漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

七言律詩

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

《賀張十八祕書得裴司空馬【酬張祕書因騎馬贈詩】》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <977>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3869韓愈詩-270

韓愈《賀張十八祕書得裴司空馬》 裴度司空から遠くはるばる良馬を贈られ、はじめてこれを飼育してこの頃は元気に育っている。毛色は鮮やかな桃花のようであり、両目は煌煌としてかがやくことかがみのようである。夕日の西に傾くころになるといつも君とクツワを並べて語りながら乗り回したものであったが、やがて春風が吹くようにでもなれば、また鞍を並べて、遠乗りをすることとしよう。


2014年3月10日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表
文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)
●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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《賀張十八祕書得裴司空馬【酬張祕書因騎馬贈詩】》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <977>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3869韓愈詩-270

 

年:  820  元和十五年  53

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

詩題: 賀張十八祕書得裴司空馬【酬張祕書因騎馬贈詩】 

交遊人物/地點: 張籍 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

裴度 詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

 

 

賀張十八祕書得裴司空馬

(張籍秘書が裴度司空公から良馬を贈られたのでそれをお祝いしてこの詩を贈る。)

司空遠寄養初成,毛色桃花眼鏡明。 

裴度司空から遠くはるばる良馬を贈られ、はじめてこれを飼育してこの頃は元気に育っている。毛色は鮮やかな桃花のようであり、両目は煌煌としてかがやくことかがみのようである。

落日已曾交轡語,春風還擬並鞍行。 

夕日の西に傾くころになるといつも君とクツワを並べて語りながら乗り回したものであったが、やがて春風が吹くようにでもなれば、また鞍を並べて、遠乗りをすることとしよう。

長令奴僕知飢渴,須著賢良待性情。 

どんなに名馬であっても常々奴僕に言い聞かせて決して飢餓、枯渇にさせてはならないことであり、すべて、賢良にしておき、そして、その性格、情緒をよく見て厚くこれを待遇しなければならない。

旦夕公歸伸拜謝,免勞騎去逐雙旌。 

今、裴度司空公は北の外におられるが、いずれはお帰りになるだろうから、司空の雙旌をおいかけてわざわざでかけることはなく、その馬を馴らして、十分可愛がってやることだ。

 

(張十八祕書の裴司空の馬を得るを賀す)

司空 遠く寄せて養う初めて成り,毛色は桃花 眼は鏡のごとく明なり。 

落日 已に曾て轡を交えて語り,春風 還た擬す 鞍を並べて行かんと。 

長しく奴僕をして飢渴を知ら令む,須らく賢良をもて性情を待たしむべし。 

旦だ夕べに 公 歸って拜謝を伸ぶれば,騎し去り雙旌を逐うを勞するを免れん。 

 

 

『賀張十八祕書得裴司空馬』 現代語訳と訳註

(本文)

賀張十八祕書得裴司空馬

司空遠寄養初成,毛色桃花眼鏡明。 

落日已曾交轡語,春風還擬並鞍行。 

長令奴僕知飢渴,須著賢良待性情。 

旦夕公歸伸拜謝,免勞騎去逐雙旌。 

 

(下し文)

(張十八祕書の裴司空の馬を得るを賀す)

司空 遠く寄せて養う初めて成り,毛色は桃花 眼は鏡のごとく明なり。 

落日 已に曾て轡を交えて語り,春風 還た擬す 鞍を並べて行かんと。 

長しく奴僕をして飢渴を知ら令む,須らく賢良をもて性情を待たしむべし。 

旦だ夕べに 公 歸って拜謝を伸ぶれば,騎し去り雙旌を逐うを勞するを免れん。 

 

(現代語訳)

(張籍秘書が裴度司空公から良馬を贈られたのでそれをお祝いしてこの詩を贈る。)

裴度司空から遠くはるばる良馬を贈られ、はじめてこれを飼育してこの頃は元気に育っている。毛色は鮮やかな桃花のようであり、両目は煌煌としてかがやくことかがみのようである。

夕日の西に傾くころになるといつも君とクツワを並べて語りながら乗り回したものであったが、やがて春風が吹くようにでもなれば、また鞍を並べて、遠乗りをすることとしよう。

どんなに名馬であっても常々奴僕に言い聞かせて決して飢餓、枯渇にさせてはならないことであり、すべて、賢良にしておき、そして、その性格、情緒をよく見て厚くこれを待遇しなければならない。

今、裴度司空公は北の外におられるが、いずれはお帰りになるだろうから、司空の雙旌をおいかけてわざわざでかけることはなく、その馬を馴らして、十分可愛がってやることだ。

 

(訳注)

賀張十八祕書得裴司空馬

(張籍秘書が裴度司空公から良馬を贈られたのでそれをお祝いしてこの詩を贈る。)

○張十八祕書 韓愈門下張籍のこと。

○裴司空 裴度公:司空【しくう】とは。周の六卿の一。冬官の長で、土木・水利などの 建築事業をつかさどった。前漢では大司空、後漢・唐では再び司空となり、三公の一。官制 において、最高位に位置する3つの官職のこと。秦や前漢では行政を司る丞相(大司徒)、 軍事を司る太尉(大司馬)、監察・政策立案を司る御史大夫(大司空)の3官が三公と 呼ばれた。

 

司空遠寄養初成,毛色桃花眼鏡明。 

裴度司空から遠くはるばる良馬を贈られ、はじめてこれを飼育してこの頃は元気に育っている。毛色は鮮やかな桃花のようであり、両目は煌煌としてかがやくことかがみのようである。

 

落日已曾交轡語,春風還擬並鞍行。 

夕日の西に傾くころになるといつも君とクツワを並べて語りながら乗り回したものであったが、やがて春風が吹くようにでもなれば、また鞍を並べて、遠乗りをすることとしよう。

 

長令奴僕知飢渴,須著賢良待性情。 

どんなに名馬であっても常々奴僕に言い聞かせて決して飢餓、枯渇にさせてはならないことであり、すべて、賢良にしておき、そして、その性格、情緒をよく見て厚くこれを待遇しなければならない。

 

旦夕公歸伸拜謝,免勞騎去逐雙旌。 

今、裴度司空公は北の外におられるが、いずれはお帰りになるだろうから、司空の雙旌をおいかけてわざわざでかけることはなく、その馬を馴らして、十分可愛がってやることだ。

○旦夕公歸伸拜謝 裴度公は北地に赴任していてこの馬を送ってきたもので、この時、張籍は 七言律詩 『謝裴司馬寄馬』を作っている。

騄耳新駒駿得名、司空遠自寄書生。乍離華厩移蹄澁、初到貧家擧眼驚。

毎被閒人來借問、多尋古寺獨騎行。長思歳旦沙堤上、得従鳴珂傍火城。

裴度『酬張秘書因寄馬贈』

滿城馳逐皆求馬,古寺閒行獨與君。代步本慚非逸足,緣情何幸枉高文。

若逢佳麗從將換,莫共駑駘角出群。飛控著鞭能顧我,當時王粲亦從軍。

韓愈はこの二人の唱和を讀んで、張籍に寄せたのだ。
tasogare45000

《去歲自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,・・其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,・・・》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <976>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3864

お前が死んだのは病気で臥せていたところそのまま旅程に出されたために急病死させてしまった。旅中のことであるために仮埋葬で皮付きの傷つき材料の棺であり、数条の藤蔦でこれを縛ったようなもの、これを商山の麓に埋設したのだ。棺の白骨は定めてその寒さに耐えられるものではなかったであろう。

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index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首
index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor13-11《甘州子五首 其二》顧太尉敻(顧夐【こけい】)五十五首Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-464-13-(11) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3867
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《去自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,過其墓留題驛梁》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <976> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3864韓愈詩-269

 

 

年:  820  元和十五年  53

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

詩題: 自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,過其墓留題驛梁

【去自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛之官,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,今過其墓留題驛梁】

【去自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛之官,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛,山下蒙恩還朝,今過其墓留題驛梁】

【去自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛,山下蒙恩還朝,今過其墓留題驛梁】 

及地點:  潮州 (嶺南道東部 潮州 潮州)   ・層峰驛 (山南東道 商州 上洛)     

 

 

自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,過其墓留題驛梁

(去年は(元和14年正月)「論佛骨表」を上せしにより、刑部侍郎というものから、潮州刺史に貶られ、独り宿次の馬に乗り赴任した。その後、家族も都に留まってはならぬということで追い立てられ、相次いで旅程に上ったが、その途中、層峰驛の旁にて少女一人病死し、その山の下に仮埋葬しておいた。しかるに今次天恩を蒙って、長安に還されることとなり此の山下を通ることになったので、この詩を駅舎の梁上に題したのである。)

數條藤束木皮棺,草殯荒山白骨寒。

お前が死んだのは病気で臥せていたところそのまま旅程に出されたために急病死させてしまった。旅中のことであるために仮埋葬で皮付きの傷つき材料の棺であり、数条の藤蔦でこれを縛ったようなもの、これを商山の麓に埋設したのだ。棺の白骨は定めてその寒さに耐えられるものではなかったであろう。

驚恐入心身已病,扶舁沿路眾知難。

わたしはお前たちに先立って旅立たねばならず、病気のお前のこと、驚き、恐れて、心も身も心配をして出たのだ。お前は無理やり担がれて旅に出たのでとても難しいことだと誰もが思ったのである。

繞墳不暇號三匝,設祭惟聞飯一盤。

お前を伴って旅立つことが出来ず、お前のその時にあってやることもできず、勿論、墓を廻って慟哭、三匝してやることもできなかった。祀ってやるにも、一盤の飯を備えることしかできなかったことは可哀相で仕方なかったのである。

致汝無辜由我罪,百年慚痛淚闌干。

こんなことになった全ては私の大罪によるもので、お前に非は全くないのである。この慙痛の思いは修正消えるものではないもので、この涙は欄干としてたえずながれるのである。

 

 刑部侍郎より罪を以って潮州刺史に貶められ,驛に乘じて赴任し,其の後家も亦た譴逐【けんちく】されて小女,道に死し之を層峰 驛旁に殯し,山下 恩を蒙って朝に還らんとし,其の墓を過りて驛梁【えきりょう】に留題す。

數條の藤は木皮の棺を束ね,荒山にして草殯【そうひん】して 白骨寒し。 

驚恐 心に入って 身已に病み,扶舁【ふと】路に沿って 眾 難きを知る。 

墳を繞って 號【さけ】んで三匝【さんきん】するに暇あらず,祭を設けて惟だ飯一盤を聞く。 

汝 辜【つみ】無きを致すは我が罪に由る,百年 慚痛して 淚 闌干たり。 

韓愈ルート01
 

『去自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,過其墓留題驛梁』 現代語訳と訳註

(本文)

自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,過其墓留題驛梁

數條藤束木皮棺,草殯荒山白骨寒。

驚恐入心身已病,扶舁沿路眾知難。

繞墳不暇號三匝,設祭惟聞飯一盤。

致汝無辜由我罪,百年慚痛淚闌干。

 

(下し文)

 刑部侍郎より罪を以って潮州刺史に貶められ,驛に乘じて赴任し,其の後家も亦た譴逐【けんちく】されて小女,道に死し之を層峰 驛旁に殯し,山下 恩を蒙って朝に還らんとし,其の墓を過りて驛梁【えきりょう】に留題す。

數條の藤は木皮の棺を束ね,荒山にして草殯【そうひん】して 白骨寒し。 

驚恐 心に入って 身已に病み,扶舁【ふと】路に沿って 眾 難きを知る。 

墳を繞って 號【さけ】んで三匝【さんきん】するに暇あらず,祭を設けて惟だ飯一盤を聞く。 

汝 辜【つみ】無きを致すは我が罪に由る,百年 慚痛して 淚 闌干たり。  

 

(現代語訳)

(去年は(元和14年正月)「論佛骨表」を上せしにより、刑部侍郎というものから、潮州刺史に貶られ、独り宿次の馬に乗り赴任した。その後、家族も都に留まってはならぬということで追い立てられ、相次いで旅程に上ったが、その途中、層峰驛の旁にて少女一人病死し、その山の下に仮埋葬しておいた。しかるに今次天恩を蒙って、長安に還されることとなり此の山下を通ることになったので、この詩を駅舎の梁上に題したのである。)

お前が死んだのは病気で臥せていたところそのまま旅程に出されたために急病死させてしまった。旅中のことであるために仮埋葬で皮付きの傷つき材料の棺であり、数条の藤蔦でこれを縛ったようなもの、これを商山の麓に埋設したのだ。棺の白骨は定めてその寒さに耐えられるものではなかったであろう。

わたしはお前たちに先立って旅立たねばならず、病気のお前のこと、驚き、恐れて、心も身も心配をして出たのだ。お前は無理やり担がれて旅に出たのでとても難しいことだと誰もが思ったのである。

お前を伴って旅立つことが出来ず、お前のその時にあってやることもできず、勿論、墓を廻って慟哭、三匝してやることもできなかった。祀ってやるにも、一盤の飯を備えることしかできなかったことは可哀相で仕方なかったのである。

こんなことになった全ては私の大罪によるもので、お前に非は全くないのである。この慙痛の思いは修正消えるものではないもので、この涙は欄干としてたえずながれるのである。

 

(訳注)

自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,過其墓留題驛梁

(去年は(元和14年正月)「論佛骨表」を上せしにより、刑部侍郎というものから、潮州刺史に貶られ、独り宿次の馬に乗り赴任した。その後、家族も都に留まってはならぬということで追い立てられ、相次いで旅程に上ったが、その途中、層峰驛の旁にて少女一人病死し、その山の下に仮埋葬しておいた。しかるに今次天恩を蒙って、長安に還されることとなり此の山下を通ることになったので、この詩を駅舎の梁上に題したのである。)

韓愈の第四女、女拏【じょだ】といい、歳は12歳であった。河陽の韓家の墓地に移された。

層峰驛 商山の麓にあった駅。(-4)長安から藍田を経て次の街である。元気なものなら数日の距離である。

儒教の五経典に『易経』『書経』『詩経』『儀礼』『春秋』がある。そのなかの『儀礼(ぎらい)』は古代中国の官吏階級の通過儀礼である、冠礼、婚礼、喪礼、外交儀礼などを細かく規定したもので、中国の文化の規範としての役割を担ってきた。韓愈は儒者であり、これらにのとった埋葬ができなかったことを師にしたもの。

 

數條藤束木皮棺,草殯荒山白骨寒。

お前が死んだのは病気で臥せていたところそのまま旅程に出されたために急病死させてしまった。旅中のことであるために仮埋葬で皮付きの傷つき材料の棺であり、数条の藤蔦でこれを縛ったようなもの、これを商山の麓に埋設したのだ。棺の白骨は定めてその寒さに耐えられるものではなかったであろう。

木皮棺 急ごしらえの棺と埋葬の場所をいう。小斂(死者を衣服でくるむ)の用意ができず、粗末なものでくるまった。

草殯 仮埋葬をすること。

 

驚恐入心身已病,扶舁沿路眾知難。

わたしはお前たちに先立って旅立たねばならず、病気のお前のこと、驚き、恐れて、心も身も心配をして出たのだ。お前は無理やり担がれて旅に出たのでとても難しいことだと誰もが思ったのである。

扶舁 1 (二人以上で)物を肩にのせて運ぶ。担がれて、かつぐ。2 だます。あざむく。車ではなく、運ばれたもので、数日で死に至ったもの。

 

繞墳不暇號三匝,設祭惟聞飯一盤。

お前を伴って旅立つことが出来ず、お前のその時にあってやることもできず、勿論、墓を廻って慟哭、三匝してやることもできなかった。祀ってやるにも、一盤の飯を備えることしかできなかったことは可哀相で仕方なかったのである。

繞墳 哭の礼をするため、埋葬したところのまわりをぐるぐる回って弔うこと。

號三匝 死者に衣服を贈る。死装束の準備。湯灌。死装束の着衣と依代。小斂(死者を衣服でくるむ)の用意。

飯一盤 死者へ食べ物を捧げる

 

致汝無辜由我罪,百年慚痛淚闌干。

こんなことになった全ては私の大罪によるもので、お前に非は全くないのである。この慙痛の思いは修正消えるものではないもので、この涙は欄干としてたえずながれるのである。

『荀子』礼論篇に、葬儀の意味について述べてある。

  喪礼とは、死者に対し生者のように仕えるという意味をはっきりと知り、哀戚と恭敬の情を尽くして送葬し、手おちなく埋葬すること以外にない。だから埋葬とは、その形体を敬み葬ることであり、祭祀とは、その神霊に敬み仕えることであり、その銘(死者の名を書いた旗)と誄(るい=人の死を悼んで生前の徳などを追慕して述べる詞)と繋世とは、その名前を敬って後世に伝えることである。生きている人に仕える礼は始めを飾り、死んだ人を送る礼は、終わりを飾る。
 

《酒中留上襄陽李相公》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <975>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3859韓愈詩-268

韓愈《酒中留上襄陽李相公》 我々の付き合いは清談の濁り酒の付き合いで、私は濁水のようであり、君は清路の塵のようであり、その出処進退はまるで比較することに意味がないほど明確なことである。嘗て同じように中書省にいたこともあるので、旧知の間ではあれば、今夜ここに会飲して、このひと時を過ごしたいと思うところなのです。私が南方に左遷されている時はこの眼が穿つほどに眺めいって書簡の届かないことをいぶかしく思っていたのであるから、この宴席において大分酔いが回って、耳が熱くなるほど酔っても、そそがれた酒を辞したりはしないで徹底的に飲もうと思っている。


 

2014年3月8日

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《酒中留上襄陽李相公》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <975>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3859韓愈詩-268

 

 

年: 820  元和十五年  53

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

詩題: 酒中留上襄陽李相公

〔李逢吉也。愈元和十一年正月為中書舍人,而逢吉以其年二月自舍人拜相。〕

寫作地點: 襄州(山南東道 / 襄州 / 襄州

寫及地點:  襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽     

交遊人物/ 李逢吉

 

 

酒中留上襄陽李相公

 (ここにおいての宴会で襄陽の李相公に上申いたします。)

李相公は李逢吉である。韓愈は元和十一年正月に中書舍人となる,韓愈が襄陽を通過する際に旧知の李逢吉はに会飲し、酒間に賦して贈ったものである。

濁水汙泥清路塵,還曾同制掌絲綸。 

我々の付き合いは清談の濁り酒の付き合いで、私は濁水のようであり、君は清路の塵のようであり、その出処進退はまるで比較することに意味がないほど明確なことである。嘗て同じように中書省にいたこともあるので、旧知の間ではあれば、今夜ここに会飲して、このひと時を過ごしたいと思うところなのです。

眼穿長訝雙魚斷,耳熱何辭數爵頻。 

私が南方に左遷されている時はこの眼が穿つほどに眺めいって書簡の届かないことをいぶかしく思っていたのであるから、この宴席において大分酔いが回って、耳が熱くなるほど酔っても、そそがれた酒を辞したりはしないで徹底的に飲もうと思っている。

銀燭未銷窗送曙,金釵半醉座添春。 

こうして飲んでいても、まだまだ銀の燭台の火も消えることはなく、窓が白んでくる曙の色合いが送られてくるまでは、君の金杯での酔いはまだ半分ぐらいのものだろうし、その座にまだまだ春の花のように若い娘を携え添わせておかれたらよろしいと思うしだいである。

知公不久歸鈞軸,應許閒官寄病身。 

君は遠からずして天子に召されて、再び相位に着かれることであろうから、節には我が病気がちな私に相応した閒職を与えてもらえたらよいと考えておるところです。

 

酒中留めて襄陽の李相公に上【たてまつ】る

濁水 汙泥【おでい】清路の塵,還た曾て制を同じうして絲綸【しりん】を掌る。 

眼 穿って長く訝【いぶか】る雙魚の斷つるを,耳熱くして 何ぞ辭せむ 數爵の頻なるを。 

銀燭 未だ銷えずして 窗 曙を送る,金釵 半ば醉うて 座して 春に添う。 

公が久しからずして鈞軸にる歸を知る,應に閒官に病身を寄するを許さるべし。 

韓愈安陸南陽白水01 

 

『酒中留上襄陽李相公』 現代語訳と訳註

(本文)

酒中留上襄陽李相公

濁水汙泥清路塵,還曾同制掌絲綸。 

眼穿長訝雙魚斷,耳熱何辭數爵頻。 

銀燭未銷窗送曙,金釵半醉座添春。 

知公不久歸鈞軸,應許閒官寄病身。 

 

 

(下し文)

酒中留めて襄陽の李相公に上【たてまつ】る

濁水 汙泥【おでい】清路の塵,還た曾て制を同じうして絲綸【しりん】を掌る。 

眼 穿って長く訝【いぶか】る雙魚の斷つるを,耳熱くして 何ぞ辭せむ 數爵の頻なるを。 

銀燭 未だ銷えずして 窗 曙を送る,金釵 半ば醉うて 座して 春に添う。 

公が久しからずして鈞軸にる歸を知る,應に閒官に病身を寄するを許さるべし。 

 

 

(現代語訳)

(ここにおいての宴会で襄陽の李相公に上申いたします。)

李相公は李逢吉である。韓愈は元和十一年正月に中書舍人となる,韓愈が襄陽を通過する際に旧知の李逢吉はに会飲し、酒間に賦して贈ったものである。

我々の付き合いは清談の濁り酒の付き合いで、私は濁水のようであり、君は清路の塵のようであり、その出処進退はまるで比較することに意味がないほど明確なことである。嘗て同じように中書省にいたこともあるので、旧知の間ではあれば、今夜ここに会飲して、このひと時を過ごしたいと思うところなのです。

