沸きしが、宣王【せんおう】憤起して天戈【てんか】を揮【ふる】う。
大いに明堂を開いて 朝賀を受け、諸侯の劍佩【けんぱい】鳴って相磨【ま】す。

#2
蒐于岐陽騁雄俊,萬里禽獸皆遮羅。
平定を祝って岐陽の野で「御狩」をされると、そこには豪傑や俊馬が馳せ参じて、万里にわたる地域の鳥や獣がことごとく網や仕掛けによってつかまえられた。
鐫功勒成告萬世,鑿石作鼓隳嵯峨。
またその功業を石碑に彫り刻むことで万年の後の世までも告げ知らそうとされた。それはけわしい山をうちくだき、石をはり、石鼓をつくったのである。
從臣才藝鹹第一,揀選撰刻留山阿。
宜王につき従う臣下らはみな一流の文武そろった学者であったが、選びにえらび、文章作り、刻ませて、山かげにとどめておいたという。
雨淋日炙野火燎,鬼物守護煩撝呵。

雨はしたたり、日の灼熱が照らし、野火に焼かれることもあったが、神はこのものの変化を守護してじゃまだてするものをしりぞけたのだ。
岐陽に蒐【かり】して 雄俊を騁【は】せ、萬里の禽獣 皆 遮羅せらる。
功を鐫り 成を勒して萬世に告げ,石を鑿【ほ】り鼓を作って嵯峨を隳【やぶ】りぬ。
従臣の才藝は鹹く第一、揀選し 撰刻し 山阿に留む
雨淋【そそ】ぎ 日炙り野火焼くも、鬼物 守護して 撝呵【きか】を煩はす。


『石鼓歌』 現代語訳と訳註
(本文) #2
蒐于岐陽騁雄俊,萬里禽獸皆遮羅。
鐫功勒成告萬世,鑿石作鼓隳嵯峨。
從臣才藝鹹第一,揀選撰刻留山阿。
雨淋日炙野火燎,鬼物守護煩撝呵。


(下し文)
岐陽に蒐【かり】して 雄俊を騁【は】せ、萬里の禽獣 皆 遮羅せらる。
功を鐫り 成を勒して萬世に告げ,石を鑿【ほ】り鼓を作って嵯峨を隳【やぶ】りぬ。
従臣の才藝は鹹く第一、揀選し 撰刻し 山阿に留む
雨淋【そそ】ぎ 日炙り野火焼くも、鬼物 守護して 撝呵【きか】を煩はす。


(現代語訳)
平定を祝って岐陽の野で「御狩」をされると、そこには豪傑や俊馬が馳せ参じて、万里にわたる地域の鳥や獣がことごとく網や仕掛けによってつかまえられた。
またその功業を石碑に彫り刻むことで万年の後の世までも告げ知らそうとされた。それはけわしい山をうちくだき、石をはり、石鼓をつくったのである。
宜王につき従う臣下らはみな一流の文武そろった学者であったが、選びにえらび、文章作り、刻ませて、山かげにとどめておいたという。
雨はしたたり、日の灼熱が照らし、野火に焼かれることもあったが、神はこのものの変化を守護してじゃまだてするものをしりぞけたのだ。


(訳注) #2
蒐于岐陽騁雄俊,萬里禽獸皆遮羅。
平定を祝って岐陽の野で「御狩」をされると、そこには豪傑や俊馬が馳せ参じて、万里にわたる地域の鳥や獣がことごとく網や仕掛けによってつかまえられた。
・蒐 狩猟。
・岐陽 関内道岐州岐山県。(地図茶字参照・中国歴史地図第五冊、唐、京畿道・関内道40-41、⑨-5地点)いま陝西省岐陽県。
体系 地図458華州から秦州
・遮羅
 網や仕掛けにとらえる。


鐫功勒成告萬世,鑿石作鼓隳嵯峨。
またその功業を石碑に彫り刻むことで万年の後の世までも告げ知らそうとされた。それはけわしい山をうちくだき、石をはり、石鼓をつくったのである。
・鐫功 功業を石にはりきざむ。
・勒成 成果をきざむ。
・隳 くずす。
・嵯峨 けわしい山。


從臣才藝鹹第一,揀選撰刻留山阿。
宜王につき従う臣下らはみな一流の文武そろった学者であったが、選びにえらび、文章作り、刻ませて、山かげにとどめておいたという。
・従臣 宣王に随う臣。
・揀選 選抜。
・撰刻 文章を作って石に刻む。


雨淋日炙野火燎,鬼物守護煩撝呵。
雨はしたたり、日の灼熱が照らし、野火に焼かれることもあったが、神はこのものの変化を守護してじゃまだてするものをしりぞけたのだ。
・淋 しとどにぬれる。

石鼓歌 韓愈 韓退之(韓愈)詩<97-#1>Ⅱ中唐詩522 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1654


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石鼓歌 韓愈 韓退之(韓愈)詩<97-#1>Ⅱ中唐詩522 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1654



石鼓文(せっこぶん)とは、唐初期に陝西省鳳翔府天興県で出土した10基の花崗岩の石碑、またはそれに刻まれた文字をいう。現存する中国の石刻文字資料としては最古のもので、出土した当時から珍重され、現在は北京故宮博物院に展示されている。


石鼓歌 韓愈詩
#1  
張生手持石鼓文,勸我試作石鼓歌。
少陵無人謫仙死,才薄將奈石鼓何。
周綱陵遲四海沸,宣王憤起揮天戈。
大開明堂受朝賀,諸侯劍佩鳴相磨。
#2
蒐于岐陽騁雄俊,萬里禽獸皆遮羅。
鐫功勒成告萬世,鑿石作鼓隳嵯峨。
從臣才藝鹹第一,揀選撰刻留山阿。
雨淋日炙野火燎,鬼物守護煩撝呵。
#3
公從何處得紙本,毫髮盡備無差訛。
辭嚴義密讀難曉,字體不類隸與科。
年深豈免有缺畫,快劍斫斷生蛟鼉。
鸞翔鳳翥眾仙下,珊瑚碧樹交枝柯。
#4
金繩鐵索鎖紐壯,古鼎躍水龍騰梭。
陋儒編詩不收入,二雅褊迫無委蛇。
孔子西行不到秦,掎摭星宿遺羲娥。
嗟予好古生苦晚,對此涕淚雙滂沱。
#5
憶昔初蒙博士征,其年始改稱元和。
故人從軍在右輔,為我度量掘臼科。
濯冠沐浴告祭酒,如此至寶存豈多。
氈包席裹可立致,十鼓只載數駱駝。
#6
薦諸太廟比郜鼎,光價豈止百倍過。
聖恩若許留太學,諸生講解得切磋。
觀經鴻都尚填咽,坐見舉國來奔波。
剜苔剔蘚露節角,安置妥帖平不頗。
#7
大廈深簷與蓋覆,經歷久遠期無佗。
中朝大官老於事,詎肯感激徒媕婀。
牧童敲火牛礪角,誰複著手為摩挲。
日銷月鑠就埋沒,六年西顧空吟哦。
#8
羲之俗書趁姿媚,數紙尚可博白鵝。
繼周八代爭戰罷,無人收拾理則那。
方今太平日無事,柄任儒術崇丘軻。
安能以此上論列,願借辨口如懸河。
石鼓之歌止於此,嗚呼吾意其蹉跎。






石鼓歌 韓愈詩
#1  
張生手持石鼓文,勸我試作石鼓歌。
張籍君が「石鼓文」を私のところへ持って来ていう、「試みに石鼓の歌を作りませんか」とわたしに勧めるのだ。
少陵無人謫仙死,才薄將奈石鼓何。
そうはいっても、少陵にはもう大詩人の杜甫いないし、 謫仙の李白もこの世にはもういない。才能がとぼしいわたしなんかにいったい「石鼓」をどうしろというのだ。
周綱陵遲四海沸,宣王憤起揮天戈。
いにしえの周代の制度がおとろえ 四海に至る世界がみなわきかえるような動乱がおこった。その時、宜王は憤起して武力をもって天下を平らげたという。
大開明堂受朝賀,諸侯劍佩鳴相磨。

大礼を行なう殿堂を大いに開き諸侯の朝賀を受けられたので、それでかれら諸侯の剣や腰の佩び玉がすれあって、それは響いたものだという。

石鼓の歌
張生 手に石鼓の文を持し、我に勧めて 石鼓の歌を 試作せしむ
少陵に人無く謫仙【たくせん】死せり、才薄きに 將た石鼓を奈何せむ。
周綱【しゅうこう】 陵遲【りょうち】して四海 沸きしが、宣王【せんおう】憤起して天戈【てんか】を揮【ふる】う。
大いに明堂を開いて 朝賀を受け、諸侯の劍佩【けんぱい】鳴って相磨【ま】す。


『石鼓歌』 現代語訳と訳註
(本文)
#1  
張生手持石鼓文,勸我試作石鼓歌。
少陵無人謫仙死,才薄將奈石鼓何。
周綱陵遲四海沸,宣王憤起揮天戈。
大開明堂受朝賀,諸侯劍佩鳴相磨。


(下し文) 石鼓の歌
張生 手に石鼓の文を持し、我に勧めて 石鼓の歌を 試作せしむ
少陵に人無く謫仙【たくせん】死せり、才薄きに 將た石鼓を奈何せむ。
周綱【しゅうこう】 陵遲【りょうち】して四海 沸きしが、宣王【せんおう】憤起して天戈【てんか】を揮【ふる】う。
大いに明堂を開いて 朝賀を受け、諸侯の劍佩【けんぱい】鳴って相磨【ま】す。


(現代語訳)
張籍君が「石鼓文」を私のところへ持って来ていう、
「試みに石鼓の歌を作りませんか」とわたしに勧めるのだ。
そうはいっても、少陵にはもう大詩人の杜甫いないし、 謫仙の李白もこの世にはもういない。才能がとぼしいわたしなんかにいったい「石鼓」をどうしろというのだ。
いにしえの周代の制度がおとろえ 四海に至る世界がみなわきかえるような動乱がおこった。その時、宜王は憤起して武力をもって天下を平らげたという。
大礼を行なう殿堂を大いに開き諸侯の朝賀を受けられたので、それでかれら諸侯の剣や腰の佩び玉がすれあって、それは響いたものだという。


(訳注) #1  
石鼓歌

石臼のよう太鼓の形の石に、先秦時代の文字がほりつけてあるため、「石鼓」といわれ、十個ある。そこにほられている文字が、石鼓文で、ふつうの篆書すなわち小篆とはやや異なる大篆という書体である。またその文革は、四書の詩で「詩経」の詩によく似ている。
韓愈はこの詩では、周の宣王(紀元前828-728年在位)のときとしているが、現在では周の平王元年紀元前770年の作である。


張生手持石鼓文,勸我試作石鼓歌。
張籍君が「石鼓文」を私のところへ持って来ていう、「試みに石鼓の歌を作りませんか」とわたしに勧めるのだ。
張生 張籍のこと。
張籍【768年(大暦三年)~830年(太和四年)】。は、中唐の詩人。字は文昌。和州(かしゅう)烏江(安徽省和県)の人。師友の韓愈に目をかけられ、その推薦によって、国子博士となった。楽府に長じている。賈島・孟郊などと唱和して古詩をよくし、盟友の王建とともに七言楽府に優れた作品を発表して「張王」と併称された。名詩人になろうとして、杜甫の詩集を焼いてその灰に膏蜜を混ぜて飲んだという逸話がある。表現は平易だが、世相の矛盾を指摘することは鋭く、白居易から「挙世(いまのよ)には其の倫(たぐい)少なし」と評せられ、後輩の姚合より「古風は敵手なく、新語は是れ人ぞ知る」と称えられた。中唐楽府運動の重要な担い手であり、白居易・元稹とともに「元和体」を形成した。『張司業詩集』8巻がある。
張籍は汴州の乱のおこった年の貞元十五年(799年)の進士であるが、韓愈より年長かも知れない。韓愈は孟郊に比べて後輩である。しかし韓愈の門人であって、その推薦によって官につき、水部員外郎〔水運水利を管理する職)となったので張水部と言われ、のち国子司業(大学教授)となったから張司業とも称せられる。
楽府体の詩に関しては友人の王建【768?~830?年(大暦10年進士)】と名を等しくするといわれ、元稹・白居易らの一群に数える文学史家もある。しかし晩年は律詩に力をそそぎ門人が多かった.張王二人の楽府は政治に対する批判と人民の苦痛を訴える点では杜甫・元結の風をうけるもので、七言の体が多い。
・石鼓文 石鼓に刻まれた詩の拓本。
・少陵 長安の南の郊外の杜陵の南部。そこに詩人杜甫の家があった。杜博に「少陵の野老声を呑んで笑す」という有名な句があり、杜甫のことを杜少陵とよぶのもこの地名に因む。

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少陵無人謫仙死,才薄將奈石鼓何。
そうはいっても、少陵にはもう大詩人の杜甫いないし、 謫仙の李白もこの世にはもういない。才能がとぼしいわたしなんかにいったい「石鼓」をどうしろというのだ。
・無人 少陵には詩人杜甫もいない。
謫仙 李白のこと。かれの「酒に対して賀藍を憶ふ詩」 の序に対酒憶賀監 二首 并序 其一 李白
對酒憶賀監併序 
太子賓客賀公、於長安紫極宮一見余、呼余為謫仙人。        
因解金亀換酒為楽、没後対酒、悵然有懐而作是詩。(太子賓客の賀公は長安の紫極官に於て余を一見して、呼びて諦仙人と為せり)という。賀監といい太子賓客賀公というのは「飲中八仙歌 杜甫」にもうたわれた賀知章のこと。諦仙人とは天上、あるいは仙人の世界から人間世界に追放された仙人のこと。
知章騎馬似乘船,眼花落井水底眠。
賀知章は何時も酔っていて、馬に乗っても船に乗っているように揺れている、くるくると回る目が井戸に落ちて水底に眠る。


○知章 賀知章。会稽永興の人、自から四明狂客と号し、太子賓客・秘書監となった。天宝三載、疏を上って郷に帰るとき、玄宗は詩を賦して彼を送った。○乗船 ゆらゆらする酔態をいう。知章は出身が商人で、商人は船に乗るので、騎馬にまたがった状態をいったのだ。○眼花 酔眼でみるとき現象のちらつくことをいう。
・才薄 わたしは才能が浅薄だ。もとより韓愈の謙辞である。


周綱陵遲四海沸,宣王憤起揮天戈。
いにしえの周代の制度がおとろえ 四海に至る世界がみなわきかえるような動乱がおこった。その時、宜王は憤起して武力をもって天下を平らげたという。
・周綱 周代の政治秩序。
・陵遲 盛なものが次第に衰えてゆくこと。
・四海 中国をとりまく四つの海。ひいて、世界のこと。
・沸 わきかえるような動乱がおこった。周の代もはじめのうちはすぐれた王が次次に出てよく治ったがそのうち政治の秩序がみだれ、厲王のころには人民が蜂起して、王を国外に追い目すようなこともあった。
・宜王 周の中興の名主といわれる人である。『詩経』小雅六月に
六月棲棲、戎車既飭。
四牡驥驥、載是常服。
玁狁孔熾、我是用急。
王于出征、以匡王國。
と中興の功業を讃えたものである。
・天戈 天から与えられたホコ。それをふるうとは、戦争することである。


大開明堂受朝賀,諸侯劍佩鳴相磨。
大礼を行なう殿堂を大いに開き諸侯の朝賀を受けられたので、それでかれら諸侯の剣や腰の佩び玉がすれあって、それは響いたものだという。
・明堂 天子が天や祖先の霊を祭ったり、諸侯の朝見をぅけるなどの、大礼を行なう殿堂。
・劍佩 剣と佩玉。佩玉は官吏の制服の腰にさげる玉。



韓愈「三品の性」について
この詩の「孔子」について、韓愈は儒家として孔子の学問について、その論を否定して、小馬鹿にしたような表現八句「金繩鐵索鎖紐壯,古鼎躍水龍騰梭。陋儒編詩不收入,二雅褊迫無委蛇。孔子西行不到秦,掎摭星宿遺羲娥。嗟予好古生苦晚,對此涕淚雙滂沱。」と少し小ばかにし、そして最終的には「方今太平日無事,柄任儒術崇丘軻。」とのべている。
 韓愈は儒家の道徳の根原を「原道」「原性」「原毀」「原人」「原鬼」の五つの本質を原【たず】ねて推論をのべている。特に孟子の性善、荀子の性悪、楊雄の性善性悪混在説の三説に対して三品の性という新しい見解を述べたのであるが、韓愈の詩の理解のためには、韓愈が精魂込めた「原性」などを理解しなければならないのである。そこで、少し難しいが、このブログに取り上げ解説する予定である。
「学問を進めるための解明文」進学解(まとめ) 韓退之(韓愈)詩<114-16>Ⅱ中唐詩572 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1854

原道 韓退之(韓愈)詩<115-1>Ⅱ中唐詩573 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1858
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歎昨日三首其二 盧仝 詩<7>Ⅱ中唐詩509 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1606

 
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  2012年12月1日から連載開始
唐五代詞詩・宋詞詩

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歎昨日三首其二 盧仝 詩<7>Ⅱ中唐詩509 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1606


卷388_7 《歎昨日三首》盧仝
歎昨日三首其一
昨日之日不可追,今日之日須臾期。如此如此複如此, 壯心死盡生鬢絲。
秋風落葉客腸斷,不辦鬥酒開愁眉。 賢名聖行甚辛苦,周公孔子徒自欺。

其二
天下薄夫苦耽酒,玉川先生也耽酒。
賢者は清談して呑むが天下の仁徳を重ねない浅い人間はただ酒にひたっているものだ。斯くいう私、玉川先生といわれているがその実さけにおぼれているだけなのだ。
薄夫有錢恣張樂,先生無錢養恬漠。
仁徳がない人はお金を以ているので快楽・享楽・悦楽を思いどおりにできる。私、玉川先生はお金を持っていないから恬淡な生活を心静かに過ごすのである。
有錢無錢俱可憐,百年驟過如流川。
お金があってもお金がないということもどちらも少しかわいそうなのだ。それは人生百年が過ぎてしまうのは川の水が流れて行くようなものであるからである。
平生心事消散盡,天上白日悠悠懸。

したがって、日ごろの心がけとして、小さなことからすべてのことを消し去ることである、天上にはいまも真昼の太陽があり、その光ははるか先の先までかかっているではないか。

其三
上帝板板主何物,日車劫劫西向沒。自古賢聖無奈何,道行不得皆白骨。
白骨土化鬼入泉,生人莫負平生年。何時出得禁酒國,滿甕釀酒曝背眠。

其の一
昨日之日 追う可からず,今日 之日 須く期に臾【すす】む。
此如くと此如くして複た此の如し, 壯心 死盡して 鬢絲を生む。
秋風 落葉して客 腸斷し,鬥の酒 愁眉を開くを辦【わきま】えず 。
賢名し聖行するは辛苦に甚え,周公孔子は徒【いたずら】に自ら欺くのみ。

其の二
天下の薄夫 苦【はなは】だ酒に耽【ふ】けり,玉川先生 酒に耽【つか】る也。
薄夫 錢有りて樂を張るを恣【ほしいまま】にし,先生 錢無くして恬漠【てんばく】を養う。
錢有ると錢無きとは俱に憐れむ可し,百年驟【にわか】に過ぎて流るる川の如し。
平生の事を心して消散し盡し,天上の白日 悠悠として懸かれり。

其三
上帝 板板として主に何の物,日車 劫劫として西に向き沒す。
古え自り賢聖とは奈何とする無く,道行するは皆白骨となるを得ず。
白骨は土化して鬼 泉に入り,生人は平生の年となるを負う莫れ。
何時ぞ禁酒の國と得るを出んや,滿甕 釀酒は曝して背眠する。


『歎昨日三首其二』 現代語訳と訳註
(本文) 其二

天下薄夫苦耽酒,玉川先生也耽酒。薄夫有錢恣張樂,
先生無錢養恬漠。有錢無錢俱可憐,百年驟過如流川。
平生心事消散盡,天上白日悠悠懸。


(下し文)
天下の薄夫 苦【はなは】だ酒に耽【ふ】けり,玉川先生 也【ま】た酒に耽【つか】る。
薄夫 錢有りて樂を張るを恣【ほしいまま】にし,先生 錢無くして恬漠【てんばく】を養う。
錢有ると錢無きとは俱に憐れむ可し,百年驟【にわか】に過ぎて流るる川の如し。
平生の事を心して消散し盡し,天上の白日 悠悠として懸かれり。


(現代語訳)
賢者は清談して呑むが天下の仁徳を重ねない浅い人間はただ酒にひたっているものだ。斯くいう私、玉川先生といわれているがその実さけにおぼれているだけなのだ。
仁徳がない人はお金を以ているので快楽・享楽・悦楽を思いどおりにできる。私、玉川先生はお金を持っていないから恬淡な生活を心静かに過ごすのである。
お金があってもお金がないということもどちらも少しかわいそうなのだ。それは人生百年が過ぎてしまうのは川の水が流れて行くようなものであるからである。
したがって、日ごろの心がけとして、小さなことからすべてのことを消し去ることである、天上にはいまも真昼の太陽があり、その光ははるか先の先までかかっているではないか。


(訳注) 其二
天下薄夫苦耽酒,玉川先生也耽酒。

賢者は清談して呑むが天下の仁徳を重ねない浅い人間はただ酒にひたっているものだ。斯くいう私、玉川先生といわれているがその実さけにおぼれているだけなのだ。
・薄夫 薄情な人。考えの浅い人。仁徳がない人。


薄夫有錢恣張樂,先生無錢養恬漠。
仁徳がない人はお金を以ているので快楽・享楽・悦楽を思いどおりにできる。私、玉川先生はお金を持っていないから恬淡な生活を心静かに過ごすのである。
恬漠 恬泊。心静かで欲がなくあっさりしている。淡泊。『後漢書、逸民、法真傅』「幽居恬泊、楽以忘憂。」(幽居して恬泊、楽しみて以って憂を忘る。)恬淡な生活を心静かに過ごす。後漢の建安文学より隠遁者が好んで使う語である。


有錢無錢俱可憐,百年驟過如流川。
お金があってもお金がないということもどちらも少しかわいそうなのだ。それは人生百年が過ぎてしまうのは川の水が流れて行くようなものであるからである。


平生心事消散盡,天上白日悠悠懸。
したがって、日ごろの心がけとして、小さなことからすべてのことを消し去ることである、天上にはいまも真昼の太陽があり、その光ははるか先の先までかかっているではないか。


歎昨日三首其一 盧仝 詩<6>Ⅱ中唐詩508 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1603


 
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唐五代詞詩・宋詞詩

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歎昨日三首其二 盧仝 詩<6>Ⅱ中唐詩508 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1603



韓愈、河南太子の頃の友人として、孟郊、張籍、皇甫湜、李翺、賈島、盧仝がおり、盧仝については既に、

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と掲載したが、韓愈の交友を理解を深めるため、ここで少し、盧仝の詩についてみてみよう。盧仝については『走筆謝孟諫議寄新茶』が群を抜いて知れ渡ってはいるが、ここに挙げるものは、斬新なものではない。



卷388_7 《歎昨日三首》盧仝
歎昨日三首其一
昨日之日不可追,今日之日須臾期。
如此如此複如此,壯心死盡生鬢絲。
秋風落葉客腸斷,不辦鬥酒開愁眉。
賢名聖行甚辛苦,周公孔子徒自欺。

