漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

艶歌

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

無 題(照梁初有情) 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-90

無 題(照梁初有情) 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-90
無 題(照梁初有情)

無 題
照梁初有情、出水舊知名。
はじめての経験、その夜は眠れず朝を迎え、ういういしさを朝日が座敷のはりを照らす輝きに、嬉恥ずかしい新しい気持ちなのだ。水面の上に花開く蓮は古くからはじめて開く妓女の姿として知られている。
裙衩芙蓉小、釵茸翡翠輕。
きものの裾は小さな蓮のように開かれるのである。房が多いかんざしには羽飾りの軽やかな翡翠がきれいだ。
錦長書鄭重、眉細恨分明。
今頃になると来てくれない、昔から思いのたけをていねいに長い錦に織り込んだ、細く描いた眉には、恋のつらさが浮かび上がる。
莫近彈棋局、中心最不平。

しかし、いくら約束の日に来ないといってもお相手をきめる弾棋の盤には近づかない方がいい。心の中の思いは燃えたぎっていて、平静の気持ちでおられない。



無 題 訳註と解説
照梁初有情、出水舊知名。
裙衩芙蓉小、釵茸翡翠輕。
錦長書鄭重、眉細恨分明。
莫近彈棋局、中心最不平。


(下し文)無 題
梁を照らして初めて情有り、水より出でて旧より名を知らる。
裙衩 芙蓉小さく、欽茸 翡翠軽し。
錦長くして書は鄭重、眉細くして恨みは分明。
弾棋の局に近づくこと莫かれ、中心 最も平らかならず。

(現代語訳)
はじめての経験、その夜は眠れず朝を迎え、ういういしさを朝日が座敷のはりを照らす輝きに、嬉恥ずかしい新しい気持ちなのだ。水面の上に花開く蓮は古くからはじめて開く妓女の姿として知られている。
きものの裾は小さな蓮のように開かれるのである。房が多いかんざしには羽飾りの軽やかな翡翠がきれいだ。
今頃になると来てくれない、昔から思いのたけをていねいに長い錦に織り込んだ、細く描いた眉には、恋のつらさが浮かび上がる。
しかし、いくら約束の日に来ないといってもお相手をきめる弾棋の盤には近づかない方がいい。心の中の思いは燃えたぎっていて、平静の気持ちでおられない。




照梁初有情、出水舊知名。
はじめての経験、その夜は眠れず朝を迎え、ういういしさを朝日が座敷のはりを照らす輝きに、嬉恥ずかしい新しい気持ちなのだ。水面の上に花開く蓮は古くからはじめて開く妓女の姿として知られている。
照梁 はじめての経験、その夜は眠れず朝を迎え、ういういしさを朝日が座敷のはりを照らす輝きにたとえる。宋玉「神女の賦」(『文選』巻一九)に「其の始めて来たるや、耀として白日の初めて出でて屋梁を照らすが若し」。○初有情 「情」は恋心。恋を知りそめる年になったこと。○出水 清新な美しきを蓮の花が水面に開いたのにたとえる。曹植「洛神の賦」(『文選』巻一九)に「灼として芙蓉の淥波(緑波)を出ずるが若し」。梁・鐘嶸『詩品』に南朝宋・湯恵休が謝霊運と顔延之を比較して、「謝詩は芙蓉の水を出ずるが如く、顔詩は彩りを錯じえ金を鏤めるが如し」と、詩を評した比喩にも用いられる。○旧知名 古くからはじみめて開く妓女の姿として知られている。


裙衩芙蓉小、釵茸翡翠輕。
きものの裾は小さな蓮のように開かれるのである。房が多いかんざしには羽飾りの軽やかな翡翠がきれいだ。
裙衩 着物の合わせのすそを開く。切り込みの入った着物の裾。「裙衩」は蓮の花のように開かせる。○芙蓉 蓮の花。もすその模様としては、『楚辞』離騒に「芰荷を製して以て衣と為し、芙蓉を集めて以て裳と為す」とみえる。○叙茸 ふさふさした飾りをつけたかんざし。「茸」はにこけ。○翡翠 芸妓は翡翠の羽をかんざしの飾りとしてつける。宋玉「諷賦」(『芸文類架』巻二四)に「其の翡翠の釵を以て、臣の冠䋝(かんむりを結ぶひも)に挂く」とみえる。


錦長書鄭重、眉細恨分明。
今頃になると来てくれない、昔から思いのたけをていねいに長い錦に織り込んだ、、細く描いた眉には、恋のつらさが浮かび上がる。
錦長一句 錦を織って回文詩を夫に送った故事を用いる。前秦の竇滔の妻蘇恵は遠方にいる夫を思って、上から読んでも下から読んでも詩になる八百四十字を錦に織り込んで連綿たる思いを綴った(『晋書』列女伝)。回文詩の始まりとされる。○眉細一句 眉を細く描いて憂わしげな表情を作る化粧。後漢の時、外戚として権勢を振るった梁冀の家から始まり、都一円に流行した。『後漢書』五行志に「所謂愁眉なるものは、細くして曲折す」と説明される。

莫近彈棋局、中心最不平。
しかし、いくら約束の日に来ないといってもお相手をきめる弾棋の盤には近づかない方がいい。心の中の思いは燃えたぎっていて、平静の気持ちでおられない。
弾棋局 弾棋のゲームをする盤。「弾棋」は中央が鉢を伏せたように盛り上がった碁盤の両側からコマを弾いて相手のコマにあてるゲーム(『夢渓筆談』巻一六)。同じ音の「棋」(ゲームのこま)と「期」(逢い引き、またその約束)の掛けことばは、恋をうたう南朝の楽府に習見。○中心一句 盤の「中心」が盛り上がっているのと掛けて、「心中」が平らでないという。


○詩型 五言律詩。
・押韻 情・名・軽・明・平。

 
芸妓になって稽古してきた初めて接客をした。初めての夜は、夜明けまで眠らず、日の出を迎えた。ベットで横になったままでいると、梁に朝日が射してきた。
それなのに今は約束をしても来てくれない。大人になりそめて、恋の悲しみを知った女性をうたう。楽府のうたいぶりを借りた軽やかな艶詩。

細雨(瀟洒傍廻汀)  李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-78

細雨(瀟洒傍廻汀)  李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-78
詩型 五言律詩

細雨
瀟洒傍廻汀、依徴過短亭。
軽やかに岸辺の曲折に沿い、朝靄におぼろにぼやけて駅舎を通り過ぎていく細雨がある。
気涼先動竹、點細未開萍。
涼やかな気があり、まず竹を揺らし、小さなしずくは、浮草を開くこともない涼やかな細雨がある。
稍促高高燕、徴疏的的螢。
ちょっぴり慌てたのは空高く飛ぶ燕。わずかに数を減らしたのは、点滅するまばゆい蛍の光にかかる細雨がある。
故園煙草色、仍近五門青。

濡れそぼつふるさとの草の色、ここからほど近くの五門の青さと変わりのない色に染める細雨がある。


軽やかに岸辺の曲折に沿い、朝靄におぼろにぼやけて駅舎を通り過ぎていく細雨がある。
涼やかな気があり、まず竹を揺らし、小さなしずくは、浮草を開くこともない涼やかな細雨がある。
ちょっぴり慌てたのは空高く飛ぶ燕。わずかに数を減らしたのは、点滅するまばゆい蛍の光にかかる細雨がある。
濡れそぼつふるさとの草の色、ここからほど近くの五門の青さと変わりのない色に染める細雨がある。



細 雨
瀟洒として廻汀に傍い、依徴として短亭を過ぐ。
気涼しくして先に竹を動かし、点細くして末だ洋を開かず。
棺や促す 高高たる燕、微かに疎にす 的的たる蛍。
故園 煙草の色、仍お近し 五門の青。