私が南方に左遷されている時はこの眼が穿つほどに眺めいって書簡の届かないことをいぶかしく思っていたのであるから、この宴席において大分酔いが回って、耳が熱くなるほど酔っても、そそがれた酒を辞したりはしないで徹底的に飲もうと思っている。

こうして飲んでいても、まだまだ銀の燭台の火も消えることはなく、窓が白んでくる曙の色合いが送られてくるまでは、君の金杯での酔いはまだ半分ぐらいのものだろうし、その座にまだまだ春の花のように若い娘を携え添わせておかれたらよろしいと思うしだいである。

君は遠からずして天子に召されて、再び相位に着かれることであろうから、節には我が病気がちな私に相応した閒職を与えてもらえたらよいと考えておるところです。

杏の花01韓愈の地図00 

(訳注)

酒中留上襄陽李相公

(ここにおいての宴会で襄陽の李相公に上申いたします。)

〔李逢吉也。愈元和十一年正月為中書舍人,而逢吉以其年二月自舍人拜相。〕

李相公は李逢吉である。韓愈は元和十一年正月に中書舍人となる,韓愈が襄陽を通過する際に旧知の李逢吉はに会飲し、酒間に賦して贈ったものである。李逢吉(758年-835年),字虛舟,西狄道(今甘臨洮縣)の人,李玄道の曾孫にあたる。父は李顏で疾病が有った,李逢吉は料醫劑により,通方書を遂う。元和九年進士及第し,中書舍人を改める。元和十一年(816年)には中書舍人となり,その年の4月宰相となった。。元和、長慶の兩朝の宰相と為す。牛僧孺と李德裕とに薦舉され,李紳と相互に傾軋す。敬宗年,凉国公を封じ,のちに国公と改む。太和年間司徒致仕える。九年(835年)正月卒す。謚は曰成。著有《斷金集》,《全唐詩》詩八首存する。

 

濁水泥清路塵,還曾同制掌絲綸。 

我々の付き合いは清談の濁り酒の付き合いで、私は濁水のようであり、君は清路の塵のようであり、君の家は詔勅を起草する家系であり、君も必ずそうなるのであり、その出処進退はまるで比較することに意味がないほど明確なことである。嘗て同じように中書省にいたこともあるので、旧知の間ではあれば、今夜ここに会飲して、このひと時を過ごしたいと思うところなのです。

濁水汙泥清路塵 韓愈と李相公を献上的に比較したもので、嘗ては濁り酒を飲みながら同僚として清談したものだが、今は、韓愈は南方へ左遷され、泥水の中に折るようなものであることに対して、曹植『七哀詩』「君若清路塵,妾若濁水泥。」にもとづくひょうげんをしたもの。(あなたは清らな路上の塵のよう、私はにごり水に沈む泥のようにきれいな水になるのを待つだけなのです。)

七哀詩 魏詩<33-2>文選 哀傷 667 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1885

掌絲綸 「世掌絲綸」 杜甫『奉和賈至舍人早朝大明宮』「欲知世掌絲綸美。池上於今有鳳毛。」(なるほど賈君の御家は代々詔勅を起草する家系であって、その世襲がいかにみごとであるかを知りたいとおもう、現に今も鳳凰池上に鳳毛とも評すべき君が居らるるのをみればわかることである。)

・世掌 代々つかさどる、父子二代の世襲をさす。・絲綸 王の言、即ち詔勅をいう。「礼記」緇衣に「王言は糸の如く、其の出ぞること綸の如し。王言は綸の如く、其の出ぞること綍の如し。」とある。綸はよりいと、綍はなわ、王の言は出だした所は細くても下へ伝わるにつれて大となることをいう。・美 みごとなこと。

奉和賈至舍人早朝大明宮 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 236

 

眼穿長訝雙魚斷,耳熱何辭數爵頻。 

私が南方に左遷されている時はこの眼が穿つほどに眺めいって書簡の届かないことをいぶかしく思っていたのであるから、この宴席において大分酔いが回って、耳が熱くなるほど酔っても、そそがれた酒を辞したりはしないで徹底的に飲もうと思っている。

雙魚斷 李相公からの手紙をいう

耳熱 顔が赤くなるという意味と同じ。

數爵頻 盃に頻繁に酒を注がれることをどんなにされたとしてもというほどの意。

 

銀燭未銷窗送曙,金釵半醉座添春。 

こうして飲んでいても、まだまだ銀の燭台の火も消えることはなく、窓が白んでくる曙の色合いが送られてくるまでは、君の金杯での酔いはまだ半分ぐらいのものだろうし、その座にまだまだ春の花のように若い娘を携え添わせておかれたらよろしいと思うしだいである。

 

知公不久歸鈞軸,應許閒官寄病身。 

君は遠からずして天子に召されて、再び相位に着かれることであろうから、節には我が病気がちな私に相応した閒職を与えてもらえたらよいと考えておるところです。

鈞軸 ここでは朝廷の中心である宰相のこと。

《從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之〔時憲宗元和十四年十月。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <962>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3794韓愈詩-257

韓愈《從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之》北の方を望み見て長安の方に向かうということで、塞上に向かう雁に随って一緒に行けばよいということだがそうもいくまい。わずかの間とはいえ南の地に左遷されたのではあるが、兗州はよい所で、わずかに江魚の腹中に葬られるということを免れたということかもしれない。


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張平子(張衡)《西京賦》(12)#4-3 文選 賦<114―(12)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1049 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3793
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之〔時憲宗元和十四年十月。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <962  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3794韓愈詩-257

 

 

作時年:819年 元和十四年 52

卷別:    卷三四四              文體:  七言律詩

詩題:    從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之〔時憲宗元和十四年十月。〕

潮州 (嶺南道東部 潮州 潮州)            

袁州 (江南西道 袁州 袁州) 別名:宜春          

韶州 (嶺南道東部 韶州 韶州) 別名:東       

韶石 (嶺南道東部 韶州 曲江)            

交遊人物/:張蒙  

 

 

從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之

(韓愈が兗州に量移されることの命を受けた時、さっそく韶州において会いたいと張曙に書簡を送って、韶州刺史張曙から慶賀の詩をよこされた。そしてそれに酬ゆるためにしてこの詩を作った。)

〔時憲宗元和十四年十月。〕

〔元和十四十月に兗州に遷って元和十五年正月に兗州に着く際のことである。〕
明時遠逐事何如,遇赦移官罪未除。

この清明なこの世おける朝廷によって、遠地に左遷されたのはよくよくのことで今日恩赦によって兗州に量移されたもののその日承けた罪科がすべて取りのけられたものではないということだ。

北望詎令隨塞雁,南遷纔免葬江魚。

北の方を望み見て長安の方に向かうということで、塞上に向かう雁に随って一緒に行けばよいということだがそうもいくまい。わずかの間とはいえ南の地に左遷されたのではあるが、兗州はよい所で、わずかに江魚の腹中に葬られるということを免れたということかもしれない。

將經貴郡煩留客,先惠高文謝起予。

やがて出発したなら、君郡を通過することは間違いなく、ずいぶんお世話になることとなるであろうとは思うものの、その前に貴君からの慶事の書簡を寄せられ、私の気持ちを私の詩を作ろうとする気を引き起こしてくれたこと、感謝に堪えません。

暫欲繫船韶石下,上賓虞舜整冠裾。

もう少しすれば貴郡の韶州の「韶石」というところに船を繋留して名だたる方々、それは五帝の虞・舜の廟に参詣するために衣冠を整えて上陸致すので、其の地にご案内いただければありがたいのです。

 

(從潮州袁州に量移さる,張韶州端公詩を以て相い賀す,因って之に酬ゆ)〔時に憲宗元和十四年十月なり。〕

明時【めいじ】遠逐【えんちく】事 何如【いかん】,遇赦移官罪未除。

北望 詎ぞ塞雁【さいがん】に隨わしめむ,南遷 纔【わずか】に江魚に葬むるを免る。

將に貴郡をて客を留むるを煩わさんとし,先ず高文を惠んで予を起すを謝す。

暫らく船を韶石の下に繫んとし,虞舜に上賓して冠裾を整えんと欲す。

2潮州広東00 

『從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之』現代語訳と訳註

(本文)

從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之〔時憲宗元和十四年十月。〕

明時遠逐事何如,遇赦移官罪未除。

北望詎令隨塞雁,南遷纔免葬江魚。

將經貴郡煩留客,先惠高文謝起予。

暫欲繫船韶石下,上賓虞舜整冠裾。

 

(下し文)

(從潮州袁州に量移さる,張韶州端公詩を以て相い賀す,因って之に酬ゆ)〔時に憲宗元和十四年十月なり。〕

明時【めいじ】遠逐【えんちく】事 何如【いかん】,遇赦移官罪未除。

北望 詎ぞ塞雁【さいがん】に隨わしめむ,南遷 纔【わずか】に江魚に葬むるを免る。

將に貴郡をて客を留むるを煩わさんとし,先ず高文を惠んで予を起すを謝す。

暫らく船を韶石の下に繫んとし,虞舜に上賓して冠裾を整えんと欲す。

 

(現代語訳)

(韓愈が兗州に量移されることの命を受けた時、さっそく韶州において会いたいと張曙に書簡を送って、韶州刺史張曙から慶賀の詩をよこされた。そしてそれに酬ゆるためにしてこの詩を作った。)

この清明なこの世おける朝廷によって、遠地に左遷されたのはよくよくのことで今日恩赦によって兗州に量移されたもののその日承けた罪科がすべて取りのけられたものではないということだ。

北の方を望み見て長安の方に向かうということで、塞上に向かう雁に随って一緒に行けばよいということだがそうもいくまい。わずかの間とはいえ南の地に左遷されたのではあるが、兗州はよい所で、わずかに江魚の腹中に葬られるということを免れたということかもしれない。

やがて出発したなら、君郡を通過することは間違いなく、ずいぶんお世話になることとなるであろうとは思うものの、その前に貴君からの慶事の書簡を寄せられ、私の気持ちを私の詩を作ろうとする気を引き起こしてくれたこと、感謝に堪えません。

もう少しすれば貴郡の韶州の「韶石」というところに船を繋留して名だたる方々、それは五帝の虞・舜の廟に参詣するために衣冠を整えて上陸致すので、其の地にご案内いただければありがたいのです。 

 泰山の夕日

(訳注)

從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之〔時憲宗元和十四年十月。〕

(韓愈が兗州に量移されることの命を受けた時、さっそく韶州において会いたいと張曙に書簡を送って、韶州刺史張曙から慶賀の詩をよこされた。そしてそれに酬ゆるためにしてこの詩を作った。)

 

明時 遠逐 何如,遇赦 移官 未除。

この清明なこの世おける朝廷によって、遠地に左遷されたのはよくよくのことで今日恩赦によって兗州に量移されたもののその日承けた罪科がすべて取りのけられたものではないということだ。

「明時」清明なこの世における朝廷。

「遠逐」遠地に左遷された。

「事何如」よくよくのことである。

「遇赦」今日たまたまうけた恩赦。

「移官罪」その日承けた罪科が量移によってすべて取りのけられたものではないということ。 

 

北望 詎令 塞雁 ,南遷 纔免葬 江魚

北の方を望み見て長安の方に向かうということで、塞上に向かう雁に随って一緒に行けばよいということだがそうもいくまい。わずかの間とはいえ南の地に左遷されたのではあるが、兗州はよい所で、わずかに江魚の腹中に葬られるということを免れたということかもしれない。

「北望」北の方を望み見て長安の方に向かうということ。

「塞雁」渡り鳥は北の塞の方に向かって飛んでいく。。

「南遷」南の地に左遷され。

「葬江魚」南方の魚の腹の中に葬り去られる。 

 

將經 貴郡 留客 ,先惠 高文 起予

やがて出発したなら、君郡を通過することは間違いなく、ずいぶんお世話になることとなるであろうとは思うものの、その前に貴君からの慶事の書簡を寄せられ、私の気持ちを私の詩を作ろうとする気を引き起こしてくれたこと、感謝に堪えません。

「經」君郡を通過することは間違いないこと。

「高文」貴君からの慶事の書簡を寄せられたこと。

「謝」語義類別:人、行為動作、言語動作、謝。

「起」私の気持ちを私の詩を作ろうとする気を引き起こしてくれたこと。 

 

暫欲 繫船 韶石 ,上賓 虞舜 冠裾

もう少しすれば貴郡の韶州の「韶石」というところに船を繋留して名だたる方々、それは五帝の虞・舜の廟に参詣するために衣冠を整えて上陸致すので、其の地にご案内いただければありがたいのです。

「暫」語義類別:時、時間、範圍時間(時刻)、暫時。

「繫船」語義類別:人、行為動作、一般行為(糸部)、繫。

「韶石」韶州を目標とするときの大岩。

「上賓」ここでは三皇五帝というほどの意味。。

「虞舜」三皇五帝の虞、舜。

「整冠裾」衣冠を整えて。かしこまって服装を整えること。
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韓愈《韶州留別張端公使君》君の文才は六朝後期の江總のように、久しく欽慕していたが、私自身のことは、虞翻と同じように骨相からして不運に遭うものとしてきまっていてしかたのないことと覚悟している。しかし、私は、功課を奏上され、やがて都に召し還されることもあろうから、ここに淹留して白蘋を詠じていることなどしているわけにはいかないのだ。


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《韶州留別張端公使君〔時憲宗元和十四年十月。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <961  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3789韓愈詩-256

 

 

作時年:  820  元和十五年  53 

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

詩題: 韶州留別張端公使君〔時憲宗元和十四年十月。〕

作地點: 韶州(嶺南道東部 / 韶州 / 韶州

及地點: 韶州 (嶺南道東部 韶州 韶州) 別名:東     

交遊人物: 張曙(蒙) 當地交遊(嶺南道東部 韶州 韶州)

 

 

韶州留別張端公使君

(韓愈が潮州より兗州に量移されたことによって再び韶州を通過する際、張曙に面会し、その去る時に留別のために作って示したものである。)

〔時憲宗元和十四年十月。〕

〔元和十四十月に兗州に遷って元和十五年正月に兗州に着く際のことである。〕

來往再逢梅柳新,別離一醉綺羅春。

去年も、今年もこの韶州を通過し、そのどちらの時に梅柳が新芽を芽吹いた春の季節である。ことに、今回は、別離に際し、綺羅の筵において一酔することを得たことは感謝に堪えない。

久欽江總文才妙,自歎虞翻骨相屯。

君の文才は六朝後期の江總のように、久しく欽慕していたが、私自身のことは、虞翻と同じように骨相からして不運に遭うものとしてきまっていてしかたのないことと覚悟している。

鳴笛急吹爭落日,清歌緩送款行人。

今しも、別れの宴会の饗がたけなわになって、笛の音が急に鳴り、笛の音が堕ちこんでいくのも、落日と争うように思える。清歌の声はゆっくりと送って、旅ゆく人をとどめるものとしている。
已知奏課當徵拜,那復淹留詠白蘋。

しかし、私は、功課を奏上され、やがて都に召し還されることもあろうから、ここに淹留して白蘋を詠じていることなどしているわけにはいかないのだ。

 

韶州 張端公使君と留別す〔時 憲宗元和十四年十月なり。〕

來往 再び梅柳の新なるに逢う,別離 一たび綺羅の春に醉う。

久しく欽す 江總 文才の妙なるを,自ら歎ず 虞翻 骨相の屯なるを。

鳴笛 急に吹いて落日を爭い,清歌 緩く送って行人を款【とど】む。

已に知る 奏課の當【まさ】に徵拜【ちょうはい】すべきを,那ぞ復た淹留【えんりゅう】して白蘋を詠ぜん。

2潮州広東00


『韶州留別張端公使君』
〔時憲宗元和十四年十月。〕 現代語訳と訳註

(本文)

韶州留別張端公使君〔時憲宗元和十四年十月。〕

來往再逢梅柳新,別離一醉綺羅春。

久欽江總文才妙,自歎虞翻骨相屯。

鳴笛急吹爭落日,清歌緩送款行人。

已知奏課當徵拜,那復淹留詠白蘋。

 

(下し文)

韶州 張端公使君と留別す〔時 憲宗元和十四年十月なり。〕

來往 再び梅柳の新なるに逢う,別離 一たび綺羅の春に醉う。

久しく欽す 江總 文才の妙なるを,自ら歎ず 虞翻 骨相の屯なるを。

鳴笛 急に吹いて落日を爭い,清歌 緩く送って行人を款【とど】む。

已に知る 奏課の當【まさ】に徵拜【ちょうはい】すべきを,那ぞ復た淹留【えんりゅう】して白蘋を詠ぜん。

 

(現代語訳)

(韓愈が潮州より兗州に量移されたことによって再び韶州を通過する際、張曙に面会し、その去る時に留別のために作って示したものである。)

〔元和十四十月に兗州に遷って元和十五年正月に兗州に着く際のことである。〕

去年も、今年もこの韶州を通過し、そのどちらの時に梅柳が新芽を芽吹いた春の季節である。ことに、今回は、別離に際し、綺羅の筵において一酔することを得たことは感謝に堪えない。

君の文才は六朝後期の江總のように、久しく欽慕していたが、私自身のことは、虞翻と同じように骨相からして不運に遭うものとしてきまっていてしかたのないことと覚悟している。

今しも、別れの宴会の饗がたけなわになって、笛の音が急に鳴り、笛の音が堕ちこんでいくのも、落日と争うように思える。清歌の声はゆっくりと送って、旅ゆく人をとどめるものとしている。
しかし、私は、功課を奏上され、やがて都に召し還されることもあろうから、ここに淹留して白蘋を詠じていることなどしているわけにはいかないのだ。

 

(訳注)

韶州留別張端公使君

〔時憲宗元和十四年十月。〕

(韓愈が潮州より兗州に量移されたことによって再び韶州を通過する際、張曙に面会し、その去る時に留別のために作って示したものである。)

〔元和十四十月に兗州に遷って元和十五年正月に兗州に着く際のことである。〕

○張の名は曙 端公は、御史中丞、使君は刺史で、この時、韶州の刺史たる人であった。夏にも詩を唱和している。『晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以句二章,二首之一』『同、二首之二』とある。

この詩は韓愈が潮州より兗州に量移されたことによって道を北に向い再び韶州を通過する。今度は、夏に唱和していた張曙に面会し、その去る時に留別のために作って示したものである。

toujidaimap 

來往 再逢 梅柳 ,別離 一醉 綺羅

去年も、今年もこの韶州を通過し、そのどちらの時に梅柳が新芽を芽吹いた春の季節である。ことに、今回は、別離に際し、綺羅の筵において一酔することを得たことは感謝に堪えない。

「來往」元和十四年一月「佛骨を論ずる表」を以て潮州に貶められ、三月に潮州に着いた。十月に兗州に遷って元和十五年正月兗州に着いた。韶州を往来上下している。

「梅柳新」意気も帰りも新春の梅柳の新たな芽吹きを見ている。

「綺羅」《「綺」は綾織りの絹布、「羅」は薄い絹布の意》1 美しい衣服。羅綺。「―をまとう」2 外見が華やかなこと。また、うわべを装い飾ること。「―を張る」「―を競う」3 栄華をきわめること。権勢の盛んなこと。

 

久欽 江總 文才 ,自歎 虞翻 相屯。

君の文才は六朝後期の江總のように、久しく欽慕していたが、私自身のことは、三国呉の虞翻と同じように骨相からして不運に遭うものとしてきまっていてしかたのないことと覚悟している。

「久」語義類別:時、時間、相對時間、久。

「欽」欽慕する。

「江總」南朝陳の公主、本名、江總。文華の人。江 総(こう そう、519 - 594年)は、中国南北朝時代、梁・陳の政治家・文学者。字は総持。済陽郡考城(現河南省)の人。南朝の名門貴族の家に生まれ、梁・陳の高官を歴任し、陳の後主の時代には尚書令(宰相)となるが、後主の宴席にはべり詩文を作るのみで政務に励まず、陳が北朝の隋に滅ぼされる原因を作った一人とされる。

なお初唐の三大家の一人、欧陽詢の出生を題材にした唐代の伝奇小説『補江総白猿伝』は、江総の『白猿伝』を補訂したものとされるが、後世の仮託であるとする見方が一般的である。

「文才」18歳で武陵王蕭紀の法曹参軍として初めて出仕し、その後、梁の武帝に詩才を評価され、当時の重臣・学者たちからも年齢を超えた交友をもって遇された。548年、江総は徐陵とともに東魏への使者に選ばれたが、病気を理由に辞退した。同年、侯景の乱が起こり、翌549年に首都建康が反乱軍によって陥落すると、江総は戦乱を避けて会稽(現浙江省紹興市)に逃れた。さらにおじの広州刺史蕭勃を頼って嶺南に避難し、以後10数年を広州で過ごした。

563年、陳の文帝により中書侍郎として朝廷に召還され、文帝・宣帝に仕えた。宣帝の皇太子陳叔宝(後の後主)は江総を非常に気に入り、彼を自分の太子詹事とするよう懇願し、一緒に長夜の宴を開いたり、お忍びで江総の屋敷に通うほどであった。569年、江総の友人の欧陽紇が広州で反乱を起こし殺されると、江総は彼の唯一の遺児であった欧陽詢をかくまって養育した。

583年、後主が即位すると、江総は彼の信任を受け高官を歴任し、586年には尚書令となった。江総は宰相の位についたものの政務に従事せず、後主と日夜酒宴の席で詩文を作るのみで、人々からは陳喧・孔範らとともに「狎客」と呼ばれていた。589年、隋が陳を滅ぼすと、隋の朝廷に入り上開府となった。594年、江都(現江蘇省揚州市)で死去、享年76。。