其二
天下薄夫苦耽酒,玉川先生也耽酒。
薄夫有錢恣張樂,先生無錢養恬漠。
有錢無錢俱可憐,百年驟過如流川。
平生心事消散盡,天上白日悠悠懸。

其三
上帝板板主何物,日車劫劫西向沒。
自古賢聖無奈何,道行不得皆白骨。
白骨土化鬼入泉,生人莫負平生年。
何時出得禁酒國,滿甕釀酒曝背眠。


其の一
昨日之日 追う可からず,今日 之日 須く期に臾【すす】む。
此如くと此如くして複た此の如し, 壯心 死盡して 鬢絲を生む。
秋風 落葉して客 腸斷し,鬥の酒 愁眉を開くを辦【わきま】えず 。
賢名し聖行するは辛苦に甚え,周公孔子は徒【いたずら】に自ら欺くのみ。

其の二
天下の薄夫 苦【はなは】だ酒に耽【ふ】けり,玉川先生 也【ま】た酒に耽【つか】る。
薄夫 錢有りて樂を張るを恣【ほしいまま】にし,先生 錢無くして恬漠【てんばく】を養う。
錢有ると錢無きとは俱に憐れむ可し,百年驟【にわか】に過ぎて流るる川の如し。
平生の事を心して消散し盡し,天上の白日 悠悠として懸かれり。

其三
上帝 板板として主に何の物,日車 劫劫として西に向き沒す。
古え自り賢聖とは奈何とする無く,道行するは皆白骨となるを得ず。
白骨は土化して鬼 泉に入り,生人は平生の年となるを負う莫れ。
何時ぞ禁酒の國と得るを出んや,滿甕 釀酒は曝して背眠する。


歎昨日三首其一
昨日之日不可追,今日之日須臾期。
昨日は昨日の事で過ぎ去ってしまったもので追いかけて行くことはできない。今日のこの日はなんといっても約束の日で楽しみにしていたのに瞬く間に過ぎ去ってしまう。
如此如此複如此,壯心死盡生鬢絲。
このようにし、こうであって、そしてまたこの通りで過ごすのである。若いころに思うことはいつの間にかなくなってしまいそれに代わって髪に白いものが生えてくるのである。
秋風落葉客腸斷,不辦鬥酒開愁眉。
秋風が吹けば紅葉して落葉していく旅人は故郷が恋しくて断腸の思いになるものだ。だから一斗の樽酒が悲愁に浸るこの胸の内を晴らすのである、それを分別を持つことはないのだ。
賢名聖行甚辛苦,周公孔子徒自欺。
賢者も聖人も酒を呑んだ故事はあるがその道を進むには辛苦がはなはだしくついてまわる。「周公を訪ねる」という孔子が夢で旦に教えを請うた故事から、夢に出なくなったといって自ら歎いたというではないか。
其の一
昨日之日 追う可からず,今日 之日 須く期に臾う。
此如くと此如くして複た此の如し, 壯心 死盡 鬢絲を生む。
秋風 落葉して客 腸斷し,鬥酒 愁眉を開くを辦えず 。
賢名 聖行して辛苦に甚え,周公 孔子は自ら欺くを徒す。




『歎昨日三首其一』 現代語訳と訳註
(本文)

昨日之日不可追,今日之日須臾期。
如此如此複如此,壯心死盡生鬢絲。
秋風落葉客腸斷,不辦鬥酒開愁眉。
賢名聖行甚辛苦,周公孔子徒自欺。


(下し文)
昨日之日 追う可からず,今日 之日 須く期に臾う。
此如くと此如くして複た此の如し, 壯心 死盡 鬢絲を生む。
秋風 落葉して客 腸斷し,鬥酒 愁眉を開くを辦えず 。
賢名 聖行して辛苦に甚え,周公 孔子は自ら欺くを徒す。


(現代語訳)
昨日は昨日の事で過ぎ去ってしまったもので追いかけて行くことはできない。今日のこの日はなんといっても約束の日で楽しみにしていたのに瞬く間に過ぎ去ってしまう。
このようにし、こうであって、そしてまたこの通りで過ごすのである。若いころに思うことはいつの間にかなくなってしまいそれに代わって髪に白いものが生えてくるのである。
秋風が吹けば紅葉して落葉していく旅人は故郷が恋しくて断腸の思いになるものだ。だから一斗の樽酒が悲愁に浸るこの胸の内を晴らすのである、それを分別を持つことはないのだ。
賢者も聖人も酒を呑んだ故事はあるがその道を進むには辛苦がはなはだしくついてまわる。「周公を訪ねる」という孔子が夢で旦に教えを請うた故事から、夢に出なくなったといって自ら歎いたというではないか。


(訳注)
昨日之日不可追,今日之日須臾期。

昨日は昨日の事で過ぎ去ってしまったもので追いかけて行くことはできない。今日のこの日はなんといっても約束の日で楽しみにしていたのに瞬く間に過ぎ去ってしまう。


如此如此複如此,壯心死盡生鬢絲。
このようにし、こうであって、そしてまたこの通りで過ごすのである。若いころに思うことはいつの間にかなくなってしまいそれに代わって髪に白いものが生えてくるのである。


秋風落葉客腸斷,不辦鬥酒開愁眉。
秋風が吹けば紅葉して落葉していく旅人は故郷が恋しくて断腸の思いになるものだ。だから一斗の樽酒が悲愁に浸るこの胸の内を晴らすのである、それを分別を持つことはないのだ。
腸断 断腸には相手がいる。古来、妻であったり、交際の相手に会えない状態でいるものが、秋になり、夜が長くなるとその人と過ごした夜が忘れられなくて下半身に疼きを覚える。間もなくこの年も終わるあの人もまた一つ年を取ってしまう。秋風→夜長→旅客→轉蓬→寂寞→歳暮→悶夜→閨艶→断腸→悲愁 という三段論法、聯想があるのであるが、盧仝は隠遁者、韓愈たちは儒者であり「悶夜→閨艶→断腸」ということは詩の上では関係ないかもしれない。
・辨【わきまえる】1 物事の違いを見分ける。弁別する。区別する。2 物事の道理をよく知っている。心得ている。


賢名聖行甚辛苦,周公孔子徒自欺。
賢者も聖人も酒を呑んだ故事はあるがその道を進むには辛苦がはなはだしくついてまわる。「周公を訪ねる」という孔子が夢で旦に教えを請うた故事から、夢に出なくなったといって自ら歎いたというではないか。
賢名聖行 「賢者は濁り酒を飲んで白眼視して、清談するもの、聖人は清酒を呑み、ひもじくて死んでいくもの。」という竹林の七子のことを踏まえての句である。


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陸渾山火和皇甫湜用其韻(湜時為陸渾尉) 詩<93-#6>Ⅱ中唐詩499 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1576


#4
谽呀钜壑頗黎盆,豆登五山瀛四尊。
その肉の山と大きな谷を頗黎盆に取り大口を開いて食うのだ。肉を盛る祭器はまるで五岳であり、瀛山を浮かべる四海をさかずきにしたようなものだ。
熙熙釂酬笑語言,雷公擘山海水翻。
なごやかに喜びあい、酒を酌み交わし、笑い、談義を尽くす。雷様は山に堕ち、海の水を翻している。
齒牙嚼齧舌齶反,電光殲磹赬目厖,
歯をむき出し、牙むく、そして舌を出したりひるがえしたり、電光が炸裂するかと思えば、きらめく光で目玉を大きくするのである。
頊冥收威避玄根,斥棄輿馬背厥孫。
水の神とされる顓頊・玄冥は威勢あがらずみずのそこにいる。乗用の車や馬、御輿を棄ててしまったのか 火の神までがでてこないのである。
縮身潛喘拳肩跟,君臣相憐加愛恩。
身をかがめて知事困り、息をころして、かたとくるぶしをくっつけていて水底にすまいしていて、顓頊・玄冥の家来どもは互いに哀れんで御恩を感謝している。

谽呀【かんか】たる钜壑【きょがく】は頗黎【はり】の盆,五山を豆登して 瀛【うみ】は四尊【しそん】。
熙熙【きき】として釂酬【しょうしゅう】し 笑って語言す,雷公 山を擘【つんざ】き海水翻る。
齒牙もて嚼齧【しゃくげつ】舌齶【ぜつがく】反【かえ】る,電光 殲磹【せんてん】し赬目【ていもく】厖【おおい】なり,
頊冥【ぎょくめい】威を收めて 玄根に避け,輿馬【よば】を斥棄【せきき】して厥【そ】の孫に背く。
身を縮め 潛かに喘いで肩跟【けんこん】を拳ぐ,君臣 相憐みて 愛恩を加える。


#5
命黑螭偵焚其元,天闕悠悠不可援。
なんとかしようと螭に命じて偵察させたのだけれど頭に火傷おってしまった。天の関門は遠いはるかなところにあり攀じ登ることはできはしない。
夢通上帝血面論,側身欲進叱於閽。
夢で天子に拝謁して上訴を行ったのはよいが、御傍に寄ろうとしたら臣官にどなられたのだ。
帝賜九河湔涕痕,又詔巫陽反其魂。
天帝はあわれにおもわれて世界の九河の水で涙洗わせてもらったのだ。そして 巫女つかわして「招魂」によって魂を呼び戻された。
徐命之前問何冤,火行於冬古所存。
魂は呼びもどされてその訴え聞いてくれた。そして 言われた「冬になれば昔から、火の神というものは存分にはたらくものだ。」
我如禁之絕其飧,女丁婦壬傳世婚。
われわれがそれを止めれば夕食の煮たきもできない、そうであれば「溫泉之神」といわれるといわれるものだけが結婚できるというものだ。

黑螭【こくち】に命じて偵【うかが】わしむるに其の元を焚かる,天闕 悠悠 援づ可からず。
夢に上帝に通じて血面もて論じ,身を側て進まむと欲するに閽に叱せらる。
帝 九河を賜うて涕痕【ていこん】を湔【そそ】がしめ,又 巫陽に詔【みことのり】して其の魂を反さしむ。
徐【おもむろ】に之を命じ 前【すす】めましめて問う 何の冤ぞ,火の冬に行くは古より存する所。
我 如【も】し 之を禁せば 其の飧【そん】を絕たん,女丁は壬に婦となり 世を傳えて婚す。


#6
一朝結讎奈後昆,時行當反慎藏蹲。
ある朝それを始めたとしたらやるか止めるか子々孫々までの喧嘩をするようなものだ、御時勢にあわないというならばひっそりと隠居でもするか。
視桃著花可小騫,月及申酉利複怨。
二月三月、桃の花が咲くころには気分も高まってくるというもの、やがて7月八月になれば大水が出て何もかも怨みというものを洗い流して晴らしてくれる。
助汝五龍從九鯤,溺厥邑囚之昆崙。
そして五頭立ての天を駆け巡る竜の御車と海を行くには九鯤に乗ることによって君を助ける、それでもぐずぐず言うようであればそいつらを束にしてとらえて崑崙山に押しこめてしまう。」
皇甫作詩止睡昏,辭誇出真遂上焚。
皇甫湜君のために眠気覚ましに作った詩であるというのに、「真実を吐き出した愛での事」とうぬぼれたことをいっている。(韓愈が皇甫湜を持ち上げて作ったことに対して皇甫湜が自惚れたことの返事をしたということ。)
要餘和增怪又煩,雖欲悔舌不可捫。

わしにも要求したのはこの増長に合わせろと言い、怪しんだりうたがったりするなという、こんなことをしろと言われても舌を噛んで我慢しないといけないが、でも行ってしまったので、もう追っつきはしないことだ。
一朝にして 讎【あた】を結ばは後昆を奈【いかん】せん,時行 反するに當っては慎んで藏蹲【ぞうそん】せよ。
桃の花を著【つ】くるを視ば小【すこ】し騫【あ】ぐべし,月 申酉【しんゆう】に及わば怨を複するに利あらん。
汝を助けて五龍を九鯤に從わしめん,厥の邑を溺らせ之を昆崙に囚えよ。
皇甫の詩を作るは止睡昏【すいこん】をめるためなるに,辭に真に出づるを誇り 遂に上焚【じょうふん】す。
餘【われ】の和して增怪と煩とを要【もと】む,悔いむと欲すと雖も 舌 捫【な】づべからず。

現代語訳と訳註
(本文) #6

一朝結讎奈後昆,時行當反慎藏蹲。
視桃著花可小騫,月及申酉利複怨。
助汝五龍從九鯤,溺厥邑囚之昆崙。
皇甫作詩止睡昏,辭誇出真遂上焚。
要餘和增怪又煩,雖欲悔舌不可捫。


(下し文)
 一朝にして 讎【あた】を結ばは後昆を奈【いかん】せん,時行 反するに當っては慎んで藏蹲【ぞうそん】せよ。
桃の花を著【つ】くるを視ば小【すこ】し騫【あ】ぐべし,月 申酉【しんゆう】に及わば怨を複するに利あらん。
汝を助けて五龍を九鯤に從わしめん,厥の邑を溺らせ之を昆崙に囚えよ。
皇甫の詩を作るは止睡昏【すいこん】をめるためなるに,辭に真に出づるを誇り 遂に上焚【じょうふん】す。
餘【われ】の和して增怪と煩とを要【もと】む,悔いむと欲すと雖も 舌 捫【な】づべからず。


(現代語訳)
ある朝それを始めたとしたらやるか止めるか子々孫々までの喧嘩をするようなものだ、御時勢にあわないというならばひっそりと隠居でもするか。
二月三月、桃の花が咲くころには気分も高まってくるというもの、やがて7月八月になれば大水が出て何もかも怨みというものを洗い流して晴らしてくれる。
そして五頭立ての天を駆け巡る竜の御車と海を行くには九鯤に乗ることによって君を助ける、それでもぐずぐず言うようであればそいつらを束にしてとらえて崑崙山に押しこめてしまう。」
皇甫湜君のために眠気覚ましに作った詩であるというのに、「真実を吐き出した愛での事」とうぬぼれたことをいっている。(韓愈が皇甫湜を持ち上げて作ったことに対して皇甫湜が自惚れたことの返事をしたということ。)
わしにも要求したのはこの増長に合わせろと言い、怪しんだりうたがったりするなという、こんなことをしろと言われても舌を噛んで我慢しないといけないが、でも行ってしまったので、もう追っつきはしないことだ。


(訳注) #6
一朝結讎奈後昆,時行當反慎藏蹲。
ある朝それを始めたとしたらやるか止めるか子々孫々までの喧嘩をするようなものだ、御時勢にあわないというならばひっそりと隠居でもするか。
・後昆 のちの子孫。
・藏蹲 かくれうずくまる。


視桃著花可小騫,月及申酉利複怨。
二月三月、桃の花が咲くころには気分も高まってくるというもの、やがて7月八月になれば大水が出て何もかも怨みというものを洗い流して晴らしてくれる。
 頭をあげる。
申酉 中は七月、酉は八月。このころは大水の季節。


助汝五龍從九鯤,溺厥邑囚之昆崙。
そして五頭立ての天を駆け巡る竜の御車と海を行くには九鯤に乗ることによって君を助ける、それでもぐずぐず言うようであればそいつらを束にしてとらえて崑崙山に押しこめてしまう。」
五竜 五頭立ての天を駆け巡る馬車の馬の変わりに龍が引いてゆくこと。
九鯤 『荘子、逍遥遊』中国古代の想像上の大魚。北方の大海にすみ、大きさは幾千里だかわからないという。
・昆崙 中国古代の伝説上の山岳。崑崙山・崑崙丘・崑崙虚ともいう。中国の西方にあり、黄河の源で、玉を産出し、仙女の西王母がいるとされた。


皇甫作詩止睡昏,辭誇出真遂上焚。
皇甫湜君のために眠気覚ましに作った詩であるというのに、「真実を吐き出した愛での事」とうぬぼれたことをいっている。(韓愈が皇甫湜を持ち上げて作ったことに対して皇甫湜が自惚れたことの返事をしたということ。)
睡昏 ねむけ。
上焚 焚いて天に告げる。うぬぼれること。


要餘和增怪又煩,雖欲悔舌不可捫。
わしにも要求したのはこの増長に合わせろと言い、怪しんだりうたがったりするなという、こんなことをしろと言われても舌を噛んで我慢しないといけないが、でも行ってしまったので、もう追っつきはしないことだ。
悔舌 舌が動くのをひねってとめる。
しゃべらないようにする。うっかり皇甫湜めにつられて、こんな詩をつくって、ここまできて、やれしまったとおもってももうおそく、舌をつねってみても、どうにもならない、という意味だが、難しい七言の詩でもって冗談を繰り返す韓愈の多才な一面を見せつけたというところ詩である

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#4
谽呀钜壑頗黎盆,豆登五山瀛四尊。
その肉の山と大きな谷を頗黎盆に取り大口を開いて食うのだ。肉を盛る祭器はまるで五岳であり、瀛山を浮かべる四海をさかずきにしたようなものだ。
熙熙釂酬笑語言,雷公擘山海水翻。
なごやかに喜びあい、酒を酌み交わし、笑い、談義を尽くす。雷様は山に堕ち、海の水を翻している。
齒牙嚼齧舌齶反,電光殲磹赬目厖,
歯をむき出し、牙むく、そして舌を出したりひるがえしたり、電光が炸裂するかと思えば、きらめく光で目玉を大きくするのである。
頊冥收威避玄根,斥棄輿馬背厥孫。
水の神とされる顓頊・玄冥は威勢あがらずみずのそこにいる。乗用の車や馬、御輿を棄ててしまったのか 火の神までがでてこないのである。
縮身潛喘拳肩跟,君臣相憐加愛恩。
身をかがめて知事困り、息をころして、かたとくるぶしをくっつけていて水底にすまいしていて、顓頊・玄冥の家来どもは互いに哀れんで御恩を感謝している。

谽呀【かんか】たる钜壑【きょがく】は頗黎【はり】の盆,五山を豆登して 瀛【うみ】は四尊【しそん】。
熙熙【きき】として釂酬【しょうしゅう】し 笑って語言す,雷公 山を擘【つんざ】き海水翻る。
齒牙もて嚼齧【しゃくげつ】舌齶【ぜつがく】反【かえ】る,電光 殲磹【せんてん】し赬目【ていもく】厖【おおい】なり,
頊冥【ぎょくめい】威を收めて 玄根に避け,輿馬【よば】を斥棄【せきき】して厥【そ】の孫に背く。
身を縮め 潛かに喘いで肩跟【けんこん】を拳ぐ,君臣 相憐みて 愛恩を加える。


#5
命黑螭偵焚其元,天闕悠悠不可援。
なんとかしようと螭に命じて偵察させたのだけれど頭に火傷おってしまった。天の関門は遠いはるかなところにあり攀じ登ることはできはしない。
夢通上帝血面論,側身欲進叱於閽。
夢で天子に拝謁して上訴を行ったのはよいが、御傍に寄ろうとしたら臣官にどなられたのだ。
帝賜九河湔涕痕,又詔巫陽反其魂。
天帝はあわれにおもわれて世界の九河の水で涙洗わせてもらったのだ。そして 巫女つかわして「招魂」によって魂を呼び戻された。
徐命之前問何冤,火行於冬古所存。
魂は呼びもどされてその訴え聞いてくれた。そして 言われた「冬になれば昔から、火の神というものは存分にはたらくものだ。」
我如禁之絕其飧,女丁婦壬傳世婚。
われわれがそれを止めれば夕食の煮たきもできない、そうであれば「溫泉之神」といわれるといわれるものだけが結婚できるというものだ。

黑螭【こくち】に命じて偵【うかが】わしむるに其の元を焚かる,天闕 悠悠 援づ可からず。
夢に上帝に通じて血面もて論じ,身を側て進まむと欲するに閽に叱せらる。
帝 九河を賜うて涕痕【ていこん】を湔【そそ】がしめ,又 巫陽に詔【みことのり】して其の魂を反さしむ。
徐【おもむろ】に之を命じ 前【すす】めましめて問う 何の冤ぞ,火の冬に行くは古より存する所。
我 如【も】し 之を禁せば 其の飧【そん】を絕たん,女丁は壬に婦となり 世を傳えて婚す。


#6
一朝結讎奈後昆,時行當反慎藏蹲。
視桃著花可小騫,月及申酉利複怨。
助汝五龍從九鯤,溺厥邑囚之昆崙。
皇甫作詩止睡昏,辭誇出真遂上焚。
要餘和增怪又煩,雖欲悔舌不可捫。

一朝にして 讎【あた】を結ばは後昆を奈【いかん】せん,時行 反するに當っては慎んで藏蹲【ぞうそん】せよ。
桃の花を著【つ】くるを視ば小【すこ】し騫【あ】ぐべし,月 申酉【しんゆう】に及わば怨を複するに利あらん。
汝を助けて五龍を九鯤に從わしめん,厥の邑を溺らせ之を昆崙に囚えよ。
皇甫の詩を作るは止睡昏【すいこん】をめるためなるに,辭に真に出づるを誇り 遂に上焚【じょうふん】す。
餘【われ】の和して增怪と煩とを要【もと】む,悔いむと欲すと雖も 舌 捫【な】づべからず。


現代語訳と訳註
(本文)
#5
命黑螭偵焚其元,天闕悠悠不可援。
夢通上帝血面論,側身欲進叱於閽。
帝賜九河湔涕痕,又詔巫陽反其魂。
徐命之前問何冤,火行於冬古所存。
我如禁之絕其飧,女丁婦壬傳世婚。


(下し文)
黑螭【こくち】に命じて偵【うかが】わしむるに其の元を焚かる,天闕 悠悠 援づ可からず。
夢に上帝に通じて血面もて論じ,身を側て進まむと欲するに閽に叱せらる。
帝 九河を賜うて涕痕【ていこん】を湔【そそ】がしめ,又 巫陽に詔【みことのり】して其の魂を反さしむ。
徐【おもむろ】に之を命じ 前【すす】めましめて問う 何の冤ぞ,火の冬に行くは古より存する所。
我 如【も】し 之を禁せば 其の飧【そん】を絕たん,女丁は壬に婦となり 世を傳えて婚す。

(現代語訳)
なんとかしようと螭に命じて偵察させたのだけれど頭に火傷おってしまった。天の関門は遠いはるかなところにあり攀じ登ることはできはしない。
夢で天子に拝謁して上訴を行ったのはよいが、御傍に寄ろうとしたら臣官にどなられたのだ。
天帝はあわれにおもわれて世界の九河の水で涙洗わせてもらったのだ。そして 巫女つかわして「招魂」によって魂を呼び戻された。
魂は呼びもどされてその訴え聞いてくれた。そして 言われた「冬になれば昔から、火の神というものは存分にはたらくものだ。」
われわれがそれを止めれば夕食の煮たきもできない、そうであれば「溫泉之神」といわれるといわれるものだけが結婚できるというものだ。


(訳注) #5
命黑螭偵焚其元,天闕悠悠不可援。

なんとかしようと螭に命じて偵察させたのだけれど頭に火傷おってしまった。天の関門は遠いはるかなところにあり攀じ登ることはできはしない。
・天闕 天の関門。天帝の宮殿の門。また、宮城の門。宮門。禁闕。閶闔門。
・援 よじのぼる。


夢通上帝血面論,側身欲進叱於閽。
夢で天子に拝謁して上訴を行ったのはよいが、御傍に寄ろうとしたら臣官にどなられたのだ。
・血面 血まみれの顔。
・閽 周時代の官名。王宮の門の開閉を任務とする臣官。


帝賜九河湔涕痕,又詔巫陽反其魂。
天帝はあわれにおもわれて世界の九河の水で涙洗わせてもらったのだ。そして 巫女つかわして「招魂」によって魂を呼び戻された。
巫陽 天帝のむすめ。宋玉の「招魂」に、屈原の魂塊が離散したのを天帝があわれみ、むすめの巫陽にさがさせ、よびかえしてやった、という話がみえる。


