漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

七言絶句

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

408 《酬韓侍郎張博士雨後遊曲江見寄》白居易(白楽天) Ⅱ中唐<1094>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4454韓愈詩-408

今日は雨が降って鞍馬隊の後に随って行こうと思うと、泥濘の道をこねてゆかねばならず、それで曲江池に出かけるというのもおっくうであり、つい無精をしてしまったのだ。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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《酬韓侍郎張博士雨後遊曲江見寄》白居易(白楽天) Ⅱ中唐<1094>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4454韓愈詩-408

 

 

同水部張員外籍曲江春遊,寄白二十二舍人  ≪韓愈≫

漠漠輕陰晚自開,青天白日映樓臺。 

曲江水滿花千樹,有底忙時不肯來。 

(張籍と共に春日、曲江に遊び、杏花を感賞し、仍て中書舎人の白居易に寄せたのである。)

花が咲き誇り、花霞みに花曇りも、晩方になって、はじめて晴れ渡り、青天白日が樓臺に映し、また一層眺めることを増したのだ。

今しも曲江の池水は、溶溶として満ちていて、そこに咲く千樹の杏花は真っ盛りで、最も感賞に良い時期である。我々二人はここに風流の興をほしいままにしているが、君はどんなに忙しいことがあってこられないのかまことに遺憾の至りである。

 

(水部張員外籍と同じく曲江に春遊し,寄白二十二舍人にす)≪韓愈≫

漠漠たる輕陰 晚に自ら開く,青天 白日 樓臺に映ず。

曲江 水滿ち花千樹,底【なん】の忙しき時有って肯えて來らざる。 

 

 

七言唐·白居易

酬韓侍郎張博士雨後遊曲江見寄

小園新種紅櫻樹,閑遶花行便當遊。

何必更隨鞍馬隊,衝泥蹋雨曲江頭。

(韓愈侍郎と張博士が雨がふった後に曲江に遊んでいるからと詩を寄せてきたのを見て それに酬ゆる詩)≪白居易≫

我家の庭園には、近頃、あらたに紅櫻樹を植えた、今が見ごろであるところから、花の下をめぐって歩くのが気に入っておるところ、それでもって出遊の変わりにしているのだ。

今日は雨が降って鞍馬隊の後に随って行こうと思うと、泥濘の道をこねてゆかねばならず、それで曲江池に出かけるというのもおっくうであり、つい無精をしてしまったのだ。

 

(韓侍郎 張博士 雨後に曲江に遊び寄せ見 酬ゆ)

小園 新種 紅櫻樹,閑にして 花行の便 遊ぶに當って遶る。

何ぞ必更 鞍馬隊に隨い,泥に衝いて雨に蹋れ曲江の頭り。

 

長安城郭015 

『酬韓侍郎張博士雨後遊曲江見寄』 現代語訳と訳註

(本文)

酬韓侍郎張博士雨後遊曲江見寄

小園新種紅櫻樹,閑遶花行便當遊。

何必更隨鞍馬隊,衝泥蹋雨曲江頭。

 

(下し文)

(韓侍郎 張博士 雨後に曲江に遊び寄せ見 酬ゆ)

小園 新種 紅櫻樹,閑にして 花行の便 遊ぶに當って遶る。

何ぞ必更 鞍馬隊に隨い,泥に衝いて雨に蹋れ曲江の頭り。

 

(現代語訳)

(韓愈侍郎と張博士が雨がふった後に曲江に遊んでいるからと詩を寄せてきたのを見て それに酬ゆる詩)≪白居易≫

我家の庭園には、近頃、あらたに紅櫻樹を植えた、今が見ごろであるところから、花の下をめぐって歩くのが気に入っておるところ、それでもって出遊の変わりにしているのだ。

今日は雨が降って鞍馬隊の後に随って行こうと思うと、泥濘の道をこねてゆかねばならず、それで曲江池に出かけるというのもおっくうであり、つい無精をしてしまったのだ。

 

 

(訳注)

酬韓侍郎張博士雨後遊曲江見寄

(韓愈侍郎と張博士が雨がふった後に曲江に遊んでいるからと詩を寄せてきたのを見て それに酬ゆる詩)≪白居易≫
 

小園新種紅櫻樹,閑遶花行便當遊。

我家の庭園には、近頃、あらたに紅櫻樹を植えた、今が見ごろであるところから、花の下をめぐって歩くのが気に入っておるところ、それでもって出遊の変わりにしているのだ。

 

何必更隨鞍馬隊,衝泥蹋雨曲江頭

今日は雨が降って鞍馬隊の後に随って行こうと思うと、泥濘の道をこねてゆかねばならず、それで曲江池に出かけるというのもおっくうであり、つい無精をしてしまったのだ。

必更隨 かならずしも随うことにはならない。(鞍馬隊が路をこねくってどろどろにしていることで)

蹋 ふみつける。あしぶみをする。
辟雍00 
408


000 《和韓侍郎題楊舎人林池見寄》白居易(白楽天) Ⅱ中唐<1089>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4429

(白居易は韓愈の下の詩に対して和したものである。中書省に務める三人、楊嗣復、白居易、馮宿の三人は朝廷そのものが冬の様なものだけど適材であるし、よく務めている、そのままずっといてもらいたいといったものに答えていったものだ。)楊尚書の別邸にある牆下の溝水は、流れて宮城の濠に入るがもう春になって氷も解けだしている。やがて風が吹き、太陽も燦々と照りだすことだから、もう凍ることなどないのだ。

 
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和韓侍郎題楊舎人林池見寄  白居易

渠入暗流春凍解。風吹日炙不成凝。

鳳池冷暖君諳在。二月因何更有氷。

(白居易は韓愈の下の詩に対して和したものである。中書省に務める三人、楊嗣復、白居易、馮宿の三人は朝廷そのものが冬の様なものだけど適材であるし、よく務めている、そのままずっといてもらいたいといったものに答えていったものだ。)

楊尚書の別邸にある牆下の溝水は、流れて宮城の濠に入るがもう春になって氷も解けだしている。やがて風が吹き、太陽も燦々と照りだすことだから、もう凍ることなどないのだ。

君(韓愈)もかつて中書舎人に官したことがあるから、鳳凰池の冷暖についてよく知っていることだろうから、この二月になって氷などあろうはずもなく、まことに結構なところであるから、自分も今のところ満足しておるのです。

 

(韓侍郎 楊舎人の林池に題す見寄せて和す) ―白居易

渠 暗流に入り 春凍解し。風 日炙に吹き 凝と成らず。

鳳池の冷暖 君諳在り。二月 何に因って更に氷ること有らん。

 

長安城郭015 

『和韓侍郎題楊舎人林池見寄』 現代語訳と訳註

(本文)

和韓侍郎題楊舎人林池見寄  白居易

渠入暗流春凍解。風吹日炙不成凝。

鳳池冷暖君諳在。二月因何更有氷。

 

(下し文)

(韓侍郎 楊舎人の林池に題す見寄せて和す) ―白居易

渠 暗流に入り 春凍解し。風 日炙に吹き 凝と成らず。

鳳池の冷暖 君諳在り。二月 何に因って更に氷ること有らん。

 

(現代語訳)

(白居易は韓愈の下の詩に対して和したものである。中書省に務める三人、楊嗣復、白居易、馮宿の三人は朝廷そのものが冬の様なものだけど適材であるし、よく務めている、そのままずっといてもらいたいといったものに答えていったものだ。)

楊尚書の別邸にある牆下の溝水は、流れて宮城の濠に入るがもう春になって氷も解けだしている。やがて風が吹き、太陽も燦々と照りだすことだから、もう凍ることなどないのだ。

君(韓愈)もかつて中書舎人に官したことがあるから、鳳凰池の冷暖についてよく知っていることだろうから、この二月になって氷などあろうはずもなく、まことに結構なところであるから、自分も今のところ満足しておるのです。

 

(訳注)

和韓侍郎題楊舎人林池見寄  

(白居易は韓愈の下の詩に対して和したものである。中書省に務める三人、楊嗣復、白居易、馮宿の三人は朝廷そのものが冬の様なものだけど適材であるし、よく務めている、そのままずっといてもらいたいといったものに答えていったものだ。)

『早春與張十八博士籍遊楊尚書林亭,寄第三閣老兼呈白馮二閣老』韓愈

牆下春渠入禁溝,渠冰初破滿渠浮。

鳳池近日長先暖,流到池時更不流。

早春 張十八博士籍 と楊尚書の林亭に遊び,第三閣老に寄せ兼ねて白馮 二閣老に呈す。

牆下の春渠 禁溝に入り,渠冰 初めて破れて渠に滿ちて浮ぶ。

鳳池 日に近く長く先ず暖かなり,流れて池に到る時に更に 流れず。

 

 

楊嗣復783年-848年),字繼之,又は字を慶門といい,虢州弘農(今河南省靈寶縣)の人である。

楊於陵の次男で,楊虞卿の一族兄弟である。八能く文をつくる,主考官權 德輿錄の進士と為る,二十博學宏詞科に登り,宰相武元衡に到って賞識を受る。李德裕の政を輔け,湖南觀察使に転じられ。會昌元年(841年)三月被って潮州に貶せられる。唐宣宗の大中の初めに,召されて吏部尚書を為す。卒した諡は孝穆。

白居易 唐の代表的文学者。香山居士と号した。太原(山西省)の人。字により,白楽天とよばれることが多い。家は貧しかったが勉学にはげみ,科挙及第ののち803(貞元19)に任官した。806(元和1)厔(ちゆうちつ)県(陝西省)の尉となり,このとき《長恨歌》を作って詩人としての名声を得た。次いで中央政府入りして翰林学士となり,左拾遺に昇進し,当時の天子憲宗に気に入られ,しばしば意見書を呈上,さらに昇進を重ねて太子左賛善大夫に至ったが,815(元和10)の上奏文が原因で江州(江西省)の司馬に左遷された。

張籍 中唐の詩人。字は文昌。和州烏江(安徽省)あるいは東郡(河南省)の人といわれる。貞元15(799)の進士で国子司業などをつとめる。韓愈の門下のひとり。とりわけ楽府(がふ)に長じ,僚友の王建の作とともに〈張王楽府〉と並称される。官僚としては不遇だった彼には〈征婦怨〉や〈築城詞〉など民衆の苦痛を訴え,為政者を批判する作品が多く,その点杜甫,元結の詩風を受け継ぎ,同時代の大詩人で友人でもあった白居易が絶賛している。

馮宿 766年—836年),字は拱之,婺州の人。貞元中、進士の第に登る。張建封,辟して掌書記と為す。長慶の初め刑部郎中を以て知制誥,太和の初め河南尹と為る。工,刑,二部の郎中,東川節度使を歴たり。集,四十巻。今,詩,二首を存す

 