「虞翻」三国呉の学者。字は仲翔(ちゆうしよう)。会稽余姚(よよう)(浙江省)の人。呉主孫権に仕え,胆力ある直諫の臣として知られた。ことに〈易〉に通じ,全9巻の《周易注》を著した。いまその一部が清の孫堂による輯本として伝わる。また同じく彼の手になる《国語注》22巻は,清の馬国翰によって輯本が編まれている。さらに《論語》および《老子》の注も著したが,早く散逸した。

「骨」語義類別:人、身體器官、五臟器官、骨。

 

鳴笛 急吹 落日 ,清歌 緩送 行人

今しも、別れの宴会の饗がたけなわになって、笛の音が急に鳴り、笛の音が堕ちこんでいくのも、落日と争うように思える。清歌の声はゆっくりと送って、旅ゆく人をとどめるものとしている。

「爭」語義類別:人、行為動作、一般行為(其他部)、爭。

「落日」笛の音が落日を誘うように聞こえること

「清歌」樂曲泛稱、歌。1 すんだ声で歌うこと。また、その歌。2 管弦の伴奏なしに歌うこと。また、その歌。

「款行人」旅ゆく人をとどめるもの。

 

已知 奏課 當徵拜 ,那復淹留 白蘋

しかし、私は、功課を奏上され、やがて都に召し還されることもあろうから、ここに淹留して白蘋を詠じていることなどしているわけにはいかないのだ。

「奏」奏上すること。

「課」功課。潮州に行って報告書『』を書いて、認められている。《潮州刺史謝上表》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <933  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3649韓愈詩-242-1

「徵拜」都に召し還される。

「淹留」長く同じ場所にとどまること。滞留。滞在。

○「白蘋」白蘋 夏から秋にかけて白い花をつける浮草。

《次鄧州界》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <956>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3764韓愈詩-251

《次鄧州界》潮州の潮陽はここから南へ行き、賈誼の貶められた長沙までの倍の道のりもあるというが、この身は旅中にあって、絶えず天子のことを思い、また家のことを思うと絶えることが出来ない気持ちになる。そういっても、愁いが来ればこの心をひたすら熱して、火を貯えるのかと疑われ、眼は散々泣き腫らしたから、別後、おのずから花を添えてなぐさめるようなものなのだろう。


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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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《次鄧州界》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <956  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3764韓愈詩-251

 

 

年: 元和十四年  819  52

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

詩題: 次鄧州界 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  鄧州 (山南東道 鄧州 鄧州)     

潮陽 (嶺南道東部 潮州 潮陽)     

潭州 (江南西道 潭州 潭州) 別名:潭州     

商山 (山南東道 商州 商州) 別名:南山、地肺山、楚山、商顏     

 

 

次鄧州界

(武関を通り過ぎてから、鄧州の界に休息したときに作ったもの)

潮陽南去倍長沙,戀闕那堪又憶家。 

潮州の潮陽はここから南へ行き、賈誼の貶められた長沙までの倍の道のりもあるというが、この身は旅中にあって、絶えず天子のことを思い、また家のことを思うと絶えることが出来ない気持ちになる。

心訝愁來惟貯火,眼知別後自添花。 

そういっても、愁いが来ればこの心をひたすら熱して、火を貯えるのかと疑われ、眼は散々泣き腫らしたから、別後、おのずから花を添えてなぐさめるようなものなのだろう。

商顏暮雪逢人少,鄧鄙春泥見驛 

商山には残雪も多くまだ積もっていて、春猶寒く、行き交う旅人もきわめて少なく、鄧州は辺鄙なところで、雪解けの泥道がぬかるみ、宿場駅はなかなか遠いように感じられる。

早晚王師收海嶽,普將雷雨發萌芽。 

ここらあたりの潘鎮は、なお、王命に服しないものがあるというが、何時、王師はこれらをことごとく平定し、海山を改めて一つにし、そして、この天下に雷雨によって恵みを降らせたまいて、すべての草木が勢いよく成長することを願うのである。

 

(鄧州の界を次【よぎ】る)

潮陽 南に去って長沙に倍す,闕を戀う 那んぞ堪えん 又た家を憶うを。

心訝【いぶか】る 愁い來って惟だ火を貯うるを,眼は知る 別後 自ら花を添うるを。

商顏の暮雪 人に逢うこと少く,鄧鄙の春泥 驛を見ること【はるか】なり

早晚 王師 海嶽を收め,普【あま】ねく雷雨を將って萌芽を發せん。 

終南山06 

 

『次鄧州界』 現代語訳と訳註

(本文)

次鄧州界

潮陽南去倍長沙,戀闕那堪又憶家。 

心訝愁來惟貯火,眼知別後自添花。 

商顏暮雪逢人少,鄧鄙春泥見驛 

早晚王師收海嶽,普將雷雨發萌芽。 

 

(下し文)

(鄧州の界を次【よぎ】る)

潮陽 南に去って長沙に倍す,闕を戀う 那んぞ堪えん 又た家を憶うを。

心訝【いぶか】る 愁い來って惟だ火を貯うるを,眼は知る 別後 自ら花を添うるを。

商顏の暮雪 人に逢うこと少く,鄧鄙の春泥 驛を見ること【はるか】なり

早晚 王師 海嶽を收め,普【あま】ねく雷雨を將って萌芽を發せん。 

 

 

(現代語訳)

(武関を通り過ぎてから、鄧州の界に休息したときに作ったもの)

潮州の潮陽はここから南へ行き、賈誼の貶められた長沙までの倍の道のりもあるというが、この身は旅中にあって、絶えず天子のことを思い、また家のことを思うと絶えることが出来ない気持ちになる。

そういっても、愁いが来ればこの心をひたすら熱して、火を貯えるのかと疑われ、眼は散々泣き腫らしたから、別後、おのずから花を添えてなぐさめるようなものなのだろう。

商山には残雪も多くまだ積もっていて、春猶寒く、行き交う旅人もきわめて少なく、鄧州は辺鄙なところで、雪解けの泥道がぬかるみ、宿場駅はなかなか遠いように感じられる。

ここらあたりの潘鎮は、なお、王命に服しないものがあるというが、何時、王師はこれらをことごとく平定し、海山を改めて一つにし、そして、この天下に雷雨によって恵みを降らせたまいて、すべての草木が勢いよく成長することを願うのである。

 

(訳注)

次鄧州界

(武関を通り過ぎてから、鄧州の界に休息したときに作ったもの)

鄧州南陽郡は山南東道に属す。この詩は、武関を通り過ぎてから、鄧州の界に休息したときに作ったものである。

 

潮陽南去倍長沙,戀闕那堪又憶家。 

潮州の潮陽はここから南へ行き、賈誼の貶められた長沙までの倍の道のりもあるというが、この身は旅中にあって、絶えず天子のことを思い、また家のことを思うと絶えることが出来ない気持ちになる。

倍長沙 長沙に左遷され中央に戻された賈誼のことを例にとる。前漢文帝に仕えた文臣。若くして洛陽の秀才とうたわれ,文帝の新政に抜擢されて最年少の博士からさらに太中大夫となった。そこで漢王朝の基礎を固める諸制度の改革に乗り出し,文帝もさらに公卿に任じようとしたが,保守的な元老にはばまれ,ついに失脚して長沙に左遷された。その後また召し返され,文帝の子の梁王の太傅(たいふ)となったが,ほどなく梁王が落馬して死に,1年余ののち彼も33歳で死んだ。著述は58編あったといわれるが,現存の《新書》58編はそのままのものでなく,《漢書》賈誼伝や食貨志などの引用文が重要である。

戀闕 ここでは、天子を指す。古代中国の宮殿,祠廟,陵墓などの門前の両脇に張り出して左右対称に設けられた望楼。中間が闕然として何もないことから,その名がある。闕の名称は西周時代の文献にすでに見える。一般に高い基壇の上に楼閣を立てたが,のちには石造でそのかたちをかたどったもの。天子、帝王あるいは貴人の名が出たとき,これを尊敬していう。

 

心訝愁來惟貯火,眼知別後自添花。 

そういっても、愁いが来ればこの心をひたすら熱して、火を貯えるのかと疑われ、眼は散々泣き腫らしたから、別後、おのずから花を添えてなぐさめるようなものなのだろう。

 

商顏暮雪逢人少,鄧鄙春泥見驛 

商山には残雪も多くまだ積もっていて、春猶寒く、行き交う旅人もきわめて少なく、鄧州は辺鄙なところで、雪解けの泥道がぬかるみ、宿場駅はなかなか遠いように感じられる。

商顏 商山は長安の東南商州にある山の名、漢の高祖の時四人の老人があり秦の乱をさけでその山に隠れ芝を採ってくらした。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。

暮雪 春の根雪、冬の積雪が盛春を過ぎようとするのに残雪としてのこっていること。

 

早晚王師收海嶽,普將雷雨發萌芽。 

ここらあたりの潘鎮は、なお、王命に服しないものがあるというが、何時、王師はこれらをことごとく平定し、海山を改めて一つにし、そして、この天下に雷雨によって恵みを降らせたまいて、すべての草木が勢いよく成長することを願うのである。
安陸・南陽・嚢陽 李白00

左遷至藍關示姪孫湘〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕》117韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <954>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3754韓愈詩-249

韓愈《左遷至藍關示姪孫湘》 朝に上奏文を一通、九重おく深い天子さまの宮居にたてまつった。すると夕べには八千里も路程のある潮州に流されることになった。聖明な天子さまのために悪弊を除きたいと思えばこそで、衰えはてた身なのに、今さら老いぼれの年を惜しもうとは思わない。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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左遷至藍關示姪孫湘〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕》117韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <954  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3754韓愈詩-249

 

 

年:  819  元和十四年  52

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

詩題: 左遷至藍關示姪孫湘〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕 

作地點: 藍田關(京畿道 / 京兆府 / 藍田

及地點: 藍田關 (京畿道 京兆府 藍田) 別名:藍關     

潮州 (嶺南道東部 潮州 潮州)     

秦嶺 (京畿道 京兆府 藍田)     

九重 (京畿道 京兆府 長安)     

 

 

左遷至藍關示姪孫湘

(左遷され潮州に赴く途中、長安東南の初めての関、藍田関に到着したので姪孫韓湘にこの詩を示す)

〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕

姪孫は、兄弟の孫。湘は、その名。韓湘(794-未詳)は、韓愈の次兄韓介の孫、十二郎韓老成(未詳-803年)の子である。長慶三年(823年)進士になった。
一封朝奏九重天,夕貶潮州路八千。 

朝に上奏文を一通、九重おく深い天子さまの宮居にたてまつった。すると夕べには八千里も路程のある潮州に流されることになった。

欲為聖朝除弊事,肯將衰朽惜殘年。 

聖明な天子さまのために悪弊を除きたいと思えばこそで、衰えはてた身なのに、今さら老いぼれの年を惜しもうとは思わない。

雲橫秦嶺家何在,雪擁藍關馬不前。 

雲は秦嶺山脈にたなびき、わたしの家はどこにあるかもう分からない、雪は藍田関をうずめつくして、わたしの馬は進まない。

知汝遠來應有意,好收吾骨瘴江邊。 

おまえがはるばるやって来たのはきっと何かのつもりあってのことだとわたしには分かる、それならわたしの骨を瘴気たちこめる大江のほとりでとり収めてくれればよいのだ。

 

(左遷されて藍關に至り姪孫【てつそん】湘に示す。)

〔湘は,愈の姪十二郎の子なり,長慶三年の進士に第し登るもの。〕

一封 朝に奏す 九重の天、夕べに潮州に貶せらる 路八千。

聖明の為に弊事を除かんと欲っし、肯えて衰朽を将って残年を惜しまんや。

雲は秦嶺に横たわって家何くにか在る、雪は藍蘭を擁して馬前まず。

知んぬ 汝が遠く来たる 応に意有るべし、好し 吾が骨を瘴江の辺に収めよ。

終南山06 

 

『左遷至藍關示姪孫湘』 現代語訳と訳註

(本文)

左遷至藍關示姪孫湘

〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕

一封朝奏九重天,夕貶潮州路八千。 

欲為聖朝除弊事,肯將衰朽惜殘年。 

雲橫秦嶺家何在,雪擁藍關馬不前。 

知汝遠來應有意,好收吾骨瘴江邊。 

 

(下し文)

(左遷されて藍關に至り姪孫【てつそん】湘に示す。)

〔湘は,愈の姪十二郎の子なり,長慶三年の進士に第し登るもの。〕

一封 朝に奏す 九重の天、夕べに潮州に貶せらる 路八千。

聖明の為に弊事を除かんと欲っし、肯えて衰朽を将って残年を惜しまんや。

雲は秦嶺に横たわって家何くにか在る、雪は藍蘭を擁して馬前まず。

知んぬ 汝が遠く来たる 応に意有るべし、好し 吾が骨を瘴江の辺に収めよ。

 

(現代語訳)

(左遷され潮州に赴く途中、長安東南の初めての関、藍田関に到着したので姪孫韓湘にこの詩を示す)

朝に上奏文を一通、九重おく深い天子さまの宮居にたてまつった。すると夕べには八千里も路程のある潮州に流されることになった。

聖明な天子さまのために悪弊を除きたいと思えばこそで、衰えはてた身なのに、今さら老いぼれの年を惜しもうとは思わない。

雲は秦嶺山脈にたなびき、わたしの家はどこにあるかもう分からない、雪は藍田関をうずめつくして、わたしの馬は進まない。

おまえがはるばるやって来たのはきっと何かのつもりあってのことだとわたしには分かる、それならわたしの骨を瘴気たちこめる大江のほとりでとり収めてくれればよいのだ。

韓愈の地図01 

(訳注)

左遷至藍關示姪孫湘

(左遷され潮州に赴く途中、長安東南の初めての関、藍田関に到着したので姪孫韓湘にこの詩を示す)

左遷至農園示姪孫湘 ・左遷:官位を下げられること。むかし、中国では、右を尊んで、左を卑しいとしたところからいう。

ここは、韓愈が、憲宗皇帝(李純)の仏骨を迎えたのに反対して、「仏骨を論ずる表」をたてまつったため、皇帝の激怒を買い、刑部侍郎(刑法をつかさどる役所の次官)から、潮州(今の広東省潮川市)の刺史(州の長官)に転任させられたことをいう。藍関は、藍田関。首都長安から東南にあたる藍田縣(今の陝西省藍田県)の峡谷にある。長安から華中華南へ行く山越えの街道にあたっていた。

 

韓愈が潮州刺史に発令されたのが正月十四日、その日にさっそく出発している。この年正月十四日は、太陽暦では二月十二日になるから、彼れが藍田関に分け入ったとき、雪が深く積もっていたことは、十分想像できる。

 

〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕

姪孫は、兄弟の孫。湘は、その名。韓湘(794-未詳)は、韓愈の次兄韓介の孫、十二郎韓老成(未詳-803年)の子である。長慶三年(823年)進士になった。
神仙の術を学んだといわれ、八仙の一人に数えられている。この詩は、潮州へ流され行く途中、藍田関についたとき、韓湘に示した詩であって、韓愈五十二歳、元和十四年(
819年)正月(旧暦)十四日から二三日のうちの作である。

 

一封朝奏九重天,夕貶潮州路八千。 

朝に上奏文を一通、九重おく深い天子さまの宮居にたてまつった。すると夕べには八千里も路程のある潮州に流されることになった。

一封 一通の上奏。封は、封事。天子に上奏する文は、秘密を保つため、黒い袋に封じこまれてたてまつられたので、封事といった。ここは、「仏骨を論ずる表」をさす。

奏 天子に進言する。

九重天 天子の住む宮殿。天子の門が九つあり、また天が九重であるとされ、天子を天に此するところからいう。

夕貶 朝奏とあって、夕貶と受けるように、この時の韓愈に対する処分は、非常にすみやかであった。・貶:官位を下げられること。

潮川路八干 潮州は、韓愈の未達された土地。八千は、八千里(1km=0.576m約四千キロメートル)、韓愈はあっちに寄り、こっちに寄るために倍くらいの距離を移動しているもの。唐代の地理を書いた「元和郎県志」にょれは、長安から潮州まで、直線五千六百二十五里(3,240km)で、八千里まではない。旅程を述べる『通典』によれば七千六百六十七里とされていることから、この表示は正確なものであったのである。

 

欲為聖朝除弊事,肯將衰朽惜殘年。 

聖明な天子さまのために悪弊を除きたいと思えばこそで、衰えはてた身なのに、今さら老いぼれの年を惜しもうとは思わない。

聖明 聖明な天子。憲宗皇帝をさす。聖明は、天子の徳についていうことばで、その道はどこにでも通じ、その明は至るところを照らすことをいう。

弊事 弊害のある事。わるい事。ここは、仏舎利を宮中に迎えることをいう。韓愈は仏教徒になった皇帝は、短命で不運であるということで、仏舎利塔を宮殿内に作るのに反対した「佛骨を論ずる表」を上奏した。《論佛骨表》(1)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <884  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3404韓愈詩-227-1

肯 承知する。妥協する。ここは、反語で、何とかして……しようとなどは思わない、という意。

衰朽 年老いてからだのおとろえていること。

殘年 老いぼれの年。残は、盛りをすぎで、くずれようとする状態をいう。単なる残りというのとは、少こし語感がちがう。敗残というときの残が、よく感じを表わしている。

 

雲橫秦嶺家何在,雪擁藍關馬不前。 

雲は秦嶺山脈にたなびき、わたしの家はどこにあるかもう分からない、雪は藍田関をうずめつくして、わたしの馬は進まない。

秦嶺 終南山を中心とする秦嶺山脈。長安の南側の連山。

家何在 自分の住んでいたなつかしい家がどこにあるだろうか。雲がおおいかくして見えない。

擁 ふさいでまもっている。

応有意 当然何かつもりがあってのことにちがいない。応は、当然をあらわす助辞。

 

知汝遠來應有意,好收吾骨瘴江邊。 

おまえがはるばるやって来たのはきっと何かのつもりあってのことだとわたしには分かる、それならわたしの骨を瘴気たちこめる大江のほとりでとり収めてくれればよいのだ。

好収 収めるがよい。好は、そうした処置(ここでは収)を喜ぶ気持ちを表わすことば。

瘴江 病気をおこすという蒸気の立つ川。特別の川をさすのではなかろう。瘴は、嶺南・華南の高温多湿によって生ずる風土病をひろくいう。
nat0003 

《晉公破賊回重拜台司,以詩示幕中賓客,愈奉和》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <847>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3219韓愈詩-219

韓愈《晉公破賊回重拜台司,以詩示幕中賓客,愈奉和》裴度相公は南、蔡州を征しこの度、凱旋して華山の東に差しかかると、勅書が夜到着し、第一の戦功を賞されて、昇進の御沙汰があった。

 

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《晉公破賊回重拜台司,以詩示幕中賓客,愈奉和》韓愈

(韓退之) Ⅱ中唐詩 <847  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3219韓愈詩-219

 

 

作者: 韓愈  817  元和十二年  50 

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

詩題: 晉公破賊回重拜台司,以詩示幕中賓客,愈奉和 

作地點: 桃林(都畿道 / 陜州 / 桃林

及地點: 華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳     

交遊人物:裴度

書信往來:都畿道 陜州 桃林

 

 

晉公破賊回重拜台司,以詩示幕中賓客,愈奉和

(裴度相公、晉國公は呉元濟という賊を征伐し、晉國公に封じられ、台司と名付られた。裴度相公が帰朝され、宰相に復帰され、詩を作り、賓客に示された。その詩に唱和してこの詩を奉った。)

南伐旋師太華東,天書夜到冊元功。

裴度相公は南、蔡州を征しこの度、凱旋して華山の東に差しかかると、勅書が夜到着し、第一の戦功を賞されて、昇進の御沙汰があった。

將軍舊壓三司貴,相國新兼五等崇。

裴度相公は先に将軍としては、開府儀同を貴きをも圧し、この度、あらたに相國となっては、五等爵の最上に列せられた。

鵷鷺欲歸仙仗裡,熊羆還入禁營中。

かくて、幕府の僚佐は鵷鷺の行列を整えて朝廷なる仙仗のうちに帰着せんとし、引き具したる熊羆の勇士共は、やがて、もとの禁營にはいるであろう。

長慚典午非材職,得就閒官即至公。

菲才、予(韓愈)のごときは、一時、行軍司馬ににんぜられたが、もとこの身にかなった官職でもなく、したがってこのような功績がなかったときには、まことに慚愧とおもうところで、幸いに何か、閒官に転任されたならば、至極公平のお沙汰であるのである。つまり、裴度相国の栄進を賀するにつけて、驥尾に付する自己の無能が、いよいよ恥ずかしく思われるのである。

 

(晉公賊破って回えり重ねて台司を拜し,詩を以て幕中賓客に示さる,愈奉和す。)

南伐 師を旋【かえ】す太華の東,天書 夜に到り 元功を冊す。

將軍 舊【もと】三司の貴さを壓し,相國 新たに五等の崇を兼ねる。

鵷鷺【あんう】仙仗の裡に歸らんと欲し,熊羆【ゆうひ】還た入禁營中。

長く慚ず 典午の材職に非ざるを,閒官に就くを得ば 即ち至公。

 

 

晉公破賊回重拜台司,以詩示幕中賓客,愈奉和』 現代語訳と訳註

(本文)

晉公破賊回重拜台司,以詩示幕中賓客,愈奉和

南伐旋師太華東,天書夜到冊元功。

將軍舊壓三司貴,相國新兼五等崇。

鵷鷺欲歸仙仗裡,熊羆還入禁營中。

長慚典午非材職,得就閒官即至公。

 

 

(下し文)

(晉公賊破って回えり重ねて台司を拜し,詩を以て幕中賓客に示さる,愈奉和す。)