瀟洒傍廻汀、依徴過短亭。
軽やかに岸辺の曲折に沿い、朝靄におぼろにぼやけて駅舎を通り過ぎていく細雨がある。
瀟洒 さっぱりとして俗気がない女性のことと雨が軽やかに降るさまを感じさせる。○汀 水辺が攣曲していることと女性の肢体を感じさせる。○依微 おぼろにぼやけている。韋応物「長安道」詩に「春雨依徴として春尚お早く、長安の貴遊 芳草を愛す」。においても女性かからんでいる。○短亭 街道には五里ごとに「短亭」、十里ごとに「長亭」という休憩所が設けられていた。
春明門を出て㶚水橋のたもとに駅舎があったそこは別れの旅籠があり、娼妓がいた。
灞陵行送別  李白
送君灞陵亭。 灞水流浩浩。
上有無花之古樹。 下有傷心之春草。
我向秦人問路歧。 云是王粲南登之古道。
古道連綿走西京。 紫闕落日浮云生。
正當今夕斷腸處。 驪歌愁絕不忍聽。
李白「灞陵行送別」の訳註に詳しく述べている。参照

灞陵行送別 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 139


気涼先動竹、點細未開萍。
涼やかな気があり、まず竹を揺らし、小さなしずくは、浮草を開くこともない涼やかな細雨がある。
気涼 雨が降り出す前に風が竹林を動かし、涼気が生じるのをいう。○点細 雨滴の玉が小さいのをいう。男女の情愛をイメージする。



稍促高高燕、徴疏的的螢。
ちょっぴり慌てたのは空高く飛ぶ燕。わずかに数を減らしたのは、点滅するまばゆい蛍の光にかかる細雨がある。
稍促 稍は稲の末端。ややすくない。促は促す。短くなる。切迫する○高高 いやがとにも高い。『詩経』周頒・敬之に「高高として上に在りと廿うこと無かれ」。○徴疏 わずかにうとくなる。○的的 光が点滅するさま。男女の情愛をイメージする。



故園煙草色、仍近五門青
濡れそぼつふるさとの草の色、ここからほど近くの五門の青さと変わりのない色に染める細雨がある。
○故園 故郷。○煙草 靄にけむる草。春の草、情交によるうっすらとした肌のうるおい。〇五門 青は東の門、春明門を指す。男女の出会いと別れを示す。

五行
五色(緑)玄(黒)
五方西
五時土用
五節句人日上巳端午七夕重陽


 

○・押韻  汀・亭・萍・蛍・青。

牡丹 李商隠

牡丹 李商隠22七言律詩

李商隠の最初の支援者だった令狐楚(765-837年)の宅で催された宴会の席上、そこにいた妓女たちを独特の視線から詠って作られたものである。

長安の開化坊(稗の名)では令狐楚の宅の牡丹が最も見事だと、唐の段成式の「酉陽雑爼」佚文に見える。牡丹になぞらえ、乱交を詠ったのだ
 この詩は、一聯ごとのオムニバス映画四場面である。
 第一場面は二つの故事を使って状況を想像させるもので、衛夫人の故事で高貴な人の閨の状況を、続いて楚の貴公子と船頭との王性愛の故事を借用して夫人と芸妓の同性愛を述べている。
第二場面、艶めかしい踊り、(その愛し合う様子)
第三場面、たくさんの蝋燭は芸妓であり、ハーレム状態、たくさんの男女の絡み合いを詠う。
第四場面、ここに参加していた私はどの妓と楽しむか得意の詩でお誘いしよう、というものである。
 李商隠の詩は解説を先に読んで、本文を読んでみると面白い。


牡丹 
錦幃初巻衛夫人、繍被猶堆越鄂君。
昔、衛公の美夫人南子が、拝謁に来た孔子をにこやかに迎えた。錦織りの帷が巻きあげられ、中から牡丹がばっと咲いているかのようであった。その牡丹の刺繍のかけ布団は、こんもりもりあがっていて、昔、楚の貴公子郡君が、舟中で讃歌を謳った越人の漕手を長い繍衣でおおって抱擁したときのように被っていた。
垂手亂翻雕玉佩、折腰争舞鬱金裙。
花の舞踊のように調べに合わせて、垂手の舞いに、ちりばめられた硬玉のおび玉のように蕗を光らせた細長い牡丹の柔が乱れ翻える。腰を折り、体をくねらせ、渋い黄色のうす絹の腰巻、牡丹の花の刺繍、女たちの花弁が争い舞うのである。
石家蝋燭何曾剪、筍令香櫨可待薫。
晋の時代の贅沢もの石崇は、薪代りに蝋燭を使い、芯が減ればすぐ蝋燭を取り替えたというが、ずらりと並んだ蝋燭のような女たちは、そのように明るく輝いている。魏の薫る君たる筍或が香炉の香り立つのを待つまでもなかったように、女たちもまた自然と素晴しく甘い芳香を漂わしている。
我是夢中傳彩筆、欲書花片寄朝雲。

私は、夢うつつの中に参加している、いささか得意な詩の筆を取り、この私の恋心を牡丹の花媚に書きしるし、巫山の神女のように美しい女性に、その手紙をとどけようと思っている。



昔、衛公の美夫人南子が、拝謁に来た孔子をにこやかに迎えた。錦織りの帷が巻きあげられ、中から牡丹がばっと咲いているかのようであった。その牡丹の刺繍のかけ布団は、こんもりもりあがっていて、昔、楚の貴公子郡君が、舟中で讃歌を謳った越人の漕手を長い繍衣でおおって抱擁したときのように被っていた。

花の舞踊のように調べに合わせて、垂手の舞いに、ちりばめられた硬玉のおび玉のように蕗を光らせた細長い牡丹の柔が乱れ翻える。腰を折り、体をくねらせ、渋い黄色のうす絹の腰巻、牡丹の花の刺繍、女たちの花弁が争い舞うのである。

晋の時代の贅沢もの石崇は、薪代りに蝋燭を使い、芯が減ればすぐ蝋燭を取り替えたというが、ずらりと並んだ蝋燭のような女たちは、そのように明るく輝いている。魏の薫る君たる筍或が香炉の香り立つのを待つまでもなかったように、女たちもまた自然と素晴しく甘い芳香を漂わしている。

私は、夢うつつの中に参加している、いささか得意な詩の筆を取り、この私の恋心を牡丹の花媚に書きしるし、巫山の神女のように美しい女性に、その手紙をとどけようと思っている。



牡丹 
錦幃初巻衛夫人、繍被猶堆越鄂君。
垂手亂翻雕玉佩、折腰争舞鬱金裙。
石家蝋燭何曾剪、筍令香櫨可待薫。
我是夢中傳彩筆、欲書花片寄朝雲。

牡丹
錦幃
きんい 初めて巻く衛夫人、繍被しゅうい 猶お堆うずたかし越鄂君。
手を垂れて乱れ翻
ひるがえる雕玉ちょうぎょくの佩おび、腰を折りで争い舞う鬱金裙うつきんくん
石家の蝋燭
ろうそく 何か曾て剪りし、筍令の香炉 薫るを待つ可けんや。
我は是れ 夢中に彩筆を伝う、花片に書して朝雲に寄せんと欲す。
 

錦幃初巻衛夫人、繍被猶堆越鄂君。

昔、衛公の美夫人南子が、拝謁に来た孔子をにこやかに迎えた。錦織りの帷が巻きあげられ、中から牡丹がばっと咲いているかのようであった。その牡丹の刺繍のかけ布団は、こんもりもりあがっていて、昔、楚の貴公子郡君が、舟中で讃歌を謳った越人の漕手を長い繍衣でおおって抱擁したときのように被っていた。
錦幃 錦織のとばり。 ○初巻 初めて巻き上げる。初体験。 ○衛夫人 原注があり晋の魚豢の「典略」を引く。「孔子衛にり、衛公の夫人南子に見ゆ。夫人は錦の帷の中に在り。孔子は北面して稽首す。夫人は帷の中より再拝す。環佩の聲璆然たり。」北面は臣下が君にまみえる時の方位。稽首は最敬礼の形式の一つ。環佩はおびにつけた玉の類。○繍被 牡丹の花のあでやかな刺繍がなされたかけ布団。 ○ そのかけ布団がこんもり盛り上がっている。その下で絡み合っていることを示す。○鄂君 一句楚の貴公子鄂晳の故事。江に舟を浮べて管絃の遊びをした時、たまたま鐘鼓の音がとだえた。その時、舟の漕ぎ手の越の国の者が、王子と同じ船に乗った喜びを歌に唄って鄂君を讃えた。鄂君は長い袖袂をあげてその歌手を抱擁し、繍被で姿をおおったという。故事の男色を出しているということは、富士人と芸妓の同性愛を示すものと思われる。儒教者はこれを無理矢理、花とか、舞、あるいは男女という解釈をしているが、そういう概念を取り払ってみていくことの方が李商隠の詩を理解しやすい。