渠入暗流春凍解。風吹日炙不成凝。

楊尚書の別邸にある牆下の溝水は、流れて宮城の濠に入るがもう春になって氷も解けだしている。やがて風が吹き、太陽も燦々と照りだすことだから、もう凍ることなどないのだ。

 

鳳池冷暖君諳在。二月因何更有氷。

君(韓愈)もかつて中書舎人に官したことがあるから、鳳凰池の冷暖についてよく知っていることだろうから、この二月になって氷などあろうはずもなく、まことに結構なところであるから、自分も今のところ満足しておるのです。

長安城皇城図 

《寄隨州周員外》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <974>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3854韓愈詩-267

韓愈《寄隨州周員外》 お互いに董晉の幕客であった陸長源、孟叔度、邱穎、楊凝等の人たちは、いずれも久しい昔に死んでいて、黄塵に化してしまっていて、今日生き残っているものが誰かあるのだろうか。道家の君は、これまで金丹を服餌することを好んでおられたけれど、別後、定めて、その調合法を伝授してもらったおかげで、南方に行ってもこうして病身の身を救って元気で居られたものであると思っております。


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張平子(張衡)《西京賦》(24)(建章宮〔一〕)#10-3 文選 賦<114―(24)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1061 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3853
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《寄隨州周員外》韓愈(韓退之Ⅱ中唐詩 <974>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3854韓愈詩-267

 

 

年: 820  元和十五年  53

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 寄隨州周員外 

及地點:  隨州 (山南東道 隨州 隨州別名:漢東     

交遊人物: 周愿

 

 

寄隨州周員外

(会いたいと思っていたが会えないのでこのまま長安に向かうので、随州の周君巢刺史に寄せる。)

陸孟丘楊久作塵,同時存者更誰人。 

お互いに董晉の幕客であった陸長源、孟叔度、邱穎、楊凝等の人たちは、いずれも久しい昔に死んでいて、黄塵に化してしまっていて、今日生き残っているものが誰かあるのだろうか。

金丹別後知傳得,乞取刀圭救病身。 

道家の君は、これまで金丹を服餌することを好んでおられたけれど、別後、定めて、その調合法を伝授してもらったおかげで、南方に行ってもこうして病身の身を救って元気で居られたものであると思っております。

 

(隨州周員外に寄す)

陸孟 丘楊 久しく塵と作り,同時に存する者 更に誰人ぞ。 

金丹 別後 知る傳へ得たるを,刀圭を乞取【きつしゅ】して 病身を救う。 

韓愈安陸南陽白水01 

 

『寄隨州周員外』 現代語訳と訳註

(本文)

寄隨州周員外

陸孟丘楊久作塵,同時存者更誰人。 

金丹別後知傳得,乞取刀圭救病身。 

 

(下し文)

(隨州周員外に寄す)

陸、孟、丘、楊 久しく塵と作り,同時に存する者 更に誰人ぞ。 

金丹 別後 知る傳へ得たるを,刀圭を乞取【きつしゅ】して 病身を救う。 

 

(現代語訳)

(会いたいと思っていたが会えないのでこのまま長安に向かうので、随州の周君巢刺史に寄せる。)

お互いに董晉の幕客であった陸長源、孟叔度、邱穎、楊凝等の人たちは、いずれも久しい昔に死んでいて、黄塵に化してしまっていて、今日生き残っているものが誰かあるのだろうか。

道家の君は、これまで金丹を服餌することを好んでおられたけれど、別後、定めて、その調合法を伝授してもらったおかげで、南方に行ってもこうして病身の身を救って元気で居られたものであると思っております。

 

(訳注)

寄隨州周員外

(会いたいと思っていたが会えないのでこのまま長安に向かうので、随州の周君巢刺史に寄せる。)

隨州刺史員外周君巢は下記の詩にも見えた。この詩は途中から彼にあてたもので、会えないので寄せたのだ。

自袁州還京,行次安陸,先寄隨州周員外〔周君巢也,時為隨州刺史。〕

行行指漢東,暫喜笑言同。 

雨雪離江上,蒹葭出夢中。 

面猶含瘴色,眼已見華風。 

暮難相酣歌未可終。

(この詩は袁州より召されて京に帰ろうとするとき、途中安陸に宿をしようとあらかじめ随州の周君巢刺史に寄せたものである。)

 

陸孟丘楊久作塵,同時存者更誰人。 

お互いに董晉の幕客であった陸長源、孟叔度、邱穎、楊凝等の人たちは、いずれも久しい昔に死んでいて、黄塵に化してしまっていて、今日生き残っているものが誰かあるのだろうか。

○陸孟丘楊 董晉幕府の陸長源、孟叔度、邱穎、楊凝ということ。董晉は(724年-799年),字を混成という,唐河(今の山西省永濟)万里の人。開元十二年(724年)生れ,唐玄宗の後期中明に及第を經て,唐肅宗即位の後,秘書省校書郎に任命され,翰林に供職す。任したのは尉丞、汾州司馬、淮南度判官、殿中侍御史、主客外郎、祠部郎中である

韓愈は792年進士及第し、793794年上級の博学宏詞科の落第が続いていたころのあと、董晉に随って汴州の観察推官として幕下についたころの同僚であったり、部下であったもの。

 

金丹別後知傳得,乞取刀圭救病身。 

道家の君は、これまで金丹を服餌することを好んでおられたけれど、別後、定めて、その調合法を伝授してもらったおかげで、南方に行ってもこうして病身の身を救って元気で居られたものであると思っております。

○金丹 道教の道士が金石を砕いて練って作ったという不老不死の薬。現在の見方からすれば、ミネラル接種に役立ち、免疫力を付けたということであろう。
韓愈の地図01 

《題廣昌館》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <973>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3849韓愈詩-266

韓愈《題廣昌館》 このあたりにあった墳墓などは近頃発掘されたものの、様々なものが官道に散らばしているのだ。昔、南陽には、王朝近親者が多くいるのでこの地を検問せず、特別扱いされていたというが、千年後の今日、近親も何もあったものではない。だからこんな有様は、惨澹たるものではないか。


2014年3月6日

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作時年:  820  元和十五年  53

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 題廣昌館【案:在隨州棗陽縣南。】 

及地點:廣昌館 (山南東道 隨州 棗陽)     

白水 (京畿道 同州 白水)     

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都     

 

 

題廣昌館

(山南東道 隨州の廣昌館の漢の旧跡が破滅状態になっていることを歎いて題す。)

白水龍飛已幾春,偶逢遺跡問耕人。 

漢の世祖光武帝が白水の地から龍飛の如く出でて、炎運中興の大業を成し遂げてから幾久しく春を迎えたことか。今、たまたまここを通り、その遺跡たる廣昌館に来たが、とりあえず、畑を耕している農民に呼びかけて、いろいろ問うてみた。

丘墳發掘當官路,何處南陽有近親。 

このあたりにあった墳墓などは近頃発掘されたものの、様々なものが官道に散らばしているのだ。昔、南陽には、王朝近親者が多くいるのでこの地を検問せず、特別扱いされていたというが、千年後の今日、近親も何もあったものではない。だからこんな有様は、惨澹たるものではないか。

 

(廣昌館に題す)

白水 龍 飛んで已に幾春,偶【たまた】ま遺跡に逢うて耕人に問う。

丘墳 發掘して官路に當る,何れの處にか 南陽に近親有る。 

 

韓愈安陸南陽白水01

 

 

『題廣昌館』 現代語訳と訳註

(本文)

白水龍飛已幾春,偶逢遺跡問耕人。 

丘墳發掘當官路,何處南陽有近親。 

(異文)

白水龍飛已幾春,偶逢遺跡問耕人【偶尋遺跡問耕人】。

丘墳發掘當官路【丘墳發掘當官道】,何處南陽有近親。 

 

(下し文)

(廣昌館に題す)

白水 龍 飛んで已に幾春,偶【たまた】ま遺跡に逢うて耕人に問う。

丘墳 發掘して官路に當る,何れの處にか 南陽に近親有る。 

 

(現代語訳)

(山南東道 隨州の廣昌館の漢の旧跡が破滅状態になっていることを歎いて題す。)

漢の世祖光武帝が白水の地から龍飛の如く出でて、炎運中興の大業を成し遂げてから幾久しく春を迎えたことか。今、たまたまここを通り、その遺跡たる廣昌館に来たが、とりあえず、畑を耕している農民に呼びかけて、いろいろ問うてみた。

このあたりにあった墳墓などは近頃発掘されたものの、様々なものが官道に散らばしているのだ。昔、南陽には、王朝近親者が多くいるのでこの地を検問せず、特別扱いされていたというが、千年後の今日、近親も何もあったものではない。だからこんな有様は、惨澹たるものではないか。

(訳注)

題廣昌館

(山南東道 隨州の廣昌館の漢の旧跡が破滅状態になっていることを歎いて題す。)

廣昌館 地名。山南東道 隨州 棗陽のこと。

韓愈が安陸を過ぎ、隋州、南陽郡をずぎて、棗陽に差し掛かり、漢の旧跡が破滅状態になっていることを歎いて詠ったもの。

 

白水龍飛已幾春,偶逢遺跡問耕人。 

漢の世祖光武帝が白水の地から龍飛の如く出でて、炎運中興の大業を成し遂げてから幾久しく春を迎えたことか。今、たまたまここを通り、その遺跡たる廣昌館に来たが、とりあえず、畑を耕している農民に呼びかけて、いろいろ問うてみた。

白水 京畿道 同州 白水。漢の世祖光武帝がこの地で生まれた。かつてはこの白水、南陽のあたりは賑やかであったが、韓愈がここを通ると荒れ果てていたが、ところ所、旧趾が発掘されたのを見てこの詩を作った。

龍飛 漢の世祖光武帝がよにでたことをいう。

遺跡 楚の昭王廟の遺跡。

 

丘墳發掘當官路,何處南陽有近親。 

このあたりにあった墳墓などは近頃発掘されたものの、様々なものが官道に散らばしているのだ。昔、南陽には、王朝近親者が多くいるのでこの地を検問せず、特別扱いされていたというが、千年後の今日、近親も何もあったものではない。だからこんな有様は、惨澹たるものではないか。

當官路 発掘したものを道路に投げ出している。

南陽 山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都

有近親 南陽には王朝近親者が多くいる。だから、吏も充分にこの地を検問せず、特別扱いされたという
韓愈の地図01 

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韓愈《遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂》 蕭兄郎中が没せられて、既に久しいが、よく伝家の業を伝えられ得る才女があるというのは蔡琰中郎のようである。家を相続してゆく男子がないということは、あたかも鄧伯道のように誠に痛ましいことである。今、たまたまこの盧山の旧居跡をたづねると、物有って人なし、ここに昔日知遇の恩を思い出でて、追慕自ら禁ぜず、私としても、老衰の身、幾行の涕が煙霞に降り注ぐだけである。