南伐 師を旋【かえ】す太華の東,天書 夜に到り 元功を冊す。

將軍 舊【もと】三司の貴さを壓し,相國 新たに五等の崇を兼ねる。

鵷鷺【あんう】仙仗の裡に歸らんと欲し,熊羆【ゆうひ】還た入禁營中。

長く慚ず 典午の材職に非ざるを,閒官に就くを得ば 即ち至公。

 

 

(現代語訳)

(裴度相公、晉國公は呉元濟という賊を征伐し、晉國公に封じられ、台司と名付られた。裴度相公が帰朝され、宰相に復帰され、詩を作り、賓客に示された。その詩に唱和してこの詩を奉った。)

裴度相公は南、蔡州を征しこの度、凱旋して華山の東に差しかかると、勅書が夜到着し、第一の戦功を賞されて、昇進の御沙汰があった。

裴度相公は先に将軍としては、開府儀同を貴きをも圧し、この度、あらたに相國となっては、五等爵の最上に列せられた。

かくて、幕府の僚佐は鵷鷺の行列を整えて朝廷なる仙仗のうちに帰着せんとし、引き具したる熊羆の勇士共は、やがて、もとの禁營にはいるであろう。

菲才、予(韓愈)のごときは、一時、行軍司馬ににんぜられたが、もとこの身にかなった官職でもなく、したがってこのような功績がなかったときには、まことに慚愧とおもうところで、幸いに何か、閒官に転任されたならば、至極公平のお沙汰であるのである。つまり、裴度相国の栄進を賀するにつけて、驥尾に付する自己の無能が、いよいよ恥ずかしく思われるのである。

 

 

(訳注)

晉公破賊回重拜台司,以詩示幕中賓客,愈奉和

(裴度相公、晉國公は呉元濟という賊を征伐し、晉國公に封じられ、台司と名付られた。裴度相公が帰朝され、宰相に復帰され、詩を作り、賓客に示された。その詩に唱和してこの詩を奉った。)

・晉公 817817日郾城にいたって破り、おおよその賊を抑えたが、間隙をついて、1011日裴度の管轄、配下でなかった唐鄧節度使李愬が呉元濟を束縛した。同年12月、晉國公に封ぜられ、台司と名付けられる。

・破賊 蔡州の呉元濟を征伐したこと。

・拜台司 晉國公に封じられたこと。

 

南伐旋師太華東,天書夜到冊元功。

裴度相公は南、蔡州を征しこの度、凱旋して華山の東に差しかかると、勅書が夜到着し、第一の戦功を賞されて、昇進の御沙汰があった。

・南伐 蔡州の呉元濟を征伐したこと。

・旋師 軍隊と共に凱旋する。

・太華 華山、長安に凱旋する際に目指す山であること。

・天書 天子の御沙汰。勅書。

 

將軍舊壓三司貴,相國新兼五等崇。

裴度相公は先に将軍としては、開府儀同を貴きをも圧し、この度、あらたに相國となっては、五等爵の最上に列せられた。

・三司貴 開府儀同の貴きことをいう。

・五等崇 五等爵(公候伯子男)の最上に列せられたこと。

 

鵷鷺欲歸仙仗裡,熊羆還入禁營中。

かくて、幕府の僚佐は鵷鷺の行列を整えて朝廷なる仙仗のうちに帰着せんとし、引き具したる熊羆の勇士共は、やがて、もとの禁營にはいるであろう。

・鵷鷺 朝廷の官僚の行列。

・仙仗 仙人の杖。ここでは朝廷を仙界としているので、施政を行うことを示す。

・熊羆 宮殿警護の兵士。近衛兵。

・禁營 天子の宮殿警護の軍隊。近衛軍営。

 

長慚典午非材職,得就閒官即至公。

菲才、予(韓愈)のごときは、一時、行軍司馬ににんぜられたが、もとこの身にかなった官職でもなく、したがってこのような功績がなかったときには、まことに慚愧とおもうところで、幸いに何か、閒官に転任されたならば、至極公平のお沙汰であるのである。つまり、裴度相国の栄進を賀するにつけて、驥尾に付する自己の無能が、いよいよ恥ずかしく思われるのである。

・典午 行軍司馬。

・閒官 暇な職、自分の役職についての謙譲語。

・至公 きわめて公平な態度をとること。

奉和庫部盧四兄曹長元日朝廻 韓愈(韓退之) <187>Ⅱ中唐詩802 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2994

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2013年9月16日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html    
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。    
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。    
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 

 

奉和庫部盧四兄曹長元日朝廻 韓愈(韓退之) <187>Ⅱ中唐詩802 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2994

 

 

卷別: 卷三四三  文體: 七言律詩 

詩題: 奉和庫部盧四兄曹長元日朝回〔案:盧汀也。〕 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

交遊人物: 盧汀 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

詩文:

奉和庫部盧四兄曹長元日朝回

(庫部をつかさどる盧汀曹長が「元日朝回」の詩に唱和した詩を奉る。)

天仗宵嚴建羽旄,春雲送色曉雞號。 

天子を守る衛兵は夜になって出御の近づいたことを告げる太鼓を鳴らして、羽の旗を掲げている。春の雲に変わり草木の萌える臭いが広がると夜明けを告げる鶏が元気に叫んでいる。

金爐香動螭頭暗,玉珮聲來雉尾高。 

黄金に飾られた香炉に香煙がくゆり、宮殿へつづく竜の頭に飾られた欄干の足元は暗い。宮殿に揃う者たちの佩び玉の音が響き、雉尾の扇は おごそかに高い。

戎服上趨承北極,儒冠列侍映東曹。 

儀仗衛兵の指揮官は天子の前に進み出て朝廷の左右内外の平安を奏上する。朝廷の文官は列を整え、東側に居並ぶ。

太平時節難身遇,郎署何須歎二毛。 

此れだけの太平の世はありがたくいただくものである。郎中のいる役所にはどういうことか嘆くことの表れである白髪頭がそろっているという。

 

庫部盧四兄曹長の「元日朝より回える」に和し奉る。

天仗【てんじょう】 宵嚴【しょうげん】にして羽旄【うぼう】を建つ,春雲 色を送って曉雞 號【さけ】ぶ。 

金爐【きんろ】香 動いて 螭頭【ちとう】暗く,玉珮【ぎょくはい】聲來って 雉尾【ちび】高し。 

戎服【じゅうふく】上趨【じょうすう】して北極を承け,儒冠【じゅかん】列侍して 東曹に映ず。

太平の時節 身 遇い難し,郎署【ろうしょ】何ぞ須いむ 二毛を歎ずるを。  

DCF00212 

 

『奉和庫部盧四兄曹長元日朝回』現代語訳と訳註

(本文)

奉和庫部盧四兄曹長元日朝回

天仗宵嚴建羽旄,春雲送色曉雞號。 

金爐香動螭頭暗,玉珮聲來雉尾高。 

戎服上趨承北極,儒冠列侍映東曹。 

太平時節難身遇,郎署何須歎二毛。 

 

 

詩文(含異文)

天仗宵嚴建羽旄,春雲送色曉雞號。

金爐香動螭頭暗,玉珮聲來雉尾高。

戎服上趨承北極,儒冠列侍映東曹。

太平時節難身遇【太平時節身難遇】,郎署何須歎二毛。 

 

(下し文)

庫部盧四兄曹長の「元日朝より回える」に和し奉る。

天仗【てんじょう】 宵嚴【しょうげん】にして羽旄【うぼう】を建つ,春雲 色を送って曉雞 號【さけ】ぶ。 

金爐【きんろ】香 動いて 螭頭【ちとう】暗く,玉珮【ぎょくはい】聲來って 雉尾【ちび】高し。 

戎服【じゅうふく】上趨【じょうすう】して北極を承け,儒冠【じゅかん】列侍して 東曹に映ず。

太平の時節 身 遇い難し,郎署【ろうしょ】何ぞ須いむ 二毛を歎ずるを。  

 

 

(現代語訳)

(庫部をつかさどる盧汀曹長が「元日朝回」の詩に唱和した詩を奉る。)

天子を守る衛兵は夜になって出御の近づいたことを告げる太鼓を鳴らして、羽の旗を掲げている。春の雲に変わり草木の萌える臭いが広がると夜明けを告げる鶏が元気に叫んでいる。

黄金に飾られた香炉に香煙がくゆり、宮殿へつづく竜の頭に飾られた欄干の足元は暗い。宮殿に揃う者たちの佩び玉の音が響き、雉尾の扇は おごそかに高い。

儀仗衛兵の指揮官は天子の前に進み出て朝廷の左右内外の平安を奏上する。朝廷の文官は列を整え、東側に居並ぶ。

此れだけの太平の世はありがたくいただくものである。郎中のいる役所にはどういうことか嘆くことの表れである白髪頭がそろっているという。
 

kairo10680 

 


(訳注)

奉和庫部盧四兄曹長元日朝回

(庫部をつかさどる盧汀曹長が「元日朝回」の詩に唱和した詩を奉る。)

・奉和庫都塵四兄曹長元日朝唱 底本巻九。

・庫部 戎器・幽簿・儀仗を司る官。ここは庫部員外郎の略。員外郎は課長ぐらいにあたる。

・盧四 慮汀のこと。字は雲夫、四は排行である。

・曹長 唐代には尚書丞郎をこう称した。員外部は院長とよぶ。碑愈は盧汀とはたびたび唱和していて、他の詩では院長とよんでいる。この詩を作ったときも院長とよぶべきだが、それを曹長とよんでいるのほ、あるいは盧汀が昇叙の内命をうけていたためであるかもしれない。

 

天仗 宵嚴 建羽旄 ,春雲 送色 曉雞

天子を守る衛兵は夜になって出御の近づいたことを告げる太鼓を鳴らして、羽の旗を掲げている。春の雲に変わり草木の萌える臭いが広がると夜明けを告げる鶏が元気に叫んでいる。

・天仗 天子の儀杖衛兵。

・宵餃 宵は夜。厳は天子の出御の時の近づいたことを知らす大鼓。

・羽旄 羽かざりのついた旗。

 

 

金爐 香動 螭頭 ,玉珮 聲來 雉尾

黄金に飾られた香炉に香煙がくゆり、宮殿へつづく竜の頭に飾られた欄干の足元は暗い。宮殿に揃う者たちの佩び玉の音が響き、雉尾の扇は おごそかに高い。

・螭頭 角のない竜の頭。欄干などの飾りの形をいう。

・雉尾 キジの尾でつくった大きな団扇。

 

 

戎服 上趨 承北極 ,儒冠 列侍 東曹

儀仗衛兵の指揮官は天子の前に進み出て朝廷の左右内外の平安を奏上する。朝廷の文官は列を整え、東側に居並ぶ。

・戎服 武官。ここは衛兵の指揮官である金吾将軍をさすもののようである。

・上趨承北極 天子の前に進み出て朝廷の左右内外の平安を奏上する。

・儒冠 文官。

・映東曹 東側に屏ならぶ。

 

 

太平 時節 身遇 ,郎署 何須 二毛

此れだけの太平の世はありがたくいただくものである。郎中のいる役所にはどういうことか嘆くことの表れである白髪頭がそろっているという。

・部署 郎中のいる役所。この詩を作ったとき韓愈は考功郎中だった。漢の顔駟という人は不遇で、白髪になってもまだ郎中より上の役に昇れなかったという故事をふまえ、自分を含めた中郎の者が白髪だらけである。韓愈のユーモア表現である。

・二毛 白髪。

 miyajima0033221107930

戲題牡丹 韓愈(韓退之) <155>Ⅱ中唐詩734 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2654

韓愈(韓退之) 《戲題牡丹》一叢の牡丹の花々が幸いに同時に開き、どちらがどっちの花なのか看てはっきりしない、花はたがいに倚っていっぱいにさくはなをきそい、たたかいをするのはこれ見よがしに人を誇るにも及ばないことなのだ。


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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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戲題牡丹 韓愈(韓退之) <155>Ⅱ中唐詩734 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2654


作年: 元和十年  815年  48歲 
卷別: 卷三四三  文體: 七言律詩 
詩題: 戲題牡丹 


戲題牡丹
幸自同開俱隱約,何須相倚鬥輕盈。
一叢の牡丹の花々が幸いに同時に開き、どちらがどっちの花なのか看てはっきりしない、花はたがいに倚っていっぱいにさくはなをきそい、たたかいをするのはこれ見よがしに人を誇るにも及ばないことなのだ。
陵晨併作新妝面,對客偏含不語情。
暁から早い時間には、あわせて新らしいお化粧を凝らしたような顔色をしている。客に対して物言わぬところに、無限の情思をふくんでいる。
雙燕無機還拂掠,遊蜂多思正經營。
二羽、二羽で飛び交うつばめはしかるべき機会もないが、それでも、時あってこれを拂いかすめる。こちらの花に飛びかう蜂は情けの心が多くあり、せっせと花の蜜を吸い取っている。
長年是事皆拋盡,今日欄邊暫眼明。
牡丹は派手でにぎやかな花ではあるが、老年になると、そんなことには格別異にとどめるものではなく、すべて放棄をしているのではあるが、今日、高楼横の欄干のあたりにこの花を見ると、暫時目がはっきりするような気がした。
戲れに牡丹に題す
幸に自ら同じく開いて俱に隱約【いんやく】し,何ぞ須いむ 相い倚って輕盈【けいえい】と鬥わすを。
晨を陵いで 併せて新妝【しんしょう】の面を作し,客に對して 偏えに語らざるの情を含む。
雙燕 機無く 還た拂掠【ふつりょう】し,遊蜂【ゆうほう】思い多く 正に經營す。
長年 是の事 皆拋【なげう】ち盡す,今日 欄邊【らんべん】 暫く眼明らかなり。


『戲題牡丹』 現代語訳と訳註
(本文)
幸自同開俱隱約,何須相倚鬥輕盈。
陵晨併作新妝面,對客偏含不語情。
雙燕無機還拂掠,遊蜂多思正經營。
長年是事皆拋盡,今日欄邊暫眼明。


(下し文)
戲れに牡丹に題す
幸に自ら同じく開いて俱に隱約【いんやく】し,何ぞ須いむ 相い倚って輕盈【けいえい】と鬥わすを。
晨を陵いで 併せて新妝【しんしょう】の面を作し,客に對して 偏えに語らざるの情を含む。
雙燕 機無く 還た拂掠【ふつりょう】し,遊蜂【ゆうほう】思い多く 正に經營す。
長年 是の事 皆拋【なげう】ち盡す,今日 欄邊【らんべん】 暫く眼明らかなり。


(現代語訳)
一叢の牡丹の花々が幸いに同時に開き、どちらがどっちの花なのか看てはっきりしない、花はたがいに倚っていっぱいにさくはなをきそい、たたかいをするのはこれ見よがしに人を誇るにも及ばないことなのだ。
暁から早い時間には、あわせて新らしいお化粧を凝らしたような顔色をしている。客に対して物言わぬところに、無限の情思をふくんでいる。
二羽、二羽で飛び交うつばめはしかるべき機会もないが、それでも、時あってこれを拂いかすめる。こちらの花に飛びかう蜂は情けの心が多くあり、せっせと花の蜜を吸い取っている。
牡丹は派手でにぎやかな花ではあるが、老年になると、そんなことには格別異にとどめるものではなく、すべて放棄をしているのではあるが、今日、高楼横の欄干のあたりにこの花を見ると、暫時目がはっきりするような気がした。


(訳注)
戲題牡丹
庭に咲くボタンの花を詠じたものである。


幸自 同開 俱 隱約 ,何須 相倚 鬥 輕盈 。
一叢の牡丹の花々が幸いに同時に開き、どちらがどっちの花なのか看てはっきりしない、花はたがいに倚っていっぱいにさくはなをきそい、たたかいをするのはこれ見よがしに人を誇るにも及ばないことなのだ。
「隱約」①簡単な言葉のうちに奥深い意味をこめていること。 ②はっきりと見わけにくい・こと(さま)。
「何須」どういうようにして用いるのだろうか。
「輕盈」輕重(輕)。 かろやかにいっぱいになる。


陵晨 併作 新妝 面 ,對客 偏含不語 情 。
暁から早い時間には、あわせて新らしいお化粧を凝らしたような顔色をしている。客に対して物言わぬところに、無限の情思をふくんでいる。
「陵晨」明け方はやい時間。
「新妝」新しい化粧をする。


雙燕 無機 還拂掠 ,遊蜂 多思 正經營 。
二羽、二羽で飛び交うつばめはしかるべき機会もないが、それでも、時あってこれを拂いかすめる。こちらの花に飛びかう蜂は情けの心が多くあり、せっせと花の蜜を吸い取っている。


長年 是事 皆拋盡 ,今日 欄邊 暫 眼明 。
牡丹は派手でにぎやかな花ではあるが、老年になると、そんなことには格別異にとどめるものではなく、すべて放棄をしているのではあるが、今日、高楼横の欄干のあたりにこの花を見ると、暫時目がはっきりするような気がした。
「欄邊」高楼横の欄干のあたり。

廣宣上人頻見過 韓愈(韓退之) <150>Ⅱ中唐詩729 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2629

韓愈(韓退之) 《廣宣上人頻見過》三百日、六旬の長きにわたって乱れて落ち着かない状態であった。干ばつで風雨がこちらには向ってこず、即ちちりやほこりまみれになった。


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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

廣宣上人頻見過 韓愈(韓退之) <150>Ⅱ中唐詩729 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2629



作年: 元和九年  814年  47歲 
卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 
詩題: 廣宣上人頻見過 
寫作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 
--------------------------------------------------------------------------------
 
廣宣上人頻見過
(廣宣上人は頻繁に通り過ぎるを見る。)
三百六旬長擾擾,不衝風雨即塵埃。
三百日、六旬の長きにわたって乱れて落ち着かない状態であった。干ばつで風雨がこちらには向ってこず、即ちちりやほこりまみれになった。
久慚朝士無裨補,空愧高僧數往來。
久しく朝廷の勢力争いで切り合いをし、助けたり補ったりするもの飛なかった。高い僧侶である上人何もできず空しく恥じ入るばかりで、ただ右往左往するばかりであった。
學道窮年何所得,吟詩竟日未能迴。
学問や道利の勉強は歳がおさまるまで何の得るところもないものであった。それでも、こうして詩を吟じあい日がな一日を能くやり過ごす以外になかったのである。
天寒古寺遊人少,紅葉窗前有幾堆。
寒さが天から降りてきてこの古い寺には集まってくる人も少なくなった。高陽になった木々の葉は窓の前に掃き手が居ないのでうず高く堆積している。
 

『廣宣上人頻見過』 現代語訳と訳註
(本文)
sora001三百六旬長擾擾,不衝風雨即塵埃。
久慚朝士無裨補,空愧高僧數往來。
學道窮年何所得,吟詩竟日未能迴。
天寒古寺遊人少,紅葉窗前有幾堆。


(下し文)
(廣宣上人が頻りに過るを見る。)
三百 六旬も 長き 擾擾たり,風雨衝わず 即ち塵埃なり。
久しく朝士慚り裨補する無し,空しく高僧往來を數するを愧ず。
學道 窮年 何んぞ所得,詩を吟じ竟日 未だ能く迴らず。
天寒 古寺 遊人少く,紅葉 窗前 幾堆有る。


(現代語訳)
(廣宣上人は頻繁に通り過ぎるを見る。)
三百日、六旬の長きにわたって乱れて落ち着かない状態であった。干ばつで風雨がこちらには向ってこず、即ちちりやほこりまみれになった。
久しく朝廷の勢力争いで切り合いをし、助けたり補ったりするもの飛なかった。高い僧侶である上人何もできず空しく恥じ入るばかりで、ただ右往左往するばかりであった。
学問や道利の勉強は歳がおさまるまで何の得るところもないものであった。それでも、こうして詩を吟じあい日がな一日を能くやり過ごす以外になかったのである。
寒さが天から降りてきてこの古い寺には集まってくる人も少なくなった。高陽になった木々の葉は窓の前に掃き手が居ないのでうず高く堆積している。


(訳注)
廣宣上人頻見過
廣宣上人は頻繁に通り過ぎるを見る。
王涯も上人年を交わしている。前にあげた「王二十舍人が雪中に見て寄せるに酬いる。」と同時期の作品。
韓愈『酬王二十舍人雪中見寄』
三日柴門擁不開,階平庭滿白皚皚。
今朝蹋作瓊瑤跡,為有詩從鳳沼來。


三百 六旬 長 擾擾 ,不衝 風雨 即塵埃 。
三百日、六旬の長きにわたって乱れて落ち着かない状態であった。干ばつで風雨がこちらには向ってこず、即ちちりやほこりまみれになった。
「三百」三百日間。
「六旬」六旬。にかげつかん。
「擾擾」じょうじょう【擾擾】とは。意味や解説。[ト・タル][文][形動タリ]乱れて落ち着かないさま。ごたごたするさま。「文を求むる者、銭を乞う者、―として絶えざりき」


久慚 朝士 無 裨補 ,空愧 高僧 數 往來 。
久しく朝廷の勢力争いで切り合いをし、助けたり補ったりするもの飛なかった。高い僧侶である上人何もできず空しく恥じ入るばかりで、ただ右往左往するばかりであった。


學道 窮年 何所得 ,吟詩 竟日 未能 迴。
学問や道利の勉強は歳がおさまるまで何の得るところもないものであった。それでも、こうして詩を吟じあい日がな一日を能くやり過ごす以外になかったのである。
「竟日」一日。


天寒 古寺 遊人 少 ,紅葉 窗前 有 幾堆 。
寒さが天から降りてきてこの古い寺には集まってくる人も少なくなった。高陽になった木々の葉は窓の前に掃き手が居ないのでうず高く堆積している


--------------------------------------------------------------------------------
 
詩文(含異文):
三百六旬長擾擾【三十六旬長擾擾】,不衝風雨即塵埃。
久慚朝士無裨補【久為朝士無裨補】,空愧高僧數往來。
學道窮年何所得,吟詩竟日未能迴。
天寒古寺遊人少,紅葉窗前有幾堆。 