垂手亂翻雕玉佩、折腰争舞鬱金裙。
花の舞踊のように調べに合わせて、垂手の舞いに、ちりばめられた硬玉のおび玉のように蕗を光らせた細長い牡丹の柔が乱れ翻える。腰を折り、体をくねらせ、渋い黄色のうす絹の腰巻、牡丹の花の刺繍、女たちの花弁が争い舞うのである。
 手を垂れる。大垂手・小垂手という舞曲のかたちがあるのにひっかけ言ったもの。○折腰 梁の呉均の「西京雑記」に、漢の高祖劉邦の妃、戚夫人が翹袖折腰の舞いに巧みだったという記事がある。単に腰を曲げる意味だけでなく、舞踊の一つの形式を意味すると思われる。折の字はもと招の字になっているが、朱鶴齢の説に従って改め持○鬱金裙 香草鬱金草の花のような渋い黄色のうす絹の腰巻。


石家蝋燭何曾剪、筍令香櫨可待薫。
晋の時代の贅沢もの石崇は、薪代りに蝋燭を使い、芯が減ればすぐ蝋燭を取り替えたというが、ずらりと並んだ蝋燭のような女たちは、そのように明るく輝いている。魏の薫る君たる筍或が香炉の香り立つのを待つまでもなかったように、女たちもまた自然と素晴しく甘い芳香を漂わしている。
石家蝋燭 西晋時代、豪奢な行為で有名な文人石崇(249-300年)の故事。当時、照明用として贅沢だった蝋燭を薪代りに使って炊事をしたことが、劉宋の劉義慶の「世説新語」に見える。○何曾 不曾にほぼ同じ。そん事が何時あったろうか、ありはしない。○筍令香炉 後漢の筍彧(163-212年)あざな文若の故事。若くして侍中守尚書令となった。魏の曹操(455-220年)の軍参謀役を後に勤めたが、曹操は常に彼を筍令とよんだという。東晋の習鑿歯の「譲陽記」には、筍彧の坐った跡には、馥郁たる香りが三日間も消えずにただよったとある。性同一を示す。ここでも同性愛を詠う。乱交という意味であろう。


我是夢中傳彩筆、欲書花片寄朝雲。
私は、夢うつつの中に参加している、いささか得意な詩の筆を取り、この私の恋心を牡丹の花媚に書きしるし、巫山の神女のように美しい女性に、その手紙をとどけようと思っている。
夢中伝彩筆 梁の文人江掩(444-505年)にまつわる伝説による表現。唐の李延寿の「南史」にょると、ある夜、江俺の夢枕に、神仙のことに詳しかった晋の文人郭漢(277-324年)が現われ、「私の筆を長い間、君に借しておいたが返して欲しい。」と言った。江掩が懐中を探ると、五色の色どりある筆が出て来たのでそれを渡した。以来、江俺の詩文には全く精彩がなくなったという。李商隠は弱冠の頃、令狐楚の知遇をえ、彼の慫慂で四六駢儷文に手を染めた。恐らくはそれを指す(摘浩の説)。○朝雲 巫山の神女が、楚の懐王の昼寝の夢に現われ、その帰り際に、「あしたには朝雲となり、ゆうべには行雨となり、朝朝暮暮、陽台の下にあらん。」と言った、宋玉の高唐の賦に発する習見の故事をふまえる。

無題(何處哀筝随急管) 李商隠21

無題(何處哀筝随急管) 李商隠21
七言古詩

 李商隠は実際に見たことを詩にしているのではなく舞台を設定しその中で物語を作っているのである。この詩は訳注、解釈本に書かれていない大前提がある。それは、始まりの舞台は遊郭の通路である。笛の音は男女の性交の際の声である。「東家老女」の身になってこの詩が書かれているのではない「清明暖後」若い男女のもつれあいを垣根越しに見てしまったこと。ということである。
 これを前提にして読むと、難解であったことのなぞがすべて解けてすべて理解できる。

無題
何處哀筝随急管、櫻花永巷垂楊岸。
何処からなのだろう、高く哀しい琴の音が急テンポの笛の音に和して、挑むように響いてくる。それは桜桃の花咲く娼屋の路地の奥、川岸のしだれ柳が新緑に萌えるところである。
東家老女嫁不售、白日當天三月半。
そこの娼屋には今日はお客がついていない女がいる。季節は春、太陽が中空に白く輝く三月の半ばです。
溧陽公主年十四、清明暖後同牆看。
昔、梁の簡文帝の公主は、十四の年にもとめられて侯景に嫁し、清明の節句の後のような若い男女の仲睦まじいことをしたと同じことを、かきねごしに見てしまった。
蹄來展轉到五更、梁間燕子聞長嘆。

その春画のような様子を見たために、その夜は興奮して、夜明けの鐘が鳴るまで、ねがえりばかりして眠れません。やるせない溜息は、梁に夫婦で巣くっている燕だけが聞いている。


何処からなのだろう、高く哀しい琴の音が急テンポの笛の音に和して、挑むように響いてくる。それは桜桃の花咲く娼屋の路地の奥、川岸のしだれ柳が新緑に萌えるところである。
そこの娼屋には今日はお客がついていない女がいる。季節は春、太陽が中空に白く輝く三月の半ばです。
昔、梁の簡文帝の公主は、十四の年にもとめられて侯景に嫁し、清明の節句の後のような若い男女の仲睦まじいことをしたと同じことを、かきねごしに見てしまった。
その春画のような様子を見たために、その夜は興奮して、夜明けの鐘が鳴るまで、ねがえりばかりして眠れません。やるせない溜息は、梁に夫婦で巣くっている燕だけが聞いている。

無題
何の處か哀筝を急管に随う、櫻花の永巷 垂楊の岸。
東家の老女 嫁せんとして售れず、白日 天に當たる三月の半。
溧陽公主 年十四、清明暖後に牆を同じくして看る。
蹄來 展轉して五更に到る、梁間の燕子 長嘆を聞く。


何處哀筝随急管、櫻花永巷垂楊岸。
何処からなのだろう、高く哀しい琴の音が急テンポの笛の音に和して、挑むように響いてくる。それは桜桃の花咲く娼屋の路地の奥、川岸のしだれ柳が新緑に萌えるところである。
 絃楽器、琴の類。哀は音階の高いこと。○急管 急テンポの笛の声 ○桜花 日本のサクラでなく桜桃の花である。○永巷 ふつう後宮の罪を犯した宮女を幽閉すことをいうが、ここは市中の長い路地で幽閉されたと同じように住んでいることを指す。娼婦のいる奥まった路地裏。○ この柳は女性の肢体をあらわす。男性は柳。


東家老女嫁不售、白日當天三月半。
そこの娼屋には今日はお客がついていない女がいる。季節は春、太陽が中空に白く輝く三月の半ばです。
東家 楚の宋玉の登徒子好色の賦に「臣が里の美しき者は、臣が東家の子に若くはなし。」とある。ここから美人のたとえを”東家之子”又は”東家之女”と。美女を称して”東隣”とした事例に唐の李白「自古有秀色、西施与東隣」(古来より秀でた容姿端麗美人、西施と東隣)白居易「感情」のもある ○老女 婚期をのがして嫁き遅れの女性。いかず後家。○ うる。うれる。おこなう。流行。仲人がいない場合は、無である。客がついていないという意味。