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年:820  元和十五年  53

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題:遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂〔自注:蕭兄有女出家。〕

作地點: 廬山(江南西道 / 江州 / 廬山

及地點: 西林寺 (江南西道 江州 廬山)     

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山     

交遊人物: 蕭存

 

 

遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂

(盧山の西林寺に立ち寄る際に旧知の蕭兄郎中の旧居があったのでこの詩を作る。)

〔自注:蕭兄有女出家。〕

〔蕭兄中郎には女の子がいたが家を相続していくものがいなかった。〕

中郎有女能傳業,伯道無兒可保家。 

蕭兄郎中が没せられて、既に久しいが、よく伝家の業を伝えられ得る才女があるというのは蔡琰中郎のようである。家を相続してゆく男子がないということは、あたかも鄧伯道のように誠に痛ましいことである。

偶到匡山曾住處,幾行衰淚落煙霞。 

今、たまたまこの盧山の旧居跡をたづねると、物有って人なし、ここに昔日知遇の恩を思い出でて、追慕自ら禁ぜず、私としても、老衰の身、幾行の涕が煙霞に降り注ぐだけである。

 

西林寺に遊び蕭二兄郎中舊堂に題す。〔自注:蕭兄は女有り家を出す。〕

中郎 女の能く業を傳うる有り,伯道 兒の家を保つ可き無し。 

偶ま 匡山【きょうざん】曾住の處に到れば,幾行の衰淚 煙霞に落つ。 

 

 

『遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂』 現代語訳と訳註

(本文)

遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂【〔自注:蕭兄有女出家。〕

中郎有女能傳業,伯道無兒可保家。 

偶到匡山曾住處,幾行衰淚落煙霞。 

 

 

(下し文)

西林寺に遊び蕭二兄郎中舊堂に題す。〔自注:蕭兄は女有り家を出す。〕

中郎 女の能く業を傳うる有り,伯道 兒の家を保つ可き無し。 

偶ま 匡山【きょうざん】曾住の處に到れば,幾行の衰淚 煙霞に落つ。 

 

(現代語訳)

(盧山の西林寺に立ち寄る際に旧知の蕭兄郎中の旧居があったのでこの詩を作る。)

〔蕭兄中郎には女の子がいたが家を相続していくものがいなかった。〕

蕭兄郎中が没せられて、既に久しいが、よく伝家の業を伝えられ得る才女があるというのは蔡琰中郎のようである。家を相続してゆく男子がないということは、あたかも鄧伯道のように誠に痛ましいことである。

今、たまたまこの盧山の旧居跡をたづねると、物有って人なし、ここに昔日知遇の恩を思い出でて、追慕自ら禁ぜず、私としても、老衰の身、幾行の涕が煙霞に降り注ぐだけである。

韓愈の地図01 

 

(訳注)

遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂

(盧山の西林寺に立ち寄る際に旧知の蕭兄郎中の旧居があったのでこの詩を作る。)

〔自注:蕭兄有女出家。〕

〔蕭兄中郎には女の子がいたが家を相続していくものがいなかった。〕

○西林寺 盧山寺のこと。この寺に立ち寄る際に旧知の蕭兄郎中の旧居があった。

○蕭二兄郎中 蕭存といい、字は伯誠。建中の初め、殿中御史に遷り、四度、比部郎中に遷り、裴延齢の姦を憎疾んで官を去り、風痹によって卒す。

舊堂 故蕭二兄郎中舊堂

 

中郎有女能傳業,伯道無兒可保家。 

蕭兄郎中が没せられて、既に久しいが、よく伝家の業を伝えられ得る才女があるというのは蔡琰中郎のようである。家を相続してゆく男子がないということは、あたかも鄧伯道のように誠に痛ましいことである。

○中郎有女 蔡琰中郎

○鄧伯道 「使鄧伯道無兒。弟子綏服攸喪三年。」(鄧伯道をして兒無かおとずれと。弟の子綏、攸の喪に服すこと三年なり。)天下の者は、自分の子は見苦しいほどに可愛がって甥などは根から構わない。そこで、事から真似ず、古人は子を捨てて甥を養ったと思えばこちらのためになる。

 

偶到匡山曾住處,幾行衰淚落煙霞。 

今、たまたまこの盧山の旧居跡をたづねると、物有って人なし、ここに昔日知遇の恩を思い出でて、追慕自ら禁ぜず、私としても、老衰の身、幾行の涕が煙霞に降り注ぐだけである。

○匡山 盧山のこと。

○曾住處 曾て住居であった所に来ているが、誰もいないこと。後継ぎがいないことをいう。
keikoku00 

《送侯喜》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <968>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3824韓愈詩-261

韓愈《送侯喜》 世の時勢に遅れてしまい、全くの落伍者になってしまったので、都登路の車馬絡駅の塵埃を一人トボトボと歩くというのが億劫になって、今日、賜暇を願い出て長官たる私と別れて何処へ行こうというのか、気分転換、心機一転の作としては大いに結構なことである。正月、一般の業務の始まるころまでにはどうしても帰ってきてもらわねばなるまい。


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《送侯喜》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <968  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3824韓愈詩-261

 

 

年:820  元和十五年  53

卷別: 卷三四三  文體: 七言 

詩題: 送侯喜 

寫作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

交遊人物/地點: 侯喜 當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送侯喜

(賜暇を願い出た侯喜を許可し見送る)

已作龍鐘後時者,懶於街裡蹋塵埃。 

君はもうすでに衰老という世代になっていて、世の時勢に遅れてしまい、全くの落伍者になってしまったので、都登路の車馬絡駅の間を、塵埃を踏みつつ一人トボトボと歩くというのが億劫になってしまったようだ。

如今便別長官去,直到新年衙日來。 

それももっともな事であろうが、今日、賜暇を願い出て長官たる私と別れて何処へ行こうというのか、気分転換、心機一転の作としては大いに結構なことであるが、しかし、正月、一般の業務の始まるころまでにはどうしても帰ってきてもらわねばなるまい。

 

(侯喜を送る)

已に龍鐘【りょうしょう】時に後るるものと作り,於街裡【がいり】に塵埃【じんあい】を蹋むより懶【ものう】し。 

今の如き 便ち長官に別れて去り,直ちに新年の衙日【がじつ】に到って來【こら】れよ。 

甘粛省-嘉峪関 

 

『送侯喜』 現代語訳と訳註

(本文)

送侯喜

已作龍鐘後時者,懶於街裡蹋塵埃。 

如今便別長官去,直到新年衙日來。 

 

 

(下し文)

(侯喜を送る)

已に龍鐘【りょうしょう】時に後るるものと作り,於街裡【がいり】に塵埃【じんあい】を蹋むより懶【ものう】し。 

今の如き 便ち長官に別れて去り,直ちに新年の衙日【がじつ】に到って來【こら】れよ。 

 

(現代語訳)

(賜暇を願い出た侯喜を許可し見送る)

君はもうすでに衰老という世代になっていて、世の時勢に遅れてしまい、全くの落伍者になってしまったので、都登路の車馬絡駅の間を、塵埃を踏みつつ一人トボトボと歩くというのが億劫になってしまったようだ。

それももっともな事であろうが、今日、賜暇を願い出て長官たる私と別れて何処へ行こうというのか、気分転換、心機一転の作としては大いに結構なことであるが、しかし、正月、一般の業務の始まるころまでにはどうしても帰ってきてもらわねばなるまい。

杏の花0055 

(訳注)

送侯喜

(賜暇を願い出た侯喜を許可し見送る)

別に『喜侯喜至寄張籍張徹』五言古詩というのがあり韓愈の門下性である。また、821年、長慶元年『雨中寄張博士籍、侯主簿喜』の時は韓愈が國子祭酒の大学総長であり、長官であったので、主簿は大学書記官で直属上司であった。

 

已作 龍鐘 後時 ,懶於 街裡 塵埃

君はもうすでに衰老という世代になっていて、世の時勢に遅れてしまい、全くの落伍者になってしまったので、都登路の車馬絡駅の間を、塵埃を踏みつつ一人トボトボと歩くというのが億劫になってしまったようだ。

「已作」すでに~と作す。

「龍鐘」衰老という世代になっているころ。生理狀態で、老いてる状況をいう。『除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫』「盆城去鄂渚,風便一日耳。不枉故人書,無因帆江水。故人辭禮闈,旌節鎮江圻。而我竄逐者,龍鐘初得歸。 (官を除せられて闕に赴むいて江州に至り 鄂岳 李大夫に寄す)盆城は、鄂渚を去る,風便 一日 のみ。故人の書を枉げざれば,江水に帆する因無し。故人 禮闈【れいい】を辭し,旌節 江圻【こうさ】を鎮す。而【しか】も我 竄逐【ざんちく】の者,龍鐘【りょうしょう】初めて歸るを得たり。

「後時者」世の時勢に遅れてしまい、全くの落伍者。

「街裡蹋塵埃」都登路の車馬各駅の間を塵埃をふぃみつつつ一人トボトボと歩く。

 

 

如今 便別 長官 ,直到 新年 衙日

それももっともな事であろうが、今日、賜暇を願い出て長官たる私と別れて何処へ行こうというのか、気分転換、心機一転の作としては大いに結構なことであるが、しかし、正月、一般の業務の始まるころまでにはどうしても帰ってきてもらわねばなるまい。

「別長官」賜暇を願い出て長官たる私と別れる。

「去」何処へ行こうということ。

「到」帰ってきてもらわねばなるまい。

「新年衙日來」節慶、新年正月、一般の業務の始まるころまでにはどうしても。

 10risho長安城の図035

《題秀禪師房》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <964>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3804韓愈詩-259

韓愈《題秀禪師房》 両岸には、松が生い茂り、その間には橋が架かっていてその長さは百歩行くだけの長さのものである。それを渡り尽くすと秀禪師の僧房で竹牀 莞席が用意してある。そこでしばらくの間、肘を枕に寝そべってみて、それから、起き上がって、今度は、釣り竿を手にして、魚が最も釣れそうな砂浜に降りて行くのである。


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《題秀禪師房》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <964  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3804韓愈詩-259

 

 

作時年:  820  元和十五年  53

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 題秀禪師房 

作地點: 目前尚無資料 

交遊人物: 秀禪師

 

 

題秀禪師房

(秀禪師は、宣渓付近に房を構えていて、そこに訪問したもので、そこの壁に題したものである。)

橋夾水松行百步,竹床莞席到僧家。 

両岸には、松が生い茂り、その間には橋が架かっていてその長さは百歩行くだけの長さのものである。それを渡り尽くすと秀禪師の僧房で竹牀 莞席が用意してある。

暫拳一手支頭臥,還把魚竿下釣沙。 

そこでしばらくの間、肘を枕に寝そべってみて、それから、起き上がって、今度は、釣り竿を手にして、魚が最も釣れそうな砂浜に降りて行くのである。

 