奉酬振武胡十二丈大夫 韓愈(韓退之) <149>Ⅱ中唐詩728 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2624

韓愈 《奉酬振武胡十二丈大夫》 共通して言えることは十分でもないのに過剰な寵愛を受けていることを羨慕し、それが朝廷を傾けることになるということである。その年の半分以上を自分かってな家臣どもが朝廷をたぎらせ混乱させるのである。


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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

奉酬振武胡十二丈大夫【案:胡証,河東人。元和九年,党項寇邊,以証有安邊才略,乃授振武軍節度使。】 韓愈(韓退之) <149>Ⅱ中唐詩728 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2624


作年: 元和九年  814年  47歲 
卷別: 卷三四三  文體: 七言律詩 
詩題: 奉酬振武胡十二丈大夫
【胡証,河東人。元和九年,党項寇邊,以証有安邊才略,乃授振武軍節度使。】 
寫作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 
寫及地點: 振武軍 (隴右道東部 鄯州 振武軍) 別名:振武     
交遊人物/地點: 胡証 書信往來(隴右道東部 鄯州 振武軍)
-------------------------------------------------------------------------------
 
詩文:
奉酬振武胡十二丈大夫
(振武軍節度使十二丈の胡証大夫の詩に酬い奉る詩)
傾朝共羨寵光頻,半歲遷騰作虎臣。
共通して言えることは十分でもないのに過剰な寵愛を受けていることを羨慕し、それが朝廷を傾けることになるということである。その年の半分以上を自分かってな家臣どもが朝廷をたぎらせ混乱させるのである。
戎旆暫停辭社樹,里門先下敬鄉人。
兵器や軍旗をかかげ、暫くの間休戦して、神殿とその周りの木々に辞すのである。吾韓愈門下の者は皆その郷里の人間を敬うのだ。
橫飛玉盞家山曉,遠蹀金珂塞草春。
門下の者は立派な盃を互いにやり取りをし明け方まで呑む。冬のあいだはそうしてすごし、春になれば遠くまで足を延ばし、金やめのう石をみつけ塞の草にも春が来た。
自笑平生誇膽氣,不離文字鬢毛新。

平生の時、自らほほえむのはどっしりと落ち着いた精神力をほこるのである。われわれは文字から離れられるものではなく、そして、鬢の毛もまた新たになっていくのである。

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『奉酬振武胡十二丈大夫』 現代語訳と訳註
(本文)
傾朝共羨寵光頻,半歲遷騰作虎臣。
戎旆暫停辭社樹,里門先下敬鄉人。
橫飛玉盞家山曉,遠蹀金珂塞草春。
自笑平生誇膽氣,不離文字鬢毛新。


(下し文)
振武 胡十二丈 大夫に酬い奉る
傾朝 共に羨【とも】しく寵光頻なり,半歲 遷た騰して虎臣を作す。
戎旆【じゅうはい】 暫く停り社樹を辭す,里門 先下して鄉人を敬う。
玉盞【ぎょくさん】を橫飛して 家山の曉,金珂を遠蹀【えんちょう】して 塞の草春。
平生を自笑しては 膽氣【たんき】を誇り,文字 鬢毛 新なるを離れず。


(現代語訳)
(振武軍節度使十二丈の胡証大夫の詩に酬い奉る詩)
共通して言えることは十分でもないのに過剰な寵愛を受けていることを羨慕し、それが朝廷を傾けることになるということである。その年の半分以上を自分かってな家臣どもが朝廷をたぎらせ混乱させるのである。
兵器や軍旗をかかげ、暫くの間休戦して、神殿とその周りの木々に辞すのである。吾韓愈門下の者は皆その郷里の人間を敬うのだ。
門下の者は立派な盃を互いにやり取りをし明け方まで呑む。冬のあいだはそうしてすごし、春になれば遠くまで足を延ばし、金やめのう石をみつけ塞の草にも春が来た。
平生の時、自らほほえむのはどっしりと落ち着いた精神力をほこるのである。われわれは文字から離れられるものではなく、そして、鬢の毛もまた新たになっていくのである。


(訳注)
奉酬振武胡十二丈大夫
(振武軍節度使十二丈の胡証大夫の詩に酬い奉る詩。)
・大夫 領地を持った貴族のこと
・振武軍 乾元元年[758年]方鎭表では振武軍節度押蕃落使が鎭北大都護府に置かれ領州は麟勝二州であった。
朔方節度使より分離したものであるが使名も不明で有り実体があったとは思えない。
領域は回紇に面したオルドス東北部の辺境である。
・廣徳2年[764年]方鎭表では振武節度使は廃止され朔方節度へ統合された。
・大暦14年[779年]5月振武軍節度使が置かれ鎭北大都護府綏銀二州東中受降城を領した。郭子儀引退後の麾下の諸将への分与であり、渾瑊が任ぜられたが、11月には崔寧が朔方鄜坊とともに管轄し留後張光晟が管理する体制になった。
正月振武軍乱は簡単に鎮圧され、牙軍のきままを抑える政策がとられた。
九月朝廷につかず離れずの態度を示していた淮西節度使呉少陽が死亡し、子の元濟が自立して反朝廷の態度を明らかにした。
十月忠武李光顔・荊南袁滋・山東嚴綬などに対淮西の配置が行われて、嚴綬を主将として征討が開始された。


 傾朝 共羨 寵光 頻,半歲 遷騰 作 虎臣 。
共通して言えることは十分でもないのに過剰な寵愛を受けていることを羨慕し、それが朝廷を傾けることになるということである。その年の半分以上を自分かってな家臣どもが朝廷をたぎらせ混乱させるのである。
「傾朝」語義類別:朝廷を人の行為によって傾けること。
「共羨」語義類別:人、情感詞(綜合情感)、正面情感(景仰羨慕)、羨。自分よりもよく見える他人のありさまを見て、自分もそのようになりたいと思う。 また、自分がそのようになれないのをくやしく思う。 【羨道】せんどう. 古墳など横穴式墳墓の、入り口から棺を置く部屋に至る道。 「えんどう」とも読む。 【羨慕】せんぼ. うらやみ、慕うこと。
「光」現象、光芒、光。
「虎臣」個利個略の家臣。


戎旆 暫停 辭 社樹 ,里門 先下 敬 鄉人 。
兵器や軍旗をかかげ、暫くの間休戦して、神殿とその周りの木々に辞すのである。吾が韓愈門下の者は皆その郷里の人間を敬うのだ。
「戎旆」兵器や軍旗。
「停」休戦。

「社樹」社1 神を祭る建物。神社。2 神の降臨する場所。物、生物、植物泛稱(木)、樹。
「門」韓愈のグループ門した。


橫飛 玉盞 家山 曉 ,遠蹀 金珂 塞草 春 。
門下の者は立派な盃を互いにやり取りをし明け方まで呑む。冬のあいだはそうしてすごし、春になれば遠くまで足を延ばし、金やめのう石をみつける様に詩を作り、そうして塞の草にも春が来たことを感じる。
「玉盞」たまうき。美しいりっぱなさかずき。
「金」金屬、金。
「珂」自然資源、玉石、珂。宝石の一種。めのうの白いもの。しろめのう。 くつわ貝。南海に産する白色の貝で、その殻を馬のくつわを飾るのに用いる。
「塞草」塞の季節を感じられるものとしての草。
「春」四時節氣、四季、春。


自笑 平生 誇 膽氣 ,不離 文字 鬢毛 新 。
平生の時、自らほほえむのはどっしりと落ち着いた精神力をほこるのである。われわれは文字から離れられるものではなく、そして、鬢の毛もまた新たになっていくのである。
「自笑」心を広く持つことによって不平不満のない生活をする意味での微笑。
「平生」平常。通常。
「膽」1 内臓器官の名。六腑の一。「胆汁・胆石・胆嚢(たんのう)/臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」2 どっしりと落ち着いた精神力。きもったま。
「氣」語義類別:人、狀態、心神氣力、氣。
「文字」文藝、文體、文字。
「鬢毛」耳ぎわの髪。また、頭髪の左右側面の部分。 びん【鬢】: [音]ビン(慣) 耳ぎわの髪の毛。「鬢髪/霜鬢・両鬢」; びん‐おや【鬢親】: 深除(ふかそ)ぎまたは鬢除(びんそ)ぎの日、髪や鬢の先を切り落とす役目の人。
桑畑

歎昨日三首其三 盧仝 詩<5>Ⅱ中唐詩510 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1609

 
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歎昨日三首其三 盧仝 詩<5>Ⅱ中唐詩510 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1609


卷388_7 《歎昨日三首》盧仝
歎昨日三首其一
昨日之日不可追,今日之日須臾期。
昨日は昨日の事で過ぎ去ってしまったもので追いかけて行くことはできない。今日のこの日はなんといっても約束の日で楽しみにしていたのに瞬く間に過ぎ去ってしまう。
如此如此複如此, 壯心死盡生鬢絲。
このようにし、こうであって、そしてまたこの通りで過ごすのである。若いころに思うことはいつの間にかなくなってしまいそれに代わって髪に白いものが生えてくるのである。
秋風落葉客腸斷,不辦鬥酒開愁眉。
秋風が吹けば紅葉して落葉していく旅人は故郷が恋しくて断腸の思いになるものだ。だから一斗の樽酒が悲愁に浸るこの胸の内を晴らすのである、それを分別を持つことはないのだ。
賢名聖行甚辛苦,周公孔子徒自欺。

賢者も聖人も酒を呑んだ故事はあるがその道を進むには辛苦がはなはだしくついてまわる。「周公を訪ねる」という孔子が夢で旦に教えを請うた故事から、夢に出なくなったといって自ら歎いたというではないか。

其二
天下薄夫苦耽酒,玉川先生也耽酒。
賢者は清談して呑むが天下の仁徳を重ねない浅い人間はただ酒にひたっているものだ。斯くいう私、玉川先生といわれているがその実さけにおぼれているだけなのだ。
薄夫有錢恣張樂,先生無錢養恬漠。
仁徳がない人はお金を以ているので快楽・享楽・悦楽を思いどおりにできる。私、玉川先生はお金を持っていないから恬淡な生活を心静かに過ごすのである。
有錢無錢俱可憐,百年驟過如流川。
お金があってもお金がないということもどちらも少しかわいそうなのだ。それは人生百年が過ぎてしまうのは川の水が流れて行くようなものであるからである。
平生心事消散盡,天上白日悠悠懸。
したがって、日ごろの心がけとして、小さなことからすべてのことを消し去ることである、天上にはいまも真昼の太陽があり、その光ははるか先の先までかかっているではないか。

其三
上帝板板主何物,日車劫劫西向沒。
天上にあって万物を主宰する者は道理に反して乱れた世において主とするものをどのようなものとするのだろうか。そのような世であっても太陽は意気ようようと西に向かいそして沈んでゆく。
自古賢聖無奈何,道行不得皆白骨。
いにしえから教えられることは賢者と成人がどんなにいたとしてもどうしようもできない。孝徳の道を進めていくのに為し得ず、結局はみんな白骨となってしまうではないか。
白骨土化鬼入泉,生人莫負平生年。
白骨はやがて土になっていきその魂は黄泉の国にはいっていくのだ。だから生きているものとしては分不相応に請け負わず、平常にこの日この時を繰り返しその年を過ごしていくことである。
何時出得禁酒國,滿甕釀酒曝背眠。

酒を思いのまま飲むことが出来ないこの世界から何時になったら脱出できるのであろうか、そして酒瓶をたくさん用意して、醸造したてのお酒でもって浴びるほどに飲みまくり背中をはだけて爆睡できるのだろうか。


其の一
昨日之日 追う可からず,今日 之日 須く期に臾【すす】む。
此如くと此如くして複た此の如し, 壯心 死盡して 鬢絲を生む。
秋風 落葉して客 腸斷し,鬥の酒 愁眉を開くを辦【わきま】えず 。
賢名し聖行するは辛苦に甚え,周公孔子は徒【いたずら】に自ら欺くのみ。

其の二
天下の薄夫 苦【はなは】だ酒に耽【ふ】けり,玉川先生 酒に耽【つか】る也。
薄夫 錢有りて樂を張るを恣【ほしいまま】にし,先生 錢無くして恬漠【てんばく】を養う。
錢有ると錢無きとは俱に憐れむ可し,百年驟【にわか】に過ぎて流るる川の如し。
平生の事を心して消散し盡し,天上の白日 悠悠として懸かれり。

其三
上帝 板板として主に何の物,日車 劫劫として西に向き沒す。
古え自り賢聖とは奈何とする無く,道行するは皆白骨となるを得ず。
白骨は土化して鬼 泉に入り,生人は平生の年となるを負う莫れ。
何時ぞ禁酒の國と得るを出んや,滿甕 釀酒は曝して背眠する。




『歎昨日三首、其三』 現代語訳と訳註
(本文) 其三
上帝板板主何物,日車劫劫西向沒。自古賢聖無奈何,
道行不得皆白骨。白骨土化鬼入泉,生人莫負平生年。
何時出得禁酒國,滿甕釀酒曝背眠。


(下し文) 其三
上帝 板板として主に何の物,日車 劫劫として西に向き沒す。
古え自り賢聖とは奈何とする無く,道行するは皆白骨となるを得ず。
白骨は土化して鬼 泉に入り,生人は平生の年となるを負う莫れ。
何時ぞ禁酒の國と得るを出んや,滿甕 釀酒は曝して背眠する。


(現代語訳)
天上にあって万物を主宰する者は道理に反して乱れた世において主とするものをどのようなものとするのだろうか。そのような世であっても太陽は意気ようようと西に向かいそして沈んでゆく。
いにしえから教えられることは賢者と成人がどんなにいたとしてもどうしようもできない。孝徳の道を進めていくのに為し得ず、結局はみんな白骨となってしまうではないか。
白骨はやがて土になっていきその魂は黄泉の国にはいっていくのだ。だから生きているものとしては分不相応に請け負わず、平常にこの日この時を繰り返しその年を過ごしていくことである。
酒を思いのまま飲むことが出来ないこの世界から何時になったら脱出できるのであろうか、そして酒瓶をたくさん用意して、醸造したてのお酒でもって浴びるほどに飲みまくり背中をはだけて爆睡できるのだろうか。


(訳注) 其三
上帝板板主何物,日車劫劫西向沒。
天上にあって万物を主宰する者は道理に反して乱れた世において主とするものをどのようなものとするのだろうか。そのような世であっても太陽は意気ようようと西に向かいそして沈んでゆく。
・上帝 天上にあって万物を主宰する者。天の神。天帝。また、地上の主宰者である天子。
・板板 板:天子の詔書。書物。バンギ。板板は乖。道理に反して乱れたさま。


自古賢聖無奈何, 道行不得皆白骨。
いにしえから教えられることは賢者と成人がどんなにいたとしてもどうしようもできない。孝徳の道を進めていくのに為し得ず、結局はみんな白骨となってしまうではないか。


白骨土化鬼入泉,生人莫負平生年。
白骨はやがて土になっていきその魂は黄泉の国にはいっていくのだ。だから生きているものとしては分不相応に請け負わず、平常にこの日この時を繰り返しその年を過ごしていくことである。
・鬼 死者の霊魂。靈神。


何時出得禁酒國,滿甕釀酒曝背眠。
酒を思いのまま飲むことが出来ないこの世界から何時になったら脱出できるのであろうか、そして酒瓶をたくさん用意して、醸造したてのお酒でもって浴びるほどに飲みまくり背中をはだけて爆睡できるのだろうか。


盧仝は酒を心行くまで呑みたいということはあるかもしれない。しかし、世を捨てた隠遁者にとって、腐敗頽廃の官僚、牛李の闘争、宦官の陰謀など政治に関心がない、それから逃避しているのである。
酒を呑み、泥酔をすることで体制批判をした竹林の七子を意識して酒を題材にしているのである。当時は直接的な政治批判はできるものではなく、儒教、文芸復古、などを唱えつつ批判に変えたのである。

中唐詩-266 答張十一功曹 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29

答張十一功曹 韓愈-<29>

この803年の事件(通説では7月観察御史に任ぜられ、間もなく京兆尹李実を弾劾したが、逆にわずか2カ月で流罪となったものである。この弾劾自体は個人攻撃というものでなく、不作・凶作期の徴税方法について見識を示したものである)で3人流罪にとき流された張署という人があった。これは都に近い武功の尉から監察御史となっていたが、やはり流罪の処分を受けて臨武に流されることとなった。ほかにも一人が別の土地へ流されており、同時に監察御史が三人も流罪となったのだから、何かあったことは確実である。ただ、歴史的事実で不明な点が多い場合の原因は宦官が関係していることが多い。この段階になって、宦官勢力は、軍隊の中枢にまで触角をひろげていた。(ただ、翌年には流罪は説かれている)

 湖南省を南から北へと流れて縦断する湘江をかなり源流に近くなったあたりに臨武があり、そこから山越えをして、陽山に行き着く。二つの町のあいだは、直線距離にすればたいしたことはないが、五嶺山脈によって、互いに隔絶されている。配所へ行くのに、韓愈と張署とは別々にずらされてが赴任したのだが、先に臨武に到着してい張署と詩を交換したのである。


答張十一功曹
山淨江空水見沙,哀猿啼處兩三家。
(湘江の最上流部にきたようだ)山はきよらかであかるい、江川にはまったく人影もない、水は少ないので川砂の堆積がある。ここでも悲しげに猿が啼くあたりに、二、三軒の家が見えている。
篔簹競長纖纖笋,躑跼閑開豔豔花。
この地方特産の篔簹の竹はあちこちにわれがちに細い筍をのばしている、つつじは静かに美しい花を咲かせている。
未報恩波知死所,莫令炎瘴送生涯。
いまだに天子のご恩にまだ報いていないので、死に場所は心得ていてここでは死ねない。瘴癘の地に特有の暑さと瘴病の毒気のなかで、一生を終わらせてはならないのだ。
吟君詩罷看雙鬓,鬥覺霜毛一半加。

君から送ってきた詩を吟じ終えてわが両の鬢を見れば、白髪が半ばまで数を一気に増したのに気づくのである。

(張十一功菅に答う)
山浄く江空しくして水は沙を見【あら】わす、哀猿【あいえん】啼く処 両三家。
篔簹【いんとう】競いて長ず纖纖【せんせん】たる笋【たけのこ】、躑躅【てきしょく】閑かに開く豔豔【えんえん】たる花。
未だ恩波【おんは】を報ぜず死所を知る、炎瘴をして生涯を送らしむること莫かれ。
君が詩を吟じ罷【お】わりて双鬢【そうびん】を看れば、斗【たちま】ち覚ゆ霜毛の一半加わるを。

韓愈の地図01

現代語訳と訳註
(本文)
答張十一功曹
山淨江空水見沙,哀猿啼處兩三家。
篔簹競長纖纖笋,躑跼閑開豔豔花。
未報恩波知死所,莫令炎瘴送生涯。
吟君詩罷看雙鬓,鬥覺霜毛一半加。


(下し文) (張十一功菅に答う)
山浄く江空しくして水は沙を見【あら】わす、哀猿【あいえん】啼く処 両三家。
篔簹【いんとう】競いて長ず纖纖【せんせん】たる笋【たけのこ】、躑躅【てきしょく】閑かに開く豔豔【えんえん】たる花。
未だ恩波【おんは】を報ぜず死所を知る、炎瘴をして生涯を送らしむること莫かれ。
君が詩を吟じ罷【お】わりて双鬢【そうびん】を看れば、斗【たちま】ち覚ゆ霜毛の一半加わるを。


(現代語訳)
(湘江の最上流部にきたようだ)山はきよらかであかるい、江川にはまったく人影もない、水は少ないので川砂の堆積がある。ここでも悲しげに猿が啼くあたりに、二、三軒の家が見えている。
この地方特産の篔簹の竹はあちこちにわれがちに細い筍をのばしている、つつじは静かに美しい花を咲かせている。
いまだに天子のご恩にまだ報いていないので、死に場所は心得ていてここでは死ねない。瘴癘の地に特有の暑さと瘴病の毒気のなかで、一生を終わらせてはならないのだ。
君から送ってきた詩を吟じ終えてわが両の鬢を見れば、白髪が半ばまで数を一気に増したのに気づくのである。

韓愈の地図03

(訳注)
山淨江空水見沙,哀猿啼處兩三家。

(湘江の最上流部にきたようだ)山はきよらかであかるい、江川にはまったく人影もない、水は少ないので川砂の堆積がある。ここでも悲しげに猿が啼くあたりに、二、三軒の家が見えている。
山淨 山は汚れていない。きよい、澄んでいる,清くあかるい。○江空 川には人影もなく。○水見沙 水は少なくて川砂が現われている。


篔簹競長纖纖笋,躑躅閑開豔豔花。
この地方特産の篔簹の竹はあちこちにわれがちに細い筍をのばしている、つつじは静かに美しい花を咲かせている。
篔簹 竹の名前。偃竹。蘇軾「篔簹谷偃竹記」から。(竹の絵を描くとき、胸中にその構図を描いたのち始める意から)前もって立てている計画。十分な見通しということに使っている。○躑躅 つつじ。あしをとめる。またたたずむこと。ゆきつもどりつする。通常「躑跼」をつかう。○閑開 しずかにひらく。○豔豔花 つややかな花。あでやかな花。つつじのはな。華。


未報恩波知死所,莫令炎瘴送生涯。
いまだに天子のご恩にまだ報いていないので、死に場所は心得ていてここでは死ねない。瘴癘の地に特有の暑さと瘴病の毒気のなかで、一生を終わらせてはならないのだ。
炎瘴 瘴癘の地 湿熱の気候風土によって起こる熱病や皮膚病。