徐命之前問何冤,火行於冬古所存。
魂は呼びもどされてその訴え聞いてくれた。そして 言われた「冬になれば昔から、火の神というものは存分にはたらくものだ。」


我如禁之絕其飧,女丁婦壬傳世婚。
われわれがそれを止めれば夕食の煮たきもできない、そうであれば「溫泉之神」といわれるといわれるものだけが結婚できるというものだ。
 夕食のことだが、ここでは煮たきした食
事というほどの意。
女丁婦壬 #4に登場した「頊冥收威避玄根」顓頊と玄冥の玄冥の子が壬夫安で祝融氏のむすめが丁芊という共に「水仙」を学んで習得したので「溫泉之神」とされた。日本でいう釜戸の神というところであろう。『東山少連』「玄冥之子曰壬夫安,祝融氏之女曰丁芊,俱學水仙,是為溫泉之神。」

陸渾山火和皇甫湜用其韻(湜時為陸渾尉) 韓退之(韓愈)詩<93-#4>Ⅱ中唐詩497 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1570

 
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陸渾山火和皇甫湜用其韻(湜時為陸渾尉) 韓退之(韓愈)詩<93-#4>Ⅱ中唐詩497 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1570


#3
攢雜啾嚄沸篪塤,彤幢絳旃紫纛幡。
竹製の横笛をふき、土笛を吹き鳴らして沸き立ち、ざわめくのであり、赤丹を塗った旗矛あり、柄の曲がった旗があり、紫の旗まであるのだ。
炎官熱屬朱冠褌,髹其肉皮通髀臀。
炎の神の従属の者たちは赤い帽子にふんどし、スカート姿でいるし、皮膚の肉には赤漆を塗りつけていて肩から尻まで塗っているのを見せつけている。
頹胸垤腹車掀轅,緹顏靺股豹兩鞬。
肉のたれ下った胸、ふくれ上った腹をゆすって 車の長柄棒をかき上げふりあげて、黒ずんだ赤ら顔、あかねぞめの革の股引、弓袋ふりわけ、きめている。
霞車虹靷日轂轓,丹蕤縓蓋緋繙鰭。
霞の中を虹の手綱をつけて、日輪の車にこしきと被いをつけて鞭うつのである、そしてあかい旗かざり、赤の幌、緋の旗ひれをゆすってすすむ。
紅帷赤幕羅脤膰,衁池波風肉陵屯。
赤の幔幕の内側には祭に供える肉がはるか向こうまで並べられており、血の池には風がそよいでなみがたち、肉の山はそびえるほど高いのである。

啾嚄【しゅうかく】を攢雜【さんざつ】して篪塤【ちけん】沸く,彤幢【とうどう】絳旃【こうせん】紫纛幡【しとうばん】。
炎官 熱屬 冠褌【かんこん】を朱にし,其の肉皮を髹【きゅう】にし 髀臀【ひどん】に通ず。
頹胸【たいきょう】垤腹【てつふく】車 轅【ながえ】を掀【かか】ぐ,緹顏【ていがん】靺股【ばつこ】豹の兩鞬【りょうけん】。
霞車【かしゃ】虹靷【こういん】日の轂轓【こくへん】,丹蕤【たんすき】縓蓋【せんがい】緋に鰭【ひれ】を繙【ひるが】えす。
紅帷 赤幕 脤膰【はり】の羅【つら】ぬ,衁池【こうち】波風 肉の陵屯。

#4
谽呀钜壑頗黎盆,豆登五山瀛四尊。
その肉の山と大きな谷を頗黎盆に取り大口を開いて食うのだ。肉を盛る祭器はまるで五岳であり、瀛山を浮かべる四海をさかずきにしたようなものだ。
熙熙釂酬笑語言,雷公擘山海水翻。
なごやかに喜びあい、酒を酌み交わし、笑い、談義を尽くす。雷様は山に堕ち、海の水を翻している。
齒牙嚼齧舌齶反,電光殲磹赬目厖,
歯をむき出し、牙むく、そして舌を出したりひるがえしたり、電光が炸裂するかと思えば、きらめく光で目玉を大きくするのである。
頊冥收威避玄根,斥棄輿馬背厥孫。
水の神とされる顓頊・玄冥は威勢あがらずみずのそこにいる。乗用の車や馬、御輿を棄ててしまったのか 火の神までがでてこないのである。
縮身潛喘拳肩跟,君臣相憐加愛恩。
身をかがめて知事困り、息をころして、かたとくるぶしをくっつけていて水底にすまいしていて、顓頊・玄冥の家来どもは互いに哀れんで御恩を感謝している。
谽呀【かんか】たる钜壑【きょがく】は頗黎【はり】の盆,五山を豆登して 瀛【うみ】は四尊【しそん】。
熙熙【きき】として釂酬【しょうしゅう】し 笑って語言す,雷公 山を擘【つんざ】き海水翻る。
齒牙もて嚼齧【しゃくげつ】舌齶【ぜつがく】反【かえ】る,電光 殲磹【せんてん】し赬目【ていもく】厖【おおい】なり,
頊冥【ぎょくめい】威を收めて 玄根に避け,輿馬【よば】を斥棄【せきき】して厥【そ】の孫に背く。
身を縮め 潛かに喘いで肩跟【けんこん】を拳ぐ,君臣 相憐みて 愛恩を加える。


#5
命黑螭偵焚其元,天闕悠悠不可援。
夢通上帝血面論,側身欲進叱於閽。
帝賜九河湔涕痕,又詔巫陽反其魂。
徐命之前問何冤,火行於冬古所存。
我如禁之絕其飧,女丁婦壬傳世婚。

黑螭【こくち】に命じて偵【うかが】わしむるに其の元を焚かる,天闕 悠悠 援づ可からず。
夢に上帝に通じて血面もて論じ,身を側て進まむと欲するに閽に叱せらる。
帝 九河を賜うて涕痕【ていこん】を湔【そそ】がしめ,又 巫陽に詔【みことのり】して其の魂を反さしむ。
徐【おもむろ】に之を命じ 前【すす】めましめて問う 何の冤ぞ,火の冬に行くは古より存する所。
我 如【も】し 之を禁せば 其の飧【そん】を絕たん,女丁は壬に婦となり 世を傳えて婚す。


#6
一朝結讎奈後昆,時行當反慎藏蹲。
視桃著花可小騫,月及申酉利複怨。
助汝五龍從九鯤,溺厥邑囚之昆崙。
皇甫作詩止睡昏,辭誇出真遂上焚。
要餘和增怪又煩,雖欲悔舌不可捫。

一朝にして 讎【あた】を結ばは後昆を奈【いかん】せん,時行 反するに當っては慎んで藏蹲【ぞうそん】せよ。
桃の花を著【つ】くるを視ば小【すこ】し騫【あ】ぐべし,月 申酉【しんゆう】に及わば怨を複するに利あらん。
汝を助けて五龍を九鯤に從わしめん,厥の邑を溺らせ之を昆崙に囚えよ。
皇甫の詩を作るは止睡昏【すいこん】をめるためなるに,辭に真に出づるを誇り 遂に上焚【じょうふん】す。
餘【われ】の和して增怪と煩とを要【もと】む,悔いむと欲すと雖も 舌 捫【な】づべからず。


現代語訳と訳註
(本文)
#4
谽呀钜壑頗黎盆,豆登五山瀛四尊。
熙熙釂酬笑語言,雷公擘山海水翻。
齒牙嚼齧舌齶反,電光殲磹赬目厖,
頊冥收威避玄根,斥棄輿馬背厥孫。
縮身潛喘拳肩跟,君臣相憐加愛恩。


(下し文)
谽呀【かんか】たる钜壑【きょがく】は頗黎【はり】の盆,五山を豆登して 瀛【うみ】は四尊【しそん】。
熙熙【きき】として釂酬【しょうしゅう】し 笑って語言す,雷公 山を擘【つんざ】き海水翻る。
齒牙もて嚼齧【しゃくげつ】舌齶【ぜつがく】反【かえ】る,電光 殲磹【せんてん】し赬目【ていもく】厖【おおい】なり,
頊冥【ぎょくめい】威を收めて 玄根に避け,輿馬【よば】を斥棄【せきき】して厥【そ】の孫に背く。
身を縮め 潛かに喘いで肩跟【けんこん】を拳ぐ,君臣 相憐みて 愛恩を加える。


(現代語訳)
その肉の山と大きな谷を頗黎盆に取り大口を開いて食うのだ。肉を盛る祭器はまるで五岳であり、瀛山を浮かべる四海をさかずきにしたようなものだ。
なごやかに喜びあい、酒を酌み交わし、笑い、談義を尽くす。雷様は山に堕ち、海の水を翻している。
歯をむき出し、牙むく、そして舌を出したりひるがえしたり、電光が炸裂するかと思えば、きらめく光で目玉を大きくするのである。
水の神とされる顓頊・玄冥は威勢あがらずみずのそこにいる。乗用の車や馬、御輿を棄ててしまったのか 火の神までがでてこないのである。
身をかがめて知事困り、息をころして、かたとくるぶしをくっつけていて水底にすまいしていて、顓頊・玄冥の家来どもは互いに哀れんで御恩を感謝している。


(訳注) #4
谽呀鉅壑頗黎盆,豆登五山瀛四尊。
その肉の山と大きな谷を頗黎盆に取り大口を開いて食うのだ。肉を盛る祭器はまるで五岳であり、瀛山を浮かべる四海をさかずきにしたようなものだ。
・谽呀 谷の大いにひらけたさま。パックリとひらいた、というほどの意。
・鉅壑 大きな谷。
・頗黎 赤玉。
・豆登 肉を盛る祭器。


熙熙釂酬笑語言,雷公擘山海水翻。
なごやかに喜びあい、酒を酌み交わし、笑い、談義を尽くす。雷様は山に堕ち、海の水を翻している。
熙熙【きき】. なごやかに喜びあうさま。 「衆人熙熙として楽しむ」. 【熙熙攘攘】ききじょうじょう. 大勢の人が賑やかに行き交うさま。 「熙熙」は喜んで楽しむさま。「攘攘」は入り乱れるさま、多いさま。 「攘攘」は「壌壌」とも書く。 【熙笑】きしょう. なごやかに笑うこと。
・釂酬 のみほしたり、返杯したりする。


齒牙嚼齧舌齶反,電光殲磹赬目厖,
歯をむき出し、牙むく、そして舌を出したりひるがえしたり、電光が炸裂するかと思えば、きらめく光で目玉を大きくするのである。
殲磹 きらめく。
・暖/〔暖に偏が目〕 目の大きなさま.


頊冥收威避玄根,斥棄輿馬背厥孫。
水の神とされる顓頊・玄冥は威勢あがらずみずのそこにいる。乗用の車や馬、御輿を棄ててしまったのか 火の神までがでてこないのである。
・頊冥 顓頊と玄冥。顓頊は中国古代の伝説上の天子。玄冥はどちらの文字も北を示し北方の神。顓頊・玄冥いずれも冬をつかさどり、水の神とされる。
・玄根 『列子』天瑞篇に「玄牝の門はこれ天地の根」 の語がみえる。ここでは、幽玄なものの根元ということで、水底をさすのであろう。万物生々流転、疑独=道を窮(きわ)む
・斥棄 すてさる。
・輿馬 乗用の車や馬。
・背厭孫 中国の五行説では、水は木を生じ、木から火が生まれる。いま、水の神の前項や玄英が、その孫にあたる火の神の祝融たちをおそれて逃げかくれしているので、その孫に背くという。

 五行関係図

縮身潛喘拳肩跟,君臣相憐加愛恩。
身をかがめて知事困り、息をころして、かたとくるぶしをくっつけていて水底にすまいしていて、顓頊・玄冥の家来どもは互いに哀れんで御恩を感謝している。
肩跟 かたとくるぶし。
・君臣 顧頚と玄冥とをさす。

陸渾山火和皇甫湜用其韻(湜時為陸渾尉) 韓退之(韓愈)詩<93-#2>Ⅱ中唐詩495 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1564

 
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陸渾山火和皇甫湜用其韻(湜時為陸渾尉) 韓退之(韓愈)詩<93-#2>Ⅱ中唐詩495 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1564


#2
三光弛隳不複暾,虎熊麋豬逮猴猿。
日月星辰 天にあるものすべてものが地に堕ちてくる。地にいる虎 熊 鹿 猪 猿猴のたぐいも一緒になる。
水龍鼉龜魚與黿,鴉鴟雕鷹雉鵠鹍。
水の中に住む、水竜【みずち】鼉【すっぽん】亀【かめ】魚【うお】黿【やもり】たちに、鳥の鴉【からす】鴟【とび】雕【わし】鷹【たか】雉【きじ】鵠【くぐい】鹍【とおまる】がいる。
燖炰煨爊孰飛奔,祝融告休酌卑尊,
それを焼いたり、焦がしたり、蒸されたり、そして、みんな飛び出したのだ。火をつかさどる神はこのあたりで攻撃をやめよと命令するとむれいこうとなってさかもりにうつるのである。
錯陳齊玫辟華園,芙蓉披猖塞鮮繁。
火の玉を松明代わりにならべた花園で宴はひらけられている、紅蓮の花束は目も鮮かにかざられている。
千鍾萬鼓咽耳喧。
千の鐘をならし、万の鼓をとどろきわたり耳をつんざくばかりなのだ。


三光 弛隳【しき】して 復た暾【あきら】かならず、
水龍 鼉 龜 魚と黿と,鴉 鴟 雕 鷹 雉 鵠 鹍。
燖炰【じんぽう】煨爊【わいおう】孰【いづ】れか飛奔【ひほん】する,祝融【しゅくゆう】休を告げ 卑尊【ひそん】に酌む,
齊玫【せいばい】錯陳【さくちん】し 華園【かえん】を辟【ひら】く,芙蓉 披猖【ひしょう】し塞って鮮繁【せんぱん】。
千鍾 萬鼓 耳に咽【むせ】んで喧【かますび】す。


現代語訳と訳註
(本文)
#2
三光弛隳不複暾,虎熊麋豬逮猴猿。
水龍鼉龜魚與黿,鴉鴟雕鷹雉鵠鹍。
燖炰煨爊孰飛奔,祝融告休酌卑尊,
錯陳齊玫辟華園,芙蓉披猖塞鮮繁。
千鍾萬鼓咽耳喧。


(下し文)
三光 弛隳【しき】して 復た暾【あきら】かならず、
水龍 鼉 龜 魚と黿と,鴉 鴟 雕 鷹 雉 鵠 鹍。
燖炰【じんぽう】煨爊【わいおう】孰【いづ】れか飛奔【ひほん】する,祝融【しゅくゆう】休を告げ 卑尊【ひそん】に酌む,
齊玫【せいばい】錯陳【さくちん】し 華園【かえん】を辟【ひら】く,芙蓉 披猖【ひしょう】し塞って鮮繁【せんぱん】。
千鍾 萬鼓 耳に咽【むせ】んで喧【かますび】す。


(現代語訳)
日月星辰 天にあるものすべてものが地に堕ちてくる。地にいる虎 熊 鹿 猪 猿猴のたぐいも一緒になる。
水の中に住む、水竜【みずち】鼉【すっぽん】亀【かめ】魚【うお】黿【やもり】たちに、鳥の鴉【からす】鴟【とび】雕【わし】鷹【たか】雉【きじ】鵠【くぐい】鹍【とおまる】がいる。
それを焼いたり、焦がしたり、蒸されたり、そして、みんな飛び出したのだ。火をつかさどる神はこのあたりで攻撃をやめよと命令するとむれいこうとなってさかもりにうつるのである。
火の玉を松明代わりにならべた花園で宴はひらけられている、紅蓮の花束は目も鮮かにかざられている。
・錯陳 まぜならべる。
千の鐘をならし、万の鼓をとどろきわたり耳をつんざくばかりなのだ。


(訳注) #2
三光弛隳不複暾,虎熊麋豬逮猴猿。

日月星辰 天にあるものすべてものが地に堕ちてくる。地にいる虎 熊 鹿 猪 猿猴のたぐいも一緒になる。
三光 日・月・星。
・弛隳 ゆるみくずれる。
・麋 大鹿。
・豬 一つの毛穴から三本の毛が生えているぶた。ここでは野豬すなわち、いのしし、のこと。


水龍鼉龜魚與黿,鴉鴟雕鷹雉鵠鵾。
水の中に住む、水竜【みずち】鼉【すっぽん】亀【かめ】魚【うお】黿【やもり】たちに、鳥の鴉【からす】鴟【とび】雕【わし】鷹【たか】雉【きじ】鵠【くぐい】鹍【とおまる】がいる。
 わにの一種。
黿 あおうみがめ。山の中にわにやうみがめなどいるものではないが、この詩た動物名はとって来て、遠慮なしに使っているのである。これをいちいち動物図
鑑にあたって、九世紀中国には陸上にこんな動物がいたのかなどと驚く必要はない。こうした羅列法は仏典によく見える。特に七言句なので面白さを強調することになる。
 とうまる。大型の鷄。


燖炰煨爊孰飛奔,祝融告休酌卑尊,
それを焼いたり、焦がしたり、蒸されたり、そして、みんな飛び出したのだ。火を司る神はこのあたりで攻撃をやめよと命令すると無礼講となって酒盛りにうつるのである
・燖炰 煮ることと焼くこと。
・煨爊 うずめ焼くこと。これらの文字も、一字一字せんさくする必要はない。おそらく、韓愈のその時の気分で火に関係のある文字は、杏古な感じのするものなら、手あたりしだいに使用されるだろう。
・祝融 火をつかさどる神。
・告休 ふつう休暇をとるという意味だが、ここでは攻撃をやめよと命令する、というほどの意で使われているのであろう。
・卑尊 身分のひくいもの高いもの。火の神の手下をさす。


錯陳齊玫辟華園,芙蓉披猖塞鮮繁。
火の玉を松明代わりにならべた花園で宴はひらけられている、紅蓮の花束は目も鮮かにかざられている。
錯陳 まぜならべる。
斉玫 火をふき出す南方産の珠。
・華園 火のもえさかっているところを花園と見たてたのだ。
芙蓉 紅蓮、これも火。
披猖 みだれる。


千鍾萬鼓咽耳喧。
千の鐘をならし、万の鼓をとどろきわたり耳をつんざくばかりなのだ。
千鐘万鼓 鐘や太鼓でドンチャソ騒ぎをやりだした。

陸渾山火和皇甫湜用其韻(湜時為陸渾尉) 韓退之(韓愈)詩<93-#0>Ⅱ中唐詩493 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1558

陸渾山火和皇甫湜用其韻(湜時為陸渾尉) 韓退之(韓愈)詩<93-#0>Ⅱ中唐詩493 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1558


陸渾山火和皇甫湜用其韻(湜時為陸渾尉)
 #1
  皇甫補官古賁渾,時當玄冬澤乾源。
  山狂穀很相吐吞,風怒不休何軒軒。
  擺磨出火以自燔,有聲夜中驚莫原。
  天跳地踔顛乾坤,赫赫上照窮崖垠。
  截然高周燒四垣,神焦鬼爛無逃門。
#2
  三光弛隳不複暾,虎熊麋豬逮猴猿。
  水龍鼉龜魚與黿,鴉鴟雕鷹雉鵠鹍。
  燖炰煨爊孰飛奔,祝融告休酌卑尊,
  錯陳齊玫辟華園,芙蓉披猖塞鮮繁。
  千鍾萬鼓咽耳喧。
#3
  攢雜啾嚄沸篪塤,彤幢絳旃紫纛幡。
  炎官熱屬朱冠褌,髹其肉皮通髀臀。
  頹胸垤腹車掀轅,緹顏靺股豹兩鞬。
  霞車虹靷日轂轓,丹蕤縓蓋緋繙鰭。
  紅帷赤幕羅脤膰,衁池波風肉陵屯。
#4
  谽呀钜壑頗黎盆,豆登五山瀛四尊。
  熙熙釂酬笑語言,雷公擘山海水翻。
  齒牙嚼齧舌齶反,電光殲磹赬目厖,
  頊冥收威避玄根,斥棄輿馬背厥孫。
  縮身潛喘拳肩跟,君臣相憐加愛恩。
#5
  命黑螭偵焚其元,天闕悠悠不可援。
  夢通上帝血面論,側身欲進叱於閽。
  帝賜九河湔涕痕,又詔巫陽反其魂。
  徐命之前問何冤,火行於冬古所存。
  我如禁之絕其飧,女丁婦壬傳世婚。
#6
  一朝結讎奈後昆,時行當反慎藏蹲。
  視桃著花可小騫,月及申酉利複怨。
  助汝五龍從九鯤,溺厥邑囚之昆崙。
  皇甫作詩止睡昏,辭誇出真遂上焚。
  要餘和增怪又煩,雖欲悔舌不可捫。


山火事をうたった奇怪な詩「陸渾山火、皇甫湜(こうほしょく、777—835)に和し、其の韻を用う」はこの年の冬の作である。皇甫湜、字は持正・睦州新安の人で、806年元和元年進士試験を通過し、陸渾県の尉となり、元和三年、さらに上級の賢良方正能直言極諌科に及第し、すこぶる意気があがっていた。韓愈にとっては11歳年下の友人でもあり弟子でもあったひとである。皇甫湜は、その任地でおこった大きな山火事を「陸渾山火」という長詩に仕立てて、韓愈におくった。皇甫湜は散文にはひいでた才能をもっているくせに、詩となるとてんで見ばえがしない。

「こんないい材料をもちながら、きみはまた、なんという詩をのたくる男なんだ」韓魚が笑うと、「なんだって、このリアリズムの極致に対して、よくもそんなことがほざけるもんだ。じゃあ、ひとつ、あなたもつくってみるといい、碌なもののできないことは、はじめからわかっているが、ものはためしだ」
結局、韓愈の作がのこって、皇甫湜の原作はのこっていない。

この詩も諷意が濃い。皇甫湜が賢良方正能璽一還諌科の試験に提出した答案は、内容が、当時の宰相李吉帝の施策を手きびしく批判したものであったため、宰相の憎しみをうけ、試験委員であったかれの叔父王涯は情実で甥を及第させたとの疑いで、瀞林学士から舐州司馬に乾せられ、さらに豪州刺史に遣った。
「璽一品諌」すべきものが、その任務をはたしたことによって、こうしたむくいをえ、おのれの任務に忠実でない宰相が栄えている事実に対するいきどおりが、皇甫湜の詩の中で、山火事にかこつけてうたわれていたのであろう。相似た感慨をもつ韓愈が、同感唱和して、この奇怪な諷詩の出現となったものと思われる。


陸渾山火和皇甫湜用其韻(湜時為陸渾尉)#1
皇甫補官古賁渾,時當玄冬澤乾源。
山狂穀很相吐吞,風怒不休何軒軒。
擺磨出火以自燔,有聲夜中驚莫原。
天跳地踔顛乾坤,赫赫上照窮崖垠。
截然高周燒四垣,神焦鬼爛無逃門。

陸渾山【りくこんさん】火 皇甫湜【こうほしょく】に和し其の韻を用う。(湜時に陸渾の尉と為す)
#1
皇甫 官に補せらる、古の賁渾【りくこん】、時 玄冬に當って澤は源を乾かす。
山狂ひ 谷很【たけ】り 相吐呑【とどん】す、風怒って休まず 何ぞ軒軒たる。
擺磨して火を出し 以て自ら燔く、聾有り 夜中驚いて原【たづ】ぬる莫し。
天跳り 地踔【あが】り 乾坤を顛【くつがえ】す、赫赫として上照し 崖垠【がいぎん】を窮む。
截然【せつぜん】として高く周【めぐ】って四垣【しえん】を焼く、神 焦【こが】れ 鬼 爛【ただ】れ 逃るる門無し。