溧陽公主年十四、清明暖後同牆看。
昔、梁の簡文帝の公主は、十四の年にもとめられて侯景に嫁し、清明の節句の後のような若い男女の仲睦まじいことをしたと同じことを、かきねごしに見てしまった。
溧陽公主 梁の簡文帝蕭網(503-551年)のむすめ。美人だった。当時の有力な将軍であり、後に謀叛する侯景(?-551年)に求められて嫁いだ。昔、梁の簡文帝の公主は、十四のとしにもとめられて侯景に嫁し、清明の節句の後のある晴れた日に自分達が皇帝と皇后ででもあるかのように、帝が遊宴に行った隙に、帝座に肩を並べて坐っていた ○清明 二十四節気の一つ。春分後十五日、陽暦の四月五・六日に当る。桜など草木の花が咲き始め、万物に清朗の気が溢れて来る頃。毎年4月4~5日頃。天文学的には、天球上の黄経15度の点を太陽が通過する瞬間。黄道十二宮では白羊宮(おひつじ座)の15度。
清明の期間の七十二候は以下の通り。
 初候 玄鳥至(げんちょう いたる) : 燕が南からやって来る(日本) 桐始華(きり はじめて はなさく) : 桐の花が咲き始める(中国) 次候 鴻雁北(こうがん きたす) : 雁が北へ渡って行く(日本) 田鼠化為鴽(でんそ けして うずらと なる) : 熊鼠が鶉になる(中国) 末候 虹始見(にじ はじめて あらわる) : 雨の後に虹が出始める(日本・中国)○同牆看 牆はかきね。太宝元年(550年)の三月に、簡文帝蕭綱が楽遊苑にあそび、宮殿に帰って来てみると、侯景と溧陽公主が、皇帝の座に坐っていた、という「梁書」に見える話をふまえた表現である。


蹄來展轉到五更、梁間燕子聞長嘆。
その春画のような様子を見たために、その夜は興奮して、夜明けの鐘が鳴るまで、ねがえりばかりして眠れません。やるせない溜息は、梁に夫婦で巣くっている燕だけが聞いている。
展転 ねがえりをうつと。〇五更 午前四時。○燕子 つばめ。常に雌雄あいともなって巣くうことがきかしになっている。○長嘆 売れ残りの娼婦はいらないといって帰りがけに見てしまった光景、眠れぬ夜を過ごしてしまった。ということでの長い溜息。


万物に清朗の気が溢れて来る頃、どうにもできないもどかしさを持つ男の身になってそのやるせなさを詠っている。婚期を逸して、器楽に悲しみをまざらす老女よりもせつない男の苦渋を述べている。
それでも「東家老女」ではなく、「年十四」の女性が良いという男心を詠ったものである。


陸游 麗わしの人、唐琬。(5)夜夢沈氏遊園亭

陸游 麗わしの人、唐琬。(5)
 七言絶句 十二月二日夜夢沈氏遊園亭 二首 其一
  陸游75歳の作 
 
[結婚期間]  21-22歳
1. 釵頭鳳  33歳 偶然の再開
2. 絶句二首其一 63歳 菊採り枕嚢を縫い、
3. 絶句二首其二 63歳 「凄然」とした詩
4. 七言律詩 68歳 妄想はのぞき消しつくそう
5. 沈園 二首其一 75歳 春波綠
6. 沈園 二首其二 75歳 柳老不吹綿

(夢を見ての作)
7. 十二月二日夜夢沈氏遊園亭 二首 其一84歳
8. 十二月二日夜夢沈氏遊園亭 二首 其二84歳


7
十二月二日夜夢沈氏遊園亭 二首 其一
路近城南己怕行、沈家園裏更傷情。
道をそぞろに歩くと城郭の南の方に来ていた青の場所に近づいてきたので行くのをためらってしまう。
そのため沈家の庭園の裏側回ってみたがますます痛みの気持ちになってしまった。

香穿客袖梅花在、緑蘸寺橋春水生。

香が袖から入ってきたので梅の花が開いているのに気が付いた、綠が寺への橋のなみなみと注がれ、いっぱいになるように春水がうまれていた。

道をそぞろに歩くと城郭の南の方に来ていた青の場所に近づいてきたので行くのをためらってしまう。
そのため沈家の庭園の裏側回ってみたがますます痛みの気持ちになってしまった。
香が袖から入ってきたので梅の花が開いているのに気が付いた、綠が寺への橋のなみなみと注がれ、いっぱいになるように春水がうまれていた。


(下し文)十二月二日夜、夢に沈氏の園亭に遊ぶ二首
路城南に近づけば 己に行くを怕る、沈家の園の裏に更に情を傷ましむ
香は客の袖を穿ちて 梅花在り、緑は寺の橋を帯して 春水生ず


路近城南己怕行、沈家園裏更傷情。
道をそぞろに歩くと城郭の南の方に来ていた青の場所に近づいてきたので行くのをためらってしまう。
そのため沈家の庭園の裏側回ってみたがますます痛みの気持ちになってしまった。
 おびえる。しんぱいだな。


香穿客袖梅花在、緑蘸寺橋春水生。
香が袖から入ってきたので梅の花が開いているのに気が付いた、綠が寺への橋のなみなみと注がれ、いっぱいになるように春水がうまれていた。
香穿 香が入り込む。 ○客袖 陸游自身の袖。○緑蘸 透きとった水がひたひたになる。 ○春水生 これから春の水になっていく。
香、綠、春水、蘸艶歌に使われる用語で構成されている。後漢・六朝からつづく玉台新詠の流れのもので、艶歌は上流社会で、何より喜ばれた時代である。



十二月二日夜夢沈氏遊園亭 二首 其二
城南小陌又逢春、只見梅花不見人。
城南へ向かう小陌(みち)に又、春のはなにで逢った、只 梅花を見ている人がいない。
玉骨久成泉下土、墨痕猶鎖壁閒塵
麗しの人は骨になっており泉の下の土になって久しい、壁に書き付けた詩の墨は今なお壁の間で塵とともにのこっている。

城南へ向かう小陌(みち)に又、春のはなにで逢った、只 梅花を見ている人がいない。
麗しの人は骨になっており泉の下の土になって久しい、壁に書き付けた詩の墨は今なお壁の間で塵とともにのこっている。


(下し文)其の二
城南の小陌に又た春に逢う、只だ梅花を見るのみにして人を見ず
玉骨 久しく泉下の土と成れり、墨痕は猶お壁間の塵に鎖さる


城南小陌又逢春、只見梅花不見人。
城南へ向かう小陌(みち)に又、春のはなにで逢った、只 梅花を見ている人がいない。
 街の中の通りの小道。


玉骨久成泉下土、墨痕猶鎖壁閒塵

麗しの人は骨になっており泉の下の土になって久しい、壁に書き付けた詩の墨は今なお壁の間で塵とともにのこっている。
玉骨 唐琬がすでに死んでいるそれを骨という表現をしている。○久成 そうなってから久しい。○泉下土 わざわざ泉という艶歌用語を使用し、下という用語を土で挟んでいる艶歌である。○墨痕 詩を書きつけた痕跡。○壁閒塵 柱と柱の間の壁と長い間の塵で薄汚れてきた様子をあらわしている。この聯の圧巻は「泉下土」である。骨となって埋葬されているとしながら、男女間のこと連想させて、麗しの人をぅおい徴している。


(「十二月二日夜、夢に沈氏の園亭に遊ぶ」二首)

(84歳春、絶句二首につづく。)

陸游 麗わしの人、唐琬。(4)沈園 二首

陸游 麗わしの人、唐琬。(4)
 七言絶句 沈園 二首  陸游75歳の作 
 
[結婚期間]  21-22歳
1. 釵頭鳳  33歳 偶然の再開
2. 絶句二首其一 63歳 菊採り枕嚢を縫い、
3. 絶句二首其二 63歳 「凄然」とした詩
4. 七言律詩 68歳 妄想はのぞき消しつくそう
5. 沈園 二首其一 75歳 春波綠
6. 沈園 二首其二 75歳 柳老不吹綿