秀禪師の房に題す

橋は水松を夾【あわ】せて行くこと百步,竹床 莞席【かんせき】僧家に到る。 

暫く一手を拳げて頭を支えて臥し,還た 魚竿を把って釣沙に下る。

韓愈の地図00 

 

『題秀禪師房』 現代語訳と訳註

(本文)

題秀禪師房

橋夾水松行百步,竹床莞席到僧家。 

暫拳一手支頭臥,還把魚竿下釣沙。 

 

(下し文)

秀禪師の房に題す

橋は水松を夾【あわ】せて行くこと百步,竹床 莞席【かんせき】僧家に到る。 

暫く一手を拳げて頭を支えて臥し,還た 魚竿を把って釣沙に下る。

 

(現代語訳)

(秀禪師は、宣渓付近に房を構えていて、そこに訪問したもので、そこの壁に題したものである。)

両岸には、松が生い茂り、その間には橋が架かっていてその長さは百歩行くだけの長さのものである。それを渡り尽くすと秀禪師の僧房で竹牀 莞席が用意してある。

そこでしばらくの間、肘を枕に寝そべってみて、それから、起き上がって、今度は、釣り竿を手にして、魚が最も釣れそうな砂浜に降りて行くのである。

 泰山の夕日

(訳注)

題秀禪師房

(秀禪師は、宣渓付近に房を構えていて、そこに訪問したもので、そこの壁に題したものである。)

韓愈が潮州に貶められ量移されて、兗州に向かう際に作ったもの。量移とは、唐代に遠方に貶せられ、許されて近い地へ転任させられることをいう。

 

橋夾 水松 百步 ,竹牀 莞席 僧家

両岸には、松が生い茂り、その間には橋が架かっていてその長さは百歩行くだけの長さのものである。それを渡り尽くすと秀禪師の僧房で竹牀 莞席が用意してある。

「竹牀」竹で作ったベッド。

「莞席」器物、生活用品、起居用品、席。

 

暫拳 一手 支頭臥 ,還把 魚竿 下釣

そこでしばらくの間、肘を枕に寝そべってみて、それから、起き上がって、今度は、釣り竿を手にして、魚が最も釣れそうな砂浜に降りて行くのである。
2潮州広東00 

《將至韶州,先寄張端公使君借圖經〔將入韶州,先寄張端公使君借圖經〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <963>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3799韓愈詩-258

韓愈《將至韶州,先寄張端公使君借圖經》韶州の曲江の山水を見るにつけ聞くにつけ、十分満足するものであるとするものだが、前もって名前を覚えておかないと、其の地を訪ねても一層難しいという心配があった。そこで、君からこの地の地図を拝借し、それを持って、韶州の界に入ろうを思う。


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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 古詩源 玉台新詠 花間集

 

《將至韶州,先寄張端公使君借圖經〔將入韶州,先寄張端公使君借圖經〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <963  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3799韓愈詩-258

 

 

作時年:  820  元和十五年  53

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 將至韶州,先寄張端公使君借圖經〔將入韶州,先寄張端公使君借圖經〕 

及地點:  韶州 (嶺南道東部 韶州 韶州) 別名:東     

曲江 (嶺南道東部 韶州 曲江)     

交遊人物/地點: 張蒙 書信往來(嶺南道東部 韶州 韶州)

 

 

將至韶州,先寄張端公使君借圖經〔將入韶州,先寄張端公使君借圖經〕

(韶州に到ろうとするので、まず、刺史の張曙に寄せて、地図を借りようとこの詩を作った)

曲江山水聞來久,恐不知名訪倍難。 

韶州の曲江の山水を見るにつけ聞くにつけ、十分満足するものであるとするものだが、前もって名前を覚えておかないと、其の地を訪ねても一層難しいという心配があった。

願借圖經將入界,每逢佳處便開看。 

そこで、君からこの地の地図を拝借し、それを持って、韶州の界に入ろうを思う。その道すがら、素晴らしい景色を訪れて、そのたびごとに、その地図を開きさえすれば、すぐに名前がわかって、せっかくの名所を見落とさなくて済むことであろう。

 

(將に韶州に至らむとし,先づ張端公使君に寄せて圖經を借る〔將に韶州に入らむとし,先づ張端公使君に寄せて圖經を借る〕)

曲江の山水 聞き來ること久し,恐らくは名を知らず 訪うこと倍【ますま】す難からんことを 

願わくば圖經を借りて將に界に入らむとし,佳處に逢う每に便を開いて看ん。 

浮桟橋00 

 

『將至韶州,先寄張端公使君借圖經』 現代語訳と訳註

(本文)

將至韶州,先寄張端公使君借圖經〔將入韶州,先寄張端公使君借圖經〕

曲江山水聞來久,恐不知名訪倍難。 

願借圖經將入界,每逢佳處便開看。 

 

(下し文)

(將に韶州に至らむとし,先づ張端公使君に寄せて圖經を借る〔將に韶州に入らむとし,先づ張端公使君に寄せて圖經を借る〕)

曲江の山水 聞き來ること久し,恐らくは名を知らず 訪うこと倍【ますま】す難からんことを 

願わくば圖經を借りて將に界に入らむとし,佳處に逢う每に便を開いて看ん。 

 

(現代語訳)

(韶州に到ろうとするので、まず、刺史の張曙に寄せて、地図を借りようとこの詩を作った)

韶州の曲江の山水を見るにつけ聞くにつけ、十分満足するものであるとするものだが、前もって名前を覚えておかないと、其の地を訪ねても一層難しいという心配があった。

そこで、君からこの地の地図を拝借し、それを持って、韶州の界に入ろうを思う。その道すがら、素晴らしい景色を訪れて、そのたびごとに、その地図を開きさえすれば、すぐに名前がわかって、せっかくの名所を見落とさなくて済むことであろう。

sas0002 

(訳注)

將至韶州,先寄張端公使君借圖經〔將入韶州,先寄張端公使君借圖經〕

(韶州に到ろうとするので、まず、刺史の張曙に寄せて、地図を借りようとこの詩を作った)

韶州に至る際に韶州刺史張曙に地図を借りようとしてこの詩を作った。韓愈はこの地図を借りたので韶州に入り、宣渓に宿泊し、駅路は韶州ではないところを通ったために、張曙似合わずに行くため、刺史から書を寄せられた。

 

曲江山水聞來久,恐不知名訪倍難。 

韶州の曲江の山水を見るにつけ聞くにつけ、十分満足するものであるとするものだが、前もって名前を覚えておかないと、其の地を訪ねても一層難しいという心配があった。

曲江 韶州の曲江(23

 

願借圖經將入界,每逢佳處便開看。 

そこで、君からこの地の地図を拝借し、それを持って、韶州の界に入ろうを思う。その道すがら、素晴らしい景色を訪れて、そのたびごとに、その地図を開きさえすれば、すぐに名前がわかって、せっかくの名所を見落とさなくて済むことであろう。
2潮州広東00 

《過始興江口感懷》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <960>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3784韓愈詩-255

韓愈《過始興江口感懷》 始興江口に来て、韶州というところを思い出してみると子供のころ長兄にしたがってこの地に来たのである。今またこうして南に遣って来たのは、その頃のものは誰もいなくてわたし一人だけになっている。


2014年2月21日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《過始興江口感懷》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <960>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3784韓愈詩-255
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 『花間集」 このブログで花間集全詩、訳注解説します。(1)温庭筠の詩目次
 
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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《過始興江口感懷〔大曆十四年,起居舍人韓會以罪貶韶刺史,愈隨會而遷,時年十。至是貶潮州,道過始興,有感而作。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <960>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3784韓愈詩-255

 

 

年:819  元和十四年  52

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 過始興江口感懷〔大曆十四年,起居舍人韓會以罪貶韶刺史,愈隨會而遷,時年十。至是貶潮州,道過始興,有感而作。〕

地點:  始興江口 (嶺南道東部 韶州 始興)     

2潮州広東00 

過始興江口感懷

(始興江口を過ぎての感懷)

〔大曆十四年,起居舍人韓會以罪貶韶刺史,愈隨會而遷,時年十。至是貶潮州,道過始興,有感而作。〕

〔韓愈の兄韓會は大曆十に年起居舍人から罪によって韶州刺史に貶められ,韓愈は大曆十四年,韓會に隨って左遷の任地行ったのである,その時歳は十であった。是に至って潮州に貶られ,道を始興を過ぎる,感有っての作。i23

憶作兒童隨伯氏,南來今只一身存。 

始興江口に来て、韶州というところを思い出してみると子供のころ長兄にしたがってこの地に来たのである。今またこうして南に遣って来たのは、その頃のものは誰もいなくてわたし一人だけになっている。

目前百口還相逐,舊事無人可共論。 

こうして私のこの旅のお供をして面前を行ったり来たり、旅を一緒にする人が大勢いるけれども、昔のことを語り合えるものは誰もいないのだ。

 

(始興江口を過ぎての感懷)

〔大曆十四年,起居舍人韓會は罪を以て貶められ韶刺史とし,愈は會に隨いて遷とす,時に年十なり。是に至て潮州に貶れ,道は始興を過ぎて,感有って作る。〕
憶う 兒童たりし作り伯氏に隨いしを,南に來って今 只だ一身存するのみ。 

目前の百口 還た相い逐えども,舊事 人 共に論ず可きもの 無し。


隋堤01

『過始興江口感懷』 現代語訳と訳註

(本文)

過始興江口感懷
〔大曆十四年,起居舍人韓會以罪貶韶刺史,愈隨會而遷,時年十。至是貶潮州,道過始興,有感而作。〕 

憶作兒童隨伯氏,南來今只一身存。 

目前百口還相逐,舊事無人可共論。 

 

(下し文)

(始興江口を過ぎての感懷)

憶う 兒童たりし作り伯氏に隨いしを,南に來って今 只だ一身存するのみ。 

目前の百口 還た相い逐えども,舊事 人 共に論ず可きもの 無し。 

 

(現代語訳)

(始興江口を過ぎての感懷)

〔韓愈の兄韓會は大曆十に年起居舍人から罪によって韶州刺史に貶められ,韓愈は大曆十四年,韓會に隨って左遷の任地行ったのである,その時歳は十であった。是に至って潮州に貶られ,道を始興を過ぎる,感有っての作。i23

始興江口に来て、韶州というところを思い出してみると子供のころ長兄にしたがってこの地に来たのである。今またこうして南に遣って来たのは、その頃のものは誰もいなくてわたし一人だけになっている。

こうして私のこの旅のお供をして面前を行ったり来たり、旅を一緒にする人が大勢いるけれども、昔のことを語り合えるものは誰もいないのだ。

 

(訳注)

過始興江口感懷

(始興江口を過ぎての感懷)