#2
三光弛隳不複暾,虎熊麋豬逮猴猿。
水龍鼉龜魚與黿,鴉鴟雕鷹雉鵠鹍。
燖炰煨爊孰飛奔,祝融告休酌卑尊,
錯陳齊玫辟華園,芙蓉披猖塞鮮繁。
千鍾萬鼓咽耳喧。

三光 弛隳【しき】して 復た暾【あきら】かならず、
水龍 鼉 龜 魚と黿と,鴉 鴟 雕 鷹 雉 鵠 鹍。
燖炰【じんぽう】煨爊【わいおう】孰【いづ】れか飛奔【ひほん】する,祝融【しゅくゆう】休を告げ 卑尊【ひそん】に酌む,
齊玫【せいばい】錯陳【さくちん】し 華園【かえん】を辟【ひら】く,芙蓉 披猖【ひしょう】し塞って鮮繁【せんぱん】。
千鍾 萬鼓 耳に咽【むせ】んで喧【かますび】す。


#3
攢雜啾嚄沸篪塤,彤幢絳旃紫纛幡。
炎官熱屬朱冠褌,髹其肉皮通髀臀。
頹胸垤腹車掀轅,緹顏靺股豹兩鞬。
霞車虹靷日轂轓,丹蕤縓蓋緋繙鰭。
紅帷赤幕羅脤膰,衁池波風肉陵屯。

啾嚄【しゅうかく】を攢雜【さんざつ】して篪塤【ちけん】沸く,彤幢【とうどう】絳旃【こうせん】紫纛幡【しとうばん】。
炎官 熱屬 冠褌【かんこん】を朱にし,其の肉皮を髹【きゅう】にし 髀臀【ひどん】に通ず。
頹胸【たいきょう】垤腹【てつふく】車 轅【ながえ】を掀【かか】ぐ,緹顏【ていがん】靺股【ばつこ】豹の兩鞬【りょうけん】。
霞車【かしゃ】虹靷【こういん】日の轂轓【こくへん】,丹蕤【たんすき】縓蓋【せんがい】緋に鰭【ひれ】を繙【ひるが】えす。
紅帷 赤幕 脤膰【はり】の羅【つら】ぬ,衁池【こうち】波風 肉の陵屯。


#4
谽呀钜壑頗黎盆,豆登五山瀛四尊。
熙熙釂酬笑語言,雷公擘山海水翻。
齒牙嚼齧舌齶反,電光殲磹赬目厖,
頊冥收威避玄根,斥棄輿馬背厥孫。
縮身潛喘拳肩跟,君臣相憐加愛恩。

谽呀【かんか】たる钜壑【きょがく】は頗黎【はり】の盆,五山を豆登して 瀛【うみ】は四尊【しそん】。
熙熙【きき】として釂酬【しょうしゅう】し 笑って語言す,雷公 山を擘【つんざ】き海水翻る。
齒牙もて嚼齧【しゃくげつ】舌齶【ぜつがく】反【かえ】る,電光 殲磹【せんてん】し赬目【ていもく】厖【おおい】なり,
頊冥【ぎょくめい】威を收めて 玄根に避け,輿馬【よば】を斥棄【せきき】して厥【そ】の孫に背く。
身を縮め 潛かに喘いで肩跟【けんこん】を拳ぐ,君臣 相憐みて 愛恩を加える。


#5
命黑螭偵焚其元,天闕悠悠不可援。
夢通上帝血面論,側身欲進叱於閽。
帝賜九河湔涕痕,又詔巫陽反其魂。
徐命之前問何冤,火行於冬古所存。
我如禁之絕其飧,女丁婦壬傳世婚。


黑螭【こくち】に命じて偵【うかが】わしむるに其の元を焚かる,天闕 悠悠 援づ可からず。
夢に上帝に通じて血面もて論じ,身を側て進まむと欲するに閽に叱せらる。
帝 九河を賜うて涕痕【ていこん】を湔【そそ】がしめ,又 巫陽に詔【みことのり】して其の魂を反さしむ。
徐【おもむろ】に之を命じ 前【すす】めましめて問う 何の冤ぞ,火の冬に行くは古より存する所。
我 如【も】し 之を禁せば 其の飧【そん】を絕たん,女丁は壬に婦となり 世を傳えて婚す。


#6
一朝結讎奈後昆,時行當反慎藏蹲。
視桃著花可小騫,月及申酉利複怨。
助汝五龍從九鯤,溺厥邑囚之昆崙。
皇甫作詩止睡昏,辭誇出真遂上焚。
要餘和增怪又煩,雖欲悔舌不可捫。

一朝にして 讎【あた】を結ばは後昆を奈【いかん】せん,時行 反するに當っては慎んで藏蹲【ぞうそん】せよ。
桃の花を著【つ】くるを視ば小【すこ】し騫【あ】ぐべし,月 申酉【しんゆう】に及わば怨を複するに利あらん。
汝を助けて五龍を九鯤に從わしめん,厥の邑を溺らせ之を昆崙に囚えよ。
皇甫の詩を作るは止睡昏【すいこん】をめるためなるに,辭に真に出づるを誇り 遂に上焚【じょうふん】す。
餘【われ】の和して增怪と煩とを要【もと】む,悔いむと欲すと雖も 舌 捫【な】づべからず。

短燈棨歌 韓退之(韓愈)詩<79-#1>Ⅱ中唐詩446 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1417


     
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 2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
 2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
 2012/1/11唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     



短燈棨歌 韓退之(韓愈)詩<79-#1>Ⅱ中唐詩446 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1417



長檠八尺空自長、短檠二尺便且光。
長檠は八尺のたかさで、やたらおのずから長いだけのようだ、短檠は二尺のながさで便利で、明るいものだ。
黃簾綠幕朱戶閉、風露氣入秋堂涼。
となり家には黄色の簾がおりて、縁のカーテンがかかっていて、朱の戸は閉じたきりになっている、夜露がおりはじめ、風が吹き入って秋めいた奥の座敷がひえびえとしてくる。
裁衣寄遠淚眼暗、搔頭頻挑移近床。
砧をたたき衣を裁縫して遠いところへ送ろうとしてながめやるとなみだがあふれ目はくらくなるのである、髪を掻いて衣裳をしきりにかかげて床の近くにひきよせる。
太學儒生東魯客、二十辭家來射策。


こちらの家では大学の儒学教授は東魯出身の人である。二十歳のとしに家をはなれ上京して科挙試験をうけた。
#2
夜書細字紱語言、兩目眵昏頭雪白。
此時提挈當案前、看書到曉那能眠。
一朝富貴還自恣、長檠高張照珠翠。
吁嗟世事無不然、牆角君看短檠棄。

#1
長檠【ちょうけい】八尺空しく自ら長し、短檠【たんけい】二尺便にして且 光る。
黃簾【こうれん】綠幕【りょくばく】朱戶【しゅこ】閉じ、風露の氣は秋堂に入って涼し。
衣を裁ち遠きに寄せむとして淚眼 暗く、頭を搔き頻挑【ひんちょう】して移し床に近し。
太學の儒生 東魯の客、二十 家を辭して來って策を射る。

#2
夜 細字を書して語言を紱【つづ】り、兩目眵昏【しこん】し頭は雪白。
此の時 提挈【ていけい】して案前に當る、書を看て曉に到るに那んぞ能く眠らん。
一朝 富貴にして還た自ら恣【ほしいまま】ならば、長檠 高く張って珠翠【しゅすい】を照さん。
吁嗟【ああ】世事 然らざる無し、牆角【しょうかく】君 看よ 短檠の棄てられるを。


現代語訳と訳註
(本文)
短燈棨歌 #1
長檠八尺空自長、短檠二尺便且光。
黃簾綠幕朱戶閉、風露氣入秋堂涼。
裁衣寄遠淚眼暗、搔頭頻挑移近床。
太學儒生東魯客、二十辭家來射策。


(下し文) #1
長檠【ちょうけい】八尺空しく自ら長し、短檠【たんけい】二尺便にして且 光る。
黃簾【こうれん】綠幕【りょくばく】朱戶【しゅこ】閉じ、風露の氣は秋堂に入って涼し。
衣を裁ち遠きに寄せむとして淚眼 暗く、頭を搔き頻挑【ひんちょう】して移し床に近し。
太學の儒生 東魯の客、二十 家を辭して來って策を射る。


(現代語訳)
長檠は八尺のたかさで、やたらおのずから長いだけのようだ、短檠は二尺のながさで便利で、明るいものだ。
となり家には黄色の簾がおりて、縁のカーテンがかかっていて、朱の戸は閉じたきりになっている、夜露がおりはじめ、風が吹き入って秋めいた奥の座敷がひえびえとしてくる。
砧をたたき衣を裁縫して遠いところへ送ろうとしてながめやるとなみだがあふれ目はくらくなるのである、髪を掻いて衣裳をしきりにかかげて床の近くにひきよせる。
こちらの家では大学の儒学教授は東魯出身の人である。二十歳のとしに家をはなれ上京して科挙試験をうけた。


(訳注) #1
短燈棨歌
・短燈棨歌 秋の夜長、読書の秋、、夜の遊びに欠かせない友が燈火だ。千年以前の唐では、油火が普通で油は、油皿に盛って燭台におく。この燭台を棨というのである。韓愈が、友としてこれを歌ったものである。


長檠八尺空自長、短檠二尺便且光。
長檠は八尺のたかさで、やたらおのずから長いだけのようだ、短檠は二尺のながさで便利で、明るいものだ。


黃簾綠幕朱戶閉、風露氣入秋堂涼。
となり家には黄色の簾がおりて、縁のカーテンがかかっていて、朱の戸は閉じたきりになっている、夜露がおりはじめ、風が吹き入って秋めいた奥の座敷がひえびえとしてくる。
黃簾 二階の韓愈の書斎からの見通しに、隣か向かいかの家があってそこの部屋には莱色いすだれがかかり、緑のカーテンが垂れ……というのでこの部誼が人の部屋であることがわかる。だが簾もカーテンも、いつも閉じられたきり。空家のようにひっそりしているが、そこの主人も韓愈同様、家を離れて苦労し、奥さんがひとり留守しているらしい。この時代、いかに想像たくましく描くのかが問われるもので全てフィクションである。


裁衣寄遠淚眼暗、搔頭頻挑移近床。
砧をたたき衣を裁縫して遠いところへ送ろうとしてながめやるとなみだがあふれ目はくらくなるのである、髪を掻いて衣裳をしきりにかかげて床の近くにひきよせる。


太學儒生東魯客、二十辭家來射策。
こちらの家では大学の儒学教授は東魯出身の人である。二十歳のとしに家をはなれ上京して科挙試験をうけた。
東魯 孔子と同じく東魯出身の、という意。韓愈は実際は東魯出身ではないが、昌黎の出身だと自称していた。昌黎なら東魯にあたる。『漢書』霍光伝「もろもろの儒生は窶れたる人のこの多く、遠く客して餓え寒ゆ」ということばがみえる。ただ、この詩の儒生は韓愈ではなくこちらの家の人をいう。
・射策 進士の試的をうけること。

記夢  韓退之(韓愈)詩<78-#1>Ⅱ中唐詩443 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1408

記夢  韓退之(韓愈)詩<78-#1>Ⅱ中唐詩443 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1408
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
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記夢
(きのうのゆめのはなし。)
夜夢神官與我言,羅縷道妙角與根。
夜、夢にでたことだが、神仙が、わたしに話かけてくれた。よく語ってくれることには宇宙の道は玄妙なもので、角(すぼし)と根(ねぼし)が基本でなりたっている。
挈攜陬維口瀾翻,百二十刻須臾間。
その角星と子星は西南・東南・西北・東北の四隅を波立たせ翻りして結び合わせて、星の間の事は、季節も年もほんのつかの間の事なのだ。
我聽其言未雲足,舍我先度橫山腹。
それをきいたとしても、簡単にそのことをなっとくはできるものではないのだが、仙人はわたしをほったらかしにして、先に進み川を渡って、山腹を横切ってゆくのである。
我徒三人共追之,一人前度安不危。」
わたしたち仲間三人は、いっしょにっ仙人を追っかける。一人は前に進み出て、危なげなしにすらすらと渡ってしまう。
夜 夢に 神官 我と言ふ、羅縷【らおう】道は妙なり 角と根と。
陬維【そうい】を挈攜【けつけい】して 口 瀾翻【らんぽん】、百二十刻も須臾【しゅゆ】の間なり と。
我 其の言を聴いて 未だ足れりと云はず、我を捨てて先づ度って山腹を横ぎる。
我が徒【と】三人 共に之を追ふ、一人は前に度り 安くして危【あやう】からず。

我亦平行蹋蹻槱,神完骨蹻腳不掉。
側身上視溪穀盲,杖撞玉版聲彭觥?。
神官見我開顏笑,前對一人壯非少。
石壇坡陀可坐臥,我手承頦肘拄座。
隆樓傑閣磊嵬高,天風飄飄吹我過。」
壯非少者哦七言,六字常語一字難。
我以指撮白玉丹,行且咀噍行詰盤。
口前截斷第二句,綽虐顧我顏不歡。
乃知仙人未賢聖,護短憑愚邀我敬。
我能屈曲自世間,安能從汝巢神山。」


現代語訳と訳註
(本文)
記夢
夜夢神官與我言,羅縷道妙角與根。
挈攜陬維口瀾翻,百二十刻須臾間。
我聽其言未雲足,舍我先度橫山腹。
我徒三人共追之,一人前度安不危。」


(下し文)
夜 夢に 神官 我と言ふ、羅縷【らおう】道は妙なり 角と根と。
陬維【そうい】を挈攜【けつけい】して 口 瀾翻【らんぽん】、百二十刻も須臾【しゅゆ】の間なり と。
我 其の言を聴いて 未だ足れりと云はず、我を捨てて先づ度って山腹を横ぎる。
我が徒【と】三人 共に之を追ふ、一人は前に度り 安くして危【あやう】からず。


(現代語訳)
(きのうのゆめのはなし。)
夜、夢にでたことだが、神仙が、わたしに話かけてくれた。よく語ってくれることには宇宙の道は玄妙なもので、角(すぼし)と根(ねぼし)が基本でなりたっている。
その角星と子星は西南・東南・西北・東北の四隅を波立たせ翻りして結び合わせて、星の間の事は、季節も年もほんのつかの間の事なのだ。
それをきいたとしても、簡単にそのことをなっとくはできるものではないのだが、仙人はわたしをほったらかしにして、先に進み川を渡って、山腹を横切ってゆくのである。
わたしたち仲間三人は、いっしょにっ仙人を追っかける。一人は前に進み出て、危なげなしにすらすらと渡ってしまう。


(訳注)
記夢

きのうのゆめのはなし。


夜夢神官與我言,羅縷道妙角與根。
夜、夢にでたことだが、神仙が、わたしに話かけてくれた。よく語ってくれることには宇宙の道は玄妙なもので、角(すぼし)と根(ねぼし)が基本でなりたっている。
神官 神仙の官。仙人。
与我言 私には語ってくれる。
『詩經・鄭風』狡童 「彼狡童兮,不與我言兮。維子之故,使我不能餐兮。彼狡童兮,不與我食兮。維子之故,使我不能息兮。」(彼(か)の狡童は,我(われ)と言らず。維(ただ)子(し)の故に,我をして餐する能(あた)はざらしむ。彼(か)の狡童は,我(われ)と食はず。維(ただ)子(し)の故に,我をして  息(いこ)ふ能(あた)はざらしむ。
羅縷 べらべらしゃべる。
角與根 角星と子星【すぼしとねぼし】・角 星の名、すぼし。二十八宿の一。『国語』に「それ辰角あらほれて雨畢る」と見える。・根 天根のこと。ねのほし子の星とは。北極星の異称。


挈攜陬維口瀾翻,百二十刻須臾間。
その角星と子星は西南・東南・西北・東北の四隅を波立たせ翻りして結び合わせて、星の間の事は、季節も年もほんのつかの間の事なのだ。
挈攜 むすびつける。
陬維 天地のすみ。『淮南子』の天文訓に「東北を報徳の経となし、西南を背陽の経となし、東南を常羊
の経となし、西北を旗通の経となす」とあり、墜形訓に「河水は昆魔の東北取に出で……赤水は其の東南随に出で……洋水は其の西北取に出で……」とある。
百二十刻 一昼夜を12等分し、午前零時を子(ね)の刻とし、次丑(うし)の刻、寅(とら)の刻のように十二支に配するものを時(とき)という。刻は10等分されたもの。1日は120刻。一か月、季節もこのように配分する。ここでは、星の位置で時間を測定し、春分点を起点として黄道帯を十二の部分に分かったものを十二宮といい、各官を十刻にわけると、百二十刻とする。
須臾 短い時間。しばらくの間。ほんの少しの間。つかの間。


我聽其言未雲足,舍我先度橫山腹。
それをきいたとしても、簡単にそのことをなっとくはできるものではないのだが、仙人はわたしをほったらかしにして、先に進み川を渡って、山腹を横切ってゆくのである。


我徒三人共追之,一人前度安不危。」
わたしたち仲間三人は、いっしょにっ仙人を追っかける。一人は前に進み出て、危なげなしにすらすらと渡ってしまう。

感春四首其四 (4) 韓退之(韓愈)詩<60-#1>Ⅱ中唐詩361 紀頌之の漢詩ブログ1162

感春四首其四 (4) 韓退之(韓愈)詩<60-#1>Ⅱ中唐詩361 紀頌之の漢詩ブログ1162



感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
わたしは隠遁して川辺で仕事する労働者のように できない自分自身のことを恨むのだけれど、仕掛けの長網を長江に打ちかけ紫鱗の魚をとらえるのである。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
独り江の傍に宿しいばらや雑草の生いしげる荒れた堤で かもとかりを射るのだ、それを撃って租税を支払うこととし、そして貢物とすれば官僚は以下ることはないだろう。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
そうして帰って来て妻子と楽しく歓談すると微笑もでるというものだ、何より衣食を自給自足して貧しいものであってもそれを羞じることはないのだ。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。

それら労働者に対して、いま、わたしはどうかというと五経史書を学ぶことにしている、すると、物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力が、ただ、精神をついやすことによって備わってくるのである。
畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。

(感春四首 其の四)
我は恨む 江頭【こうとう】の人に如かざることを,長網【ちょうもう】江に橫たへ 紫鱗【しりん】を遮【さえぎ】る。
獨り荒陂【こうは】に宿り鳧雁【ふがん】を射,賣りて租賦【そふ】を納めて 官 嗔【いか】らず。
歸り來りて 歡笑して妻子に對し,衣食は自給す 寧【なん】ぞ 貧を羞じむや。
今者【いま】端なくも書史を讀み,智慧【ちけい】は只 精神を勞するに足れり。

#2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。


現代語訳と訳註
(本文)感春四首 其四

我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。


(下し文) 感春四首 其の四
我は恨む 江頭【こうとう】の人に如かざることを,長網【ちょうもう】江に橫たへ 紫鱗【しりん】を遮【さえぎ】る。
獨り荒陂【こうは】に宿り鳧雁【ふがん】を射,賣りて租賦【そふ】を納めて 官 嗔【いか】らず。
歸り來りて 歡笑して妻子に對し,衣食は自給す 寧【なん】ぞ 貧を羞じむや。
今者【いま】端なくも書史を讀み,智慧【ちけい】は只 精神を勞するに足れり。


(現代語訳)
わたしは隠遁して川辺で仕事する労働者のように できない自分自身のことを恨むのだけれど、仕掛けの長網を長江に打ちかけ紫鱗の魚をとらえるのである。
独り江の傍に宿しいばらや雑草の生いしげる荒れた堤で かもとかりを射るのだ、それを撃って租税を支払うこととし、そして貢物とすれば官僚は以下ることはないだろう。
そうして帰って来て妻子と楽しく歓談すると微笑もでるというものだ、何より衣食を自給自足して貧しいものであってもそれを羞じることはないのだ。
それら労働者に対して、いま、わたしはどうかというと五経史書を学ぶことにしている、すると、物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力が、ただ、精神をついやすことによって備わってくるのである。


(訳注)
感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。

わたしは隠遁して川辺で仕事する労働者のように できない自分自身のことを恨むのだけれど、仕掛けの長網を長江に打ちかけ紫鱗の魚をとらえるのである。
江頭人 川辺で仕事する労働者。
紫鱗 魚。


獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
独り江の傍に宿しいばらや雑草の生いしげる荒れた堤で かもとかりを射るのだ、それを撃って租税を支払うこととし、そして貢物とすれば官僚は以下ることはないだろう。
荒陂 いばらや雑草の生いしげる荒れた堤。・鳧雁  かもとかり。


歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
そうして帰って来て妻子と楽しく歓談すると微笑もでるというものだ、何より衣食を自給自足して貧しいものであってもそれを羞じることはないのだ。


今者無端讀書史,智慧只足勞精神。
それら労働者に対して、いま、わたしはどうかというと五経史書を学ぶことにしている、すると、物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力が、ただ、精神をついやすことによって備わってくるのである。
・今者 それら労働者に対して、いま、わたしはどうかというと。
無端 はからずも。

感春四首 其二(2) 韓退之(韓愈)詩<58-#1>Ⅱ中唐詩358 紀頌之の漢詩ブログ1153

感春四首 其二(2) 韓退之(韓愈)詩<58-#1>Ⅱ中唐詩358 紀頌之の漢詩ブログ1153



83 感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
(春に感ず四首 其の一)
我が思ふ所 何所【いずこ】に在りや、情 多く 地遐【とお】くして處處【しょしょ】に偏【あまね】し
東西南北 皆 住かむと欲すれども、千江 隔たり 萬山【まんざん】阻【へだ】つ。
春風 園を吹いて 雜花 開き、朝日 屋【おく】を照して 百鳥【ひゃくちょう】語る。
三盃 酔を取りて 復た論ぜざれ、一生 長恨 奈【い】何【か】許【ばかり】ぞ と。


84 感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。

(其の二)
皇天【こうてん】平分【へいぶん】して四時【しじ】と成す,春氣【しゅんき】漫誕【まんたん】として最も悲しむ可し。
雜花【ざつか】妝林【しょうりん】し 草は地を蓋【おお】う,白日【はくじつ】坐上【ざじょう】に 天維【てんい】を傾く。
蜂喧【かまびす】しく鳥咽【むせ】べども留め得ず,紅萼【こうがく】萬片【まんべん】風の吹くに從う。
豈 秋霜の如きは慘冽【さんれつ】と雖ども,老物を摧落【さいらく】する誰か之を惜まん。
此の為めに徑【ただ】ちに須【すべか】らく酒を沽【か】いて飲むべし,自ら天地を外にして 棄てて疑わず。

#2
近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。

(其の二 #2)
近ごろ憐む李杜【りと】の檢束【けんそく】無くして,爛漫【らんまん】として長【とこしな】えに醉いて文辭【ぶんじ】多きを。
屈原 離騷 二十五,不肯【あ】えて糟【そう】と醨【り】を餔啜【ほせつ】せず。
惜しい哉 此の子 言語に巧【たくみ】なれども,聖處【せいしょ】に到らず寧【むし】ろ癡【さ】に非らざらんや。
幸【さいわい】に 堯舜【ぎょうしゅん】四目【しもく】を明かにするに逢い,品彙【ひんい】を條理【じょうり】して皆宜しきを得たり。
平明 出門して暮に歸舍し,馬上に酩酊【めいてい】することを知る誰とか為す。


85 感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
詩書漸欲拋,節行久已惰。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
孤負平生心,已矣知何奈。