(4-1)
沈園二首其一
城上斜陽畫角哀,沈園非復舊池臺。
城郭の上で、陽が傾いている中、いつもの夕の時を告げる角笛のもの悲しげな音色がもの悲しさを描いている。沈園は、既に面影は移ろいもはや昔の池の畔の高台ではなくなっている。 
傷心橋下春波綠,曾是驚鴻照影來。

悲しく思うきもちは橋の下を流れる春の川の緑色に澄んだ流れの中、かつてのしなやかな美人の姿を映し出したのでおどろいておおとりが飛び立つほどときめいた。


城郭の上で、陽が傾いている中、いつもの夕の時を告げる角笛のもの悲しげな音色がもの悲しさを描いている。沈園は、既に面影は移ろいもはや昔の池の畔の高台ではなくなっている。 
悲しく思うきもちは橋の下を流れる春の川の緑色に澄んだ流れの中、かつてのしなやかな美人の姿を映し出したのでおどろいておおとりが飛び立つほどときめいた。



(下し文)沈園しんえん二首 其の一    
城上じょうじょうの斜陽  畫角がかく 哀かなし,沈園しんえん 復また 舊きう池臺 ち だいに 非ず。
傷心  橋下  春波しゅん ぱ の綠,曾かつて是これ 驚鴻きょうこうの  影を照うつして來きたりしを。


城上斜陽畫角哀、沈園非復舊池臺。
城郭の上で、陽が傾いている中、いつもの夕の時を告げる角笛のもの悲しげな音色がもの悲しさを描いている。沈園は、既に面影は移ろいもはや昔の池の畔の高台ではなくなっている。 
城上 城市の方から。城郭の上。ここは ○斜陽 西に傾いた太陽。夕日。 ・ 角笛。朝夕の時を告げる。夕方の景色がもの悲しい○ また。 ○ 昔の。 ○池臺 池の畔の高台。池の中の高台。

傷心橋下春波綠,曾是驚鴻照影來。
悲しく思うきもちは橋の下を流れる春の川の緑色に澄んだ流れの中、かつてのしなやかな美人の姿を映し出したのでおどろいておおとりが飛び立つほどときめいた。
傷心 心をいためること。悲しく思うこと。 ○ 緑色に澄む。綠を ○曾是 かつて。以前に。 ○ かつて~ことがある。 ○驚鴻 おどろいて飛び立つおおとり。 ○照影來 姿を映し出してきた。 
春波綠は男女の情交を示す言葉で、水面の揺らめく波で、若き日のその時を思い出した。



沈園二首其二

夢斷香消四十年,沈園柳老不吹綿。
夢のような偶然の出逢いから色香も消え失せてしまって、四十年が経(た)つ。沈園のヤナギは、年老いて、柳絮を飛ばさなくなった。
此身行作稽山土,猶弔遺蹤一泫然。
この身も、やがては会稽山の墓地に埋葬されて、そこの土となることだろうが、なおも昔に想いを馳せて、もっぱら涙をはらはらと流している

夢のような偶然の出逢いから色香も消え失せてしまって、四十年が経(た)つ。沈園のヤナギは、年老いて、柳絮を飛ばさなくなった。
この身も、やがては会稽山の墓地に埋葬されて、そこの土となることだろうが、なおも昔に想いを馳せて、もっぱら涙をはらはらと流している

(下し文)沈園しんえん二首 其の二
夢は斷え 香りは消えて  四十年,沈園 柳は老いて  綿を吹かず。
此この身 行ゆくゆく  稽山の土と作ならんとも,猶  遺蹤いしょうを弔いたみて  一いつに 泫然げんぜんたり。


夢斷香消四十年,沈園柳老不吹綿。
夢のような偶然の出逢いから色香も消え失せてしまって、四十年が経(た)つ。沈園のヤナギは、年老いて、柳絮を飛ばさなくなった。
 前妻・唐琬の色香。 ○四十年 前妻・唐婉との別離以降の歳月。 ・柳老 年老いたヤナギ。陸游を示す。なお、ヤナギはヤナギでも楊の楊花は、男性の間を転々と移り行く女性を謂う。 ○不吹綿 柳絮を飛ばさなくなった。年老いたということ。陸游が年を取って男としての役割ができなくなったことをあらわす。


此身行作稽山土、猶弔遺蹤一泫然。
この身も、やがては会稽山の墓地に埋葬されて、そこの土となることだろうが、なおも昔に想いを馳せて、もっぱら涙をはらはらと流している。
 ゆくゆく。やがて。 ○稽山 会稽山(かいけいざん)のこと。浙江省紹興市の南南東にある大山。春秋時代、越王・勾践が呉王・夫差に敗れて、立て籠もったところ。謝朓、李白の詩がある。李白「送姪良携二妓赴会稽戯有此贈」「越女詞 其四」 ブログ越女詞五首其三 14其四 12-5其五稽山土 死んだ後、会稽山に埋葬されて、そこの土となることを謂う。○ なお。引き続いて。 ○ いたみあわれむ。弔古。古(いにしえ)をしのぶ。遺跡等で往事の人を祀ったり、昔に想いを馳せること。 ○遺蹤 残っているあと。あとかた。遺跡。 ○ ひとえに。もっぱら。いつに。 ○泫然 涙をはらはらと流すさま。

陸游 麗わしの人、唐琬。(2) 釵頭鳳

陸游 麗わしの人、唐琬。(2)


われわれは、麗しの人、唐琬(1)で陸游たちの離婚は「政略結婚を推し進められたもの」とういう仮説を立てた。それに基づいて陸游の詩7編を見ていくことにしたのである。(1)ではここに立てた仮説の方が分かりやすいという結果になった。
詩題の結び、「凄然として感有り」は、①若き日を回想して甘い感傷にふけっているのではなく、②無惨な破局に終わったことを思い出す胸の痛みを表わしているのでもなく、③特に其一には、性と情交、閨に関した語句でつづられている、無理やり引きはがされたとしても仲が良すぎて引き離すのは理屈に合わない。これでは、本人陸游は意外とさばさばしている感がする。したがって、これまでの「母の唐氏はどういうわけか自分の姪でもあるこの嫁が気に入らなかった。一説によれば、あまり仲がよすぎて、科挙受験を目ざしている陸游が勉学をおろそかにしたため、などともいうが、さだかではない。とにかく諸書の記載の一致するところ、母夫人の気に入らず離縁されてしまった。陸游は、はじめのころ別宅に隠れてしのび逢いをしていたが、それも見つかってしまい、とうとう断絶してしまった。やがて陸游は王氏と再婚し、唐琬は宋の皇室と縁つづきの趙士程なる人物にあらためてとついだが、二人はたがいに忘れることができず、思いを胸のうちにひそめていた。そして、十年ほどを経たある日、二人は偶然再会することになる。」(中国詩人⑫村上哲見著P48)とされているが、我々はこれでは別れた原因に疑問が残り、十分な説明にはならないとした。この原因を、母親を巻き込んだ関係者の政略と仮説した。


紹興の東南隅、禹跡寺の隣に、沈氏の庭園があった。唐宋のころ、仏寺・通観(道教の教会)や富豪の庭園は、花見のシーズンになると士族らに開放されるのが習わしであった。ある春の日、陸游はこの庭園に花見に出かけ、思いがけず別れた妻と出逢ったのだ。唐氏の夫は、陸游に酒肴を贈ったのだ。

唐氏らが去ったあと、陸游は庭園の壁に詞をしたためた。

釵頭鳳
紅酥手,黄縢酒,滿城春色宮牆柳。
紅色に染まった柔らかい部分に手をやる、黄色のわきでる酒、城郭一面が春景色で、宮殿の壁沿いの柳にも春が訪れた。
東風惡,歡情薄。
春風は、その時を思い浮かばせるからわるいし、歓びの思いが薄かった。
一懷愁緒,幾年離索。
思うことは一つ断ち切れない思いのさびしさ、幾年も、もとめあうことがなくなってる。
錯,錯,錯。