〔大曆十四年,起居舍人韓會以罪貶韶刺史,愈隨會而遷,時年十。至是貶潮州,道過始興,有感而作。〕

〔韓愈の兄韓會は大曆十に年起居舍人から罪によって韶州刺史に貶められ,韓愈は大曆十四年,韓會に隨って左遷の任地行ったのである,その時歳は十であった。是に至って潮州に貶られ,道を始興を過ぎる,感有っての作。i23

韓會は大曆十四年三月、罪を以て左遷された。

2潮州広東00 

憶作 兒童 伯氏 ,南來 今只 一身

始興江口に来て、韶州というところを思い出してみると子供のころ長兄にしたがってこの地に来たのである。今またこうして南に遣って来たのは、その頃のものは誰もいなくてわたし一人だけになっている。

「伯氏」親人眷屬、長兄。

 

 

目前 百口 相逐 ,舊事 無人 可共論

こうして私のこの旅のお供をして面前を行ったり来たり、旅を一緒にする人が大勢いるけれども、昔のことを語り合えるものは誰もいないのだ。

「目前」語義類別:時、時間、範圍時間(今昔)、目前。

「百口」百人。ここでは大勢の人をいう。

「「相逐」追いつ追われつする。ここでは一緒に旅をすること。

「舊事」昔のこと。

「共論」ともに論じあえること。

《晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以絕句二章,二首之二〔晚次宣溪,二首之二〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <959>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3779韓愈詩-254

韓愈〔晚次宣溪,二首之二〕貴方はさながら兼金の様な方であり、その作られる詩文は文彩に飛んでおられる見事なものであります、私と云えば、いつもいつも、百首くらいの詩作しているのでありますが、とても恥ずかしくて張使君には及ぶものではないのです。


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張平子(張衡)《西京賦》(9)#3-2 文選 賦<114―(9)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1046 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3778
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以絕句二章,二首之二〔晚次宣溪,二首之二〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <959>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3779韓愈詩-254
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-34-1 《水檻―#1》 ふたたび成都 杜甫<665-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3780 杜甫詩1000-665-1-950/1500769
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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 291 《遊城南十六首:遣興》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3781 (02/20)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -20 漁父一首 其一 和學士凝(和凝【わぎょう】)二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-447-12-#20  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3782
 
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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《晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以句二章,二首之二〔晚次宣溪,二首之二〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <959  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3779韓愈詩-254

 

 

年:819  元和十四年  52

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以句二章,二首之二〔晚次宣溪,二首之二〕 

及地點:  宣溪 (嶺南道東部 韶州 韶州)     

韶州 (嶺南道東部 韶州 韶州) 別名:東     

交遊人物: 張蒙

韓愈の地図01 

 

晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以句二章,二首之二〔晚次宣溪,二首之二〕

(晩に宣渓に入り宿した時、韶州駐在の張御史から餞別の意を込めた手紙をもらい、これに酬ゆるために絶句二首を作った)その二
兼金那足比清文,百首相隨愧使君。 

貴方はさながら兼金の様な方であり、その作られる詩文は文彩に飛んでおられる見事なものであります、私と云えば、いつもいつも、百首くらいの詩作しているのでありますが、とても恥ずかしくて張使君には及ぶものではないのです。

俱是嶺南巡管莫欺荒僻斷知聞。 

貴方はさながら兼金の様な方であり、その作られる詩文は文彩に飛んでおられる見事なものであります、私と云えば、いつもいつも、百首くらいの詩作しているのでありますが、とても恥ずかしくて張使君には及ぶものではないのです。 

兼金も那んぞ清文を比するに足らん,百首 相い隨って 使君に愧ず。 

俱に是れ 嶺南巡管の荒僻に欺むかれて、知聞を斷つこと莫れ。 

葵00 

晚次宣溪,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

晚次宣溪,二首之一

韶州南去接宣溪,雲水蒼茫日向西。 

客淚數行先自落,鷓鴣休傍耳邊啼。 

 

(下し文)

(晚に宣溪を次【よぎ】り韶州【しょうしゅう】張端公 使君【しくん】書を惠し別を敘するを【かたじけの】辱うし、句二章を以て酬ゆ,二首の一)

韶州 南に去れば 宣溪に接【むか】い,雲水 蒼茫 日 西に向う。 

客の淚 先ず自ら落ちる 數行なり,鷓鴣【しゃこ】耳邊【じへん】に傍うて啼くを休めよ。 

 

(現代語訳)

(晩に宣渓に入り宿した時、韶州駐在の張御史から餞別の意を込めた手紙をもらい、これに酬ゆるために絶句二首を作った)その二

貴方はさながら兼金の様な方であり、その作られる詩文は文彩に飛んでおられる見事なものであります、私と云えば、いつもいつも、百首くらいの詩作しているのでありますが、とても恥ずかしくて張使君には及ぶものではないのです。

貴方はさながら兼金の様な方であり、その作られる詩文は文彩に飛んでおられる見事なものであります、私と云えば、いつもいつも、百首くらいの詩作しているのでありますが、とても恥ずかしくて張使君には及ぶものではないのです。

 

(訳注)

晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以句二章,二首之二

(晩に宣渓に入り宿した時、韶州駐在の張御史から餞別の意を込めた手紙をもらい、これに酬ゆるために絶句二首を作った)その二

○宣溪は嶺南道韶州府城の南80里にある。819  元和十四年  52の夏にこの詩を作る。

○張の名は曙 端公は、御史中丞、使君は刺史で、この時、韶州の刺史たる人であった。

○この詩は、韓愈が晩に宣渓に入り宿した時、韶州駐在の張御史から餞別の意を込めた手紙をもらい、これに酬ゆるために絶句二首を作ったということである。

 

兼金 那足比 清文 ,百首 相隨 使君。

貴方はさながら兼金の様な方であり、その作られる詩文は文彩に飛んでおられる見事なものであります、私と云えば、いつもいつも、百首くらいの詩作しているのでありますが、とても恥ずかしくて張使君には及ぶものではないのです。

「兼金」金の上にさらに黄金で飾ったようなひとである。

 

俱是 嶺南 巡管 ,莫欺 荒僻 知聞

しかし、潮州も、韶州も同じ嶺南節度使の管轄区域内で,そんなにも隔てているわけでもないから、辺鄙で荒れ果てているということにかまけて折角知り合ったのにそのまま音信不通になることがないようにしましょう。

「嶺南 巡管 」潮州も、韶州も同じ嶺南節度使の管轄区域内

「荒僻」辺鄙で荒れ果てているということ。
2潮州広東00 

《晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以絕句二章,二首之一〔晚次宣溪,二首之一〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <958>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3774韓愈詩-253

韓愈〔晚次宣溪,二首之一〕韶州から南に進んでいけばその地は宣渓に向って接続する。折から、雲と渓谷の水が繋がっているほど蒼茫として、日は西に向かって傾き暮れて行こうとしている。行き行きては八十里ここにお出ましになるのも容易ではないからということでわざわざ書簡をお送りいただいて感謝に堪えない次第であります。

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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《晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以句二章,二首之一〔晚次宣溪,二首之一〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <958  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3774韓愈詩-253

 

 

年:819  元和十四年  52

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以句二章,二首之一〔晚次宣溪,二首之一〕

地點:  宣溪 (嶺南道東部 韶州 韶州)  / 韶州 (嶺南道東部 韶州 韶州) 別名:東     

交遊人物: 張蒙


 

晚次宣溪,二首之一

晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以句二章,二首之一

(晩に宣渓に入り宿した時、韶州駐在の張御史から餞別の意を込めた手紙をもらい、これに酬ゆるために絶句二首を作った)

韶州南去接宣溪,雲水蒼茫日向西。 

韶州から南に進んでいけばその地は宣渓に向って接続する。折から、雲と渓谷の水が繋がっているほど蒼茫として、日は西に向かって傾き暮れて行こうとしている。

客淚數行先自落,鷓鴣休傍耳邊啼。 

行き行きては八十里ここにお出ましになるのも容易ではないからということでわざわざ書簡をお送りいただいて感謝に堪えない次第であります。それは今も、この頬に涙が数行、自然に流れてやまないほどであり、そこへ鷓鴣が耳の傍で鳴いていて、ますます絶えることが出来なくなるので、しばらく休めと言っているのであります。

 

〔晚次宣溪,二首之一〕

(晚に宣溪を次【よぎ】り韶州【しょうしゅう】張端公 使君【しくん】書を惠し別を敘するを【かたじけの】辱うし、句二章を以て酬ゆ,二首の一)

韶州 南に去れば 宣溪に接【むか】い,雲水 蒼茫 日 西に向う。 

客の淚 先ず自ら落ちる 數行なり,鷓鴣【しゃこ】耳邊【じへん】に傍うて啼くを休めよ。 

韓愈の地図01 

 

晚次宣溪,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

晚次宣溪,二首之一

韶州南去接宣溪,雲水蒼茫日向西。 

客淚數行先自落,鷓鴣休傍耳邊啼。 

 

(下し文)

(晚に宣溪を次【よぎ】り韶州【しょうしゅう】張端公 使君【しくん】書を惠し別を敘するを【かたじけの】辱うし、句二章を以て酬ゆ,二首の一)

韶州 南に去れば 宣溪に接【むか】い,雲水 蒼茫 日 西に向う。 

客の淚 先ず自ら落ちる 數行なり,鷓鴣【しゃこ】耳邊【じへん】に傍うて啼くを休めよ。 

 

(現代語訳)

(晩に宣渓に入り宿した時、韶州駐在の張御史から餞別の意を込めた手紙をもらい、これに酬ゆるために絶句二首を作った)

韶州から南に進んでいけばその地は宣渓に向って接続する。折から、雲と渓谷の水が繋がっているほど蒼茫として、日は西に向かって傾き暮れて行こうとしている。

行き行きては八十里ここにお出ましになるのも容易ではないからということでわざわざ書簡をお送りいただいて感謝に堪えない次第であります。それは今も、この頬に涙が数行、自然に流れてやまないほどであり、そこへ鷓鴣が耳の傍で鳴いていて、ますます絶えることが出来なくなるので、しばらく休めと言っているのであります。

 

(訳注)

晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以句二章,二首之一

(晩に宣渓に入り宿した時、韶州駐在の張御史から餞別の意を込めた手紙をもらい、これに酬ゆるために絶句二首を作った)

○宣溪は嶺南道韶州府城の南80里にある。819  元和十四年  52の夏にこの詩を作る。

○張の名は曙 端公は、御史中丞、使君は刺史で、この時、韶州の刺史たる人であった。

○この詩は、韓愈が晩に宣渓に入り宿した時、韶州駐在の張御史から餞別の意を込めた手紙をもらい、これに酬ゆるために絶句二首を作ったということである。

 