其の三
朝に一馬を騎して出で,暝【くれ】に一床【いっしょう】に就【つ】きて臥す。
詩書【ししょ】漸【ようや】く拋【なげう】たんと欲す,節行【せつこう】久しく已に惰【おこた】れり。
冠 欹【そばだ】ちて 發【かみ】の禿【とく】なるを感ず,語 誤【あやま】ちて 齒の墮【おつ】るに。驚く。
孤負【こふ】す 平生の心,已【やんぬる】矣 知る何奈【いかん】せん。

86 感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。

其の四
我は恨む 江頭【こうとう】の人に如かざることを,長網【ちょうもう】江に橫たへ 紫鱗【しりん】を遮【さえぎ】る。
獨り荒陂【こうは】に宿り鳧雁【ふがん】を射,賣りて租賦【そふ】を納めて 官 嗔【いか】らず。
歸り來りて 歡笑して妻子に對し,衣食は自給す 寧【なん】ぞ 貧を羞じむや。
今者【いま】端なくも書史を讀み,智慧【ちけい】は只 精神を勞するに足れり。
#2
畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。
#2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。

83 感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
わたしがいつも心におもうところ、それはどこだというのか、人と長く接すれば情というもの多くの行ったところで育つものであり、それはあちらこちら、遙かな所に点在するのである。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
東西南北、どこへでも行きたいと思っている。黄河、長江、淮河、あまたある河川に隔てられている、それはあまたの山々によって阻まれているのだ。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
今も吹いてくる東風、春の風はこの庭に吹き多くの花を咲かせ木々や草を成長させる。朝日はこの建物を照らし あらゆる鳥たちが囀り始めるのである。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
いっぱい飲む度、愚痴を言い、三杯も盃を傾けるころには酔いどれてしまい、もう論理が成り立たない。人生にとって理不尽な事への裏には長く続くものであり、これをどうしたらよいというのか。



84  感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
天は、『楚辞』にいう春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。そして、朝、昼、夕、夜の四時、総運、人運、外運、地運の四運と成している、四季のうちの春の気をとりとめなく過ごしたとすると最も悲しいこととなってしまう。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
いろんな草花は森林を華やかに飾ってくれて地面を覆っている、真昼の太陽でさえも行楽で喜んでいるこの坐に花曇りとして天からの帷をしてくれているようだ。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
花の蜜を取って歩く蜂はうるさく飛んでいる、多くの鳥も囀ることを妨げるものはいない、紅い花弁、花房は風が吹いてきてその花びらを万片というほど散らしている。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが、ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。
ゆく春のためにただちに当たり前のことだけど酒を買って飲むのであるし、自分で天地の外に出ていって天地を棄ててしまっても、そのことに疑問ももたない。
#2
近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。

85  感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
詩書漸欲拋,節行久已惰。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
孤負平生心,已矣知何奈。

86  感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。

畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。

pla025

現代語訳と訳註
(本文)
感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。


(下し文)
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。


(現代語訳)
天は、『楚辞』にいう春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。そして、朝、昼、夕、夜の四時、総運、人運、外運、地運の四運と成している、四季のうちの春の気をとりとめなく過ごしたとすると最も悲しいこととなってしまう。
いろんな草花は森林を華やかに飾ってくれて地面を覆っている、真昼の太陽でさえも行楽で喜んでいるこの坐に花曇りとして天からの帷をしてくれているようだ。
花の蜜を取って歩く蜂はうるさく飛んでいる、多くの鳥も囀ることを妨げるものはいない、紅い花弁、花房は風が吹いてきてその花びらを万片というほど散らしている。
秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが、ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。
ゆく春のためにただちに当たり前のことだけど酒を買って飲むのであるし、自分で天地の外に出ていって天地を棄ててしまっても、そのことに疑問ももたない。


(訳注)感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
天は、『楚辞』にいう春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。そして、朝、昼、夕、夜の四時、総運、人運、外運、地運の四運と成している、四季のうちの春の気をとりとめなく過ごしたとすると最も悲しいこととなってしまう。
皇天平分 春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。『楚辞』に「皇天は四時を平分す」という句が見える。○四時 春夏秋冬の四季。四運。朝、昼、夕、夜。浄土教、禅宗の時の考え方。一般的には五行思想であった。 ○春氣 四季のうちの春の気。その気が、他の気、夏、秋、冬など別のの気を兼ねて受けもつことはいけないこと、悲しむべきことする。○漫誕 すずろに。とりとめなく。


雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
いろんな草花は森林を華やかに飾ってくれて地面を覆っている、真昼の太陽でさえも行楽で喜んでいるこの坐に花曇りとして天からの帷をしてくれているようだ。
・白日匪上傾天維 白く輝く太陽のいる座に天のカーテンが煩く。日なたもかげる。
留不待 花の散ってゆくのを留めることはできない。


蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
花の蜜を取って歩く蜂はうるさく飛んでいる、多くの鳥も囀ることを妨げるものはいない、紅い花弁、花房は風が吹いてきてその花びらを万片というほど散らしている。


豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが、ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。
豈如秋霜雖慘冽 秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが。
摧落老物誰惜之 ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。


為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。
ゆく春のためにただちに当たり前のことだけど酒を買って飲むのであるし、自分で天地の外に出ていって天地を棄ててしまっても、そのことに疑問ももたない。
為此 ゆく春のために。○徑 ただちに。○自外天地 自分で天地の外に出ていって。○棄不疑 天地を棄ててしまい、そのことに疑問ももたない。

謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#4>Ⅱ中唐詩347 紀頌之の漢詩ブログ1120

謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#4>Ⅱ中唐詩347 紀頌之の漢詩ブログ1120


この詩は805年夏、陽山の県令を解かれ、陽山を出発し、郴州で次の赴任地の命を待った8月江陵府法曹参軍事の命を受け江陵へ向か際、五嶽の衡山にたちよったものである。韓愈は、王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵幕府へ赴任するほかはない。



謁衡獄廟遂宿岳寺題門樓
衡嶽廟に拝謁してとうとう衡山にある仏寺の宿坊に宿し、その楼門に題す詩
五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。
五嶽は祭典序列はみな三公待遇である。天下四方に位置し、嵩山を中心にして天下鎮守するのである。
火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。
赤道に位置するといわれてきたこの地は荒廃し、妖怪どもがあまた棲息した、そして天は衡山に神の権能を賦与し、それらを雄伏させようとされたのだ。
噴雲洩霧藏半腹,雖有絕頂誰能窮。
雲を吹き出し、霧をもらしていて、中腹以上にいくとかくれている。頂上はもとより存在しているといっても、誰が見きわめえたというのか。
我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

私はここへ来て正に秋雨の季節に逢ってしまった。秋雨の陰湿の気、ぶきみに暗いし、ここではすがすがしい風は吹かないのである。

#2
潛心默禱若有應,豈非正直能感通。
そうして、心を静かに潜めるようにして黙祷したら、それに応えてくれたように思われるのだ。それで正直であることが出来ない様でどうしてよく神仏に祈り、悟ことができようか。
須臾靜掃眾峰出,仰見突兀撐青空。
しばらくすると 静かに暗い陰気の雲は掃われて 連峰の山々が姿を現わしている。見あげれば 高く抜きん出て立ち青空をささえていた。
紫蓋連延接天柱,石廩騰擲堆祝融。
衡山七十二峯の紫蓋は連なって延び 天をささえる天柱と接しており、石稟は飛騰し、祝融は淮積岩をあらわにし、衡山四絶景を構成する。
森然魄動下馬拜,松柏一徑趨靈宮。

山は森然として神霊な動きをしており、わたしは馬を下りて拝礼するのである。松柏の間を行く一筋の小径には霊宮にはしり通じている。

#3
粉牆丹柱動光彩,鬼物圖畫填青紅。
白い漆喰の壁と丹塗の柱はきらきらと互いに映えている。鬼神や霊獣が青や紅の絵の具でもり上げて描かれてあった。
升階傴僂薦脯酒,欲以菲薄明其衷。
陵廟の階をのぼってゆき、ぬかずいて、乾肉と酒とを供えた。お粗末かもしれないが、奉謝の誠意をあらわそうと思ったからだ。
廟令老人識神意,睢盱偵伺能鞠躬。
そこの年老いた宮司は神慮をうかがうことができると認識した。つまらぬ人がにこにこと媚びヘつらう顔色を見て身を丸くしてぺこべこお辞儀をする。
手持杯珓導我擲,云此最吉餘難同。
そして貝占をしてみなさいとわたしに二枚の貝殼を 投げさせた。それで卦が出てこのように言ったのだ
「最もよい吉であり、こんな卦はめったに出るものではない」などと。

#4
竄逐蠻荒幸不死,衣食才足甘長終。
野蛮の荒地に鼠逐せられたということであったが 辛くも死のみまぬかれた身である、衣食もなんとかわずかに足りたのであるし、寿命をながらえることになったのであるから、まずよしとせねばならない。
侯王將相望久絕,神縱欲福難為功。
王侯将相のぞむような野心はとっくのむかしに無くなっている、神がたとえ幸福を与えようとなされたのだとしても、これが御利益などとは思われはしない。
夜投佛寺上高閣,星月掩映雲朣朧。
夜になって山中の仏寺を宿とし、そこの高い鐘楼に上ってみた。星や月を覆って光を帯びた薄雲があたりを ぼんやりと照らし始めている。
猿鳴鐘動不知曙,杲杲寒日生於東。
猿が啼き叫ぶそして鐘が鳴るけれど、まだ明け方になってはいないはずである。よく見るとキラキラ冷たく輝く太陽が東方に生まれていて木の上にのぽり切っているのだ。


(衡嶽【こうがく】廟に謁し、遂に嶽寺に宿り、門樓【もんろう】に題す。)
五嶽の祭秩【さいちつ】皆 三公【さんこう】、四方に環【めぐ】り鎮【ちん】して 嵩【すう】は中に當る。
火維【かい】地荒れて 妖怪【ようかい】足【おお】く、天 神柄【しんぺい】を瑕【か】して 其の雄を専にす。
雲を噴き 霧を泄【もら】して 半腹を蔵【ぞう】す、絶頂有りと雖も 誰か能く窮めむ。
我来って 正に 秋雨の節に逢ふ、陰気【いんき】晦昧【かいまい】として 清風無し。
#2
心を潜めて默禱【もくとう】すれば 応【こたえ】有るが若し、豈に 正直なるに非ずんば 能く感通【かんつう】せむや。
須臾【しばらく】して 靜かに掃って 衆峯【しゅうほう】出づ、仰いで見るに 突冗【とつごつ】として 青空を撐【ささ】ヘ。
紫蓋【しがい】連り延びて 天柱に接し、石廩【せきりん】騰擲【とうてき】し 祝融【しゅくゆう】堆し。
森然【しんぜん】として魄【はく】動き 馬を下って拝す、松柏の一徑【いっけい】霊宮【れいきゅう】に趨【おもむ】く。
#3
粉牆【ふんしょう】丹柱【たんちゅう】光彩【こうさい】を勤し、鬼物【きぶつ】の圖畫【とが】青紅【せいこう】を填【うづ】む。
階に升【のぼ】って傴僂【うろう】し 脯酒【ほしゅ】を薦む、菲薄【ひはく】を以て 其の衷を明にせんと欲す。
廟令【びょうれい】の老人 神意【しんい】を識る と、睢盱【いく】偵伺【ていし】して 能く鞠躬【きくきゅう】す。
手に盃珓【はいこう】を持して 我をして擲【なげう】たしむ、云ふ 此れ最も吉にして餘【よ】は同じうし難し と。
#4
蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。


現代語訳と訳註
(本文)
#4
竄逐蠻荒幸不死,衣食才足甘長終。
侯王將相望久絕,神縱欲福難為功。
夜投佛寺上高閣,星月掩映雲朣朧。
猿鳴鐘動不知曙,杲杲寒日生於東。

(下し文) #4
蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。


(現代語訳)
野蛮の荒地に鼠逐せられたということであったが 辛くも死のみまぬかれた身である、衣食もなんとかわずかに足りたのであるし、寿命をながらえることになったのであるから、まずよしとせねばならない。
王侯将相のぞむような野心はとっくのむかしに無くなっている、神がたとえ幸福を与えようとなされたのだとしても、これが御利益などとは思われはしない。
夜になって山中の仏寺を宿とし、そこの高い鐘楼に上ってみた。星や月を覆って光を帯びた薄雲があたりを ぼんやりと照らし始めている。
猿が啼き叫ぶそして鐘が鳴るけれど、まだ明け方になってはいないはずである。よく見るとキラキラ冷たく輝く太陽が東方に生まれていて木の上にのぽり切っているのだ。


(訳注)#4
竄逐蠻荒幸不死,衣食才足甘長終。

蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
野蛮の荒地に鼠逐せられたということであったが 辛くも死のみまぬかれた身である、衣食もなんとかわずかに足りたのであるし、寿命をながらえることになったのであるから、まずよしとせねばならない。
鼠逐 罪ある人を遠くへ追いやること。五嶺山脈を越えた向こうに行くことは死を意味した。・蛮荒 野蛮の荒地。瘴癘の地。・幸不死 死なないだけが幸福というような身の上。


侯王將相望久絕,神縱欲福難為功。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
王侯将相のぞむような野心はとっくのむかしに無くなっている、神がたとえ幸福を与えようとなされたのだとしても、これが御利益などとは思われはしない。
侯王将相 諸侯・国王・将軍・宰相。高い地位の人をいう。・望久絶 望みを持たなくなってから長い時間がたつ。・ かりにそういうことがあったところで。


夜投佛寺上高閣,星月掩映雲朣朧。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
夜になって山中の仏寺を宿とし、そこの高い鐘楼に上ってみた。星や月を覆って光を帯びた薄雲があたりを ぼんやりと照らし始めている。
掩映 拾は掩と同じで、おおうこと。おは反映する。てりはえる。・朣朧 月かげの明るくなりかけるさま。潘岳の「秋興賦」に「月は朣朧として光を含めり」という有名な句がある。


猿鳴鐘動不知曙,杲杲寒日生於東。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。
猿が啼き叫ぶそして鐘が鳴るけれど、まだ明け方になってはいないはずである。よく見るとキラキラ冷たく輝く太陽が東方に生まれていて木の上にのぽり切っているのだ。
不知曙 明方だとはわからなかった・唐の詩ではよく、知りでいることを知らずといい、わからないことを知るという場合がある。一種の反語である。
杲杲 キラキラ。コウコウとかがやく。杲は太陽が木の上にのぽり切ったさま。




#4
蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。


謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#3>Ⅱ中唐詩346 紀頌之の漢詩ブログ1117

謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#3>Ⅱ中唐詩346 紀頌之の漢詩ブログ1117


この詩は805年夏、陽山の県令を解かれ、陽山を出発し、郴州で次の赴任地の命を待った8月江陵府法曹参軍事の命を受け江陵へ向か際、五嶽の衡山にたちよったものである。韓愈は、王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵幕府へ赴任するほかはない。

謁衡獄廟遂宿岳寺題門樓
衡嶽廟に拝謁してとうとう衡山にある仏寺の宿坊に宿し、その楼門に題す詩
五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。
五嶽は祭典序列はみな三公待遇である。天下四方に位置し、嵩山を中心にして天下鎮守するのである。
火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。
赤道に位置するといわれてきたこの地は荒廃し、妖怪どもがあまた棲息した、そして天は衡山に神の権能を賦与し、それらを雄伏させようとされたのだ。
噴雲洩霧藏半腹,雖有絕頂誰能窮。
雲を吹き出し、霧をもらしていて、中腹以上にいくとかくれている。頂上はもとより存在しているといっても、誰が見きわめえたというのか。
我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

私はここへ来て正に秋雨の季節に逢ってしまった。秋雨の陰湿の気、ぶきみに暗いし、ここではすがすがしい風は吹かないのである。

#2
潛心默禱若有應,豈非正直能感通。
そうして、心を静かに潜めるようにして黙祷したら、それに応えてくれたように思われるのだ。それで正直であることが出来ない様でどうしてよく神仏に祈り、悟ことができようか。
須臾靜掃眾峰出,仰見突兀撐青空。
しばらくすると 静かに暗い陰気の雲は掃われて 連峰の山々が姿を現わしている。見あげれば 高く抜きん出て立ち青空をささえていた。
紫蓋連延接天柱,石廩騰擲堆祝融。
衡山七十二峯の紫蓋は連なって延び 天をささえる天柱と接しており、石稟は飛騰し、祝融は淮積岩をあらわにし、衡山四絶景を構成する。
森然魄動下馬拜,松柏一徑趨靈宮。

山は森然として神霊な動きをしており、わたしは馬を下りて拝礼するのである。松柏の間を行く一筋の小径には霊宮にはしり通じている。

#3
粉牆丹柱動光彩,鬼物圖畫填青紅。
白い漆喰の壁と丹塗の柱はきらきらと互いに映えている。鬼神や霊獣が青や紅の絵の具でもり上げて描かれてあった。
升階傴僂薦脯酒,欲以菲薄明其衷。
陵廟の階をのぼってゆき、ぬかずいて、乾肉と酒とを供えた。お粗末かもしれないが、奉謝の誠意をあらわそうと思ったからだ。
廟令老人識神意,睢盱偵伺能鞠躬。
そこの年老いた宮司は神慮をうかがうことができると認識した。つまらぬ人がにこにこと媚びヘつらう顔色を見て身を丸くしてぺこべこお辞儀をする。
手持杯珓導我擲,云此最吉餘難同。
そして貝占をしてみなさいとわたしに二枚の貝殼を 投げさせた。それで卦が出てこのように言ったのだ
「最もよい吉であり、こんな卦はめったに出るものではない」などと。

#4
竄逐蠻荒幸不死,衣食才足甘長終。
侯王將相望久絕,神縱欲福難為功。
夜投佛寺上高閣,星月掩映雲朣朧。
猿鳴鐘動不知曙,杲杲寒日生於東。

(衡嶽【こうがく】廟に謁し、遂に嶽寺に宿り、門樓【もんろう】に題す。)
五嶽の祭秩【さいちつ】皆 三公【さんこう】、四方に環【めぐ】り鎮【ちん】して 嵩【すう】は中に當る。
火維【かい】地荒れて 妖怪【ようかい】足【おお】く、天 神柄【しんぺい】を瑕【か】して 其の雄を専にす。
雲を噴き 霧を泄【もら】して 半腹を蔵【ぞう】す、絶頂有りと雖も 誰か能く窮めむ。
我来って 正に 秋雨の節に逢ふ、陰気【いんき】晦昧【かいまい】として 清風無し。
#2
心を潜めて默禱【もくとう】すれば 応【こたえ】有るが若し、豈に 正直なるに非ずんば 能く感通【かんつう】せむや。
須臾【しばらく】して 靜かに掃って 衆峯【しゅうほう】出づ、仰いで見るに 突冗【とつごつ】として 青空を撐【ささ】ヘ。
紫蓋【しがい】連り延びて 天柱に接し、石廩【せきりん】騰擲【とうてき】し 祝融【しゅくゆう】堆し。
森然【しんぜん】として魄【はく】動き 馬を下って拝す、松柏の一徑【いっけい】霊宮【れいきゅう】に趨【おもむ】く。
#3
粉牆【ふんしょう】丹柱【たんちゅう】光彩【こうさい】を勤し、鬼物【きぶつ】の圖畫【とが】青紅【せいこう】を填【うづ】む。
階に升【のぼ】って傴僂【うろう】し 脯酒【ほしゅ】を薦む、菲薄【ひはく】を以て 其の衷を明にせんと欲す。
廟令【びょうれい】の老人 神意【しんい】を識る と、睢盱【いく】偵伺【ていし】して 能く鞠躬【きくきゅう】す。
手に盃珓【はいこう】を持して 我をして擲【なげう】たしむ、云ふ 此れ最も吉にして餘【よ】は同じうし難し と。
#4
蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。


現代語訳と訳註
(本文) #3

粉牆丹柱動光彩,鬼物圖畫填青紅。
升階傴僂薦脯酒,欲以菲薄明其衷。
廟令老人識神意,睢盱偵伺能鞠躬。
手持杯珓導我擲,云此最吉餘難同。


(下し文) #3
粉牆【ふんしょう】丹柱【たんちゅう】光彩【こうさい】を勤し、鬼物【きぶつ】の圖畫【とが】青紅【せいこう】を填【うづ】む。
階に升【のぼ】って傴僂【うろう】し 脯酒【ほしゅ】を薦む、菲薄【ひはく】を以て 其の衷を明にせんと欲す。
廟令【びょうれい】の老人 神意【しんい】を識る と、睢盱【いく】偵伺【ていし】して 能く鞠躬【きくきゅう】す。
手に盃珓【はいこう】を持して 我をして擲【なげう】たしむ、云ふ 此れ最も吉にして餘【よ】は同じうし難し と。


(現代語訳)
白い漆喰の壁と丹塗の柱はきらきらと互いに映えている。鬼神や霊獣が青や紅の絵の具でもり上げて描かれてあった。
陵廟の階をのぼってゆき、ぬかずいて、乾肉と酒とを供えた。お粗末かもしれないが、奉謝の誠意をあらわそうと思ったからだ。
そこの年老いた宮司は神慮をうかがうことができると認識した。つまらぬ人がにこにこと媚びヘつらう顔色を見て身を丸くしてぺこべこお辞儀をする。
そして貝占をしてみなさいとわたしに二枚の貝殼を 投げさせた。それで卦が出てこのように言ったのだ
「最もよい吉であり、こんな卦はめったに出るものではない」などと。


 (訳注)#3
粉牆丹柱動光彩,鬼物圖畫填青紅。
粉牆【ふんしょう】丹柱【たんちゅう】光彩【こうさい】を勤し、鬼物【きぶつ】の圖畫【とが】青紅【せいこう】を填【うづ】む。
白い漆喰の壁と丹塗の柱はきらきらと互いに映えている。鬼神や霊獣が青や紅の絵の具でもり上げて描かれてあった。
粉牆 白く漆喰の壁。・鬼 鬼神と霊獣。・填青紅青や紅の絵の具が凹凸に塗り込めてある。


升階傴僂薦脯酒,欲以菲薄明其衷。
階に升【のぼ】って傴僂【うろう】し 脯酒【ほしゅ】を薦む、菲薄【ひはく】を以て 其の衷を明にせんと欲す。
陵廟の階をのぼってゆき、ぬかずいて、乾肉と酒とを供えた。お粗末かもしれないが、奉謝の誠意をあらわそうと思ったからだ。
傴僂 うやうやしくぬかずく。傴はせぐくまる。僂はまげる。・脯酒 乾肉と酒。おそなえにする。・菲薄 非も薄もうすいことで、粗末というほどの意。・衷 誠。


廟令老人識神意,睢盱偵伺能鞠躬。
廟令【びょうれい】の老人 神意【しんい】を識る と、睢盱【いく】偵伺【ていし】して 能く鞠躬【きくきゅう】す。
そこの年老いた宮司は神慮をうかがうことができると認識した。つまらぬ人がにこにこと媚びヘつらう顔色を見て身を丸くしてぺこべこお辞儀をする。
廟令 神主。・睢盱 つまらぬ人がにこにこと媚びヘつらうさま。・鞠躬 身を丸くしてぺこべこお辞儀をする。


手持杯珓導我擲,云此最吉餘難同。
手に盃珓【はいこう】を持して 我をして擲【なげう】たしむ、云ふ 此れ最も吉にして餘【よ】は同じうし難し と。
そして貝占をしてみなさいとわたしに二枚の貝殼を 投げさせた。それで卦が出てこのように言ったのだ
「最もよい吉であり、こんな卦はめったに出るものではない」などと。
盃竣 貝殼占い。二板の貝殼を投げてその表裏の出方で占う。・余難同 他の人は、同じ卦は出にくい。

謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#2>Ⅱ中唐詩345 紀頌之の漢詩ブログ1114

謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#2>Ⅱ中唐詩345 紀頌之の漢詩ブログ1114


この詩は805年夏、陽山の県令を解かれ、陽山を出発し、郴州で次の赴任地の命を待った8月江陵府法曹参軍事の命を受け江陵へ向か際、五嶽の衡山にたちよったものである。韓愈は、王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵幕府へ赴任するほかはない。


謁衡獄廟遂宿岳寺題門樓
衡嶽廟に拝謁してとうとう衡山にある仏寺の宿坊に宿し、その楼門に題す詩
五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。
五嶽は祭典序列はみな三公待遇である。天下四方に位置し、嵩山を中心にして天下鎮守するのである。
火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。
赤道に位置するといわれてきたこの地は荒廃し、妖怪どもがあまた棲息した、そして天は衡山に神の権能を賦与し、それらを雄伏させようとされたのだ。
噴雲洩霧藏半腹,雖有絕頂誰能窮。
雲を吹き出し、霧をもらしていて、中腹以上にいくとかくれている。頂上はもとより存在しているといっても、誰が見きわめえたというのか。
我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

私はここへ来て正に秋雨の季節に逢ってしまった。秋雨の陰湿の気、ぶきみに暗いし、ここではすがすがしい風は吹かないのである。

#2
潛心默禱若有應,豈非正直能感通。
そうして、心を静かに潜めるようにして黙祷したら、それに応えてくれたように思われるのだ。それで正直であることが出来ない様でどうしてよく神仏に祈り、悟ことができようか。
須臾靜掃眾峰出,仰見突兀撐青空。
しばらくすると 静かに暗い陰気の雲は掃われて 連峰の山々が姿を現わしている。見あげれば 高く抜きん出て立ち青空をささえていた。
紫蓋連延接天柱,石廩騰擲堆祝融。
衡山七十二峯の紫蓋は連なって延び 天をささえる天柱と接しており、石稟は飛騰し、祝融は淮積岩をあらわにし、衡山四絶景を構成する。
森然魄動下馬拜,松柏一徑趨靈宮。

山は森然として神霊な動きをしており、わたしは馬を下りて拝礼するのである。松柏の間を行く一筋の小径には霊宮にはしり通じている。

#3
粉牆丹柱動光彩,鬼物圖畫填青紅。
升階傴僂薦脯酒,欲以菲薄明其衷。
廟令老人識神意,睢盱偵伺能鞠躬。
手持杯珓導我擲,云此最吉餘難同。
#4
竄逐蠻荒幸不死,衣食才足甘長終。
侯王將相望久絕,神縱欲福難為功。
夜投佛寺上高閣,星月掩映雲朣朧。
猿鳴鐘動不知曙,杲杲寒日生於東。

(衡嶽【こうがく】廟に謁し、遂に嶽寺に宿り、門樓【もんろう】に題す。)
五嶽の祭秩【さいちつ】皆 三公【さんこう】、四方に環【めぐ】り鎮【ちん】して 嵩【すう】は中に當る。
火維【かい】地荒れて 妖怪【ようかい】足【おお】く、天 神柄【しんぺい】を瑕【か】して 其の雄を専にす。
雲を噴き 霧を泄【もら】して 半腹を蔵【ぞう】す、絶頂有りと雖も 誰か能く窮めむ。
我来って 正に 秋雨の節に逢ふ、陰気【いんき】晦昧【かいまい】として 清風無し。
#2
心を潜めて默禱【もくとう】すれば 応【こたえ】有るが若し、豈に 正直なるに非ずんば 能く感通【かんつう】せむや。
須臾【しばらく】して 靜かに掃って 衆峯【しゅうほう】出づ、仰いで見るに 突冗【とつごつ】として 青空を撐【ささ】ヘ。
紫蓋【しがい】連り延びて 天柱に接し、石廩【せきりん】騰擲【とうてき】し 祝融【しゅくゆう】堆し。
森然【しんぜん】として魄【はく】動き 馬を下って拝す、松柏の一徑【いっけい】霊宮【れいきゅう】に趨【おもむ】く。
#3
粉牆【ふんしょう】丹柱【たんちゅう】光彩【こうさい】を勤し、鬼物【きぶつ】の圖畫【とが】青紅【せいこう】を填【うづ】む。
階に升【のぼ】って傴僂【うろう】し 脯酒【ほしゅ】を薦む、菲薄【ひはく】を以て 其の衷を明にせんと欲す。
廟令【びょうれい】の老人 神意【しんい】を識る と、睢盱【いく】偵伺【ていし】して 能く鞠躬【きくきゅう】す。
手に盃珓【はいこう】を持して 我をして擲【なげう】たしむ、云ふ 此れ最も吉にして餘【よ】は同じうし難し と。
#4
蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。


現代語訳と訳註
(本文) #2

潛心默禱若有應,豈非正直能感通。
須臾靜掃眾峰出,仰見突兀撐青空。
紫蓋連延接天柱,石廩騰擲堆祝融。
森然魄動下馬拜,松柏一徑趨靈宮。


(下し文) #2
心を潜めて默禱【もくとう】すれば 応【こたえ】有るが若し、豈に 正直なるに非ずんば 能く感通【かんつう】せむや。
須臾【しゅゆ】にして 靜かに掃って 衆峯【しゅうほう】出づ、仰いで見るに 突冗【とつごつ】として 青空を撐【ささ】ヘ。
紫蓋【しがい】連り延びて 天柱に接し、石廩【せきりん】騰擲【とうてき】し 祝融【しゅくゆう】淮し。
森然【しんぜん】として魄【はく】動き 馬を下って拝す、松柏の一徑【いっけい】霊宮【れいきゅう】に趨【おもむ】く。


(現代語訳)
そうして、心を静かに潜めるようにして黙祷したら、それに応えてくれたように思われるのだ。それで正直であることが出来ない様でどうしてよく神仏に祈り、悟ことができようか。
しばらくすると 静かに暗い陰気の雲は掃われて 連峰の山々が姿を現わしている。見あげれば 高く抜きん出て立ち青空をささえていた。
衡山七十二峯の紫蓋は連なって延び 天をささえる天柱と接しており、石稟は飛騰し、祝融は淮積岩をあらわにし、衡山四絶景を構成する。
山は森然として神霊な動きをしており、わたしは馬を下りて拝礼するのである。松柏の間を行く一筋の小径には霊宮にはしり通じている。


(訳注)#2
潛心默禱若有應,豈非正直能感通。

心を潜めて默禱【もくとう】すれば 応【こたえ】有るが若し、嶽に 正直なるに非ずんば 能く感通【かんつう】せむや。
そうして、心を静かに潜めるようにして黙祷したら、それに応えてくれたように思われるのだ。それで正直であることが出来ない様でどうしてよく神仏に祈り、悟ことができようか。
能感通 其の理の極まる処能く感通知識し来りて、初めて事物に応接するし、禱ぎ・神仏に祈り、悟ことができようか。


須臾靜掃眾峰出,仰見突兀撐青空。
須臾【しばらく】して 靜かに掃って 衆峯【しゅうほう】出づ、仰いで見るに 突冗【とつごつ】として 青空を撐【ささ】ヘ。
しばらくすると 静かに暗い陰気の雲は掃われて 連峰の山々が姿を現わしている。見あげれば 高く抜きん出て立ち青空をささえていた。
須臾 しばらくの時間。1000兆分の1であることを示す漢字文化圏における数の単位である。逡巡の1/10、瞬息の10倍に当たる。・静掃 しずかに、くらい陰気を掃いのぞいて。・眾峰 峰が多いこと。連峰の山々。・突尤 高くぬきんでてたつさま。


紫蓋連延接天柱,石廩騰擲堆祝融。
紫蓋【しがい】連り延びて 天柱に接し、石廩【せきりん】騰擲【とうてき】し 祝融【しゅくゆう】堆し。
衡山七十二峯の紫蓋は連なって延び 天をささえる天柱と接しており、石稟は飛騰し、祝融は淮積岩をあらわにし、衡山四絶景を構成する。
紫蓋 衡山七十二峯の一つで、祝融、天柱、芙蓉、紫蓋、石稟の五峯が最も有名である。祝融峰が衡山において最高峰であり,海拔1290米。五嶽(陰陽五行説に基づき、木行=、火行=、土行=、金行=西、水行= の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。衡山は南嶽)の南嶽に四絶景がある:祝融峰は高さ,方廣寺は谷が深いこと,藏經殿は秀美であり,水簾洞は奇怪な洞窟。 衡山を登るには必ず祝融を登るとされる。芙蓉、石厦、天柱、祝融とともにその最も高い峯をいう。


森然魄動下馬拜,松柏一徑趨靈宮。
森然【しんぜん】として魄【はく】動き 馬を下って拝す、松柏の一徑【いっけい】霊宮【れいきゅう】に趨【おもむ】く。
山は森然として神霊な動きをしており、わたしは馬を下りて拝礼するのである。松柏の間を行く一筋の小径には霊宮にはしり通じている。
森然 シンとして。・魄 ここでは神霊をさす。


謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#1>Ⅱ中唐詩344 紀頌之の漢詩ブログ1111

謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#1>Ⅱ中唐詩344 紀頌之の漢詩ブログ1111


謁衡獄廟遂宿岳寺題門樓
衡嶽廟に拝謁してとうとう衡山にある仏寺の宿坊に宿し、その楼門に題す詩
五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。
五嶽は祭典序列はみな三公待遇である。天下四方に位置し、嵩山を中心にして天下鎮守するのである。
火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。
赤道に位置するといわれてきたこの地は荒廃し、妖怪どもがあまた棲息した、そして天は衡山に神の権能を賦与し、それらを雄伏させようとされたのだ。
噴雲洩霧藏半腹,雖有絕頂誰能窮。
雲を吹き出し、霧をもらしていて、中腹以上にいくとかくれている。頂上はもとより存在しているといっても、誰が見きわめえたというのか。
我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

私はここへ来て正に秋雨の季節に逢ってしまった。秋雨の陰湿の気、ぶきみに暗いし、ここではすがすがしい風は吹かないのである。

#2
潛心默禱若有應,豈非正直能感通。
須臾靜掃眾峰出,仰見突兀撐青空。
紫蓋連延接天柱,石廩騰擲堆祝融。
森然魄動下馬拜,松柏一徑趨靈宮。
#3

粉牆丹柱動光彩,鬼物圖畫填青紅。
升階傴僂薦脯酒,欲以菲薄明其衷。
廟令老人識神意,睢盱偵伺能鞠躬。
手持杯珓導我擲,云此最吉餘難同。
#4

竄逐蠻荒幸不死,衣食才足甘長終。
侯王將相望久絕,神縱欲福難為功。
夜投佛寺上高閣,星月掩映雲朣朧。
猿鳴鐘動不知曙,杲杲寒日生於東。

(衡嶽【こうがく】廟に謁し、遂に嶽寺に宿り、門樓【もんろう】に題す。)
五嶽の祭秩【さいちつ】皆 三公【さんこう】、四方に環【めぐ】り鎮【ちん】して 嵩【すう】は中に當る。
火維【かい】地荒れて 妖怪【ようかい】足【おお】く、天 神柄【しんぺい】を瑕【か】して 其の雄を専にす。
雲を噴き 霧を泄【もら】して 半腹を蔵【ぞう】す、絶頂有りと雖も 誰か能く窮めむ。
我来って 正に 秋雨の節に逢ふ、陰気【いんき】晦昧【かいまい】として 清風無し。
#2
心を潜めて默禱【もくとう】すれば 応【こたえ】有るが若し、豈に 正直なるに非ずんば 能く感通【かんつう】せむや。
須臾【しばらく】して 靜かに掃って 衆峯【しゅうほう】出づ、仰いで見るに 突冗【とつごつ】として 青空を撐【ささ】ヘ。
紫蓋【しがい】連り延びて 天柱に接し、石廩【せきりん】騰擲【とうてき】し 祝融【しゅくゆう】堆し。
森然【しんぜん】として魄【はく】動き 馬を下って拝す、松柏の一徑【いっけい】霊宮【れいきゅう】に趨【おもむ】く。#3
粉牆【ふんしょう】丹柱【たんちゅう】光彩【こうさい】を勤し、鬼物【きぶつ】の圖畫【とが】青紅【せいこう】を填【うづ】む。
階に升【のぼ】って傴僂【うろう】し 脯酒【ほしゅ】を薦む、菲薄【ひはく】を以て 其の衷を明にせんと欲す。
廟令【びょうれい】の老人 神意【しんい】を識る と、睢盱【いく】偵伺【ていし】して 能く鞠躬【きくきゅう】す。
手に盃珓【はいこう】を持して 我をして擲【なげう】たしむ、云ふ 此れ最も吉にして餘【よ】は同じうし難し と。
#4
蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。


現代語訳と訳註
(本文)

謁衡獄廟遂宿岳寺題門樓
五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。
火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。
噴雲洩霧藏半腹,雖有絕頂誰能窮。
我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。


(下し文)
(衡嶽【こうがく】廟に謁し、遂に嶽寺に宿り、門樓【もんろう】に題す。)
五嶽の祭秩【さいちつ】皆 三公【さんこう】、四方に環【めぐ】り鎮【ちん】して 嵩【すう】は中に當る。
火維【かい】地荒れて 妖怪【ようかい】足【おお】く、天 神柄【しんぺい】を瑕【か】して 其の雄を専にす。
雲を噴き 霧を泄【もら】して 半腹を蔵【ぞう】す、絶頂有りと雖も 誰か能く窮めむ。
我来って 正に 秋雨の節に逢ふ、陰気【いんき】晦昧【かいまい】として 清風無し。


(現代語訳)
衡嶽廟に拝謁してとうとう衡山にある仏寺の宿坊に宿し、その楼門に題す詩
五嶽は祭典序列はみな三公待遇である。天下四方に位置し、嵩山を中心にして天下鎮守するのである。
赤道に位置するといわれてきたこの地は荒廃し、妖怪どもがあまた棲息した、そして天は衡山に神の権能を賦与し、それらを雄伏させようとされたのだ。
雲を吹き出し、霧をもらしていて、中腹以上にいくとかくれている。頂上はもとより存在しているといっても、誰が見きわめえたというのか。
私はここへ来て正に秋雨の季節に逢ってしまった。秋雨の陰湿の気、ぶきみに暗いし、ここではすがすがしい風は吹かないのである。


(訳注)#1
謁衡岳廟遂宿獄寺題門樓
衡嶽【こうがく】廟に謁し、遂に嶽寺に宿り、門樓【もんろう】に題す。 
衡嶽廟に拝謁してとうとう衡山にある仏寺の宿坊に宿し、その楼門に題す詩
謁衡岳廟 底本巻三。衡岳廟は衡山の山霊を祭る嗣である。衡山は中国五岳の一つで、湖南省卸南県の南方にあたり、衡山県の西三十里の地にあり、南岳とよぱれた。永貞元年九月中下句、槨州から新任地江陵へ向かう途中の作。・岳寺 衡山にある仏寺。・門楼 楼門。


五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。
五嶽の祭秩【さいちつ】皆 三公【さんこう】、四方に環【めぐ】り鎮【ちん】して 嵩【すう】は中に當る。
五嶽は祭典序列はみな三公待遇である。天下四方に位置し、嵩山を中心にして天下鎮守するのである。
五岳祭秩皆三公『礼記』王制に「天子は天下の名山大川を祭る。五岳は三公に視へ、四涜は諸侯に視ふ。」とある。五岳とは
華山(西嶽;2,160m陝西省渭南市華陰市)
嵩山(中嶽;1,440m河南省鄭州市登封市)、
泰山(東嶽;1,545m山東省泰安市泰山区)、
衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、
恒山(北嶽;2,016,m山西省大同市渾源県)
これを祭るとぎ、その祭器や犠牲の数を、三公すなわち国家の元老たる太師・太傅・太保を正餐にまねく場合になぞらえ、四涜すなわち長江・黄河・淮江・済河の四大川を祭るときは、諸侯になぞらえる、というのである。


火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。
火維【かい】地荒れて 妖怪【ようかい】足【おお】く、天 神柄【しんぺい】を瑕【か】して 其の雄を専にす。
赤道に位置するといわれてきたこの地は荒廃し、妖怪どもがあまた棲息した、そして天は衡山に神の権能を賦与し、それらを雄伏させようとされたのだ。
火維 赤道に位置するもの。衡山は 『初学記』に「南岳衡山は朱陵の霊台、太虚の宝洞にして、上は冥宿を承け、徳を銓り物を釣ぶ。放に衡山と名づく。下は離宮に踞し、位を火郷に摂り、赤帝その嶺に館し、祝融その陽に託す。故に南岳と号す」。と記すように南方熱帯の地にある山だ。・天仮神柄 天が衡山に神としての権能を貸し与えた。


噴雲洩霧藏半腹,雖有絕頂誰能窮。
雲を噴き 霧を泄【もら】して 半腹を蔵【ぞう】す、絶頂有りと雖も 誰か能く窮めむ。
雲を吹き出し、霧をもらしていて、中腹以上にいくとかくれている。頂上はもとより存在しているといっても、誰が見きわめえたというのか。


我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。
我来って 正に 秋雨の節に逢ふ、陰気【いんき】晦昧【かいまい】として 清風無し。
私はここへ来て正に秋雨の季節に逢ってしまった。秋雨の陰湿の気、ぶきみに暗いし、ここではすがすがしい風は吹かないのである。
晦昧 くらい。

中唐詩-281 八月十五夜贈張功曹 #3 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-34-#3

中唐詩-281 八月十五夜贈張功曹 #3 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-34-#3


八月十五夜贈張功曹(八月十五夜張功曹に贈る)

 
纖雲四卷天無河,清風吹空月舒波。
沙平水息聲影絕,一杯相屬君當歌。
君歌聲酸辭且苦,不能聽終淚如雨。
洞庭連天九疑高,蛟龍出沒猩鼯號。
十生九死到官所,幽居默默如藏逃。―1

下牀畏蛇食畏藥,海氣濕蟄熏腥臊。
昨者州前捶大鼓,嗣皇繼聖登夔皋。
赦書一日行萬里,罪從大辟皆除死。
遷者追回流者還,滌瑕盪垢清朝班。
州家申名使家抑,坎軻隻得移荆蠻。―2

判司卑官不堪說,未免捶楚塵埃間。
わたしが任命された判司(各参軍の総称)は低い官職で一々言ってはいられぬくらい。庭先で埃まみれになって杖で打たれるお仕置きを免れることはできない。
同時輩流多上道,天路幽險難追攀。』
同年代の仲間は多く出世街道を歩んでいるが、天へと昇る道は険しくて、あとを追って進むこともむずかしい。
君歌且休聽我歌,我歌今與君殊科。
君の歌はひとまずやめにして、私の歌を聴きたまえ。私の歌はいま、君の歌とは種類が違っている。
一年明月今宵多,人生由命非由他。有酒不飲奈明何。』―3

一年に円い月は何度もあるが、今宵こそ月光が豊かなのだ。人の一生は天命によって動くもの、ほかのものによって勤くのではない。酒がここにあるのに飲まなかったら、この明月をどうしようか。
600moon880
  

(八月十五夜張功曹に贈る)#1
繊雲【せんうん】四【よ】もに巻いて天に河【か】無く、清風空を吹いて月は波を舒【の】ぶ。
沙は平らに水息【や】んで声影絶え、一盃【いっぱい】相属【しょく】す君当【まさ】に歌うべし。
君が歌は声酸【いた】み辞も且つ苦しく、終わるまで聴く能【あた】わずして涙雨の如し。
洞庭は天に連なり九疑【きゅうぎ】は高く、蛟竜【こうりゅう】出没して猩鼯【せいご】号【さけ】ぶ。
十生【じつせい】九死【きゅうし】 官所に到り、幽居黙黙として蔵逃せるが如し。
#2
牀【しょう】を下れば蛇を畏れ食には薬を畏れ、海気濕蟄【しつちつ】して腥臊【せいそう】熏【くん】ず。
昨者【さきごろ】州前【しゅうぜん】に大鼓を槌【う】ち、嗣皇【しこう】聖を継ぎて菱皐【きこう】を登【あ】ぐ。
赦書一日に万里を行き、罪の大辟【たへき】に従うは皆死を除かる。
遷者は追回し流者は還【かえ】し、瑕【きず】を滌【あら】い垢【あか】を蕩【そそ】いで朝【ちょう】 班【はん】を清む。
州家は名を申【の】べしも使家は抑え、坎軻【かんか】隻【ひとつ】荊蛮【けいばん】に移るを得しのみ。
#3
判司は卑官にして説【い】うに湛えず、未だ塵埃【じんあい】の間に捶楚【すいそ】せらるるを免れず。
同時の輩流 多く道に上るも、天路は幽険にして追攀【ついはん】し難し。
君が歌を且【しばら】く休【や】めて我が歌を聴け、我が歌は今君と科を殊【こと】にす。
一年の明月 今宵【こよい】多し、人生命【めい】に由る 他に由るに非ず、酒有れども飲まずんば明を奈何【いかん】せん

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現代語訳と訳註
(本文)

判司卑官不堪說,未免捶楚塵埃間。
同時輩流多上道,天路幽險難追攀。』
君歌且休聽我歌,我歌今與君殊科。
一年明月今宵多,人生由命非由他。有酒不飲奈明何。』―3

(下し文) #3
判司は卑官にして説【い】うに湛えず、未だ塵埃【じんあい】の間に捶楚【すいそ】せらるるを免れず。
同時の輩流 多く道に上るも、天路は幽険にして追攀【ついはん】し難し。
君が歌を且【しばら】く休【や】めて我が歌を聴け、我が歌は今君と科を殊【こと】にす。
一年の明月 今宵【こよい】多し、人生命【めい】に由る 他に由るに非ず、酒有れども飲まずんば明を奈何【いかん】せん


(現代語訳)
わたしが任命された判司(各参軍の総称)は低い官職で一々言ってはいられぬくらい。庭先で埃まみれになって杖で打たれるお仕置きを免れることはできない。
同年代の仲間は多く出世街道を歩んでいるが、天へと昇る道は険しくて、あとを追って進むこともむずかしい。
君の歌はひとまずやめにして、私の歌を聴きたまえ。私の歌はいま、君の歌とは種類が違っている。
一年に円い月は何度もあるが、今宵こそ月光が豊かなのだ。人の一生は天命によって動くもの、ほかのものによって勤くのではない。酒がここにあるのに飲まなかったら、この明月をどうしようか。


(訳注)#3
判司卑官不堪說,未免捶楚塵埃間。
わたしが任命された判司(各参軍の総称)は低い官職で一々言ってはいられぬくらい。庭先で埃まみれになって杖で打たれるお仕置きを免れることはできない。
不堪說 一々言ってはいられないほどのもの。○捶楚 杖で打たれるお仕置きをうける。○塵埃間 庭先で埃まみれになる。


同時輩流多上道,天路幽險難追攀。』
同年代の仲間は多く出世街道を歩んでいるが、天へと昇る道は険しくて、あとを追って進むこともむずかしい。
○天路 天子の政。天子の作る法則。はるか遠い天上のみち。ここでは、中央朝廷に迎えられることをいう。○幽險 一人ぼっちで誰もいない、書して峻道。○難追攀 あとを追って進むこともむずかしい。


君歌且休聽我歌,我歌今與君殊科。
君の歌はひとまずやめにして、私の歌を聴きたまえ。私の歌はいま、君の歌とは種類が違っている。
殊科 科を異にする。科が優れていること。