まじりあいたい。かわるがわるしたい。間違がったのか。

春如舊,人空痩,涙痕紅浥鮫綃透。
春の訪れは旧来のままである。人は空しく痩せてしまった。ひとのこころは、 空しくやせ衰えてしまった。
桃花落,閑池閣,山盟雖在,錦書難託,
桃の花が散る。静かな池の畔の建物。男女の深い契りあるとはいえ、思いをしたためた手紙は、もはや手渡すわけにはいかない。
莫,莫,莫。

あってはならない、やめよう、終わりにした

紅色に染まった柔らかい部分に手をやる、黄色のわきでる酒、城郭一面が春景色で、宮殿の壁沿いの柳にも春が訪れた。
春風は、その時を思い浮かばせるからわるいし、歓びの思いが薄かった。
思うことは一つ断ち切れない思いのさびしさ、幾年も、もとめあうことがなくなってる。
まじりあいたい。かわるがわるしたい。間違がったのか。

春の訪れは旧来のままである。人は空しく痩せてしまった。ひとのこころは、 空しくやせ衰えてしまった。
桃の花が散る。静かな池の畔の建物。男女の深い契りあるとはいえ、思いをしたためた手紙は、もはや手渡すわけにはいかない。
あってはならない、やめよう、終わりにした



紅く 酥(やはら)かき手,
黄縢の酒,
滿城の春色  宮牆の柳。
東風 惡しく,歡情 薄し。
一懷の愁緒,幾年の離索。
錯,錯,錯。


春 舊の如く,
人 空しく 痩す,
涙痕 紅(あか)く 鮫綃  して 透る。
桃花 落ち,
閑かなる池閣,
山盟 在りと雖も,
錦書 托し難し,
莫,莫,莫!


酥手,黄縢酒,滿城春色宮牆
紅色に染まった柔らかい部分に手をやる、黄色のわきでる酒、城郭一面が春景色で、宮殿の壁沿いの柳にも春が訪れた。
紅酥手 ピンク色に染まった柔らかい手。  ・ ふっくらとして柔らかい。名詞;バター、チーズ等の乳脂肪を固めたもの。女性の局部。黄縢酒 黄色の酒。 ・縢 わく。わきでる。 ・滿城春色 城内一面が春景色。 ・宮牆柳 宮殿の壁沿いの柳。宮、牆、柳。この語は性交渉を暗示する語。 ・  壁。


風惡,情薄。

春風は、その時を思い浮かばせるからわるいし、歓びの思いが薄かった。
東風惡 春風がわるい。 ・東風 春風。思いを起させる風。 ・ わるい。春風は、その時を思い浮かばせるからわるい。だれだれを憎むとかいうのではない。
歡情薄 歓びの思いが薄かった。二人が夫婦として楽しく過ごした期間は短かった。


一懷愁緒,幾年離索。
思うことは一つ断ち切れない思いのさびしさ、幾年も、もとめあうことがなくなってる。 
一懷 思うことは一つ。 ・愁緒 さびしい(離別の)心情。緒 情緒。断ち切れない思い。幾年離索 どれだけ逢わずにいたことだろう。 ・離索 離別。別居。・索 なわ。もとめる。よめをもらう。さみしい。


錯,錯,錯。

まじりあいたい。かわるがわるしたい。間違がったのか。
・錯 まじりあう。かわるがわる。間違がった。



春如舊,人空痩,涙痕紅浥鮫綃透。
春の訪れは旧来のままである。人は空しく痩せてしまった。ひとのこころは、 空しくやせ衰えてしまった。
涙が頬紅を流して、薄絹までもに紅く滲み出てきた。 

涙痕 涙のあとがで流れて紅く。 ・紅浥 ひたす。うるおす。滲み(透り)。 ・鮫綃 肌着。 ・透 にじみ出る。


桃花
落,閑池閣,山盟雖在,錦書難託,

桃の花が散る。静かな池の畔の建物。男女の深い契りあるとはいえ、思いをしたためた手紙は、もはや手渡すわけにはいかない。
・山盟 男女の深い契り ・雖在 …が存在しているとはいても。・錦書 思いをしたためた文、手紙。 ・難托 託し難い。委託しにくい。手渡しにくい。


莫,莫,莫

あってはならない、やめよう、終わりにした
・莫 ・・・・・・なかれ。


「錯,錯,錯。」とか「莫,莫,莫」。の受け止め方、顔借により、この詩はかなり異なった解釈になるだろう。これまでの解釈は大前提に、①陸游が無理やり引き離された、②親がすべて決めてきた、③陸游には一途な思いがあった、④礼節の美徳、⑤貞操、⑤陸游は儒教の教えを守っていた、⑥母親の姪の唐琬、母親は自分の兄弟との子であるから自分の兄弟親戚関係が無茶な離婚をさせてもおかしくならないなどの前提条件があるから決めつけた解釈となっている。
 あるにはあったろうがそれほど強くはなかったのではないか。この詩の通りの気持ちであれば、別の手段はなかったのか疑問は残る。

 思い焦がれた気持ちで他の女性と一緒になり、他の男性と一緒になったのか。仲が良いだけで離婚させて何のメリットがあったのか。怒るのならその矛先が、なぜ、別れさせた母親に向かわないのか、なぜ10年も音信不通なのか、当事者でない場合なら、いくらでも恋しい思い、せつない思いを表現している。中国の詩で思いを表現する場合、他人のこころを借りて表現するはずである。
 この詩は「艶歌」であるから、艶を借りて、表現しているといえるが、艶=「遊び」であると考えれば、理解できる。後世、悲恋に仕立て上げられたものと考える。

 しかしはっきりしたことがある。それは、唐琬という女性は「麗しい人」であったということである。この庭園に来た人々に女性の「麗しさ」感じさせることが第一であったものと考える。


( 3)68歳の作につづく)

陸游 麗わしの人、唐琬。 (1)

陸游 麗わしの人、唐琬。 (1)


陸游は二十歳のころ結婚している。相手は陸游の母親唐氏の一族の娘で、唐琬といった。二人は仲むつまじいものであったらしい。このころ陸薄は、菊の花びらをつめた枕を詩に詠じ、世間の評判となった。ただ、彼は、その若いころの詩を後にすべて廃棄しているために伝わっていない。

四十余年を経てつぎのような回想の詩、絶句二首を作っている。
詩には「自分が年二十の時、菊枕の詩を作り、すこぶる人に評判を得た。今秋、たまたま、また菊を採り、枕嚢を縫い、凄然としたので詩をしたためた。」という内容の添え書きがされている。この詩も、例によって、艶歌として、お遊びのひとつとして書かれていると考える。いろんな訳註に不満を持って読んだが「お遊びの詩」「閨情」とすれば納得できる。(唐琬とのことを詠ったとする詩を少し追っかけてみる。5回程度になる)

絶句二首 63歳

其一
采得黄花作枕嚢、曲屏深幌悶幽香。
菊の黄花を採りあつめ、枕嚢に詰め込んだ、曲がり屏風奥のとばりあたりまでゆっくりとその香がほのかに届いている。
喚回四十三年夢、燈暗無人説断腸。

思い起こすこと四十三年になるあの閨のこと、燈火がとどかない暗い部屋の中でこのせつないやるせなさを誰もいないのに説いていた。

菊の黄花を採りあつめ、枕嚢に詰め込んだ、曲がり屏風奥のとばりあたりまでゆっくりとその香がほのかに届いている。
思い起こすこと四十三年になるあの閨のこと、燈火がとどかない暗い部屋の中でこのせつないやるせなさを誰もいないのに説いていた。