吟君詩罷看雙鬓,鬥覺霜毛一半加。
君から送ってきた詩を吟じ終えてわが両の鬢を見れば、白髪が半ばまで数を一気に増したのに気づくのである。
霜毛一半加 白髪が半ばまで数を増した。韓愈数えの37歳である。中国において、若白髪は、自分の思いとは違った行動をとる場合の情況を白髪に喩える常套句である。韓愈は、35歳で歯が落ち始め、37歳で白髪頭になったということではない。詩的表現と見る。ただし、歯については、残り20本と具体的に示しているので詩的表現ではなかろう。


●張十一功曹」とは、前に名をあげた張署のことである。この詩は臨武に流された張署から愈のもとに送られてきた詩に答えたもので、署の詩も現在残っている。●署にこんな所で死ぬなといっているのは、愈自身のここでは死なないぞという決意を表わしたものである。●この詩は張署が先に配所に着いていて、あとから臨武を通りかかった韓愈に、面会は許されないので、詩を贈答して友情を確かめあった。韓愈が陽山に着いたのは804貞元二十年の2月であった。

中唐詩239 征婦怨 Ⅷ 張籍<3> 紀頌之の漢詩ブログ

中唐詩239 征婦怨 Ⅷ 張籍<3> 紀頌之の漢詩ブログ

汴州の科挙の地方試験の試験官をしていた韓愈に世話になっている。汴州の乱の後、心配して韓愈を訪ね、一カ月も語り明かしている。乱のこと、友人のこと詩にしたものが『此日足可惜贈張籍』(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)である。
此日足可惜贈張籍 唐宋詩-207Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-7-#1


張籍は、中唐の詩人。字は文昌。和州(かしゅう)烏江(安徽省和県)の人。師友の韓愈に目をかけられ、その推薦によって、国子博士となった。楽府に長じている。賈島・孟郊などと唱和して古詩をよくし、盟友の王建とともに七言楽府に優れた作品を発表して「張王」と併称された。名詩人になろうとして、杜甫の詩集を焼いてその灰に膏蜜を混ぜて飲んだという逸話がある。表現は平易だが、世相の矛盾を指摘することは鋭く、白居易から「挙世(いまのよ)には其の倫(たぐい)少なし」と評せられ、後輩の姚合より「古風は敵手なく、新語は是れ人ぞ知る」と称えられた。中唐楽府運動の重要な担い手であり、白居易・元稹とともに「元和体」を形成した。『張司業詩集』8巻がある。


征婦怨  張籍

夫が出征して、取り残された妻の歎きの歌。

九月匈奴殺邊將,漢軍全沒遼水上。
晩秋九月になると、匈奴は辺境守備の将兵を殺して南下し、中原を目指してくる。漢の軍勢は、全て関外の遼河の湿地、平原に没してしまった。
萬里無人收白骨,家家城下招魂葬。
遥かに遠い万里の先に戦士の白骨は収める人が無いのでそのまま残されている。どこの家々でも城壁の外へ出て、死んだ兵士の衣服を振って魂を招いて葬儀をするだけなのだ。
婦人依倚子與夫,同居貧賤心亦舒。
結婚した婦人は、子と夫とに拠り所としている。貧しくつつましくいきなければいけない身分であっても、共に生活をするだけで、心は穏やかになる。
夫死戰場子在腹,妾身雖存如晝燭。

夫が戦場に死んでも、その子が我が腹の中にいる。我が身は生きながらえているといっても、昼間にともした燭のような余分なものでしかない。


征婦怨      

九月 匈奴【きょうど】邊將を殺し,漢軍 全て沒ぼっす 遼水れうすいの上ほとりに。
萬里の白骨 收【おさむ】る人無く,家家 城下に  招魂【しょうこん】して葬す。
婦人は 子と夫【おっと】とに依倚【いい】し,貧賤【ひんせん】なるも同居すれば 心も亦また 舒【の】ぶ。
夫【おっと】 戰場に死するも子 腹に在り,妾身【しょしん】 存りと雖いへども晝の燭の如し。



現代語訳と訳註
(本文) 征婦怨
九月匈奴殺邊將,漢軍全沒遼水上。
萬里無人收白骨,家家城下招魂葬。
婦人依倚子與夫,同居貧賤心亦舒。
夫死戰場子在腹,妾身雖存如晝燭。


(下し文) 征婦怨
九月 匈奴【きょうど】邊將を殺し,漢軍 全て沒ぼっす 遼水れうすいの上ほとりに。
萬里の白骨 收【おさむ】る人無く,家家 城下に  招魂【しょうこん】して葬す。
婦人は 子と夫【おっと】とに依倚【いい】し,貧賤【ひんせん】なるも同居すれば 心も亦また 舒【の】ぶ。
夫【おっと】 戰場に死するも子 腹に在り,妾身【しょしん】 存りと雖いへども晝の燭の如し。


(現代語訳)
夫が出征して、取り残された妻の歎きの歌。
晩秋九月になると、匈奴は辺境守備の将兵を殺して南下し、中原を目指してくる。漢の軍勢は、全て関外の遼河の湿地、平原に没してしまった。
遥かに遠い万里の先に戦士の白骨は収める人が無いのでそのまま残されている。どこの家々でも城壁の外へ出て、死んだ兵士の衣服を振って魂を招いて葬儀をするだけなのだ。
結婚した婦人は、子と夫とに拠り所としている。貧しくつつましくいきなければいけない身分であっても、共に生活をするだけで、心は穏やかになる。
夫が戦場に死んでも、その子が我が腹の中にいる。我が身は生きながらえているといっても、昼間にともした燭のような余分なものでしかない。


(訳注)
征婦怨

夫が出征して、取り残された妻の歎きの歌。
征婦 出征兵士の妻。出征兵士の妻の歎き。


九月匈奴殺邊將、漢軍全沒遼水上。
晩秋九月になると、匈奴は辺境守備の将兵を殺して南下し、中原を目指してくる。漢の軍勢は、全て関外の遼河の湿地、平原に没してしまった。
九月 秋は7,8,9月で9月は晩秋。天高く馬肥ゆる秋(匈奴の軍馬の体調ができあがり、中原進出に最適な気候の晴れわたった秋)のことをいう。○匈奴 西北方の強大な遊牧・騎馬民族で、伝統的に駿馬を生産した。紀元前五世紀から紀元五世紀にかけて活躍し、首長を単于と称する。フン族。○邊將 国境を守る将軍。○漢軍 漢民族の軍隊。また、漢の帝室の軍隊。ここでの「漢」は前出「匈奴」に対して使われ、西北の強大な民族・「匈奴」と、それに対抗する中国の「漢民族」の意で使われている。○沒 このあたりは平原で大きな湿地があり、その場所にしずむ。水中に入りきりになる。おぼれる。○遼水【りょうすい】遼河【りょうが】のことで渤海国と国境線を画す位置付けにあった。回紇東部と渤海国西部の平野を貫いて流れる大河で河口は唐の領域で三か国にまたがる川であった。現在では内モンゴル自治区に源を発し、遼寧省を南西に流れて現遼東湾に注ぐ。拘柳河ともいう。地図に示す通り河北道に位置する。○上 ほとり。
王建『渡遼水』
渡遼水,此去咸陽五千里。
來時父母知隔生,重著衣裳如送死。
亦有白骨歸咸陽,營家各與題本鄕。
身在應無回渡日,駐馬相看遼水傍。 

8世紀唐と周辺国00

萬里無人收白骨、家家城下招魂葬。
遥かに遠い万里の先に戦士の白骨は収める人が無いのでそのまま残されている。どこの家々でも城壁の外へ出て、死んだ兵士の衣服を振って魂を招いて葬儀をするだけなのだ。
○萬里 広大な範囲を形容する。 ○無人 …をする人がいない。 ○ しまう。おさめる。 ○白骨 風雨に晒(さら)されて白くなった骨。李白『戰城南』
去年戰桑乾源,今年戰葱河道。
洗兵條支海上波,放馬天山雪中草。
萬里長征戰,三軍盡衰老。
匈奴以殺戮爲耕作,古來唯見白骨黄沙田。
秦家築城備胡處,漢家還有烽火然。
烽火然不息,征戰無已時。
野戰格鬪死,敗馬號鳴向天悲。
烏鳶啄人腸,銜飛上挂枯樹枝。
士卒塗草莽,將軍空爾爲。
乃知兵者是凶器,聖人不得已而用之。
戦城南 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白175

家家 どこの家も。家ごとに。○城下 城の下。城の周辺。城壁の外。○招魂 死者の魂を呼びかえす。北方に向かって死者の衣を振り、三度その名を呼んで魂を招いた。死者を弔う。


婦人依倚子與夫、同居貧賤心亦舒。
結婚した婦人は、子と夫とに拠り所としている。貧しくつつましくいきなければいけない身分であっても、共に生活をするだけで、心は穏やかになる。 
○婦人 嫁入りした女。士の妻。○依倚 よりかかる。たよる。たよりにする。○同居 一つの家族がいっしょに住む。○貧賤 貧しいと身分が卑しいと。貧しく卑しい。○【じょ】 おだやか。のんびり。ゆっくり。また、のべる。ここは、おだやかの意。


夫死戰場子在腹、妾身雖存如晝燭。
夫が戦場に死んでも、その子が我が腹の中にいる。我が身は生きながらえているといっても、昼間にともした燭のような余分なものでしかない。
子在腹 子どもが腹の中にいる。○妾身 わたし(女性自身)の体。○雖存 生きながらえているものの。○晝燭 余計な物、余分な物の譬喩。役に立たない物の譬喩。
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無題(萬里風波一葉舟)  李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 125

無題(萬里風波一葉舟)  李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 125


無 題
萬里風波一葉舟、憶歸初罷更夷猶。
ここ荊州を通ると、はるか万里のかなたから吹き寄せる風と波、そこに一枚の木の葉のような舟がうかぶ。ふるさとに帰えろうと思いはじめて職を辞すことにしたが、この風と波は故郷に帰ることにもとどめようとするのか。
碧江地没元相引、黄鶴沙邊亦少留。
青く流れる長江は大地の果てに没するまで流れ行き、否応なくこの小舟を引き寄せる。恩返しをした黄鶴にちなんで建てられた黄鶴楼の磯、水辺に鶴の群が戯れていてしばしわたしを引き留め、故事、いにしえのことを思わせる。
益徳冤魂終報主、阿童高義鎮横秋。
ここ長江のほとりで非業の死を遂げた張飛は、死んでなお君主の恩に報いた、呉の天敵阿童の名を持つ王濬は、長江を下って呉を討伐した、気高い正義はとこしえに秋季をつつむ気のなかにこころに在り続ける。
人生豈得長無謂、懐古思郷共白頭。

わたしの人生、いつまでも無意味であってよいはずがない。いにしえの英傑をなつかしみ、ふるさとを思い出させる、その二つの思いがかさなりあったので私の髪を白くするのだ。


無 題
万里の風波 一葉の舟、帰る を 憶い 初めて罷むも更に夷猶(いゆう)。
碧江 地に没して 元と相(あい)引き、黄鶴 沙辺 亦(また)少しく留(とどむ)。
益徳の冤魂(えんこん) 終(つい)に主に報い、阿童(あどう)の高義(こうぎ) 鎮(つね)に秋に横たわる。
人生 豈(あに) 長(とこしえ)に謂われ無き を 待んや、古(いにしえ)を懐い 郷を思いて共に白頭。


無題(萬里風波一葉舟) 現代語訳と訳註
(本文)
無 題
萬里風波一葉舟、憶歸初罷更夷猶。
碧江地没元相引、黄鶴沙邊亦少留。
益徳冤魂終報主、阿童高義鎮横秋。
人生豈得長無謂、懐古思郷共白頭。


(下し文)
万里の風波 一葉の舟、帰る を 憶い 初めて罷むも更に夷猶(いゆう)。
碧江 地に没して 元と相(あい)引き、黄鶴 沙辺 亦(また)少しく留(とどむ)。
益徳の冤魂(えんこん) 終(つい)に主に報い、阿童(あどう)の高義(こうぎ) 鎮(つね)に秋に横たわる。
人生 豈(あに) 長(とこしえ)に謂われ無き を 待んや、古(いにしえ)を懐い 郷を思いて共に白頭。

(現代語訳)
ここ荊州を通ると、はるか万里のかなたから吹き寄せる風と波、そこに一枚の木の葉のような舟がうかぶ。ふるさとに帰えろうと思いはじめて職を辞すことにしたが、この風と波は故郷に帰ることにもとどめようとするのか。
青く流れる長江は大地の果てに没するまで流れ行き、否応なくこの小舟を引き寄せる。恩返しをした黄鶴にちなんで建てられた黄鶴楼の磯、水辺に鶴の群が戯れていてしばしわたしを引き留め、故事、いにしえのことを思わせる。
ここ長江のほとりで非業の死を遂げた張飛は、死んでなお君主の恩に報いた、呉の天敵阿童の名を持つ王濬は、長江を下って呉を討伐した、気高い正義はとこしえに秋季をつつむ気のなかにこころに在り続ける。
わたしの人生、いつまでも無意味であってよいはずがない。いにしえの英傑をなつかしみ、ふるさとを思い出させる、その二つの思いがかさなりあったので私の髪を白くするのだ。


(訳注)
萬里風波一葉舟、憶歸初罷更夷猶。
ここ荊州を通ると、はるか万里のかなたから吹き寄せる風と波、そこに一枚の木の葉のような舟がうかぶ。ふるさとに帰えろうと思いはじめて職を辞すことにしたが、この風と波は故郷に帰ることにもとどめようとするのか。
一葉舟 厳しい風波に弄ばれる小舟。「万里」と「一葉」 の数の対比によって新しいことへの意気込みを李商隠らしく述べる。青雲とか一切使わない。 
荊門西下 李商隠 
一夕南風一葉危、荊門廻望夏雲時。
人生豈得軽離別、天意何曾忌嶮巇。
骨肉書題安絶徼、蕙蘭蹊径失佳期。
洞庭湖濶蛟龍悪、却羨楊朱泣路岐。
では「南風で一葉の小舟が危い」とある。

荊門西下 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ特集 57
夷猶 躊躇すること、ぐずぐずすることであるが、決して,後悔する悪い意味ではない。『楚辞』九歌・湘君に「君行かずして夷猶す」とあり、王逸注に「夷猶は猶予なり」とある。南斉、謝朓、「棹を輟めて子、夷猶す」にもとづいている。
盛唐、王維「汎前陂」も同様に使う。
秋空自明迥,況復遠人間。
暢以沙際鶴,兼之雲外山。
澄波澹將夕,清月皓方閑。
此夜任孤櫂,夷猶殊未還。(この夜孤櫂に任せて夷猶殊に還らず)


碧江地没元相引、黄鶴沙邊亦少留。
青く流れる長江は大地の果てに没するまで流れ行き、否応なくこの小舟を引き寄せる。恩返しをした黄鶴にちなんで建てられた黄鶴楼の磯、水辺に鶴の群が戯れていてしばしわたしを引き留め、故事、いにしえのことを思わせる。
黄鶴 江夏(現在の湖北省武漢市武昌地区)の黄鶴(鵠)磯に在った楼の名。
黄鶴伝説 『列異伝』 に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。 ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。
岸辺の砂浜に自在に遊ぶ黄鶴は次の張飛を連想させていく。


益徳冤魂終報主、阿童高義鎮横秋。
ここ長江のほとりで非業の死を遂げた張飛は、死んでなお君主の恩に報いた、呉の天敵阿童の名を持つ王潜は、長江を下って呉を討伐した、気高い正義はとこしえに秋季をつつむ気のなかにこころに在り続ける。
益徳 三国・筍の張飛の字。「冤魂」は非業の死を遂げた者の魂。張飛は配下の武将の手によって業半ばで殺された、また、全戦全勝の武将であるのに身分差別に不当な仕打ちを受けたことが李商隠と重なる。死んだのちに劉備に報いた話もある。○阿童 晋の将軍王濬の幼名。呉の国で「阿童復た阿童、刀を銜みて浮きて江を渡る。岸上の獣を畏れざるも、水中の龍を畏る」という童謡が流れた。呉にとって恐ろしいのは阿竜という名の人物と龍であると知った晋では、阿童を幼名とする王潜を龍驤将軍に任じ、呉の討伐を命じた(『晋書』五行志、また羊相伝)。○ 永遠に。○横秋秋の空に張りつめる。南斉・孔稚珪「北山移文」(『文選』巻四三)に「風の情は目に張り、霜の気は秋に横たわる」。


人生豈得長無謂、懐古思郷共白頭。
わたしの人生、いつまでも無意味であってよいはずがない。いにしえの英傑をなつかしみ、ふるさとを思い出させる、その二つの思いがかさなりあったので私の髪を白くするのだ。
○無謂 無意味。



○詩型 七言律詩。
○押韻 舟、猶。留。秋。頭。


(解説) 
官を辞して、郷里に向かう舟の中で李商隠らしく、自己の評価を正当にできないことに対して、一言言い残す。唐王朝の中で、自分の持っているものを生かせはしないのだ。自分だけでなく、唐王朝は、あまたの顕官を失ったことか、奸臣だけが生き延びていく場でしかないのか。長江を下りながらその地にまつわる過去の英雄たちの気高い正義は、いつまでも消えはしない。自分の作る詩歌もいつまでも残ってほしいと、詩人としての矜持をもって生きていくことを決心したのだ、しかし、間もなく詩人としても終わりを告げるのである。


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随師東 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 112

随師東 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 112


随師東
東征日調萬黄金、幾竭中原買鬪心。
東方征伐のために毎日、万金の黄金を調達している、中原の財源が底を突いてまでも兵士たちの戦意を金に飽かせて買ったのだ。
軍令未聞誅馬謖、捷書唯是報孫歆。
しかし軍令を犯し「泣いて馬謖を斬る」ほどの厳正な規律は耳にしたことはない、勝利の報というのはまだ生きていた孫歓の首級をあげたなど、偽りのもばかりなのだ。
但須鸑鷟巢阿閣、豈暇鴟鴞在泮林。
今求められているのは、鳳凰にも比せられる人物が開かれた朝廷に集まることではあるが、鴟鴞のごとき奸臣、宦官を教化する、そんなゆとりはあるというのか。
可惜前朝玄菟郡、積骸成弄陣雲深。
せっかく漢王朝が開いた玄菟郡の地ではないか、戦死者の積み重なった遺骸が草むらのようにうずたかい墳墓になり、戦の雲行は天下どこでも垂れこめているのだ。



随師東す

東征 日に調す 万黄金、幾ど中原を竭して闘心を買う。

軍令 末だ聞かず 馬謖を課するを、捷書 唯だ是れ孫を報ず。

但だ鸑鷟(がくさく)の阿閣に巣くうを須つ、豈 鴟林に在るに暇あらんや。

惜しむべし 前朝の玄菟郡、積骸 を成して陣雲深し。





随師東 現代語訳と訳註 解説

(本文)
東征日調萬黄金、幾竭中原買鬪心。
軍令未聞誅馬謖、捷書唯是報孫歆。
但須鸑鷟巢阿閣、豈暇鴟鴞在泮林。
可惜前朝玄菟郡、積骸成弄陣雲深。
  
(下し文)
東征 日に調す 万黄金、幾ど中原を竭して闘心を買う。
軍令 末だ聞かず 馬謖を課するを、捷書 唯だ是れ孫歆を報ず。
但だ鸑鷟(がくさく)の阿閣に巣くうを須つ、豈 鴟鴞の泮林に在るに暇あらんや。
惜しむべし 前朝の玄菟郡、積骸 莾を成して陣雲深し。
  
(現代語訳)
東方征伐のために毎日、万金の黄金を調達している、中原の財源が底を突いてまでも兵士たちの戦意を金に飽かせて買ったのだ。
しかし軍令を犯し「泣いて馬謖を斬る」ほどの厳正な規律は耳にしたことはない、勝利の報というのはまだ生きていた孫歓の首級をあげたなど、偽りのもばかりなのだ。
今求められているのは、鳳凰にも比せられる人物が開かれた朝廷に集まることではあるが、鴟鴞のごとき奸臣、宦官を教化する、そんなゆとりはあるというのか。
せっかく漢王朝が開いた玄菟郡の地ではないか、戦死者の積み重なった遺骸が草むらのようにうずたかい墳墓になり、戦の雲行は天下どこでも垂れこめているのだ。


  
(語訳と訳註)
○随師東
 隋軍の高句麗征伐に借りて時局を批判するということと同時に「師に随いて東したがす」と読み、李商隠が829年大和三年、天平節度使令狐楚に従って郵州(山東省東平県)に赴いた時、瘡州(河北省瘡県)で戦乱のあとを目略したことをうたったということで、李商隠は明確にしない方法をとった。いずれにしても王朝批判であり、の対象として、横海節度使李全略の死後、子の李同捷がそのまま居座ったのに対して、官軍の攻撃が827年大和元年に始まって829年大和三年に至ってようやく李同捷を諌伐し瘡州を奪還した、当時の事件をあげる。この時のことを詩にしたものが

漫成五章 其四 紀頌之の漢詩商隠特集150- 107
にいう、石雄のことである。


東征日調萬黄金、幾竭中原買鬪心。
東方征伐のために毎日、万金の黄金を調達している、中原の財源が底を突いてまでも兵士たちの戦意を金に飽かせて買ったのだ。
東征 煬帝は612年から614年にかけて三度にわたって高句麗を攻めるが挫折、以後江南に移り、隋は崩壊に向かった。〇日調万黄金 毎日、大金を費やしたこと。○ ほとんど。