一年明月今宵多,人生由命非由他。有酒不飲奈明何。』―3
一年に円い月は何度もあるが、今宵こそ月光が豊かなのだ。人の一生は天命によって動くもの、ほかのものによって勤くのではない。酒がここにあるのに飲まなかったら、この明月をどうしようか。



 「張功曹」とは、前に見えた張署である。功曹は官名で、正式には功曹参軍事という。人事を担当する職で、愈が任ぜられた法曹参軍とは同格であり、府庁の最末端に属する官僚である。

韓愈をも含めた同一事件の流罪人について一律の命をくだしている。州の刺史は都に召還されるべき人のリストのなかに間違いなく入れてくれた。しかし、韓愈たちには都へ召喚されるものではなかった

州の刺史の上申を握りつぶしたのは、当時の湖南観察使であった。楊憑は柳宗元の妻の父であり、韓愈たちが柳宗元の一派に、すなわち王伾・王叔文の一党に、敵対するものである以上、その召還を妨害したのだ。韓愈の置かれている立場は、守旧派であり、急進改革の王伾・王叔文の一党が、実権を握っている間は、上申書が中央に届いていても取り上げられるわけはないのである。官僚の陰湿さは科挙試験の前から、党派を明確にしておかないと出世はないのである。韓愈は守旧派ではないが、急進派からはそう見られていたのだろう。
この詩の中で、愚痴を述べた韓愈であったが、その点をさらに明確に述べた詩がある。次に掲載する『赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺二十六員外翰林三学士』である。


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中唐詩-280 八月十五夜贈張功曹 #2 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-34-#2

中唐詩-280 八月十五夜贈張功曹 #2 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-34-#2

八月十五夜贈張功曹(八月十五夜張功曹に贈る)

 纖雲四卷天無河,清風吹空月舒波。
沙平水息聲影絕,一杯相屬君當歌。
君歌聲酸辭且苦,不能聽終淚如雨。
洞庭連天九疑高,蛟龍出沒猩鼯號。
十生九死到官所,幽居默默如藏逃。―1

下牀畏蛇食畏藥,海氣濕蟄熏腥臊。
隠れ住んでいるように感じるのは、寝台から降りれば毒蛇の心配があり、食事には毒薬の入っている恐れがある。海から立ちのぼる気は湿気を帯びていて、なまぐさい臭いがあたりに漂う。
昨者州前捶大鼓,嗣皇繼聖登夔皋。
先日のこと、州庁の前の太鼓が鳴らされた。そして、お世継ぎの天子が聖明の徳を継がれ、賢臣を登用されるということが知らされた。
赦書一日行萬里,罪從大辟皆除死。
赦免状は一日に一万里を行き、極刑以下の罪はすべて死を免ぜられた。
遷者追回流者還,滌瑕盪垢清朝班。
左遷された者はもとへもどされ、流された者は還され、加えられた恥辱をすすぎ、百官の仲間に加わって朝廷に参上した。
州家申名使家抑,坎軻隻得移荆蠻。
―2
だが私の場合は、州の刺史は名前を上申してくれたのに湖南観察使がおさえてしまい、運の悪いことに蛮俗の土地である江陵へ移ることができただけだった。

判司卑官不堪說,未免捶楚塵埃間。
同時輩流多上道,天路幽險難追攀。』
君歌且休聽我歌,我歌今與君殊科。
一年明月今宵多,人生由命非由他。有酒不飲奈明何。』―3
  

(八月十五夜張功曹に贈る)#1
繊雲【せんうん】四【よ】もに巻いて天に河【か】無く、清風空を吹いて月は波を舒【の】ぶ。
沙は平らに水息【や】んで声影絶え、一盃【いっぱい】相属【しょく】す君当【まさ】に歌うべし。
君が歌は声酸【いた】み辞も且つ苦しく、終わるまで聴く能【あた】わずして涙雨の如し。
洞庭は天に連なり九疑【きゅうぎ】は高く、蛟竜【こうりゅう】出没して猩鼯【せいご】号【さけ】ぶ。
十生【じつせい】九死【きゅうし】 官所に到り、幽居黙黙として蔵逃せるが如し。
#2
牀【しょう】を下れば蛇を畏れ食には薬を畏れ、海気濕蟄【しつちつ】して腥臊【せいそう】熏【くん】ず。
昨者【さきごろ】州前【しゅうぜん】に大鼓を槌【う】ち、嗣皇【しこう】聖を継ぎて菱皐【きこう】を登【あ】ぐ。
赦書一日に万里を行き、罪の大辟【たへき】に従うは皆死を除かる。
遷者は追回し流者は還【かえ】し、瑕【きず】を滌【あら】い垢【あか】を蕩【そそ】いで朝【ちょう】 班【はん】を清む。
州家は名を申【の】べしも使家は抑え、坎軻【かんか】隻【ひとつ】荊蛮【けいばん】に移るを得しのみ。

#3
判司は卑官にして説【い】うに湛えず、未だ塵埃【じんあい】の間に捶楚【すいそ】せらるるを免れず。
同時の輩流 多く道に上るも、天路は幽険にして追攀【ついはん】し難し。
君が歌を且【しばら】く休【や】めて我が歌を聴け、我が歌は今君と科を殊【こと】にす。
一年の明月 今宵【こよい】多し、人生命【めい】に由る 他に由るに非ず、酒有れども飲まずんば明を奈何【いかん】せん

韓愈の地図03

現代語訳と訳註
(本文)

下牀畏蛇食畏藥,海氣濕蟄熏腥臊。
昨者州前捶大鼓,嗣皇繼聖登夔皋。
赦書一日行萬里,罪從大辟皆除死。
遷者追回流者還,滌瑕盪垢清朝班。
州家申名使家抑,坎軻隻得移荆蠻。


(下し文) #2
牀【しょう】を下れば蛇を畏れ食には薬を畏れ、海気濕蟄【しつちつ】して腥臊【せいそう】熏【くん】ず。
昨者【さきごろ】州前【しゅうぜん】に大鼓を槌【う】ち、嗣皇【しこう】聖を継ぎて菱皐【きこう】を登【あ】ぐ。
赦書一日に万里を行き、罪の大辟【たへき】に従うは皆死を除かる。
遷者は追回し流者は還【かえ】し、瑕【きず】を滌【あら】い垢【あか】を蕩【そそ】いで朝【ちょう】 班【はん】を清む。
州家は名を申【の】べしも使家は抑え、坎軻【かんか】隻【ひとつ】荊蛮【けいばん】に移るを得しのみ。


(現代語訳)
隠れ住んでいるように感じるのは、寝台から降りれば毒蛇の心配があり、食事には毒薬の入っている恐れがある。海から立ちのぼる気は湿気を帯びていて、なまぐさい臭いがあたりに漂う。
先日のこと、州庁の前の太鼓が鳴らされた。そして、お世継ぎの天子が聖明の徳を継がれ、賢臣を登用されるということが知らされた。
赦免状は一日に一万里を行き、極刑以下の罪はすべて死を免ぜられた。
左遷された者はもとへもどされ、流された者は還され、加えられた恥辱をすすぎ、百官の仲間に加わって朝廷に参上した。
だが私の場合は、州の刺史は名前を上申してくれたのに湖南観察使がおさえてしまい、運の悪いことに蛮俗の土地である江陵へ移ることができただけだった。


(訳注)
下牀畏蛇食畏藥,海氣濕蟄熏腥臊。

隠れ住んでいるように感じるのは、寝台から降りれば毒蛇の心配があり、食事には毒薬の入っている恐れがある。海から立ちのぼる気は湿気を帯びていて、なまぐさい臭いがあたりに漂う。
○下牀 寝台から降りる。○畏蛇 毒蛇の心配があること。○食畏藥 食事には毒薬の入っている恐れがある。○海氣 海から立ちのぼる気○濕蟄 空気中の水分が多いこと、湿気を帯びていること。○熏腥臊 なまぐさい臭いがあたりに漂う。北回帰線付近の8月だから、まだ蒸しあつい日がある。


昨者州前捶大鼓,嗣皇繼聖登夔皋。
先日のこと、州庁の前の太鼓が鳴らされた。そして、お世継ぎの天子が聖明の徳を継がれ、賢臣を登用されるということが知らされた。
昨者 先日のこと。○捶大鼓 州庁の前の太鼓が鳴る。○嗣皇 世継ぎの天子。○繼聖 聖明の徳を継がれたこと○登夔皋 賢臣を登用される。


赦書一日行萬里,罪從大辟皆除死。
赦免状は一日に一万里を行き、極刑以下の罪はすべて死を免ぜられた。
赦書 赦免状○罪從 罪を負ったもののこと。○大辟 五刑のひとつ。死刑。死罪。○皆除死 すべて死を免ぜられ。


遷者追回流者還,滌瑕盪垢清朝班。
左遷された者はもとへもどされ、流された者は還され、加えられた恥辱をすすぎ、百官の仲間に加わって朝廷に参上した。
○遷 左遷された者。○追回 もとへもどされ。○流者還 流された者は還される。○滌瑕 加えられた恥辱をすすぎ。○盪垢 垢を洗い落とす。○清朝班 百官の仲間に加わって朝廷に参上した。


州家申名使家抑,坎軻隻得移荆蠻。―2
だが私の場合は、州の刺史は名前を上申してくれたのに湖南観察使がおさえてしまい、運の悪いことに蛮俗の土地である江陵へ移ることができただけだった。
州家 州の刺史○申名 名前を上申する。○使家抑湖南観察使がおさえる。○坎軻 いきなやむ。不遇なこと。○隻得 ただ一つだけ得る。○移荆蠻 蛮俗の土地である江陵へ移る。

中唐詩-261 寄盧仝#6 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

中唐詩-261 寄盧仝#6 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22


811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。
孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248
盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)
中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251



寄盧仝


先生又遣長鬚來,如此處置非所喜。
先生は又長鬚の下男を使いとしていって来させられた、「このような処置はわたしにとってうれしいことではない。」と。
況又時當長養節,都邑未可猛政理。
そうして、「ましていままさに季節は万物の生長する時節である、この街にきびしい政治をするべきときではない。」とおっしゃる。
先生固是余所畏,度量不敢窺涯涘。
先生は心から心から感服するお方である、その人格の大きさは、量りようがないはてがないほどのものだ。
放縱是誰之過歟?效尤戮仆愧前史。』

勝乎気ままにあばれる不良少年どもが犯す行為はいったい誰の過ちだろうか、「尤【とが】めて効【なら】うは、それ又甚だし。」といった王さまやしもべを殺したときに下のものの責任を負った殿さまを思いむかしの史書「春秋左氏伝」の故事に、はずかしく思うのである。

買羊沽酒謝不敏,偶逢明月曜桃李。
ときは満月がかがやき、桃李の花がさきみだれる春の真っ盛りです、羊の肉や酒を買ってきております、不行き届きをおわびいたします。(こちらへ、足をお運びいただきたいのです。)
先生有意許降臨,更遣長須改雙鯉。

先生もしもわざわざのおこしを御承知くだされば、どうぞもう一度、長鬚の下男に何らかのお知らせをとどけさせて下さいませ。



先生 又 長鬚を遣わして來たらしむ,此くの如き處置は喜ぶ所に非らず。
況【いわ】んや 又 時 長養【ちょうよう】の節に当たれり、
都邑【とゆう】未だ政理【せいり】を猛【はげ】しゅうすべからず。
先生は固【まこと】に是れ余【わ】が畏れる所なり、度量 敢えて涯涘【がいし】を窺【うたが】わず。
放縦【ほうしょう】なるは是れ誰が過【あやまち】ちぞや、尤【とが】に効【なろ】うて僕を戮【りく】すること前史【ぜんし】に愧【は】ず。

羊を買い 酒を沽【か】って 不敏を謝す,偶【たまたま】明月の桃李【とうり】に曜【かがや】くに逢えり。
先生 降臨【こうりん】許すに意有らば,更に長鬚【ちょうしゅ】遣わして 雙鯉【そうり】を改【いた】さしめよ。


現代語訳と訳註
(本文)

先生又遣長鬚來,如此處置非所喜。
況又時當長養節,都邑未可猛政理。
先生固是余所畏,度量不敢窺涯涘。
放縱是誰之過歟?效尤戮仆愧前史。』

買羊沽酒謝不敏,偶逢明月曜桃李。
先生有意許降臨,更遣長須改雙鯉。

(下し文)
先生 又 長鬚を遣わして來たらしむ,此くの如き處置は喜ぶ所に非らず。
況【いわ】んや 又 時 長養【ちょうよう】の節に当たれり、
都邑【とゆう】未だ政理【せいり】を猛【はげ】しゅうすべからず。
先生は固【まこと】に是れ余【わ】が畏れる所なり、度量 敢えて涯涘【がいし】を窺【うたが】わず。
放縦【ほうしょう】なるは是れ誰が過【あやまち】ちぞや、尤【とが】に効【なろ】うて僕を戮【りく】すること前史【ぜんし】に愧【は】ず。

羊を買い 酒を沽【か】って 不敏を謝す,偶【たまたま】明月の桃李【とうり】に曜【かがや】くに逢えり。
先生 降臨【こうりん】許すに意有らば,更に長鬚【ちょうしゅ】遣わして 雙鯉【そうり】を改【いた】さしめよ。

(現代語訳)
先生は又長鬚の下男を使いとしていって来させられた、「このような処置はわたしにとってうれしいことではない。」と。
そうして、「ましていままさに季節は万物の生長する時節である、この街にきびしい政治をするべきときではない。」とおっしゃる。
先生は心から心から感服するお方である、その人格の大きさは、量りようがないはてがないほどのものだ。
勝乎気ままにあばれる不良少年どもが犯す行為はいったい誰の過ちだろうか、「尤【とが】めて効【なら】うは、それ又甚だし。」といった王さまやしもべを殺したときに下のものの責任を負った殿さまを思いむかしの史書「春秋左氏伝」の故事に、はずかしく思うのである。
ときは満月がかがやき、桃李の花がさきみだれる春の真っ盛りです、羊の肉や酒を買ってきております、不行き届きをおわびいたします。(こちらへ、足をお運びいただきたいのです。)
先生もしもわざわざのおこしを御承知くだされば、どうぞもう一度、長鬚の下男に何らかのお知らせをとどけさせて下さいませ。


(訳注)
先生又遣長鬚來,如此處置非所喜。
先生は又長鬚の下男を使いとしていって来させられた、「このような処置はわたしにとってうれしいことではない。」と。
先生又遣長聚来 この一段は、慮仝がまた例の長鍋の下男をよこし、訴えた隣りの不良少年を寛大に取り扱うよう頼んで来たことを述べる。○如此処置非所喜 この句から下三句「都邑未可猛政理」までが、盧仝が下男にいわせて来たことばである。


況又時當長養節,都邑未可猛政理。
そうして、「ましていままさに季節は万物の生長する時節である、この街にきびしい政治をするべきときではない。」とおっしゃる。
 季節。○長養 育て養うこと。成長する時期には養ってやらないといけない。『漢書、五行志中之下』「長養同類」(養す同類を長す)昔の中国では、春と夏は、万物が芽吹き、成長する季節は育ててやることとされ、処刑を行わないことになっていた。○ この詩は、下に「偶逢明月曜桃李」(偶たま明月の桃李に哩くに逢えり)とあるように春であるから、「長養の節」というのである。○都邑 まち。大きなまちを都といい、小さなまちを邑という。○猛政理 猛は、きぴしくする。政理は、政治ということ。唐代では、高宗皇帝(李治)(649―683年在位)の名が治であったので、遠慮して治の字を用いず、代わりに理の字を用いた。


先生固是余所畏,度量不敢窺涯涘。
先生は心から心から感服するお方である、その人格の大きさは、量りようがないはてがないほどのものだ。
固是 心からという気持ちをあらわすことば。ほんとに。○ 心から感服する。○度量 人をうけ入れるはら。人格の大きさ。○不敢窺涯涘 儒者として、涯も涘も、きし。きしべをうかがおうとも思わない、つまり、人格がはてしがなくひろくてうかがえない、ということ。

 
放縱是誰之過歟?效尤戮仆愧前史。』
勝乎気ままにあばれる不良少年どもが犯す行為はいったい誰の過ちだろうか、「尤【とが】めて効【なら】うは、それ又甚だし。」といった王さまやしもべを殺したときに下のものの責任を負った殿さまを思いむかしの史書「春秋左氏伝」の故事に、はずかしく思うのである。
放縦 不良少年たちがすきほうだい勝手気ままなことをするのは。○ 詠嘆をこめた疑問をあらわす助辞。○効尤 人をとがめておきながら、自分為同じようにわるいことをする。『左伝、襄公二十一年』にある話に基づく。欒盈という晋の国の家老が晋の国を追われて、楚の国へ逃げて行く途中、周の王城の西を通ったところ、その近くの人たちに掠奪された。それを王に訴えると、王はいった。「尤【とが】めて効【なら】うは、それ又甚だし。」(とがめながらそのまねをするとは、いっそうひどいことだ。)そういって掠奪したものをかえし、賓客係りの官に送らせ、関所を出してやった。ここは、そのことばの意味よりも自分の部下のした悪事に責任を持った周の霊王(紀元前572―544在位)のはなしに重点が置かれている。○戮僕  僕である御者をころす。これも『左伝、襄公三年』に見えるはなしである。晋の悼公の弟の揚干が曲梁(今の河北省永年県)で陣を乱したので、司令官の魏絳がそのしもべである御者を貴任者として殺した。悼公は大変怒ったが、魏絳が手紙を悼公に送って、道理を説くとともに貴任を取ろうとした。公はそれに感じて、はだしで出て行っていった。「寡人が言は親愛なり。吾子が討は軍礼なり。寡人に弟有り、教訓すること能わずして、大命を干【おか】さしむ。寡人が過ちなり。子【なんじ】寡人が過ちを重ぬること無かれ。敢えて以て請うことを為すと。」つまり、これも、自分の弟のしたあやまちは、おのれの教訓できなかったためだと、自分の過夫にして責任を負ったはなしである。○愧前史 上の二つの「尤に効う」といった周の霊王と「僕を戮した」ときの晋の悼公のように、いずれも部下の責任を自分の過失としたものがたりを掲載する前代の歴史の書物に対し、治下から罪人を出しながら自分の過失と考えなかった自分がはずかしい、ということ。前史は、むかしの歴史の書物、ここでは「春秋左氏伝」をさす。


買羊沽酒謝不敏,偶逢明月曜桃李。
ときは満月がかがやき、桃李の花がさきみだれる春の真っ盛りです、羊の肉や酒を買ってきております、不行き届きをおわびいたします。(こちらへ、足をお運びいただきたいのです。)
買羊聴洒謝不敏 倒句として読む。この四句、自分の不行き届きをわびて招待し、結びとする。○は、羊の肉、酒のさかなである。○は、売るという意にも、買うという意にも、用いられるが、ここは、買うこと。娼屋、高楼で酒を買うのではなく、亀の中に入れているお酒をばら売りしている酒屋が売ることをいう。○は、あやまる・不敏は、ものごとを知らぬこと。ふっつか。おろか。自分を謙遜していうときにいつもつかうことばである。○ 明月と桃李の花が咲き乱れるときがならぶ、そろうことをいう。偶逢で、春の真っ盛り、真只中ということ。○ あかるくかがやく。○挑李  桃とスモモ。花についていう。春旧暦二月にはじめて花がさく。


先生有意許降臨,更遣長須改雙鯉。
先生もしもわざわざのおこしを御承知くだされば、どうぞもう一度、長鬚の下男に何らかのお知らせをとどけさせて下さいませ。
有意 気持ちがある。わざわざ来てくれる。○降臨 こちらにおいでになる。謙遜したいい方である。○双鯉 何らかの知らせ。手紙のこと。『文選巻二十七』無名氏の楽府『飲馬長城窟行』「客從遠方來,遺我雙鯉魚。呼兒烹鯉魚,中有尺素書。」(客逍方より来たり、我れに双鯉魚を迫る。児を呼んで鰹魚を烹るに、中に尺素の書有り。)―旅人が遠くからやって来て、わたしに二匹のこいをくれた。こどもを呼んでこいを料理すると、中にきぬ巻き紙の手紙があった。―とあるのにもとづく。


漢無名氏《飲馬長城窟行》
青青河畔草,綿綿思遠道。遠道不可思,宿昔夢見之。
夢見在我傍,忽覺在他鄉。他鄉各異縣,輾轉不相見。
枯桑知天風,海水知天寒。入門各自媚,誰肯相為言。
客從遠方來,遺我雙鯉魚。呼兒烹鯉魚,中有尺素書。
長跪讀素書,書中竟何如。上言加餐食,下言長相憶。


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(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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平淮西碑 (韓碑)#3 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 137

平淮西碑 (韓碑)#3 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 137


平淮西碑 (韓碑)#3
帝日汝度功第一、汝従事愈宜爲辭。
憲宗皇帝はもうされたことは「このたびは汝、裴度が功績第一のものである。」であった、また「汝の部下の韓愈が、碑に刻むべき文章を作らせるがよろしかろう。」と申されたのだ。
愈拝稽首蹈且舞、金石刻畫臣能爲。
韓愈はこの命を最高のものとして受けとめ、唐制にのっとった、拝手稽首の最敬礼と御前に小踊りの礼をしてお答え申し上がたことだった。「金石に刻む文を書くことは天子に代って為さるべきお役目の方々のあることであり、私ごとき行軍司馬のよく為しうる所ではないことでございます。」
古者世稱大手筆、此事不繫於職司。
「むかしから、世に大文章と称されるものを見ておりますと、筆者は必ずしもその職を司った者とは限ったものではないようであります。それゆえ、天子の命とありますからこのこと誰れ憚ることなく最大の力を注ぎ尽します。」
當仁自古有不讓、言訖屢頷天子頤。
「『論語』の教えにも、『仁のことをなすに臨んでは、師にもゆずらず』とありますようにいたす所存でございます。」韓愈の意気込みを申しあげて言葉が終ったとき、天子は満足気に幾度もうなずかれたことだった。
公退齊戒坐小閤、濡染大筆何淋漓。
かくて、韓愈は朝廷から退出し、沐浴し衣をあらためて身を潔め、集中力を高めて、小座敷に独り坐って筆をとった。大きな筆にたっぷりと墨を含ませ、心を定めて一気呵成に文を書き上げようとしたからだろう。
點竄堯典舜典字、塗改清廟生民詩。
徳をもって天下を治めた理想的な帝王の書である堯典や舜典の文章、古い雅頚の集である清廟や生民の詩を、改訂して書き改めたかのような、それは古雅で荘重な文章であった。
文成破體書在紙、清晨再拝鋪丹墀。

その字も常識を破った新しい文体で、紙一面に力強く書かれていた。そして、清々しい朝を迎え、大気も澄んでいた、韓愈は参朝し、宮殿の赤き庭、天子の御座の下にそれをひろげたのである。

帝 日(いわく) 汝 度よ 功第一なり、汝の従事の愈 宜(よろ)しく辞を為(つく)るべしと。
愈は拝し稽首(けいしゅ)して 蹈(とう)し且つ舞(ぶ)す、金石刻画 臣 能く為さんや。
古者(いにしえ)より世に大手(だいしゅ)筆を称す、此の事 職司に繋(かけ)られず。
仁に 当り ては 古自(いにしえよ)り 譲らざる有り、言い訖(おわ)れば 屡(しばしば )頷く天子の頤(あご)。
公は退(しりぞ)き 斎戒(さいかい)して 小閤に坐し、大筆を濡染(じゅせん)する 何 ぞ 淋漓(りんり)たる、点竄(てんざん)す 堯典(ぎょうてん)舜典(しゅんてん)の字、塗改す 清廟(せいびょう) 生民(せいみん)の詩。
文成り 破体(はたい) 書して紙に在り、精晨(せいしん)に再拝(さいはい)して丹墀(たんち)に鋪(つら)ぬ。