(その一)
黄花を采得して枕嚢を作る、曲屏 深幌 幽香 悶(かす)かなり
喚(よ)び回(かえ)す 四十三年の夢、灯暗くして 人の断腸を説く無し


采得黄花作枕嚢、曲屏深幌悶幽香。
菊の黄花を採りあつめ、枕嚢に詰め込んだ、曲がり屏風奥のとばりあたりまでゆっくりとその香がほのかに届いている。
采得黄花作枕嚢 昔一緒に暮らしていたころ菊の花を詰めた枕から匂うことは性的感情を高めるものとされていた。その香が閨に漂うのである。


喚回四十三年夢、燈暗無人説断腸。

思い起こすこと四十三年になるあの閨のこと、燈火がとどかない暗い部屋の中でこのせつないやるせなさを誰もいないのに説いていた。
燈暗 ほの暗くして閨の雰囲気を感じさせる詩人の表現。○断腸 悲痛の極み。李白「春思」と「清平調詞其二」につかう。どちらも情交だできない満たされないときの悲痛な思いを詠う。



其二
少日曾題菊枕詩、蠧編残稿鎖蛛絲。
まだ青年だったあの頃、菊枕と題した詩をうたった、虫に食われてバラバラになり、下書きを含めた詩文全部が蜘蛛が糸を張って訳が分からない、見る気がしないものとなった。
人閒萬事消磨盡、只有清香似舊時。

人の閒でおこることというものは萬事、消磨し尽くすもの、只有るのは清らかな香りにかこまれたあの閨のその時のことだけだ。

まだ青年だったあの頃、菊枕と題した詩をうたった、虫に食われてバラバラになり、下書きを含めた詩文全部が蜘蛛が糸を張って訳が分からない、見る気がしないものとなった。
人の閒でおこることというものは萬事、消磨し尽くすもの、只有るのは清らかな香りにかこまれたあの閨のその時のことだけだ。

(其の二下し文)

少き日 曾て題せし 菊枕の詩、蠧編 残稿 蛛絲に鎖(とざ)さる
人間 万事 消磨し尽き、只だ 清香の旧時に似たる有り

少日曾題菊枕詩、蠧編残稿鎖蛛絲。
まだ青年だったあの頃、菊枕と題した詩をうたった、虫に食われてバラバラになり、下書きを含めた詩文全部が蜘蛛が糸を張って訳が分からない、見る気がしないものとなった。
蠧編 虫に食われてバラバラになること。蠧は衣類や書物を食う虫。 ○残稿 下書きを含めた詩文全部。 ○鎖蛛絲 蜘蛛が糸を張って訳が分からない、見る気がしない。・蛛絲 蜘蛛が糸を張ること。放置したままにしておくこと。 ・鎖 とざしてしまう。


人閒萬事消磨盡、只有清香似舊時。
人の閒でおこることというものは萬事、消磨し尽くすもの、只有るのは清らかな香りにかこまれたあの閨のその時のことだけだ。




淳照十四年、六十三歳のときの作。
 この詩の中で、元妻に対する愛の感情は全く感じられない。万物、形あるものはすべて消え去るもの、残るのはほのかなかおりの思い出だけである。と。

 妻の唐婉は宋の皇室の縁続きに嫁いでいることから、推理されることは、強いものになびいたか、皇室のつながりから陸游の母の関係者から、母親に言い含めた結果、母親がふたりを別れさせた。相手がそういう関係者であるから、文句をつけるわけにいかなかったということなら陸游の謎は解けるのである。
お母さんとうまくいかなかったのではなくて、お母さんも言い含められ、どうしようもなかったということではなかろうか。
 唐婉との関係は本来ならすべて消し去られたはずなのに、陸游が詩人でしかも40年以上も過ぎれば、お遊びで詠っても害は受けなくなっていたのだろう。

女性が何人いてもおかしくなく、いる方が立派な人物である時代である。欲しいものは力ずくで奪ってくる時代である。
 当時の男性は、女性を性の対象物とみていたのが根底にある。すべてのことが弱肉強食の時代である。腕力、権力、血筋、すべてが強いものが手に入れられるものである。人間の尊厳が男社会にだけ存在した時代のことだ。詩人が残していなければ、しかも「艶歌」だから残ったのだ。



(釵頭鳳へつづく)

七哀(詩) 曹植 魏・三国時代 (5)

七哀(詩) 曹植 魏・三国時代 (5)
『文選』では七哀詩、『玉台新詠』では雑詩、『楽府詩集』では怨詩行、と題している。これは楽府題で音楽の関係で「七」哀とされたというのが有力であろう。作時につぃては不明。なお、阮偊、王粲にも「七哀」の詩がある。
男として女に対する、男たちの中での遊びの詩と考える。昔から中国では自分のこととか家族のことを話題にはしなくて、他人称でかたるものである。自分が思うのではなく、人がこう思っているだろう、というようにである。まして、自分の妻がどう思っているとかは表現するものではない。そこのところの大前提がぼけると、意味の通らないものになってしまう。多くの解説書、訳注で違っているのは、この点である。国の皇帝が遊びでなければ表現はしない。閨情詩、艶詩とはそういう「詩遊び」を前提で見なければいけない。謝霊運(4)でも同様のことをのべた。

曹植
明月照高樓,流光正徘徊。
明るく清らかな月が女の居る高殿を照らしている、過ぎゆくときは、その時とともに、茫然と左右に心は揺れ動く。
上有愁思婦,悲歎有餘哀。
高殿の上座敷で、来ない男を思い偲んでつらい思いをしている女がいる。女の悲しみ歎くのは、なぐさめきれないものなのだ。
借問歎者誰,言是客子妻。
試みに問うが、歎いているおんなは、一体誰なのだ。 言うのは、旅だった男の女であった。
君行踰十年,孤妾常獨棲。
あなた(男)が旅だってから十年を越した。ひとりぼっちのわたし(女)は、ずっとひとりで過ごしている。
君若淸路塵,妾若濁水泥。
旅人のあなたは風のまにまに吹かれる塵のようにどこへでも行ける、じっと待つわたしは澱んだ底の泥のようにどこへも行けない。
浮沈各異勢,會合何時諧。
人生の浮き沈みはそれぞれ違う形になるもの、二人の出会いは、いつ、かなうことになるのか。
願爲西南風,長逝入君懷。
願わくば、南西から吹く風となって飛んでゆき、遠いみちのりを行きあなたの胸に抱かれたい。
君懷良不開,賤妾當何依。

あなたが胸を、もし開かないのであれば、気落ちしたわたしのおもいは、一体、どうすればよいのか。




明るく清らかな月が女の居る高殿を照らしている、過ぎゆくときは、その時とともに、茫然と左右に心は揺れ動く。
高殿の上座敷で、来ない男を思い偲んでつらい思いをしている女がいる。女の悲しみ歎くのは、なぐさめきれないものなのだ。
試みに問うが、歎いているおんなは、一体誰なのだ。 
言うのは、旅だった男の女であった。
あなた(男)が旅だってから十年を越した。ひとりぼっちのわたし(女)は、ずっとひとりで過ごしている。
旅人のあなたは風のまにまに吹かれる塵のようにどこへでも行ける、じっと待つわたしは澱んだ底の泥のようにどこへも行けない。
人生の浮き沈みはそれぞれ違う形になるもの、二人の出会いは、いつ、かなうことになるのか。
願わくば、南西から吹く風となって飛んでゆき、遠いみちのりを行きあなたの胸に抱かれたい。
あなたが胸を、もし開かないのであれば、気落ちしたわたしのおもいは、一体、どうすればよいのか。


七哀 
鈴木虎雄博士は、九歌・七発とともに「七」哀は、その篇数を示すものであろうといわれている(岩波文庫「玉台新詠集」上203ページ)。

明月照高樓,流光徘徊。
明るく清らかな月が女の居る高殿を照らしている、過ぎゆくときは、その時とともに、茫然と左右に心は揺れ動く。
明月 「古詩」に「明月何んぞ皎皎たる」。そのほか詩人に詠われる秋の代名詞。○流光正徘徊 移りゆく月光をいう。呂向は注して、月の移動が早いから、光が流れる如くであるという。また流光には、かがやくような明るさをも、その語感としてもっているようだ。何畳の「景福殿の賦」には「灼として明月の流光の如し。」と、飽照の「舞鶴の賦」には「流光の照灼たるに対す。」とあり、李白「古風其十」に「逝川と流光と」川の流れと時の流れということに使っている。は丁度その時。徘徊とは、去りやらぬさま。ここでは高楼の女性の気持ちを示すもの。