韶州 南去 接宣溪 ,雲水 蒼茫 日向 西

韶州から南に進んでいけばその地は宣渓に向って接続する。折から、雲と渓谷の水が繋がっているほど蒼茫として、日は西に向かって傾き暮れて行こうとしている。

「韶州」(g-22)韶州。

「宣溪」語義類別:地、地名、河湖地名(江河溪流)、宣溪。

「雲水」茫茫として蒼茫としていて、急流で雲に続く様な渓谷である。天に続くほどではないということ。。

「蒼茫」蒼茫の用語解説 - [ト・タル][文][形動タリ]1 見渡すかぎり青々として広いさま。「―たる大海」2 ほの暗いさま。

 

客淚 數行 自落 ,鷓鴣 休傍 耳邊

行き行きては八十里ここにお出ましになるのも容易ではないからということでわざわざ書簡をお送りいただいて感謝に堪えない次第であります。それは今も、この頬に涙が数行、自然に流れてやまないほどであり、そこへ鷓鴣が耳の傍で鳴いていて、ますます絶えることが出来なくなるので、しばらく休めと言っているのであります。

「客淚」手紙をもらった客、韓愈。

「數行」手紙をもらったことが嬉しくて流す涙。

「鷓鴣」キジ科シャコ属の鳥の総称。茶褐色の羽毛をもつものが多く、コジュケイに似る。約40種がアフリカ・アジア・ヨーロッパに分布。鈎輈【こうちゅう】 力強く鳴く鷓鴣のなきごえ。『本草鷓鴣』「集解、孔志約曰、鷓鴣生江南、形似る母鷄、鳴けば云う鈎輈格磔亅。」(集解、孔志約曰く、鷓鴣は江南に生ず、形母鷄に似る、鳴けば鈎輈格磔【かくたく】と云う)。
2潮州広東00

《題臨瀧寺》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <957>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3769韓愈詩-252

韓愈(臨瀧寺に題す)長安を離れて知らぬ間に既に五千里の遠き地まで来てしまった。この地のことは『隴吏』に述べたが、旅で疲れ果て、衰病の身を助けて、早瀬を下る船に乗り込んだものだ。潮州がいかなるところであるか私はまだその地に到着しないものの能くその地の風土がすごしやすいものと希望して喜んでいる。ただここ湊水23を見渡す限り、海氣昏昏として起ちこめ、逆巻く急流の流れは空を打つばかりのまことにものすごく恐ろしい所である。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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張平子(張衡)《西京賦》(7)#2-4 文選 賦<114―(7)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1044 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3768
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《題臨瀧寺》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <957>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3769韓愈詩-252
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-33-1 《 破船ー#1》 ふたたび成都3240 杜甫<664-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3770 杜甫詩1000-664-1-948/1500767
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 289 《遊城南十六首:嘲少年》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3771 (02/18)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -18 柳枝三首  其二 和學士凝(和凝【わぎょう】)二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-445-12-#18  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3772
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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《題臨瀧寺》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <957>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3769韓愈詩-252

 

 

年:  819  元和十四年  52

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 題臨瀧寺 

及地點: 臨瀧寺 (嶺南道東部 韶州 韶州)

        潮陽 (嶺南道東部 潮州 潮陽)     

 

 

題臨瀧寺 

(臨瀧寺に題す)

不覺離家已五千,仍將衰病入瀧船。 

長安を離れて知らぬ間に既に五千里の遠き地まで来てしまった。この地のことは『隴吏』に述べたが、旅で疲れ果て、衰病の身を助けて、早瀬を下る船に乗り込んだものだ。

潮陽未到吾能海氣昏昏水拍天。 

潮州がいかなるところであるか私はまだその地に到着しないものの能くその地の風土がすごしやすいものと希望して喜んでいる。ただここ湊水23を見渡す限り、海氣昏昏として起ちこめ、逆巻く急流の流れは空を打つばかりのまことにものすごく恐ろしい所である。

 

臨瀧寺に題す 

覺えず 家を離れて已に五千,仍お衰病を將って瀧船に入る。 

潮陽 未だ到らず 吾れ能く【よろこ】び海氣 昏昏として水 天を拍つ。 

 

 

『題臨瀧寺』 現代語訳と訳註

(本文)

題臨瀧寺 

不覺離家已五千,仍將衰病入瀧船。 

潮陽未到吾能海氣昏昏水拍天。 

 

(下し文)

臨瀧寺に題す 

覺えず 家を離れて已に五千,仍お衰病を將って瀧船に入る。 

潮陽 未だ到らず 吾れ能く【よろこ】び,海氣 昏昏として水 天を拍つ。 

 

(現代語訳)

(臨瀧寺に題す)

長安を離れて知らぬ間に既に五千里の遠き地まで来てしまった。この地のことは『隴吏』に述べたが、旅で疲れ果て、衰病の身を助けて、早瀬を下る船に乗り込んだものだ。

潮州がいかなるところであるか私はまだその地に到着しないものの能くその地の風土がすごしやすいものと希望して喜んでいる。ただここ湊水23を見渡す限り、海氣昏昏として起ちこめ、逆巻く急流の流れは空を打つばかりのまことにものすごく恐ろしい所である。

幻日環01 

 

(訳注)

題臨瀧寺 

臨瀧は韶州にある県名。現在は曲江県に属す。寺のことは見えないが韓愈『隴吏』と同じ時期、同じ場所である。場所名をとった寺であるが、現在までには廃絶されてない。韓愈が韶州を過る際に作ったもの。

 

不覺離家已五千,仍將衰病入瀧船。 

長安を離れて知らぬ間に既に五千里の遠き地まで来てしまった。この地のことは『隴吏』に述べたが、旅で疲れ果て、衰病の身を助けて、早瀬を下る船に乗り込んだものだ。

 

潮陽未到吾能,海氣昏昏水拍天。 

潮州がいかなるところであるか私はまだその地に到着しないものの能くその地の風土がすごしやすいものと希望して喜んでいる。ただここ湊水23を見渡す限り、海氣昏昏として起ちこめ、逆巻く急流の流れは空を打つばかりのまことにものすごく恐ろしい所である。

2潮州広東00

 

 

 

不覺離家已五千,仍將衰病入瀧船。

潮陽未到吾能【潮州未到吾能】【潮陽未到人先】【潮州未到人先】,海氣昏昏水拍天。 

 

《武關西逢配流吐蕃〔謫潮州時途中作〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <955> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3759韓愈詩-250

(武関の西で流罪に処津汚れたチベット人に出会ったときの詩)ああ、お前たち異民族であるチベット人よ そういたましげにするな。お前たちの流される湖南で、それも近い土地だからいのちに別条はないだろうから、そう慘然として歎き悲しむには及ぶまい。わたしは今罪が重くて、長安を去ってひとすじに行くみちのりは八千里の彼方である潮州に流されるのである。到底長安に召し返される望みは無いくらいなのだ、これにくらべれてみれば、少しは、自ら慰めることにはなるまいか。


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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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《武關西逢配流吐蕃〔謫潮州時途中作〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <955 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3759韓愈詩-250

 

 

作時年:  819  元和十四年  52

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 武關西逢配流吐蕃〔謫潮州時途中作〕 

作地點: 武關(山南東道 / 商州 / 武關

及地點: 長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都     

 

 

武關西逢配流吐蕃〔謫潮州時途中作〕

(武関の西で流罪に処津汚れたチベット人に出会ったときの詩)

嗟爾戎人莫慘然,湖南地近保生全。 

ああ、お前たち異民族であるチベット人よ そういたましげにするな。お前たちの流される湖南で、それも近い土地だからいのちに別条はないだろうから、そう慘然として歎き悲しむには及ぶまい。

我今罪重無歸望,直去長安路八千。 

わたしは今罪が重くて、長安を去ってひとすじに行くみちのりは八千里の彼方である潮州に流されるのである。到底長安に召し返される望みは無いくらいなのだ、これにくらべれてみれば、少しは、自ら慰めることにはなるまいか。

 

(武關の西に配流の吐蕃に逢う)

〔潮州に謫さるる時の途中作〕

嗟あ、爾じ 戎人 慘然たること莫れ,湖南は地 近くして生を保つことを全からん。

我れ今 罪重うして 歸る望み無し,直ちに長安を去ること路 八千。

toujidaimap 

 

『武關西逢配流吐蕃』 現代語訳と訳註

(本文)

武關西逢配流吐蕃〔謫潮州時途中作〕

嗟爾戎人莫慘然,湖南地近保生全。 

我今罪重無歸望,直去長安路八千。 

 

(下し文)

(武關の西に配流の吐蕃に逢う)

〔潮州に謫さるる時の途中作〕

嗟あ、爾じ 戎人 慘然たること莫れ,湖南は地 近くして生を保つことを全からん。

我れ今 罪重うして 歸る望み無し,直ちに長安を去ること路 八千。

 

(現代語訳)

(武関の西で流罪に処津汚れたチベット人に出会ったときの詩)

ああ、お前たち異民族であるチベット人よ そういたましげにするな。お前たちの流される湖南で、それも近い土地だからいのちに別条はないだろうから、そう慘然として歎き悲しむには及ぶまい。

わたしは今罪が重くて、長安を去ってひとすじに行くみちのりは八千里の彼方である潮州に流されるのである。到底長安に召し返される望みは無いくらいなのだ、これにくらべれてみれば、少しは、自ら慰めることにはなるまいか。

 

(訳注)

武關西逢配流吐蕃〔謫潮州時途中作〕

(武関の西で流罪に処津汚れたチベット人に出会ったときの詩)

武関西逢配流吐蕃 緯愈が潮州へ貶せられて行く途中、武関の西で流罪に処せられたチベット人に出会ったときの詩。韓愈五十一歳、819年元和十四年正月の作。武関は、今の陝西省商許県の西にある関所。配流は、流罪に処せられること。配も、流刑のことである。吐蕃は1チベット人。唐代、安史の乱後、西方の異民族の国家中、最も力のあったのは、回紇と吐蕃で、絶えず唐の領内に侵入して来ていた。吐蕃は、818年前年元和十三月に、今の寧夏省東南部に人馬して来ているから、今配流せられて行くチベット人たちは、その時の捕虜かもしれない。

 

嗟爾 戎人 莫慘然 ,湖南 地近 保生 全。

ああ、お前たち異民族であるチベット人よ そういたましげにするな。お前たちの流される湖南で、それも近い土地だからいのちに別条はないだろうから、そう慘然として歎き悲しむには及ぶまい。。

戎人 西方の異民族を戎といった。吐蕃は西方の異民族である。

湖南 今の湖南省。吐蕃の配流される土地である。

惨然 痛ましげなさま。

 

我今罪重無歸望,直去長安路八千。 

わたしは今罪が重くて、長安を去ってひとすじに行くみちのりは八千里の彼方である潮州に流されるのである。到底長安に召し返される望みは無いくらいなのだ、これにくらべれてみれば、少しは、自ら慰めることにはなるまいか。