隋宮 kanbuniinkai紀頌之の漢詩李商隠特集 49


軍令未聞誅馬謖、捷書唯是報孫歆。
しかし軍令を犯し「泣いて馬謖を斬る」ほどの厳正な規律は耳にしたことはない、勝利の報というのはまだ生きていた孫歓の首級をあげたなど、偽りのもばかりなのだ。
馬謖(ば しょく、190年 - 228年)は、後漢末期から三国時代にかけて蜀の武将。第一次北伐の際、彼に戦略上の要所である街亭(甘粛省安定県)の守備を命じた(街亭の戦い)。諸葛亮は道筋を押さえるように命じたが、馬謖はこれに背き山頂に陣を敷いてしまう。副将の王平はこれを諫めたが、馬謖は聞き入れようとしなかった。その結果、張郃らに水路を断たれ山頂に孤立し、蜀軍は惨敗を喫する。翌5月に諸葛亮は敗戦の責任を問い、馬謖を処刑した。諸葛亮はこの為に涙を流し、これが後に「泣いて馬謖を斬る」と呼ばれる故事となった○捷書 勝利を知らせる報告書。捷は勝利。○孫歆 そんかん三国・呉の都督(軍司令官)。この句には「呉を平らぐるの役に、歆を得たりと上言す、呉平らぐも、孫は尚お在り」という原注がある。王隠の『晋書』(『太平御覧』巻三九一)に、晋が呉を討った際、晋の将王濬(おうしん)が孫歆の首を討ち取ったと手柄を誇ったが、そのあとから生け捕りにされた孫歆の身柄を杜預が送ってきたので、王濬は洛中の笑いものになったという。
 

但須鸑鷟巢阿閣、豈暇鴟鴞在泮林。
今求められているのは、鳳凰にも比せられる人物が開かれた朝廷に集まることではあるが、鴟鴞のごとき奸臣、宦官を教化する、そんなゆとりはあるというのか。
鸑鷟(がくさく) 鳳凰の一種。『禽経』 の張華の注に 「鳳の小なる者は鷺鷺と口う」。すぐれた人物を比喩する。○阿閣 四方にひさしがそりあがった楼閣。ここでは朝廷を指すが、あずまや作りの樓閣を言うので、宦官たちの陰湿を排除した開かれた朝廷を示す。○鴟鴞 しきょう(鴟梟)はふくろうの一種。残虐な鳥。好臣を比喩する。○泮林 西周の諸侯の学問所を泮宮といい、そのかたわらの樹林のこと。鴞という悪鳥が教化され、魯侯伯禽が准夷を帰順させたことをたたえるもの。ここでも逆賊を教化させる意。


可惜前朝玄菟郡、積骸成弄陣雲深
せっかく漢王朝が開いた玄菟郡の地ではないか、戦死者の積み重なった遺骸が草むらのようにうずたかい墳墓になり、戦の雲行は天下どこでも垂れこめているのだ。
玄菟郡 漢の武帝の時、朝鮮の地に置いた四つの郡の一つ。吉林省の北朝鮮国境に近い地域。隋の高句麗遠征における戦場。○積骸成葬 積み重なった遺骸が草むらのようにうずたかい。○陣雲 戦の雲行は天下どこでも殺気に満ちた雲がある。潘鎮、節度使が君王化して、どこで反乱がおこってもおかしくない状況になっている。



(解説)
○詩型 七言律詩。
・押韻 金・心・款・林・深


隋・煬帝(ようだい)の高句麗遠征失敗を題材とする詠史詩の体裁を取りながらも、李商隠の時代のすべての体制にほころびがあること、それを攻撃的な筆致により批判している。唐王朝は滅亡のスパイラルの中でひしめいていたのだ。この詩は、そのため歴史に借りながら、時局に批判をぶつけた政治詩である。唐代後半は節度使が各地に居坐って朝廷に反抗し、潘鎮は地方の君王化し、官軍との攻防が続いて唐王朝の滅亡に至るのである。それは40年後、黄巢の乱を引き起こしてからはじまるのである。李商隠の詩はほとんどのものが政治批判の詩なのだ。
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正月崇譲宅 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 110

正月崇譲宅 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 110


正月崇譲宅
密鎖重關掩緑苔、廊深閣迥此徘徊。
失脚中の家は固く閉ざされた幾重もの門があり、手入れもなされずその内側一面縁の苔におおわれている。奥深く続く回廊、遥かにそびえる楼閣から見られているかもしれない、しかし、ここに立ち入るためには人目を避けて行ったり、戻ったりするのである。
先知風起月含暈、尚自露寒花未開。
風が立ち初めたと思えば、やはり月はかさをかぶっている。自分たちが正しいということは理解しあっている、しかしまだ露は冷たくて花を開かせるにはいたっていないのだ。
蝙拂簾旌終展轉、鼠翻窗網小驚猜。
こうもりが絹の御簾に当たる音のように小石を投げられたりするので、いつまでも寝れなくて寝返りを繰り返す、ねずみが網戸に飛び跳ねる音にさえ身を震わすありさまなのだ。
背燈獨共餘香語、不覺猶歌起夜來。
灯火を暗くして一人、あの人の残り香に語りかけてみたり。気がつけば今も口をついて出てくる「起夜来」(李派の人が夜やってくるので起きておく)の調べ。


正月 崇譲(そうじょう)の宅

密かに重関(じゅうかん)を鎖(とざ)し縁苔(りょくたい)掩う、廊深く 閣 迥かにして此こに徘徊す。

先に 風の起こるを 知りて 月 暈(かさ)を含み、尚自(しょうじ) 露寒くして 花 末だ開かず。

蝙は簾旌を払いて終に展転し、鼠は窓網に翻りて小しく驚猜す。

燈を背(そむ)けて独り余香と語り、覚えず猶お歌う 起夜来。




正月崇譲宅
(本文)

密鎖重關掩緑苔、廊深閣迥此徘徊。
先知風起月含暈、尚自露寒花未開。
蝙拂簾旌終展轉、鼠翻窗網小驚猜。
背燈獨共餘香語、不覺猶歌起夜來。

(下し文)
正月 崇譲(そうじょう)の宅
密かに重関(じゅうかん)を鎖(とざ)し縁苔(りょくたい)掩う、廊深く 閣 迥かにして此こに徘徊す。
先に 風の起こるを 知りて 月 暈(かさ)を含み、尚自(しょうじ) 露寒くして 花 末だ開かず。
蝙は簾旌を払いて終に展転し、鼠は窓網に翻りて小しく驚猜す。
燈を背(そむ)けて独り余香と語り、覚えず猶お歌う 起夜来。

(現代語訳)
失脚中の家は固く閉ざされた幾重もの門があり、手入れもなされずその内側一面縁の苔におおわれている。奥深く続く回廊、遥かにそびえる楼閣から見られているかもしれない、しかし、ここに立ち入るためには人目を避けて行ったり、戻ったりするのである。
風が立ち初めたと思えば、やはり月はかさをかぶっている。自分たちが正しいということは理解しあっている、しかしまだ露は冷たくて花を開かせるにはいたっていないのだ。

こうもりが絹の御簾に当たる音のように小石を投げられたりするので、いつまでも寝れなくて寝返りを繰り返す、ねずみが網戸に飛び跳ねる音にさえ身を震わすありさまなのだ。
灯火を暗くして一人、あの人の残り香に語りかけてみたり。気がつけば今も口をついて出てくる「起夜来」(李派の人が夜やってくるので起きておく)の調べ。



(訳註)

正月崇譲宅
○崇譲宅 「崇譲」は洛陽の坊の名。そこに李商隠の岳父、河陽節度使王茂元の居宅があった。「七月二十九日崇譲宅の宴の作」と題する七律もある。通説で、これが妻を追悼する詩という解釈は何遍読み返しても、わたしは追悼に読めない。こんな追悼があり得るのか。
 
密鎖重關掩緑苔、廊深閣迥此徘徊。
失脚中の家は固く閉ざされた幾重もの門があり、手入れもなされずその内側一面縁の苔におおわれている。奥深く続く回廊、遥かにそびえる楼閣から見られているかもしれない、しかし、ここに立ち入るためには人目を避けて行ったり、戻ったりするのである。
重関 何重もの門。○緑苔 苔が生えていることは、訪れる人もないことのしるし。○徘徊 人目を避けている様子で、一つ所を行きつ戻りつする。牛李の闘争は続いており、李派の重鎮であった妻の実家王氏には人目を忍んではいる必要があったのであろう。


先知風起月含暈、尚自露寒花未開。
風が立ち初めたと思えば、やはり月はかさをかぶっている。自分たちが正しいということは理解しあっている、しかしまだ露は冷たくて花を開かせるにはいたっていないのだ。
先知 李派は徹底的に追い詰められていたこと。 風起月含暈 月にかさが掛かると風が吹く、いろんな出来事があり、李派が盛り返そうとするがやはりだめなのである。月にと暈がかかるように取り込まれてしまってどうしようもない。月に暈がかかると風雨が起こることを比喩している。○尚自 自分を尊ぶ。○露寒 情勢が不利であることを比喩する。 ○花未開 クーデターは起こせないことを比喩している


蝙拂簾旌終展轉、鼠翻窗網小驚猜。
こうもりが絹の御簾に当たる音のように小石を投げられたりするので、いつまでも寝れなくて寝返りを繰り返す、ねずみが網戸に飛び跳ねる音にさえ身を震わすありさまなのだ。
簾旌 絹で縁取りしたすだれ。○展転 眠れぬままに寝返りを打つ。無題(何處哀筝随急管) 李商隠21○窓網 網戸。○驚猜 びっくりして何の音かと怪しむ。この句は、李書院が牛僧孺派からは忘恩の徒として激しい謗りを受けていて、そのいじめに対してびくついていることをあらわす。


背燈獨共餘香語、不覺猶歌起夜來。
灯火を暗くして一人、あの人の残り香に語りかけてみたり。気がつけば今も口をついて出てくる「起夜来」(李派の人が夜やってくるので起きておく)の調べ。
背燈 灯火を後ろ向きにして部屋を暗くする。中晩唐の頃から詩にあらわれ、これも詞にしきりに用いられる語。○余香 のこっている香り。李商隠の西亭 李商隠30 西亭に関する新解釈 ○起夜来 「起夜来」と題する楽府のこと。前の句が餘香語(余香と語り)であるから、起夜来(夜來るに起く)


解説

○詩型 七言律詩。
・押韻 禍・苔・開・清・来。



唐宮廷の官僚は、牛僧孺・李宗閔らを領袖とする科挙及第者の派閥と、李徳裕に率いられる門閥貴族出身者の派閥に分かれ、政争に明け暮れていた。いわゆる牛李の党争である。若き李商隠は、牛僧孺派の重鎮であった興元尹・山南西道節度使 令狐楚の庇護を受け、

837年、26歳 進士科に及第する。しかしながら同年に令狐楚が没し、翌年には上級試験にも落第すると、今度は李徳裕の派に属する太原公王茂元の招きに応じてその庇護下に入り、娘を娶った

839年、28歳王茂元の働きかけにより文人官僚のスタートとして最も理想的といわれる秘書省校書郎に任官されるも、牛僧孺派からは忘恩の徒として激しい謗りを受けることになった。以後も李商隠は、処世のために牛李両党間を渡り歩いたので変節奸と見なされ、厳しい批判を受けて官僚としては一生不遇で終わることとなる


839年 任官同年、早くも中央にいたたまれず、弘農県(河南省霊宝県南)の尉となって地方に出る。以後の経歴は、忠武軍節度使となった王茂元の掌書記、秘書省正字、桂管防禦観察使府掌書記、観察判官検校水部員外郎、京兆尹留後参軍事奏署掾曹、武寧軍節度使府判官(もしくは掌書記)、太学博士、東川節度使書記、検校工部郎中、塩鉄推官など、ほとんどが地方官の連続であり、中央にあるときも実職はなかった。端的に言えば干されたのである。また、さらにそれすらまっとうできずにたびたび辞職したり、免職の憂き目に遭っている。

842年 31歳 母を亡くす。

848年、37歳 

夜雨寄北 李商隠 漢詩ブログ李商隠特集 53
851年 40歳 妻王氏も喪っている。
李商隠1錦瑟
李商隠 5 登樂遊原
李商隠 3 聞歌
瑤池 李商隱 漢詩ブログ李商隠特集 52
李商隠 9 無題(相見時難別亦難) 題のない詩。
1. 道教の影響 2. 芸妓について 3. 李商隠 12 嫦娥
漢宮詞 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 63

858年 47歳 またも失職して郷里へ帰る途中、または帰り着いてまもなく病没した。享年47。


この詩は、
亡き妻をしのぶ悼亡の作に見せかけ自分の近況を歌にしている。李商隠の妻に対するものはほとんどが、牛李の闘争を示すものである。それを前提にすれば、難解な詩ではなくなる。
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當句有對 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 109

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當句有對 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 109

この詩は、王朝を傾けた様々な出来事を詠う、いわば李商隠王朝批判INDEXともいえる。語、句それぞれ李商隠の詩に基づいている。この詩については、最終回にもう一度詳しく取り上げる予定である。聯ごとに要約をつけた。


句有對
密邇平陽接上蘭、秦樓鴛瓦漢宮盤。
西王母を待つために秦の平陽宮は密接し、漢の上蘭観は隣接してけんせつした。不老長寿のため秦の楼閣には鴛駕の模様を施した甍が並び、漢の宮殿には薬を集める承露盤までつくられた。
池光不定花光亂、日気初涵露気乾。
池に映る光はゆらめき、池の光を受けて花の光も入り乱れる。日の昇る気配があたりでは浸すことを続けている、朝露が消えてゆくまでである。
但覚遊蜂饒舞蝶、豈知孤鳳憶離鸞。
池に映る光はゆらめき、池の光を受けて花の光も入り乱れる。日の昇る気配があたりでは浸すことを続けている、朝露が消えてゆくまでである。
三星自轉三山遠、紫府程遙碧落寛。

夜空の三つ星は自らも招いた行いのために逢うことすらできないことになってしまった。地に沈み、仙界の三山は遠く行き着けない。仙女の遊ぶ天界の紫府、そこへの道のりは遥けく、青い虚空が果てしなく拡がる。



句に当たりて対有り

平陽に密適し上蘭に接す、秦楼の鴛瓦 漢宮の盤。

池光定まらずして花光乱る、日気初めて涵し露気乾く。

但だ覚ゆ 遊蜂に舞蝶饒きを、豈に知らんや 孤鳳の離鸞を憶うを。

三星自ら転じて三山は遠し、紫府 程遥かにして碧落寛し。






當句有對 現代語訳と訳註 解説
(本文)

密邇平陽接上蘭、秦樓鴛瓦漢宮盤。
池光不定花光亂、日気初涵露気乾。
但覚遊蜂饒舞蝶、豈知孤鳳憶離鸞。
三星自轉三山遠、紫府程遙碧落寛。


(下し文)
平陽に密適し上蘭に接す、秦楼の鴛瓦 漢宮の盤。
池光定まらずして花光乱る、日気初めて涵し露気乾く。
但だ覚ゆ 遊蜂に舞蝶饒きを、豈に知らんや 孤鳳の離鸞を憶うを。
三星自ら転じて三山は遠し、紫府 程遥かにして碧落寛し。


(現代語訳)
西王母を待つために秦の平陽宮は密接し、漢の上蘭観は隣接してけんせつした。不老長寿のため秦の楼閣には鴛駕の模様を施した甍が並び、漢の宮殿には薬を集める承露盤までつくられた。
池に映る光はゆらめき、池の光を受けて花の光も入り乱れる。日の昇る気配があたりでは浸すことを続けている、朝露が消えてゆくまでである。
池に映る光はゆらめき、池の光を受けて花の光も入り乱れる。日の昇る気配があたりでは浸すことを続けている、朝露が消えてゆくまでである。
夜空の三つ星は自らも招いた行いのために逢うことすらできないことになってしまった。地に沈み、仙界の三山は遠く行き着けない。仙女の遊ぶ天界の紫府、そこへの道のりは遥けく、青い虚空が果てしなく拡がる。


(訳註)

○当句有対 いわゆる当句対。「密邇:接、平陽:上蘭」、「秦楼:漢宮、鴛瓦:盤」のように、一句のなかに対を持つ句作。一首のすべての句を当句対で仕立てるのはこれのみ。
 

(自己の不老長寿のための贅をつくし国を傾けた。)
密邇平陽接上蘭、秦樓鴛瓦漢宮盤。
西王母を待つために秦の平陽宮は密接し、漢の上蘭観は隣接してけんせつした。不老長寿のため秦の楼閣には鴛駕の模様を施した甍が並び、漢の宮殿には薬を集める承露盤までつくられた。
密邇平陽接上蘭
密邁 ぴったりつく。「遡」 は近い、近づく。『左氏伝』文公十七年に 「陳・祭の楚に密遡するを以てして、敢えて弐かざるは、則ち敵邑(我が国)の故なり」。杜預の注に 「密適は比近なり」。○平陽 平陽宮。秦の宮殿の名。次の句の 「秦楼」 に対応する。○上蘭 上蘭観。漢の上林園のなかにあった楼観の名。次の句の「漢宮」 に対応する。
秦樓鴛瓦漢宮盤
窯瓦 鴛駕の姿をかたどった瓦。○漢宮盤 漢の武帝が宮中に作った承露盤。仙人の銅像が捧げ持つ盤に不老長生のための玉露を受けるもの。

藥轉 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-85

漢宮詞 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 63



(ここは、宮女におぼれているさまを詠う。)
池光不定花光亂、日気初涵露気乾。
池に映る光はゆらめき、池の光を受けて花の光も入り乱れる。日の昇る気配があたりでは浸すことを続けている、朝露が消えてゆくまでである
池光不定花光亂 
池、光、花、乱、はすべて男女の交わりを示唆する語である。
〇日気初涵露気乾
日気 日が昇ろうとする時の気配。〇涵 液体や気体がじんわり拡がる。夜の情交を過ごして朝になること。乱れた風紀はずっと続いているのである。

宮詞 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 62


(王朝、宮殿の頽廃なさまを詠う)
但覚遊蜂饒舞蝶、豈知孤鳳憶離鸞。
蜂や蝶があちこちであまた番い、集い戯れるのは目に映ってくる、理不尽に切り裂かれ孤独な鳳が別離した鸞を慕い続けていることなど、気づかれもしない
但覚遊蜂饒舞蝶
遊蜂・舞蝶 男女を蜂と蝶に比喩する。○饒 多いの意。群れ集う蜂や蝶のように、楽しげにむつみ合う男女があまたいる。王朝末期の頽廃の有様を言う。 

蝿蝶鶏麝鸞鳳等 成篇 李商隠 -84

南朝 (南斉の武帝と陳の後主)李商隠 46

南朝(梁・元帝) 李商隠 47


○豈知孤鳳憶離鸞
孤鳳・離鷲 理不尽にも鳳と鸞も引き裂かれた男女の比喩。陽気につどう蜂・蝶と対比され、互いに思いながらも理不尽なことで一緒になれない男女。この意味の詩は李商隠にたくさんある。

漢宮詞 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 63



(こんな有様では仙界にはいけるものではない)
三星自轉三山遠、紫府程遙碧落寛。
夜空の三つ星は自らもまねいた行いのために逢うことすらできないことになってしまった。仙界の三山は遠く行き着けない。仙女の遊ぶ天界の紫府、そこへの道のりは遠のいてしまい、ぬけるような青い空が果てしなく拡がる。
〇三星日輪三山遠
三星
 オリオンの三つ星。中国での名は参(毛伝)。『詩経』唐風・綱膠に「三星 天に在り」。この句のあとに「今夕は何の夕ぞ、此の良人を見る」と続き、男女の出会いを予兆する星。それが「転」じたことは会う機会が失われたこと。〇三山 東海に浮かぶ蓬莱、方丈、濠洲の三つの神仙が住む山。「牡丹(圧径)」詩に「鸞鳳 三島に戯る」。
紫府 仙女のいる場所。無 題(紫府仙人號寶鐙) 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-93
碧落 道教で天空を指す語。

辛未七夕 李商隠


○詩型 七言律詩。
○押韻 蘭・盤・鸞・寛。


重有感 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 103

重有感 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 103


重有感
玉帳牙旗得上游、安危須共主分憂。
天子の陣幕を張りめぐらし節度使の将軍軍旗を立て、形勢有利な地を占める情勢である、この国の安危存亡の時、天子と一つにならねばならない憂慮せねはならぬことを分かつ段階ではないのだ。
竇融表巳東関右、陶侃軍宜次石頭。
謀叛軍征討を進言した竇融の進言というべき上書はすでに関右の地、この長安の都に届いていた。反乱平定に向かう陶侃の軍は石頭城に集結しように都のほど近くに集結すべきだ。
豈有蚊龍愁失水、更無鷹隼興高秋。
みずちの聖なる蚊龍が水から引き離されるように天子が宮殿を脱出するなどということなどあってはならないが、秋の空を悠然と飛んでいる猛禽の連中がまだ朝廷内にのこっている。
晝號夜哭兼幽顯、早晩星關雪涕収。