■平淮西碑 (韓碑)に関する韓愈の年譜
815憲宗元和10年48歳5月、「淮西の事宜を論ずる状」を上奏し、淮西の乱に断固たる措置を求める。夏、「順宗実録」を撰進。*「盆地五首」*「児に示す」作。
81611年49歳正月20日、中書舎人に転任。緋魚袋を賜わる。5月18日、太子右庶士に降任。*「張籍を調(あざけ)る」作
81712年50歳7月29日、裴度、淮西宣慰招討処置使となるに伴い、兼御史中丞、彰義軍行軍司馬となる。8月、滝関を出、本隊より離れて汴州に急行し、宣武軍節度使韓弘の協力をとりつける。10月、敵の本拠、蔡州を間道づたいに突くことを願うも、唐鄧随節度使李愬に先をこされる。11月28日、蔡州を発して長安へ向かう。12月16日、長安へ帰る。21日、刑部侍郎に転任。*「裴相公の東征して途に女几山の下を経たりの作に和し奉る」作
81813年51歳正月、「淮西を平らぐる碑」 を上るも、李愬の訴えにより、碑文は磨り消される。4月、鄭余慶、詳定礼楽使となり、推薦されて副使をつとめる。*「独り釣る四首」
81914年52歳正月14日、「仏骨を論ずる表」を上り、極刑に処せられるところを、裴度らのとりなしで、潮州刺史に左遷となる。3月25日、潮州に着任。10月24日、兗州刺史に転任。*「左遷せられて藍関に至り姪孫湘に示す」*「滝吏」*「始興江口に過る感懐」*「柳柳州の蝦蟇を食うに答う」*「兗州に量移せらる張端公詩を以て相賀す因って之に酬ゆ」  *二月二日、潮州への旅の途次、四女挐、死没。7月、大赦。

平淮西碑 (韓碑)#3 現代語訳と訳註
(本文)

帝日汝度功第一、汝従事愈宜爲辭。
愈拝稽首蹈且舞、金石刻畫臣能爲。
古者世稱大手筆、此事不繫於職司。
當仁自古有不讓、言訖屢頷天子頤。
公退齊戒坐小閤、濡染大筆何淋漓。
點竄堯典舜典字、塗改清廟生民詩。
文成破體書在紙、清晨再拝鋪丹墀。

(下し文)
帝 日(いわく) 汝 度よ 功第一なり、汝の従事の愈 宜(よろ)しく辞を為(つく)るべしと。
愈は拝し稽首(けいしゅ)して 蹈(とう)し且つ舞(ぶ)す、金石刻画 臣 能く為さんや。
古者(いにしえ)より世に大手(だいしゅ)筆を称す、此の事 職司に繋(かけ)られず。
仁に 当り ては 古自(いにしえよ)り 譲らざる有り、言い訖(おわ)れば 屡(しばしば )頷く天子の頤(あご)。
公は退(しりぞ)き 斎戒(さいかい)して 小閤に坐し、大筆を濡染(じゅせん)する 何 ぞ 淋漓(りんり)たる、点竄(てんざん)す 堯典(ぎょうてん)舜典(しゅんてん)の字、塗改す 清廟(せいびょう) 生民(せいみん)の詩。
文成り 破体(はたい) 書して紙に在り、精晨(せいしん)に再拝(さいはい)して丹墀(たんち)に鋪(つら)ぬ。

(現代語訳)
憲宗皇帝はもうされたことは「このたびは汝、裴度が功績第一のものである。」であった、また「汝の部下の韓愈が、碑に刻むべき文章を作らせるがよろしかろう。」と申されたのだ。
韓愈はこの命を最高のものとして受けとめ、唐制にのっとった、拝手稽首の最敬礼と御前に小踊りの礼をしてお答え申し上がたことだった。「金石に刻む文を書くことは天子に代って為さるべきお役目の方々のあることであり、私ごとき行軍司馬のよく為しうる所ではないことでございます。」
「むかしから、世に大文章と称されるものを見ておりますと、筆者は必ずしもその職を司った者とは限ったものではないようであります。それゆえ、天子の命とありますからこのこと誰れ憚ることなく最大の力を注ぎ尽します。」
「『論語』の教えにも、『仁のことをなすに臨んでは、師にもゆずらず』とありますようにいたす所存でございます。」韓愈の意気込みを申しあげて言葉が終ったとき、天子は満足気に幾度もうなずかれたことだった。
かくて、韓愈は朝廷から退出し、沐浴し衣をあらためて身を潔め、集中力を高めて、小座敷に独り坐って筆をとった。大きな筆にたっぷりと墨を含ませ、心を定めて一気呵成に文を書き上げようとしたからだろう。
徳をもって天下を治めた理想的な帝王の書である堯典や舜典の文章、古い雅頚の集である清廟や生民の詩を、改訂して書き改めたかのような、それは古雅で荘重な文章であった。
その字も常識を破った新しい文体で、紙一面に力強く書かれていた。そして、清々しい朝を迎え、大気も澄んでいた、韓愈は参朝し、宮殿の赤き庭、天子の御座の下にそれをひろげたのである。


(訳注)
帝日汝度功第一、汝従事愈宜爲辭。

憲宗皇帝はもうされたことは「このたびは汝、裴度が功績第一のものである。」であった、また「汝の部下の韓愈が、碑に刻むべき文章を作らせるがよろしかろう。」と申されたのだ。
〇度 裴度(765-839年)あざな中立。徳宗以下四朝に仕えてよく唐室を輔佐した重臣である。貞元の初めに進士に及第し、校書郎を皮切りに累進して、中書侍郎同平章事となり、817年元和十二年自から請うて呉元済征伐の将軍となった。○従事軍の参謀を職とする副官
○愈
 韓愈のこと。#1を参照○辞 文章。「旧い唐書」韓愈伝に、「淮蔡平らぎ、功を以て刑部侍邸を授けらる。詔して平准西碑を撰さしむ。」と見える。・ 淮水の西側、河南地方。・蔡 蔡城。南北朝以前の名称、河南省の大部分と安徽省の一部の中心城郭。


愈拝稽首蹈且舞、金石刻畫臣能爲。
韓愈はこの命を最高のものとして受けとめ、唐制にのっとった、拝手稽首の最敬礼と御前に小踊りの礼をしてお答え申し上がたことだった。「金石に刻む文を書くことは天子に代って為さるべきお役目の方々のあることであり、私ごとき行軍司馬のよく為しうる所ではないことでございます。」
拝稽首 これ以上ない最敬礼のさま。・ 拝手の略。両手を拱ねいて地につけ、額がその手にあたるまで頭をさげる礼。・稽首 額が地につくまで頭をさげる最敬礼。○蹈且舞 唐制としては一種の儀礼で最敬礼の後喜こんでこおどりすること。
金石刻画 金は鐘鼎、石は碑碣。古代にはそうした銅器や石に頌功紀事、あるいは寓戒の言葉を刻んだ。○臣能為 臣能く為さんや、と反語に読んだ。「史記」の秦始皇本紀に「二世皇帝日く、金石刻は尽く始皇帝の為す所なり。」云云とあるように、金石に功をしるすことは本来天子のなすものと意識きれる。


古者世稱大手筆、此事不繫於職司。
「むかしから、世に大文章と称されるものを見ておりますと、筆者は必ずしもその職を司った者とは限ったものではないようであります。それゆえ、天子の命とありますからこのこと誰れ憚ることなく最大の力を注ぎ尽します。」
大手筆 大著述。または大著述家。
職司 公文書をつづることをその職務とする者を指す。


當仁自古有不讓、言訖屢頷天子頤。
「『論語』の教えにも、『仁のことをなすに臨んでは、師にもゆずらず』とありますようにいたす所存でございます。」韓愈の意気込みを申しあげて言葉が終ったとき、天子は満足気に幾度もうなずかれたことだった。
当仁、不譲 仁の事を行うに当っては、師にもゆずらず、だれ憚るところなく行えという「論語」の言葉にもとづく。「論語」衛霊公簾に「子日く、仁に当りでは師にも譲らず。」と。
言訖 語は終る。

公退齊戒坐小閤、濡染大筆何淋漓。
かくて、韓愈は朝廷から退出し、沐浴し衣をあらためて身を潔め、集中力を高めて、小座敷に独り坐って筆をとった。大きな筆にたっぷりと墨を含ませ、心を定めて一気呵成に文を書き上げようとしたからだろう。
斎戒 祭祀の前に、沐浴し葷酒を去って身心を清める行事。また広く、心気一転してある事に精神を集中することをも斎戒という。ここでは集中して、一気呵成に書き上げるさまをいう。
小閤 閤はもと傍戸。ふつうに小部屋のことを閤という。
淋漓 たっぷりと墨を含ませたさま。水のしたたるさまを写す擬声語。


點竄堯典舜典字、塗改清廟生民詩。
徳をもって天下を治めた理想的な帝王の書である堯典や舜典の文章、古い雅頚の集である清廟や生民の詩を、改訂して書き改めたかのような、それは古雅で荘重な文章であった。
點竄 点は筆で字を消すこと。鼠は改める。二字で詩文を改めなおすこと。
堯典舜典 古代春秋の伝説上の帝王、尭と舜。徳をもって天下を治めた理想的な帝王とされる。五経の一つである「尚書」の篇名。堯典は堯帝の事蹟、舜典は舜帝のことをしるす。
塗改 文字をぬり消して書き改める。
〇清廟生民詩 生民は中国最古の詩集であり且つ五経の一つである「詩経」の大雅の篇名。清廟はおなじくその周頌の篇名。 


文成破體書 在紙、清晨再拝鋪丹墀。
その字も常識を破った新しい文体で、紙一面に力強く書かれていた。そして、清々しい朝を迎え、大気も澄んでいた、韓愈は参朝し、宮殿の赤き庭、天子の御座の下にそれをひろげたのである。
破体 破希の書体。当時の常識を破った新しい文体をいう。
再拝 二度、拝手の礼をする。
鋪丹墀 鋪はのべひろげる。丹墀は宮殿の階上の、朱で土地を赤ぬりこめた庭。有感二首 其二 李商隠150- 102
丹陛 天子の宮殿の正殿の正面階段。赤く塗られているので「丹陛」という
有感二首 其 二
丹陛猶敷奏、彤庭歘戦争。
臨危封盧植、始悔用龐萌。
御仗収前殿、兇徒劇背城。
蒼黄五色棒、掩遏一陽生。』
古有清君側、今非乏老成。
素心雖未易、此擧太無名。
誰瞑銜冤目、寧呑欲絶聲。
近聽開壽讌、不廢用咸英。』

燕臺詩四首 其三 秋#1 李商隠132 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 131-#1

燕臺詩四首 其三 秋#1 李商隠132 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 131-#1


其三 秋
月浪衡天天宇濕,涼蟾落盡疏星入。
月の光が江の上にかかり、北斗七星の第五星「玉衡」は、天空を濡らしている。そうしていると秋の月は沈んでしまった、夜の明けきらぬ早朝の内に宮中に入る。
雲屏不動掩孤嚬,西樓一夜風箏急。」
雲母の屏風がある、身じろぎもせず、口などをゆがめ、眉をひそめた顔に包まれた。そしてその夜の間西の高楼台に、風雲急を告げる凧があげられた。
欲織相思花寄遠,終日相思卻相怨。
相思樹の花を織り込んで遠くのあの人に送りたいけれど、一日中織り込んでいて思い続ければ、かえって怨みが募る。
但聞北斗聲回環,不見長河水清淺。」
今はただ聞こえてくるのは天子の座を示す北斗星あり、その周りを玉環の魂や、天牢六星が冤魄をともなって回っている、悲しみの声がするのだ、これだけ多くの行きたいという魂が多いと天の川が渡れるほど浅くなっているのは見たことがないだろう。
金魚鎖斷紅桂春,古時塵滿鴛鴦茵。
黄金の魚型の錠前が鎖されて金木犀の咲きほこった庭にだれもいない、かつて伴にした鴛鴦の褥には塵が厚く積もっている。
堪悲小苑作長道,玉樹未憐亡國人。』-
#1
悲しみを耐えていたあの宮殿の中庭が今では大通りに変わってしまったのだ。陳の後主は「玉樹後庭歌」のように宮女ばかりにかまけて国を亡ぼした人に憐れを覚えるはずがない。
瑤琴愔愔藏楚弄,越羅冷薄金泥重。
簾鉤鸚鵡夜驚霜,喚起南雲繞雲夢。」
璫璫丁丁聯尺素,內記湘川相識處。
歌唇一世銜雨看,可惜馨香手中故。』-
#2

入。急。」/遠,怨。淺。」/春,茵。人。』/弄,重。夢。/素,處。故。』

其の三 秋
月浪(げつろう)  衡天(こうてん) 天宇(てんう)湿る、涼蟾(りょせん) 落ち盡(つく)して 疏星(そせい)に入る。
雲屏は不動かず 孤嚬(こひん)を掩う,西樓 一夜 風箏 急なり。」
相思の花を織り 遠くに寄せんと欲するも、終日 相思 却って相怨なる。
但 北斗 廻環する声を聞き、長河 水 清浅 を見(おぼえ)ず。
金魚の鎖は断つ 紅桂の春、古時の塵は満つ 鴛鴦(えんおう)の茵(しとね)。
悲しむに堪えん小苑 長道と作る,玉樹未だ憐まず 亡国の人。』-#1
揺瑟(ようしつ)愔愔として楚弄(そろう)藏す,越羅冷薄にして金泥は重し。
簾鉤(ちょうら)鸚鵡(おうむ) 夜 霜に驚き,喚び起こす 南雲 雲夢(うんぼう)を繞(めぐ) るを。」
璫璫(とうとう)丁丁(ちょうちょう) 尺素に聯(つら)なる,內には記(しる)す 湘川(しょうせん) 相 識る處。
歌唇 一世 雨を銜(ふく)みて看ん,惜むべし 馨香(けいこう) 手中に故(ふる)びたり。」


燕臺詩四首 其三 現代語訳と訳註
(本文)
 秋-#1
月浪衡天天宇濕,涼蟾落盡疏星入。
雲屏不動掩孤嚬,西樓一夜風箏急。」
欲織相思花寄遠,終日相思卻相怨。
但聞北斗聲回環,不見長河水清淺。」
金魚鎖斷紅桂春,古時塵滿鴛鴦茵。
堪悲小苑作長道,玉樹未憐亡國人。』-#1

(下し文)
月浪(げつろう)  衡天(こうてん) 天宇(てんう)湿る、涼蟾(りょせん) 落ち盡(つく)して 疏星(そせい)に入る。
雲屏は不動かず 孤嚬(こひん)を掩う,西樓 一夜 風箏 急なり。」
相思の花を織り 遠くに寄せんと欲するも、終日 相思 却って相怨なる。
但 北斗 廻環する声を聞き、長河 水 清浅 を見(おぼえ)ず。
金魚の鎖は断つ 紅桂の春、古時の塵は満つ 鴛鴦(えんおう)の茵(しとね)。
悲しむに堪えん小苑 長道と作る,玉樹未だ憐まず 亡国の人。』-#1

(現代語訳)
月の光が江の上にかかり、北斗七星の第五星「玉衡」は、天空を濡らしている。そうしていると秋の月は沈んでしまった、夜の明けきらぬ早朝の内に宮中に入る。
雲母の屏風がある、身じろぎもせず、口などをゆがめ、眉をひそめた顔に包まれた。そしてその夜の間西の高楼台に、風雲急を告げる凧があげられた。
相思樹の花を織り込んで遠くのあの人に送りたいけれど、一日中織り込んでいて思い続ければ、かえって怨みが募る。
今はただ聞こえてくるのは天子の座を示す北斗星あり、その周りを玉環の魂や、天牢六星が冤魄をともなって回っている、悲しみの声がするのだ、これだけ多くの行きたいという魂が多いと天の川が渡れるほど浅くなっているのは見たことがないだろう。
黄金の魚型の錠前が鎖されて金木犀の咲きほこった庭にだれもいない、かつて伴にした鴛鴦の褥には塵が厚く積もっている。
悲しみを耐えていたあの宮殿の中庭が今では大通りに変わってしまったのだ。陳の後主は「玉樹後庭歌」のように宮女ばかりにかまけて国を亡ぼした人に憐れを覚えるはずがない。


(訳注) 秋のうた#1
太和9年11月晩秋、「甘露の変」「楊貴妃」「陳の後主」
月浪衡天天宇濕,涼蟾落盡疏星入。
月の光が江の上にかかり、北斗七星の第五星「玉衡」は、天空を濡らしている。そうしていると秋の月は沈んでしまった、夜の明けきらぬ早朝の内に宮中に入る。
月浪 月の光が江の上にかかる。李商隠「贈劉司戸蕡」*-1参照 を連想させる。
衡天 北斗七星の第五星は玉衡を示すもの。王座ののこと。○天宇 天空。西普・左思「魂都賦」(『文選』巻六)に「天宇骸き、地塵驚く」。○涼蟾 秋の月をいう。月のなかには轄蛤(ひきがえる)がいると考えられたことから、「蟾」は月の別称に用いられる。○疏星 まばらな星。夜の明けきらぬ早朝。宮中で臣下を集めて催す行事朝礼。
*李商隠は首聯が詩題の舞台、この詩の舞台設定をあらわすように使用している。この朝礼で、「瑞兆として甘露が降った」と上奏し、宦官が確認に行くのでその時、宦官を一網打尽にするという策略を示す

雲屏不動掩孤嚬,西樓一夜風箏急。」
雲母の屏風がある、身じろぎもせず、口などをゆがめ、眉をひそめた顔に包まれた。そしてその夜の間、西の高楼台(鳳翔)に、風雲急を告げる凧があげられた。
雲屏 雲母の屏風。「常蛾」詩参照。
雲母屏風燭影深、長河漸落暁星沈。
嫦娥應悔倫塞薬、碧海青天夜夜心。
西亭 李商隠30 西亭に関する新解釈
孤噸 ひとり、眉をひそめた顔。嚬:ひそむ=顰む. 1 口などがゆがむ。2 べそをかく。○西樓 鄭注が鳳翔より兵を率いて粛清する予定であったことをしめす。○風箏 凧のこと。客家の八角風箏と呼ばれる凧。

欲織相思花寄遠,終日相思卻相怨。
相思樹の花を織り込んで遠くのあの人に送りたいけれど、一日中織り込んでいて思い続ければ、かえって怨みが募る。
相思花 相思樹の花。相思樹は蝿蝶鶏麝鸞鳳等 成篇 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-84(蝿蝶鶏蔚鸞鳳等もて篇を成す)詩注参照。
蝿蝶鶏蔚鸞鳳等成篇
韓蝶翻羅幕、曹蝿沸給囱。
闘鶏廻玉勒、融麝暖金紅。
玳瑁明書閣、琉璃冰酒缸。
畫樓多有主、鸞鳳各雙雙。


但聞北斗聲回環,不見長河水清淺。」
今はただ聞こえてくるのは天子の座を示す北斗星あり、その周りを玉環の魂や、天牢六星が冤魄をともなって回っている、悲しみの声がするのだ、これだけ多くの行きたいという魂が多いと天の川が渡れるほど浅くなっているのは見たことがないだろう。
聲回環 北斗星が北極星のまわりを回る。廻環は死んだ楊貴妃(玉環)が回る。 また、天牢六星が冤魄をともなって回っている。 *-2
長河水清淺 牽牛と織女が天の川を隔てて見つめ合い、「河漢清くして且つ浅し、相い去ること復た幾許ぞ」と、すぐそこにあって水かさも浅いのに渡れないという思いをうたうが、ここでも男女を隔てる川を渡るすべもないことをいうが、冤魄うずまき、水深が浅くなったことをいう。

金魚鎖斷紅桂春,古時塵滿鴛鴦茵。
黄金の魚型の錠前が鎖されて金木犀の咲きほこった庭にだれもいない、かつて伴にした鴛鴦の褥には塵が厚く積もっている。
金魚鎖斷 「金魚」は金色に輝く魚のかたちをした錠前。○紅桂春 紅桂は丹桂、キンモクセイで秋の季語。春は回春の情をいう。○古時 陳の後宮、かつての時。「鴛鴦薗」はおしどりの刺繍をほどこしたしとね。会わなくなって久しいことをいう。河内詩二首
 
堪悲小苑作長道,玉樹未憐亡國人。』
悲しみを耐えていたあの宮殿の中庭が今では大通りに変わってしまったのだ。陳の後主は「玉樹後庭歌」のように宮女ばかりにかまけて国を亡ぼした人に憐れを覚えるはずがない。
堪悲小苑 悲しみを知っている、ともに過ごした思い出のある宮殿の庭が、今では人の行き交う道になってしまっている。○玉樹 「玉樹」は歓楽に溺れ国を亡ぼした陳の後主が作った「玉樹後庭歌」。「南朝(玄武湖中)」南朝(梁・元帝) 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 47南 朝 (南斉の武帝と陳の後主)李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 46(宋・南斉・陳の宮廷における逸楽を繰り広げるが、この「南朝」詩は梁を舞台とする。)
また隋宮 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 49

----- *-1 *-2 --------------------------------

*-1 贈劉司戸蕡
江風揚浪動雲根、重碇危檣白日昏。
已断燕鴻初起勢、更驚騒客後歸魂。
漢廷急詔誰先入、楚路高歌自欲翻。
寓里相逢歓復泣、鳳巣西隔九重門。

はげしく大江を吹く風は、波を措きあげ、遠く水平線で水と接する雲の裾も、その波に揺れ動く。舟の重量しい錨、高い帆柱も、ものすさまじい風に翻弄されて真昼にもなおうす暗い危険な船旅に託するようにして去っていった。
ふるさとの燕の国から飛び立たんとしたその鴻の初めの威勢よい翼も、陰険な世の風にへし折られてしまった。その上、更に南の柳州に追いやる命令がきて、昔、むなしく南方にとどまっていつまでも都へ帰れなかった屈原の亡魂を、驚かすというようなことになった。宦官の巣食った漢の朝廷でも、いや唐の朝廷は一体誰を呼び戻そうとするのだろう。
誰よりも先に、漢の孝文帝が賈誼をよび戻したように、よび戻す人物は君であるはずだ。都を離れた楚の地方から柳州まで行く道すがら、かつて接輿がいつわり狂ってそうしたように、ただひとり声高らかに歌う君の声が風にひるがえり大空に飛び散ることだろう。

万里の彼方で、偶然めぐり会って涙ながらに歓んだのに、また万里の僻地に別離の涙を流している。天子を宦官たちに取り巻かれた朝廷は、もはや無縁のものとして遙か西の方に隔絶されてしまった。その九重の門によって閉ざしてしまった。

*-2
○天牢鎖冤魄 古代中国には、「太陽星」「太陰星」「先天五行星」「九宫星」「黄道十二守護星」「南斗七星」「北斗七星」「二十八宿群星」「天罡三十六星」「地煞七十二星」「三百六十五大周天星斗」および十万八千の副星によって天(宇宙)が形成されている、という考えがあった。それぞれの星に神がいて名前を持っている、とされており、当然「天罡三十六星」「地煞七十二星」にも名前がある。天罡星のひとつに天牢星がある。『晋書』天文志に「天牢六星は北斗の魁(星の名)の下に在り、貴人の牢なり」。・冤塊は本来無実の罪で死んだ人の魂。非業の死を遂げ