帰望 長安に帰って来る希望。

直 ずっとまっすぐ。

八千 潮州は、韓愈の未達された土地。八千は、八千里(1km=0.576m約四千キロメートル)、韓愈はあっちに寄り、こっちに寄るために倍くらいの距離を移動しているもの。唐代の地理を書いた「元和郎県志」にょれは、長安から潮州まで、直線五千六百二十五里(3,240km)で、八千里まではない。旅程を述べる『通典』によれば七千六百六十七里とされていることから、この表示は正確なものであったのである。

『左遷至藍關示姪孫湘』〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕

一封朝奏九重天,夕貶潮州路八千。 

欲為聖朝除弊事,肯將衰朽惜殘年。  

雲橫秦嶺家何在,雪擁藍關馬不前。 

知汝遠來應有意,好收吾骨瘴江邊。  
2蜀の山00 

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《元日酬蔡州馬十二尚書去年蔡州元日見寄之什》君が元日の新詩を寄せられたのは去年の元日のことで、はるばる蔡州から、平生のお心くばりのたまもので、私にとってはまことにありがたい幸せな事であり、ご返事を怠っていた私といたしまして慚愧に堪えないものであります。


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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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《元日酬蔡州馬十二尚書去年蔡州元日見寄之什》115韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <953  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3749韓愈詩-248

 

 

作時年:  819  元和十四年  52

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 元日酬蔡州馬十二尚書去年蔡州元日見寄之什 

及地點: 豫州 (河南道 豫州 豫州) 別名:蔡州     

交遊人物: 馬總

 

元日 酬蔡州馬十二尚書去年蔡州元日見寄之什

(この詩は818年元和13年元日に一詩を韓愈に寄せていたものを翌年の819年元日に唱和したもの。)

元日新詩已去年,蔡州遙寄荷相憐。 

君が元日の新詩を寄せられたのは去年の元日のことで、はるばる蔡州から、平生のお心くばりのたまもので、私にとってはまことにありがたい幸せな事であり、ご返事を怠っていた私といたしまして慚愧に堪えないものであります。

今朝縱有誰人領,自是三峰不敢眠。 

しかし、あの詩が、去年でなく、たとえ今朝ほど到着致したものとしても、だれがその意を領して、御答をしないで居れましょう。ここに今年の元日に至って應酬できることに、やっと心がのびのびできたのであります。

  

(元日 蔡州馬十二尚書の去年の蔡州元日に見寄せられし什に酬ゆ。)

元日の新詩 已に去年のことなり,蔡州より遙かに寄せて相憐を荷う。 

今朝 縱い有りとも誰人か領せん,自ら是れ 三峰 敢えて眠らず。 

 

 

『元日 酬蔡州馬十二尚書去年蔡州元日見寄之什』 現代語訳と訳註

(本文)

元日 酬蔡州馬十二尚書去年蔡州元日見寄之什

元日新詩已去年,蔡州遙寄荷相憐。 

今朝縱有誰人領,自是三峰不敢眠。 

 

(下し文)

(元日 蔡州馬十二尚書の去年の蔡州元日に見寄せられし什に酬ゆ。)

元日の新詩 已に去年のことなり,蔡州より遙かに寄せて相憐を荷う。 

今朝 縱い有りとも誰人か領せん,自ら是れ 三峰 敢えて眠らず。 

 

(現代語訳)

(この詩は818年元和13年元日に一詩を韓愈に寄せていたものを翌年の819年元日に唱和したもの。)

君が元日の新詩を寄せられたのは去年の元日のことで、はるばる蔡州から、平生のお心くばりのたまもので、私にとってはまことにありがたい幸せな事であり、ご返事を怠っていた私といたしまして慚愧に堪えないものであります。

しかし、あの詩が、去年でなく、たとえ今朝ほど到着致したものとしても、だれがその意を領して、御答をしないで居れましょう。ここに今年の元日に至って應酬できることに、やっと心がのびのびできたのであります。

 

 

(訳注)

元日 酬蔡州馬十二尚書去年蔡州元日見寄之什

(この詩は818年元和13年元日に一詩を韓愈に寄せていたものを翌年の819年元日に唱和したもの。)

818年裴度が呉元濟を征伐した。平定後の事後処理に馬摠に命じたので別れるに際してこの詩を酬いる。(蔡州を平定した、裴度は、その時、副位の馬摠を彰義軍留後としてのこし、現地の事後処理を命じた。)詩がある。

酬別留後侍郎〔蔡平,命馬總為留後。〕

為文無出相如右,謀師難居郤縠先。 

歸去雪銷溱洧動,西來旌旆拂晴天。

文をつくったとしても、あの司馬相如の右に出ることなどとても難しいものだ。戦の廟略・戦略については春秋の文公の家臣、郤縠に先んじることはむつかしい。

君がその地を去って帰って來る頃には雪は解け消えて溱水・洧水は流れているだろう。隊列の旗は晴天の空にはためいて西に進むのである。

〇民本巻十。卷三四四  文體: 七言句呉元済の乱が平定したのち、裴度は現地の事後処理をさせるため副位の馬摠を彰義軍留後としてのこして、他のものはつれて長安に帰ることにした。このとき韓愈が馬摠に贈った詩である。《酬別留後侍郎〔蔡平,命馬總為留後。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <838  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3174韓愈詩-210

泰山の夕日 

 

元日新詩已去年,蔡州遙寄荷相憐。 

君が元日の新詩を寄せられたのは去年の元日のことで、はるばる蔡州から、平生のお心くばりのたまもので、私にとってはまことにありがたい幸せな事であり、ご返事を怠っていた私といたしまして慚愧に堪えないものであります。

 

今朝縱有誰人領,自是三峰不敢眠。 

しかし、あの詩が、去年でなく、たとえ今朝ほど到着致したものとしても、だれがその意を領して、御答をしないで居れましょう。ここに今年の元日に至って應酬できることに、やっと心がのびのびできたのであります。

三峰 諸説あるが、東嶽の泰山、中嶽の嵩山、西嶽の華山を行ったり来たりする忙しさ、信仰に、儒学者として忙しさを示すもの。

 河南郾城05

《題楚昭王廟〔襄州宜城縣驛東北有井,傳是王井,井東北數十步,有昭王廟。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <952>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3744韓愈詩-247

韓愈《題楚昭王廟》昭王の清涼に覆われて人をして綃魂せしむるところというべきものであるが、ここが古の王都とはどうしても思えないう位である。しかしこの地で育った楚の国のものは昭王が国の滅亡の瀬戸際から回復させたその旧徳を忘れずに、わずか一間ほどの茅屋ではあるものの、昭王廟としてこれを祀っていて、王の霊を千秋の後までも絶やさず讃えていっているのである。

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《題楚昭王廟〔襄州宜城縣驛東北有井,傳是王井,井東北數十步,有昭王廟。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <952  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3744韓愈詩-247

 

 

作時年:  819  元和十四年  52 

卷別: 卷三四三  文體: 七言 

詩題: 題楚昭王廟〔襄州宜城縣驛東北有井,傳是王井,井東北數十步,有昭王廟。〕 

(楚の昭王の廟に題す。)〔襄州宜城縣驛東北有井,傳是王井,井東北數十步,有昭王廟。〕

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  楚昭王廟 (山南東道 襄州 率道)     

 

題楚昭王廟

(楚の昭王の廟に題す。)―潮州に左遷されて、長安よりその地に赴く土地に立ち寄り作った。―

〔襄州宜城縣驛東北有井,傳是王井,井東北數十步,有昭王廟。〕

〔この襄州宜城県の駅は古の宣城内に有り。駅の東北に井戸有り、これを伝えるは昭王の井戸、霊異あり、今に至ってこれを汲むことはない。井戸の東北、数十歩に昭王の廟がある。〕

丘墳滿目衣冠盡,城闕連雲草樹荒。 

見渡す限り、土饅頭、墳墓、陵墓ばかりで、衣冠のひとは、とっくの昔に死んでしまい、城郭の城門だけは高く雲に連なり、周りはというと草樹により荒れ果てたままなのだ。

猶有國人懷舊德,一間茅屋祭昭王。 

しかし、昭王の清涼に覆われて人をして綃魂せしむるところというべきものであるがここが古の王都とはどうしても思えないう位である。しかしこの地で育った楚の国のものは昭王が国の滅亡の瀬戸際から回復させたその旧徳を忘れずに、わずか一間ほどの茅屋ではあるものの、昭王廟としてこれを祀っていて、王の霊を千秋の後までも絶やさず讃えていっているのである。

 

(楚の昭王の廟に題す。)

〔襄州 宜城縣 驛東の北 井有り,是に王の井を傳う,井は東北へ數十步,昭王の廟有り。〕

丘墳 滿目 衣冠 盡き,城闕 連雲 草樹 荒る。 

猶お國人の舊德を懷う有り,一間の茅屋 昭王を祭る。 

 

 

『題楚昭王廟』 現代語訳と訳註

(本文) 題楚昭王廟

〔襄州宜城縣驛東北有井,傳是王井,井東北數十步,有昭王廟。〕

丘墳滿目衣冠盡,城闕連雲草樹荒。 

猶有國人懷舊德,一間茅屋祭昭王。 

 

(下し文)

(楚の昭王の廟に題す。)

〔襄州 宜城縣 驛東の北 井有り,是に王の井を傳う,井は東北へ數十步,昭王の廟有り。〕

丘墳 滿目 衣冠 盡き,城闕 連雲 草樹 荒る。 

猶お國人の舊德を懷う有り,一間の茅屋 昭王を祭る。 

 

(現代語訳)

(楚の昭王の廟に題す。)〔潮州に左遷されて、長安よりその地に赴く土地に立ち寄り作った。〕

見渡す限り、土饅頭、墳墓、陵墓ばかりで、衣冠のひとは、とっくの昔に死んでしまい、城郭の城門だけは高く雲に連なり、周りはというと草樹により荒れ果てたままなのだ。

しかし、昭王の清涼に覆われて人をして綃魂せしむるところというべきものであるがここが古の王都とはどうしても思えないう位である。しかしこの地で育った楚の国のものは昭王が国の滅亡の瀬戸際から回復させたその旧徳を忘れずに、わずか一間ほどの茅屋ではあるものの、昭王廟としてこれを祀っていて、王の霊を千秋の後までも絶やさず讃えていっているのである。

 花瓊

(訳注)

題楚昭王廟

〔襄州宜城縣驛東北有井,傳是王井,井東北數十步,有昭王廟。〕

この襄州宜城県の駅は古の宣城内に有り。駅の東北に井戸有り、これを伝えるは昭王の井戸、霊異あり、今に至ってこれを汲むことはない。井戸の東北、数十歩に昭王の廟がある。旧時には、高木万株あり、多くその名を得ず、歴代あえてこれを剪伐することはなかった。ということで、古松大竹を多くしていた。