上有愁思婦,悲歎有餘哀。
高殿の上座敷で、来ない男を思い偲んでつらい思いをしている女がいる。女の悲しみ歎くのは、なぐさめきれないものなのだ。
上有 (たかどのの)上には…がいる。 ○愁思婦 つらい思いをしている女。 ・愁思 つらい思い。うれえる心。 ○思婦 思い人を偲んでいる妓女。

借問歎者誰,言是客子妻。
試みに問うが、歎いているおんなは、一体誰なのだ。 言うのは、旅だった男の女であった。
借問 試みに問う。問うてみる。歎者 歎いている者○客子 旅人。「曹集」「文選」五臣注は宕子としている。宕は久しく他郷をさすらうこと

君行踰十年,孤妾常獨棲。
あなた(男)が旅だってから十年を越した。ひとりぼっちのわたし(女)は、ずっとひとりで過ごしている。
 起過する。こえること。


君若淸路塵,妾若濁水泥。
旅人のあなたは風のまにまに吹かれる塵のようにどこへでも行ける、じっと待つわたしは澱んだ底の泥のようにどこへも行けない。
 客子たる男のこと。
君若薄路塵、妾若濁水泥。 塵も泥も、乾いているか(男)濡れているか(女)本来一体となるもの。
夫婦一体にたとえる。この場合、塵は浮いて清く、泥は沈んで濁る。次に「勢を異にす。」とはこれをいう。そこでここの二句の意は、旅人は風のまにまに吹かれる塵のようなもの。じっと待つ自分はよどんだ泥のようとなろう。

浮沈各異會合何時
人生の浮き沈みはそれぞれ違う形になるもの、二人の出会いは、いつ、かなうことになるのか。
○勢 形状をいう。○會合 出会い。再会。○ 希望が達せられる。和合する。たわむれる。情交を示唆。


願爲西南風長逝入君懷。
願わくば、南西から吹く風となって飛んでゆき、遠いみちのりを行きあなたの胸に抱かれたい。
西南風 西南の方向は坤にあたり、坤は妻の道なる故かくいうとか、当時曹植は、都の西南にあたる薙丘にいたからとかの説もあるが、おとこが東北の方にいるからと考える方がよい。○長逝 遠いみちのりを行く。まる君懷 あなたのふところ。あなたの胸に。


君懷良不開,賤妾當何依。
あなたが胸を、もし開かないのであれば、気落ちしたわたしのおもいは、一体、どうすればよいのか。
良不 よし・・・・・せざれば。 ・當何…:一体どうすべきか。

艶歌 東陽谿中贈答(一)(二) 謝霊運 (4)六朝時代

艶歌 東陽谿中贈答 謝霊運 (4)

   謝霊運の詩というと、一般に山水の美を歌ったもののみが高く評価されている。
 梁の徐陵の探した『玉台新詠』の巻十に、きわめてなまめかしい霊運の艶歌二首が選ばれていることに注目してみた。艶歌とは、当時、多くの詩人が遊びとして作ったもので、男女の間の愛情を歌ったものである。謝霊運も遊びとして作ったものであろう。
 その作品数も二首のみではなく、相当数あったものであろうが、このような傾向のものが彼の楽府のなかに微弱に認められるもののこれほどのものはほかにない。
創作年代は不明であるが、常識的に、若いころのものとおもわれる。謝霊運もおそらくこれに属すると推定される。

 「東陽の新中の贈答」の「東陽」とは浙江省の金華府のことであり、色町のあったところである。この詩はその街において男女のことを客観的に見て男女について詠っている。
 このわずかな謝霊運のこの詩に影響され、李白はこの詩をそのままの語、内容で詠っている。閨情詩として「越女詞其四」(東陽素足女)である。そこではこの詩の(一)、と(二)を一緒にして歌っている。
李白 16 越女詞 其四
東陽素足女,會稽素舸郎。
相看月未墮,白地斷肝腸。
まるっきりそのものであり、興味がわいてきて味わいが深い。

東陽谿中贈答 
 場面の設定は、民妓、官妓であろう、あるいは娼婦かもしれないが女性から誘っている詩である。

(一)女篇
可憐誰家婦」 (可憐なり誰が家の婦おんな)
可憐誰家婦,淥流洗素足。
可愛らしいのは、どの家にいる婦人か、澄み切った流に、白い足を洗っている。
明月在雲間,迢迢不可得。
明月は、雲のむこうにあるもの、遥か彼方の存在だから、手にいれることはできない。

可愛らしいのは、どの家にいる婦人か、澄み切った流に、白い足を洗っている。
明月は、雲のむこうにあるもの、遥か彼方の存在だから、手にいれることはできない。


可愛らしいのは、どの娼家にいる女の方か、さかんに素足を見せて誘ってくる。
(なんにもしないでそのままでいたら、)女との情交というものは、はるかかなたのもので手に入れられはしない


(下し文)東陽谿中 贈答
(一)女篇
可憐なり  誰(た)が家の 婦(おんな)ぞ,淥流(ろくりゅう)に 素足を 洗ふ。
明月  雲間に 在り,迢迢(ちょうちょう)として  得 可(べ)からず。

可憐誰家婦、淥流洗素足。
可愛らしいのは、どの家にいる婦人か、澄み切った流に、白い足を洗っている。
・可憐 愛すべき。可愛らしい。 ・誰家 どこの。 ・ おんな。 ・淥流:きよらかな谷川の流れに沿って。 ・ あらう。 ・素足 白い足。 ・素:白い。素足を出して洗うのは、着物の裾をあげて女が男を誘う際のしぐさ。男を誘う際のしぐさを淥流素足を洗うと表現する。別にわざわざ川に行って洗うわけではない。この句を後世、


明月在雲間、迢迢不可得。
明月は、雲のむこうにあるもの、遥か彼方の存在だから、手にいれることはできない。 
明月 澄みわたった月。この場合の月は女性自身を示す。したがって明月と女性とをあらわす掛けことば。 ・雲間:雲の間。雲は情交の行為をあらわす掛け言葉。 ・迢迢 (ちょうちょう) 遥か。遠い。高い。 ・不可得 得ることができない。

と誘っている女を詠い、次の歌では、
 

(二)可憐誰家郎 (可憐なり誰が家の郎おとこ)
可憐誰家郎、淥流乗素射。
そこのいいおとこが、清らかな流れに一人で船に乗っている。
但問情若爲、月就雲中堕。

声をかけられている、情交をするときよ、月は雲間に隠れているのに。

そこのいいおとこが、清らかな流れに一人で船に乗っている。
声をかけられている、情交をするときよ、月は雲間に隠れているのに。

そこのいい男、小舟に乗っているあなたのことよ。
もしもその気があるなら、わたしはいつでも、とてもよいチャンスなのよ。
と、何をぐずぐずしてられるのさ。と、女の独語で表現している。もちろん、この詩(一)(二)ではエロチックな意味を意識して謝霊運はうたっている。


(下し文)東陽谿中 贈答
(二)男篇

可憐なり誰が家の郎ぞ、淥流 素肘に乗る
但だ問う 情 若為(いか)にと、月は雲中に就いて堕つ

権力もあり、金持で、秀才であった謝霊運が、現実に美しい女性にそれほど事欠くことはなかったであろう。それにもかかわらず、このような詩を作ったのは、六朝の文化である。直接的な表現を使わないでいかにそのことを詠うかというのが当時の遊びだったからであったと思う。詩としてはあまり巧みとはいえないが、十分にエロチシズムもあり、謝霊運の詩にもこのような一面があったことを示すのによい材料と思う。
しかし、この傾向は後世にきっちり引き継がれて行く。

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