真昼の号泣、夜中の慟哭、死んだ者、殺された者も生きていても、ともに悲痛な状況なのだ。いつの日か、星に守られた皇宮を、涙をぬぐった我が手に収めたいと思うのだ。
  


重ねて感有り

玉帳 牙旗 上溝を得たり、安危 須く主と共に憂いを分かつべし。

竇融(とうゆう)の表は己に関右に来たり、陶侃(とうかん)の軍は宜く石頭に次(やど)るべし

豈に蚊龍の水を失うを愁うる有らんや、更に鷹隼(ようじゅん)の高秋を与にする無からんや

昼号夜哭 幽顕(ゆうけん)を兼ぬ、早晩か 星関 涕を雪(すす)ぎて収めん




重有感 現代語訳と訳注、解説

(本文)
重有感

玉帳牙旗得上游、安危須共主分憂。
竇融表巳東関右、陶侃軍宜次石頭。
豈有蚊龍愁失水、更無鷹隼興高秋。
晝號夜哭兼幽顯、早晩星關雪涕収。
  
(下し文)
重ねて感有り

玉帳 牙旗 上溝を得たり、安危 須く主と共に憂いを分かつべし。
竇融(とうゆう)の表は己に関右に来たり、陶侃(とうかん)の軍は宜く石頭に次(やど)るべし
豈に蚊龍の水を失うを愁うる有らんや、更に鷹隼(ようじゅん)の高秋を与にする無からんや
昼号夜哭 幽顕(ゆうけん)を兼ぬ、早晩か 星関 涕を雪(すす)ぎて収めん
  
(現代語訳)
天子の陣幕を張りめぐらし節度使の将軍軍旗を立て、形勢有利な地を占める情勢である、この国の安危存亡の時、天子と一つにならねばならない憂慮せねはならぬことを分かつ段階ではないのだ。
謀叛軍征討を進言した竇融の進言というべき上書はすでに関右の地、この長安の都に届いていた。反乱平定に向かう陶侃の軍は石頭城に集結しように都のほど近くに集結すべきだ。
みずちの聖なる蚊龍が水から引き離されるように天子が宮殿を脱出するなどということなどあってはならないが、秋の空を悠然と飛んでいる猛禽の連中がまだ朝廷内にのこっている。
真昼の号泣、夜中の慟哭、死んだ者、殺された者も生きていても、ともに悲痛な状況なのだ。いつの日か、星に守られた皇宮を、涙をぬぐった我が手に収めたいと思うのだ。
  

  

(語訳と訳註)

重有感
玉帳牙旗得上游、安危須共主分憂。

天子の陣幕を張りめぐらし節度使の将軍軍旗を立て、形勢有利な地を占める情勢である、この国の安危存亡の時、天子と一つにならねばならない憂慮せねはならぬことを分かつ段階ではないのだ。
玉帳 軍営のなかで将軍の慢幕。節度使の陣営を指す。○牙旗 将軍の軍旗。族竿の頭部に元々は象牙で作った飾りをつけたのでかくいう。○上游 川の上流が原義。そこから形勢の有利な地をいう。
 
竇融表巳東関右、陶侃軍宜次石頭。
謀叛軍征討を進言した竇融の進言というべき上書はすでに関右の地、この長安の都に届いていた。反乱平定に向かう陶侃の軍は石頭城に集結しように都のほど近くに集結すべきだ。
竇融 (とう ゆう、紀元前15年 - 62年)中国の新代から後漢時代初期にかけての武将、政治家。後漢建国に功を挙げた武将。帝を潜称した隗囂をただちに攻めるべく光武帝に進言し、全幅の信頼を寄せていた。(『後漢書』)。ここでは宦官に不満を抱いた昭義節度使の劉従諫が、宰相の王涯らは何の罪があって殺されたのかと問う上書を再三文宗に呈したことをいう。又、836年宦官の仇士良を弾劾する。○関右 函谷関より西の地。ここでは都を指す。○陶侃 東晋の安定に尽力した武将259年 - 334年。蘇峻の乱に際して温嶠、庾亮らとともに軍勢を石頭城(南京市郊外)に結集し、都を奪還した。ここでは843年8月の劉稹は朝命を拒む。
父は呉の武将陶丹。母は湛氏。子は16人いたとされるが、記録に残っているのは陶洪、陶瞻、陶夏、陶琦、陶旗、陶斌、陶称、陶範、陶岱の9人だけである。甥に陶臻、陶輿。詩人の陶淵明は曾孫とされるが、陶淵明の祖父とされる陶茂は晋書の陶侃伝には記録されてない。


豈有蚊龍愁失水、更無鷹隼興高秋。
みずちの聖なる蚊龍が水から引き離されるように天子が宮殿を脱出するなどということなどあってはならないが、秋の空を悠然と飛んでいる猛禽の連中がまだ朝廷内にのこっている。
○豈有蚊龍愁失水 蚊龍は皇帝を、失水は皇帝が力を失うことを、喩える。○更無鷹隼興高秋 鷹隼は残虐な猛禽、朝廷に逆らう軍閥、劉稹を喩える。劉稹は844年8月昭義軍に殺された。「更無」は反語に読む。


晝號夜哭兼幽顯、早晩星關雪涕収。
真昼の号泣、夜中の慟哭、死んだ者、殺された者も生きていても、ともに悲痛な状況なのだ。いつの日か、星に守られた皇宮を、涙をぬぐった我が手に収めたいと思うのだ。
○兼幽顕 「幽」は死んだ人、「顕」は生きている人。○早晩 いつの日か。時間の疑問詞。○星関 星の関門の意、皇帝の居所を指す。ここでは劉稹などの軍閥を詠っているのだが、実際には宦官が強大な軍隊を牛耳っていたのだ。正規軍に守られた天子の状態を星に喩えた。


(解説)

○詩型 七言律詩。
○押韻 湛・憂・秋・収・頭


835年の甘露の変について、同時代にこれを取り上げた詩文はほとんどない。それは、歴史の中心に宦官がいたことの証明である。歴史書は支配者の歴史である。自己の美化のためには事実を捻じ曲げるものである。李商隠のこれらの詩も、果たしてこの時代に公にされていたかどうか、おそらく唐が滅亡して以降、付加されたものである。
 李商隠の「有感二首」は835年のことを取り上げており、「重有感」は843・844年の事件を取り上げている。後に書かれたものであっても、明確に示しているわけではなく、後世の訳註によるものである。唐末期の宦官の支配力は計り知れないほどのものであったのだ。

聖女詞 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 99

聖女詞 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 99



聖女詞
松篁臺殿蕙香幃、龍護瑤窗鳳掩扉。
松と竹に囲まれた台殿のやしろが蕙香の香りと格調高いとばりにかこまれている。かがやく宝玉で飾った拝殿の窓には守護するように龍が彫られ、扉には鳳凰が一面に刻まれている。
無質易迷三里霧、不寒長著五銖衣。
どれほどのものが証というのか自分には差し出すものがないので連れ添ってくれないから迷ってしまう三里先が見えない霧の中にいるようだ、寒くはない、長い間肌をあらわにしたままで五銖の銭で服をぬいで交わった。
人閒定有崔羅什、天上應無劉武威。
人の世には女性と楽しく過ごすことは当たり前のようにある、ましてや崔羅什のような体験もあるのだ。天上世界においては劉武威のような凛々しい武将であっても女性と楽しく過ごせることなどありはしないのだ。
寄問釵頭雙白燕、毎朝珠館幾時歸。

教えてほしい、簪で綺麗に着飾った二人より沿う白燕の彼女たち、。その御殿にいつも参内されている聖女は、いつここへ帰って来られるのか。(国教である道教がこんなことでよいのか)

聖女詞

松篁の台殿 蕙香の幃、龍は瑤窗を護り 鳳は扉を掩う。

質無くして迷い易し 三里の霧、寒からずして長に著る 五銖の衣。

人間 定めて有り 崔羅什、天上 応に無かるべし 劉武威。

問いを寄す 釵頭の双白燕、毎に珠館に朝して幾時か帰る。



聖女詞  現代語訳と訳註、解説
(本文)

松篁臺殿蕙香幃、龍護瑤窗鳳掩扉。
無質易迷三里霧、不寒長著五銖衣。
人閒定有崔羅什、天上應無劉武威。
寄問釵頭雙白燕、毎朝珠館幾時歸。


(下し文)
松篁の台殿 蕙香の幃、龍は瑤窗を護り 鳳は扉を掩う。
質無くして迷い易し 三里の霧、寒からずして長に著る 五銖の衣。
人間 定めて有り 崔羅什、天上 応に無かるべし 劉武威。
問いを寄す 釵頭の双白燕、毎に珠館に朝して幾時か帰る。


(現代語訳)
松と竹に囲まれた台殿のやしろが蕙香の香りと格調高いとばりにかこまれている。かがやく宝玉で飾った拝殿の窓には守護するように龍が彫られ、扉には鳳凰が一面に刻まれている。
どれほどのものが証というのか自分には差し出すものがないので連れ添ってくれないから迷ってしまう三里先が見えない霧の中にいるようだ、寒くはない、長い間肌をあらわにしたままで五銖の銭で服をぬいで交わった。
人の世には女性と楽しく過ごすことは当たり前のようにある、ましてや崔羅什のような体験もあるのだ。天上世界においては劉武威のような凛々しい武将であっても女性と楽しく過ごせることなどありはしないのだ。

(訳註)
聖女詞

聖女詞 道教の神女を祀ったほこら。

李商隠 6 重過聖女詞
鳳州(陝西省鳳翔)の秦岡山の懸崖の側、列壁の上にある祠。その神体は女性で上が赤く下が白く塗られているという。(856年45歳のころ、東川の幕府からか、陝西省南鄭県)興元の方面から長安に帰る途中か、あるいは向かう折かの作と推定されている。

唐代の道教のやしろ、或いはそれに類するいわゆる淫祠の女冠は多分に売春、娼妓的性格をもっていた。それを考え併せてこの詩を読まないとわからない。


松篁臺殿蕙香幃、龍護瑤窗鳳掩扉。
松と竹に囲まれた台殿のやしろが蕙香の香りと格調高いとばりにかこまれている。かがやく宝玉で飾った拝殿の窓には守護するように龍が彫られ、扉には鳳凰が一面に刻まれている。
松篁「篁」は竹林、竹であるが、道沿いに整然と見え、鬱蒼としている状況でないもの。○蕙香幃「蕙」は香草の名。「幃」はとばり。○龍護瑤窗鳳掩扉 祠の窓、扉に龍や鳳凰が刻まれている壮麗さをいう。「瑤窓」は宝玉で飾った窓。日の光を浴びで神秘的に光るイメージを言う。


無質易迷三里霧、不寒長著五銖衣。
どれほどのものが証というのか自分には差し出すものがないので連れ添ってくれないから迷ってしまう三里先が見えない霧の中にいるようだ、寒くはない、長い間肌をあらわにしたままで五銖の銭で服をぬいで交わった。
無質 さし出すもの。真。約束。〇三里霧 いわゆる五里霧中の状態。暗い中での男女の交わりをあらわす。○長著 あらわれる。服を脱ぐ。〇五銖衣 銖は重さの単位ごくわずかの単位で五銖ほどの軽さという意味。五銖で娼妓を買うという意味であろう。


人閒定有崔羅什、天上應無劉武威。
人の世には女性と楽しく過ごすことは当たり前のようにある、ましてや崔羅什のような体験もあるのだ。天上世界においては劉武威のような凛々しい武将であっても女性と楽しく過ごせることなどありはしないのだ。
人閒 人の世の中。○崔羅什 墳墓のなかの女性に歓待された男の話。段成式『酉陽雑姐』冥跡に見える。北魏の時、崔羅什が長白山のふもとにさしかかった時、ふいに豪壮な邸宅があらわれた。中に招かれて女主人と歓談したのち、十年後にまた会うことを約して辞し、振り返ってみるとそこには大きな墳墓があるだけだった。〇劉武威 仙女との交歓を語る武将の物語にもとづくであろう。


寄問釵頭雙白燕、毎朝珠館幾時歸。
教えてほしい、簪で綺麗に着飾った二人より沿う白燕の彼女たち、。その御殿にいつも参内されている聖女は、いつここへ帰って来られるのか。(国教である道教がこんなことでよいのか)
欽頭双白燕 かんざしにつけたつがいの白いツバメ、この祠にいるおしろいをつけた娼妓のこと。今全員に客がついている。○珠舘 仙界の建物。祠近くにある娼屋を意味する。


○詩型 七言律詩。
○押韻 幃、扉、衣、威、帰。



道教の老荘思想について李商隠は学びもし、評価もしているが、道教の道士の唐王朝に対する媚と金丹による中毒、あるいは道教と宦官の関係に対して憤りを覚えていたのである。道教の女神をまつった祠にしても、何らかの罪を犯してきた女性等を贖罪のためか生活のためか住まわしていた。何らかの形で性と結びついている道教について批判的であると感じる。

可歎 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-96

      
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 杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩 
 李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人  
 上代~隋南北朝・隋の詩人初唐・盛唐・中唐・晩唐 
      
可歎 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-96


 李商隠の詩の語訳には、誤訳が多い。李商隠の詩の背景を無視し、語句だけを訳すからとんでもない詩になってしまう。李商隠は、パズルゲームをするように故事を並べ、総括して題を付けている。唐王朝のみならず、どの王朝も頽廃、不義密通、媚薬、中毒、豪奢、横暴、数々の道義、礼節、にかけることばかり、李商隠の詩は、一詩を見ると恋歌、艶歌、閨情詩であるが、その時期の数種数十首を集めて読んでいくと、社会批判の内容なのだ。そういう1から100を、全体から個を見る視点が必要である。
さて、この「嘆くべし」には、八つの嘆きが詠われている。私のこの詩題は「八歎詩」である。
*答えはやくちゅうをよめばわかるが、解説の末尾にも示す。


可歎
歎きなさい
幸會東城宴末廻、年華憂共水相催。
春の長安の宴の席で幸運にも出会ったので、宴を抜けてでも私のもとに帰ってきてほしいと思っているのにまだ帰らない。若くて盛んなころと違い歳を重ねてきた今は時間は流れる水とせき立て合うように過ぎてゆくのが歎きなのだ
梁家宅裏秦宮入、趙后樓中赤鳳來。
梁冀の邸内ではその妻のもとに下僕の秦官が入り込み密通した、趙飛燕の楼には召使いの赤鳳が出入りし私通した。(趙飛燕自体も妹の行為に嘆いた。)
冰簟且眠金鏤枕、瓊筵不酔玉交杯。
涼やかな敷布に金細工の枕でただ眠るだけの嘆きがある、瓊の玉の筵、敷物に宝玉の杯を手にとめどなく飲み続けても何事もうまくいかないので歎きながら飲む酒は酔わないものなのだ。
宓妃愁坐芝田館、用盡陳王八斗才。

洛水の女神宓妃は崑崙山の芝田の館にただ一人愁いをもって待っている。すべての才一石のうち、八斗の才と称された詩才あふれる陳王曹植が、その才を尽くして描いた恋もうまくいかなかった。

歎くべし

幸いに東城に会い宴より未だ廻らず、年華 水と相い催すを憂う。

梁家の宅裏に秦宮入り、趙后の楼中に赤鳳来たる。

氷簟 且く眠る 金鏤の枕、瓊筵 酔わず 玉交の杯。

妃は愁い坐す 芝田の館、用い尽くす 陳王八斗の才。




可歎  語訳語註と解説
(本文)
幸會東城宴末廻、年華憂共水相催。
梁家宅裏秦宮入、趙后樓中赤鳳來。
冰簟且眠金鏤枕、瓊筵不酔玉交杯。
宓妃愁坐芝田館、用盡陳王八斗才。

(下し文)
幸いに東城に会い宴より未だ廻らず、年華 水と相い催すを憂う。
梁家の宅裏に秦宮入り、趙后の楼中に赤鳳来たる。
氷簟 且く眠る 金鏤の枕、瓊筵 酔わず 玉交の杯。
宓妃は愁い坐す 芝田の館、用い尽くす 陳王八斗の才。


(現代語訳)
春の長安の宴の席で幸運にも出会ったので、宴を抜けてでも私のもとに帰ってきてほしいと思っているのにまだ帰らない。若くて盛んなころと違い歳を重ねてきた今は時間は流れる水とせき立て合うように過ぎてゆくのが歎きなのだ
梁冀の邸内ではその妻のもとに下僕の秦官が入り込み密通した、趙飛燕の楼には召使いの赤鳳が出入りし私通した。(趙飛燕自体も妹の行為に嘆いた。)
涼やかな敷布に金細工の枕でただ眠るだけの嘆きがある、瓊の玉の筵、敷物に宝玉の杯を手にとめどなく飲み続けても何事もうまくいかないので歎きながら飲む酒は酔わないものなのだ。
洛水の女神宓妃は崑崙山の芝田の館にただ一人愁いをもって待っている。すべての才一石のうち、八斗の才と称された詩才あふれる陳王曹植が、その才を尽くして描いた恋もうまくいかなかった。


(訳註)

可歎
歎きなさい


幸會東城宴未廻、年華憂共水相催。
春の長安の宴の席で幸運にも出会ったので、宴を抜けてでも私のもとに帰ってきてほしいと思っているのにまだ帰らない。若くて盛んなころと違い歳を重ねてきた今は時間は流れる水とせき立て合うように過ぎてゆくのが歎きなのだ。
幸會 無題の詩に見える、惚れて通ってくれた人が全く来なくなった。手紙を出そうにもどこにだしたらよいのかわからない。妓女は探して歩くわけにいかないのだ。ところが、幸いに宴の席で見かけたという意味。○東城 東は春を意味する。春の長安。無題(來是空言去絶蹤) 李商隠 19  宴未廻 宴を抜けてでも私のもとに帰ってきてほしいという意味。〇年華 時間、歳月、わかさ。○共水相催 孔子の川上の歎以来、水の流れは時の推移の比喩。「催」はせきたてる。陶淵明「雑詩」其の七に「日月貰えて遅たず、四時相い催し迫る」。

梁家宅裏秦宮入、趙后樓中赤鳳來。
梁冀の邸内ではその妻のもとに下僕の秦官が入り込み密通した、趙飛燕の楼には召使いの赤鳳が出入りし私通した。(趙飛燕自体も妹の行為に嘆いた。)
梁家一句 後漢・梁巽の妻の故事を用いる。梁巽は監奴(下僕の長)の秦宮をかわいがっていたが、梁巽の妻の孫寿のもとに出入りするうちに孫寿に気に入られ、密通した。『後漢書』梁巽伝にも見える。○趙后一句 漢・成帝の皇后超飛燕とその妹の故事を用いる。趨飛燕は寵愛されて皇后になり、妹も昭俵に取り立てられた。趙飛燕が私通していた下僕の赤鳳は昭俵とも通じていて、姉妹のいさかいを招いた(『趙飛燕外伝』)。


冰簟且眠金鏤枕、瓊筵不酔玉交杯。
涼やかな敷布に金細工の枕でただ眠るだけの嘆きがある、瓊の玉の筵、敷物に宝玉の杯を手にとめどなく飲み続けても何事もうまくいかないので歎きながら飲む酒は酔わないものなのだ。
氷簟 水のように冷たいたかむしろ。「簟」は涼を取るための敷物。○金鏤枕 黄金をちりばめた枕。曹植「洛神の賦」(『文選』巻一九)の李善の注が引く「記」 に、「東阿王(曹植)朝に入り、帝(文帝=曹丕)は植に甄后の玉銭金帯枕を示す」。○瓊筵の句 瓊筵 は仙人や天子の使う玉でこしらえた豪華な敷物をさすが、李白「春夜桃李園宴序」 にある聯に基づいていている。
開瓊筵以坐華, 飛羽觴而醉月。(瓊筵を開きて以て華に坐し,羽觴を飛ばして月に醉(よ)ふ。)
美しい玉で飾った敷物を花咲くもとで広げて座った、羽をひろげた形をした杯を飛んでいるような形で酌み交わし、月明かりに酒に酔う。(何もかもうまくいくから酔うということ)これに対して思いが通らないので○不酔 いくら杯を重ねても酔うことなく飲み続ける。○玉交杯 李白の詩では、雀の羽型の盃だけどこの詩では、いくつかの種類の玉の盃、豪華な盃。

宓妃愁坐芝田館、用盡陳王八斗才。
洛水の女神宓妃は崑崙山の芝田の館にただ一人愁いをもって待っている。すべての才一石のうち、八斗の才と称された詩才あふれる陳王曹植が、その才を尽くして描いた恋もうまくいかなかった。
宓妃 曹植「洛神の賦」 に登場する洛水の女神。怒妃は実は曹垂の妻甑后であり、二人は密かに愛し合っていたものの結ばれなかった。李商隠 7 無題(颯颯東風細雨來)
芝田 崑崙山にある農地の名。『拾遺記』崑崙山に「第九層……下に芝田・蕙圃有り。皆な数百頃。群仙種耨す(耕作する)」。○陳王八斗才「陳王」は陳思王曹植。天下のすべての才を一石とすれば曹植が八斗を占めるという謝霊運のことばが古くから伝えられた。この二句は、曹植が「洛神の賦」で文才を駆使して宓妃(=甑后)を描出しても、二人の恋は実ることなく、怒妃は仙女となって孤独に沈むはかなかったことをいう。



(解説)

○詩型 七言律詩。
○押韻 廻、催、来、杯、才。



この詩のもとになる詩は、あるいは参考とする詩は李商隠「無題」とする詩である。
約束の日にもかない、待ち続けて、捜すにもさがせない身の妓女がたまたま宴席で出会った。その日は来てくれると思った儺来ないので歎く①
歳を重ね日増しに呼ばれることがなくなってくる妓女は嘆くべし。②
密通したためにおとがめを受けた秦の宮廷宦官の孫寿は嘆くべし。③
妹に寝取られた趙飛燕は嘆くべし④、趙飛燕に私通した下僕赤鳳もおとがめを受けた、これも歎くべし⑤。
富豪のもとで囲われている芸妓が毎夜一人寝している。嘆くべし。⑥ 玉の筵、宝玉の杯で飲んでも詩をうまく作れない。嘆くべし。⑦
死んだ後、仙女になっても思い続けているだけの宓妃、
詩文に比類ない才能を発揮したが、生涯兄嫁甑后の宓妃を慕い続けたが、兄嫁に振り向かれることがなかった、これも嘆くべし。⑧


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