もとの廟屋は極めて宏盛であったが、今は草屋一棟のみである。

○元和十四年二月二日、潮州に左遷されて、長安よりその地に赴く土地に立ち寄り作った。以下の作品と同時期のものである。

《路傍堠〔元和十四年出為潮州作〕》―#1 嶺南行(1)-#1韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <902  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3494韓愈詩-228

229嶺南行(2)《食曲河驛》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <904  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3504韓愈詩-229 嶺南行(2)

230 嶺南行(3)《過南陽〔元和十四年出為潮州作。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <905  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3509韓愈詩-230 嶺南行(3) 236

《瀧吏-9分割1回目〔元和十四年出為潮州作。〕》嶺南行(4)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <906  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3514韓愈詩-231

○昭王(しょうおう、? - 紀元前489年、在位:紀元前515 - 紀元前489年)は、中国春秋時代の楚の王。姓は羋、氏は熊。諱は珍または軫。平王の子。

 

丘墳 滿目 衣冠 盡,城闕 連雲 草樹

見渡す限り、土饅頭、墳墓、陵墓ばかりで、衣冠のひとは、とっくの昔に死んでしまい、城郭の城門だけは高く雲に連なり、周りはというと草樹により荒れ果てたままなのだ。

「丘墳」土饅頭、墳墓、陵墓ばかりである。

「滿目」見渡す限り。

「衣冠」職官爵位、士大夫をいう。

「城」都城、城郭。

「闕」城門

 

猶有 國人 舊德 ,一間 茅屋 昭王

しかし、昭王の清涼に覆われて人をして綃魂せしむるところというべきものであるがここが古の王都とはどうしても思えないう位である。しかしこの地で育った楚の国のものは昭王が国の滅亡の瀬戸際から回復させたその旧徳を忘れずに、わずか一間ほどの茅屋ではあるものの、昭王廟としてこれを祀っていて、王の霊を千秋の後までも絶やさず讃えていっているのである。

「舊德」前506年の柏挙の戦いでは、伍子胥率いる呉の軍勢が楚の都郢に攻め入ったので、昭王は都を脱出して隨に逃れた。楚の臣申包胥は秦を訪れ、哀公に救援を求めたが、哀公は当初これに応じなかった。そのため、申包胥は秦の宮廷の庭で77晩にわたって泣き続けた。哀公はその忠誠心に感じ入り、ついに楚に援軍を出した。これにより楚は呉軍の撃退に成功し、昭王は郢に戻ることができた。士太夫、農民にとって、虐殺化、奴隷になるのを防いだ昭王に対する感謝の気持ちが千三、四百年の続いているということ。

「一間」一間巾。
杏の白花01 

《桃林夜賀晉公》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <846>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3214韓愈詩-218

韓愈《桃林夜賀晉公》裴度相公は、今次、晉國公を賜り、合わせて、宰相に任ぜられ、命珪と相印とを両つながら此れを手にするはまことにめでたいことで、朝廷においては、早速論功行賞をなし、一時に二つの賜命を重ね合わせて、今次第一の功勲たる相公に賜ったのである。

 

2013年10月30日 の紀頌之5つのブログ
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《桃林夜賀晉公》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <846>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3214韓愈詩-218
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《桃林夜賀晉公》韓愈

(韓退之) Ⅱ中唐詩 <846  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3214韓愈詩-218

 

 

作者: 韓愈 

皇帝紀年: 元和十二年 

寫作時間: 817 

寫作年紀: 50 

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 桃林夜賀晉公 

作地點: 桃林(都畿道 / 陜州 / 桃林別名:桃塞

交遊人物: 裴度

唐時代 韓愈関連01 

 

桃林夜賀晉公

(夜、潼関付近の桃林に宿したときに裴度の昇任の報を得たことにより、これを賀して作ったものである。)
西來騎火照山紅,夜宿桃林臘月中。 

西に向かって進む騎士の炬火は山の紅葉を照らしていて、折から十二月の寒さにもかかわらず、今宵はここ桃林に一宿をした。
手把命珪兼相印,一時重疊賞元功。 

裴度相公は、今次、晉國公を賜り、合わせて、宰相に任ぜられ、命珪と相印とを両つながら此れを手にするはまことにめでたいことで、朝廷においては、早速論功行賞をなし、一時に二つの賜命を重ね合わせて、今次第一の功勲たる相公に賜ったのである。

 

(桃林の夜 晉公を賀す)

西來りて 騎火 山紅に照らし,夜 桃林 臘月の中に宿す。

手に命珪と兼ねて相印を把り,一時 重疊 元功を賞す。

 

 

『桃林夜賀晉公』 現代語訳と訳註

(本文)

桃林夜賀晉公

西來騎火照山紅,夜宿桃林臘月中。 

手把命珪兼相印,一時重疊賞元功。 

 

 

(下し文)

(桃林の夜 晉公を賀す)

西來りて 騎火 山紅に照らし,夜 桃林 臘月の中に宿す。

手に命珪と兼ねて相印を把り,一時 重疊 元功を賞す。

 

(現代語訳)

(夜、潼関付近の桃林に宿したときに裴度の昇任の報を得たことにより、これを賀して作ったものである。)

西に向かって進む騎士の炬火は山の紅葉を照らしていて、折から十二月の寒さにもかかわらず、今宵はここ桃林に一宿をした。

裴度相公は、今次、晉國公を賜り、合わせて、宰相に任ぜられ、命珪と相印とを両つながら此れを手にするはまことにめでたいことで、朝廷においては、早速論功行賞をなし、一時に二つの賜命を重ね合わせて、今次第一の功勲たる相公に賜ったのである。

 

千畳敷0010

 

(訳注)

桃林夜賀晉公

(夜、潼関付近の桃林に宿したときに裴度の昇任の報を得たことにより、これを賀して作ったものである。)

同時期の詩として下記がある。この一連の詩にける韓愈の裴度に関しての評価と「平淮西碑」の経緯等を見るととても興味深いものである。

次潼關先寄張十二閣老使君

荊山已去華山來,日出潼關四扇開。 

刺史莫辭迎候遠,相公親破蔡州迴。 

《次潼關先寄張十二閣老使君》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <844  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3204韓愈詩-216

次潼關上都統相公

暫辭堂印執兵權,盡管諸軍破賊年。 

冠蓋相望催入相,待將功德格皇天。 

《次潼關上都統相公【案:韓弘也。】》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <845  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3209韓愈詩-217

 

西來 騎火 山紅 ,夜宿 桃林 臘月

西に向かって進む騎士の炬火は山の紅葉を照らしていて、折から十二月の寒さにもかかわらず、今宵はここ桃林に一宿をした。

「騎火」語義類別:物、器物、交通工具(陸路)、騎。

「山紅」山の紅葉が残っている部分の騎士のかざす炬火が。

「宿」語義類別:人、行為動作、一般行為(宀部)、宿。

「桃」語義類別:物、生物、植物專名(木本)、桃。

「臘月」十二月。

 

 

手把 命珪 兼相印 ,一時 重疊 元功

裴度相公は、今次、晉國公を賜り、合わせて、宰相に任ぜられ、命珪と相印とを両つながら此れを手にするはまことにめでたいことで、朝廷においては、早速論功行賞をなし、一時に二つの賜命を重ね合わせて、今次第一の功勲たる相公に賜ったのである。

「命珪」天子から賜った珪玉。

「相印」宰相の印

「賞功」論功行賞。

 

 

元和十二年(817)、韓愈が五十歳となった年の七月、憲宗皇帝は裴度を宰相と兼任で昭義軍節度使とし、膠着状態と患っている淮西の乱を一挙に解決せよと命じた。裴度はこの命令を受けると、韓愈を自分の部下にいただきたいと朝廷へ願い出た。そこで韓愈を御史中丞に任ずるむねの辞令が下り、兼ねて裴度の軍の行軍司馬を命ぜられた。むろん兼官の行軍司馬のほうが、主要な職務なのである。

もっとも、このときの戦争では、韓愈は直接戦闘には加わっていない。彼が買って出たのは根まわしとでもいうべき役まわりなのであって、たとえば、韓愈は裴度の軍と途中で別れて津州(河南省開封市)へと急行し、そこにいた宣武軍節度使の韓弘に了解と協力を取りつけるのに成功している。これは韓弘が朝廷の命によって呉元済討伐の軍を指揮していたためで、それで戦線が膠着し、裴度の出馬となったわけだが、ともかく韓弘にわたりをつけておく必要はあった。韓愈はその役をつとめたのである。

 

 

このたびの従軍における韓愈の詩は、ほとんど残っていないし、残るものもこの詩に見られるような、比較的軽い作品である。たぶん韓愈としては、ここが腕の見せ場と張り切ったのであろうが、あまり張り切りすぎて、詩作のほうは二の次となってしまったのかもしれない。戦闘には参加していないので、詩の題材となるような劇的な事件には乏しかったという事情もあろう。
 

だが、韓愈にも戦闘に参加する機会が全くなかったわけではない。官軍が進撃する途中、呉元済の本拠地である蔡州の様子をさぐらせたところ、元済の軍の精鋭は前線に配置されており、蔡州を守るのは弱卒で、しかも数が少ないことがわかった。そこで韓愈は自分に三千の兵を分けてもらえれば、間道つたいに蔡州を乗っ取ってみせると進言した。
 

このとき同じ情報を手に入れたのが、呉元済討伐には加わっているが裴度の指揮には属さない唐鄧随節度使の李愬という人物であった。彼はさっそく九千の手勢を率いて元和十二年十月の吹雪の夜、強行軍のすえ、察州を攻略して、呉元済を捕虜とした。准西の乱はここに鎮定されたわけで、韓愈としては手柄をたてる機会を人に取られてしまったことになる。
 

だがともかく、官軍は赫々たる戦果をおさめたわけで、韓愈はその年の十二月に長安の都へ凱旋した。そして歳末に論功行賞があり、韓愈は刑部侍郎に昇進した。行政官庁である尚書省は六部(吏部・戸部・礼部・兵部・刑部・工部)に分けられ、それぞれの長官が尚書、次官が侍郎である。現在の日本ならば法務省の事務次官とでもいうべきところで、むろん韓愈のこれまでの履歴では最高の地位である。DCF00044

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韓愈《次潼關上都統相公》天子は今まで丞相公の功徳、皇天に到達することを待っておられたので、いよいよ凱旋となると、頻りに、使者を遣わして、冠蓋をたがいに望んで、早く帰朝し、再び入って宰相となることを催促されている。裴度公、声望の隆盛なることは大したものである。

 

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2013年10月29日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
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司馬相如 《上林賦 》(27)―#10-2  文選 賦<110-#10-2>13分割38回 Ⅱ李白に影響を与えた詩932 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3208
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《次潼關上都統相公》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <845>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3209韓愈詩-217
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoor674 《春日梓州登樓,二首之一》 蜀中転々 杜甫 <580>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3210 杜甫詩1000-580-836/1500
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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